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太郎くんへ
こんにちは。今日から、とうとう地底です!
思っていたよりも明るくて、地面の下にいるんだっていう実感が、あまりありません。
でも、空もないし、壁で覆われているし、やっぱりここは地底なんだね。当たり前だけれど、不思議な気持ち。
地底の妖怪の子とも、出会いました。少し変わっているけれど、それは幻想郷も同じだものね。きっとうまくやっていけると思うよ。
本当はね、少しだけ不安なの。大きなケンカをしないように、気をつけなければね。
それでは、またね。
花子より
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すっかり日が昇った青空の下で、朝食だか昼食だか分からない木の実を食べ終えてから、花子とこいしはとうとう地底へ続く洞窟の前に立った。
これからしばらく地底に滞在するとしたら、空を眺めることはほとんどなくなるかもしれない。名残惜しげにぷかぷかと暢気な雲を見上げていると、察してくれたらしいこいしが、花子の頭を撫でた。
「太陽は見れなくなるけど、地底の天井は不思議なコケがお星様みたいに光ってるから、綺麗だよぉ」
「そうなんだ。光るコケって、図鑑で見たことあるけれど、それと同じ?」
「んー、調べたことはないけど、それとは違うんじゃないかなぁー? たくさんの色があるし、妖力もちょっと出てるし」
どうやら、地底特有のものらしい。ぼんやりと空を眺めるのが好きな花子も、それならば退屈しないで済みそうだ。こいしに手を引かれて、洞窟に入る。
地上の妖怪はほとんど入ろうとしないらしいが、幻想郷に来てまだ一年目の花子である。悪いことをしているというような感覚は、まるでない。堂々としているね、とこいしに笑われたが、曖昧な返事しかできなかった。
暗がりは歩きにくいかと思っていたものの、夜目が効く妖怪二人にとって、それはいらぬ心配であった。こいしが言っていた輝く不思議なコケのおかげで、地上の夜道よりはずっと明るい。
想像していた、真っ暗で何もない洞窟と違い、地底へ続くその空洞はとても神秘に満ちあふれていた。天井で色とりどりに瞬く美しい光は、花子をときめかせるに十分過ぎる。
ふと、見上げている天井がずいぶん高いことに気がついた。飛び回っても、よほど無理をしない限りは頭をぶつけることはないだろう。
入り口はそうでもなかったと思うのだが、もう結構な距離を降りてきたのだろうか。しかし、洞窟の先にはまだ、町らしいものはおろか、人影一つ見えない。
「こいしちゃん、結構歩くの?」
「んー、そうだねぇ。旧都までは大体、お寺からここまでと同じくらいだから、歩くとまだまだかかるよぉー。飛んでっちゃう?」
「ううん、歩いていこう。せっかくの地底だもの、もっとゆっくり楽しみたいの」
「りょーかいー」
そうは言ったものの、旧都と呼ばれる場所の近くまでは、代わり映えのない景色が続くばかりらしい。ゆっくり楽しむという発言の中身は、ほとんどがこいしとのおしゃべりで占められている。
そのおしゃべりの中で、こいしはこんなことを話してくれた。
地底と地上が往来できるようになった大きな理由の一つに、彼女の自宅が絡んでいるらしい。地霊殿に住むペットが起こした騒動で、霊夢と魔理沙が地底に乗り込んだ日から、そのペットが地上に出向くようになったそうだ。こいしはそのずっと前から、地上で遊んでいたそうだが。
地霊殿の異変後も、紫や天狗の上層部などは、地底との関わりを拒んでいたらしい。しかし、地底に封じられていた空飛ぶ船が地上に出現、案の定霊夢達と一悶着を起こしてから、人里付近に着陸、妖怪が集う寺――命蓮寺となったことで、不文律はほとんど意味をなさなくなったという。
