無表情を崩し、不敵な笑みを浮かべるハイレインは言った。
「と言っても、実際に会っている訳ではないが、ね」
ふと前に出した彼の手がジジジ……と揺れ動いてトリオン兵のそれになる。まるで映像が乱れるかのようにハイレインの姿がアイドラへと変わり……しかし安定して直ぐに彼の姿へと戻った。
ここに居るハイレインは、偽物であり本物である。
しかし、傍から見ればアフトクラトルの近界民が玄界に戻って来たように見える光景だ。
精神的な緊張は免れないが──。
──バイパー。
──擬似アレクトール。
両者の側からトリオンキューブが生成、分割して弾丸として放たれる。そして二人の中間地点にて弾丸同士が衝突し、地面にゴロゴロと
「揺れないか……意外だな」
ハイレインの言葉通りに、秀一に動揺した様子は見られなかった。わざわざ変身トリガーでも記憶を刺激しているにも関わらず。
(あわよくば、ここで暴走させて自壊させる予定だったが……)
目論見が外れ、ハイレインの中で情報の処理が行われる。
アフトクラトルが、直接潰す必要がある、と。
「……」
対して、記憶を失った事によりハイレインの事を変なおじさん程度にしか認識していない秀一は、状況把握に手間取っていた。
先ほどまではブンブン飛んでいた
目の前で飛ぶ虫は絶対殺す主義の彼にとって、ミラは絶対に撃ち落としたい標的だった。しかし動きが素早く、速度特化のバイパーを何度放っても回避されてしまっていた。
さらにトリオン兵を片っ端から呼び出すものだからウザさ倍増で、思わずイラッとした秀一は出水の制止を振り切って前に出て──現在に至る。
気が付けば、視界の端にボーダー基地が見え、目の前には根暗そうなおじさん。正体はどうやらトリオン兵なようだが……。
通信は遮断されてしまっている。『これ以上突出したら三輪くんに報告するわよ』の言葉を最後に、月見の凛とした声が途絶えた。
というか聞こえた言葉が気になって仕方ない秀一。嘘だと言って欲しい。それを聞くためにも目の前の根暗おじさんには消えてもらわないといけない。
焦りからだいぶ思考が危険の方へ落ちているが、技の冴えは衰えず。
弾丸トリガーで届かないのなら、別の手を加えるのみ。
腰に下げている弧月に左手を添え、右手で柄を掴み──一気に引き抜く。
──旋空弧月。
旋空と同時にバイパーの弾丸を周りから囲うように放つ。回避をすれば弾丸に当たり、防げば集中放火を喰らう。キューブ化は間に合わない筈だ。
そう考えてこの一手を選んだ秀一だが──彼は敵のことを知らな過ぎた。
旋空弧月による斬撃はハイレインの体を通り抜け、バイパーは半分がキューブ化し、半分は体から浮き出た黒片により弾き返される。
そして、お返しだと言わんばかりに片腕を向けられ──砲撃が放たれた。
「──っ!」
速度は無い。しかし明らかに威力はありそうだ。
選択肢からシールドでの防御を捨て、回避を選ぶ秀一。地を蹴って横に飛ぶと同時に砲撃が彼の後ろへと進み……爆音。
驚いて背後を見る愚は犯さない。少しでも目を晒せば隙をついてくると、相手の見た目で判断できるからだ。
ハイレインもまたそれが分かっているのか、静かに秀一を見据えて口を開いた。
「私をその辺のトリオン兵と同じ様に見ないで貰おうか。戦闘能力だけを言えば、私はオリジナルに負けない力を持っている」
ハイレインの顔の右側にヒビが入り、そこから三種の角が姿を現した。さらに体の右半分が黒く染まり、肉体の形状にも変化が現れる。
右手腕にはトリオンをチャージし続ける砲台が、左腕には金属片が纏わり付き籠手となり、右足はドロドロ絶えず姿を変えるスライムに、そして左足は白く発光していた。
目の前のハイレイン──否、改造トリオン兵には四つのトリガーの性能が備えられている。斬撃を交わしたのも泥の王の力で、バイパーを無力化したのも卵の冠と蝶の盾の力だ。そして先ほどの砲撃は雷の羽と考えれば良い。
普通のトリオン兵なら性能に振り回され、正常に機能しないだろう。
しかしアフトクラトルの角と近界の技術、そして──それを処理する能力があれば実現は可能だ。
