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太郎くんへ
こんにちは。私はいつも通り、元気です。幻想郷に来てから外を歩くことが増えたけれど、旅というのも慣れると楽しいものなんだよ。
レミリアさんの家を出て、美鈴さんに大きな道まで案内してもらいました。湖で私を襲った子供たちは、妖精だったんだって! 幻想郷には不思議なことがまだまだありそうです。手紙を書くのが楽しいから、とても嬉しいよ。太郎くんにも楽しんでもらえているといいな。
ところで、太郎くんはパソコンの作り方を知っていますか? 小学校で子供と先生が使っているところを見て、夜中にこっそり二人で遊んだりしたけど、作り方なんて考えたこともなかったね。
幻想郷には時々外の道具が落ちていることがあるそうなのだけれど、こっちの人は使い方どころかそれが何なのかも分からないことが多いのだそうです。パソコンもそうだけど、ケータイやテレビ、昔のゲーム機なんかもあるみたい。
使い方はそれなりに説明できたのだけど、作り方を聞かれて困ってしまいました。改めて考えると、使えるだけで作り方をまるで知らないなんて、確かにちょっとおかしいよね。
もしもパソコンの作り方を知ることがあったら、私にも教えてください。みんなに自慢しちゃうんだ!
それではまた、お元気で。
花子より
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夕暮れを過ぎた霧の湖は、昼ほど霧は満ちていなかった。
花子が訪れた時は、湖でも稀に見る濃霧であったらしい。普段も視界は悪いが歩くだけでずぶ濡れになることはないと、隣を歩くチャイナ服の少女、
湖で出会った自分より小さな空飛ぶ少女達は、妖精だったらしい。確かに見た目は本で読んだ妖精のそれだったが、まさかそのものずばりとは思いもしなかった。
妖精達は美鈴にもカラフルな妖力弾を撃ってきたが、美鈴は呆れながらも相手をし、彼女らを追い払った。悪態をつきながらも楽しそうな妖精達を見て、これがフランドールの言っていた弾幕ごっこであるのだと気がつく。同時に、練習しなければ自分には当分できそうもないなと、地下で退屈しているだろう友人に胸中で詫びた。
今はもう霧の湖を抜け、街道へ続く並木道を歩いている。日は落ちかけているが、妖怪である花子にとって夜はそれほど恐れるものではない。
ただ一つ心配なのは、誰かに弾幕ごっこを仕掛けられるかもしれないことだ。美鈴曰く、相手が妖怪ならば容赦なくケンカを売ってくるとか。丁重に断れば許されることもあるらしいので、花子はそこに賭けるしかないのだ。
自然にできたという割りには綺麗な並木道を歩きながら、花子は隣を歩く美鈴を見上げた。彼女は花子から見たら、とても背が高い。
「美鈴さん、案内してもらっといてあれなんですけど、門番はいいんですか?」
花子が紅魔館に侵入した時は、大胆にも外壁を無理矢理登ったので、美鈴とは会っていなかった。咲夜とレミリアから、彼女が紅魔館の門番であると聞いたのだ。
「ん? あぁ、大丈夫ですよ。紅霧異変の後から、紅魔館は人を招き入れることが増えてますから。最近はお出迎えするためにいるような立場ですし、お嬢様も『見張りというよりも挨拶係』なんて言うんですよ。夕方からは来客も少ないので、ちょうど暇になるところだったんです」
「ならいいんですけど……。壁をよじ登って忍び込んだ私が言うのも変ですけど、泥棒とかは入ってこないんですか?」
「入ってきますよ、白黒の魔法使いみたいな恰好をした泥棒が」
魔理沙だなと、花子は確信した。館に閉じこもっているフランドールも知っていたし、あんな服装を好む者はそうそういない。間違いないだろう。
