ハイスクール・フリート・プラスワン・アンド・アザー   作:オーバードライヴ

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朝焼け照らす希望の海原

 

「艦長……」

 

 右舷の見張台に出ていた影に声をかけた。薄明るい海はやっと水平線を明らかにし、その白波を照らそうとしていた。航海薄明と呼ぶにはもう遅く、市民薄明にはまだ早い刻限。彼は誰(かはたれ)時の空の色は星灯りを仕舞い込み、青い灰色で覆い隠そうとしていた。

 

「シロちゃんも早いね。もしかして起こしちゃった?」

 

 振り返った影も宗谷ましろと同じく既に制服姿だった。やっぱりここにいたかと、ましろは溜息を押しとどめ口を開く。

 

「起きたら艦長がいないので何があったのかと」

「あはは、ごめんごめん。シロちゃんがあんまり幸せそうに寝てるから」

 

 見張台は露天だ。夜風が寝起きの体の熱を奪っていく。五月の西太平洋は肌寒い。赤道付近から移動してきたんだと文字通り肌で感じる。薄いブランケットを持ってきていて正解だった。岬明乃艦長の半袖の制服じゃ少し寒いだろう。その肩にブランケットをかけながら、ましろは口を開く。

 

「……眠れなかったんですか?」

「というよりは、目が覚めちゃったから」

 

 明乃はニューギニア島での尋問から帰ってきてから一人で眠れなくなった。一人で寝ているとその時の記憶が襲い掛かってくるのだという。だから、夜な夜なましろの部屋にやってきては、狭い備え付けのベッドで肩を寄せて寝るのがここ数日で日課になりつつある。シフト管理などを行っている納紗幸子と等松美海に相談したら二つ返事で明乃とましろのシフトを合わせてくれたあたり、晴風クルーには感謝しかない。

 

 明乃は夢の中で誰かに謝っているのか、ごめんなさいと何度も呟きながらましろの手を弱く握る。ましろにとっては彼女をそっと抱きしめて、大丈夫です、謝らなくていいんですと言い続けるしかできない。それがとても歯痒いが、それで彼女が軽くなれるなら、文句を言うべきじゃないだろう。

 

「……帰ってきたね」

「はい」

 

 明乃がかけてもらったブランケットを握りこんでそういった。ましろも頷く。晴風はすでに小笠原諸島をたどるようにしてあと数時間で大島がもうすぐ見えようかという位置まで戻ってきていた。そして武蔵もまた日本へと向かっていることを、海上安全整備局富士望遠レーダー施設が告げていた。

 

「……艦長」

「なに?」

「禾生校長と、何があったんですか?」

 

 それを言うと明乃は僅かに目を伏せた。

 

「あの後から変ですよ。……無理して、ないですか?」

「大丈夫、無理な時は、無理って言うから」

 

 そう言って明乃はどこか儚く笑う。……それはどこか、笑わなきゃいけないから笑っているような笑みだ。

 

「嘘じゃないですね?」

「うん」

 

 即答されては言葉を継げない。

 

 無理じゃないはずがないのだ。

 

 明乃は無理をしている。武蔵の()()作戦への参加を前に、心穏やかでいられるはずがないのである。今回の作戦であるヘーラーの栄光作戦(オペレーション・ハーキュリーズ)、このヘラクレスの名を冠する作戦の目的は単純だ。東京海上都市に接近しつつある武蔵を無力化すること。そのための作戦であり、武蔵の乗員救出は二の次とならざるを得ない状況にある。

 

 そしてさらにまずいのが、北条沙苗の国際テロリストとしての指名手配措置がかかったこと、武蔵の反乱艦扱いが確定していることだ。最悪の場合には射殺許可が下りる可能性が高い。必要であれば武蔵学生クルーについても射殺許可が出るだろう。生徒31人と東京海上都市1200万人の命を天秤にかければどちらを優先すべきかは明らかだ。海上安全整備局は学生射殺で上層部はおそらく組織の首を絞めることになっても、それを成す。それだけの危機に発展しているのだ。

 

「大丈夫だよ、シロちゃん。私は、大丈夫」

 

 明乃はそう言って目を細めた。

 

 晴風の主砲で武蔵の艦橋を吹き飛ばす可能性がある。射撃命令を出すのは宗谷真冬第一特務艦艇群司令かもしれない。それでも晴風の砲を使うなら、その射撃指示を出すのは艦長の明乃だ。

 

