ハイスクール・フリート・プラスワン・アンド・アザー 作:オーバードライヴ
「よう、まだ堅苦しいスーツ着てるのか」
「うるさいな」
日に二本しかない列車から降りて出会い頭すぐにそう言われ、柳昂三は苦虫を噛み潰したような顔をした。ほぼそれが彼の癖であることを、横に立つ鏑木美波は最近理解した。
「遠路はるばるお疲れさん。で、そっちの嬢ちゃんが件の?」
「鏑木美波さんだ」
柳に右手でぽんと押され美波は頭を下げた。緊張しているせいか、水飲み鳥のようなぎこちない物となった。青いツナギにタオルを鉢巻のように巻いた男がそれを見て笑う。身長は柳より高い。180センチは確実に超えている。
「鏑木美波です。よ、よろしくお願いします」
「柳
「本人がいるのに言うかそれ」
「実際迷惑かけまくりだろ?」
泰星と名乗ったその男はそう言って、美波の手元からバッグを取り上げると笑った。
「まぁとりあえず行こうや。美波ちゃんが来るのを指折り数えてた母ちゃんがトウキビをガンガン茹でてる」
「……美波さん、とりあえず食い合わせトライアスロンが始まるから無理だったら断れよ」
柳が美波にぼそっと耳打ちするようにそう言う。美波はそれに頷くことで答えた。
北海道、北北海道島、富良野。―――――鏑木美波にとっては初めての北海道であり、初めての柳の実家への里帰り(?)である。
†
美波にとっては、軽トラックの荷台に乗ることも初体験だった。湿度が低いのか、気温はそこまで変わらないが、吹き付ける風は本州よりも涼しく感じる。それに髪をなびかせながら。珍しい物を見つけては背中を運転室の壁に預けた柳の袖を引く。
「柳教官、あれは?」
「ロールサイレージか? 刈り取った牧草をまとめて発酵させておくためのやつだ」
指さされた巨大な丸い筒状の何かを見て柳は笑う。白いラップのようななにかでぐるぐる巻きになっているそれに柳はなにか思うところがあるらしい。
「昔は
「そうなの?」
「牛を飼うならあれで牧草を発酵させてサイレージ化させる必要があるからな。昔は手伝ったもんだ」
「柳教官が農作業……似合わない」
「失礼な」
そんな会話をしていると運転席から笑い声が聞こえた。
「コウが教官かぁ、噂には聞いてたが似合わねぇな」
「柳農園株式会社社長の兄貴には言われたくない。お前が社長かよ」
「父ちゃんが経営から引退したんだから仕方ないじゃん。お前の方がヘンテコだぞ」
「どこがだ」
「富良野くんだりまで戻ってくるのになんでスーツなのさ。結婚式でもないのに」
「まともな服がこれぐらいなんだよ」
「実家に帰るのにまともな服が必要な訳?」
「悪いか」
柳の声は不機嫌そうだが、その口角が緩んでいることを美波は見逃さなかった。
「農作業手伝う気はないわけ?」
「右足も左手もアウトな俺にできる作業ってなんだ?」
「いろいろあるよー。ジャガイモや大根の選別にパッケージング。ナスにトマトだって収穫の人出が足りない。ベルトコンベアで流れてくるものの選別ぐらいはできるだろ。かぼちゃの弦の整理だってやらなきゃならない」
「もうそんな時期か」
「もうそんな時期だよ」
泰星の声に柳は溜息をついた。
「どうせ『働かざる者食うべからず』だろ」
「当然。あ、美波ちゃんは安心して。お客様だから何もしなくても飯が出てくる。たぶん母ちゃんの着せ替え人形にさせられると思うから付き合ってやってくれってのが仕事かな」
「兄貴、もしよければ美波さんにいろいろ見せてやってくれないか」
柳の声に美波が首を傾げた。
「初の北海道で初の農業体験だ。見識を広げるにはいい機会だろう」
「俺に言わなくても母ちゃんが勝手にやるよ。野郎しか育てたことなかったせいで、女の子が来るって聞いて大歓喜してやがった」
「まて、食事の量が半端ないことになりそうなんだが」
「うちの無農薬野菜のオンパレードだ。気を抜いたらあっと言う間に肥太って豚になる」
「肥育だけは得意だからな、我が家は」
「柳教官大丈夫?」
「大丈夫だ。胃が縮まってないか心配だがな。……そして美波さん、実家だと『柳』ばっかりだから柳呼びはやめてくれ。ほぼ全員振り返る。あともう教官じゃないと何度言えばいい?」
