ハイスクール・フリート・プラスワン・アンド・アザー 作:オーバードライヴ
《弁天、弁天、こちら晴風、晴風》
彼女はやっと穏やかになってきた海を見ながら飛んできた無線に答えるべくレシーバーを手に取った。曇天に包まれた夜の海の闇は漆黒と呼ぶにふさわしく、文字通り墨を流したような空気を裂いて、弁天型高速航洋艦一番艦『弁天』は海を駆ける。
「晴風、晴風、こちら弁天、どうぞ」
国際VHF規定通りの応答を返す。通信チャンネルは呼び出し用の18チャンネルだ。
《弁天、こちら晴風、以降の通信はチャンネル08で行います》
「チャンネルゼロエイト、了解。晴風」
緊張気味の高い声だがその言葉ははっきりと聞こえていた。とりあえずはそれに安堵する。確保してあるチャンネルに移動。
「晴風、晴風、こちら弁天、こんにちは。感度いかが」
《弁天、こちら晴風、こんにちは、感度良好です》
非常時に悠長なと思うかもしれない。それでも彼女はこの規則通りの応答が本当に大切であることを知っていた。いつも通りの呼びかけといつも通りの応答をすることで、このあとの行動をただの作業に切り替える。冷静に対応するために本当に必要な手段だった。
「第三管区海上安全整備本部所属、航洋艦『弁天』艦長の宗谷真冬だ。よく今まで耐えた。現着まで後45分、救援の用意に入る。そちらの状況を送信されたい」
彼女はしっかりと名乗ってから、状況を伝達する。後部ミッションベイでは即応救難ユニットが出動の用意を進めているはずだ。
《晴風通信士、三等海上安全整備士の八木鶫です。……弁天艦長さんは、宗谷ましろ副長の御親戚ですか? どうぞ》
八木鶫と名乗ったその声が硬くなる。それに真冬は違和を覚える。
「そうだが……なにかあったのか? どうぞ」
《……状況を伝達します。新橋商店街船は中央部から裂けて二つに破断されました。後部区画は既に沈没。前部区画は浸水、沈降しながら漂流中、このままの浸水率であれば、前部区画の完全沈没まで後2時間ありません。晴風は後部区画沈没地点に標識ブイを投下、漂流中の前部区画を追跡中》
報告されたその言葉は、弁天のコンピュータが勝手にテキストに起こしている。タッチパネルに表示されたその文字列から重要なところをスタイラスペンでなぞりながら、真冬は唇を噛み締めた。想像以上に状況が悪い。
《乗員の避難ですが、新橋商店街船乗員名簿の中で避難が確認されていないのは1名、『サンジョウ・アネホ』さん。コローニアから乗船していた女性です。乗客データをお送りしますので、照合をお願いします》
すぐにデータリンクが反応、乗客データらしいものが送られてくる。真冬は後方に控えていた作戦管理担当官に目配せ。彼女のタブレットに情報を転送する。
《現状、晴風クルーが前部区画に取り残されており、捜索及び救難を行っています》
「取り残されている……!?」
無線による報告に、真冬は背中に氷を突っ込まれたような気がした。
「新橋商店街船に残っている人員の名前を送れ、どうぞ」
無線の奥はしばし沈黙。その沈黙が、最悪の事態の可能性を告げていた。
《――――晴風副長、宗谷ましろ二等海上安全整備士が前部23ブロック付近の整備用ラッタル付近で行方不明。現在、柳3監が前部区画に残って捜索及び救難を行っています》
無線のレシーバーですら重く感じる。それでも真冬はそれを取り落とすわけにはいかなかった。
「詳しい状況を送れ、どうぞ」
《ましろ副長の
奥歯がギリリと鳴る。そうでもしなければ叫んでしまいそうだった。
晴風の判断は正しい。不安定な状態で漂流する船の残骸に近づくのはリスクが大きすぎるのだ。だから遠巻きに監視しながら安定するのを――すなわち、完全に沈没し、潜水士による救助が可能になるのを待つ。避難した550人を超える民間人を乗せた晴風がとるべき行動を正確に、かつ迅速に行っている。
「……了解した。あと特記事項はあるか。どうぞ」
《現在晴風は警備出動体制で待機しています。商店街船の破孔部から火薬反応が出ました。機関室に犯人のメッセージと思しきスプレーラッカーの走り書きがあったこともあり、第一特務艦艇群は商店街船の沈没は事故ではなく事件と断定。緊急避難終了後に備え、調査チームの早期派遣を要請します。どうぞ》
