ハイスクール・フリート・プラスワン・アンド・アザー 作:オーバードライヴ
武蔵が大きく揺れた。ダメージコントロールがオートメーションで起動。もともと隔壁は全閉にしてあるうえに、浮力に余裕があるため、これだけで沈むことはないだろう。緩く流れるレコードの音が今の振動で飛ぶぐらいの振動はあったが、そこまで問題ではない。
「うん、いいね。ちゃんと反応してきた。そうだ。それでいい。岬明乃、どんどん撃ってこい」
北条沙苗はそう言って笑って見せた。現状で残っている武装は第一第二副砲、および対空砲各種。主砲系を全て潰されており、大損害といって差し支えない。それでも北条は穏やかに笑っていた。
「正義と言うのは対立軸が無ければ悪となる。正義という概念それ自体が、何かに対抗し、何かを否定するために存在するものだからだ。対立軸が存在しない正義などはただの暴力に過ぎず、暴力を振るうことは世間一般に害悪と捉えられる」
レコードが流すのはジャニス・イアンの『At Seventeen』。明るい曲調の中で彼女は言葉を紡ぎ続ける。
「正義に対立軸を与えるものはなにか。言い換えるならば、正義とは何か。それに示唆を与える文言をパスカルは残している。――――――正義は議論の種になるが、力は非常にはっきりしている。そのため人は正義に力を与えることができなかった。なぜなら、力が正義に反対して、それは正しくなく、正しいのは自分だと言ったからである。このようにして人は、正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのである」
北条はそう語り笑みを深めた。
「世界は純粋なる力を正義とし、それを是とした。しかしそれは正義に対し、悪とされるべき暴力を媒介して出力することを強いた。強くなければ正義ではない。その正義によって無実の誰かが断罪され処されたとしても、その行為の正義性ゆえに必要な犠牲だとされる。それはなんと狂ったパラドックスなのだろうな?」
晴風は雷撃の後、武蔵の後方へと抜けた。おそらく晴風はこのあと面舵十七点回頭を実施、即ち時計回りに反転して、同航戦に持ち込もうとするはずだ。武蔵の後方から弾丸を浴びせつつ、浦賀水道から武蔵を遠ざけるにはそれが最善。それに気が付かない岬明乃ではないだろう。
「そのパラドックスを解除する方法を人類はいまだ発見していない。それでも世界は動き続けている。皆が間違っていると気が付いているのに、皆がおかしいとわかっているのに、それでも人々は動けないし、動かない。当然だ。その『あるべき正義』が正義と成るためには『現在の正義』を倒さねばならず、倒すまでの無力な期間は『悪』として存在せねばならないためだ。そして大概はその間に『現在の正義』に黙殺もしくは弾劾され、潰えることとなる」
晴風の進路が変わったことを背後の航跡が告げる。予測通り面舵。反転が完了するころにはTU-01艦隊の残存部隊と合流するようなタイミングになるはずだ。
「そんなリスクを背負える人間は少ない。だから無辜の民たちはそのリスクを背負うことができ、声を上げることができる人物……すなわち『英雄』の登場を熱望する。クリキンディが炎を消し止め英雄となり、皆を導くことを所望する」
TU-01艦隊が速度を僅かに落とした。晴風を先頭に『神津』『八丈』『三宅』が続く単縦陣を組むつもりだ。岬明乃もさることながら、それを予測し艦隊指示を出していると思われる宗谷真雪と柳昂三も優秀だ。
「英雄は正義であらねばならず、正義には対立軸が必要だ。正義を維持するためには悪が必須となってしまう。だから戦争はなくならない。だから争いは止まらない。だからその対立軸の向こうの奴を殴れるだけの力が必要になる。それゆえ、力を正義とする以外になかったのだ」
