ハイスクール・フリート・プラスワン・アンド・アザー   作:オーバードライヴ

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「艦長」

 声がかかって明乃は振り返る。艦長執務室の入り口に携行火器管理責任者である西崎芽依が立っていた。その後ろに立石志摩も立っているのが見える。

「大丈夫?」
「……もう、大丈夫なのかどうかも、正直、わかんないや」

 正直に話すが、話したところでどうにもなるわけではない。だからこれは、ただの弱音だ。そう明乃は思いを飲み込んで、続ける。

「だけど、私が行くしかないから。行く」
「……そっか」

 そう言って芽依は部屋の中に入ってくる。そして小さな机の上に小さな箱と、銀色に光るそれ――回転弾倉式拳銃――を置いた。ホルスタも合わせておいて、口を開く。

「柳教官は、プラスチック弾の他にも実弾を詰めた拳銃も持っていくって」
「わかった」

 教えてくれた芽依に対して明乃はそう言って拳銃を手にとる。サムピースをずらして、ロックを解除、手のひらに転がすようにして弾倉を振り出した。

「タマちゃん」
「……なに」
「ごめんね、嫌な思いをさせるかもしれない。でも、万が一交渉に失敗して、私も教官も帰ってこなかったら」
「……武蔵艦橋ごと、吹き飛ばす?」
「うん」

 空の弾倉に一発一発、拳銃弾を詰めていく。特殊弾頭装填であることを示す、緑色に塗装された薬莢を確実に弾倉に差し入れていく。

「万が一、憶が一かな。でもありえない訳じゃない。その可能性も、わかってて」
「でも、ミケちゃんは、失敗する気はない」
「うん」

 明乃はうなずいた。志摩は目を伏せる。

「わかった。でも帰ってきてね。必ず」
「うん」

 明乃は頷いて、六発詰めの弾倉に五発の弾薬を詰めた。ゆっくりと弾倉を所定の位置に戻す。サムピースが動いてカチリと音を立てる。六発装填の弾倉に五発の弾丸……最初一発にあたる部分の弾丸を外しておくのは安全措置だ。これでホルスタから銃を引き抜くときとかに誤って指が引金にあたっても弾丸が発射されることはない。海上安全整備局の臨検マニュアルで推奨されている手順だった。

「それじゃ、行かなきゃ。もかちゃんが待ってる」

 明乃はスカートを止めているベルトにホルスタを固定し、拳銃を差し込んだ。手錠ケースに中身が入っていることと、制服のポケットにお守り代わりの懐中時計が入っていることを確かめる。制服の下にはベスト型のボディアーマーを付けてはいるが、それだけだ。犯人を刺激しないためにということで威圧的な服装は避けるべきとの司令部判断だった。武装の携帯だけは柳が捻じ込んだらしい。

 部屋を出るとそこには、知床鈴航海長が立っていた。

「リンちゃん、どうしたの?」
「ふ、船のことはし、心配しないでください! わ、私たちが晴風を守りますから」
「……うん」

 彼女に笑いかけて、廊下を進む。

「ミケちゃん!」

 鈴がその後ろ姿に声をかける。

「必ず帰ってきて! 何があっても大丈夫だから! 晴風で待ってるから! だから、必ず、生きて、生きて……っ!」

 鈴は「逃げてきてもいいから」と言いかけた口を噤む。それはきっと彼女を傷つける。そう知っていても、そう言いたかった。

「もう、今から泣いてたら大変だよ、リンちゃん。……大丈夫、必ず帰ってくるから、お願いね」
「必ずだよ! 必ずだからね!」
「うん、必ず」

 明乃は笑って、乾舷へ降りるラッタルを下る。乾舷に出れば傾いた日差しが淡い黄色に空を染めようとしていた。その光に射抜かれた目を左手で守り、明乃は目を細めた。

「艦長」

 声を掛けられる。顔を声がした方に向ければ、納紗幸子が立っていた。

「武蔵の救命筏が稼働しています。知名艦長以外の乗員を解放しているみたいです」
「わかった。そのまま監視をお願い。救命筏の回収は?」
「TU-01艦隊のスキッパーチームが動くそうです」
「じゃ、晴風からは人員割かなくていいね」
「大丈夫です」

 明乃は頷いて、スキッパーが止めてある艦後方に向けて歩き出した。

「シュペーとの連携を重視して。ネズミの制圧が完了するまでは気が抜けないから」
「わかってます。そこは抜かりなく。あと、飛行船には狙撃手が乗り込んで待機しているそうなので、万が一の時は使ってほしいと連絡が」
「わかった」

 武蔵の後方に位置を取り直したシュペーの主砲は武蔵をピタリと捉えたままだ。いつでも撃てるように待機を続けているはずだ。それを見ながら、明乃はスキッパーの近くへ。そこには既に柳が待っていた。甲板の備品を止めておくチェーンの格納箱に腰を下ろして、彼は煙草を吸っていた。横には鏑木美波が心配そうに立っている。スキッパーを格納するダビッドの操作員(オペレーター)である姫路果代子の姿も見えた。

「行けるか?」
「はい。柳教官は大丈夫ですか?」
「包帯まで交換してもらった。いつでもいける」

 柳はそう言って笑った。非常事態になればなるほど、この人は笑ってるんじゃないか。明乃はそんなことをぼんやりと思った。

「……本当は、あなたたちを出したくない」
「仕方ないだろう、鏑木さん。向こう直々のお誘いだ。出ない訳にはいくまい」

 制帽までセットした彼の膝にはHK-416C短機関銃が載せてあった。

「柳教官」
「なんだ」
「容疑者の説得、可能な限りでいいです。私に任せてくれませんか?」

 柳はそれを聞くと、動きをピクリと止めた。無風のせいか、まっすぐ昇る煙が二人の間を漂う。

「……君は素人だ」
「わかっています。でも、容疑者は私を交渉に指名した。私がやるのが望ましいはずです。それにそれを言うなら、柳教官もですよね?」
「経験は君よりは積んでいる」
「なら、私をサポートしてください。危険だと思ったら教官の判断で止めてください。そこから先は教官の命令に従います」

