ハイスクール・フリート・プラスワン・アンド・アザー   作:オーバードライヴ

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人魚の国を守った代償は

 

 

「それにしても……あの背広の人はなんぞな?」

 

 とりあえず艦橋の電子機器類の確認をすることになった宗谷ましろ副長に、そのバックアップに入った勝田聡子航海員が問いかけた。

 

「海上安全委員会の方だそうだ」

「あー、晴風の撃沈許可を出したところ、ぞな?」

 

 そう言われ、ましろはどこか憂鬱そうにつぶやいた。

 

「こちらがなんで戦術リンクを外れたのかを調べに来たんだそうだ」

「だから長クラスを集めて集会室に引きこもったんスねー」

「引きこもったなんて言うな。ちゃんと誤解を解くためだ」

「まぁ、それで納得してくれればそれでいいぞな。……ん?」

 

 艦橋の方へと向かうドタドタという足音を聞いて聡子がどこか怪訝な顔になる。

 

「副長副長副長―――――!」

「どうした!?」

 

 飛び込んできた右舷航海管制員の内田まゆみを見てましろが臨戦態勢を取った。まゆみの小麦色の肌を夕陽の残滓が照らす。彼女は真剣そうな顔でましろを見据えた。

 

「柳教官がパックレッグ出身って本当ですか!?」

「……そんなことか」

「そんなことじゃないでしょー副長! 太平洋法執行グループ(P a c - L E G)と言えば海上安全整備局でもトップクラスのカチコミ専門部隊ですよっ? どんなものを装備しているのかとかだけじゃなくて、誰が所属してるかとか基本的に非公開だし、もー本当に謎多き部隊なんですから! で! 真相は!?」

 

 いきなり詰め寄られたせいで、ましろはたじたじである。数歩下がって距離を取るが、その距離をまゆみは詰め直した。

 

「……本当かどうかは知らん。だが、海上安全委員会の近江参事官は柳教官のことをPac-LEGの……カウンターテロ即応ユニットの……ユニット長だと言っていた」

対テロ即応(C T R)ユニット!? しかもユニット長って! 本当に前線指揮官じゃん! うわー、そんなすごい人に教わってたの私達っ?」

「そ、そんなにすごいことぞな?」

 

 聡子がそう聞くと体ごとグルンと振り返ってまゆみが聡子に詰め寄る。

 

「すごいなんてもんじゃないよ! 世界中のそういう突入部隊の中でも海上安全整備局の法執行グループはトップクラスって言われてるんだから! 火力とか実績数とかではアメリカとかドイツとかに負けるけど。それでも射撃の精度とか成功率では日本がダントツ! その中でも太平洋法執行グループ(P a c - L E G)はマリアナ経済会議立てこもり事件とかエネルギープラント移送警備とかで活躍した筋金入りの特殊部隊! そこの前線部隊たる対テロ即応(C T R)ユニットは本当にそう言うのに特化したチームらしいし! もー、最ッ高にクールなんだから!」

「そ、そうなのか……」

 

 ましろも聡子もあまりの熱弁に少し距離を置いているのだが、まゆみはそんなことお構いなしである。

 

「で、でも柳教官ってそんな特殊部隊っぽくないぞな。無精髭がジョリジョリだしあんまり姿勢良くないし……」

「でも戦闘の時の指示はやたらとこなれてた! あー、Pac-LEGかー。うらやましいなー。独身かなー」

「「おい最後」」

 

 まゆみの爆弾発現にましろと聡子が同時に突っ込んだ。

 

「ともかく、そこまで気になるなら今後聞けばいいだろう。とりあえず仕事は終わったのか! 補給物資の確認は? 補修箇所のリストアップは?」

「は、はーい。今やりまーす……」

 

 まゆみがどこかしゅんとして艦橋から退場する。それを見てましろが溜息。

 

「まったく……」

「まゆちゃんあんなにミーハーだとは知らなかったぞな……」

「浮かれている余裕はないだろう」

 

 ましろはそう言って、自分も焦っていることに気が付いた。今、晴風の今後を決める会議が行われている。勿論船の責任者を艦橋に残さねばならないからましろが選ばれたのはわかる。それでも、どこか疑念が残ってしまうのだ。艦橋での作業等を行うならば、航海長の知床鈴でもよかったはずなのだ。なぜ、副長たる私が外された?

