十六夜の月が闇夜の海を照らす。
海は至って穏やか、建物の廊下を忙しく動く人影が、余計にその静けさを助長させた。
「…よしっ」
キュっと鉢巻をきつく締め、普段のツインテールを下ろした彼女は、作戦概要が話される講堂へ向かうため、自分の部屋の戸に手をかける。
弓道着の上にさらに武将のような羽織物を身につけ、前を見る視線には普段の彼女とは違う、不安、恐怖、覚悟そんな感情が含まれていた。
「すまないが、作戦開始はもう少し遅れる。作戦概要がまだ届かないんだ。届き次第、作戦は開始する。各自、すぐ抜錨できるように備えろ」
第二種軍服を身に纏った男は、そう言って壇上を降りた。
秘書艦が後に続き、廊下から急いで去る足音が聞こえる。
彼女は喧騒の中の、講堂を後にした。
「……」
漣の音が響く中、彼女の視線は眼の前の海に向けられた。
「この海へ私は…」
鋼鉄の翼を持った戦士を送り出した。
絶望の中に見出した希望のため、負けられない、引くことは出来ない戦いへ…。
そして、帰ることの無い戦いのため…。
「瑞鶴」
突然、後ろから声をかけられた。驚いて後ろを振り向くと、そこにはサイドテールの静かにこちらを見つめる女性が居た。
「加賀さん…」
女性―加賀は、静かに彼女―瑞鶴に歩み寄る。
瑞鶴はその様子に少し後ずさりをするが、加賀は気にすることなく、瑞鶴の正面に立った。
「あら、いつもみたいに反抗的な態度をとらないのね」
「……」
瑞鶴にそんな余裕は無かった。
今回の作戦は瑞鶴が一翼を担う。戦艦武蔵たちをレイテへ送り届けるため、敵の空母艦隊を相手するのだ。…あの時のように。
「瑞鶴」
加賀の声を聞いていると、作戦の重みが、不安が、恐怖が、段々大きくなって、瑞鶴に弱々しく顔を上げさせた。
「なっ何…よ…。っ!」
顔を上げた瑞鶴は目を見開いた。
加賀が矢を差し出し。顔はそっぽを向いている。
矢は羽根を濃緑色で塗られ、其々二本の赤帯が巻かれている。
「それは、加賀さんの…」
「そう。私の優秀な子達…」
加賀は瑞鶴の手を取ると、その矢を握らせる。
「今回の作戦だけは、貴方に主役の座を譲るわ。私の子達を貴方に託す」
―あの加賀さんの艦載機…。
栄光の一航戦の艦載機。何度演習をしても倒せない相手。
「これを、私に…」
「そう、託したからには、深海棲艦隊に敵の航空隊に一泡吹かせなさい。私と貴方の航空隊なら、鎧袖一触でしょ?」
作戦の重みや、不安、恐怖は、いつの間にか軽くなっていた。もちろん、作戦に軽い気持ちで参加する気は無い。代わりに湧き上がった思いは、覚悟だった。
「…えぇ、そうよ!加賀さんと私の航空隊が揃えば、敵なんて鎧袖一触なんだから!」
「…そう」
加賀はその勢いついた言葉に納得したのか、踵を返すと歩き出そうとした。
「加賀さん」
そして後ろから掛けられた声に、足を止める。
「ありがと。私、頑張ってくるから」
加賀はその言葉に答えることなく、その場を後にした。
ただ、口角は少し上がっていた。
作戦開始は翌日になっていた。
瑞鶴を筆頭にした小沢艦隊と呼ばれた艦隊は、港湾を出港していく。
先陣を切る瑞鶴は、埠頭の先にある人影を見つけた。
「っ!加賀さん、それに赤城さん」
二人は凛と前を見据えて、見事な敬礼をしていた。
誰か一人に向けたものではないのだろうが、瑞鶴には加賀の敬礼は自分の向けられた物だと思えた。
瑞鶴はすぐに近くに居た妖精に指示を出した。
決戦の地へ向かう艦隊。その先頭に立つ空母瑞鶴は、埠頭を抜ける直前に霧笛を鳴らした。
それは鎮守府中に響き、艦隊の士気を上げるための物と思われた。
「瑞鶴も旗艦として立派になったわね」
艦隊が出発した後、腕を降ろした赤城は加賀に話しかけた。
「いいえ赤城さん。あれはそういう意味じゃないわ」
加賀は赤城の言葉を否定しながら、水平線に向かう艦隊の後方を見つめた。
「来たわね…」
敵艦隊発見の報を聞き、瑞鶴は覚悟を決めた表情でその方向を見つめた。
「瑞鳳、やるよ!艦首風上、攻撃隊…発艦、始め!」
艦隊の空母からは烈風や流星改、彗星一二型甲など最新機が続々発艦する。
垂直尾翼には601や653が書かれる機体が飛び立つ中、瑞鶴からはその中に混じって別の機体も飛び立った。
胴体に二本の赤帯を纏い、一糸乱れぬ動きで編隊を形成していく。そして、そこに胴体に二本の白帯を纏う機体が混ざる。
先導する彩雲に続いて百を超える航空隊は、敵艦隊へ向かう。
「これが私の、決戦だから!」
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