 柳は溜息をついてから携帯灰皿に煙草を押し付け揉み消した。短機関銃を吊り紐(スリング)で肩にかける。

「艦長。君や知名艦長だけじゃない、下手をするとこの世界の何万もの人が危険に晒される可能性がある。それでも、やるのか?」
「はい」
「……私の指示には従ってもらうぞ」

 柳はそう言って立ち上がる。美波が手を貸そうとしたが、柳はその手を取らずに両手を膝について立ち上がった。

「そう不安そうな顔をするな。帰ってくるさ」

 柳は美波の頭にポンポンと二回手を乗せた。

「岬艦長、スキッパーは君が運転してくれ。私の左手じゃスロットルが握れない」
「わかりました」

 明乃が先にスキッパーにまたがる。柳が後部座席に座る。

「待って待って待って!」

 ダビッドが稼働し、もうスキッパーが海の方にせり出したそのタイミングになってから、艦橋の近くのドアが開いてパタパタと人が駆けてくる。

「しろちゃん? ミカンちゃん?」
「これ! お弁当!」

 給養長を務める伊良子美甘がそう言って小さなウェストポーチを二つスキッパーの方に突き出した。

「中におにぎりが二つ入ってます。どっちも梅だから一日二日は何とかなるはず!」
「う、うん。えっと……?」

 明乃がぽかんとしたままそれを受けとった。ましろがその様子を見て小さく笑った。

「人質として向こうが持っているカードは知名もえか艦長のみです。そのまま艦長や共感を人質にして籠城戦というのもありえますから」
「シロちゃん副長がお弁当作れないかってさっき言うんだもん。焦ったから塩はまだらに効いてるかも」
「し、仕方ないだろう! 気が付いたのがさっきだったんだから!」

 ましろは顔を赤くしながらそう言い返す。それが子供っぽいとでも思ったのか咳払いを一つして、明乃の方に向き直った。

「それと艦長、忘れ物です」

 そう言ってましろは明乃に艦長用の制帽をかぶせた。咄嗟にぎゅっと目を瞑ってしまった明乃だが、そっと目を開けると、ましろが優しい笑みを浮かべていた。

「あなたが艦長なんです。晴風はあなたの船だ。私はそれを借りて、守るだけです。ちゃんと持って行って下さい。名前だって書いてあるんですから」
「……わかった」

 明乃がゆっくりと頷いて、制帽をしっかりと被り直した。

「艦長、教官、……勝ってきてください」
「うん。必ず」
「確約できない約束はするつもりはない。善処しよう」

 柳はそう言って肩を竦めた。その肩から力が抜けた時には、柳の瞳は冷えていた。

「情に流されることない判断を期待する」
「万が一に備え、晴風強行臨検隊を編成しておきます。万が一の時は駈けつけますので」
「……それが情に流されてるって言うんだ」
「負けるつもりも死ぬつもりもないんでしょう?」
「だが万が一の可能性を排除できない。その時に備えておけ」
「わかりました」

 ましろが敬礼。それに明乃と柳が答える。明乃は敬礼の姿勢のまま口を開く。

「現時刻をもって晴風の指揮を宗谷副長に委譲します。宗谷副長は武蔵の監視を続行しつつ、強行臨検に備え、待機してください。必要であれば宗谷副長の判断をもって、全火力兵装の使用を許可します。この命令は私が帰還するか、上位指揮官の指示があるまで有効とします」
「宗谷副長、晴風の指揮を受け取りました。……どうか、ご武運を」

 敬礼を解いて、明乃はましろに頷いてダビッドを降下させるように指示を出した。せりあがっていくように見える甲板を見上げて、明乃は声を張り上げた。

「―――――いってきます!」
「いってらっしゃい!」

 ましろや他の皆が返してくれる。その声を刻み付け、明乃はスロットルを吹かした。ゆっくりと艦を離れていく。

「……晴風、か」

 柳が呟くように言った。

「いい艦になったな」
「はい」

 明乃はゆっくりと舵を武蔵に向ける。

「晴風という言葉の意味、艦長は知っているか?」

 明乃は振り返ることなく首を横に振ってそれに応えた。

「実は晴風という単語自体は辞書に載っていない。この船の為に作られた言葉らしい。――――晴れた海を渡り吉報を運ぶ風、という願いをかけたそうだ」

 柳の言葉を、明乃は噛み締める。武蔵はすぐそこ。明乃はスロットルを緩めながら、返事を返した。

「……いい、意味ですね」
「この言葉の通りになるよう、努力せねばな」






今未来と過去が交差する

 

 

 鼻につくのは、薔薇のような匂いだった。出どころを一瞬目で探すが、花は見当たらない。操舵主用のサイドコンソールに、赤ワインの瓶とキャビアかなにかの缶詰が置いてあるのが見える。

 

「ようこそ武蔵へ、歓迎しよう、直接会うのは初めてだね、岬明乃艦長。コウちゃんは二週間ぶりくらいかな?」

 

 艦橋で笑うのは北条沙苗だ。正装である第一種制服をかっちり着こんでいる彼女の左の腰には日本刀らしき何かがつられていた。

 

