12月も半ばとなり、マフラーが手放せない季節となった冬。
そろそろ炬燵が欲しいと思いながら、彼は白い吐息……というよりもため息を吐いた。
何故なら、今日の彼の予定は家でぬくぬくと布団の中で一日を終えると言う、これ以上ないほど素晴らしい計画を立てていた。しかし、それも今朝早くから掛かって来た一本の電話によって破綻した。
電話を掛けて来たのは忍田本部長だった。
彼はこの時点で嫌な予感がしたが、社会的弱者としての地位を確立させている彼に抗う術は無く、こうして防寒用グッズを身に纏って足取り重く本部に向かっているというわけだ。
彼は冬が嫌いだ。いや、正確に言うと寒い、または冷たいのが嫌いだ。
子どもの頃に事故で雪に埋もれたとか、呼ばれて振り返ったと同時に雪玉を顔にぶつけられたとか、そういうエピソードはない。
ただ、本能と言うべきか。彼自身理由は分からないが、肌を撫で付ける冷たい風、指先を凍らせそうな白い雪が、どうにも苦手だった。
つまりこんな季節に呼び出した上層部マジありえない。というわけだ。
寒さに耐えながら、彼は無事に本部に辿り着いた。
冬季休暇に入っているからか、食堂にはチラホラと学生のボーダー隊員が居り、談笑をしていたり前シーズンのランク戦を見ていたりと思い思いに過ごしていた。
ぼっちの彼にとって、このリア充の憩いの場である此処は少し苦手だった。しかし、ここの食堂のおばちゃんの作る料理は美味く、特に日替わり定食が彼のお気に入りだった。もし美味しそうなら昼は此処で済ませようと思い、確認しに来たのだが……。
【本日の日替わり定食――アシタノヒカリ】
やっぱり分からない。
ここの料理長のセンスは遠征にでも行ったのかぶっ飛んでおり、こうして確認してもどんな料理が出てくるのか分からない。彼はそれを面白く感じているが。
さて、あまりグダグダしていては怒られてしまう。
彼は食堂を後にし、会議室に向かった。
会議室に着いた彼は、目の前の光景を見てデジャヴを感じた。
二度目だからか以前のように緊張することは無かったが、かと言って長時間居たいとは思わなかった。
ふと視界の端に一人の男が居た。
S級隊員である迅悠一だ。
相変わらず良く分からないサングラスだと思いながら、視線を目の前に居る城戸に向ける。
「……本日は、来てくれてありがとう――最上秀一」
城戸司令はそう言って真っ直ぐと彼を見据える。
やっぱり怖いな。
そんな彼をよそに、城戸司令は続けた。
「通達している通り、近々
――え?
それを聞いた彼は思わず声を出しそうになりグッと堪える。
大規模侵攻? そんなの聞いていない。もしかしてボーダーから貰った端末にその節を伝えるメールか何かが来たのだろうか。そもそもその端末は何処に行ったのだろうか。分かるのは確実に埃を被っているだろうこと。
彼は思わず目を細めてしまう。
「……落ち着き給え」
流石に無理です。焦ります。
しかし素直にそうは言えない彼は、入って来た時の表情に戻した。
……どんな顔を浮かべていたか忘れてしまったが。
「……本題に入ろう。――迅」
「はい」
城戸司令は迅に呼びかけると、迅は彼の隣に歩いて来て――一つのトリガーを彼の前のデスクの上に置いた。
コトリと置かれたそのトリガーは、彼が普段使っているトリガーとは似ても似つかない。しかし、その圧倒的な存在感はまさしく――
「最上秀一。君を本日付でS級隊員に任命する」
……どういうこと?
突然上司から言われた昇格宣言に、彼は混乱した。
言葉で表すと一言だが、今の彼はサイドエフェクトを使って自問自答を繰り返している。その体感時間は約半日。過去最大級の加速度だ。彼はそろそろサイドエフェクトに頼る癖を治した方が良い。
そんな彼の動揺を察したのか、隣に居た迅が説明する。
「今回の大規模侵攻はヤバい。正直、A級、B級がやられる可能性がある。
その対策としてS級をもう一人増やして戦力増強しよう! ってことになってお前が選ばれたってことだ。適合者の中でソロなのはお前しかいないし」
サイドエフェクトを止めて話を聞いた彼は、それを聞いて少しだけ納得した。
しかしそれと同時に疑問に思い、迅に聞いてみる。
何故迅がS級のままではダメなのか? と。
「実力派エリートにも色々あるんだよ」
なるほど、分からん。
「……引き受けてくれるな、最上?」
――無理です! とはとても言い出せなかった。
確認と言う名の強制じゃねーかと思うも、彼もS級隊員という肩書に興味が無いわけではない。A級よりも給料が良くて、防衛任務要らずである。天羽からそれを聞いて彼は羨ましいと思っていた。
彼は城戸司令の言葉に頷き、目の前の風刃を手に取ろうとし――手が震えていた。
風刃は『ゴトリ』とデスクの上で音を立てる。
「……」
「最上……」
どうやら寒さで若干手が震えていたようだ。
彼はギュッと手を握って温めると、改めて風刃を手に持つ。
「――さて。秀一」
何だろうか。迅が凄く良い笑顔を浮かべてこちらを見ている。
まるで憑き物が落ちたかのようなその表情は、元々の顔立ちの良さもあり、彼は少しイラッとした。
しかし、それ以上に彼の笑顔に見覚えがあった。
思い出せそうで思い出せない。いや、これは彼の細胞が思い出すことを拒否している……?
