勘違い系エリート秀一!!   作:カンさん

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第28話

 

「サイドエフェクトとトリオン体の大きな変化が原因……?」

「はい、そうです」

 

 ――トリオン体は、冷や汗や鳥肌、涙など生身で起きることをほとんど再現でき、逆のことをも可能だ。

 例えば、恐怖心や緊張を取り除いたり、身長や体格を大きく変えることができ、このように生身の体を再現するのではなく、己の理想の体を構築することができる。

 B級隊員の那須玲はそれにあたり、病弱な彼女はトリオン体になることで人並みに動き、戦場では元気に跳び回っている。

 しかし、生身から大きく外れた変化は使用者に害を及ぼす。

 逸脱したトリオン体と生身の変化は、使用者に強烈な違和感を与え、戦闘に支障をきたす。実際、過去に行われた実験では、ランク戦や成績が著しく落ちていった。

 これらのことから、トリオン体を大きく弄る者は皆無だ。

 

 そして今回の件――最上秀一の記憶喪失は、この生身とトリオン体の大きな差によって生まれた事故だ。

 彼は大規模侵攻の際に一つの壁を超えた。

 サイドエフェクトとトリオン体の双方が世界の速さを置き去りにし、己の時間を得て無類の強さを発揮していた。

 

 だが、彼の生身は別の話だ。

 

 普通の人間は音速に迫る速度で走ることができない。

 しかし彼のトリオン体はそれを可能にし、結果彼の体とズレが起きた。

 本来なら、危険信号として違和感を感じるはずだが、彼のサイドエフェクトによってそれが誤魔化されてしまった。

 それに気づかず彼は戦い続けて、彼の脳は度重なる膨大な時間のズレによって処理落ちし――数ヶ月分の記憶を失った。

 

「診断した結果、彼が覚えているのは八月の初期……しかし、これでもまだ軽いと私は思います。下手をしたら記憶どころか人格を失う危険性だってあった」

「――あいつの……秀一の記憶は……戻らないんですか?」

 

 話を聞いていた男――三輪は、震える声で医師に聞いた。

 その問いに対して医師は……ただ残念そうに首を横に振った。

 

 

 ――彼が記憶を取り戻す可能性は……ほとんど無い。

 

 

 

 

「――この未来は、視えていたのか? 迅」

 

 秀一が入院している病院の屋上にて、三輪は隣に立つ迅に向かって、街を眺めながらそう問いかけた。

 三輪と同じように街を見ながら、迅は答える。

 

「……おぼろげに視えていた」

「……」

「秀一に後遺症があるという未来が視えて、でも具体的な物は分からず……」

 

 結果は言うまでもない。

 秀一の記憶は夏休みまで逆行し、遊真の存在は彼の中から消えた。

 太刀川たちから届いた連絡から安心していた迅は、そのことを聞いて――酷く後悔した。

 何故この未来を視ることができなかったのだと。

 何故彼を救うことができなかったのだと。

 迅は今でも思い出す。何でもないように装いながらも、ショックを受けていた遊真。そして、記憶を無くしていると言われて戸惑っている秀一。

 

 失ったものは大きかった。

 

「――おれさ、秀一のことを『最上』って呼ぶのが怖かったんだ」

「……」

「今まで自分でも気付いていなかったけど、おれはあいつを救えなかった師の息子だと認めるのを恐れていた。

 もし呼んだら、おれは死んだ師の息子としか見れなくなって、あいつを傷つけていたんだと思う。

 秀一を最上さんに勝手に重ねて、勝手に期待して、勝手に未来を視て――」

 

 それを横で聞いていた三輪は、ただ静かに聞いていた。

 普段は決して弱音を吐かない男の言葉を。

 

「だから、おれは『秀一』って呼んであいつを個人として見て、師の息子じゃなくて仲間だと思おうとしていた。でも、あいつが記憶を失ったって聞いて……救うことができなかったと気付いたら――おれは、あの時を思い出した」

 

 最上宗一を救えなかった時、彼は決して訪れない未来を視た。

 師が己の息子と向き合って、親子で居られた未来を。

 