「電子機器なんて無粋なものは使えないだろう? とりあえずその意味のないインフォメーション・イルミネーターは窮屈じゃないかな?」

「生憎近眼で眼鏡は欠かせなくてね」

 

 柳は明乃より先にそう答えた。柳と北条は旧知の中でそんな言い訳が通用する訳がない。それでもそう言ったのは暗に明乃に外すなと告げるためだろう。明乃はそれを汲み取ってか、イルミネーターに手を掛けることなく北条の横で座っているらしい、影を確かめる。椅子の背もたれの向こう、だらりと下がった手からは滾々と血が流れ出ている。

 

「まぁ、それでいいならそれでいいさ。……こういう状況で話すのも落ち着かないだろう。まずは彼女に目覚めてもらわなきゃ」

 

 北条はそう言ってゆっくりとその座席を回した。

 

「おや、感動の再会だろう?」

 

 ケラケラと笑う彼女は『早く迎えにこないのか』とでも言いたげだ。

 

「とりあえず君が来てくれて助かったよ。私もこんな才能の塊をタイマー替わりに使い潰すのはもったいないと思ってたんだ」

 

 そう言って北条は無造作に刺さっていた針を抜く。痛みが走ったのかもえかの体がピクリと動いた。

 

「……つれないねぇ。せっかく知名もえかは君を待っていたというのに」

 

 明乃は北条を見る。そういう北条の顔には笑みが張り付いているが、その瞳からは何の感情も読み取れなかった。

 

「とりあえずこれでタイマーは止まった。ぜひ一度君と会って話がしたかった」

「こんな回りくどいことをしなくても、電話をしてくれればお話できました」

 

 明乃が努めて淡々とそう答えたつもりだが、その言葉の端に棘が混じる。北条が噴き出すように笑った。

 

「まさか、そこの彼が許さないでしょ? ね、コウちゃん」

 

 北条は柳に話を振った。柳の手の中に短機関銃があるのは知っていた。構えてはおらず銃口を明後日の方向に向けているとしても、彼が必要にかられれば撃つぐらいのことは知っている。

 

「だんまりかい?」

「おしゃべりに来たわけでもなければ、飲みに来たわけでもないんだ。要件を聞こう」

 

 柳がそう言えば北条は一瞬ぽかんと呆けたような表情をしてから、どこか失望したような色に変えた。

 

「うん? あぁそうか、要件、要件ね。私からは一つだ。それは」

「ここで私に捕まること……いえ、私に殺されること、違いますか?」

 

 明乃が途中で言葉を奪った。そのまま一歩前に出る。

 

「あなたのことは柳教官と宗谷校長からお伺いしました。もう言葉遊びはやめにしませんか、北条更紗さん」

 

 沙苗ではなく更紗と呼ばれ、北条から表情が消えた。

 

「ヘファイストス計画には一つの大きな問題がありました。『平和の創造と輸出』を目的とする計画の中に、宇宙太陽光発電システムの地上施設警備の名目でブルーマーメイドを派遣し、直接的にその地域の治安の安定化をはかるということが含まれていました。そのためにはブルーマーメイドの規模拡張を含む強化が必要になります」

 

 明乃はそう言って一度言葉を切った。沈黙は肯定と受け取り、続ける。

 

「海外への派遣を前提としてブルーマーメイドを強化すると言った場合、世論の反発は避けられない。だからこそ『ブルーマーメイドの強化もやむなし』と世論に認めさせなければいけなかった。その認めさせる材料とすること。それが今回のRATtウィルス騒動の本質ですね?」

 

 明乃はそう問いかけるが、北条はやはり沈黙、聞きに徹するつもりらしい。

 

「そのために必要なのは『ブルーマーメイドは限界まで追いつめられ、大きな犠牲を払いつつもなんとか鎮圧することができる』規模の騒動だった。鎮圧されることを目的としたテロ計画。それが――――ヘスペリデス計画だった」

 

 明乃はそう言って笑った。

 

「横須賀女子海洋学校学生艦行方不明事件、東舞鶴海洋学校教員艦壊滅事件、新橋商店街船破壊工作事件、そして、アドミラル・シュペー蘭領インドネシア領海侵犯未遂事件。北条さんはそのすべてに影を残すように行動を続けてきた。それも、わざと」

 

 思えばおかしかったのだ。北条沙苗にとって新橋商店街船に顔を出すことはリスキーだったはずだ。

 

「わざわざ新橋商店街船で顔を出したのは、騒動の規模を大きくするため。私にゆうかく丸沈没事故について話したのは、私があなたを追いかけることを強いるため。宗谷ましろ副長を助けたのは、私がそこで再起不能になることを防ぐため。東舞鶴海洋学校教員艦との戦闘の時に使った噴進魚雷にしても、晴風側で迎撃できなければ直前で自爆させるつもりだったんじゃないですか? 起こった事件の全部が全部、この物語の裏側に『北条沙苗という人物がいることを』をほのめかしていた」

 

 明乃の問には彼女はやかり答えない。夕焼けに向けて僅かに色を変えていく空を背に黙したままだ。

 

「テレビや新聞は連日この事件について取り上げる。そしてその中で『北条沙苗とは何者だったのか』そして『なぜこんな事件を起こしたのか』を取り上げるでしょう。あなたはそれを見越して……メディア向けの偽の行動理由とするために、捨てきれていなかった『北条更紗』を利用した」

 

 武蔵の艦橋は静まり返っていた。そこに明乃の言葉が淡々と響く。

 

