ハイスクール・フリート・プラスワン・アンド・アザー   作:オーバードライヴ

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……とりあえず、真冬さんごめんなさい。


QRD / 何処に向かい、何処から来たのか
歴史は想起し意味を成す


 

 

 

 晴風艦橋にやってきた宗谷真冬が柳を見て開口一番こう言った。

 

「寝ろ」

「藪から棒にいきなりなんだ」

 

 艦橋で納紗幸子からの報告を受けていた柳は呆れた声を返した。ふつうの眼鏡のような見た目のインフォメーション・イルミネーターのレンズ越しに光る彼の目はどこか疲れ切っているように見える。

 

 クルー数名が死にかけた新橋商店街船緊急救難任務から晴風ほか第一特務艦艇群が解放されたのは、パラオ米国信託統治領、マラカウ島にあるコロール国際ターミナル港で事故海域を活動エリアとする正規のブルーマーメイド部隊に業務引継ぎを行った後であり、既に夜がすっかり明けてしまってからだった。

 

「柳の旦那、そんな状況でまともな指揮が執れるわけないだろう。寝ろ」

 

 柳は胡乱な目をしたままそれを受ける。風邪を引かないように服装だけは着替えているが汗や海水でドロドロのまま第一種制服を着た柳は気だるげに口を開いた。

 

「まずは挨拶なり労いの言葉なりをクルーにかけるのが先ではないのか、宗谷第一分隊長……失礼、宗谷艦長だな。宗谷ましろ晴風副長と混同しかねんから真冬艦長か」

「おうおう、ユニットリーダーが偉い口をきくじゃねぇか」

「今は階級も同じ3監だし、私の方が役職は上、しかも年上。それにフランクに話せと言っていたのはあなたが先だ、真冬艦長」

「ちっ……もう顎で使えるのは終わりか」

「コスプレチックな改造外套で闊歩する航海長の機嫌取りをしなくて済むと思うと楽だな」

 

 そう言って柳が肩を竦める。そのやり取りを見て頭を抱えている宗谷ましろの袖を岬明乃がちょいちょいと引っ張った。

 

「えっと……あの人って……」

「宗谷一家ではバカ担当、私のすぐ上の姉だ」

「しろ、なんだその雑な紹介は」

 

 その扱いに不満なのか、腰に手を当ててましろの方をみる真冬。その動きで正式装備の正装用外套にしては丈の短いマントが翻る。それを目で追おうとした知床鈴のツインテールがさらりと揺れる。

 

「それに私は馬鹿じゃねぇ、思い切りがいいだけだろう」

「浅慮な行動を慎んでくれって言ってるんです、真冬艦長」

「おうおうおうおう、もう『ふーおねえたーん!』とは呼んでくれないのか? しろ?」

「いつの話ですか!」

 

 姉妹喧嘩の様相を成し始めたので柳が早々に場を畳んだ。手を合わせパンパンと乾いた音を立てた。

 

「喧嘩ならよそでやってくれ。とりあえずは知らない人も多いから紹介しとこう。本日付けで第一特務艦艇群に組み込まれる高速航洋艦『弁天』艦長の宗谷真冬三等海上安全整備監だ。本特務艦艇群の副司令を兼任してくださることになる」

「よろしくな!」

 

 そういうと真冬はラフに敬礼。それを見た晴風クルーが答礼の姿勢を取った。一歩前に出て真冬の前に立ったのは明乃だ。

 

「晴風艦長の岬明乃一等海上安全整備士です。よろしくお願いいたします」

「柳3監としろを助ける作戦を思いついたのは君なんだって? 岬艦長」

「えっと……考えただけで、皆に丸投げしちゃいましたけど……一応は」

「真冬3監からも一言釘を刺しといてくれ、毎度細いロープの上を全力疾走状態だ。このままじゃいくつ命があっても足りない」

 

 柳の身も蓋もない言い草に真冬が噴き出した。

 

「ま、あたしからしたらよくできた作戦だと思うし、それぐらい勢いがあったほうが好きだから言えることはないね。それにあんたが言うかい、旦那」

「知るか。自殺志望者まがいの救助法をぽんぽん実施するのはいただけないだろう」

「そんなに拗ねんなよー」

 

 完全にからかうようなテンションだが、柳は肩を竦めるだけにとどめた。

 

