かちこめ! 花子さん   作:ラミトン

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そのろく 恐怖!天狗も恐れる最強の鬼!

 

 

~~~~

 

 

 太郎くんへ

 

 

 太郎くん、こんにちは。毎日のようにお手紙を書いていますが、迷惑じゃないかな。邪魔になっていたりしませんか?

 

 私は、どうやら甘えていたようです。外と幻想郷とでは妖怪のあり方が違うと知っていたのに、私は外の妖怪でいようとし続けていたの。

 

 いつものように太郎くんや他のみんなと子供を驚かす、そんな毎日が幻想郷でも送れると思ってた。きっと、できないことはないと思うの。ちょっと変わった人が多いけれど、みんないい人ばかりだもの。

 

 ただ、幻想郷には幻想郷の常識があったんです。空を飛ぶことも、弾幕ごっこも、みんなその常識の一つ。後から来た私がそれを無視するなんて、できないよね。

 

 だからね、太郎くん。花子は誓います。

 

 外の世界での「トイレの花子さん」とは、今日でお別れです。私は幻想郷に生きる厠の怪、「御手洗花子」として生きていきます。

 

 きっと驚いているだろうね。心配しているかな? でも、すっごく強い妖怪の先輩がいろいろ教えてくれるそうなので、安心してね。手紙のお姉さんがわざわざ取りに来てくれるので、修行中でも手紙を書けそうです。

 

 ドジでトンマな私だけれど、きっと幻想郷に輝く一等星になってみせる。応援してね!

 

 しばらくは特訓に集中しちゃうけど、必ずまたお手紙を書きます。それまで、お元気で。

 

 

 花子より

 

 

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 箸が重いと感じることがあろうとは、思いもしなかった。

 今も腫れぼったい目を俯かせ、花子は屋台の赤提灯に照らされた八目鰻の蒲焼を眺めた。つい十分ほど前に一口食べただけで、そこから一向に箸が進まない。

 味は悪くない、どころか驚くほどおいしいのだが、今の彼女には八目鰻の香ばしさに感動する力すらも残されていなかった。

 

「花子ちゃん、冷めちゃうよ」

 

 袖をたすきがけにした蘇芳(すおう)の和服を着た、鳥の翼を生やした少女――屋台の女将である夜雀のミスティア・ローレライが、苦笑気味に告げる。花子はそれに対して、

 

「……はい」

 

 と、消え入りそうな声で返した。このやりとりは、屋台に来てもう三度目になる。酔っ払いの相手には慣れているだろうミスティアも、これには困っているようだ。

 一方、その酔っ払い。花子の隣に腰掛け、一升瓶をがぶがぶ呑んでいる萃香である。泣き止んだものの暗い気持ちを腹に抱えていた花子は、彼女に無理矢理この屋台へと連れてこられた。初対面だというのに萃香は名前だけを名乗り、嫌がる花子の腕をむんずと掴んで文字通り引きずったのだ。

 屋台の常連らしい萃香の顔を見るや、ミスティアはすぐに八目鰻と酒を用意してくれた。ご丁寧に、花子の分までしっかりとだ。しかし、花子は出されたコップに入っている焼酎には口をつけていない。

 ここに来てから三十分も経っていないというのに一升瓶を二本も空にした萃香が、口元を拭った。

 

「なんだい花子、もっとグイっといきなよ。まずは呑む。そうすりゃ言葉は出てくるさ」

「……そんな気分になれないです。それに、話すことなんてありません。私、あなたのこと、ほとんど知らないもの」

「ふぅん、そうかい」

 

 八つ当たりにも聞こえる言葉に、新しい鰻を焼いているミスティアの顔が青くなった。花子は鬼の恐ろしさを知らないから、この無礼も無理はないのだが。

 しかし、萃香は腹を立てるようなことをせず、むしろ楽しげに口元をほころばせた。

 

「じゃあ、このまま泣き寝入りするんだ?」

「……なんのことですか。私は別に」

「天狗に仕返し、しなくていいのかい?」

 

 弾けるように顔を上げて萃香を見る花子の顔は、驚いているというよりは怒っているようだ。

 

「見ていたんですか?」

「いんや。見たのは花子が泣いてるところだけだよ」

 