「仏領ベトナムの病院には『北条沙苗』の死亡記録が残っていました。公式書類なんて調べれば簡単に見つかります。そしてあなたが『北条更紗』であることがわかってしまう。……ヘスペリデス計画の本性を隠すために北条更紗による北条沙苗の敵討ちを装った」

 

 彼女たちがベトナムに逃げることになったのは、北条沙苗が村で行われていた不正選挙を告発しようとしたためだ。そして、逃げた先のベトナムで犯され、自ら命を絶った。ブルーマーメイドはそれを見殺しにし、日本ではそれらに追いやった人間たちがのうのうと日常生活を送っている。――――それらへの復讐としてのテロ活動という筋書きを組み立てた。

 

「必要だったのは『北条沙苗がテロ活動を起こすこと』で『テロで何をするか』は問題じゃなかった。嘘の理由と、嘘の目的を振りかざして、テロを起こせればなんでも良かった。恐怖を煽れれば他のことはどうでもよかった。だからあなたは―――――私たちを利用した」

 

 明乃はそう言いきって、北条を睨んだ。

 

「アドミラル・シュペーがウィルスに罹患して、ニューギニア島の騒動を煽ったことで、RATtウィルスの脅威は知れ渡った。テロの主犯としてあなたが指名手配された時にはすでに目標を達成していたんですね」

 

 明乃はそう言って薄く笑みを浮かべる。

 

「金鵄友愛塾はあなたを切り捨てることで、海上安全整備局側の陣営に無事に収まり、その情報提供や支援を受けて、私たちが鎮圧する。金鵄友愛塾がヘスペリデス計画を主導したことの確たる証拠はない。もし証拠があったとしても、世の中に出せば海上安全整備局自体が機能しなくなるかもしれないから、誰かが握りつぶす。あなたさえ口を割らなければ全て勝手にうまくいく。……私たちはずっと、あなたの手のひらの上で踊っていただけだった」

 

 それを聞いた北条がくつくつと笑いだす。その肩が笑いに合わせて上下に揺れた。

 

「なるほど、君は君の真実にたどり着いたわけだ」

 

 北条はそう言うと舵輪に背中を預けるように寄り掛かった。

 

「十二分に役目を果たしてくれたようでなによりだ」

「……否定はしないんですね」

「その否定に意味があるかい?」

 

 反語だ。言外に肯定し北条は続ける。

 

「わかっているはずだ。ここで指摘したところで何の意味もない。日本政府はこれを揉み消すだろう。もちろん君も語れまい。君が言った通り、これは日本という社会システムを破壊しかねない爆弾だ。不発かもしれないが、丸々国土が吹き飛ぶかもしれない爆弾だ。破裂させれば君の居場所はないだろう」

 

 ぞっとするような笑み。どこか狂気が混じる笑みを、明乃に向ける。

 

「君は身をもって知ったはずだ。海上安全整備局という組織がどれだけ無力であるかを、そして人間がどれだけ愚かであるかを、社会がどれだけ稚拙であるかを知ったはずだ。悪しき精神、悪しき慣習、悪しき不義が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)し、それらを守るために君たち人魚が危機にさらされる」

 

 そう言って北条は両手を横に広げた。

 

「世界は狂気に満ちている。私と言う存在を許容し続けたように、私と言う不義が正義となされてしまうほどに、世界は狂気に満ちていた。誰かの正義にもなれず、誰かの英雄にもなれはしないこの人間すら、正義の一翼を担えるようなこの唾棄すべき世界で君たちは生きている」

 

 口角を吊り上げた北条の口元から犬歯が覗いた。

 

「私はね、岬明乃君。この世界を愛していたんだ。このろくでもない世界を、お姉ちゃんを痛めつけ、泣かせて、殺した、こんな掃き溜めのような世界を、どうしようもないほどに愛してしまったんだよ。愛せてしまったんだよ。私は絶望しきれなかった。希望を信じてしまった」

 

 その狂気を真正面から受け止め、明乃はじっとその瞳を見つめていた。

 

「正義になりたかったよ。正義でありたかったよ。それでも、この世界の正義は、弱者を切り捨てる正義だ。力を守り、振るうことしかできない正義だ。私の肌にこびりついて離れないその饐えた匂いのする正義で、私は何を守ればいい?」

「だから、全てを切り捨てるんですか?」

 

 明乃はまた一歩、前に踏み出した。

 

「私も、同じ間違いをしました。全部背負って、全部抱えて、正しくあろうとするために、私は晴風のみんなを危険に晒し続けました。あなたを、もかちゃんごと吹き飛ばそうとした。でも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ハ! 間違い!?」

 

 北条が吐き捨てる。

 

「今世紀最大のジョークだ。では君は何を守る?」

「守るのは私じゃない。一人で守れるものには限界があるんです。だからみんながいて、仲間がいて、家族がいる。それを私は忘れていた」

 

 明乃は自分の胸に手を当てる。

 

「それを副長が、晴風のみんなが覚えていた。私に思い出させてくれた。だから、私はここにいる。ここに来ることができたんです」

 

 思い出す。一人ひとりの顔を思い出し、明乃は笑った。

 

「何を守ればいいかはきっと人によって答えが違う。絶対に正しい答えなんてきっとどこにもない。だから私は考えることをやめない」

 

 明乃はまっすぐ前を見て、北条に言葉を叩きつける。

 

「きっと大切なのは、大切にするべきだったのは、ううん、()()()()()()()()()()()()()それが正義かどうかなんかじゃない。それをみんなで考えて、悩んで、それでも正義を探していくことのはずです!」

 

 明乃はそう言いきって、声を張り続ける。

 