「えっと……真冬艦長は、柳教官とは……」

 

 その様子に違和を覚えたのか、納紗幸子が手を上げて発言した。納沙の方をくるりと向いて真冬は笑う。体ごとクルクル動くため、マントが風をはらんで膨らんだ。

 

「柳の旦那とは元々同じ釜の飯を喰らった間柄だ。『羅漢』に乗っていたころにあたしは1正で航海長、柳の旦那は2正で太平洋法執行グループ(P a c - L E G)対テロ即応ユニット(C T R U)ユニット長。艦内業務では旦那も航海科だから一応上司部下でいいのか?」

 

 羅漢といえば、弁天型高速航洋艦の3番艦だ。警備特化指定艦船で警備や哨戒に優先的に投入されることになっているのは、ブルーマーメイドなら周知の事実だ。実際にそこに配属される人員は、実働経験豊富な先任士官を中心に能力が高い人員が結集させられている。その船で役職付きとして乗っていただけで、若い隊員から見れば尊敬に値するのである。

 

 ましろちゃんのお姉さんって、すごい人多いんだ。と明乃は素直に感心するが、その視線の前では、柳がめんどくさそうに髪を掻きむしっていた。手と髪の隙間から覗く、左の眉の上を覆うガーゼが痛々しい。

 

「何度私がセクハラまがいの根性注入の儀式を止めた? 男性職員(ドルフィンズ)の精神力が毎回ガリガリ削られて、何度こっちの部下から陳情申し入れがあったと思ってやがる」

「なんだー、野郎には眼福だったろー?」

「ふざけんな。百戦錬磨の前衛突入員(ポイントマン)がマジ泣きしながら『航海科(だいに)から主計科(だいよん)に移らせてください何でもしますから』と泣きつかれるこっちの身にもなれ」

「ん? 今なんでもするって」

「やかましい」

 

 柳は悪ノリを続けようとする真冬を一刀両断してから、盛大に溜息をついた。

 

「で、わざわざ艦橋まで押し掛けた理由は? 小会議室の用意を断ってまで艦橋に来たんだ。何か理由があるんだろう?」

「まーねー。晴風の様子見と岬艦長がどんな子かなぁというのを見たかっただけだから、会議するまでもないかーと思ったけど、気が変わった。まず柳の旦那、お前は寝ろ。そんな覇気のない顔してたら隊内の士気が下がる。寝ろ。まず寝ろ。9時間以上寝ろ。現時点をもって第一特務艦艇群の指揮を預かる。第一特務艦艇群副司令として旦那が9時間の連続睡眠をとるまで旦那の指示を聞くつもりはない。寝ろ」

「……横暴すぎるだろう」

 

 柳の呆れた声を真冬は鼻で笑った。

 

「それぐらいひどい顔をしてるってこった。どうせあれだろう、平時からずっとナイトシフト組みっぱなし。昼間も執務室で仮眠とか言いながら書類したり部下の報告聞いたりしてるんだろう? 休息が全くもってたりてない顔をしてるぞ」

 

 そう言われれば、柳は黙り込んだ。計器盤に寄り掛かるようにしながら、柳は不満げだ。追い打ちをかけるように真冬は続けた。

 

「不眠不休で見張りや監視を強いられるテロリストグループにあたしたちが勝つには体力と数しかない。英国警察(スコットランドヤード)のC11マニュアルにもある。捜査官は8時間以上眠ることを義務とする」

「私は誘拐事件専任(C 1 1 課)の刑事でもなければ、誘拐交渉人(キッドナップ・ネゴシエーター)でもないぞ」

「屁理屈はいい。だが旦那、万全の体制じゃなくても片手間に片付けられる相手なのか? 相手は暴力と火薬のプロだ。武蔵という凶器(オモチャ)を手にしたプロだ」

 

 真冬の声のテンションが一気に変わる。一気に空気がギンと張った。

 

「まだ相手の目標地点も見えていない。ブルーマーメイドの内部にテロリストグループがどこまで浸透しているかもわからない。いつだって後手後手に回らなければならないから場所も選べない。情報、火力、地勢……すべてにおいて向こうが勝っているってことを旦那がわからないはずがない。その状況で相手に勝れるのは物量と体力だけだろう」

「――――わかったわかった。横暴艦長。俺の負けだ」

 