とはいえ、美鈴の顔に嫌悪感はなく、むしろ楽しそうだ。侵入されて困るというわけではないらしい。理由は、美鈴本人が教えてくれた。
「でも、誰も怒らないんです。なんだかんだでお嬢様や妹様とも仲がいいですからね、魔理沙は。パチュリー様も、嫌そうな顔しながらお茶を淹れたりするくらいですし」
泥棒に入るのに悪人と思われない魔理沙。なんともおかしな話だと思ったが、幻想郷だから仕方ないと無理矢理に納得した。
夏も近いからか、日は沈みきることを拒むように花子達の影を長く伸ばしている。空を彩る鮮やかなオレンジは東にいくにつれて深い藍色と混ざっていき、雲は二つの色を同時に受けて、幻想郷の夕暮れは神秘的な色合いを見せていた。
まるでフランドールの羽みたいだ。なんとなくそう思った時、花子は自然に美鈴へ訊ねていた。
「美鈴さんは、フランちゃんがどうして閉じ込められてるか知ってますか?」
「妹様、ですか? えぇ、まぁ一応は」
立ち止まって頷く美鈴。心に浮かんだ疑問は、もう止めることができなかった。
「フランちゃん、悪い子じゃないですよ。どうして地下に閉じ込められなきゃならないんですか?」
「……あー……」
鬼気迫る口調に、美鈴は頭を掻きつつ言葉を探している。説明を避けているというわけではなく、何から話せばいいのかという感じだ。
あまりに真っ直ぐ見つめる花子に、彼女はかぶりを振って溜息をつく。
「花子さんは、妹様とお友達に?」
「はい。地下で会って、一緒にお手玉をしました」
「……そうですか。妹様が心を許された人なら、教えてあげてもいいかな」
再び歩き出す美鈴を追いかけて、その隣に並ぶ。足の長さもまるで違うので歩幅が合わないが、彼女は花子に歩調を合わせてくれていた。
さきほどまでの垢抜けた空気から少しだけ神妙な顔になって、美鈴が続ける。
「妹様には、『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』があります」
「破壊……ですか」
「えぇ、破壊です。全てのものには最も緊張している『目』という部分があるそうで、妹様はそれを自分の手中に移動させることができるのです。それを握りつぶしてしまえば、どんなものでも壊れてしまう。石も木も鉄も、隕石までも。例えそれが、人や妖怪であっても」
「……」
美鈴はフランドールと仲がいいのだろうなと、花子は直感した。語られる言葉の節々から、痛ましいと思っている心が伝わってくるようだ。
「花子さんが仰るとおり、妹様はとてもいい子です。あまりにも素直で、純粋すぎます。それ故に、あの力を簡単に使ってしまう。
幻想郷は妖怪の世界ですが、バランスをとても大切にしています。誰か一人が突出し暴れてしまえば、幻想郷は壊れてしまう。あるいは、妹様が何かの拍子に幻想郷を破壊してしまうことだってあるかもしれません」
「そんなこと――」
「可能性の問題です。幻想郷にはいろんな能力者がいますから、フランお嬢様だけが危険というわけではないのですが、妹様の場合、無垢のあまりにあらゆるものを破壊する危険があるんです。そうなってしまえば、妹様は幻想郷で生きていく資格をなくしてしまう。
一緒にお酒を楽しんだ時、レミリアお嬢様は寂しそうに言っていました。『幻想郷ならフランも外に出られると思っていたのに』と。私は外でお嬢様達がどういう暮らしをしていたかは知りません。でも――好きで閉じ込めているわけじゃないということは、分かります」
知らないうちに、花子は俯いていた。あの眩しい笑顔を浮かべるフランドールに、そんな力があったなんて。少しだけ怖いと思ってしまったことの罪悪感もまた、心を締め付けてくる。
一緒に遊ぼうと誘ってくれたフランドールがなにもかもを破壊してしまうかもしれないなど、やはり花子には信じられなかった。それに、何よりも。
「閉じ込めてるだけじゃ、何も変わらないですよね」
「……」