「正義も悪もだれか一人が決めるものじゃない! 私もあなたも、正義の味方なんかじゃないし、悪の手先でもないはずです! だから私たちはどんなに辛くても泣いても怒っても、正義の味方になろうと頑張って、正義を守ろうとするんです!」

 

 明乃はそう言って腰に右手を回した、カイデックス樹脂製のホルスタから、拳銃を引き出した。それをゆっくりと両手で構え、北条に向けた。

 

「北条更紗さん。あなたには海洋航行不法行為防止条約違反等の嫌疑により逮捕命令が出ています。おとなしくこちらの指示に従い、投降しなさい」

 

 明乃のその宣告は確かに艦橋に響いた。北条はしばらく黙っていたが、視線を落として笑ったようだった。

 

「一つ聞かせてほしい、岬明乃君、君は世界を信じるかい? この世界を守るブルーマーメイドに良識があると信じるかい」

 

 北条の声はポツリと足元に落ちる様なものだった。明乃は拳銃を構えたまま、ゆっくりと口を開いた

 

「私は悲観しない。たくさんの人が命がけで守ってきた世界です。みんなが希望を探して、見つけたものを必至に守って受け継いできた世界です。私はそれを信じてみたい」

「それは、君の命を賭けるに値するものかい?」

「守るべきものであると、思っています」

 

 明乃の言葉に北条は小さく息を吐いた。

 

「……君に言葉を一つ送ろう。第四福音書、ヨハネによる福音書より第十二章第二十三節から第二十五節だ」

 

 北条はそう言って呪文を唱えるかのようにサラサラと言葉を紡ぐ。

 

「――――人の子の榮光を受くべき時きたれり。誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の(むぎ)、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。己が生命を愛する者は、これを失ひ、この世にてその生命を憎む者は、之を保ちて永遠の生命に至るべし

 

 明乃は眉を小さく動かした。それがおかしかったのか北条は顔を上げた。

 

「イエス・キリストがイェルサレムにて異邦人から面会を頼まれた時に、こう答え断ったとされている。イエスは自らが十字架にかけられ処刑されることを定められていた。異邦人はこのイエスを助けようとしたと考えられる。その面会を、イエスは『人の子が栄光を受けるときが来た』と言ったあと、あの例えを用いた」

 

 北条は左手を上げ、見えないものをつまむような動作をした。

 

「この例えの意味はこうだ。麦はイエス・キリストを指す。地面は世界だ。ここでイエスが異邦人に従い生き延びたとしよう。そうすればイエスは長いこと現世に留まることができるだろう。でも彼はそうしなかった。ではどうしたか」

 

 北条は指を開く動作をする。

 

「十字架にかけられ、死ぬ。これによって(イエス)地面(せかい)と一つとなる。地に落ちた麦たるイエスは将来の収穫を約束された。これが福音だ」

「何が言いたい。その麦がこの子たちだとでもいうつもりか?」

 

 北条の雰囲気にただならぬものを感じた柳が会話に割り込む。

 

「コウちゃんはバカだなぁ。この話の流れでそうなるわけないじゃん。……君たちは詰めが少しばかり甘い。英雄を気取るなら、これぐらいはやらなくちゃ」

 

 そう言って北条は明乃の方に何かを蹴り込んだ。柳が小銃を構えた。明乃がそれを手で止めるあいだに、蹴り込まれたそれは硬質な音を立てて床を転がり、明乃の靴にあたって止まる。

 

「H&K P2000 V(ヴァリアント)5(フュンフ)、海上安全整備局において正式に使われている自動特殊けん銃だ。ダブルアクションオンリー(D A O)だから安全装置を外して、狙って、引金を引く。それだけでいい。どうせその銃には実弾なんて入ってないだろう? 安心したまえ、ブービートラップなんぞ仕掛けてない。それにこれは君が望んだ選択のはずだ、岬明乃」

 

 北条はそう言って笑う。柳が舌打ちした。

 

「十字架に掛けろと言うつもりか」

「まさか、詰めが甘いのは君たちの方だって言ったよね? 英雄的なことを言いながら、その覚悟もなくここまで来た。……非殺傷性兵器(ただのオモチャ)じゃなくてさ、ちゃんとした武器を使って証明しなよ。自らが正しいことを、この世界の害たる私を排除してみせなよ。それとも、親友の頭でも吹き飛ばせば動くのかい?」

 

 茶化すようにそう言うが、明乃は彼女を照星越しに睨むだけだ。その様子に北条は笑みを浮かべた。

 

「……なるほど、それが答えか。君はあくまで法や任務の中で、世界を守る。それが君の正義か。君の守る答えなのか」

 

 舵輪に寄り掛かったままの北条だったが、上半身を揺らし、両方の足でしっかりと立った。

 

「少し残念だよ。アンデルセンの『人魚姫』を読んだことがあるならわかるはずだ」

 

 彼女の右手が腰に回った。

 

 

 

「人魚姫の(ねがい)は――――――――」

 

 

 

 直後、柳が発砲。

 

 

 

「――――――叶わないんだよ!」

 

 

 

 彼女の髪を数本散らして、柳の放った弾丸は彼女の背後を過ぎ去り、窓ガラスにヒビを入れた。狙いは正確。外したわけではない。彼女がそれより数瞬早く、前に飛び出したのだ。

 

「っ!」

 

 爆発的な加速度で北条が明乃に迫る、明乃は咄嗟に体を引いた。伸ばしていた腕を退いて顔の前まで跳ね上げる。

 

 北条が抜刀。居合抜きだ。

 

 体の加速度と全身のばねを使って振り抜かれた白刃が一瞬光る。次の瞬間には明乃の構えていた銃の銃身が真二つになり宙を舞った。切っ先が額をなぞるように掠める。その切っ先を追うような弧を描いて鮮血が散る。明乃の艦長帽が弾き飛ばされた。