 柳がうるさそうにそう言って手を振った。

 

「艦隊指揮を預ける。状況が変わったら起こせ。あと9時間で起きてこなかったら起こせよ」

「起きてこなければ根性注入してやるよ」

「やかましい」

 

 真冬のその返答に柳は不満げな表情をしたが、それ以上は何も言わずに去っていく。

 

「……ったく。世話の焼けるやつだ」

「真冬姉さんがそれをいいますか……」

「なんだ、さっきから溜息ばっかり」

「誰のせいですか……」

 

 それに真冬はケラケラ笑うだけで返し、他の面々を見回す。

 

「お前らも休んどけ、緊急出港になる可能性もあるが、最低限の当直を残しておけばいい、最悪弁天が先行できるからな。特に岬艦長とましろ副長、柳の旦那ほどではないが顔色が悪い。岬艦長は心労だろうし、しろ、お前はどう考えても失血と脱出時の身体ダメージが残ってる。お前らも寝とけ。しろは寝る前にもう一度医務長に診てもらえ。必要なら点滴打ってもらうなりなんなり対策をしろ」

「え……その間の指揮は……」

 

 明乃の声に真冬はニカリと笑った。

 

「弁天の方は向こうの副長に任せてあるし、あたしが船に残る。旦那が起きて来たら作戦会議もしなきゃいけないからな。その間くらいあたしが船を見るさ。それに……」

「それに……?」

「あたしが学生時代は晴風に乗ってたんだ。勝手は知ってる」

 

 そう言って真冬がウィンク。ましろはどこか戸惑ったような表情を浮かべた。

 

「晴風だったんですか……?」

「元晴風航海長。ってか、しろ、話してなかったか?」

「聞いてないです……」

「まぁ、学校出てからは一切家には戻ってないからなー、しゃぁないか。……こっちで補給はしておく、勝手は主計長に聞けばいいだろ?」

「それは……そうですけど……」

 

 それでも明乃はどこか戸惑ったような表情を向けた。経験豊富な上官の指示とはいえ抜けるのはどこか気が引けるのだ。

 

「戦闘中に倒れるよりは今休んどいたほうがいい……そうだ、では岬艦長に任を与える」

「は、はい!」

 

 いきなり声色を変えてきた真冬に明乃は慌てて背筋を伸ばす。

 

「柳3監の監視を命じる。あの野郎絶対執務室で報告書の作成やらなんやらする気だ。ちゃんと寝付くまで仕事をしないように見張ってろ」

「えっと……柳教官ってそこまで……?」

「行動見てて仕事をせずに寝るって信頼あるか?」

 

 そう言われると皆首をかしげる。真っ先に口を開いたのは幸子だ。

 

「た、確かに……柳教官、お休み中に無線通信かけても大抵2コール以内で出ますよね」

「ドアをノックしても、大抵すぐ反応あるような……」

 

 鈴が同意したのを受けて真冬が頷いた。

 

「だろう、旦那はいっつもそうだ。何かあると他人がやるよりも自分がやったほうが早いからってやっちゃう。だからあれだけボロボロになるわけだ。だからみんながしっかり見てあげないと」

「……」

 

 そう言われ、明乃の視線は僅かに視線が落ちた。

 

 自分のことで精一杯だったが、それを繋いているのは柳だ。その柳に頼り切っていなかったかと思う。いつだって柳は背中を見せていて、それについて行けばいいと思っているところはなかったか。

 

「……ま、とりあえずは柳の旦那を今日一杯は休ませてやりな」

 

 明乃はその言葉とともに頭の上に置かれた何かを手に取った。袋に入ったそれを見て明乃が首をかしげる。

 

「……ジャージ?」

「たった2週間半といえばそこまでだが、ずっと心身削ってやってたんだ。制服のまま倒れ込んでいてもおかしくない。せっかくの第一種制服をしわにするわけにもいかないからな。差し入れとけ」

「はぁ……」

 

 男物のジャージは安全監督隊指定のものだ。どうやら弁天に積んであった備品らしいが、柳に持っていけということだろう。

 

「わかりました。差し入れておきます」

「うん。じゃ、行ってこい。しろもシフトは終了、さっさと寝ろ」

 

 しっしっ、手で追い払われるような形で外に出される明乃とましろ。艦橋に残されたのは宗谷真冬と鈴、幸子の三人だ。

 