 最上秀一を救えなかった時、彼は決して訪れない未来を視た。

 彼が友と共にランク戦に挑み、チームで居られた未来を。

 

「……人は、未来を変えることなんてできないのかもな」

 

 三輪は、おそらく初めて迅のサイドエフェクトの弊害の辛さを思い知った。

 未来は視ることはできる。しかし、変えることができるかは分からない。

 そんな未来を迅は無数に視て、変えられたかもしれない未来を視て、そして決して変えることができない未来に心を砕かれて――。

 

(――そういえば)

 

 彼は絶望したのだろうか。

 

(こいつ、あの時――)

 

 彼は涙を流したのだろうか。

 

(――俺を見て、泣いていた)

 

 ――彼は挫けなかったのだろうか。

 

 

 

 

 彼は混乱していた。

 医務室かと思ってみれば病院だった。

 というかタイムスリップしていた。

 

 彼の記憶では今日は八月十二日のはずだが、実際は一月二十日らしい。

 まるで浦島太郎のような気持ちになり、彼は思わず呆然と外の景色を眺める。

 ……彼は数時間前まで此処に居た二人の少年のことを思い出す。

 どうやら記憶を失う前に彼と何かしらの縁があり、しかし自分はそれを忘れてしまった。

 ゆえに、思わず口に出してしまったあの言葉に後悔する。

 もしかしたら友達になれたのかもしれないのに、しかしあの時のように失敗してしまった。

 

 ――どうか思い出してくれ、最上!

 

 メガネの少年――確か修と言ったか――は彼に懇願していた。

 戸惑う彼の肩を強く掴み、さまざまなことを語った。

 しかしそのどれもが彼にとって身に覚えのないことで、それどころか全く別の他人のことを自分と重ねられた――そのように思えてしまった。

 だがそれも無理のないことだ。彼は覚えていないのだから。

 

 結局彼が精密検査を受けることで、二人の少年との面談はそのまま終えてしまった。

 空閑という少年もよほどショックだったのか、終始無言であった。

 

 彼は思わずため息を吐いてしまった。

 ぼっちの彼に人間関係のごたごたは荷が重く、記憶を失う前の自分を恨んだ。

 何記憶を失うような無茶をしているんだ、と。

 そんなの、自分のキャラじゃないだろう。

 金目当てにボーダーに入り、ぼっちを嘆きつつも己を変えようとしない、そんなロクデナシのはずだ。

 少なくとも、医師から聞かされたような英雄(ヒーロー)なんかじゃない筈だ。

 

 ――彼は、今の自分が酷く惨めに思えた。

 

 彼は、ボーダーが情報提供して送った映像を見せられた。

 何でも、根付がボーダーのイメージアップを図るために所々修正された物で、大量の近界民(ネイバー)を相手に戦うボーダー隊員の中には、彼が知らない自分が映っていた。

 

 鎧袖一触と言わんばかりにトリオン兵を蹴散らし、上層部から一つの地区を任せられるほど信頼され、その眼に宿る光は彼には無いもので――。

 

「……」

 

 思い返してみれば、あの人たちが訓練のことに対して褒めるのもおかしい話だ。

 自分を呼ぶ時も苗字ではなく名前で、妙に親しげであった。彼はそれを喜んでいたが……。

 あれは、彼ではなく未来の自分に当てたものだったのだ。

 英雄(ヒーロー)である自分に向けての……。

 

 彼はボーダーから支給されている端末を操作し、己の情報を見る。

 

 弧月 9871

 バイパー 9101

 スコーピオン 13241

 

 昨日――周りからすれば随分と昔のことだろうが――太刀川たちに減らされたはずのポイントはぐんと伸び、しかしそれを自分の力だと思えるほど彼は馬鹿では無かった。

 

 

 彼は端末を勢いよく壁へとブン投げた。

 

 

 ガシャンッと大きな音が鳴るが、それ以上の雑音が彼を苦しめていた。

 

 知らない自分が居る。

 知らない自分が彼の世界を壊している。

 知らない自分が――そもそも、彼は本当に自分なのか?