 考えても仕方のないことなのだろう。それでも気になって仕方がない。

 

「……まったく。情けない」

「なにがぞな?」

 

 なんでもないと返して、ましろは力が入っていた手をゆっくりと解いた。

 

 

 

 

 

 

    †

 

 

 

 

 

 

 晴風には座学教室兼食堂の集会室の他に、小会議室が存在する。元々は艦橋要員をはじめとした士官用食堂として整備されたものだが、直教艦にその役割を変えてからは担当教官と生徒の面談や来艦した人とのレセプションルームとして活用されている。柳が平賀たち海上安全整備局の情報調査隊の面々や、近江たち海上安全委員会の面々を通すにはこれほど適切な場所は無いだろう。

 

「すいません、少々暑苦しいですが、どうかご容赦を。ただいま冷房を入れましたのしばらくすれば室温も下がります。暑ければ上着を脱いでいただいても構いませんので」

「気遣いは結構」

 

 近江がそう言ってスクリーンに近い上座の位置にどっかりと腰掛けた。晴風側の座席順は科順となる。スクリーンに一番近い側に柳が座り、その隣から岬明乃艦長、西崎芽依水雷長、知床鈴航海長、柳原麻侖機関長、等松美海主計長、納沙幸子書記となる。招かれた側である近江たちだが、席についたのは近江と平賀だけだ。残りは護衛を兼ねているのか後ろに立ち、休めの姿勢を取っている。

 

「……君たちが行ったことがどれだけ大きなことか、わかっているかね?」

 

 一人一人に水の入ったグラスを置いてから、伊良子美甘が下がった後、近江が口を開いた。机を挟んで向かいに座った柳を見据える近江はどこか挑発的な口調で続ける。

 

「教員艦への魚雷攻撃、アドミラルシュぺーへの発砲、伊201への攻撃……どれも委員会で取り上げるに値する大きな事件だ。特に、アドミラルシュぺーへの攻撃に関しては国際問題に発展しかねない重大なものだという事を自覚しているのかね?」

 

 そう言うと近江は電子ペーパーの柳の方に滑らせた。受け取った柳はそれを一瞥して眉を顰める。アルファベットが躍る文書を明乃たちの方に回覧させ、口を開いた。

 

「ドイツからの正式な抗議文があったところで、事実は覆りません。アドミラルシュぺーを含む全事例において先制攻撃を行ってきたのは相手側です。こちらは応戦しただけに過ぎません」

 

 柳がそう言うとそれを予期していたかのように近江がすぐ切り返す。

 

「その証拠の提出は可能か?」

 

 そう言われて柳は僅かに腰を浮かせてプロジェクターを起動させる。手元にはタブレットを広げ艦内無線通信でリンクさせた。すぐに画像投影が始まった。

 

「艦の通信ログ及び作戦指揮の履歴です。既に海上安全整備局と海上安全委員会双方に提出済ですが」

「これが改竄されていないという証拠は?」

「通信には電子証明をつけていますから通信時のミスはないでしょう」

「だが、元の入力自体を改竄している可能性は否定できまい」

 

 近江の良い分に柳は肩を竦めた。

 

「それを言いだしたらなんでもありでしょう。それに、アドミラルシュぺーや猿島に関しても同じことが言える。そこを疑ってはキリがないのではないですか?」

 

 柳がそう言うと近江はニヤリと笑った。

 

「その通り。だが柳君、君にはその技術があるはずだ」

「何をおっしゃいますか。私にはとても……」

「猿島攻撃時の戦術リンク。君は誰のIDで戦術リンクの再掌握を行った?」

「え……?」

 

 とっさに声を上げたのは納沙幸子だ。幸子は慌ててタブレットを繰る。

 

「リンクIDは柳教官になってますけど……」

「晴風が戦術リンクを離脱する2分前、既に古庄教務主任は柳教務主任補の教員IDを停止している。この時点で君は晴風のシステムに対しては何の関与もできないはずだ。……そのセキュリティシステムを君はどうやって割った?」

 

 言われてみればそうだ、と幸子は納得する。柳も言っていたではないか。『古庄教官が教員権限を停止させており、管理システムにログオンできない』と。

 