 できれば触れてほしくないことなのだが、萃香はどこまでも正直な少女であった。言われたくないことまでズバズバ言うが、そこには文のような皮肉っぽさがまるでない。魔理沙に似ている部分があるなと花子は思った。

 しかし、どうして泣いていた理由が天狗にあると知っているのか。探るような瞳でじっと萃香を見据えると、彼女はにやりと笑って、

 

「私は密と疎を操る鬼。ちんけな隠し事ができるなんて、思わないことだね」

 

 文との悶着を知っていることと彼女が鬼であったり密と疎を操る力を持っていることは、実のところまるで関係がない。しかし、萃香から感じる不思議な貫禄のせいか、花子は彼女の言葉におかしなほど納得してしまった。

 今も文にレミリアを悪く言われたことは悔しいし、一泡吹かせてやりたいと思う気持ちはある。もし萃香が本当に強い妖怪だというのならば、協力を仰ぐ者としてこれほど心強い相手はいないのではないか。

 小さく頷いてから、花子は呟くように告げた。

 

「仕返し……したいです。文さんに、レミリアさんのことを悪く言ったの、謝ってほしいです」

 

 全てを知っていると思い込んでの発言だったのだが、レミリアという言葉を聞いて萃香は目を丸くしている。どうしてだろうと、首を傾げた。

 

「全部知ってるんですよね?」

「あぇ? あぁうん、もちろん。吸血鬼を悪く言われたから、謝ってほしいんだろ?」

 

 おうむ返しもここまでくると清清しいほどだが、頭の回転は小学生レベルである花子にはそれを見抜くことができなかった。鰻を二人前差し出してくれたミスティアだけが、小さく控えめに笑っている。

 花子はこくりと強く頷いた。自分のコップを手に取り、一気に酒を飲み干す。

 

「ぷはっ」

 

 音を立ててコップを置き、早速ほてり始めた体をそのままに、萃香へと頭を下げる。

 

「萃香さん、お願い! 文さんへの仕返し、手伝ってください!」

「ふぅん、やっとこさいい顔になってきたじゃないか。幻想郷の妖怪ってなら、こうでなくっちゃ。なぁ夜雀」

「私に振らないでくださいよ。まぁ、その通りだとは思いますけど」

 

 呆れつつも同意するミスティアに気を良くしたのか、萃香はずいと花子の方へ身を乗り出し、その肩に手を回した。ついでに、新しい一升瓶の中身を花子のコップへ注ぐ。童女二人が肩を組んで酒を飲み交わす絵図は滑稽以外の何ものでもないのだが、幻想郷では日常の光景だ。

 なみなみと注がれた酒を再び口に流し込み、熱い感触が喉を伝う。それらが胃袋に落ちる頃には、花子の抱いていた暗い感情はすっかり消え失せ、取って代わったように文への復讐心が燃え上がっていた。

 

「絶対やっつけてやるんだから。あんな天狗なんて、けちょんけちょんにしてやるんだから!」

「よしよし分かった、手ェ貸してあげるから、まずは何があったかを話してごらんよ」

 

 萃香はこれまた墓穴を掘った。酒が回ってきた花子が萃香へと視線を向け、

 

「全部知ってるんですよね? なんでまた聞くんですか?」

「あぁっと、これはほら、アレさ。腹の中のものを全部吐き出してからじゃなきゃ、力が入らないってェやつさ」

 

 苦しい言い訳だったが、花子はううむと唸ってから、この場で吐き出すのも悪くないと口を開いた。

 

「実はですねぇ。私が幻想郷に来たのは、最近のことなんですよ」

 

 萃香とミスティアは思わず目を合わせた。彼女の愚痴が、よもや郷に来るところから始まろうとは思わなかったのだ。しかし、幻想郷に来てから手探りで歩き続けてきた花子は、溜まったストレスを全て排除するつもりでいた。

 幻想郷きっての大妖怪である萃香も、これには降参のようだ。酔っ払いのぼやきが普段は言えない本音であることは、無類の酒好きである彼女もよく知っているからである。

 

「……夜雀」

「はいはい」

 

 ぺらぺらとよく舌の回る花子と、呆れ顔ながらも微笑を浮かべる萃香。彼女らの前に、ミスティアは蓋を開けたばかりの一升瓶を二本置く。

 

「最初はうまくいってたんですよ。人里の寺子屋でがんばって花子さんしてたのに、あのヤクザ巫女ったら――」

 

 長い夜になりそうだ。そう呟いた萃香の声は、残念ながら、花子には届いていなかった。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 あれほどの土砂降りがあったというのに、日付の変わった夜空は満点の星空となっていた。