 

 頭がどうにかなりそうだった。

 考えたくなかった。

 ――逃げ出したかった。

 

 自分は……彼は……秀一は――。

 

「起きたか、最上」

 

 彼の耳に一人の男の声が響いた。

 彼は抱えていた頭を上げて現れた男の名を呼んだ。

 

 ――三輪先輩、と。

 

 

 

 

 ――秀一が苦しんでいることは、病室の外に居た三輪に現実を突き付けられた。

 迅から予め未来のことを聞かされ、しかしそれを防ごうとした彼は――失敗した。

 秀一は生きている。しかし、八月から今まで生きていた彼は死んでしまった。

 もう医師から記憶が戻らないと聞かされて、どうしようもなく自分のことが憎く、辛く、悲しかった。

 

(ああ……あいつはこんな苦しみをいつも)

 

 この場に居ない男を思い浮かべて、三輪は一度目を閉じて――次の瞬間にはいつもの彼に戻っていた。

 

 彼はいつも浮かべている仏頂面で秀一の寝ているベットの脇にある椅子に座ると、壊れた端末をチラリと見る。

 

「……物を壊すな馬鹿が」

 

 そして後悔した。

 

(違うだろ!?)

 

 何故開口一番にこの言葉を選んだのか。

 自分がすべきなのは罵倒ではなく、目の前の後輩に対して謝ることだ。

 申し訳なさと後悔から己を偽り、取り繕っていつもの自分を彼に見せることではない。

 どうやら三輪は混乱しているようで、無表情を装いながらも頭の中で思考をグルグルと回らせていた。まるで何処かのぼっちのようだ。

 

 しかし、そんな三輪の耳に秀一の吹き出した声が聞こえた。

 三輪は思わずいつものようにギロリと睨んでしまい、秀一は慌てて彼に謝る。

 

(……なに病人を威圧しているんだ自分は)

 

 頭を上げる彼を見て己に呆れた三輪は。

 

「……あ」

 

 何故彼が笑ったのか理解した。

 ――あの時と一緒なのだ。

 三輪と秀一が初めて会った時のこと。

 その時は彼に対して特別興味もなく、ただ周りからチヤホヤされているルーキーだと思っていた時のこと。

 ある日、彼が防衛任務の際に端末を壊した時、三輪は先ほどと同じセリフを吐いた。

 何気なく吐かれた暴言だったが、今にして思えば随分と酷いものだ。

 しかし――。

 

「――覚えていたのか」

 

 彼は全てを忘れたのではない。

 確かに記憶を失ったが、それでも彼が生き続ける限り思い出を作ることは可能だ。

 

「……医師からは体には特に異常は見当たらないと聞いている。明日にでも退院できるそうだ」

 

 後悔をするのなら簡単だ。

 罪悪感を覚え、嘆くのなら誰だってできる。

 しかし、目の前の不器用な男の頭を叩き、尻を蹴り、共に未来を進むことができるのは――自分たちにしかできない。

 

「その時には、お前の言っていたA級ステーキとやらを奢ってやる――それまでしっかりと休め、馬鹿」

 

 不出来な弟分を支えることができるのは――兄貴分の仕事だから。

 

 

 

 

「どういうことだエネドラ?」

『だから言っているだろうがよ~』

 

 玉狛支部の一つの部屋。

 そこにはエネドラのトリガー(ホーン)を移植し、彼の人格と記憶を転写したラッド――通称エネドラッドが居た。

 エネドラッドは目の前の男、林藤に先ほどと同じ言葉を投げかける。

 しかし、()()を聞かされた林藤は冷静ではいられず、知らず知らずのうちに咥えていたタバコを噛み千切っていた。

 何故なら――

 

『さっさとあのクロノスの鍵を殺しておけよ――玄界(ミデン)のお猿さん?』

 

 ――かつての先輩の忘れ形見を消せと言われたのだから……。

 




次回で大規模侵攻編終了です。

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