美鈴は答えなかった。だからというわけでもないのだが、花子の口は堰を切ったように言葉を紡ぎだす。
「だって、そうじゃないですか。誰かに怒られるのが怖いとか迷惑をかけたくないとか、そんな理由で閉じ込めてたら、いつまでたってもフランちゃんは変われないと思います。もっと、もっと色々な人と出会えば、もしかしたら――」
「お嬢様だって」
遮るような美鈴の声に、口が止まる。そちらを見れば、彼女は先ほどよりも藍色が強くなった空を見上げていた。背が高くて顔は見えなかったが、悲しそうな雰囲気が伝わってくる。
花子は自分がとんでもないことを口走ったのではと思ったが、美鈴は怒っているわけではなく、むしろ優しい声音で囁くように言った。
「お嬢様だって、妹様を外に連れていきたいのです。魔理沙や霊夢だけじゃなく、もっとたくさんの友達を作ってほしい。もっと色々なことを知ってほしいと思っておいでです。
妹様を誰よりも愛していらっしゃるのは、咲夜さんでも私でもパチュリー様でもなく、花子さんでもなく……。たった一人の肉親である、レミリアお嬢様なんです」
「……」
「妹様は、ご自身の意思で館に留まっているんですよ。自分の能力が誰かを傷つけ壊してしまい、結果的にレミリアお嬢様が傷つくことを恐れているのです。時々出してくれと暴れるのだって、あの方にとってはちょっとした駄々にすぎません。
レミリアお嬢様もフランお嬢様も、お互いの気持ちを理解しあっているのです。お二人は、本当に仲がよろしいのです」
何も言えなかった。美鈴の言うことは理解できたが、それでも心が幼い花子は納得することができずにいる。
憮然とする花子を諭すように、美鈴は続けた。
「そう見えないかもしれないですが……お嬢様は、とても優しく温かいお方なんですよ。ただ、少しだけ不器用で、吸血鬼だという自尊心に邪魔されてしまっているだけで」
徐々に呟きに近くなる声。歩き続ける美鈴の声は、ともすれば風の音に掻き消されてしまいそうだ。
並木道が途切れ、馬車や牛車も通れるだろう大きな街道へ出た。ここから先は、一人で民家を捜すことになる。
どう声をかけていいのか分からずに戸惑っている花子に、美鈴が振り返る。逆光で見えにくかったが、花子には彼女がどこか苦しげな笑顔を浮かべていることが分かった。
花子に向かって、美鈴は深々と頭を下げた。
「どうか……どうかお嬢様を責めないであげてください。どうか、お嬢様を嫌わないであげてください」
◇◆◇◆◇
どっぷりと日も暮れ、人間ならば視界を殺されているだろう街道を歩きながら、花子は何度目になるのか分からない溜息をついた。
別れの挨拶はなんとか明るくできたものの、美鈴には辛い話をさせてしまった。知らなかったから仕方ないという言葉で片付けるには、あまりにも複雑な事情だ。
生まれた時から小学校で過ごし、知恵も思考も子供に近い花子であっても、レミリアとフランドールが抱えている問題に首を突っ込むべきでないことくらいは分かった。
美鈴にレミリアを嫌わないでくれと言われてしまったが、彼女を嫌うつもりは毛頭ない。むしろあの三日間で一番話をしたのはレミリアだし、花子にとって彼女はもう友と呼んで差し支えない存在だ。
星空を見上げてぼうっと歩いていたが、もはや自分が考え込んでも何かが変わることはない。ぶんぶんと頭を振って、
「よし。今度行ったら、二人とたくさん遊ぼう」
それが、花子にできる最良の選択であった。
気を取り直して歩いていると、遠くに光が見えた。小さくぽつりとあるそれは、民家だろうか。ちょうど夕食時だろうなと思うと、花子のお腹もぐうと鳴った。
一人赤面しつつ、紅魔館を発つ時に咲夜がサンドイッチをくれたことを思い出す。その場にリュックを下ろして、小さな箱を取り出した。
紅魔館にはいまいち似合わない、竹で編まれた弁当箱だ。食べ終わったら洗う場所も探さなければなと考えながら、花子は竹箱の蓋を開けた。
