「まさか、この科学の街で未だに水甕を使っている人がいるとは…………」
上条は、成人男性の両腕一杯ぐらいありそうな水甕を抱えながらボヤいた。
小屋を出てすぐに案内役のエテ吉が「これを使え」とばかりに指さす方にあった水甕を持ってみると、空にも拘わらず結構な重さがある。これに水を入れて戻るとなると、少しだけ憂鬱な気分になってきた。
そして、今 上条が歩いている鬱そうとした『森』もそれを手伝っていた。
上条の住む第七区画に程近い場所にあるこの森。科学と超能力で時代の一歩 二歩 先を行くこの学園都市で、この森だけは文明とは全くと言っていい程に無縁の地である。
風の噂では、『森の奥深くに洋館があり、そこで恐ろしい細菌兵器の開発が行われている』だの、『この森を開拓しようとした工事関係者の一人が、バラバラの死体となり未だに片腕が見付からず工事が中断された』だのと、根も葉もない噂が飛び交っているが、兎も角ここだけは何故か学園都市が出来る前からの手付かずの状態であった。
現代っ子で学園都市での生活が長い上条には、この舗装されていない道を歩くというだけで体力が奪われていくのである。
「エテ吉さ~ん? 水場はまだしょうか」
「キ!」
「お、もう少しなんだな? それなら、上条さんも頑張りますよっ、と!」
エテ吉の言葉に水甕を抱え直して力強く一歩を踏み出す。勿論、上条はチンパンジーと会話が出来る訳ではない。半分は勘で、もう半分は自分を奮い立たせる為の口実のようなものである。
インデックスが辛い目に遇い。先生(ターちゃんのこと)もインデックスを助けるために頑張ってくれているのだから、上条ひとりがヘコたれる訳にはいかなかった。
「キキッ!」
「ん? この先か」
ガサリ、とエテ吉が指す背の高い草を払い除けた先に目的地である水場はあった。
「は、ハハ……、ここは本当に学園都市なんでせうか?」
信じられないような光景であった。小高い丘の岩の隙間から津々と絶えず湧水が流れ出しているのである。
湧水を撫でた風は涼やかに駆け抜けていき、汗ばんだ上条の身体の火照りを優しく冷ましていく。木々の隙間から差し込まれる月明かりが映し出す水の流れは、キラキラとユラユラと光りを絶え間なく変化させ、さながら絵本の一場面の様であった。
周囲をよくよく観察してみると、上条たちの他にもこの湧水目当ての先客がそこかしこに居た。犬や猫の他にも、鹿や猪、猿などの日本の田舎にいるような動物。果てはトラやライオン、ヒポポタマス(カバ)が見えた時には流石に上条もビビった。多分 実験施設から逃げ出した動物なのだろう。
そして動物たちは、顔を上げて上条の姿を見ても別段 逃げも襲いもせずにまた水を飲み続けている。恐らく、肉食動物も草食動物もここだけは関係なしに敵も味方もないのだろう。
「これはちょっとした動物園だな。それじゃあ、上条さんも失礼しますよ」
動物が飲む水は安全だと言われている。毒物を気にする必要はないだろうが、一応 寄生虫などを気にして湧き出る部分に口をつけてみる。
「―――― っ!? (冷てぇ!)」
触れた瞬間、あまりの冷たさに唇を刺すような痛みを覚える。そして、確かめるように少しずつ水を口の中に含み飲み下すと、流れ込んでいく冷水が上条の身体の芯から冷やしていくのが解かった。
「プハァッ!」
都市の水道水 特有の消毒薬やカルキの臭いのしない水は久しぶりである。上条は流れ出た汗の分まで補充するかの様に、鼻まで水に浸かりながら飲んでいると、流石に息が苦しくなり一旦 水から口を放し、手で水を掬って汗にぬれた顔を洗う。
「よっこらせっと!」
水分補給が終わると、上条は本来の目的である水汲みの作業を始めた。水甕の淵を湧き出る部分に当てて、流れる水流の力で水を溜めていく。他の動物たちに迷惑が掛らないよう、半分ほど水流は残している。
ゆっくりと甕の中に水が溜まっていくのを眺めながら、上条はふと過去の思いに耽っていた。
思い出されるのは三カ月ほど前のこと、上条とターちゃんが始めて出会った時のことである――――。
* * *
「えと、……インデックスちゃん、だったかな? それで、まず私は何をすればいいのだ?」
指示した通りにすればいい、とは聞いたものの、ターちゃんはどのような治療を行うのか皆目見当がつかない。
そもそも、このほったて小屋の中でこれ程の深手を治療すること事態がおこがましく、医療に関係するものが見れば発狂しかねないほどである。大地がそのまま床で、周囲を覆う壁や天井も干し草の茎を寄せ集めて造られたもの、とあっては雑菌云々 以前の問題である。
『現時刻は、日本標準時間で何時ですか? それと、日付もお願いします』
「へ、時間? ちょっと、待ってて欲しいのだ!」
治療器具などを支持されるとばかり思ったら、意外にも時間を尋ねられて呆気にとられるターちゃん。だが、迷っている暇はなどない。目の前に死にかけている少女が居て、それを救う手助けが出来るのが自分しかいない以上、彼女の指示にターちゃんは全力で応えるだけだった。
そう、ターちゃんなりの全力で、だ。
「ええと今日は、七月二十日の…………」
――――サラサラサラ
「な、何時なのだ?」
『“砂時計”では現在の時刻を知ることは不可能です』
インデックスに冷静な駄目だしを喰らい、驚くターちゃん。
「そうだ! この前、庭に時計を作ったのだ!!」
『“日時計”は、夜間ではその効力を発揮しません』
「え? そうなの?!」