「んじゃ、よろしく頼むよ当直諸君。必要なら弁天の方から応援を呼ぶから」

「はい」

「よろしくお願いいたします」

「とりあえずは主計長と補給の算段からだな。うっし。頑張ってこう」

 

 戦いでも始めるのかというような形相で拳を鳴らす真冬に、幸子と鈴はどこか乾いた笑みを浮かべ、顔を見合わせるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

    †

 

 

 

 

 

 

 

「えっと、入りますね……?」

 

 明乃は教官執務室のドアをそっと開ける。ノックをしても返事がなく、鍵が開いているのだからそっとドアを開けた。そろりと中を覗き込む。

 

「柳教官!?」

 

 床に突っ伏している柳を見て、部屋に慌てて飛び込んだ。制服も着の身着のまま、床に崩れ落ちたような姿勢だ。電気のついていない薄暗い部屋のせいか、その顔は暗く沈んで見えた。

 

「柳教官! 大丈夫ですかっ?」

 

 顔を横に向けて回復体位を取らせ、気道を確保。同時に首筋に手を当てて脈をとりつつ耳を柳の口元に寄せた。中学で習った応急研修がこんなところで役立つとは思っていなかったが、真面目に受けていた昔の自分に感謝する。考えるより早く体が動く。

 

「柳、教官……?」

 

 耳に生暖かい彼の息がかかる。呼吸脈拍共に正常、体温の過度の上昇や低下も認められない。息は深く、外傷があるような苦しそうな顔も、けいれんもない。チアノーゼのような症状もない。これは即ち。

 

「寝てるだけ……? はぁぁ、びっくりしたぁ……」

 

 大袈裟でもなんでもなく盛大に溜息が漏れる。人騒がせなと思うと同時に、ここまで疲弊しているのを彼は押し隠してきたのかと心が痛くなる。

 

「……。」

 

 まじまじと彼の様子を見やる。よく見るとひどい状況だ。救助者がいるのに、民間人より風呂に先に入る救助員がいるかと言い、収容した民間人の入浴希望者を優先したため未だ風呂には入れず、黒い髪も顔をドロドロだった。オイル交じりの海水に潜ったこともあり、不均等に束になった髪はギチギチになっている。中途半端に伸びた無精髭も相まってどこか……否、かなりやつれて見える。

 

 汚れに汚れた突入服……正確には第三種作業服なのだが……はとっくに洗濯機行きになっているが、代わりに着てきたワイシャツにネクタイに黒いジャケットという第一種制服は几帳面にアイロンがかけられているのがわかる。小奇麗なその服が今の彼にはなんともミスマッチだった。

 

「教官……」

 

 泥のように眠る彼の深い寝息が響く。それに合わせて柳の胸が上下する。重力に引かれて流れた髪の隙間からガーゼが見える。鏑木美波医務長曰く、2針ほど縫うほどの怪我だったらしい。傷口が開いて出血が止まっていない状況下、商店街船から漏れた排水やらガソリンやら化学薬品やらが溶け込んだ海に飛び込んだため、感染症の可能性もあるということで抗生物質てんこ盛りになったらしい。

 

「どうして、そこまで頑張れるんですか……?」

 

 小さな疑問が浮かんで口にするが、彼は答えない。

 

 明乃は航洋艦長とはいえ、艦艇への乗務経験はまだ半月と少しにすぎない。それに比べて柳はもう何年も……話を聞く限りでは最低でも5年以上は船の上での経験を積んでいる。頭ごなしに否定する事もできるはずだ。柳は上官、明乃は部下。それでも彼は、明乃を信じて彼女の指示通り動いた。それが結果的にましろを救うことに繋がったとはいえ、あの場で柳は無理だと言う事もできたはずなのだ。

 

 それでも彼はそう言わず、文字通りの命がけの状況に身を投じ、明乃の指示を正確にこなし続けた。その結果、縫合が必要な傷を負っても、ベッドに行きつくことすらできないほどに疲弊して気絶することになっても、彼は明乃の指示に従ったのだ。

 

 それがどれだけすごいことなのか、明乃は理解していた。文字通り命を預けたのだ。高々齢十五の少女を認め、信頼し、自らの命を投げ打ったのだ。岬明乃になら命を懸けてもいいと、これで死んでも仕方がないと、そう考えたのだ。上官の命令でも、勤続経験の差でもなく、明乃の指示に従うことがこの場では最善だと柳が判断した。その事実が、明乃の胸を押しつぶす。