暗がりで見えにくい中、一切れ取り出し口に運ぶ。舌の上に広がったのは、表面だけが焼かれた香ばしいパンと柔らかなスクランブルエッグ、そしてカリカリになるまで火を通された干し肉の風味。
ベーコンエッグサンドなるものは食べたことがなかったが、パンと材料の素晴らしいコンビネーションに、花子は思わず目を見開いた。咀嚼するたびに溢れる風味と香りは、頭のてっぺんまで痺れさせてくるようだ。
言葉も出せぬままあっという間に一切れを食べつくし、水分を取るために水筒を取り出す。外の世界で手に入れた、蓋がそのままコップになるタイプだ。
中に入っているのは、やはり紅魔館で入れてもらった紅茶だ。これまた縁のない飲み物であったが、咲夜が気を利かせてくれたらしく砂糖まで入っており、その甘味もまた絶妙だ。
明かりのない街道で少女が黙々とサンドイッチを貪る様は不審極まりない光景だが、そもそもが人通りのない里の外。それも夜となってしまえば、通るのは夜目の利く妖怪くらいなものだ。襲う対象となる人間がいないとあれば、その妖怪すらも見かけることはない。
下手に取っておけば腐ってしまいかねないという自分への言い訳をしつつ、花子はサンドイッチを全て平らげてしまった。紅茶を飲んで口の中をさっぱりとさせ、竹箱と水筒を片付ける。まだ水筒には紅茶が残っているが、こちらはしばらく温存しようという腹積もりだ。
「ごちそうさまでした」
食前の挨拶を忘れてしまったことを軽く恥じつつ、作ってくれた咲夜に感謝の気持ちを呟いた。
リュックを背負い、腹ごなしがてら先ほどの民家を目指すことにする。夜はまだ始まったばかりだし、辿り着いてからでもトイレに忍び込んで一仕事できるかもしれない。
学校の怪異であった花子にとって、最も望むべきターゲットは子供だ。しかし、人里の外に出てしまった今、そうそうめぐり会うことはないだろう。子供だと思っていたレミリアですら、五百を超える年齢であったのだから。
大人でも子供でも、この際人間でなくても構わない。誰かが驚き、彼女をトイレの花子さんとして語ってくれればそれでいい。花子はだいぶ吹っ切れた気持ちで、暗闇に輝く小さな光目指してぐんぐん歩いていった。
徐々に大きくなっていくその光は、思っていたよりも近くにあったらしい。徐々に見えてきたその建物は、瓦屋根の一軒家だった。しかし、民家ではなく店のようだ。玄関口には外の世界にあった標識やらブラウン管のテレビやらが雑多に放り投げられており、機械類は風雨に晒され使い物にならないだろうことは一目で分かる。
雑貨屋か何かだろうと、花子は判断した。外に並べられている粗大ゴミにしか見えないものにまで値札が貼られており、花子にとってはもはや雑貨どころの騒ぎではないのだが。
道具の墓場にしか見えない店頭に呆れつつ、視線を上げた。もうはっきりと看板が見える距離だ。大きな木の板に達筆な文字で、『香霖堂』と書かれていた。
店は閉まっているようだが、明かりはついている。さて、どうやって忍び込んだものか。入り口は明かりが灯っているし、人の気配もする。正面から堂々と行くわけにはいかないだろう。
そうなると、裏口か。花子はばれないように抜き足差し足で香霖堂の裏に回った。しかし、それらしい戸口はなく木造の壁が続くばかり。今日も驚かせないのかと、思わず肩を落とした。
最後の希望は、正面からこっそり侵入して家主にばれぬようお手洗いに隠れることだ。学校のトイレにいた頃は無縁であった苦労を強いられ、花子は改めて幻想郷の厳しさを身に感じていた。
明かりが灯っている正面の扉を見て、またも困ったと眉を寄せた。引き戸ならば多少は侵入が楽になろうというものだが、ドアだ。ドアノブを捻るだけで音が出るし、扉に鈴でもつけられていようものなら、それはもう目も当てられない結果になるだろう。店である以上、来客を知らせるベルがある可能性は極めて高い。