 親友を吹き飛ばす可能性を知ってなお、明乃は笑って見せたのだ。その覚悟をましろは苦い思いで飲み込んだ。笑みを浮かべ返す。

 

「……わかりました。いつでも頼ってくださいね。私も頼りますから」

 

 覚悟を背負う覚悟を決めた彼女に言えることは、これぐらいしかない。それがこんなにももどかしい。

 

「うん、ありがと」

 

 明乃はどこか安心したように、笑みの色を変えた。先ほどの乾いた笑みではない、感情のこもった笑み。……ましろにとって、今はこの笑みを引き出せたことだけが救いだ。

 

 どんどん夜明けが近づいてくる。かはたれ時から東雲へ、東雲から曙へ。払暁の時を目指して空の色は目まぐるしく変化する。

 

「夜明けの海って……こんなにキレイだったんだね」

「はい。自分も初めて知りました」

 

 そっと見張台の手すりに手を置くましろ。並んで見る夜明け前の海は穏やかだ。既に時は市民薄明、それももう終わりへと向かっている。

 

「……シロちゃん」

「なんですか?」

「私、晴風の艦長で、よかったよ」

 

 明乃はそう言って真面目な顔でましろの方を見た。それを聞いてため息をつくましろ。オーバーに頭を抱えて見せる。演技臭くなるが、今回ばかりはそれぐらいやってもいいはずだ。

 

「まったく、何を言い出すかと思えば……」

「え? へっ……?」

 

 慌てたのか、明乃の手が宙をさまよった。その手を掴んで。ましろが彼女を引き寄せた。少しばかりましろより小柄な艦長の髪が揺れ、ましろの肩を叩く。勢いで肩から外れたブランケットが潮風に揺られ、はためいて、ぱさりと落ちた。

 

「何を勝手に『よかった』なんて過去形で言っちゃうんですか。まだ終わってないでしょう、航海は」

 

 明るくなってきた空に照らされ、航海灯の色が薄くなる。その中で明乃の驚いたまま見開いた目を、ましろは覗き込む。

 

「それとも、もう満足ですか? この船に」

 

 明乃は首を横に振った。最初は思わずというような小さなふり幅だったが、すぐに大きく首をよこに振った。二つにまとめた髪がでんでん太鼓のように後をを追って揺れる。

 

「私たちは夢や幻じゃない。朝日を浴びたら終わりなんてことはないんです。あなたは今も艦長で、私は今も副長です。もう終わりみたいなことを言わないでください」

 

 早口にはなったがそう言いきって、ましろは明乃をじっと見る。

 

「昨日も今日も明日も、艦長は艦長でいてください。終わりになんてしないですし、させませんよ」

「ごめんね。私は晴風の艦長だもんね、今も」

「わかればいいんです。わかれば」

 

 顔が赤くなっているのを自覚してしまって、自覚してしまったことにまた恥ずかしくなりながら、ましろはゆっくりと明乃の肩を押し戻そうとする。その手に明乃はそっと自分の手を重ねた。

 

「もう少しだけ、このままじゃだめ……?」

「……少しだけですからね」

「えへへ、ありがと。シロちゃん」

 

 明乃はそう言ってましろの肩に頭を預けた。ましろは肩に回していた手を所在なさげにしていたが、彼女の背中にそっと回す。クスリと明乃が笑った気配。もうどうにでもなれ。

 

「もう、夜が明けるね」

「はい……昨日と今日の境界線です」

「シロちゃん詩人みたい」

「これでも大まじめです」

 

 そう言えば明乃がまた笑った。

 

「シロちゃん」

「はい」

「……守ろう、皆を。晴風も武蔵も、この海も。守れるだけ全部」

 

 明乃ゆっくりと東の空が赤みを増す。もう、夜が明ける。

 

「きっと朝日を見ているときって、みんなどこかほっとするんだと思うんだ。夜が終わるな、もう大丈夫だなって。シロちゃんが言うみたいに、夜明けが昨日と今日の境界線なら、みんながこの朝焼けの海を待ってるんだ。だとしたら、それを守るのは、朝日を呼んでくるのは、きっと私の仕事だ」

「艦長……」

 

 明乃はましろに体重を軽く預けたまま、そう言った。

 

「だから守るよ。それがきっと私がここでこうして生きてる意味だから。みんなが私を今日まで繋いでくれた。今こうして朝日を迎えられた。だから、次の朝日を迎えられるように、皆を守るんだ。そのためになら、私はゆける」

「艦長!」

 

 その言葉にただならぬ恐怖を感じて、ましろはその体を強く抱きしめた。その『ゆく』は『往く』か『逝く』か、どちらだ。

 