『──システム・クロノス。アフトクラトルはそう命名した』
トリオン兵の声が、人工的なものへと戻る。
「……」
『貴様の見る世界を、技術で無理矢理再現することに成功し、我々は強大な力を得た』
──しかと知れ、世界の敵。
『貴様を殺すのは──貴様自身だ』
◆
基地外部にて動きが良くなったアイドラが出現。アイドラの大群を抑えつける役目である銃手を潰そうと動く。しかし木虎と黒江、辻と笹森の攻撃手組が動きの良いアイドラの相手をし、銃手組のサポートに入る。
しかし……。
「被害状況は!」
「黒江隊員のトリオン体にダメージ大。緊急脱出は発動しませんが……」
一体目を倒し、二体目で
「他の戦場は?」
「王子隊、生駒隊は近界民にダメージを与え捕獲に移っています。主力部隊はトリオン兵と膠着状態です。
三人の人型近界民と戦闘している攻撃手組は、依然として戦闘中です」
一呼吸置いて、さらに情報が追加される。
「特殊ラービットの対処に当たっている三輪隊、東隊と香取隊、最上隊ヒュース隊員は現在落とされていませんが……」
「倒せていない、か」
大規模侵攻の際に投入されたラービットなら問題なく倒せたはずだ。現に、当時敵だったヒュースを除いた部隊はラービットを撃破した記録がある。しかし、こうして時間を稼がれてしまっているという事は、予想以上に特殊ラービットが厄介だという事だ。
「どうします忍田本部長! このままではC級隊員や非戦闘員に被害が……! それに、最上隊員が消えたのも不味いでしょう!」
思わず根付が忍田に問い詰めた。
ラービットを呼び寄せた飛行するラッド。それを出水達と追っていた秀一が、ラッドが開いた
敵の目的を考えれば、決して無視できない状況だが……。
「落ち着いて貰いたい。現在、出水隊員達が捜索中だ」
「しかし……!」
「それに、あのラッドが如何に高性能だろうと長距離転移はできない」
もしそれが可能ならば、最初に目的地まで直接転移しなかったのが不自然となる。
加えて、反応が消えていない事からも秀一はまだ生きている事は確定している。
「それと彼は強くなっている。あの時以上に」
「……!」
「それと特殊ラービットの方には、既に増援を送っています」
──私が出なくても、彼らで対処可能だ。
忍田の自信を持ったその言葉に、根付はゴクリと生唾を飲んで押し黙る。
それだけの力強さが彼の言葉にあり──その後すぐ、司令室に報告が入った。
増援戦力が、それぞれの戦場に到着した、と。
◆
性能を上げたラービットHの一撃は、トリオンで作られた壁や床を破壊する威力を持ち、硬いエスクードすら打ち砕く。
システム・クロノスによりオリジナルに匹敵するトリオン操作を得る事ができる。
故に、ラービットHが放った磁力片をヒュースは回避する事が出来なかった。
『……これはっ』
しかし、直撃もしていない。
ヒュースは、シールドで守られていた。突如飛んで来たレイガストが彼の身を守っていた。展開されていたシールドが消え、パラバラと磁力片が落ち──ラービットHの視界にヒュース以外の敵の姿が映る。
「旋空弧月」
弧月から放たれる二つの斬撃が放たれる。ラービットHの磁力片によるガードを削ぎ落としてから、二つ目の斬撃がラービットHの片腕を落とす。
「おっと。ズレちゃったか。真っ二つにするつもりだったのに……」
『……誰だ貴様は』
「え〜酷いなぁ。あんなに斬り合った仲なのに」
コツコツと靴を鳴らせ、弧月を手に歩み寄る男。男はヒュースの前に落ちているレイガストを拾って構えると、目の前のトリオン兵に半目を向けて軽口を叩く。
それに反応したのは、床に倒れているヒュースだった。
「分かって言っているだろう──ライゾウ」
ヒュースを助けた男──雷蔵は彼の方へとチラリと振り向く。
しかしその姿はいつもの彼のソレではなかった。常に丸みを帯びていた腹部はシュッとスマートに、腕や足も柔らかさを失い硬さを得ている。
簡単に言えば、痩せていた。
より正確に言えば、エンジニアに転向する前の攻撃手時代の雷蔵へと戻っていた。
「いやー、間に合ってよかったよ」
「いや、遅いぞ」