タブレット端末から左舷側の第二副砲を稼働させた旨を知らせてくる。後方第四副砲と被右舷側第三副砲は使えない。前部を指向する第一副砲は横並びになるまでは死角にあたる。
「岬明乃、君はこの本質を理解しているかい?」
レコードが流れ続ける。冴えない17歳の心内を歌った、優雅なメロディの中、北条は僅かに舵を切った。
「君の目指す正義はきっとそんなものではないのだろう。それを私は肯定する。『現在の正義』に楯突く『悪』と見なされうるそれを、私は心から歓迎しよう。だからこそ、君は強くなければならない」
晴風が回頭を終える。間もなく再度の戦闘が始まるだろう。
「武力を肯定しろ、岬明乃。君は強くなければならない。今まかり通っている正義を変質させ、あるべき正義を成すためにも、君は『今まかり通っている正義』に適合しなければならない。力を肯定しろ、そしてそれを使うことを、肯定しろ」
「……あなたは」
弱々しい声が響く。北条は振り返らずに笑う。
「目が覚めたか。丁度いいタイミングだ。そろそろ君にも動いてもらわないといけない時間だ」
「ミケちゃんは、あなたのおもいどおりには、ならない」
「そうかな? 今の所は予測通りだ」
そう言ったタイミングで晴風が発砲。再び戦端が開いた。
「ほら撃ってくる。こちらの望み通りだ。反航戦に持ち込むときに我々の左舷に回り込んだということは二番副砲が狙いだろう」
そして案の定、宣言したあたりに砲弾が集中する。
「うん。いいね。その調子だ。二番副砲を放置することと、艦橋付近に直撃弾を出すことを天秤にかけたわけだ。それで副砲を野放しにする方が怖いと判断した。結構結構。ちゃんとリスク管理ができていると見るべきかな」
「……くるって、る」
知名もえかの体は呂律がまともに回らないほどに麻痺している。流動食か点滴なのかはわからないものの、身体機能を維持できる程度には栄養を強制的に取らされているらしいが、胃の中は既に空っぽで吐き気とめまいで動けない。それでも彼女は北条の方を見返していた。
「狂っているのは私がかい? それとも、状況が? もしくは君が?」
「そんなに、しぬのが、たのしみ?」
「あぁ、楽しみだとも。もっとも、ただの殉教者になり下がるつもりもないがね。精々派手にいかなきゃここまで来た意味がない」
「いみ……」
「君たちの正義を見届ける。それがここに来た意味だ」
北条はさも当然のようにそう言って、窓の外のどす黒い煙に燻された空を見上げた。第一副砲からの火災はやっと沈静化する気配を見せ始めた。気球推進用の航空燃料が盛大に燃えていたが、それもやっと尽きようとしている。
「わからない、あなたはなにを、しようとしている?」
「正義を見届けると言っただろう? 教員は生徒に手解くのが仕事だ。遺憾ながら時にはこういう仕事もすることになるのさ」
至極楽しそうにそう言う北条の背中を知名もえかは僅かに目を開け、睨む。
「あなたは、やけになるようなひとじゃ、なかったはず。そんなにあなたは、
「意識も絶え絶えだろうに、そこまで解析できる君の精神力は本当に驚嘆に値する。前半は正解だ。確かに私はこの世界や状況を悲観していない。でも後半は不正解。私は焦ってなどいない」
「なら、なんで、とうきょうを、おそおうとしてるの」
「自殺行為なのに、かい?」
その言葉を裏付けるように遠くから発砲音。いよいよ効力射が始まった。武蔵に大量の徹甲弾が降り注ぐ。大きく揺れる船体。着弾は後部甲板付近に集中。海面に落ちているものの多いという事は、まだ艦橋を吹き飛ばすような判断は下されていないらしい。