「了解した。こちらで手配する」
そう答える。少しでも晴風クルーの負担を少なくしなければならない。最前線に身を置き、命がけで行動をしている彼女たちに後方まで気を使わせるわけにはいかない。
「データリンクを常時接続されたし、これより弁天は晴風を全面的に支援する」
《了解しました。支援感謝します》
データリンクが双方向通信になり、動きだした。艦橋の多目的ディスプレイにその内容が表示されていく。膨大な情報がリアルタイムでやり取りされていく。
《リンクを開始しました。急いでください、時間が……もう、ありません》
ずっと気丈に対応していた彼女の声が震えた。おそらく、そちらが素の彼女だ。
「安心しろ。必ずそちらにいく。そのために、ブルーマーメイドは存在するんだからな。待ってろ。必ず、必ず助けに行く。以上、通信終わり」
《信じてます……通信終わり》
それで無線通信は切れた。それでも目の前の画面では晴風と新橋商店街船の様子が見て取れた。その中の一つ、送られてきた画像ファイルを見て、真冬は息を飲んだ。
おそらく鶫が言っていた『機関室に犯人のメッセージと思しきスプレーラッカーの走り書き』だろう。赤いスプレーで描かれたそれを見る。
「……Ἀνερρίφθω κύβος」
その文字列に
「本当にアンタなのかよ、北条艦長……!」
†
「つっ……!」
宗谷ましろは小さく呻いた。足場にしている配電盤の頼りなさに彼女は呻く。一瞬でも気を抜けば三メートル下の壁に背中を強かに打ち付けることになる。それだけは御免だった。
上がった息が壁に反射して帰ってくる。何処からか揮発した油のようなひどい匂いと一緒になって吐き気を催してくる。それでも動かない訳にはいかないのだ。
「多門丸……大丈夫か?」
胸元に突っ込んである子猫に声をかける。体を壁際に密着させれば少しは上りやすくなるんだろうが、この子を潰すわけにはいかない。
「にゃぁ!」
威勢のいい答えが返ってくる。子猫は普通ここまで聡明なのだろうかと考え、そう考える余裕があることに少し笑う。状況は最悪なのに、ずいぶん余裕じゃないか私は。
船は波に揺られるように一定のリズムで動いていた。おそらく舳先を上にして漂流をしているのだろう。ほぼ直立姿勢のまま漂流をしている船など、外から見るとかなりシュールに違いない。
「上手いこと……
配電盤から伸びるパイプに手を伸ばす。電源を喪失している状況だから感電しないはずと信じて動く。
「死んで、たまるか……!」
足元の方で物音がした。水圧が上がってきたのか、この部屋の入り口をふさいでいた瓦礫から吹き出す水の量が増えてきている。それで外れたか欠けたかした瓦礫が動いた音だろう。この数分で浸水量が急激に増していた。
「最悪、落ちても水がクッションになるか……」
この部屋から出られずに溺死と言う可能性は考えないようにした。腕に力をかけて、よじ登る。あと1メートルほどで出口のドアに手が届く。
左腕から流れる血で手が滑る。スカーフで縛って止血はしているものの、この運動量では止まる血も止まらない。それでも、今は動かなければならない。
「ついて、ないな……ほんと」
笑って、左手をドアのすぐ下にあるスイッチボックスに引っかける。そのまま力づくでよじ登ると、右手がドアの枠にかかった。
「はぁ……はぁ……」
何とか目標の地点まで到着したことをよしとする。ドアのほうを見ると、歪んだドアの隙間から向こうが見えた。人が通るには狭すぎる隙間だが。その向こうは未だ空気がある。水が流れ込んでいるわけではなさそうだ。
ドアを開けられるだろうか。
「にゃぁっ」
多門丸がドア枠に飛び乗った。幼いとは言え猫は猫。敏捷性は人間よりいいらしい。
「よし、お前はこのまま外に出るんだ」
ゆっくりドア枠によじ登ってましろはそう言う。鋼鉄製かと疑いたくなるような重そうなドアは内開きらしい。蝶番は艦首側にあり、ましろから見ると上にあたる。その配置では手前にに跳ね上げるようにドアを開ける必要がある。
「……開けられるかな」