「艦長、何を、何を考えてるんですか……!?」

「大丈夫だよ。勝手にいなくなったりしないから。私だって、まだシロちゃんと一緒に居たいから。でも、もうきっと私の強がりでも、幸運でも、どうにもできないところに来ちゃってる。私ひとりじゃ絶対に超えられない。超えられなかったら助けるどころか、シロちゃんたちもだれも守れない。私はそんなの、絶対に嫌だ」

 

 そう言って明乃はそっと顔を上げて、ましろと見つめ合った。

 

 

 

「だから、シロちゃんお願い。――――力を貸して。シロちゃんの力が、必要なの」

 

 

 

 その言葉を待っていたと言ったら、さすがに不謹慎か。それでも、頼られたことがこんなにもうれしい。

 

 そう思いながらましろは強く頷いた。だから、続ける。

 

「それがあなたの願いなら、いくらでも」

 

 そう言った瞬間に強い光が横から射した。咄嗟に片目を閉じてその光の出どころを追う。金色の光が晴風を照らし始めていた。彼女たちの髪も瞳も、晴風所属を示すワッペンも、等しく金色に染め上げた。

 

「夜明けです」

「うん。……おはよう、シロちゃん。今日もよろしくね」

「はい、おはようございます。よろしくお願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    †

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正義の味方になりたかった。その思いに嘘はない。

 だからここまでやってこられた。それを偽るつもりもない。

 

 その思いを共有できる奴がいた。そのために動いた奴がいた。酒を酌み交わし、夜明けまで語り明かした奴がいた。そのために殉じた奴がいた。青い正義のために切り捨てられた奴がいた。甘い正義のために死んでしまった奴がいた。

 

 彼らの死に場所を無意味な場所にはできない。だから手の届く限りのものを守ろうとした。それがたとえ独善だとしても、それがたとえ夢幻だとしても、すべてを守ろうとした。

 そしてそれはある程度の成功を収める。守れたものも多く、感謝されたことも多かった。だから守り続けた。間違っていないと信じていた。稀にそのしっぺ返しをくらったとしても、それでも守ったのだと声高に叫び続けることができた。それができたのは、それが正義だと信じていられたからだ。正しい義を通していると信じられたからだ。

 

 今思えば正義に染まりすぎていたのだのだろう。正義であろうとしすぎたのだ。それで何かを失うとしても、その正義を捨てられなかった。まるで中毒患者だ。正義中毒だ。考えておきながら自分で笑えてくる。

 

 すべてを投げ打って、自らの命すらも投げ打つ覚悟で、守り続けた。それを間違いだとは言わせない。それが無意味だとは言わせてなるものか。

 その思いだけが彼を強くした。それだけが彼を立たせていた。そして立つ必要がなくなるその時まで強くし続け役目を終えた。何のことはない。死ぬ順番が来ただけだ。それまで正義たることができたと叫ぶことができたのだ。なんの不満があろうか。

 

 

 だから驚いたのだ。目を閉じる前に見た、あの子の涙が。

 

 

 なぜ泣く。君はなぜ泣く。

 

 笑ってくれ。私は正義を成してここで逝く。傷が致命傷でないことが分からないほど馬鹿じゃない。だから正義の味方として逝かせてくれ。笑顔を守った英雄として逝かせてくれ。

 

 君は過去の私が犯した過ちの二の轍を踏むことなく、君は君の守りたいものを守るために進んでくれ。君の守りたいものを守れなかった無力な私を踏み台に、君は君の正義を成すべく高みを目指し飛び出してくれ。もう君は私の庇護が無くても前に進めるはずだ。

 

 死ぬな。死なせるな。生き残れ。君が君であるために。

 

 落ち着け。君が皆を生かすんだ。生き残らせるんだ。皆を守って、君の居場所を守るんだ。

 

 だから征け、艦長。指示を待っているやつがいる。

 

 

 征け。進め。守れ。戦え。止まるな。振り返るな。死ぬな。生き残れ。守り切れ。

 

 

 正義たれ。正義たれ。正義たれ。

 

 

 

 

 

「――――ッ!」

 

 飛び起きようとしてバランスを崩した。痛みに肺が空になる。次の空気が入ってこない。口元を覆っていた何かをはぎ取る。

 

「……クソッタレ」

 

 脇腹が焼け付くように痛い。死に損なったことを知るにはそれで十分だった。咄嗟に視線を走らせる。アナログの時計が時を知らせる。13時45分。点滴のパウチが揺れていた。