「あなたは、とめてほしかった」
揺れる艦橋の中、もえかの淡々とした声が流れた。
「すくってほしかった、ちがう?」
「そうかもしれないね、知名もえか。確かに私は救われたいのかもしれない。でもそれも間もなく叶う」
北条は武蔵の自動航行装置を起動。速度と方位をこのまま一定に保つようにセット。舵輪から手を放す。
「君は正義になれる。それを私は疑ったことはないし、君の行動で失望等したこともない。きっとこれからもないだろう。君は正義となる。その時はきっと岬明乃も一緒だ。君たちは今日ここで、正義となる。そのためにここに連れてきた」
ゆっくりと北条は振り返った。腰に吊った日本刀が揺れる。小さなケースをポケットから取り出した。
「さぁ、仕事の時間だ。知名もえか、君には岬明乃を呼び出してもらわないといけない」
†
「出遅れたが……なんとかなるじゃろうか」
全速航行を続けてきたアドミラル・シュペー。その艦橋でそうぼやくように言ったのは同艦副長を務めるヴィルヘルミーナ・ブラウンシュヴァイク・インゲノール・フリーデブルクだ。それにテア・クロイツェル艦長が頷く。
「できることがあるはずだ。ミーナ、ハレカゼにコンタクト」
「了解」
双眼鏡越しに黒い煙を上げる武蔵の艦影を眺める。既に戦闘は終盤と言えるようだ。少なくとも首都機能が集中する東京湾への侵入は防ぐよう、南西方向への誘引に成功。煙の具合を見るに、主砲群の無力化には成功したらしい。あとはどう足を止めさせ、犯人を捕縛するかという問題になるのだろう。戦術リンクを見る限りは一定の成功を見ているようだ。……もっとも、高速航洋艦『弁天』が沈没、同『御蔵』が大破、晴風が小破という状況に目を瞑れば、であるが。
「晴風、晴風、晴風、こちらヴァイマル=ブルーマーメイド、ヴィルヘルムスハーフェン教育校所属、アドミラル・グラーフ・シュペー。応答乞う」
ヴィルヘルミーナが無線を繋ぐ。直後に入感。
《アドミラル・シュペー。こちら晴風、感度良好》
「リーラー!? 復帰して大丈夫なんか!?」
飛んできた男性の声に目を剥くヴィルヘルミーナ、彼は確か意識不明で寝込んでいたはずだ。少なくとも、腹に弾丸を喰らって大出血しているのを見ている彼女からすれば、彼が戦闘指揮に復帰しているのは冗談に近い。
《アドミラル・シュペー。作戦はすでに開始されている。個人的な質問は後にされたし。貴艦の作戦参加は可能か?》
「晴風、こちらアドミラル・シュペー。作戦参加可能。武蔵および晴風を目視で確認した。指示を乞う」
《協力感謝する。アドミラル・シュペーは即時回頭左二点。真方位0-8-5へ。右舷砲撃戦を想定せよ》
「了解、左二点回頭真方位0-8-5。右舷砲撃戦を想定する」
ヴィルヘルミーナが復唱すると同時、テアがすぐに指示を出す。無線は逐次指示を出すため、次の指示まで待機せよと言って沈黙した。
「砲撃戦を想定、か……」
「ハレカゼはかなりアグレッシブな船なんだな」
ヴィルヘルミーナのひとり言のような呟きを拾ってテアが笑う。
「あぁ……攻撃は最大の防御を体現したような戦略をとるところはあるんじゃが……どうも様子がおかしい気がするんじゃ」
「……どういうことだ?」
晴風の発砲炎がちかりと瞬いた。背後にいる艦隊もそれに続いて発砲を続けている。そのほとんどが武蔵の後部甲板や舷側に突き刺さっているようだ。
「なんというか、手加減が無さすぎる」
「……手加減をする余裕がないだけじゃないか? ヤマトクラスといえば超弩級戦艦の権化のようなものだ。手加減していれば撃沈せらるるのは味方のほうだろう。手加減することはリスクしかないと思うんだが」