「安全監督隊の時に配布されていたIDを使用しました。法執行グループの任務上使用が認可されていたIDであり、予備正としての使用許諾も受けていたはずですが」

「なるほど、それを君は教官としての立場を停止されている条件下、予備正としての使用規定を満たしていることの確認を取らないまま使用したという解釈でよろしいか?」

「緊急避難的措置の条件を満たしていると確信しています。使わなければ晴風はとっくに海の底ですよ。それに緊急避難の状況終了に関しては学校側にも通告してあります」

 

 明乃の頭の上を難しい言葉が飛び交っていく。明乃は会話の内容を理解しきれていると自分でも思えなかった。何かを戦わせているような言葉の応酬に、艦長という立場ながら、黙っているしかない。それがとても、歯がゆい。

 

「……だとしても、だ。君の行動には問題があったと海上安全整備局は判断したようだ。少なくとも、横須賀女子海洋学校は君の判断を不当と判断した。それはすなわち君の管理下にあった晴風の行動は認められないということだ」

「そんな……っ!」

 

 明乃がとっさに声を上げた。誰のとも判別が付かない息を飲む音が響く。

 

「どういうことっ……ですか?」

 

 芽依が乱暴に叫ぼうとしたのをなんとか踏みとどまった。近江が続ける。

 

「君たちのやったことは事情があったとはいえ過剰な行為であり、学校としても処分をせねばならないと判断したということだな」

「で、でも宗谷校長は……私たちを……信じる……って……」

 

 鈴の抗議の声は段々と弱々しいものになっていく。それを聞いた平賀が目を伏せた。

 

「……宗谷校長は、今日付けで校長を辞任なされたわ」

「辞任!?」

 

 会議室に悲鳴のような声が上がった。柳は苦々しそうな顔をしながら平賀に先を促した。

 

「職務権限停止中の柳教官に戦術リンク権限を与えたことは教員としての責務と理念に反するとして、罷免決議が出されたの。罷免の可否が出る前に……宗谷真雪校長は、校長職を辞されたわ。名目的には教導艦『猿島』沈没を受けた引責辞任よ」

「そんな……なんで……」

 

 美海の呆然とした声が響く。会話の流れを見る限り、学校は頼れなくなったも同然だ。皆言葉をまとめきれずにいたが、それに追い打ちをかけるように平賀がもう一枚電子ペーパーを取り出した。それを柳の方に差し出す。

 

「……柳教務主任補。貴官に査問会議への出頭命令が出ています。晴風における貴官の行為に関して釈明の余地がある場合、そこでの証言を強く推奨します」

 

 それを聞いた柳はそれを受け取って中身も見ないまま溜息をついた。

 

「……芝居はやめにしませんか、平賀二等監察官。近江参事官もドイツからの圧力がかかる前に責任問題の決着をつけたいだけでしょう。子どもを盾にして、やり口が汚い」

「物分かりがいいようでこちらとしても助かるよ。こちらとしても子どもを査問会議の証人として引き出すのは気が引けるのでね。それで、君はどうするね?」

 

 苦虫を噛み潰したような顔をして、柳はたっぷりと時間をとった。そして口を開く。

 

 

 

「今回の責任は私、柳昂三にあります。よってこの責任をとって教官職を辞させていただきます……これでよろしいですか?」

 

 

 

 近江は満足げに笑う。何度も頷きながら、そうかいそうかいと口にし上機嫌そうだ。

 

「正しい判断だ、柳君。話が分かる人間は嫌いじゃないよ」

 

 明乃は自分が唇を噛みしめていることに気が付いた。自分でやっておいてなんだが、痛い。

 

「……柳教官の責任では、ないと思います」

 

 何とかそれだけ口にした。周囲の視線が明乃に集中する。いつもだったら怯んでいたかもしれない。

 

「猿島への雷撃も、シュぺーへの発砲も……私が、岬明乃が艦長として命令したことです」

「ふむ、では岬明乃艦長に質問だ。その行為が大きな問題になるという事は考えなかったのかね?」

「それは……」

 

 明乃に向けられた好奇の視線に、黙り込む。考えていたと言えば嘘になる。あの時は考えることなどできる余裕はなかった。

 柳が何かを言おうとする前に、近江が続けた。

 