 

 自分の一言一言が、誰かを殺す引き金になり得る。常に最善を選択し続けなければならない。それがこんなにも重いのかと思い知る。明乃の指示に、晴風32人の命がかかる。

 

 

 それはこういうことだったのだ。明乃の指示ひとつで人は傷つく。最善の結果を残すために、柳はこれだけ傷ついた。明乃の指示で、こうなった。

 

 

「……絶対に、死なせちゃいけない」

 

 今からできることは何だろう、と考える。

 

「と、とりあえず柳教官に着替えてベッドで寝てもらわないと……」

 

 まずは部隊の方針を左右する柳に回復してもらわなければならない。そのためには床でぶっ倒れているよりはベッドに横になってもらった方がいいはずだ。

 

「柳きょうかーん、起きてくださーい。こんなところで寝たら風邪ひいちゃいますよー」

 

 肩をゆさゆさと押してみるが全く反応がない。寝息がなければ普通に死んでいると判断できるぐらい反応がない。

 

「柳教官ー、おーきーてーくーだーさーいー!」

 

 反応なし。明乃は困って周りを見回した。正直に言って、起こすのに使えそうなものは何もない。書類ファイルなどはたくさんあるが、それで叩いたらただの傷害事件だ。横に置いたジャージの入った袋を見て、柳を見る。

 

「……仕方ない、よね?」

 

 柳の肩をもってゆっくりと上体を起こさせる。

 

「重……いっ!」

 

 どれだけ筋肉がついているのか知らないが、上体を起こしてベッドの縁にもたれさせるだけで重労働だった。それでも彼は目を覚まさない。首がくたっと前に垂れる。

 

「ジャケットとネクタイだけでも外してあげないと……」

 

 柳のジャケットにそっと手を掛ける。黒の厚手のジャケットの金メッキのボタンを一つずつ外していく。

 

「……外しにくいな、これ」

 

 横から作業すると難しかったので柳の太ももの上を跨ぐようにして前に陣取る。そうすると幾分か作業がしやすくなった。3つボタンのダブルなのでボタンは6つあるが、どうやら内側の3つは飾りボタンらしい。柳を起こさないようにそっと外していく。

 

 改めて見ると彼の胸には沢山のバッジや飾りがついているものだと思う。右胸に輝くK.YANAGI / 3rd Si.と刻印されたネームプレートに、金糸交じりで織られた司令官飾緒が被る。ネームプレートの上についている舵輪に波のマークのバッジは上級航海技能章、横のオールマークは短艇・スキッパー艇長章、さらにその横のライフルを模した金色の細長いバッジは多分選抜射手技能章(マークスマン・バッジ)だ。左胸にもカラフルなリボンのような略綬や小さなバッジが並ぶ。細かいものはわからないが、マークの上に菱形の飾りが乗っているのもあるから、複数回叙勲をうけるような経験をしていることがわかる。何気なく普段見ているが、改めてみると、とんでもない人物の下で働いているのだと思う。

 

 ボタンを全部外すとジャケットが脱げるものだと思ったら、奥にまだボタンがあって驚く。ストラップで襟の形を整えるためのボタンなのだが、明乃が知るはずもなく、怪訝な顔をしながらそれを外す。だらしなく垂れたジャケットから彼の右手をそっと抜く。金モールで描かれた中線三本の三等海上安全整備監を示す階級章が目に入る。いつかはこれと同じような制服を着ることがあるのだろうかと思いながら彼の左手も袖から抜いた。

 

「……あ、手袋」

 

 柳のトレードマークになっている白い手袋(突入時は黒の対刃グローブだったが)が袖を抜くときに引っかかったらしい。床にポトリと落ちた。それを拾って、彼の手にはめ直すべきか、外しておくべきか悩み、彼の素肌を見て――――背筋が凍った。

 

 

「これ……火傷……?」

 

 

 大きく盛り上がった傷痕が左の掌に大きく走っていた。小指や薬指の付け根から手首のきわまで、斑に膨らんでいるのが見える。そっと手を返すと手の甲にも同じような傷が走っているのが見えた。

 