テアはそうコメントしながら武蔵の前部甲板に向け砲の指向を開始させた。事前の打ち合わせ通り、艦橋は外して照準を取る。
「……それは、そうなんじゃが……」
ヴィルヘルミーナは違和感をぬぐいきれないのか、煮え切らない返事を返した。
「だとしても、あの船に、ミケの親友が乗っとるはずなんじゃ。それでも、あそこまで撃てるものなんじゃろうか……」
《アドミラル・シュペー。こちら晴風。砲撃要請。目標、武蔵前部甲板》
無線が飛び込む。
「こ、こちらアドミラル・シュペー。……本当に、撃っていいんじゃな?」
《……訂正、アドミラル・シュペーは武蔵前部甲板を砲撃せよ、これは命令である。繰り返す。武蔵前部甲板を砲撃せよ》
柳の声はどこまでも冷徹だ。ヴィルヘルミーナは唾を飲みこんでから無線のトークスイッチを押した
「……了解。投射域からは外れているが、晴風及びTU-01艦隊は本艦の射線に注意されたし」
ヴィルヘルミーナがそう無線に応え、無線が切れると同時、艦内にブザー音が響いた。直後、第一主砲が火を噴いた。加速し、飛び出した徹甲弾は過たず武蔵の甲板を投射域に捉え、至近弾として水柱を立てた。
「偏差修正の必要は認められず、投射続行せよ」
テアはすぐに砲術長にそう命じ、双眼鏡で武蔵の様子を見る。
「ミーナ、何を不安に思っている?」
「テア……、やっぱり、変なんじゃ。晴風から飛んでくる指示とは思えない」
「だが、無線が乗っ取られているわけではないんだろう?」
「それは、そうなんじゃが……」
ヴィルヘルミーナが目を伏せる。直後、テアが声を張り上げた。
「ムサシ第一副砲砲撃体制! 狙いは当てずっぽうだろうが、こっちに向けて撃ってくるぞ! 回避機動用意! 機関、全速前進!」
シュペーに緊張が走る。テアは続けて命じる。
「取舵二〇度! 次弾装填急げ!」
「とーりかーじ!」
シュペーは大きく横揺れを起こしながらも回頭、同時に黒煙を切り裂くようにして武蔵の副砲の弾が飛び出した。狙いが甘く、シュペーの上空を大きく飛びこえ、遥か遠くに水柱を立てる。
「……想像以上に狙いが甘いな。煙越しの発砲ならこんなものか」
テアはそれを眺めてぼそっと呟いた。直後にドン、と腹に響くような音。武蔵の前部甲板から新たに煙が上がっていた。
「ムサシ第一副砲から出火? 晴風か?」
双眼鏡の向こうでは晴風が加速し、武蔵を追い抜かんとするように加速しているのが見える。その主砲が轟き、武蔵の前部甲板を穿つのが見える。
「晴風! こちらアドミラル・シュペー! ミケ艦長! やりすぎじゃ! 武蔵クルーを殺す気なんか!」
ヴィルヘルミーナが無線に叫ぶ。
応答は、ない。
†
《晴風! こちらアドミラル・シュペー! ミケ艦長! やりすぎじゃ! 武蔵クルーを殺す気なんか!》
無線に響いた声を黙殺し、岬明乃は武蔵の甲板を睨むだけだった。
「つぐちゃん、投降勧告に応答は?」
《あ、ありません。何度も声をかけていますが……》
「勧告続行。砲撃戦を続行します。タマちゃん」
立石志摩の方を見て明乃は告げる。志摩は困惑したように明乃を見る。
「でも……」
「砲撃を続けて、これは艦長命令です」
明乃は背を伸ばし、そう続ける。
「艦長、一時砲撃中止を要求する」
柳がそう口にすると、明乃は驚いたように柳の方を見た。
「どういうことですか?」
「武蔵の武装は対空機銃以外を沈黙させた。一般商船は迂回させている。沈めるのはいつでもできる」
「時間をかけるのは危険です。それに、本艦の指揮権は私にあります」
「艦長」
柳は言い聞かせるようにそう言うが明乃は取り付く島もないようにそれを棄却する。
「停船させなきゃいけない。時間的猶予もありませんし、私達にできることは、それだけです」