どうしたものか。小さな腕を組んで、花子は立ち尽くした。今から別の民家を探すことも考えたが、明かりはここ以外に見えなかったので、辿り着く頃には日が昇っているだろう。
そろそろ少し休みたい気もする。いっそ、客人として訪ねてしまおうか。そんなことを考えていた、その時であった。
「おや? お前は確か」
背後からの声に振り返る。そして、「ひっ」と声を上げた。
立っていたのは、上向きに持たれた小さな八卦炉を松明代わりにして、もう片方の手で箒を担いでいる黒白の魔法使い。花子のトラウマ、霧雨魔理沙であった。
霊夢と早苗の術もあったが、彼女が持っている八卦炉から放たれた光こそが、花子にとって何よりも恐怖だった。寺子屋が爆発した原因も、主に魔理沙にある。
さっと身を翻し逃げようとする花子だが、箒をそこらに放り投げた魔理沙によって捕まってしまった。襟首をつかまれ、
「なんで逃げるんだ? 挨拶くらいしろよ」
「あわわ、なんでここにあなたがいるの!?」
「なんでって、夕飯食いっぱぐれたから香霖に出してもらおうと思ってるんだよ」
抵抗を止めると、魔理沙はあっけなく手を放してくれた。ありがたい限りだが、下手に逃げれば容赦なくあの光を浴びることになるかもしれないので、花子は結局その場から動けなかった。そこまで酷い人間には思えないのだが、ここが幻想郷である以上、花子の常識は通用しないと思ったほうがいいだろう。
とはいえ、やはり敵視されているような雰囲気は感じない。妖怪のくせにお人好しが過ぎるとよく言われる花子は、すっかり彼女が悪い人間ではないと信じてしまった。魔理沙の口から語られた名前に、首を傾げる。
「こうりん?」
「あぁ、ここの店主。本当は
「へぇ」
我ながらなんとも適当な相槌だと思いつつ、一つ頷く。すると、店のドアが取り付けられた鈴をカラリと鳴らして開いた。
出てきたのは、眼鏡をかけた白い髪の青年だった。青年は花子と魔理沙を一瞥した後、半眼になって溜息をつき、
「名前が似合わなくて悪かったね。僕は気に入っているんだけど」
「いいじゃないか、香霖のほうがしっくりきてるぜ」
まったく悪気のなさそうな明るい声でそう言うと、魔理沙はさっさと店の中に入ってしまった。どうも二人は、親しい間柄であるようだ。
そうなると、当然浮くのは花子である。どうしたものかともじもじしていると、青年――森近霖之助と目が合った。
「君は?」
「あ、私はその、御手洗花子といいます。妖怪で、ええと、なんというか」
「僕を襲いに来たのかい?」
「いえ! 襲うというか、あぁでもそうなのかな。でももう失敗してるので、それはいいです」
なんとも情けない答えだが、霖之助は何かを悟ってくれたらしく、笑って済ませてくれた。店の奥から魔理沙が「晩飯はどれだ? これか?」などと言っているのが聞こえるが、彼が動じる様子はない。
「魔理沙とは知り合い……に近い何かのようだね」
「そ、そうですね」
「なるほど。もう店は閉めてしまったけど、これも何かの縁だ。夕飯は魔理沙が食べてしまうだろうけど、お茶くらいなら出すよ」
花子が返事をする前に、台所か何かからけたたましい金属音が響き、魔理沙の悲鳴が聞こえてきた。霖之助が呆れ顔でそちらに行ってしまったので、招かれた花子としては立ち去るわけにもいかず、大人しく後をついていく。
誰かを驚かすのは、明日以降になりそうだ。
◇◆◇◆◇
酒という飲み物を、花子は初めて口にした。例えようのない不思議な味であり、学校給食の残りが主食であった花子にとって、それはあまりにも衝撃的であった。
最初こそ吐き出してしまいそうになったが、飲んでいくうちに悪くないと思えるようになっていた。顔や体が熱く頭はぼうっとしてくるが、それも嫌いな感覚ではない。