「これを……隠したかったのかな……」

 

 そうならば、これ以上見るのは失礼だ。そっと彼に白い手袋をはめ直す。

 

「……」

 

 それと同時にどこか寂しくなる。ずっと頼ってばっかりだ。目の前で眠っている彼はきっといろいろなものを背負っている。それをずっと隠している。

 

 その背負っているものに、ほぼ間違いなく晴風も入っている。

 

 

 それが、とても、歯痒い。

 

 

「柳教官も……もっと頼ってくれてもいいのに」

 

 当の彼が寝ていることをいいことにそう嘯いて、ジャケットを柳から引き剥がすことに成功した。腰にゴテゴテとついている装備品入れに引っかかったりもたれさせているベッドと彼の体に挟まれたジャケットをどう外すか悩んだりいろいろしたが、なんとか無事に剥せた。明乃たちのセーラー服とはくらべものにならないくらいに重い服。こんなものを毎日着ているのかと思いながら明乃は立ち上がり、壁のハンガーラックに掛かっている裸のハンガーにジャケットをかけた。袖を通してみたい衝動に駆られたが、なんとかそれを押しとどめ、柳の方に向き直る。

 

「……。」

 

 ドキリとしなかったといえば嘘になる。

 

 律儀にワイシャツに階級章入りの肩章がついていて、黒と金のアクセントが光っていた。袖の途中には黒い革製のアームバンドが巻き付いていて、手入れの行き届いた袖口を適正な位置に留めていた。そこからわずかに除く防水クロノグラフの黒い文字盤がわずかに光を反射した。袖口は普通のボタンではなく、海上安全整備局のシンボルが刻まれた銀色のカフリンクスで止めてある。

 

 慌てて首を振る。見とれている場合ではないのだ。

 

「えっと、ネクタイって……ここ、引っ張ればいいんだよね……?」

 

 高そうなネクタイピンを外し、サラサラとした手触りの黒いネクタイを引っ張る。窮屈そうな襟首を軽く押さえてゆっくりとネクタイの結び目を広げていく。ワイシャツの襟の裏を滑る感触を残してするりとネクタイが外れる。シルクらしいネクタイは海洋学校のスカーフとは比べてはいけないほど高級であるのがわかった。どこか羨ましいが、妬んだところで仕様がない。それを横にして、彼の第1ボタンに手を掛ける。

 

 汗のきつい匂い。それと煙草のどこか甘いような燻したような匂いが混じりあっている。いい匂いではないが、どこか懐かしい匂いだった。それがふわりと記憶を引き出す。懐かしい面影が脳裏をよぎった。

 

 

(お父さん……)

 

 

 女性からは決してしない、匂いだ。それは本当に懐かしく、とっさに動きが止まった――――その刹那。

 

 

 明乃の世界が一回転した。状況を理解する前に、背中に衝撃。息が詰まる。誰かに投げられたか跳ね飛ばされた。そう気がつくまでに数瞬の時間が必要だった。放り投げられた先にマットレスがなければもっと痛いことになっていたのだが、そんなことを考える余裕はない。岬の耳を掠めるような形で背中にしたマットレスに大きな手が脅かすように叩きつけられたからだ。その音が耳朶を打つ。

 

「――――動くな(F R I E Z E)! 何をしていた(What are you doin’ now)!?」

 

 恐喝じみた怒声にとっさに体が硬直する。英語で飛び出した警告文にパニックになりながらなんとか相手を見ようとする。視点のピントが合うと同時、目の前に銃を突きつけられていることを知る。近すぎてピントが合わない銃口とその上にある照星越しに見えた絶対零度の目が明乃をその場に磔にした。

 

「ご、ごめんなさい……や、柳教官が……その……!」

 

 震えた声でそういうと、柳の眼の色が()()。慌てて銃口を跳ね上げた。回転式拳銃(リボルバー)のセーフティをかけるのを見て、初めて何とか足りない酸素を吸うことができた。心拍数が一気に上がっていたのを知る。

 

「……悪い」

 

 柳はそう言ってベッドの上から降りる。その動きに抗議するようにギシリとベッドが鳴った。それを無視して腰の後ろのホルスターに拳銃を突っ込んだ柳は本当に辛そうな表情を浮かべていた。

 