柳が苦言を申し出ると、美波はしばらく考えた。
「じゃあ………………パパ?」
噴き出す柳。揺れる軽トラック。運転席からは爆笑が返ってきた。
「お前がパパかよぉ!」
「……ほかになにかないのか」
「じゃぁ、パパ上?」
「父上みたいに言うな。なんだ『パパ上』って」
柳が頭を抱えてそう言えば、運転席から美波への援護射撃が飛んできた。
「呼び名は呼ぶ方が決めるんだ。受け入れな、こうぞうパパ」
「てめぇ後で面貸せ。片腕とはいえ舐めるなよ」
「やーだねっと。はい、到着。ようこそ柳農園へ」
そう言って降ろされたのはちょっと大きな一軒家の前だった。杖を片手に慎重にトラックから降りる柳を手助けしていると、ドアが大きく開く音がして、誰かが飛び出してくる。形容詞としては「ふくよか」というのが似合う女性だった。こぶりな眼鏡の奥が優しそうに笑った。
「いらっしゃい美波ちゃん! 待ってたわよ! 入って入って! あとコウも」
「俺はおまけかよ」
「お帰りなさい。これでいい?」
「身もふたもないな。ただいま、母さん」
柳は肩を竦めて笑った。
「さぁ、入って入って。お昼ごはんまだでしょ? すぐに御飯にするからね」
押しの強い柳の母親に押し込まれるようにして家に連れ込まれる。
そしてその10分後、柳が『食べ合わせトライアスロン』と言った意味を知る。パーティーか何かかと思うほど所狭しと並べられた、和洋折衷大皿料理の数々が控えていたのである。
†
「えっ!? 美波ちゃんもうお医者さんなの?」
衝撃的な量の料理がなんとか全て消え去った後、追撃のデザートとして出てきたおはぎをチビチビと齧りながらいろいろ会話を交わしていると、泰星が驚いた声を上げた。
「まじかよ……」
泰星に頷いて答えてから、おはぎを飲み込んでから口を開く。
「私の乗艦実習で乗った船の指導教官が、柳教官でした」
「コウが教官ってのは今でも信じられないんだけどねぇ……。あの子のお守り大変でしょう?」
柳の母親はそう言って笑う。当の本人は飯終了早々に直売所の電話番と売り子に駆り出されたためここにいない。お盆は観光シーズンなのもあって人出はいくらあっても足りないのだ。
「そんなことない、です。いろいろあったけど、柳教官が私達の教官だった、から、生き残れました」
「生き残れた……って、そんなヤバイところで頑張ってたのか、美波ちゃんは。よく頑張ったな」
そう言って泰星は美波の頭をポンポンと叩いた。その動作は確かに柳の兄だとわかる動作だった。
「それで、あの子はちゃんと生活できてるのかい? 東京に出てってからはあの子連絡の一つも寄越さないんだから」
「……週末戻ると、よくコンビニ弁当の容器とかハンバーガーの包み紙が散乱して、ます」
「あんの馬鹿息子……!」
柳の母親が頭を抱えた。
「全く、何をやってるんだか……。仕送り断っておいてそれかい」
「コウらしいといえばコウらしいけどな」
泰星は苦笑いだ。
「まぁ少なくとも生きてることがわかったんだ、母ちゃんもよしにしとこうぜ。美波ちゃん、アレが変なことし出したらぶん殴っていいからな?」
その言いぐさに美波は少し笑う。
「なぁ、コウは今何をやってるんだい? 公務員やめて民間に就職したとしか言わないんだけど」
「ディスパッチャーをやってるときいてます」
「でぃす……なんだって?」
聞きなれない単語だったのか、柳家全員が首を傾げた。
「陸上で船の航路を管理したり、指示をする仕事です」
そう言って美波は学生手帳に挟んでいたそれを取り出す。そこには『平菱汽船コンテナ船事業航路管理グループ外航船管理本部太平洋航行セクション船舶管理官』とやたらと長い肩書きが記載されたそれを見て柳の母親は溜息をついた。
「……私にはこれがどんな仕事か判別がつかないんだけど、また大変な仕事なんだろうね」
「かもな。……どれ、そろそろ動こうか。美波ちゃん。午後は暇かい?」
「?……はい」
「ならちょうどいい。ミニトマトの収穫一緒にいこうや」
そう言って泰星は立ち上がり美波を連れてリビングを出た。
「悪いな。母ちゃん心配性なんだ。……コウの仕事は話しにくいことでもあるだろう?」
「泰星さん……」