 川の流れに足をつけながら、萃香は宝物の瓢箪を呷る。火照った体を冷やすという名目で川を訪れたのだが、彼女が素面になることは、まずないと言っていい。今は、散々飲ませてしまった花子の付き添いという形だ。

 その花子はといえば、萃香にならって川辺に靴を置き、夏場でも温まることのない川の水に素足を浸して夜空を眺めている。もう酔いはだいぶ醒めているようだ。かなりの量を飲んでいたはずだが、もしかしたら彼女は酒豪なのかもしれない。

 

「気持ちいいですねぇ」

「だろう? 酒の後はこれが一番だよ」

 

 愚痴を言い終えた花子は、冷水の心地よさも相まってとても上機嫌だ。勧めた萃香まで、嬉しくなってしまう。

 隣で目を細める花子の愚痴を思い出して、萃香は頬を緩めた。

 

「しかしまぁ、花子はずいぶん波乱万丈な日々を送ってきたんだねぇ」

「そ、そうかなぁ」

 

 足で水面を叩いていた花子は、照れたように頬を掻く。

 

「色々あったけど、みんないい人でしたから。文さんは、その、ちょっと嫌な人だと思ったけれど」

「……」

「確かに私は弱いけど、それでもみんなと仲良くしていけます。これまでもそうしてこれたんだもの」

 

 あの天狗は確かに口が悪い。あれに好き放題言われたのだから花子が怒るのも無理はないが、花子は萃香が思っている以上に憤慨している。今でこそ落ち着いてはいるものの、文を許すことはできないようだ。 

 しかし、萃香は文の言葉が間違っていると切って捨てることができなかった。

 

「ねぇ花子。あんたは、弱いままでもいいと思っているのかい?」

 

 わずかに真剣みがある声に、花子が萃香のほうを向く。横目でそちらをちらりと見てから酒を一口呑み込んで、袖で口を拭った。

 

「確かにまぁ、天狗は言い過ぎたと思うよ。虫の居所が悪かったんだろうねェ。でもさ、私ゃあいつがおかしいことばかり言ってるようには思えないんだよ」

「……どういうことですか?」

 

 花子の声には、わずかな不信感が込められていた。萃香を理解者だと思ってくれていたのだろうと思うと少しだけ申し訳なかったが、そもそもの目的が彼女を諭すことにある。

 こんな役割を押し付けてきた天狗には相応の報いを与えてやらなければと考えつつ、萃香は続けた。

 

「どうもこうも、ここは幻想郷だからねぇ。文の言うとおり、自分の筋を通したいなら力で示すしかない」

「だからって、無闇に戦うのはおかしいです。ちゃんと話し合えば、きっと――」

「花子さァ、あんたは妖怪だろう? 弱っちい人間みたいなこと言って、そんなんじゃ幻想郷でやってけやしないよ」

「うぅ……。でもでも、レミリアさんやフランちゃんは、普通の遊びをしますよ。二人ともいい人だったし、戦いが好きなようには見えなかったよ」

 

 本当に心から、吸血鬼の姉妹を友人だと思っているようだ。花子はあのわがまま姉妹とは正反対な少女だが、よほど大切に思っているらしい。

 

「仕方ないねぇ。私ゃ長話は嫌いだけど、一つ昔話をしてあげるよ。花子にとっちゃ酷な話だろうけど、ちゃんと聞くんだよ」

「……?」

 

 怪訝な顔をする花子。それでも律儀に話を聞く体勢に入ってくれる彼女の真っ直ぐさが、萃香は気に入っていた。

 

「幻想郷は、博麗大結界で覆われている。あんたが通ってきた、外の世界と郷を区切る結界のことだね。あれができてから、妖怪は人間を簡単に取って食うことができなくなった。ある妖怪がちゃんと食料を提供してくれるから、妖怪はだんだん戦えない腑抜けになっていった。ちょうど、今の外にいる妖怪達……花子みたいにね。

 そんな時に、外の世界からめっぽう強い妖怪がやってきたんだ。連中は郷の妖怪達をあっという間に手下にしちゃってねェ。幻想郷を乗っ取ろうとしたんだよ。結局は幻想郷で一番強い妖怪がそいつをコテンパンにして、いろいろな禁則事項を決めた契約を結んだのさ。最近のことだよ、まだあれから十年も経ってない」

「そんなことが……」

「うん。その幻想郷を我が物にしようとした悪魔が……レミリア・スカーレット。あんたの大事なお友達さ」

 

 途中から予想はできていたらしく、花子が声を荒げて反論するようなことはなかった。しかしそれでも、彼女の顔は動揺を隠せずにいる。

 