まともな足場がない状況で踏ん張って開けなければならない。自分の体も支えなければならないとなると、右手一本でこのドアを跳ね上げ、人ひとり通過できる隙間を確保しなければならない。
「難易度トリプルエーってところかな。ほら、多門丸、先に行ってくれないとドアが開けられないだろう」
じっと見つめてくる多門丸をドアの隙間から外に押し出す。不安そうな表情をしたが、それでも仕方がない。ドアが開けるのにそこいられたら邪魔なのだ。
「大丈夫、私に運はないが、力はあるんだ」
こんな冗談が通じるのかわからないが言って笑って見せる。多門丸は押し出すましろの手を軽く舐めてから渋々といった雰囲気で外に出ていく。
「とりあえず、要救助者の脱出支援は出来たかな」
そう嘯く。ブルーマーメイドとしての役割を少しは果たせたと自らを奮い立たせる。
ドア枠に足をかけ、右手でドアのハンドルを握る。足と腰の筋肉でドアを引き上げるような形をとる。
ましろは、この世界には八百万の神がいるとは聞くが、誰一人として見向きもしないんじゃないかというぐらいついてない人生を送ってきたと自負している。
「私はついてない。ついてないが……」
だからこそましろは、そのハードラックを自らの力をもって振り払ってきた。そうでなければ、とっくに墓の下になっていてもおかしくないほどについてない。
「それを乗り越えられないほど、弱くはないぞ」
ハンドルが『開』の位置にあることを確認。改めて体重をかけられることを確認。
「動け――――――っ!」
叫びながら全身に力をかける。びくともしないハンドルを手前に引き上げるように全力で引っ張る。
傷が痛い。頭だってクラクラする。それでもあきらめるわけにはいかなかった。
もし本当に八百万の神がいるというのなら。
「一度くらい微笑んで見せろ―――――――っ!」
ドアがミシリと音を立てた、いけるか。両手でハンドルを掴んで、全力で引き上げる。―――――その、刹那だった。
「っ!」
船が大きく揺れた。何かがぶつかるような音を聞きながらましろはハンドルから外れた手を絶望的な気持ちで見ていた。船の振動に血や汗で濡れた手は耐えられなかったのだ。足元の海面に向け、身体が落ちていく。
一瞬の浮遊感の後、落水。すぐに起動しっぱなしの救命胴衣がましろの体を持ち上げた。
「……ついてない」
傷に沁みる海水に目を顰めながら、ましろは出口を見上げた。水の勢いは一気に増している。それでも、まだチャンスはあるはずだ。
「諦めるな、宗谷ましろ!」
この部屋が水没するまで、あと数分。タイムリミットが迫っていた。
救命胴衣の位置表示灯が照らす中、ましろは意を決して壁際に向けて泳いだ。
†
《副長の
納沙幸子の叫ぶような声が無線越しに聞こえる。ほぼ同時に柳の視界にもその情報が共有された。
「艦内図と照合! どこだ!」
《第一空調管理区画です! 急いでください! 位置的にはもう浸水していてもおかしくない位置です!》
柳は真っ暗闇の壁を走る。ブロックでいうと二ブロック右舷寄り、四ブロックも後方――――ましろの反応をロストした場所から大分離れている。
《三メートル前方に通路、そこを下ってください》
インカムから流れる声を聞く。幸子と異なり、落ち着いた声。僅かに耳に残る高音の声は岬明乃艦長のものだ。
「全く、大した精度だ」
そう言って柳はどこか苦い笑みを浮かべていた。まるで人が変わったように、感情の落ちた声。
《入り口から2メートル下、左舷側の壁に固定されたゴミ箱があるはずです。それを足場に下れます。第03ブロック脇に横道あり、そこに行けますか?》
行けますかではなくて行けだろう、と突っ込むのはやめた。助けたいのは同じだ。無駄な口論にエネルギーを裂くのは悪手だろう。
「まったく、無茶な道筋を通してくれるなっ……と!」
柳は肩にかけたショットガンのスリングを掴んで振られないようにしながら奈落のような横道に飛び込んだ。明乃の言った通りに金属製のゴミ箱が残っていた。その横腹を蹴るように制動。右舷側の横道を目視し、そこに向けて飛び込む。赤外線カメラの画像をリアルタイムでオーバレイできなければこんな芸当はできない。