「あいつは何も言わないのが悪いんだけどな。美波ちゃんが来るまで、アイツは海上安全整備局に行ったことすら隠してたんだ。半年前までは俺も母ちゃんも東京で安全な公務員をやってると思ってた」
「そうなん……ですか」
泰星はしゅんとした美波の頭を撫でる。
「あのバカは時々頑張りすぎる。俺はバカだからさ。アイツが何を考えて何をしてるかなんて全く分かんねぇけど、それでもアイツがシャカリキになって何かをしようとしてたのはわかる」
美波は僅かに目線を下げた。それを見て泰星は笑う。
「ま、後でコウにはしっかり言って聞かせとく。血が繋がってないとはいえ家族持ちだ。腰軽でいられるのも、もう終わったんだってさ」
その言いぐさに少し笑ってしまう。
「さて、食後の軽い運動と行こう」
そう言って泰星は美波の肩を押した。武骨で加減がなくて、それなのに優しく、暖かい手。それに少し勇気が出た気がする。煽られるように一歩前に踏み出せば、北海道の涼しい夏が彼女を包んだ。
†
北海道の夜は肌寒いほどに涼しい。ウッドデッキの手すりも冷えていてそこに体重を預けていると木の手すりに体温を奪われそうだ。
「……久々に帰ってきたと思えば、仏頂面してるんだな」
「兄貴か……悪いか?」
安物のライターの火を消しながら答えると、その影が肩を竦めた。そのまま窓を開け、ウッドデッキに出てくる。
「俺はお前の考えていることが分からないから何とも言えないがな。コウ、少しは意地を張るのをやめたらどうなんだ」
「それは忠告か?」
「先輩からのアドバイスだ」
「たった2歳差だろう」
「それでも年上だ。敬うのは当然じゃない?」
「実力主義 なんでね」
柳がそう言うと泰星は苦そうに笑った。そのまま柳の隣に並ぶ。電灯が全て消えた北海道の暗闇は文字通り何も見えない程だった。煙草の火が無ければ文字通り何も見えない闇だっただろう。
「火、くれや」
柳がライターを差し出し、付ける。煙草を咥えた泰星がその火に煙草を近づける。
「……コウ」
「なんだよ」
「……お前、東京で何をやってるんだ?」
「今はディスパッチだよ。平菱汽船で陸上勤務だ」
「本当か?」
泰星がゆっくりと問いかけた。
「なにがいいたい?」
「美波ちゃんから大体のことを聞いた。コウが東京で何をやってたか、どうしてそんなにボロボロになっているのか。聞いたよ」
「……そうか」
「俺にはお前がわからねぇ。高校すら卒業できるかわからないバカだった俺が悪いのかもしれない。お前は東京の大学に親のお金に頼らず奨学金で進んで、東京で官僚になって、牛やトマトじゃなくて世界を相手に戦ってた。見ているものが違うかもしれない。だけど家族だろう俺たちは。お前は家族を信じてないのか?」
泰星は一気呵成にそこまでいって黙り込んだ。次に話すのはお前だと言いたげだ。
「……兄貴、鏑木さんを見てどう思った?」
「は?」
「しっかりしすぎていると思わないか?」
「そりゃぁ、行儀の良い子だとは思うが」
「あの父親を殺したのは、俺だ」
「は?」
泰星は何を言っているのかわからないと言った顔をする。燃えた灰が足元のウッドデッキに落ちた。
「ニュースを見てないのか? 5月にあったRATt連続テロ事件。鏑木美波さんはあれの被害者だ。使われた薬剤RATtウィルスの開発元、鏑木製薬の御令嬢だ」
柳はフィルター直前まで燃えた煙草を携帯灰皿に押し付ける。
「事態の解決にはどうしてもその抗体が必要だった。その抗体の情報を得るべく、俺は協力者と結託してその情報を聞きだした。奪い取ったという方が正しいがね。父親の鏑木理彦さんは、開発しろといった黒幕から口封じと見せしめのために殺された」
「まて、それは犯罪じゃないのか?」
「犯罪だよ。向こうは殺人に死体遺棄、私は特別公務員暴行陵虐幇助。立派な犯罪さ」
柳はそう言って肩を竦めた。
「……鏑木理彦さんは殺されることを予期していた。遺言で俺を未成年後見人に指定したのは俺が公的機関の職員であり、政府からの保護を受け入れられると踏んだからだろう。生憎今は民間のサラリーマンだがね」
そう言って笑う笑みは寂しそうだ。
「コウ、お前ほんとは帰りたいんじゃないのか」