「レミリアさんが……そんな……」

「あのチビは、頭の中がガキだからねェ。どうせ深く考えないで、『幻想郷を私だけのものにしたいわ』なんてわがまま言ったんだろう。巻き込まれた方はたまったもんじゃないよ」

 

 冗談めかして声真似などしてみたが、花子はくすりとも笑わなかった。

 やはり落ち込んだか。予想はしていたのだが、暗い顔をしている花子を見ると萃香は口を開くのが億劫になった。花子は萃香にとって、もう大切な友人だ。できればこんな顔をしてほしくない。

 しかし、彼女のためだと自分に言い聞かせて、話を再開する。

 

「まぁ、あの騒動のおかげで妖怪共は目が覚めたんだから、ありがたいっちゃありがたいのかもしれないね。幻想郷の妖怪はこのままじゃまずいと思い立って、博麗の巫女――あんたの言うところのヤクザ巫女だね。霊夢に相談したのさ」

「霊夢に? なぜ?」

「あの子はね、花子が思っている以上に重要な役割を担っているのさ。幻想郷のバランスは、霊夢が保っているんだからね。この辺は長くなるから、また今度にしよう。

 続けるよ。この頃は霊夢と面識がなかったから聞いた話なんだけどね、当時のあいつは大した異変もない生活にだらけきっていたそうだよ。ただでさえアレな感じなのに、酷いもんだったろうねぇ。ところが、それでも考えるべき時はちゃんと考えるんだよね、霊夢は。幻想郷には人間と妖怪双方が活気付くために戦いが必要だと判断したんだ。

 そこで霊夢が考えたのが、スペルカードルール。自分の得意技に名前をつけた、技の美しさを競うルールさ。スポーツ感覚でできる決闘は、弱い人間にも巫女を倒さなきゃならない妖怪にも大うけだった。私はもっと力技でやりあうのが好きなんだけど、まぁ私の考えが古いんだろうね。

 スペルカードルールを使って流行りだした遊びが、あんたが妹のほうの吸血鬼に誘われた『弾幕ごっこ』だよ。美しさの他に、当たったら点が減ったりするルールをつけたやつさ。戦いを遊びに置き換えた弾幕ごっこは、幻想郷で知らない奴がいないほど有名になったんだ」

 

 よもや弾幕ごっこが決闘の一つだとは思いもしなかったのか、花子は口を半開きにして話を聞いていた。なんとも間抜けな顔で、川に浸かっている足首に夏草が絡みついても気づかない有様である。

 話はまだまだ複雑だったりするのだが、萃香は長話がいい加減苦痛になってきたので、さっさと終わらせることにした。慣れない真面目な顔をふにゃりと和らげて、

 

「そんなわけで、幻想郷じゃ戦いが日常で、決闘は遊びなんだ。弾幕ごっこくらいできないと、笑い者にもなりゃしないってェことさ」

「むぅ。でも私、弾幕どころか空も飛べないし。妖力だって変化(へんげ)にしか使ったことないですよ」

「だから天狗に友達を馬鹿にされちまうんだよ。弱い妖怪をいじめるのが大好きだからね、連中は。……悔しかったんだろう? 仕返しがしたいんだろう?」

 

 水面に映る自分の顔を見つめながら、花子は小さく一度だけ頷く。

 泣き寝入りすることを良しとしない辺りは、まだ救いがあると萃香は思った。幻想郷――こと妖怪の間では、やられたらやり返すことが常識だ。勝者が敗者の再挑戦を積極的に受け入れることはスペルカードルールにも記載されているし、勝った妖怪は大抵調子に乗っているので、また叩きのめしてやると意気込む輩が多い。そういう意味では、花子は幻想郷の妖怪に向いているのかもしれない。

 間違っていたのは自分であった。その事実に気づいてしまった花子が、どこか申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「私は弱いから……文さんにまたやられちゃうと思うの。萃香さん、力を貸してください。文さんをやっつけてください」

「あぁん? 何言ってるんだい。やり返すのはあんただよ?」

「えっ」

 

 驚いて顔を上げる花子は、どうやら萃香の言いたいことをいまいち理解していなかったようだ。何のための長話だったのやらと溜息をつき、

 

「確かに手伝うって言ったけどね、そりゃあんたを鍛えてやるって意味さ。文にやられたのは花子なんだから、やり返すのも花子なのは当然だろう?」

「そ、そんなぁ! さっきも言いましたけど、私は空も飛べないんですよ。そんなすぐに、あの文さんと戦えるわけないですよ」