「何言ってんの。本来なら、トリオン体と肉体のズレは無視できない。それでもこうして問題無く動かせるのは君との運動のおかげだ」
雷蔵がこの戦いに求めたのは理想の身体では無く、かつて前線に居た時の自分だ。
ヒュースとじゃれ合う際に度々トリオン体になっていたというのもあるが、彼がこの体になって動きにズレが生じるリスクは少ないということだ。
それでも慣らすのに少し時間が掛かってしまったが……。
「さて、さっさと片付けよう」
雷蔵にとって、目の前の敵はその程度の存在らしい。レイガストと弧月を構え──スラスターを発動。
「旋空弧月」
スラスターで突っ込んだまま、旋空弧月を放つ雷蔵の攻撃に対処できなかった。
足を斬られ、ガクンと視界が傾く。
何が起きたのか理解できないラービットHに、解説するかのように雷蔵が呟いた。
「最上君のサイドエフェクトを再現しているみたいだけど、それだけだと対処は簡単だ。
彼の弱点をそのまま突けば良い。
シールドチャージに気を取られた瞬間、弧月で斬るだけ。たったそれだけで、彼も君も斬る事ができる」
『だが……死角からの攻撃には!』
「あー、そっちじゃないよ。彼の弱点……。サイドエフェクトが発動した瞬間の時間のラグだ」
雷蔵の言うように、彼がサイドエフェクトを発動した瞬間、時間の変化が行われる際ラグが生じる。加えてサイドエフェクト使用中は過度に執着状態に陥る。
それを雷蔵は戦闘のログを見て理解していた。故にそこを狙った。結果、ラービットHが膝をつく。
そして、雷蔵の攻撃は終わっていない。
スラスターの効果でラービットHの懐に入った雷蔵は、レイガストをブレードモードにして切り上げる。もちろんスラスター付きだ。当然ラービットHも残った片腕で防ごうとするが、またもや旋空弧月が唸って、ラービットHの腕が飛び頭が勝ち上がられる。
さらに追撃と言わんばかりに二刀のブレードトリガーでラービットHの腹部を斬り付け、レイガストを串刺しにしたままスラスターを発動させて壁に叩きつけた。
磁力片による攻撃、拘束が間に合わない程の連撃になす術なし。
『──くそっ!』
壁に縫い付けられたラービットHは自分が破壊される未来を見た。だが、悪足掻きをする。ここで諦める事は、
操れるだけ操れる磁力片を己の周囲へと集めて防御を固める。先程の雷蔵の攻撃から分析し、レイガスト、弧月による斬撃に耐えるように黒片の並びを調整する。当然、弾トリガーは通さないようにする。
しかし、雷蔵はそれを呑気に眺めながら廊下を歩き何かを確かめるように靴を慣らす。
「……うん。ここが一番良いな。ヒュース、お前はそこから
「……!」
「君のデータから作られたんでしょ? だったら締めは君だ」
「……ああ、そうだな。その通りだな」
感謝するライゾウ。
その言葉を伝えると、ヒュースも立ち上がり雷蔵に指示出された位置に立つ。そして、雷蔵と全く同じ構えで弧月を持ち──抜刀。
──旋空弧月。
二つの斬撃が黒片を打ち破り、そのまま中に居るラービットHのコアを斬り裂いた。
『ナ……nazzz……』
ノイズが入る視界の中、ラービットHは分析を続けた。何故自分は斬られたのだ。あの防壁を抜く事は出来ない筈だ、と。
しかし今はこうしてコアを破壊されて機能を停止しようとしている。
「太刀川は、二つの旋空を同じ場所に同じタイミングで当てる事ができる。結果、あの硬いイルガーを斬り裂いた。それと同じ事を僕とヒュースがしただけだよ……と言っても、もう聞こえないか」
ガシャンッと音を立てて沈黙するラービットH。それを見届けた雷蔵は、ヒュースに問うた。
「どう? 自分と戦った感想は?」
「ふん。実感しただけだ──俺が……」
──この裏切り者が!
その言葉を胸に刻み、ヒュースは吐いた言葉を飲み込まない。
己自身に誓ったのだ。泥を被ってでも当主を守ると。
「それじゃあ、他のところの援護に行こうか」
「ああ」
「まぁ、その必要があるかは分からないけどね」
雷蔵の言葉に従い、ヒュースは基地の廊下を走る。立ち止まらないように、引き返さないように。
──ラービットH、リタイア。