「なんでそう思う?」
「よく言うよ。弱みを吐く時は毎回お前が大事抱え込んだ時だけだろうが。小学生の時からそうだった。上級生の万引きを言いつけた時も、クラスのいじめられっ子を庇った時も。毎回そうだったじゃねぇか。何度俺が助けに乗り込んだと思ってやがる」
泰星の言いぐさに柳が懐かしそうに目を細めた。新しい煙草に火をつける。ライターの明りがそれを照らした。
「……そんなこともあったな。もう、20年以上前か。ガキ大将には世話になった」
「全くだ。その時に一度だって父ちゃんや母ちゃんや俺がお前を見捨てたことがあったか? あったって言ったらこの場でぶん殴る」
泰星の声が冷える。肩を竦めて答えた。
「……母ちゃんたちは言わないが、毎日お前を心配してるし、食い扶持が二人増えたところで問題ないくらいにはこの農場はうまく回ってる。――――帰ってこい、コウ。見ているこっちがやりきれない」
虫の声が間を埋めていく。柳は目を伏せる。
「……悪い、兄貴。戻れんよ、私は」
一人称が変わった。泰星が目を細めた。
「戻る資格がないとか言いやがったらその腐った根性をこの場で叩き直すぞ」
「美波さんは教官としての私をどう評価していた? 優秀だとか柳がいたから生き残ったとかいろいろ言ってなかったか?」
「だからどうした」
「全て幻惑だ。私は何一つ守れていない。美波さんだけじゃない。生徒の誰一人として守れなかった。このクソッタレな世界で、ガキを最前線に出し続ける狂った組織から、誰一人として救い出せなかった」
「それがお前帰れないことと、どうつながるんだ」
「終わってないんだよ。何も。まだ終わってないんだ。終わらないんだ。RATt連続テロ事件はまだ続いている」
柳の声は真剣そのもので、その気迫に泰星が怯む。柳は咥えていた煙草を手に取った。
「テロの首謀者は逮捕を免れた。テロの延長にある計画は着々と続いている。英雄に祀り上げられた私の教え子は今も艦に乗っている。――――英雄の末路は、一つだ。祀り上げられ、殺される。それ以外に帰結できない。英雄は死んで初めて英雄としての立ち位置を確立する」
手にした煙草を素手で握り潰し、絞り出すように続ける。
「私が晴風を戦場に送り込んだ。私が生徒を英雄に押し上げた。止めなければならなかったのは私だ。生徒を救える位置にいたはずだ。それを私は救わなかった」
「お前はそう思っているのはわかった。でも美波ちゃんはお前がいたから生き残ったと言ってただろ」
「生き残った!? そんなわけがあるか。死を先延ばしにしただけだ。私の命令があの子たちを殺す。それが遅いか早いかの違いだ。遅かれ早かれ、あの子たちは私の命令で死んでいく」
そう言って咳き込む柳。肺の一部を摘出しているためだ。それでも柳は続ける。泰星は煙草を落とし、足で揉み消した。
「それを『柳教官がいたから生き残れた』と言ってあの子たちは笑って征く! それを最善だと信じて逝く! 私がそれを強要した。私がそうせざるを得ないように追い込んだ。それを悪魔の所業と言わずになんという!」
「いい加減にしろよ馬鹿野郎」
泰星が彼の胸倉を掴んで吊り上げる。右手一本で彼をつるし上げた泰星が彼を下から睨む。
「いいか、よく聞け。お前はスーパーマンなのか? なんでもできるのか? 違うだろ。つけあがるのもいい加減にしろ。下手な意地を張るなと言っているのがわからねぇのか」
襟首を締められ顔を赤くする柳。それを冷徹に見ながら泰星は続ける。
「俺は何度も牛を絞め殺してきているが悪魔じゃねぇ。お前は何人も救ってきてるかもしれねぇが神様じゃねぇ。それを全部自分ならできるとか思い上がっている奴を馬鹿っていうんだ。お前が意地を張った程度で平和になるならうちの農場で牛が不審死することもとっくになくなってるし、毎年豊作だろうが」
そう言って手から力を抜く泰星。吊るされていた彼はよろけるように姿勢を崩し、背後のウッドデッキに手をついて何とか倒れることを免れていた。
「もう一度だけ言うぞ、昂三。くだらねぇ意地なんて捨てて帰ってこい。お前には休みが必要だ。美波ちゃんをひとりにする気なのかお前は」
泰星の声は本気で怒っていた。柳を見下ろし続ける。