明乃の言葉は正論だ。だからこそ、それが飛び出すことにクルーはみんなどこか違和感を覚えていた。それでも、その正論を突き崩す綻びが見えない。
「タマちゃん、砲撃指示を」
「艦長!」
ましろが耐え切れなくなったように叫ぶ。
「落ち着いてください艦長! もう武蔵には対艦兵装は残ってない! もう勝負は決しました!」
「でも、武蔵は足を止めていない。違う?」
「ですがこれ以上砲撃を加える必要はないはずです!」
明乃はそれを聞いて僅かに俯き、どこか寂しげな笑みを浮かべた。
「じゃぁ、どうやって武蔵を止めるの?」
明乃は自分の制帽の鍔を撫ぜると、目元を隠すように目深に押し込んだ。
「止められるのは私しかいない。だったら私が止めるだけ」
そう言って明乃は踵を返した、右舷の見張台に出ようとしているのだろうか。ましろたちに向けた背中は小さく見えた。
「みんなごめんね、でも、今だけは信じて。――――発砲命令、目標、武蔵前部甲板」
その言葉はどこか寂しく響いて。
寂しそうに見えた理由に気が付いた彼女は。
「―――――ミケ艦長!」
ましろは咄嗟にそう呼んで、後ろから彼女を抱きしめた。
「信じろって言うなら! なんであなたは泣いてるんですか!」
ましろの声が明乃の耳朶を打つ。
「そういって、そうやって、一人で勝手に傷ついて! それでみんなを救えるって、みんなを助けられるって、本当に思ってるんですか!」
そして、抱きしめて気がついた。彼女の体はひどく震えていた。
「頼ってください! 隠さないでください! 私たちは! 晴風のクルーは! あなたの味方だ! あなたの家族だ! だから!」
わたしたちにも、あなたを守らせて。
そう叫んだ。彼女の震えが止まる。
「あなたは、優しすぎる。一人で結論を出して、一人でそれに納得したふりをして、私たちを傷つけたくないからって、一人で全部背負っていくつもりですか? そんなの、私が許さない!」
「……なら私はどうしたらよかったの!?」
ましろの声に負けないように明乃が叫ぶ。
「武蔵は止まらない! 止められない! だけど、皆を助けなきゃいけない! 撃つのをためらったら、どうなった!? 弁天はそれで、それで沈んじゃったのに! しろちゃんはそれでよかったの!?」
反語だ。よくないはずだという断定だ。大粒の涙が制帽を伝って落ちていく。
「こうしている間にも武蔵は次の相手を見つけて攻撃するかもしれない! また船が沈むかもしれない! それを防ぐために私たちはここにある! それがブルーマーメイドの使命でしょ!?」
海に生き、海を守り、海を征く。ブルーマーメイドのあり方を示した言葉。ましろにそれを思い出させるまでもない。ましろは明乃が何を言いたいのか、わかっていた。
「ブルーマーメイドでいさせてよ! 私たちは、そのために、それを防ぐためにここに来た! なのに! どうして……っ!」
彼女はブルーマーメイドになるべくやって来て、ブルーマーメイドであるべく行動している。ブルーマーメイドになることは彼女の夢であり、彼女が彼女であり続けるために必要な意識であり、力の源なのだろう。
「どうすればいいか、それはきっとみんなで考えることです」
彼女を抱きすくめ、ましろはそっと口にした。
「だから、一人で勝手に背負わないでください。私たちは、ここにいます」
明乃は言葉を無くして立ちすくむ。ましろはゆっくりと腕を解き、目深にかぶりすぎた明乃の制帽を、あるべき場所に直した。
「……落ち着きました?」
「わからない、けど。どうしたら……いいんだろう」
「……柳教官」
ましろに声を掛けられ、柳は肩を竦めた。
「方針が出るまで艦の指揮を代行しろ、か?」