古くから地上にいる妖怪などは、今でも地底に行こうとはしない。世間知らずな若い妖怪は、度胸試しに潜ったりするらしいが、大抵が八雲紫やその式に引きずり出されるか、手加減を知らない地底の妖怪に痛い目に合わされて、泣きながら帰ってくるかのどちらかなのだとか。
「弾幕するのはいいんだけどねぇー、地底の妖怪に挑んでくる子って、なんでか私達を見下してるから、ついムッとなっちゃうんだぁ」
「それはよくないねぇ。って、こいしちゃんも地上の妖怪に挑まれたことがあるの?」
「うん。ちょうどこの辺りで弾幕したよぉ。すっごい点差で勝っちゃったら、文句言いながら出てったよ」
これは、地上の代表としてお詫びの菓子折りでも持ってくるべきだっただろうか。花子は少し頭を悩ませたが、今から引き返して土産を買うのも馬鹿らしいので、進むことにする。
地底深くに潜れば潜るほど、天井は高く、幅もどんどん大きくなっていく。幻想郷の下にこんな空洞があったら、地震か何かで崩れてしまうのではと思ったが、花子が生きているよりもずっと長い時間保っているのだから、いらぬ心配なのだろう。
天井の星を見上げながら、いつものように談笑している時に、花子はふと視線を感じ、立ち止まった。こいしも気づいたようで、暗がりの一点を見つめている。
「おや、やっと気づいた。覚相手じゃ、もっと早く気づかれると思ってたんだけど」
岩場の影から現れたのは、黒くゆったりとした服の上から茶色いジャンパースカートを着た、金髪のお団子頭が可愛らしい少女だった。大きく膨らんだスカートが印象的だ。
言葉からして、ずっとつけていたらしいが、気が付かなかった。いつから見ていたのか、皆目検討もつかない。こいしもそのようで、首を軽く傾げてから、
「ヤマメちゃん、全然分からなかったよぉ。覚の力は、その目が向いている人にしか効果ないし、私は目を閉じているしねぇー」
「あー、それもそうか。あはは、あんたが心を読まないの、すっかり忘れてたよ」
「会うの、久しぶりだもんねぇー」
致し方ない、とこいしが首肯した。どうやら知り合いらしいし、この妖怪――で間違いないだろう――少女を紹介してほしいのだが、二人は何やら盛り上がり始めてしまう。
「あんたの姉さんには、散々意地悪されたのにねぇ。こいしだっけ、あんたほとんど旧都にも顔見せないじゃない」
「だって、みんな私達を見ると嫌そうな顔するから、気づかれないようにしてるんだぁ」
「そんなの、気にしなくていいじゃん。そりゃ昔は覚って言ったら、嫌われることに関しては右に出る奴がいないってくらいの妖怪だったけどさ。今じゃ忘れられてるくらいじゃない? さとりの方はちっとも地霊殿から出ないしさ」
「そうなんだよねぇ。たまには外に出たらーって言うんだけど、絶対動かないんだから。そのうち太っちゃうよねぇ」
「百年以上あの生活して太らないんだから、大丈夫なんじゃないの? 油断したら分からないけど、あんたの家、色々問題抱えてるだろうしね。太ってる暇なんてなさそうじゃない」
「そうかなぁー」
「あ、あの」
ようやく割って入ることができたが、二人はこちらを向いて、きょとんとしている。そんな意外そうな顔をされると、なんだか居心地が悪くなってくるのだが、文句も言えずに黙って待つ。
数秒して、ようやく思い出してくれたのか、ヤマメと呼ばれていた茶色い服の少女が、ごめんごめんと頭を掻いた。
「いや、久々にこいしと会ったもんだから、ごめんね。あんたは、地底の顔じゃないね。地上から?」
「は、はい。御手洗花子っていいます」