「寝ぼけていたにしては冗談が過ぎるな。本当に済まない」

「いえ、こっちも……無理に服を脱がせようとしていたので……」

 

 そういうと柳が怪訝な顔をしてから、手を振った。

 

「悪い、うまく聞こえない。インカムつけるから少し待ってくれ」

 

 そういうと柳はロッカーの前に向かい、艦橋で掛けていた眼鏡を取り出した。柳の両耳の鼓膜が破れているのを思い出す。街中などでも使えるようにとカジュアルな印象のインフォメーション・イルミネーターも用意されていると聞くが、そういう部類のものらしい。

 

「それで、どうした」

「いえ……驚かせてすいませんでした。着替えてもらおうとしただけだったんですが……」

「え? ……あぁ」

 

 柳が呆けたような表情をしてから納得顔に変わった。

 

「風邪を引かないようにとか制服がしわにならないようにとか気にしてくれたんだろうが、自分の性別を考えてくれ、頼むから」

 

 そう言われ、明乃は自分が何をしようとしていたのか初めて冷静に考えることが出来るようになった。

 

 異性の上官の部屋に押しかけ、眠っている異性の服を断りなく脱がせ、着替えさせようとした。あまつさえ相手の上にまたがってボタンを外したり、ネクタイ外したり。

 

 それって、とっても破廉恥に取られてもおかしくないことに今気が付いた。瞬間的に顔が熱くなっているのが自分でもわかる。恥ずかしさで顔を合わせていられない。丁度投げられた先にあった枕に顔をうずめる。これからも汗の匂いがどこかする。

 

「ほんと……ごめんなさい」

「謝るのは私の方だ。寝ぼけて首を絞められていると勘違いしたとはいえ、部下を投げ飛ばしたあげくに銃を突きつけるのはやってはならないことだ。本当に申し訳ない」

 

 柳のそういう声を聴いてそっと枕から顔を上げる。柳は背中を向けて立っていた。ホルスターや手錠入れなど装備品を外し、鍵付きのロッカーに仕舞っているところらしい。

 

「首を絞められるようなことが……あったんですか?」

 

 そっとそう聞いてみる。柳は動きを止めないまま背中越しに声をかけた。

 

「聞きたいか」

「……柳教官が、話してもいいなら」

 

 柳はしばらく黙り込んでいた。カタンと何かを置くような音がした。

 

「……面白い話じゃあない。でも聞きたいんだな?」

「……はい」

 

 脅かすような声だったが明乃はなんとか答えを返した。柳は溜息をついた。

 

「どうせ左手のケロイドも見たんだろう。さすがに話さないのはなしだろう」

「……どうして」

「手袋の表裏が逆だ。外したのか外れたか知らないが、つけ直したんだろう」

 

 柳の苦笑い交じりの声にバツが悪くなる。明乃が謝ろうとする前に柳が口を開いた。

 

「別に怒ってはいないさ。勝手に隠して、勝手に自滅した。ただのくだらない男のプライドとエゴを守るためにつけていた手袋だ。それがばれたところで、それは私だけの問題だ。だから君が気にする必要はない」

 

 そう言って、柳は両手を脇に垂らした。

 

「とりあえず岬艦長は上着とスカート正して座ってくれ。私がブン投げておいてなんだが、野郎の前でしていい格好じゃない」

「ひゃ! ひゃいっ!」

 

 慌てて格好を正す。投げられた勢いのまま捲りあがった上着の裾や乱れたスカートの裾を正し、ベッドの縁に腰掛けた。その気配を確かめてか、柳がそっと振り返った。いつもよりラフな格好の彼は机に寄り掛かると、胸ポケットに入っていた煙草を取り出し、デスク脇の小窓を開けた。

 

「……すまないが、吸いながら話させてもらうよ。そんな崇高なものでも、難しいものでもない。人魚になり損ねた人間の馬鹿話、寓話にするには安すぎる、その程度だ。話半分に聞いてくれ」

 

 小窓から差し込む薄曇りの弱い光が柳の顔に淡い陰影をつける。その顔の前で赤い光が燈る。

 

「……なぁ、岬さん。君はこの海が幸せだと思うか」

 

 紫煙を一つ吸って、開けた小窓から外に煙を吐き捨てて、そう聞いた。

 

「……わかりません。楽しく話している人もいます。泣いてる人もいます。怒っている人も、います。だから、幸せかどうかはわかりません」

 

