第9話
彼はここ最近忙しい日々を送っていた。
つい先日任されたイレギュラーゲートに対する特別防衛任務だが、彼はその対応に追われていた。警戒区域外でイレギュラーゲートが起きるということは、市民が暮らす街で近界民が暴れるということ。倒壊した建物の数とその復興の資金は一体どれくらいになるだろうか。
つまり、彼は近界民の被害にあった市民の憤りに辟易としているのだ。確かに家を壊されれば、平然としていられないのも分かる。もしかしたら四年前のことを思い出して恐怖している人も居るのかもしれない。
それでも、少しだけでもこちらの都合を考えて欲しい、と彼は思った。
加えて、彼は基本ソロで行動するため、どうしても市民の非難誘導よりも近界民の殲滅を優先する必要がある。それが市民には気に入らなかったのか、彼が特別任務に赴く度に『またお前か』という台詞と共に、冷たい視線を送られてしまう。ぼっちにそれは効果抜群だ。
日に日に積み重なっていくストレスと疲労にやつれそうになる彼。ここ最近は夜遅く帰る事も……。
さらにこのことを重く見た上層部は、彼に午後から特別防衛任務を他のB級部隊と共に就くことを指示した。
咄嗟に拒否をしたら一人ですることになった。どうやら「一人でできる」という風に受け取られてしまったらしい。なんでや。
しかし、そんな彼も学校に行かなければならない。
襲い掛かる眠気を何とか我慢しながら、彼は己の部屋を出る。
すると同時に隣の扉が開き、そこから一人の少年が現れた。
「おっ、奇遇ですなサイジョウくん」
いきなり人が現れ、彼は咄嗟にサイドエフェクトを発動させる。
遅くなった世界で頭の中で何度も何度も深呼吸をする。そしてシミュレーションを二桁ほど重ねて、彼は目の前の白い髪の少年に対して挨拶をした。
彼の名は空閑遊真。隣に引っ越してきた彼と同じ中学校に通う少年だ。
傍から見れば挨拶をする程度の仲だが、彼自身はボーダー以外でまともに話せることが
「ねえねえサイジョウくん。良かったらガッコウまで案内してくんない?」
引っ越して来たばかりでこの街のことを知らない空閑は、そう言って彼の目を見てそう言った。
彼はサイドエフェクトで動揺を鎮めると、二つ返事で了承し学校に向かった。
ここで会話できれば、彼はぼっちを卒業することができる。
まさに人生のターニングポイント。内心かつてないほど燃えている彼だったが――。
「ねえ、あれって何なのサイジョウくん?」
「うおっ。あんな不安定な乗り物で走れるんだ。なんて名前なんだサイジョウくん?」
「おっと。そう言えば『赤』は止まれだった」
だが悲しきかな。
いざ本番となると自分から話しかけるどころか、受け答えさえもできなくなった。傍から見れば無視する感じの悪い人間だ。
何故だ、と彼はサイドエフェクトを最大限使って考える。
授業で当てられた時は詰まることはなかった。サイドエフェクトを使っているとはいえ、他の人から見れば特におかしいところはない筈だ……会話じゃねーじゃん。
ならばボーダーではどうだろうか。三輪の罵倒という事実に目を瞑れば会話をしていると言えるのではないだろうか。その後は反省会や時々焼肉を食べにも行く。なんだ、結構リア充してるじゃん……向こうが話かけているだけで応えてねえ……。
結論。改善なんてされていなかった。それどころか『待つ』ということを覚えた分悪化しているのかもしれない。
衝撃の事実(本人視点)によって、彼はサイドエフェクトを解いてしまった。
空閑も彼の態度の悪さに呆れたのか、何も言わなくなった。
彼は死にたくなった。
そうこうしているうちに、彼らは学校に着いてしまった。転校生と登校しているからか、周りの人の視線が二人に集中する。しかし彼にそのことについて気付く余裕はない。
空閑は3-3のクラスなので、彼のお役目はすでに終了だ。加えて彼はこれから職員室に向かい、午後からの特別防衛任務について話さなくてはならない。
下駄箱に着き、上書きを履いた彼らは自然と別れることになる。彼は自分の不甲斐なさに泣きそうになるが――。
「ねえ、これって何て読むの?」