「あたしは黒谷ヤマメ。よろしくね。地上の妖怪がわざわざ潜ってくるなんて、珍しいね。白黒の人間ならしょっちゅう来るようになったけど」
普通を自称する魔法使いは、こんなところにも顔を出しているらしい。行動範囲の広さは、もはや人間の域を脱しているのではないだろうか。
地底に来ることになった経緯を軽く説明すると、ヤマメはさも愉快な話を聞いたかのように、興味深そうに頷いた。
「面白そうだねぇ。って言ったら、外の世界とやらで苦労してきた花子に申し訳ないか」
「そんなことないですよ」
「まぁあたしら地底の妖怪にとっちゃ、幻想郷がすでに外の世界みたいなもんだからね。その向こう、人間が一番になった世界なんて、想像もできないんだよ」
「私も、同じ事を感じたなぁー。妖怪が住めなくなるくらい人間が強くなるなんて、信じられないよぉ」
人間が妖怪を圧倒する力を手に入れたわけではないのだが、恐れなくなるどころか信じなくなってしまったということは、似たようなものなのかもしれない。
外の妖怪がいかに腑抜けになってしまっているかを聞いて、ヤマメは複雑そうな顔をした。いつか文が怒った時と同じ感情を抱いているようだが、自分が外の妖怪になるわけじゃないからと、苦笑交じりに肩をすくめる。
「そういや、地上に住んでるならさ、花子もあの遊びするの? 妖弾飛ばし合うあれ」
「弾幕ごっこ? うん、やってますよ」
「あれ、面白いよねぇ。巫女と魔法使いが乗り込んできた時に知ったんだけど、すっかりはまっちゃったよ」
聞けば、スペルカードルールと弾幕ごっこは、地底でもそこそこ受け入れられているらしい。弾幕にはローカルルールが付与されているそうだ。
地底の連中は好戦的な妖怪が多いらしく、ケンカの決着ははっきりつけたいという意見で満場一致したようで、カード枚数に上限はなく、どちらかが力尽きるか降参するまで弾幕を交わし合うというのが、ここでの基本ルールだと、ヤマメが教えてくれた。
地底で弾幕ごっこをするのはできるだけ避けようと思った花子だが、その矢先、ヤマメが蜘蛛の絵柄が描かれた焦げ茶色のスペルカードを取り出した。
「ねぇ、地上の妖怪がどんな弾幕使うのか、見せてよ」
「え、でも、私弱いですよ。それに、特別違う弾幕ってわけじゃあないと思うのだけれど」
「いいからいいから。それとも、あたしと戦うの、怖い?」
挑発的な視線だ。どうやらヤマメも、地底妖怪の例に漏れず戦うのが好きらしい。
知り合った矢先に弾幕を挑まれることは地上でも日常茶飯事だし、花子は地底にお邪魔している身だ。ここは、受けねば失礼だろう。
しかし、例の弱者救済を取っ払ったローカルルールが、少しだけ怖い。返事をせずに黙っていると、ヤマメがケラケラと明るく笑った。
「大丈夫だよ、あたしだってそれなりに生きてるんだ。手心を加えるくらいはできるからね」
「そ、そうですか? じゃあ、少しだけ――。こいしちゃん、リュックお願いね」
「はぁい。がんばってねぇー」
のんびりとした声援を受けて、花子は飛び上がった。広いと思っていた洞窟も、当然のことではあるが、天井があるので空よりも狭く感じる。それでも、弾幕ごっこで動きまわるには十分か。
体力勝負には自信がないし、かといって短時間で決着をつけられるほど強力な妖力やスペルもない。得意の足回りでヤマメを疲れさせてから、一気に攻めるのが得策か。
作戦を考えているうちに、ヤマメが仕掛けてきた。嬉々として弾幕を飛ばすその姿は、彼女が地上の妖怪よりもずっと好戦的であることを物語っている。
勝敗はともかく、地上の妖怪として恥ずかしくない戦いをしなくては。気を引き締めて、花子も三個の頂点から、桃色の二重螺旋を発射した。