 

 北条が逆袈裟に振り抜いた刀を返し、刃筋を立てる。斜め上段から振り下ろす気だ。

 

 そこに柳が飛び込んだ。

 

「――――テメェの相手は俺だ北条!」

 

 短機関銃の銃床が北条の横顔に叩きつけられる。北条は煽られるようにたたらを踏んだ。その空いた間隙に柳が身体を滑りこませ、額に手を当て痛みに耐える明乃を背中に隠す。耳を銃床で叩き壊された北条がそれでも日本刀を振り下ろすのと、銃を両手で持った柳がそれを受け止める体勢を取ったのはほぼ同時。金属が衝突する音。

 

「ぐぅっ!」

 

 柳が呻く。それでも刃は止まっていた。

 

 短機関銃は金属のパーツの複合体。正確に刃筋を立てられねば両断することは難しい。北条の刀は短機関銃に半分めり込む形で止められていた。

 

 柳はそれを左手一本で振り回し、北条の手から日本刀をもぎ取る。使い物にならなくなった獲物をその勢いで捨てると同時に掌底を彼女に叩き込まんと右手を繰り出した。

 

 北条はバックステップで距離を取る。血染めの左の顔半分を気にすることなく、北条は笑みを浮かべる。

 

「すごーい、コウちゃん。怪我してるのによく動くね」

太平洋法執行グループ(P a c L E G)を舐めるな。伊達に人魚の足(レッグ)を名乗ってねぇよ。来いよ北条、遊んでやるよ。昔のようにな」

 

 柳は腰のホルスタから拳銃を引き抜いた。可視光レーザーポインタユニットをオプション装備したH&K USPだ。レーザー光が北条の左胸を射抜いている。

 

「嬉しいね。あんたは一度本気で殺しておきたかったんだ、よっ!」

 

 北条が飛び出す。発砲音は一回。姿勢を低くして致命傷になる位置を避けた北条の左肩を抉って飛びぬける。北条は倒立前転の要領で一気に柳の懐に飛び込む。床についた手がフリーになると同時に右手はナイフを掴み、横凪に柳の喉笛を掻き切らんと振り抜いた。

 

 それを交わした柳の姿勢は斜め後ろに伸び上がるような動きになる。その隙を見逃さなかった北条が腕を振り抜いた動きそのままに回し蹴りを放つ。過たず自動拳銃の横腹を捉え、弾き飛ばした。足を引き戻す動きで体の回転を加速させ、もう一度ナイフを振るう。柳は大きく後ろに飛び下がり、その隙に右手は腰に差していたナイフを引き抜いていた。

 

「岬さんは下がってろ!」

 

 北条の姿勢が整う前に、今度は柳が踏み切った。順手(サーベルグリップ)で握りこんだナイフを相手の腰ほどの高さに突きを入れんと姿勢を低くした。

 

 ナイフ戦闘において、突きは最強かつ最善のカードだ。ナイフの投影面積が少なく、相手にナイフが見えにくいため避けにくい。同時に相手の体を致命的な深さまで抉ることが可能だからだ。

 

 北条は軽くバックステップを踏むように下がるが、狭い艦橋ではあっという間に壁に行き当たる。そこに柳が首元に向けナイフを叩き込まんとさらに加速度を付けて飛び出した。窓際の床を転がるようにそれを避ける北条。

 

 柳もそれは予測済。壁を蹴るように急制動をかけ、態勢が致命的に崩れた北条を床に押さえつけんと飛び込んだ。

 

「ばーか」

 

 北条は床に座ったような姿勢で足を振るい、柳の右手のナイフを蹴り落とす。その時にスラックス越しに斬られ、血飛沫が散るが北条は気にすることはないかのように次の行動に移る。蹴りの動きのままくるりと横に回り、地面に両手をついて足を畳む。カンガルーキックの要領で柳の顎を靴底で打たんとするが、柳は半身を逸らすことで回避。そもそもこれが当たるとは北条も思っていない。そのまま勢いで起き上がり右手のナイフを柳の首元に突き出す。

 

 この時ばかりは柳の方が上手だった。首の皮一枚を犠牲にして、伸びきった北条の右腕を左手で引っかけてロック。そのまま相手を捉え、肘鉄を相手の顔面に叩き込む。急所である鼻筋は首をひねることで辛くも避けられたが、頬骨を砕かんとする勢いで彼の右ひじがめり込む。

 

「――――っ!」

 

 北条が声にならない悲鳴を上げながらナイフを取り落とした。彼女の右腕を戒めていたロックを解除すると同時に、柳は回転運動を開始。左足で落ちたナイフを明後日の方向に蹴り出して無効化する。そのまま相手のこめかみを蹴りつけんと左足の踵を高速で打ち出した。そして驚愕する。

 

「―――――つかまえた」

 

 その足を左腕で受け止めた北条が柳の足を掴んでいた。ここで初めて柳は肘鉄が不完全にしか決まっていなかったことを知り、同時にハイキックというリスキーな手段を選択したことを呪った。

 

 北条がその足を抱き込むようにして体を回す。柳はそれに引きずられるように体勢を崩し、羅針盤を叩き壊すように背中を強打する。同時に火箸を突っ込まれたような痛みが走った。

 

「ぐぁ……っ!」

 

 航海用の羅針盤には、コンパスの水平を維持するためのリンクが付いている。それの支柱が柳の脇腹に浅く刺さった。致命傷ではないものの、柳の動きを止めるには十分な痛みだ。天面を覆うガラスが砕ける音とともに、そのまま床に崩れ落ちる。