「なに、考えてなかったとしても問題はない。それは大人の仕事だ。即ち柳昂三がそれを止めればよかっただけの話だ。そうだろう? 柳君」

「……状況を鑑みるべきだとは思いますが、大人が責任を取るというのには賛同します。少なくともあの時に私が教官としての任務遂行能力を喪失していたとは考えないでいただきたい」

「任務遂行能力があったということは、君が君の権限をもって、この子たちの間違った判断を認め、実施したという事でよろしいか?」

「あの時の判断は最善であったと確信していますが、生徒の判断を認め、実施したことに相違ありません」

「結構。では君は教官としてふさわしくなかったということだ。もっとも、もう君は辞意を表明した後のため、既に過去のことだがな」

 

 晴風の生徒は誰一人として言葉を発しない。皆、痛い程わかっていた。柳は晴風の責任を取って、教員ではなくなったのだ。

 海上安全委員会はアドミラルシュぺーと日本国籍を持つ船が交戦状態になったことを問題視している。ドイツの溜飲を収めるためには相手に事情を説明し納得してもらうか、非を認めるしかない。どちらかが責任を認めなければ、そのまま抗争となり、戦争にまで発展しかねない。それを収めるために生贄の羊(スケープゴート)が必要だった。――――それが、柳だっただけの話だ。

 出港からやっと1週間が経ったぐらいの時間だ。まだ互いに深く知り合いになっているわけではない。だとしても、高校生にこの現実を突きつけるのは、あまりに残酷だった。

 

「……ふ」

 

 近江は笑みを浮かべて皆に手を振った。

 

「今のは一般論だ。安心したまえ、安全委員会の総意は別として私の本意ではない。彼を首にしてそのまま放り投げるようなことはしないよ」

「……へ?」

「どういうことですか……?」

 

 芽依が呆けたような顔をして、明乃が聞き返した。

 

「必要なのは責任者を処分したという事実だ。それさえ得られればこちらとしては問題ない」

 

 そう言って近江は部下の一人を呼んだ。書類封筒を受けとりながら続ける。

 

「教員としては不適格だったとしても、海上安全委員会は君の戦闘指揮能力を高く評価している。旧式艦の上に、編成したての部隊という条件の下で、新鋭艦の扱いを受ける猿島を沈め、アドミラルシュぺーや伊201を行動不能にした。それも、死者ゼロで、だ。ここ十年で稀に見る快挙といっても過言ではないだろう」

 

 柳はその言葉を無表情のままに聞いていた。近江は生徒たちを見回す。

 

「生徒たちも、十分な技量があることは確認できた。ここで君にただの一般人に成り下がってもらうのは、あまりに惜しい。そんな優秀な人材を民間に放出できるほど、安全監督隊の人員は飽和しているわけではないのでね」

 

 近江は立ち上がって柳に封筒を差し出した。

 

「辞令だ、柳一等海上安全整備正。受け取りたまえ」

 

 差し出された無地の茶封筒を、柳はしばらく見つめ。手に取った。裏返して封筒を開けると電子ペーパーが一枚現れた。指紋認証を解除し、内容を表示する。柳の目が一瞬見開かれ、すぐに険しくなった。

 

「……どういうことですか?」

「拒否はできんぞ、柳1正、いや、辞令を受け取ったわけだから3監だな。すでにこれは国土交通大臣や海上安全整備局局長が公認した人事だ」

 

 柳の纏う空気がギンと張った。思わずと言った雰囲気で明乃がそちらを見る。視線で近江をその場に貼り付けんばかりの形相で彼を睨む柳がそこにいた。

 

「……このために、宗谷校長を辞職に追い込んだんですね」

「人聞きの悪いことを言わないでくれたまえ、柳3監」

「な、なにが……あったんですか?」

 

 明乃の言葉に、柳は辞令書をテーブルに置いた。明乃が覗き込む。

 

「柳昂三予備海上整備正を三等海上整備監として招集し、第三管区第一特務艦艇群指揮官を命ずる……、第一特務艦艇群、旗艦、晴風!?」

「海上保安法第19条に基づき、明日〇九〇〇(マルキューマルマル)時をもって晴風は海上安全整備局安全監督隊に組み込まれる。多数の艦船が消息不明に陥っている。それを追って取り戻すためにも晴風が必要だ。当然、晴風の中には乗員も含まれる」