またしても空振り。そう、ターちゃんは別にボケている訳でも、ましてやふざけている訳でもない。これがターちゃんなりの『全力』なのである。
アフリカのサバンナで育ったターちゃんにとって、時刻という概念は殆んど存在しない。日が昇れば起きて、日が暮れれば就寝するといった太陽の位置での生活を基礎としていた。それに、こちらに来てからも高度な文明社会に馴染めず、この様な小屋に住んでいるのだから文明の利器などここには無かった。唯一有るとすれば、以前ターちゃんが拾ってきてこの小屋の明かりを保っているオイルランプくらいなものだ。
『仕方ありません。私を星の視える位置まで運んで下さいますか?』
「解かった!!」
そういったことならお安い御用だ! とばかりに、ターちゃんは片腕でヒョイと彼女を担いで外へ出る。小屋の周囲を見渡し一番背の高い気を見定めると、大腿に力を込めて一息に跳躍した。
フワ――――
常人が体験したものならば目を丸くするような跳躍力だが、インデックスは相変わらず感情が死んでいるかのような眼差しで夜空をジッと見ていた。
「今日は雲がないから星が良く視えるのだ」
『月の位置と星の角度から換算…………、把握しました。現在は七月二十日のおよそ八時三十分と推定します。ご苦労様です。小屋に戻ってください』
小屋に戻るとインデックスは、卓袱台を部屋の中央に置かせて卓上に自身の血で星型の図と奇怪な文字を描く。
――― ジャラ
そして、床に落ちている小石を数個拾い上げて、卓袱台へとばら撒いた所でターちゃんが尋ねた。
「それは?」
『この部屋に散乱している、丸められた
男性諸氏の読者達ならばお解りであろう。ターちゃんが、上条達が尋ねてくるまでの間に『何をして』いたのか。
「あ、アハハハ?! それじゃあ、次はどうすればいいのだ?」
照れ隠しとばかりに次の指示を求めるターちゃん。顔を真っ赤にして全身から冷や汗のようなものが噴出しているターちゃんの姿を普通の女性が視たなら、少なからず軽蔑に似た眼差しを向けているであろう。しかし、こと今のインデックスにとっては露も気にせぬ口調で淡々と次の工程を述べていく。
『ここから先は貴方の手を借りて、貴方の身体を借ります。
指示の通りにして下されば誰も不幸にならなくて済み。誰にも恨まれずに済みます――――ケホッ』
ピチャリ、と咳き込むインデックスの口から血飛沫が散る。恐らく背中の傷は、彼女の肺にまで達している可能性がある。
理由も、どういった治療を行うかも訊かずに手伝ってきたが、ここへきてターちゃんの顔色にも迷いが生じ始めていた。
「それ以上 喋るのは危険だ。やっぱり、お医者さんに診てもらった方が…………」
『それは、後 数分の間に完全に傷を塞ぎ、尚且つマナを必要量 補充することが可能ですか?』
「まな?」
『一般的な言葉で表すと、
マナ=生命力。この二つのキーワードが、ターちゃんの脳裏で激しく行き来する。
―――― 気は精力だ。つまり気は小周天によって体内をめぐり末梢神経 筋肉 内臓さらに十二の経路十五の経脈を支配し、『生命をつかさどる、生命エネルギー』だ。
それは、かつて
「そうか! だったら『あれ』が使える筈!!」
ターちゃんは拳を掌でポン! と打ち。部屋中のものを引っ繰り返すように漁る。
「あったあった!」
『なんです、それは?』
ターちゃんは握りしめたお目当てのものである、茶封筒をインデックスの前へと持ってくる。
「これは梁師範が、智光に作らせた…………いやっ、説明している暇は無いのだ。兎に角、これをっ!!」
一から説明していては、幾ら時間があっても足りないだろうと、ターちゃんは茶封筒から中身である一枚の御札のようなものを取り出すと、間髪入れずにインデックスの背中にそのまま貼り付ける。
――――― ポッ!
目も眩むような純白の光に眼が染まる。インデックスの背に張り付いた札は、徐々にそこに刻まれた文字の色をスッと薄め、やがてはただの紙切れとなり彼女の背から自然と剥がれ落ちた。
「わっ?! ととと…………」
札と一緒にインデックスは、重心をグラリと傾けて倒れようとするのをターちゃんは寸での処で優しく抱きとめる。
「……すう……すう」
「(よかった)」
布団にインデックスを寝かせると、その口から小さな吐息が漏れる。意識こそ戻ってはいないが、顔色は先程に較べて格段に良くなっており、危険な状態を脱していることが判る。
ターちゃんは茶封筒に御札と一緒に入っていた一枚の便箋を取り出す。
―――― そいつは、おれが智光に作らせた内養功の術を封じ込めた札だ。智光に一週間オ○禁させた分の気が込められているから、傷がたちどころに治るだろう。危なくなったら使え。 梁より。
中にはそう綴られていた。
中国の西派白華拳は、自身の生命力を“気”として操る武術に長けていた。その白華拳の最高師範である梁師範は、かつてターちゃん一家で寝食を共にした仲である。そして、梁師範の門弟である智光も、アブノーマルな性格ながら気で治療を行う内養功の達人。自動小銃の銃弾程度の傷ならば二秒で完治させる腕前を持つ。
そんな彼が我慢に我慢を貫いて気を込めた札だからこそ、死の一歩寸前にまで追いやっていたインデックスの傷を瞬く間に直してくれたのだろう。
「(ありがとう、梁師範、智光…………)」
心の中で感謝を述べる。遥か遠方に住まう友達の顔をターちゃんは、夜空の中に思い浮かべていた…………。
ターちゃんと上条の邂逅は次話で明かされます。なんか引っ張ってしまい申し訳ないとです。