 

「……急に動かないで、傷が開く」

「鏑木医務長、今何日だ。あの後どうなった」

「まず診察させて。説明は後」

 

 警報を鳴らしている酸素吸入装置を黙らせた鏑木美波医務長が淡々とそう言って、柳の前に回り込んだ。

 

「背中から入射してるから、背中を預けると痛いはず。まっすぐ座れる?」

 

 美波に手を引っ張られるような形で上体を起こす。手早く病院着の胸元を(はだ)けさせると、包帯に巻かれた腹部が見て取れた。

 

「みんな無事なのか?」

「説明は後だと言った」

 

 美波はバイタルが映し出されたモニタを一瞥すると、柳の胸に聴診器を当てた。呼吸音を聞いているらしい。それを終えるとすぐに他の確認に入る。体の麻痺がないかなどの触診をしながら、美波は説明を始めた。

 

「機関銃の弾丸が二発当たった。一発貫通、もう一発は体に残ったけど摘出済」

「そうか。寝てた間の晴風はどうなった」

「全員無事。ヴィルヘルミーナさんはシュペーに合流した。今のところ晴風は平穏」

 

 その声に一応の作戦の成功を知る。ひとまずは安心し顔を緩めた。

 

「今、晴風はウィルスを持ち出してテロを画策した北条沙苗容疑者を捕まえるために横須賀沖を目指して移動中。大島まで戻ってきている」

「待て、今何日だ?」

「5月5日」

「……一週間以上寝込んでたわけか」

 

 髪を搔きむしる。いつもよりざらついた髪が指に絡む。痛い。

 

「……横須賀沖と言ったな。北条の狙いは東京なのか?」

「そう予測されている」

 

 彼はそう言われ、髪を掻いていた右手で顔を覆った。息を止めて、二秒。頭が冴えてくる。

 

「……私の制服を持ってこい」

 

 そう言って柳は点滴の針を引き抜いた。針の先から流れ出た栄養液と血液の残滓がシーツを汚す。

 

「馬鹿言わないで、今さっき起きたばかりで――――」

()()()()()

 

 その鋭い眼光に美波はとっさに言葉を切った。

 

「医者として、許可できない。まだ傷も塞がってない。血液量だって回復しきっているわけじゃない。そんな人間を前に出すわけにはいかない」

「それでも、だ」

 

 柳が立ち上がる。

 

「私は君たちの上官だ。君たちが私を教官と呼ぶならば、私は君たちを教え導く官職を頂く人間だ。君たちの命を預かる人間だ。その人間がこの時に寝ていて何になる」

 

 そう言って歩き出す。美波はとっさに走り込み、ドアの前で両手を広げ、いく手を塞ぐ。

 

「退け」

「承服できない」

 

 美波は至近距離に立つ柳を見上げる。身長差でほぼ真上を見る様な角度で首を反らさねば目を合わせることは叶わない。それでも見上げ、目線を合わせた。

 

「あなたが教官なら、私は医官だ。けが人を癒して元気になってもらうことを仕事にする人間だ。あなたを死なせず助けるためにここにいる。傷は塞がってない。簡単に傷が開いてしまう。そうしたら失血死の危険がある」

「それがどうした」

「あなた一人の命の問題じゃないっ!」

 

 美波が叫ぶ。

 

「あなたが死んだら岬艦長が()()()! どれだけ艦長に重荷を背負わせてきたか、あなたは知っているはず。艦長がどれだけ無茶を押し付けられているか知らないはずがない。それでも岬明乃が艦長たれたのはあなたがいたから。そのあなたが倒れたら、艦長はもう立ち直れない!」

 

 言外にあなたは岬艦長を殺す気なのかと問う。それを聞いた柳はしばらく間をとった。

 

「……だとしたら、猶更だ」

 

 柳はそう言って、美波の頭に手を乗せた。

 

「私は指揮官だ。指揮官として皆を守る義務がある。そしてその部下には当然君も含まれる」

「だからといって、あなたが無理をしていい理由にはならない」

 

 頭に乗せられた彼の手に触れる。骨ばった冷たい手。それを少しでも温めるように掴んでそっと頭から外させた。

 

「お願い。死ぬようなことをしないで。もう私は……失うわけにはいかない」

 

 そう言った視界が歪む。柳が驚いたような表情をした。

 

「君に……何があった?」

「……父が、父さんが、殺された」

 

 柳が息を飲んだ気配。何かが決壊する。

 