「お願いできますか?」
「艦隊指揮と並行はきつい。平賀、いけるか?」
柳に声を掛けられ、平賀が頷く。
「いつでも」
「では晴風の指揮を一時的に預ける。TU-01艦隊は一時砲撃やめ。このまましばらく武蔵を追跡する。アドミラル・シュペー、聞こえているか?」
《こちらアドミラル・シュペー。感度良好》
「反転し武蔵左舷後方に陣取れ。しばらくこのまま追跡しつつ、投降勧告を行う」
《了解》
柳が状況を整理し、整えていく。
「艦長、君は間違っていない」
「柳教官!」
ましろが咎めるように声をすぐに上げる。それを無視して柳は続けた。
「間違ってなどいないよ。そうでなければ守れないものもある。君の覚悟も君の願いも、君のあり方も。間違ってなどいない」
そこで柳は僅かに声を切った。
「それでも、今は周りを信じてみるべきだろう」
「教官……」
ましろのどこか恨みのこもった視線に柳は肩を竦める。何を言ってもこの先は言い訳にしかなるまい。柳昂三が彼女を追いこんだ元凶の一人であることは間違いないのだ。
《緊急! 武蔵の戦術リンクが復活!》
「っ!?」
電測担当の宇田慧の声が通った。
「どういうことだ!?」
《一瞬ですが戦術リンクが開通! 何かのURLをアップロードして再び切断されました!》
「URL……!? こちらに転送しろ。艦のリンクから切り離して接続する」
柳がすぐに指示を出す。柳のタブレットにすぐにデータが送られてくる。
「動画のストリーミング配信サービス、か?」
URL先を見て柳は眉を顰める。『ニヤニヤ生放送』と言えば、若者向けの生放送ストリーミング配信のためのサイトだ。
「だれか『ニヤニヤ生放送』のID持っているやつはいないか?」
「は、はい! 私持ってます!」
納紗幸子が慌てて手を上げ、柳からタブレットを受けとった。すぐに入力をして、返した。
「……犯行声明を出す気か」
生放送準備中という表示が現れた画面を見る。タイトルは『【犯行声明】これから人魚を殺します【コメ大歓迎】』というもの。タイトルの過激性故か、来訪者数のカウンターの周りは早い。
配信が始まった。ハンディカメラで撮っているのか、手振れのある画像。そこから見えるのは列をなして進む艦船、晴風を先頭とする列だ。どうやら艦橋の窓から撮影されているらしい。それがゆっくりと横に回り、艦橋の様子を映した。
『どうもー、はじめまして。まぁ私から御招待をかけた人はお久しぶり、と言ったところかな? 北条沙苗と申します。海上安全整備局員改め革命家をしております』
コメント欄に「これマジ?」「顔出しキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」「やっべ美人じゃん!?」などというコメントが一気に流れる。柳は舌打ち。
「柳3監よりHQ、配信見ているか?」
《こちらHQ、確認しています。いまニヤニヤ生放送の運営母体に掛け合って配信を止めるように交渉中》
柳の声に答えたのは宗谷真霜1監、背後には蜂の巣をつついた様な喧騒が聞こえることから、司令部も大混乱だ。
「了解。急いでほしい」
柳がそう答える間にも放送は続く。
『今私は武蔵の艦橋にいます。ニュースにもなってるらしいから、武蔵が反乱艦扱いになって指名手配されていることは皆さんご存知だと思いますし、手っ取り早くいきましょう。どうせもうすぐ配信停止措置がかかるでしょうし。……私からの要求は一つだけ。晴風艦長、君と直接会って話がしたい。細かい要求は君を通して行うことにしよう。まさか? ここであのRATtウィルスが国主導で開発された経緯とか? ニューギニア島の事件が日本のマッチポンプだったとか? その辺りをフルオープンに話し合いをするわけにはいかないでしょうし?』