 

「どうした……もう、終わりかな?」

 

 北条がそう問いかける。その息も荒い。そのまま柳の胸倉を掴んで持ち上げる。

 

「それは、どうかな……っ!」

 

 柳が身体を跳ね上げ北条の頭に頭突きを叩き込む。柳は戒めが解かれたその隙に立ち上がり、操舵主用のサイドコンソールに置いてあったワインボトルを掴む。北条は壊れた羅針盤に手をついて、笑った。

 

「……さすがに、つよいね。コウちゃんの怪我を考えれば、トントンだと思ってたんだけど、さすがだ」

 

 北条は、笑う。右手で袖をいじっていた。そして機械音と共に何かが飛び出す。

 

「でも……これは、どう、かな?」

 

 柳が飛び出す。だがそれより先に彼女の右手が真横を向いた。袖に固定されていたのは22口径デリンジャー。バネ仕掛けで飛び出した銃を知名もえかの方に向け、中指で引金を引かんとする。知名もえかを庇う位置に、額からの血が止まらない明乃が走り込んだ。もえかに体当たりをするような形で明乃は彼女を射線から外した。

 

 その直後、発砲。

 

「――――――っ!」

 

 明乃の胸に、銃弾が突き刺さる。

 

 

 

「また、守れなかったね、コウちゃん」

 

 

「貴ッ…………様ァァァァァアアアアアアアアアアアアッ!」

 

 

 

 柳が吠え、ワインボトルを振りかざす。その彼に微笑んで、北条はデリンジャーを向けた。

 

「そこで感情を制御できないから甘いんだよ」

 

 柳の体を、弾丸が貫いた。ワインボトルが砕けて、散る。

 

 そして彼の意識は、短時間ながら一度ここで途切れることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

      †

 

 

 

 

 

 

 

 

 大きくへこんだ懐中時計をポケットから取り出して、明乃は溜息をつく。まだ胸が痛い。22口径は懐中時計を破壊しただけで動きを止めていた。

 

「……これで、満足ですか?」

 

 明乃は左手で肩を押さえながら、右手で自動拳銃を持ち、そう言った。脂汗が滲む彼女の視線の先には顔のほとんどを血で染めて笑う北条の姿があった。

 

「さぁね、答える義理もなければ、君も答えを求めてはいないだろう」

 

 柳の攻撃は彼女の頭部に集中していた。徹底的に脳を揺らされ、北条は立つこともままならなくなっていた。

 

「さぁ、もう君を止めるものはない。君はどうする、岬明乃」

 

 そう言って唇の端に血の泡を付けた北条は、歪んだ笑みを浮かべたようだった。

 

「君の英雄譚は世界が望むものだろう。君がどう思おうとも、世界は君を祀り上げる。悪を打ち滅ぼした英雄として、ね……」

 

 だらりと下がった自動拳銃を見て北条は続ける。

 

「世界は英雄に飢えている。英雄を欲している。その英雄が世界を変えることを求めている。英雄の正義は力によって担保される。君もまた、その担い手だろう? 君の生き様はいつかドラマなり、アニメなりで取り上げられるんじゃないかな。その時には英雄譚に不都合な私やコウちゃんは消えているかもしれないが……海に生き、海を守り、海をゆく。実にキャッチーだとは思わないかね?」

 

 北条は皮肉げにそう笑った。

 

「私は英雄なんかじゃない。英雄なんかになりたくない」

「君の行動は君の意志でなされ、君以外が意味づけする。君がなりたいかどうかは関係ない」

「ならあなたはなんで、私ともかちゃんを選んだんですか?」

 

 明乃はそう問いかける。北条はそれを鼻で笑った。

 

「理由はない。あえて言うなら……運命、かな? くだらない話はいいだろう。さあ、その銃を撃つがいい。君の父上の仇であり、君の親友を傷つけた元凶だ」

「それで何が変わるんですか?」

「すくなくとも気分はすくだろうさ」

 

 明乃はそれを聞いて、ため息。拳銃を投げ捨て、手錠を取った。

 

「あなたには、ちゃんと法廷で裁かれてもらわなきゃいけない。北条更紗さん、あなたを公務執行妨害の現行犯で逮捕します」

「ふ……それこそ、それでなにが変わるのか」

「変わりますよ、きっと」

「……どう変わるのか見ものだな」

 

 手錠を北条の両手に掛け、明乃は立つ。ライトガンを手に取り、窓から見える晴風に向けた。

 

「勝ったよ、しろちゃん」

 

 明乃はそう呟いて、符号を送る。晴風からもすぐに返答が帰ってきた。間もなくTU-01艦隊と晴風から臨検隊と医官がやってくる。

 

 それを確認して明乃は艦橋の中に目をやる。できる限りの治療をしなければならない。動けるのは今、彼女だけなのだ。

 

 止血処置をする間に、臨検隊が飛び込んできた。

 

「艦長!」

 

 真っ先に飛び込んできたのはましろだった。血だらけの艦橋に顔を青くしながらも、明乃が生きているのを見て、目に涙をためながら彼女に抱きついた。

 

「大丈夫、ちゃんと勝った」

「はい! はい……!」

 

 その間に複数の白衣を着た集団が飛び込んでくる。その先頭に立つのは鏑木美波だ。

 

「頭を打っている可能性がある! 頭部は動かさないように注意! バイタルサインを確認したら傷の止血を優先。体液の喪失が怖い!」

 

 美波が声を大にして指示を出していく。

 

「うぅ……」

 

 それに気が付いたのか柳が眼を開けた。

 