 

 柳が机を叩いた。その音が近江の声を遮った。

 

 

 

 

「近江参事官、あんた、こいつらに死ねって言う気か?」

 

 

 

 

 地を這うような低い声が小会議室に響く。

 

「消息不明艦船を追って連れ戻す? 猿島やシュぺーのような命がけの綱渡りを何度も学生にやらせる? それは学生の仕事ではないはずだ」

「――――――『私は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し、日本国憲法を遵守し、並びに法令及び上司の職務上の命令に従い、不偏不党かつ公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います』、生徒にだって聞き覚えがあるはずだ」

 

 そう言われ明乃は思い返す。確か、入学試験の後にあった宣誓式で聞いた文言だ。

 

「横須賀女子海洋学校は国土交通省が所管する教育機関であり、文部科学省の管轄外におかれる特別の機関だ。よって海洋学校に入学した生徒は全員が例外なく国家公務員であり、それに伴って給料も交付されている。その責務を果たすと皆が既に宣誓を行っているはずだ」

「だとしてもまだ入学して1週間程度しか経っていません。技量も経験も不足している。任務に就くには不適当でしょう。そもそも晴風所属生徒は全員が条件附採用期間内だ。訓練を除く公務での艦艇等公共備品の扱いは禁止されているはずです」

「非常時において正規局員の指揮下において使用する場合は免除される。一般船舶の徴用時と同じ条件だ」

 

 鬼のような形相で近江を睨む柳。それを見て近江はどこか勝ち誇ったような笑みを浮かべた

 

「まぁ、いくら吠えたところで、もうこの子たちの担任どころか、教員ですらない君には既に関係ない話だ。部隊が結成される明日までは上官としての権限も持ちえない。ただの外野が喚いたところでどんな判断も覆らない。諦めたまえ」

 

 そう言って近江は笑う。

 

「第一特務艦艇群は整備が終了し次第、武蔵の捜索に向かってもらう。晴風の指示に従わない場合、攻撃を許可する。我々海上安全委員会はは君たち晴風の生徒が信頼に足ると考えている。その信頼に応えてくれることを期待する」

 

 近江は部下に合図をして出ていこうとした。

 

「……茶番だな」

 

 柳の言葉を聞いて、近江はさらに笑みを浮かべた。

 

「茶番だというなら精々覆してみせてくれたまえ、柳3監」

 

 

 

 

 

 

    †

 

 

 

 

 

 

 春先独特のどこか夏の匂いを感じる雨を見て、宗谷真雪は一度深呼吸をした。海上都市とは言え、雨が降ればどこか土の香りがする。どこかなじまない匂いのような気がした。それが自意識を呼び起こす。馴染む必要などないのだ。女性用のスーツにも、この空気にも。

 

「……私はまだ、人魚でいなければならない」

 

 背筋を伸ばして、外に出る。制服とことなり帽子がないのはどこか寂しい。とくに雨の日は顔に雨粒がかかる。やはり制帽がないと不便だ。

 振り返った。立った今出てきたビルは雨の中灰色に沈んでいる。飾り気のないビルを見上げてもなんの感慨も浮かばなかった。顔に当たる水滴が冷たい。それでも真雪はそのまま顔を上げ続けた。

 

「……力を欠いた正義は無力であり、正義を欠いた力は圧政となる、か」

 

 浮かんだ文字列を口にして軽く笑った。

 

「さて、どちらが()()かしら。……勝負といきましょうか」

 

 改めて背を向ける。ひどくなっていく雨の中、真雪は堂々と歩いて、もう2度と戻ってくることはできないかもしれない海上安全整備局本局を後にする。

 

 雨で霞む海上都市へと、真雪は消えていった。

 

 人魚に傘はいらないのだ。

 

 




……今回は難産でした。こ、これでも一番穏便に済んだんですよ、えぇ。酷いほうだと、リアル荒事まで行っていたので……、とりあえずはこんなところでしょうか。

今回多くしゃべっている近江参事官ですが、キャラクターの考案は私の友人T氏です。この場を借りましてお礼申し上げます。

次回も続くよオリジナル展開。しばらく暗い話が続きそうです。

――――――
次回 岐路に立たされた人魚に残るもの
どうぞ次回もよろしくお願いいたします。
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