ただ困ることといえば、自分の顔が真っ赤になることだろうか。少し恥ずかしいが、魔理沙や霖之助も酔いが回ってきているので似たようなものだ。
魔理沙が食事を終えてからすぐに、酒盛りは始まった。その場に居合わせたというだけで、縮こまっていた花子も強制参加となったのだ。
「でさぁ、私は採れたてのキノコを宴会に持っていったんだよ。ちゃんと食べれるやつだぜ。だっていうのに、誰も手をつけないんだ。失礼だと思わないか?」
「魔法の森で採れたキノコだろう? そんな話を聞いてしまったら、もし本当に食べれたとしても箸は伸びないと思うね」
「酷いな。なかなかうまいし、味噌汁の出汁にもなるんだぜ?」
「魔法が出そうな味噌汁だね。僕は遠慮したいところだ」
「キノコ汁はうまいじゃないか。なぁ花子」
二人の会話を肴にちびちびやっていた花子は、突然話を振られて陶器のカップを置いた。
「キノコのお味噌汁は、食べたことないなぁ」
「なんだって、そいつは損をしているぜ! 今度うちに遊びにこいよ、たんと食わせてやるからさ」
「遊びには行きたいけど、キノコ汁はいらない。不思議なキノコを食べなきゃならないほど、私は困っていないもの」
「ほう、お前もなかなか言うな」
隣に座る魔理沙に小突かれ、花子は悪戯っぽく破顔した。酒が入っているというのもあるが、なにより魔理沙と馬が合ってしまったのだ。思いやりとは程遠い性格ではあるが、だからこそ変に気を遣う必要がない相手で、とても接しやすい。
霖之助は彼女の兄のような存在なのだろうなと、花子は思っていた。食事の準備から片づけまで彼がやっていたし、魔理沙の突拍子もない話に律儀に返事を返すのも霖之助であった。聞けば、二人は魔理沙が物心つく前からの幼馴染だとか。自分と太郎に似たものを感じ、それがさらに二人への親近感を強めていた。
「そういえば、花子は最近外から来たんだよな?」
魔理沙に聞かれて、花子は頷いた。
「うん、まだ一ヶ月も経ってないよ」
「それじゃあさ、この店にあるものについて、結構詳しいんじゃないか?」
三人が今いるのは、店の奥にある霖之助の住居だ。ここに来るまでちらりと店の中を覗いたが、確かに小学校の学習室で見たパソコンや子供が隠し持ってきていた携帯電話が置いてあった。しかし、香霖堂にあったものはどれも古いタイプのものだ。
詳しいかどうかは知らないが、使い方くらいは分かる。なので、一応首肯することにした。
「たぶん、それなりに分かると思う」
「じゃあ、香霖の質問にも答えられるかもな」
「そうだね。聞いてみようか」
身を乗り出してきた霖之助に、花子は思わず姿勢を正した。こちらを見るその瞳には、凄まじいまでの好奇心が輝いている。
「あの『パーソナルコンピュータ』というものなんだけど、外の世界の式神だろう?」
「し、式神?」
「あらゆる計算をあっという間に解くし、ちょっとした命令ですぐに情報を集めてくる。水に弱いという欠点も同じだ。だからこれは、箱に式神を閉じ込めている」
「えっと、それはちょっと、違うっていうか……」
まさかそんな頓狂なことを聞かれるとは思ってもいなかったので、花子は苦笑を浮かべるほかなかった。
しかし、霖之助は式神云々については確信してしまっているらしく、花子の気持ちを置いて本題に入ってしまう。
「使い道は分かるんだ。僕の能力で」
「能力、ですか」
「うん。見たものの名前と用途が分かるという力なんだけど、肝心の使い方が分からなくてね。あのパーソナルコンピュータも、蹴っても叩いても反応しなくて困っていたんだ」
「そ、そんなことしちゃだめですよ!」
思わず慌てるが、霖之助も魔理沙もぽかんと口を開けるばかりで、何が悪いのかまるで気づいていないようだ。
機械類に衝撃は厳禁であることなど、科学と疎遠な妖怪の花子ですら分かる。しかし、幻想郷にはそういった常識すら存在していないらしい。