◇◆◇◆◇
結果は、敗北だった。
ヤマメはいつまでもスペルを使わず、ずっと花子を誘うように動いていた。膠着していても仕方ないのでスペルを仕掛けた花子だが、使ったスペル――怪談「目力ベートーベン」と、水洗「ウォーターパイプバースト」の二枚である――は、見事に攻略されてしまった。
連続でスペルを使ったせいで息が切れたところで、ヤマメのスペル、蜘蛛「石窟の蜘蛛の巣」に被弾した。名前の通り妖力の通った蜘蛛の糸を張り巡らせるスペルで、絡め取られたまま、勢い良く地面に叩きつけられた。弾幕をただ当てるだけでは終わらないところも、地底の特徴なのかもしれない。
相手の体力を奪ってから攻めようと思っていたのは花子なのに、まったく同じ手でやられてしまった。冷たい地面に寝転がった花子は、全身の痛みと同じほど、恥ずかしさにも打ちのめされている。
「大丈夫ぅ?」
こいしが顔を覗きこんでくる。頷きたかったが、体がうまく動かないので、苦笑いを答えとした。
糸を消したヤマメが、恐らく彼女がそうだと思う以上に弱かったのだろう、少し動揺したように、花子を抱え起こした。
「ごめーん、ちょっとやりすぎたね。地上の連中は、こういうやり方じゃなかったもんね」
「いえ、向こうでも痛いのはとことん痛いですし、大丈夫です。あたた」
笑ってはみたものの、痛みに嘘はつけない。引きつった笑顔で頭を押さえると、ヤマメが冷たい水を取ってくると言って、どこかに走っていった。
地底の妖怪はとても恐ろしいと魔理沙や地上の妖怪に驚かされていたが、ヤマメとは友達になれそうだ。この調子ならば地底でもうまくやれるのではと思ったが、同時に甘い考えかもしれないと頭を振った。その油断が、いつかの文とのケンカを引き起こしたのだ。
しばらくすると、ヤマメが桶を持って戻ってきた。花子のそばに桶を置き、中の水で濡らした布を、花子の頭に乗せた。痛みが冷たさに中和された気がして、花子はほっと一息つく。
ふと、ヤマメの後ろにもう一つの桶があるのに気づいた。先ほどは一つしか持っていなかったように見えたが、こんなに用意してくれたのだろうか。
「あの、ヤマメさん。そっちの桶も、お水ですか? そんなにたくさん、なんだかごめんなさい」
「え? あたしは一個しか持ってきてないけど」
言いながら、ヤマメが振り返る。同時に、桶の中からひょっこりと顔が現れた。緑色の髪を二つに結んだ、花子よりも幼く見える女の子だ。
花子が驚いていると、ヤマメは「なんだ」と笑った。
「キスメじゃん。いるなら声かけてよ」
「……」
聞いているのかいないのか、キスメというらしい桶の少女は、花子の顔をじっと見てから、首を小さく傾げた。
「妖怪?」
「あ、うん。御手洗花子っていいます。地上の妖怪なの」
「キスメ。
「キスメちゃん、よろしくね」
にこりと笑顔を向けると、キスメは顔の半分を桶に隠してしまった。こいしとヤマメが苦笑しているところを見ると、恥ずかしがり屋なのかもしれない。
内気で可愛い女の子だなと花子は思ったが、ヤマメ曰く、彼女は生粋の人喰いだそうで、人間からするとかなりの脅威だという。幻想郷の人間は管理されていて食べられないが、白骨死体を投げつけたりなど、なかなかえぐい悪さをしているらしい。
ヤマメがキスメの悪事を教えてくれている間、キスメは照れたように頬を赤くして、桶の中ではにかんでいた。その姿だけを見ればやはり愛らしい童女なのだが、妖怪としての恐ろしさで言えば、花子よりもずっと上だろう。
「最近じゃ地上に出ても文句言われなくなったけど、やりすぎちゃだめだしね。殺したりしたら大目玉食らうし、その辺の力加減も、キスメはうまいんだ」