《次の角は飛び越えて突き当たりまで行ってください。角の先3メートルに扉、注意してください》
明乃の言葉を信じて前に飛ぶ。足元にある空間を飛び越え、反対の角に着地、膝のクッションをつかって衝撃を吸収。その溜めた勢いで前に飛び出していく。
《角の先の水面近くのドアが第一空調管理区画です》
「了解」
足元のドアを飛び越え普段ならT字の角、今は足元に向かって真っ逆さまに開いた落とし穴を見下ろす。底が見えない。
「降下距離は?」
《12メートルです》
「ビル四階分か。外は完全に水面下だな」
柳はそのまま周囲を見回す。
「K293配管の種別は?」
《電装用の配線をまとめたパイプでい。感電するかもしれねぇから隣の太い配管を使ってくれい! 送気配管だ!》
柳原麻侖の声。柳は無線を一瞬オンオフしてそのノイズで了承を伝える。背負ってきていたロープをそこにかけて固定、エイト環……降下器を取り付ける。真下までロープを投げ落とし、態勢を確保する。
「降下開始」
だれに言うでもなく無線に状況を報告し、壁を蹴るようにして降りていく。水が流れ込むような音が足元から響く。
間に合ってくれと願いながら降下を続ける。その耳に声のような何かが届く。
「猫……?」
赤外線カメラの感度を上げる。どこかに繋がるドアの前でカリカリと何かを引っ掻きながら鳴いている子猫の姿が映った。
「こちら柳。第一空調管理区画の前で子猫を発見。ドアを引っ掻いている」
《おそらくその子が多門丸です。しろちゃんが発見した子猫です》
「ってことはこの中か」
一気にロープを繰りだし、そのドアの横に立つ。多門丸と思しき子猫が柳を見上げて鳴いた。
「猫スケ、よくやった。勲功賞ものだな」
平たいロープを輪にしたようなスリングをその子猫にかけてカラビナで固定。勝手に抜け落ちないようにすると、柳は自分の腰にその子を吊り下げた。どこか不満げに鳴く子猫に軽く笑みをこぼす。
「ここから先はプロに任せろ、猫スケ。――――副長! 聞こえるか!」
ドアの向こうに、叫ぶ。
†
『――――副長! 聞こえるか!』
いきなり飛んできた人の声に、ましろは反射的に叫び返した。もう少しで目の前にドアがやってくる。正直信じられないようなタイミングだ。
「柳教官!?」
『ドアの前から離れろ! 扉抜くぞ!』
そう叫び返されるや否や、ものすごい音が二回、響く。まるで銃を発砲したような音だ。視界の先で蝶番が弾け飛ぶ。
『副長! ドアの近くにいるか!?』
「も、もう手が届きます!」
『なら押せ! ドア押せ!』
柳の指示に合わせてドアの方に寄る。そのままドアに体重をかけるようにしてもたれかかる。そのままグッとドアを押し込む。
ドアはゆっくりと外側に倒れるように傾いていく。それをましろはどこか奇妙に感じていた。うち開きのはずのドアが外側に開くのか。
支えを失ったようにドアが一気に外側に倒れ、消えていく。ドアに体重をかけていてバランスを崩したましろを、がっちりとした腕が支えた。
「無事か、副長?」
「柳教官、なんで……?」
「部下を助けるのに理由が必要か? ――――こちら柳、見ての通りだ。副長と合流。出血はあるものの意識明瞭、トリアージはグリーンタッグ。これより離脱する」
柳はそう言うと何かを取り出して、ましろの耳に当てがった。
《しろちゃん……! 大丈夫?》
「こちら宗谷、大丈夫です。無事です」
《よかっ……ほんっ、ほんとにっ! よかっ……!》
「艦長に感謝だな。岬艦長がこの暗闇でナビゲートを担当してくれたんだが、とんでもなく危険なライン取りのおかげで助かったんだ。……で、艦長。泣くにはまだ早い。まだこっちは船内だ。とりあえず来た道を戻るぞ」
《了解っ……ですっ!》
涙をぬぐうような間が開いて、指示が続けて飛んだ。
《一番上まで上がってください。前方の錨鎖室のハッチまで誘導します。そこからなら安全にスキッパーで回収できます》
「了解だ。通信終わり」
柳はましろに手早くスリングをかけた、カラビナを使ってそれをロープに繋ぎ、柳は彼女を抱え込む。お姫様抱っこのような姿勢に、ましろは慌てた。
「ちょ、柳教官!?」