「私には、もう帰る場所がない……。ここしかもう居場所がない。父はこうなることを予知していた。私を守ろうと……私を家族から、外した」

「どういう、ことだ?」

 

 しばらく間が空いた。嗚咽を飲み込む音が響く。

 

「父さんの遺言状がみつかった。その中で未成年後見人に……柳教官、あなたを指定した……教官が許せば、養子縁組を希望すると、書いてあった」

 

 

――――――私をきっと大山先生は許さない。必ず、報復に来る。だから……娘を、美波をどうか……守っていただきたい。

 

 

 頭を殴られたような衝撃だった、記憶が瞬間的に引き出される。アルジャーノン・ウィルスについて聞きだしたあの夜。確かに彼女の父親はそう言っていなかったか。

 

「鏑木家への嫌がらせが始まっている、ボヤ騒ぎまで起こった。危ないから鏑木家に戻らずに逃げろって……母さんから電話があった」

 

 柳が言葉を失う。美波の膝が砕ける。柳が慌ててその手を取って、ゆっくりと地面に座らせた。

 

「私はもう、ここにいるしかない。帰る場所なんてどこにもない。家族はもうここにしかいない。もう、もう私は、失えない。失いたくない……!」

 

 海の仲間は家族。その言葉にすがるしかないのだろう。

 

「私がみんなを守ることはできない。今は守られるしかない。皆を失いたくない。あなたもその中の一人。失いたくない」

「……大丈夫だ」

 

 そう言って、柳は一度彼女を抱きしめた。

 

「晴風は、君の居場所は、私が守る」

 

 そう言って柳が立ち上がり、医務室を出ていった。言葉はきっと届いた。

 

「……バカ」

 

 止まってくれなければ意味がないのだ、それでも彼は止まらない。医者として止めねばならない。わかっているはずなのに足が動かない。それでも、彼が状況を変えることをどこか願っている自分がいることを、鏑木美波は自覚した。

 

 

「バカ!」

 

 

 その言葉は誰に向けたものか理解できないまま、美波は叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    †

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅れてすまない、状況報せ」

「柳教官っ!?」

 

 艦橋に制服姿で現れた影に皆が弾かれたように振り返る。

 

「目が覚めたんですか……っていうより傷は大丈夫なんですか!?」

「一週間も寝てたんだ。暇すぎて直る……平賀、なんでお前がここにいる?」

「柳3監が倒れたからその補填で呼ばれてるんです」

 

 艦橋で明乃と話していたらしい平賀がそう言ってむくれる。どこか子どもじみたその仕草に柳は軽く笑って見せた。

 

「それは済まなかった、助太刀感謝する」

「そういう柳3監はまだ寝てないといけないんじゃないんですか。おなかに2発喰らって一週間で現場復帰って無茶にもほどがありますよ」

「部隊が突っ込む大事な時に寝ていられるほど図太くないんでね」

 

 そう言って柳は幸子を指で呼んだ。

 

「タブレット貸してくれ。鏑木医務長から簡単なことは聞いている。武蔵の迎撃だそうだな。艦長」

「はいっ」

 

 柳に呼ばれ、明乃が弾かれたように駆けてくる。

 

「晴風の状況と作戦概要を口頭で」

「武装は全て使用可能ですが、強行臨検時の歪みのせいで最大速力は32ノットに制限されています。現在浸水等はなしです。乗員に負傷なし。第二種戦闘配備で戦闘用意を整えています。武蔵迎撃作戦ヘーラーの栄光作戦(オペレーション・ハーキュリーズ)実施まで、後15分です」

「艦隊内における晴風の役割は?」

「第一特務艦艇群旗艦は弁天に移されています。旧式の晴風はウィルスキャリアのネズミによる電子機器の妨害を受けても比較的能力を落とすことなく作戦行動が可能です。乗員も全員ワクチンで対応しているので、ウィルスを恐れず接近できます」

 

 タブレット端末に表示された作戦概要を見る。武蔵の予測進路に相対するようにして船のマークが6つ、武蔵を追いかけるようなアイコンが1つ。

 

「接近してどうする?」

「根底はキャストネット作戦と変わりません。ウィルスの制御を喪失させ砲を発射不能にすることです。武蔵は前の戦闘で破壊した後部副砲等は使えないままになっているはずです。艦橋より後方は実質的に死角となるはず。晴風はTU-01艦隊と弁天の砲撃や噴進魚雷による支援を受けながらそこに潜り込み、至近距離から電波妨害を実行。武蔵の制御を乗っ取ります」