「へぇー。すごいんだね、私も見習わなくっちゃ」
褒められたことがよほど恥ずかしかったのか、キスメはとうとう顔をすべて桶に隠してしまった。
雑談しながら体の打ち身を冷やしていると、全快とまではいかないが、体中の痛みはだいぶ引いた。もう歩くのには支障ないだろう。
旧都を目指すのならぜひ案内させてくれと、ヤマメ達が申し出てきた。傷の手当までしてもらったのに付き合ってもらうのは悪いなと思ったが、こいしが先に頷いてしまう。
「じゃ、一緒にいこぉー。今日、パルスィさんいるの?」
「いるよ。だから、あたしらも一緒のがやりやすいかなってさ」
「そうだねぇー。パルスィさん、良い人なんだけどねぇ」
「あの子の本質だから、あればっかりはね」
「あの、なんの話ですか?」
割って入るようにして聞いてみると、こいしとヤマメは二人揃って苦笑いを浮かべ、行けばわかるとだけ言った。ヤマメに持たれている桶のキスメも、難しそうに眉を寄せている。
パルスィなる人物が、どうにも問題であるらしい。ならば前情報をいくらかもらえれば、花子としてもうまく立ち回れるのだが。
そうこいしに言ってみても、きっと無意味だと返されてしまった。人付き合いには自信があるだけに、少しムッとする。
膨れっ面でヤマメ達の後ろをついていくと、橋に出た。朱色の漆塗りが、天上の星の光を受けてキラキラと輝いている。
幻想的な和の煌めきにしばらく見とれていたが、こいしに手を引かれたので、花子は慌てて追いかけた。橋は思ったよりも丈夫そうで、足音も重く安心感がある。歩いてみると、幅も長さも結構なものだ。
その中腹に、人影があった。橋の手すりに肘を置き、地底に流れる川の水面を眺めている。ショートボブの金髪が揺れ、その少女がこちらを向いた。
つり目がちな緑の目を細め、少女が花子達一行を睨みつける。心臓が飛び上がりそうな怒りの視線に花子はすくみ上がったが、ヤマメもこいしも立ち止まらないので、ついていくしかない。
緑眼の少女――彼女がパルスィで間違いないだろう――の前を通る時、ヤマメが親しげに手を上げた。
「やほ、パルスィ。今日も妬んでる?」
「そうね。妖怪のくせに仲良く歩いてる馬鹿を見かけて、最高に妬ましい気分だわ」
「……相変わらず、だね」
ヤマメが持つ桶の中でキスメが苦笑すると、パルスィは眼光鋭いまま、キスメを見下ろす。
「キスメ。あんたは無口で群れない、私の同胞だと思ってたのだけど」
「それは、パルスィの思い込み」
「……妬ましい」
パルスィから尋常ではない不機嫌さが伝わってくるが、ヤマメもキスメも気にしている様子はない。むしろ、その後ろにいるこいしのさらに背後に隠れている花子の方が、ドキドキしてしまっている。
その態度が、どうやら気に触ってしまったらしい。舌打ちと共にヤマメをどかし、パルスィがこちらに歩み寄ってきた。とても怖い。
「こいし。あんたの後ろでこそこそしてるそのチビは、私の橋を渡っておきながら挨拶もしないの? 幼い容姿なら常識知らずでも許されると思ってるのかしらね、妬ましい」
「あはは、花子、怖がってるもんねぇー」
「あ、あう、その」
ここにきて、ヤマメ達が抱いていた不安に納得してしまった。仲良くなれる気がしない。パルスィはこれでもかというほど、花子の苦手なタイプだ。
しかし、確かに自己紹介もないのはよろしくない。何より、ここは彼女の橋――テリトリーだというではないか。ならば、非は花子の方にある。慌ててこいしの前に出て、頭を下げた。
「ご、ごめんなさい。私、御手洗花子っていいます。地上の妖怪で、えぇっと、こいしちゃんの友達なんです。それで、これから旧都と地霊殿に連れてってもらう途中で」