「あの後、どうなった。誰か、状況報せ」

「無理しすぎなのバカ!」

 

 柳の声を問答無用で叩き切った美波。柳はいきなり怒鳴られ目を白黒させている。

 

「全員、無事なのか?」

「無事ですよ。みんな、生きてます」

 

 明乃はそう言って、柳の方をちらりと見た。

 

「……そうか、なら、よかった」

 

 柳はどこか満足したように笑みを浮かべ、身体から力を抜いた。

 

「とりあえず、一服してぇ」

「その前に病院に緊急搬送。文句は言わせない」

 

 美波に咎められて苦笑いする柳。その様子を見て、明乃は小さく笑い、立ち上がった。その肩をましろが支える。

 

「もかちゃん……」

 

 床に寝かせていたもえかには、すでに医者が取り付き、リンゲル液の点滴が開始されていた。彼女が薄ぼんやりと目を開ける。

 

「ミケ、ちゃん……」

「遅くなってごめん。やっと、会えたね」

 

 血液が足りないせいで冷え切った手の先を握る。

 

「待たせてごめんね」

「ううん、ありがとう」

 

 もえかはゆっくりとそう言った。

 

 

 

「たすけにくるって、やくそく、まもってくれてありがとう」

「うん。私こそ、助けに来るまで生きていてくれてありがとう」

 

 

 

 涙の雫があふれるのが、明乃自身でもわかった。涙でいびつに揺れる視界の中でも、もえかが同じように泣いているのがわかった。明乃の背中をそっと撫でながら、ましろも少しだけ泣いた。

 

 涙が武蔵の艦橋に落ちる。夕陽を乱反射させるその雫が、戦いの終わりを告げていた。

 

「さぁ、帰ろう」

「うん」

「はい、艦長」

 

 声をそっとかけ、明乃は立ちあがる。担架の持ち込みができないせいで重傷者も肩を貸すような形での移動となった。ゆっくりゆっくり、ラッタルを下り、甲板に向かう。

 

 

 

 

 夕陽に照らされた甲板に、晴風が横づけされていた。

 

「……」

 

 晴風に向かうラッタルの前で、明乃はぼんやりと空を眺める。武蔵の監視を担っている飛行船の白い外殻が夕陽に光っている。それをどこか綺麗だと思った。逆光で暗く沈んだゴンドラ部分が美しくちかりと光った。

 

「――――――え?」

 

 直後に後ろから強く押されて、明乃は前につんのめる。ラッタルに慌てて一歩踏み出して、事なきを得るが、何があったのかわからずとっさに後ろを振り返った。

 

 

 

 そこから先で一体何があったのかを、明乃はよく覚えていない。

 

 

 

 ただ何となく覚えているのは、北条が笑いながら明乃の背中を押したこと。

 

 すぐにその顔がかき消えたこと。

 

 柳が何かを叫びながら明乃に手を伸ばしたこと。

 

 そしてそのまま一緒に海に落ちたこと。

 

 

 

 そして誰かから「ありがとう」と声をかけられたこと。

 

 

 

 

 

 

 

    †

 

 

 

 

 

 

 

「誰が!? 誰が撃ったの!?」

 

 司令部で宗谷真雪が叫び声をあげる。部屋の中は三秒前までの静寂から一転していた。

 

「不明! 現在確認中!」

 

 真雪の声に叫び返す管制員。それに被るように宗谷真霜が指示を出す。

 

「晴風! 落水した岬1士と柳3監の回収、急いで!」

「射角割り出し出ました! 『くまたか3号』です! 『くまたか3号』の狙撃手が発砲した模様!」

 

 情報担当の管制員が報告を上げる。真雪はすぐさま無線を繋いだ。

 

「『くまたか3号』! どうして北条容疑者を撃ったのっ!? 答えなさい! なぜ!  どうして撃ったの!」

 

 無線には応答がない。ただのホワイトノイズを返すだけだ。そしてそれが、ほぼ答えだった。

 

「あの議員、やってくれるわね……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これが後に『RATt連続テロ事件』と呼ばれることになる一連の騒動の、あまりにあっけない幕切れだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





……いかがでしたでしょうか。

これにて、ハイスクール・フリートのアニメで描かれた時系列については終了です。最後の最後まで血みどろのドロドロになりました。それでも何とかここまでこぎつけました。本当にありがとうございます。

もう少し(1話もしくは2話)で本編完結となります。もうしばらくお付き合いいただければ幸いに存じます。



実は本作と世界設定等の一部共有を行っている作品がありますのでこの場を借りてお知らせいたします。現在共有等を行っている作品は2作品です。

まずは、Virgil先生『ハイスクール・フリート-No one knows the cluster amaryllis-』(URL: https://novel.syosetu.org/99887/
Virgil先生には世界設定の構築で多大なるご尽力を頂いており、そのかっちりとしたロジックはほんと頼りにさせていただいております。もかちゃんと武蔵に焦点を当てたストーリーです。

つづいて、プレリュード先生『はいふりっ! 今日の晴風クッキング!』(URL: https://novel.syosetu.org/111839/
拙作では描けなかった日常ほのぼの系クッキングストーリー(?)なお話です。『プラスワン・アンド・アザー』の食事事情が今ここに……? なお話です。


なおこれらの作品においては「世界設定の一部共有」であり「プラスワン・アンド・アザー」とは別の時空のお話です。従って晴風に柳昂三は乗っていませんし、武蔵に北条女史は乗っていません。本作とは別のストーリーラインで進むことをご承知おきください。



――――――
次回 その栄光は誰が為に
それでは次回もどうぞよろしくお願いいたします。
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