「だからァ、そのためのスペルカードルールなんだってば。弱い奴でも強い奴にケンカを売れるルール。それを遊びにしたのが弾幕ごっこ。文はよくやってるらしいから、それで勝負すればいいじゃないか。飛び方と弾幕の作り方くらいなら教えてやるし、スペルカードも一緒に考えてやるから」

 

 萃香の見立てでは、彼女をどれほど仕込んだところで、せいぜい中堅妖怪に届くかどうかといったところだろう。決闘を先延ばしにしすぎるのもお互いにとって面白くない。特訓の期間は数ヶ月程度にするとして、その時間内にどれだけ鍛えても、花子の地力では宵闇の妖怪か氷精程度の強さにしかなれないかもしれない。

 しかし、花子が幻想郷で生きていくには、とりあえず十分だ。文には勝てないかもしれないが、萃香は萃香で彼女を懲らしめる予定がある。そこで花子の仇をとってやってもいいだろう。

 萃香はもう花子を育てる気でいるのだが、当の本人は決断しかねているようだ。

 

「でも、うぅん。文さんに仕返ししたいって気持ちはあるけれど、何も戦ってやっつけたいなんて思ってないしなぁ」

「甘い甘い。ちょっとやそっとの悪戯があの天狗に効くわけないよ。文は頭の回転がめっちゃくちゃ早いんだ」

「うぅ、そっかぁ。そうですよねぇ」

 

 納得したような口ぶりではあるが、不満そうに唇を尖らせている辺り本心ではないのだろう。それでも、花子の心中はもう戦い方を学ぶ方向に傾いているようだ。

 後一押し。萃香は川に足を叩きつけて水飛沫を上げながら、

 

「幻想郷じゃどこにいっても弾幕ごっこをやってるし、これからも郷を歩いて回るなら、流行ってる遊びくらいはできないとねぇ。幻想郷の一員になるんじゃなかったのかい?」

「むむ、それを言われると……」

「吸血鬼の妹にも誘われたんだろう? いつまでもお手玉ばっかじゃ飽きられるよ。弾幕ごっこにも付き合ってやらなきゃ」

 

 フランドールの話をする花子がとても楽しそうだったので、きっと彼女にとって一番の友人なのだろうと萃香は踏んでいた。奥の手として取っておいた手段は、かなりの効き目があったようだ。

 今までで一番長い唸り声を上げて、花子は腕組みをして熟考している。そこまでスペルカードルールを学ぶことが嫌なのかと萃香はさすがに驚いたが、実際はただ単に初めてのことを学ぶということに逡巡しているだけである。

 しばらく右に左に首を傾げながらうんうん言っていた花子だが、ようやく決心がついたらしく、よしと小さくつぶやいてから萃香へと振り向いた。同時に足も動き、川面が揺れる。

 

「萃香さん、私やります。空の飛び方とスペルカードのやり方、教えてください!」

「よしきた! その言葉を待ってたんだよ!」

 

 勢いよく立ち上がり、川面をバシャバシャとやりながら、萃香は花子の手を取り肩を抱き寄せた。霊夢の住む神社で漫画なるものを読んでから、一度やってみたかったことがあったのだ。

 ほとんど背丈が同じなので背伸びなどしつつ、されるがままに肩を寄せられる花子の顔の横から腕を突き出し、夜空に散らばる無数の星から適当なものを一つ選んで指差した。

 

「いいかい花子、あれだよ! あれがお前の目指す星だよ!」

「ほ、ほし? 私そんなもの目指すって言ったっけ――」

「余計なことは考えなくていいよ。それよりほら、見てごらん! あの美しく輝く一等星。花子はあんな風に、幻想郷で輝く星になるんだよ!」

 

 実際のところその星は三等星程度の光しか放っていなかったし、花子が見ている星はまったく別の星だったりもするのだが、萃香の意味のない熱血っぷりに巻き込まれ、花子もまた瞳を輝かせた。

 単純な少女が二人集まったところで、やはり単純でしかない。

 

「私、あの星のようになります! 幻想郷で一番輝いて見せます!」

「いや、一番は私……。まぁ、いいか。誰よりも光り輝く一等星になるんだ花子! あの星に誓えるか!?」

「誓えます!」

「声が小さいよ!」

「誓いますッ!」

 

 川のせせらぎをかき消して、花子と萃香の声が妖怪の山にこだまする。一言発するたびにヒートアップしていく二人のやりとりは、日が昇るまで続いたという。

 

 

 