そんな彼を呼び止めて、空閑をとある物を指差す。
そこにあったのは「最上秀一」の「秀一」の部分。
彼は突然のことに戸惑いつつも答えた。すると……。
「そっ。じゃあ、案内ありがとうございました――シュウイチくん」
彼はそう言って己のクラスの教室へと向かって行った。
その後ろ姿を呆然と見ながら彼は思った。
もう少し、勇気を出そう。
そして、彼と友逹になるんだ――と。
◇
『緊急警報。緊急警報。
昼食を終えて担当区域に向かっていた彼は、急いで引き返していた。
今日もまたイレギュラーゲートが開いたのだが、今回の発生場所は彼が先ほどまで居た三門第三中学校だ。朝の件でやる気になり、張り切って現場に向かおうとした結果がこれである。
あそこには彼にとって特別親しい者はいない。それでも、顔見知り程度の知人なら居る。そんな彼らが近界民の手によって死んだとなれば――目覚めが悪いどころではない。
『こちら。嵐山隊の綾辻です! 最上隊員、応答お願いします』
グラスホッパーを使って現場に向かう彼の元に、本部から通信が入る。それは、今回の合同任務相手である嵐山隊のオペレーターである綾辻だった。
彼は言葉少なく応えると、彼女は現場に嵐山隊も向かっていることを伝える。それでも数分かかるようで、彼が先に現着するらしい。
それを聞いた彼は了解、と答える。
彼が目的地に辿り着くと同時に一体のモールモッドの反応が消えた。しかし、彼の通うあの学校には彼以外のボーダー隊員は居ない筈である。だが、彼にそのことを気にする余裕はなかった。視界に校舎を登るモールモッドを見つけたからだ。
彼はグラスホッパーを力強く踏み込んで、目標へと一気に近づいて――サイドエフェクトを発動させた。
ゆっくりと動く世界で、彼はスコーピオンでモールモッドを上下に斬り裂いた。そして振り向き様にスパイダーをモールモッドに突き刺す。
短めに設定していたワイヤーを片手に持っていた彼は空中で急停止し、そのままグラスホッパーでモールモッドの上を取り――トドメを刺した。
目を突き刺されたモールモッドはトリオンを噴出させながら落下し、彼はグラスホッパーの勢いのまま屋上に着地した。
彼はすかさず近界民の反応を探るが、どうやらこの場にいるトリオン兵は先ほど落とした個体で最後だったようだ。次のイレギュラーゲートの発生も無さそうである。
彼は綾辻に報告をする。
『了解です。後もう少しで嵐山隊長たちが……え? 非番の隊員ですか? いえ、本部の情報ではありませんけど……』
どういうことだろうか? 彼は不思議そうに首を傾げながらも、屋上から飛び降りて崩壊した校舎の壁から中に入る。
すると、そこには見知った顔と、ここの生徒であろう少年が居た。そのことに驚いた彼は一瞬動揺し、動きを止めた。しかし沈黙したトリオン兵を見つけると再起動した。
彼はマニュアル通りの対応をしようとしたところ、眼鏡をかけた少年が空閑を庇うように立ち、緊張した表情で彼を見据えて応える。
「……最上、これは……」
「え……オサム、今なんて――」
彼は眼鏡の少年――三雲修にあれはお前がやったのか? と聞く。
すると、彼は空閑を見た後、重々しく頷いた。
「隊務規定違反だってことは分かっている。それでもぼくは……」
彼は三雲の言葉を尻目にモールモッドに近づく。周囲に散らばったモールモッドのブレードを見て、血が付いていないか確認するとほっと一息吐いた。
まだ現場の職員から聞いてはいないが、怪我人は無いのかもしれない。
彼は三雲に死傷者の確認をするから手伝ってくれと言うと、三雲は動揺しつつも頷いて彼に続いた。
「先輩カッコよかったです!」
「何だよおめー。水臭いじゃねえか!」
「ありがとうございます!」
英雄とはああいうのを言うんだな、と彼は教師から怪我人が居ないことを聞きつつそう思った。
もし彼が三雲と同じことをしてもあそこまで褒め称えられないだろう。それどころか遠巻きにひそひそと小声で何か言われており、彼は泣きそうになった。これがぼっちとヒーローの差である。
「最上!」
そんな風に彼の心に隙間風が通っていると、嵐山隊の三人が到着したようだ。