「制御を乗っ取る?」

 

 柳が怪訝な顔をした。明乃は頷く。

 

「開発元の鏑木製薬と金鵄友愛塾からウィルスの制御プロトコルの提供を受けました。細かい制御は難しいですが、行動を止めさせるだけなら晴風のアクティブレーダーの走査周波数帯域で十分対応可能です」

「つまり晴風が至近距離に寄り、ネズミよりも強い電波を放出できればこちらの勝ちか」

「はい。今、武蔵後方からもアドミラル・シュペーも応援のためにこちらに向かっています。シュペーは晴風のバックアップとして作戦に参加します」

「……旧式艦の面目躍如か。難儀な時代になったもんだ」

 

 そう言って頭を掻いてから柳は笑った。

 

「想像以上に状況はシンプルだったわけだ。現在の作戦指揮官は?」

「TU-01艦隊については宗谷真雪一等海上安全整備監が、第一特務艦艇群については宗谷真冬三等海上安全整備監が現在指揮を行っていますが、晴風は単艦で接近する必要があるので、独自の行動が認められています」

「なるほど。晴風は第一特務艦艇群の指揮下だから上長は真冬3監だな」

 

 柳がそう言ってインフォメーション・イルミネーターを装着した。自分のIDでログインすると同時にコールが飛んでくる。

 

《柳の旦那!?》

 

 通信を飛ばしてきたのは宗谷真冬だ。好都合だ。

 

「待たせたが、なんとか復帰だ」

《それは何よりだが、てめぇは寝てなくていいのかよ》

「その質問はもう聞き飽きた」

 

 柳はそう言って小さく笑った。

 

「独自判断を晴風に認めていると聞いた。その権限、私がもらい受けるが問題は?」

《……言いたいことは山ほどあるし、一発ぶん殴りたいが後にしておいてやる。自信のほどは? けがが響いてまともな指揮ができませんじゃ話にならねぇぞ》

 

 真冬の声のトーンが下がる。

 

「わかっている。この程度の傷で違えるつもりもない」

《……一人でも死なせたら許さねぇ。今の第一特務艦艇群の指揮官は私だ。晴風の乗員は私のかわいい部下達だ》

「その科白は俺のものだ。俺の部下だ。俺の生徒だ。誰ひとり死なせねぇよ。誰も死なせてたまるか」

 

 柳はそう言って間を空けた。

 

《……そういう強引なところは、まったく、変わらねぇな、旦那》

 

 どこか嬉しそうな声。

 

《わかった。晴風の作戦指揮権を柳3監に委譲する》

「移譲を確認、作戦指揮を開始する」

 

 柳は横をちらりと見る。明乃がじっと彼を見上げていた。

 

「教官……」

「ここまでよく耐えた。後は任せろ」

 

 柳はそう言ってインフォメーション・イルミネーターを操作した。晴風全体に無線が繋がる。

 

「達する。こちら柳だ。現時刻より晴風の指揮権限を宗谷真冬3監より移譲された。これより本艦の作戦指揮をとる。クルーは岬艦長の指示に従い、作戦を遂行してほしい」

 

 柳の声が、無線に乗る。それを皆がじっと聞いていた。

 

「作戦に変更はない。武蔵の至近距離に飛び込むという危険な作戦だ。だから私から言えることはただ一つだ」

 

 柳の手が握り締められる。

 

 

 

「死ぬな。私も君たちが生き残れるよう全力を尽くす。君たちが生きて帰れる道を私が切り拓く」

 

 

 

 だから、私に君たちを守らせてほしい。

 

 

 

 無線に応答はない。それでも皆がその言葉を聞いていた。

 

「これより、ヘーラーの栄光作戦(オペレーション・ハーキュリーズ)を開始する。第一種戦闘配備に移行せよ」

「晴風艦長より総員通達。第一種戦闘配備! 機関第二戦速、進路左一点真方位2-8-4!」

 

 柳の声に被せるようにして明乃が伝声管に声を通した。

 晴風は大島を回り込み、一気に海原へと飛び出していく。

 

 

 

 

 

 それが晴風の航海に幕を下ろす、最後の戦いの始まりだった。

 

 

 

 

 

 




……いかがでしたでしょうか?

というわけで、戦闘開始&柳さん復帰でした。いよいよ最終決戦が開始です! ここまで長かった……!

彼女たちの航海の果てに何が待つのか、これからもお付き合いいただければ幸いです。

――――――
次回 その力に意味を付すもの
それでは次回もどうぞよろしくお願いいたします。
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