 素直にそう答えてから、そっと柳の方を見る。

 

「いい答えだ。素直で実直、飾らない答えができる。……その通りだ。正解はわからないでいいんだ。そもそも幸せの定義ができないのに、幸せかどうかなんて考えることはできない。……でも、私はこの海は、正確にはアジア太平洋地域に暮らす人々は幸せだとは考えていない」

「なぜ……ですか……?」

 

 柳はアルミの灰皿に灰を落としながら答える。

 

「少しばかり社会科の話をしよう。東アジア・東南アジアの国々は、未だ西欧列強の支配下にある。自治国、信託統治領、委任統治領……名前こそ変わっているが、西洋列強の帝国主義に飲まれたままの植民地だ。ドイツ・フランス・イギリス……このパラオはアメリカか。遠く離れた国々を潤すための安価な労働力、資源の提供元として使い潰され続けている。……1世紀以上前から、ずっとね」

 

 いきなり話題が飛んでいるように見えて、明乃は言葉を紡げない。

 

「それが表在化したのが、1941年12月から始まった第二次アジア海上危機だ。列強が抱える東南アジアの植民地が一斉に独立を宣言。クーデターに継ぐクーデターが続いた。それを日本国は容認したことから、西欧の列強連合国軍に挑む被支配地域の義勇兵と日本国軍という形構図で、抗争が開始された。結果は知っての通り、西欧各国の圧勝で終わった。すくなくとも表向きは、ね」

 

 柳はそれを鼻で笑って、煙草を口に運んだ。

 

「それからずっと東南アジアは常に火種が燻る火薬庫だった。列強同士のイニシアティブ争奪戦に巻き込まれ、資本主義と共産主義の思想戦争に巻き込まれ、民族自決の旗の下、民族紛争が起こっては消える」

 

 太陽に雲がかかったのか、部屋が一気に暗くなった。灰で汚れた煙草の火がやけに輝いて見える。

 

「20世紀は戦争の世紀だ。そして21世紀に移った今でも、それから70年以上が経った今でも……戦争はまだ終わっていない。表面化しないだけで、今も続いている。毎日、何千人という人が戦い、傷ついて、死んでいく」

 

 そう言って柳は大きく煙を吸って、吐いた。煙草を咥え、柳は右手で、左手の掌を撫ぜる。

 

「……俺が国交省から出向になったのは7年前の10月、翌年の4月には太平洋法執行グループに配属された。大学で射撃をやっていてね、それを見込まれての配属だった。それ以来、邦人が巻き込まれた事件や、諸外国から協力要請がある度に出動した」

 

 柳はそう言って目を伏せて、煙草の灰を落とした。

 

 

 

 

「……ひどい、ひどいもんだった」

 

 

 

 

 柳は訥々と語り始めた。

 

 





……いかがでしたでしょうか?

シリアスが続いたから息抜きしようとした結果がこれだよ! 1万2千字近くかけて何やってんだよ状態です。もし、柳さん起きなかったら……どこまでミケちゃんやるつもりだったのか、気になることろです。

息抜き回をちょっと続ける気が次回もシリアスだよ!
次回は柳さんの昔語りになりそうです。そろそろ陸の方の話も進めたいですし、かなり忙しくなりそうです。

今回で出てきた植民地云々に違和を覚える方もいらっしゃるかもしれません。この世界観では大国は海外領土や植民地を抱え込んでいます。帝国主義のような思想も残っている世界観で考えています。
はいふりの世界観では、現実の日露戦争以降の戦争は基本的に「存在していない」ことになっていると解釈しています。従って二度にわたる世界大戦もない状況です(もっとも、何度も軍事衝突は起こっていますが、植民地が本国に対して蜂起するという形が多いため、内乱や騒乱であって国家間で行われる戦争ではないのです)。従って国際連盟も国際連合も存在しません。帝国主義も残っています。ですからアニメ原作でアドミラルシュペーがゼ―アドラー基地(パプアニューギニアに実在)で補給を受けたりしてますが、あそこは実質的なドイツ領である植民地である可能性が高いと判断しました。

かなり横暴な解釈ですが、ご理解いただけると幸いです。

――――
次回 例えそれが泥のような想いだとしても
それでは次回もどうぞよろしくお願いいたします。
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