「被害情報は? ……そうか、負傷者無しか」
良かった、と安堵している嵐山に彼は近づく。
その際、木虎の彼を見る視線が鋭くなったが……常に向けられるそれに慣れた彼は気が付かない。それがさらに相手の神経を逆撫でしていることを知らずに。
「よくやってくれた最上。お前のおかげで皆助かった」
どうやら、嵐山は彼が間に合ったと考えているようだ。
しかし、彼は首を振って嵐山の言葉を否定し、今までに起きた顛末を教える。
自分は間に合っていないことを。三雲修というC級隊員がこの場に居る生徒を助けたことを。そして二体のモールモッドのうち、一体を彼が到着した時点で倒していたことを。
「C級隊員……!?」
「うそ……!?」
彼の報告に嵐山隊が驚きの表情を上げる。
そんな彼らに三雲修は浮かない表情で名乗り出た。
「C級隊員の三雲修です。
他の隊員を待っていたら間に合わないと判断し――トリガーを使用しました」
己のやったことを理解しているのだろう。C級隊員の基地外でのトリガー使用は隊務規定違反だ。三雲の顔は優れない。
しかし、嵐山はそれを吹っ切るように彼に笑いかけた。
実際犠牲者が出る可能性があった。しかし現実は負傷者ゼロで、それは三雲のおかげだと。さらに彼の弟と妹が居るらしく、嵐山はその二人に飛びついた。本人たちは恥ずかしがっているが。
「それにしても、訓練用トリガーでモールモッドを倒すなんて……正隊員でもなかなかできないぞ!」
「隊長。違反者を褒めるのはやめてください」
嵐山さん達に任せれば良いだろう。
そう思った彼は嵐山隊の時枝充と共に現場調査を行う。嵐山隊が来るまえに一通り行ったが、それでもイレギュラーゲートの原因は分からない。
壊された校舎を見て、最後に三雲が撃退したモールモッドを調査する。そのモールモッドからは確かに三雲のトリガー反応があり、彼が嘘を吐いていないことが分かった。先日ボーダー外のトリガーで破壊されたトリオン兵が発見されたので、調査をいつもよりも念入りに行う必要があったのだ。
「それにしても、鋭い太刀筋だ……君の入隊試験を思い出すよ」
彼にとっては苦い思い出である。
後は回収班を呼ぶだけとなった彼らは、嵐山のところに戻った。しかし、何やら木虎と空閑が言い争っているらしく、場の雰囲気は少し暗い。
それを察した時枝は木虎を諫めるも、彼女は納得していないようであった。
「しかし時枝先輩……。
最上くん。あなたからも彼に言ってあげなさい!」
急に話題を振られた彼はピタリと動きを止める。
何故こんな空気の時に限って巻き込むのか。彼は木虎に対する非難を抑え込み、視線を三雲へと向ける。
彼はとりあえず三雲に礼を言った。すると場が騒然とする。何故だ。
「も、最上くん……!?」
彼は思う。もし三雲が居なかったら、と。
彼は急いで引き返したが、校舎を見れば間に合っていないのは明白だ。彼が倒したあのモールモッドだって位置的に見れば、三雲に駆逐されていたのは想像に難しくない。確かに隊務規定違反だが……よく考えれば彼があと少し校舎に居れば未然に防げたことである。
そのことを噛み砕いて伝えると、さらに驚かれた。
「……あまり自分を追い込むな最上。もしそれでも負い目を感じているなら、上に三雲くんのことを口添えしてくれないか?」
そう言われて何の事だ? と疑問に思い……彼は顔を青くした。
彼は特別防衛任務に就いている身。つまりイレギュラーゲートの対応が今の彼の仕事だ。それを失敗したということは……。
訪れる(かもしれない)未来に彼は震えた。
仕事終わったら三雲をヨイショしよう……。
ボーダーに入って少しだけ優しくなった彼だが、結局保身に走るその姿を祖父が知れば――おそらく涙を流すだろう。
ああ、なんて小心者だ、と。
Q遊真は何で主人公のことを「サイジョウ」って呼んだの?
Aスーパーで「最上級」という言葉を美味しそうなお肉を見ながら聞いて学習したため。原作でも遊真は人を呼んでいる時カタカナで表示されているので、おそらく文字に疎い可能性がある。
ちょっと無理があるかもしれませんが、すぐにバレたので勘弁してください、