「暴れるな。落下したいか?」
柳に脅されるようにそう言われ、素直にされるがままになる。壁に足をつけ、柳はロープにかけたカラビナを滑り止めのように使いながらゆっくりと壁を昇っていく。
「……無事でなによりだ、副長」
「柳教官、どうして助けに来たんですか。船が裂けた時は後部区画にいたはずじゃ……」
「くどいぞ。助けられる可能性があるなら助けたほうが今後の可能性が広がる。それだけだ」
どこか拗ねたような言いぐさにましろは僅かに笑った。
「教官も艦長のこと笑えませんね」
「副長もフリーデブルクと同じことをいうのか」
柳は悔しさをにじませながらそう言って、ゆっくりと壁を進む。
「トップが助けに来てどうするんですか」
「あのチームで懸垂降下ができる人がどれだけいると思う?」
「結果論ですよね、それ」
「うるさい」
柳がそう言ったタイミングで横道の壁に下ろされる。壁際に座り込んだましろを尻目に柳はロープからカラビナを外し回収すると、ずっと腰に吊り下げられたままの多門丸を外した。
「ほれ、副長。お前のほうがいいとよ」
多門丸はましろの方に駆けよるとそのまま肩に乗るように飛びかかった。
「うわっ……!」
「その猫スケがドアを必死に引っ掻いてたぞ。よっぽど気に入られたらしいな」
「えっとさっきのドアって……?」
「セーフティスラッグで蝶番壊した」
そう言うと柳は担いだショットガンを揺らした。
セーフティスラッグといえば、ドアブリーチ等で使う専用の弾薬だったはずだ。アルミの粉末を固めて、跳弾を発生させない特殊な弾頭を打ち出す、ショットガン用の弾薬だ。
「これも結果論だが、
柳はそう言ってから、ましろの方に手を伸ばした。
「沈没まで時間がない。立てるか」
「はい」
彼の手を取ろうとした、その刹那。
「にゃっ!」
「多門丸!?」
ましろの肩から飛び降りた多門丸は、廊下の奥の暗闇を睨んだ。全身の毛を逆立たせた、威嚇の姿勢。その先で何かが動く気配がした。柳がとっさにライフルに手を回した。
「……やっと真打登場か」
「え……?」
柳は左手に持ったフラッシュライトを点灯させた。あまりの光量の差にましろはとっさに目を隠す。パチンという音は、ショットガンのアタッチメントにフラッシュライトを固定した音か。
チチッ。
その光から逃げるように、ネズミが走る。それを追うように柳はショットガンを滑らせていく。
そして銃口が、その影を捕らえた。
その影は、長い髪をしていた。LEDの青い光の中でもわかる濡れ羽黒と言って差し支えないほどのきれいな黒髪だ。
その影は、整った服装をしていた。まるで商談にでも行くのかと思えるほどかっちりとまとめたビジネススーツを着ていた。
その影が、フラッシュライトの灯りの中で笑った。手に持っていた何かを仕舞い、柳たちの方に向き合った。
「無事脱出できたようで何より、しろちゃん。生還おめでとう」
そう言う声は落ち着いたアルト。滑り込んでくる声は優しく、心地よい響きをもっている。あまりに滑らかな声にましろは危機感を覚えた。あまりに、違和感がなさすぎる。そこにいるのがあまりに自然過ぎて、それが警鐘を鳴らすのだ。
「――――精霊は現れ給えり、とでも言えばいいかな。久しぶりね、今は何て呼べばいいかしら? 柳昂三三等海上安全整備監? それとも、昔みたいに、コウちゃん?」
微笑みを湛えたその影を睨んで、柳はショットガンをぴたりと彼女に向けていた。
「会いたかったぜとでも返せばいいのか、北条」
問いを問で返され、その影――――北条沙苗は笑みを深めるのだった。
……いかがでしたでしょうか?
話が延々として進まないんですがなんとか投稿です。なぜかこの作品が『シリアス・フリート』と命名されたことに戸惑いを隠せないキュムラスです。ごめんなさい嘘です。確かにシリアスっすね、はい。
とりあえずですが、次回は限りなくきな臭い話になりそうです。
やっと今回書きたかった所に入れる……!
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次回:虚構の真実 真実の虚構
それでは次回もどうぞよろしくお願いいたします。