そもそも電気が通っていない幻想郷だ。機械の類が役に立つとは思えないのだが。
「機械は乱暴に扱ったら、すぐに壊れちゃいます」
「人間の力でも壊れるのか。人に力で負けるなんて、ずいぶんともろい式神だぜ」
小馬鹿にしたように鼻で笑う魔理沙。そもそもの解釈が間違っているので、なんと説明したらいいのやらと花子は一生懸命に言葉を探した。
しかし、霖之助の次の言葉で、言葉探しを完全に諦めた。
「以前魔理沙達がゲーム機というおもちゃを蹴鞠のように蹴って遊んでいたけれど、あれもすぐにバラバラになってしまったね」
「そうですか……」
小さくかぶりを振って、酒を口に含む。先ほどから飲んでいる酒と同じものなのに、どこか切ない味がした。
こちらの思いなど露知らず、魔理沙がカップに酒を注ぎ足しながら、何かを思い出すように視線を彷徨わせる。
「あぁ、『げいむき』は硬いから蹴ると痛いし、そのくせ妙にもろかったぜ。
「ゲーム機の中にはパーソナルコンピューターと同じでたくさん管があったけど、もしかしてあの中に小さな式神が入っているのかな」
「あの管にか? あんな細くちゃ八目鰻も入らないぜ」
「ミミズなら入りそうだけど。花子、あれはどうやって作っているんだい?」
どこまでもずれた話の挙句、この質問だ。そもそも使いこなすこともできない機械類であり、内部構造など花子が知るわけもない。どのコードが何の役割を果たしているかも理解できないというのに、その作り方など、どうして花子が知っていようか。
そもそも、機械がどうやって動いているのかという原理すら分からない。電気が通って、それでうまいこと動く。そんなレベルの知識しかない花子にとって、霖之助の問いは宇宙の果てに何があるのかを教えてくれという難題に等しかった。
「うぅん、ごめんなさい。どうやってできるのかは分からないです」
頭を掻くと、霖之助はそれはもう落胆を露わに溜息をついた。遠慮もなにもあったものではない。一方の魔理沙が笑い飛ばしてくれたことが、救いといえば救いか。
「外来人だってそんなものじゃないか。携帯電話を自慢げに使いこなしても、原理を知らない奴ばかりだぜ。ほとんどが『ばってりーがなくなったからもう使えない』とか言って、一日くらいで壊れちゃうしな」
「それは、壊れてるのとは違うよ。電池切れで、えぇと、なんて言えばいいかな……。そう、お腹が空いて倒れちゃってるようなものなの。だから、とある方法で電気をあげれば元に戻るんだよ」
「そうなのかい? 壊れたと思って捨ててしまったのはもったいなかったな。しかし、空腹だったのか。やはり中には式神か、あるいは妖精が入っているということだね。なるほど、外の世界は妖怪や妖精を小さくする技術で溢れ返っているというわけか」
例え話だったというのに、真に受けられるとは。もはや説明する気力も起きなかった。
「もう、それでいいです……」
「僕の仮説は正しかったわけだ。うん、これは嬉しいね」
上機嫌に酒を煽る霖之助。幻想郷に機械が普及するのは当分先のことだろうから、彼が満足ならそれ以上突っ込むのは野暮かもしれない。
耳元で諦めろと囁く魔理沙は、彼の仮説が実は不正解であると気づいてくれているようだ。霖之助がこういう人間だと一番知っているのは、彼女なのだろう。
「さて。それじゃあ仮説が正解だと証明されたことを祝して、乾杯といこうか」
「なに言ってるんだ、もうできあがってるくせに」
「いいじゃないか、ほら。僕の頭脳と才能に」
霖之助が半分ほどしか入っていない透明なグラスを掲げた。呆れ笑いなど浮かべつつ、魔理沙と花子はそれぞれのカップを持ち上げ、
「うんちくの天才、香霖に」
「飛びぬけた洞察力を持つ、霖之助さんに」
乾杯。
カチリコロリと、控えめだけれど楽しげな音が、小さな部屋に転がった。