 朝方、声を枯らして問答を繰り返す二人を見た通りすがりの厄神が、引きつり笑いで「これは厄い」などと呟いたらしいが、それはまた別の話である。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 彼女の部屋には、壁という壁に原稿の覚書が貼ってある。鴉天狗の部屋は、どこも似たようなものだ。

 窓から差し込む朝日は、窓際にある机だけに当たっている。そんな薄暗い、しかし自身にとっては慣れ親しんだ自室で、文は握っていたペンを机に転がした。

 

「はぁ……。私は馬鹿だ」

 

 その場に誰もいないのをいいことに、長いこと口にしていなかった自虐を呟いた。昨日の夕方に起きた出来事を酷く後悔しているのだ。

 あの御手洗花子なる妖怪の不甲斐なさには本気で腹が立ったし、幻想郷に住まう先達として喝をくれてやったことも間違ったことだとは思っていない。

 ただ、それにしても自分らしくなかった。狡猾な天狗である彼女は、その天狗仲間からすら「嫌な奴だ」と言われることがあるほど皮肉屋である。花子はあの見た目の妖怪にしてはそこそこ常識のある少女だったので、分かりそうな皮肉でからかうのが普段の文であろう。

 しかし、昨日はタイミングが悪かった。最初こそポーカーフェイスで近づいたのだが、その時点で文はすでに不機嫌だったのだ。ばら撒いた号外をライバルの姫海棠(ひめかいどう)はたてにこき下ろされた挙句、里に紙くずを捨てたという理不尽な理由――無論、文にとってはだが――で、博麗の巫女に退治された後だったのだ。

 

 花子への暴言は、文にとってはくだらないケンカ程度のものだった。幻想郷では日常茶飯事なことだ。問題は、その後にある。

 かなりきついことを言った上に実力の差を見せつけたとはいえ、花子があそこまで泣き崩れるとは思わなかったのだ。頭に上った血が引き冷静さを取り戻した文を襲ったのは、長い人生でほとんど無縁だった罪悪感。とはいえ、今更手のひらを返すかのように謝りに行くことも気が引けた。

 そこで文は、山に遊びに来ていた鬼の伊吹萃香を捕まえ花子の居場所を教えたのである。本当の理由を話せば花子に無理矢理頭を下げさせられるのは火を見るよりも明らかだったので、面白いものがある、としか言わなかった。

 萃香の身なりは童女のそれだが、中身は鬼の中で最も強いと謳われる大妖怪だ。花子を見れば、文の言わんとしていることくらいは伝わるだろう。

 そう、伝わってしまうのだ。鬼に嘘をついてしまったということまで。それが何より文を後悔させていた。

 

「何をやっているんだかなぁ……」

 

 あり得ない失態であった。千年も生きれば一度や二度は魔が差すこともあろう。しかし、よりにもよって鬼を相手に嘘をつくような愚を働いてしまうとは。

 どんなしっぺ返しを食らうことになるのだろう。気になって気になって、夜も眠れなかった。一睡もせずに朝を迎え、記事でも書いていれば気も紛れると思ったが、それも無駄な努力に終わっている。

 

「は――あぁぁぁぁぁぁぁ……」

 

 長い溜息と共に、文は机に上半身を投げ出した。机上にあったペンや雑多な本が雪崩となって落ちていく。それすらも、今の文には気にならなかった。

 鬼。それは最強の種族である。なんとも簡単な説明だが、それだけで全てを物語れてしまう存在が鬼なのだ。排他的で自尊心が高い天狗すらも、彼らの姿を見ただけでへりくだってしまうほどに。

 鬼は一様に、嘘を嫌う。どこまでも馬鹿正直な主張をその力で押し通す。彼らに嘘をつこうものなら、いかなる妖怪といえどもただではすまないだろう。

 

「ただではすまない……だろうなぁ」

 

 改めて声に出してみると、その響きのなんと恐ろしいことか。あの妖精以下の弱小妖怪を育てるとなればそれなりの時間はかかるだろうが、それを終えた萃香は必ず文に仕返しをしにくるはずだ。

 死にはしないだろうが、死ぬほどの覚悟をしなくてはならない。今の文にできることといえば、せいぜいが「痛い仕返しじゃありませんように」と祈ることばかりだ。

 文は朝日と呼ぶには高く上りすぎた太陽を窓から見上げ、

 

「あと何度、この朝日を拝めるのだろう」

 

 我ながら大げさだと思いつつも、ぼんやりと呟くのだった。

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