北条沙苗の服装は海上安全整備局の冬服。黒を主体とした制服に私物らしい日本刀を差した姿だ。ヘラヘラと笑いながら彼女はゆっくりと歩き始める。
『とりあえず、これを飲んでくれるなら、武蔵を停船させよう。武蔵艦長、知名もえか君を除く全員を解放することを約束する。どうだね、悪い条件じゃないはずだ』
そう言うとカメラは横にスライド。どうやらクルーの誰かにカメラを持たせているらしい。
「もかちゃん……!」
明乃が息をのむ。椅子に座らされ、うつろな目をした彼女が見える。左腕の袖はまくられ、腕にはゴム管が巻き付けられていた。明乃が手を強く握り締めた。コメント欄には呑気に『美少女きた!』『鬼畜ぅ!』などという軽いものが流れていく。
『まぁ時間制限をセットしたくはない。でも長々ダラダラ待たされるのもあれだ。だからこんな趣向を凝らしてみようと思う』
そう言って北条はカメラに何かを見せつけるようにかざした。
針だ。正確には注射針のようだ。
「まさか……っ!」
柳が感づいたようにそういう。その針を北条は、もえかの腕に差した。中空の針の中からゆっくりと血が流れだす。本来なら注射器や点滴パックに接続されるべきものであるのだが、何処にもつながれていないそれは、ただ血をもえかの腕を伝うように流すだけだった。
『人間水時計……とでも言おうかな? 針は細いのを使っているからすぐ失血死することはないと思うよ。でもまぁ、二時間くらいなら大丈夫なんじゃないかな』
明乃はそれに絶句している。タブレットを持つ柳の手にも力が入った。
『あぁ、そうだ。こっちもこっちで武装している。晴風艦長だけで寄越すのが心配だったら柳昂三三等海上安全整備監の同行は許可しよう。武器を持ち込んでもらっても構わないけど、こちらとしてもそれなりの対応を求める可能性があることをご承知おきくださいませ。それじゃ』
北条がゴム管に手を掛け、それを外した。血の流れが制限されなくなり、ゆっくりとだが確実に、血が流れ始める。
「そこまで堕ちたか北条……!」
柳が苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべるが、向こうには届かない。画面の向こうで笑みを浮かべるだけだ。
『自慢をすれば、貶める。謙遜すれば、持ち上げる。そしてあくまで逆らいつづける。彼がついにはおのれを、不可解きわまる怪物だと悟るまで……パスカルはいい言葉を残した。私達と君達の末路だ。踊ろうじゃないか人魚諸君。これより武蔵の機関を停止する。精々足掻いて――――――』
そこまで言って、配信が停止された。『不適切な内容の配信により、放送を中止いたしました』というテロップが流れる。コメント欄では「逝ったああああああああああ!wwwwwwww」「垢BAN早っ!www」「やっぱりマジモンか!?」などの書き込みが一斉に流れていく。
「……やりやがったな」
柳が思わずそう漏らした。
明乃は俯いたままだった。
†
「案外早く晴風が正気に戻っちゃったわけだし、予定繰り上げで行くことになったけど、これでまぁ、大丈夫そうかな?」
撮影用のカメラを回収し、北条は笑った。
「これであの子はここに来ざるを得ない。さぁ、仕上げと行こう」
制帽を被り直し、もえかの方を見る。
「心配はいらない。もうすぐだ。もうすぐ、終わる」
……いかがでしたか?
とりあえず、すいませんでしたって言わざるを得ない展開になってますが、もう少しだけ続きます。
次回、いよいよ決着です。
――――
次回 誰もが待っている、明日の産声を
それでは次回もどうぞよろしくお願いいたします。