「今日からおれがお師匠さまだ」
何を言っているのだろうかこのセクハラエリートは。
だが、よくよく考えれば当然のことだろう。
黒トリガーを渡されてすぐに使いこなせる者など居るわけが無い。
それだけ黒トリガーは扱いが難しく、そして強力だ。
「大規模侵攻に向けて、君には迅の指導を受けて貰う、
それまで防衛任務も無しだ。気が進まないが、君の学校にも連絡し、しばらく休むと言い伝えている」
彼は思い出した。
「これからよろしくな――秀一!」
――太刀川たちが浮かべる笑み。
目の前の男が浮かべるソレは、彼らと全く同じだということに……。
◆
「さて、風刃の使い方を教える前に能力を教えよう」
早速と言わんばかりに、彼は迅によって基地の地下にある特殊訓練場に連れて行かれた。
迅は手に持った端末を操作し、何も無い空間から市街地へと変えていく。
そして少し離れた位置に的を設置し、迅は風刃を構える。
「風刃の能力は遠隔斬撃だ」
そう言うと迅は風刃を一振りし、的を一刀両断する。
彼は予めサイドエフェクトを使って見ていたが……その分風刃の規格外さを理解した。
「範囲は目に届く全てだ。見通しが良かったら数キロメートル先の標的を斬ることもできる」
加えて、風刃の硬度と切れ味は弧月以上、重さはスコーピオン並みに軽い。
風刃の能力を聞いた彼は、これ一本あれば全ての距離に対応できると思い、黒トリガーの凄さを理解した。
しかし、それだけに不安にも思う。彼がこの風刃を使いこなせるのかどうかだ。
形状は弧月に近いから近接戦闘は問題ない。問題なのは風刃の能力を彼が十二分に発揮できるかどうかだ。
そんな風に彼が悩んでいると、隣に居た迅がポンッと彼の頭に手を置いた。
突然の行動に驚いて迅を見ると、彼は優しい笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「そう悩むな。そのためにおれが居るんだ」
しかし、それでも不安である。
「大丈夫。お前は絶対にこの風刃を使いこなすことができる。
おれのサイドエフェクトがそう言っている」
絶対の自信を持って放たれたその言葉に、彼は不思議と不安が払拭された気分になった。
彼は迅から風刃を受け取り、起動させる。
そこまで言われてしまっては、彼もウジウジしていられない。
そんな彼を見た迅は、己のノーマルトリガーを起動させて彼から離れた位置に陣取る。
「さて、なるべく早く使いこなせるようにするには、やっぱり実戦が一番だ。
今日から毎日、この実力派エリートがマンツーマンで指導してあげるから――頑張れよ?」
こんな贅沢なことは無いぜ? と軽口を出す迅を前に、彼は風刃を構える。
相手は彼をボコボコにする太刀川とかつてライバルだった男だ。加えて、未来視のサイドエフェクトでこちらの攻撃を予知する能力もある。
つまり、相手にとって不足は無いということ。
……不思議なことに、今こうして風刃を構えている彼の心は穏やかだった。普段太刀川たちと訓練をする時や防衛任務で
黒トリガーという強力な武器を手に入れたから?
S級という最上位の地位を得たから? どれも合っているようで、どれも違うように思える。ただ……。
彼は手に持った風刃を見る。
それだけで、彼は全ての疑問が解けた。
理由は分からない。根拠も無い。しかし風刃を持っているだけで落ち着く。
彼の持つ黒トリガーが風刃だから。たったそれだけの理由で、彼は戦闘中だと言うのに温かい気持ちになった。
――今の自分なら、誰にも負けない。
「――来い、秀一!」
迅がスコーピオンを構えると同時に、彼はいつものようにサイドエフェクトを使って、風刃を手に斬りかかった。
これからしばらく主人公は迅と共に訓練付けとなります。
その間は他のキャラを主軸にして進める予定です。