「私は水橋パルスィ。そう、地上妖怪のくせして、この連中と友達なのね。これから楽しい地底観光ってわけ」
「そういう、ことです」
「なら、あんたのことは容赦なく妬むことができるわ。嫌われ者の古明地と仲良くなれるその純真さが妬ましい、地底の妖怪と打ち解けられるその社交性が妬ましい、地底を恐れないその無鉄砲さが妬ましい」
凄まじい剣幕で言われ、ヤマメに助けを求めるような視線を送ったが、肩をすくめられるだけに終わった。諦めろということなのだろうか。
五分ほどしてようやく解放され、別れの挨拶を手早く済ませ、花子達は橋を渡った。パルスィが再び川を眺めたのを確認してから、花子はようやく息をつく。
「ふぅ、怖かったぁ」
「あはは。癖が強いからねぇ、パルスィは」
「妬ましいって、ずっと言ってましたね」
パルスィは、嫉妬を操る妖怪であるそうだ。彼女の能力で、人間は嫉妬心に突き動かされて、他人を徹底的に妬むようになるという。妬めば争いが生まれる。その荒んでしまった心こそが、彼女の糧だそうだ。
そしてパルスィ自身も、常に嫉妬心に駆られている。そのせいで、地底の妖怪にも友人はほとんどいないらしく、ヤマメとキスメ、こいしを含む一部の親しい者だけが話しかけている。
妬むことができるということは、それだけ相手の長所を見つけられることでもある。だから嫌いになれないのだと、ヤマメとこいしは声を揃えて言った。
ごく稀に機嫌がいい時があり、特に酒が入った時などは、思いの外明るい少女になるらしい。残念ながら、花子にはパルスィの笑顔を想像することができなかった。
どうすれば友達になれるのかと訊ねると、「百年諦めずに話しかければいい」とキスメが答えた。それは大げさとしても、簡単に友情を育める相手ではないようだ。
「ま、無理に馴れ合おうとしなくていいよ。それはあの子も望まないしね」
「そうですか……」
最近はあの文ともそれなりに仲良く慣れていたので、友達を作ることへの自信が復活していた花子は、少しばかり意気消沈してしまった。肩を落としつつ、こいしに手を引かれて歩く。
前を行くヤマメとキスメが楽しげに話をしているのを眺めていると、前の二人には聞こえないような小声で、こいしが言った。
「パルスィさんで困ってたら、お姉ちゃんと仲良くなるのは、難しいかもね」
「えっ」
少し悲し気な声に、花子は思わず振り向いた。しかしこいしは、少し苦笑いを浮かべるだけで、それ以上何かを語ることはない。
もしかしたら、姉と会わせることに不安を抱いているのだろうか。もしそうだとしたら、なんとか安心させてやりたい。しかし、軽々しく大丈夫などと口にすることは、花子にはできなかった。
地霊殿では、もっとうまく立ち回らなければ。他でもないこいしの姉なのだから、嫌ったり嫌われたりするようなことは、あってはいけない。何度もそう、自分に言い聞かせる。
悶々と考えながら歩いていると、先導していたヤマメが立ち止まった。我に返って顔を上げ、花子は目を丸くする。
一本道の洞窟は途切れ、崖になっている。その下に、とても広大な空間があった。下からこちらを見たら、壁に丸い穴が開いているように見えるだろう。
天井の星だけが光源だった洞窟と違い、とても明るい。眼下に広がる街から溢れるその光は、とても活き活きとしていて、ここが地底だということを忘れてしまいそうだ。
「さ、ついたよ」
ヤマメが振り返る。逆光でも、彼女の顔が自慢げな笑顔であることが分かった。桶のキスメもまた、嬉しそうにニコニコとしている。
「ここがあたし達の街、旧都さ。地上の妖怪を招くなんて、初めてだよ」
「ようこそ、花子」
案内してくれた二人の声も、上の空でしか聞こえない。熱気溢れる街の輝きに、花子は息を呑んだ。