「あの子はお前を本気で心配してる。お前を家族だと思っている。それがどれだけスゲエことかお前わかってないだろ? お前が死んだら父ちゃんや母ちゃんは大泣きするだろうが納得もするさ。そういう風に育てたんだから。俺も納得するさ。俺はお前を止めたと言い訳できるからな。――――だけど、美波ちゃんはどうだ? 自分のせいだと責め立てて、家族を亡くしたと泣くしかできねぇぞ。しかも二度目なんだろう? それをお前は軽く見過ぎだ」
「……それでも、それでもなんだよ。泰星」
かすれた柳の声。泰星の目をまっすぐ見上げ、柳は手の甲で口元をぬぐった。
「それでも俺がやらないで誰がやる。――――もうあいつらに銃を向けるのは、ごめんだ」
「だったらなんで帰ってこない? 帰ってくればいいだけの話じゃ」
「ないんだよ。兄貴。そんな話じゃないんだ。――――――あの子たちを殺すのは、具体的な誰という話じゃない。日本国そのものだ。外交上の都合、国防上の都合。そんな国の都合で殺される。それを防ぐには俺が立つしかないんだ」
「昂三……東京でお前は」
そう言ったタイミング。柳のポケットが光った。電子音がする。柳はインカムをポケットから取り出すと耳にかけた。
「私だ。……わかった。迎えをよこしてくれ。その間の対処はB23。民間人が傍にいるから切るぞ」
柳の目の色が変わったのが、泰星からでもわかった。
「昂三……」
「兄貴。美波さんを頼むぞ」
柳は杖を手にウッドデッキから直接外に出ようとする。その肩を泰星は掴んだ。
「お前いい加減にしろよ。東京でお前は何をしてるんだ! まただんまりか! お前、家族をなんだと――――――!」
泰星の言葉が途切れる。柳が溜息をつきながら左手で合図。泰星に向けられた銃口が下がる。
「どうしてここで出てくるんだ」
「しかし、柳さんの身に何かあっては困りますので」
「私がいつ出てきて応戦しろと言った。馬鹿者。兄弟喧嘩程度で銃を抜く馬鹿がどこにいる」
「……申し訳ありません」
そう言いながら柳はスーツ姿の男からタブレットとゴーグルのようなものを受けとり、身に付けながらウッドデッキから降りる。
「……民間企業だなんて、嘘だな。昂三」
「兄貴。悪い。家族を巻き込めるレベルはとっくに超えてるんだ。……父さんと母さんには会社からの呼び出しだと伝えてくれ。美波さんは……見てるから知ってるか」
柳がそう言って窓の方を見るとカーテンが不自然に揺れた。ウッドデッキに小さな影が飛び出してくる。
「柳教官……!」
「元気でなと言いたいところだが、どうせ東京で会うだろう。その時にでもゆっくり話そう」
柳に飛びついた美波の頭を撫でながら、彼はそう言った。
「危ないことをしないで」
「大丈夫、この体じゃ危ないところに行けないからね」
「うそつき」
柳はそれに反論せず、彼女を緩く抱きしめた。
「大丈夫、必ず帰ってくる。だから待ってろ、美波」
それを言って柳はそっと彼女を離し、背を向けた。
「平沼、いくぞ」
「はい」
二人が静かに外に出ていく。泰星と美波はそれを見送ることしかできなかった。
「やっぱり……だ」
へたり込んだ彼女を泰星が慌てて支える。
「柳教官は……まだ、頑張る気なんだ」
ウッドデッキに涙が落ちる。それでも彼は帰ってこない。
「……気づいてたのかい?」
美波はそれに頷く。
「柳教官は優しいから、何も言わなかったけど……」
優しい? そんなことがあるだろうかと、泰星は思う。父子ほど歳の離れた女の子を泣かせる彼が優しいはずがない。
「なんとなく、わかってた……いつかはこうなるって、わかってた……! あの人は止まってくれない。今も、命を削って……」
「もういい、もう何も言わなくていい。全部あのバカが悪い。もう美波ちゃんは泣くな」
「でも……!」
「大丈夫だ。美波ちゃんのせいじゃない」
泰星は彼女の頭を抱いて、そう言い聞かせた。
「でもでもなんでもねぇ。声をかけたのに止まらないあのバカのせいだ。だから美波ちゃんは泣かなくていいんだ。なんだかんだで生き汚い奴だ。帰ってきた時にぶん殴ればいい」
「でも、もう帰ってこれないかもしれない。もう、柳教官はあの人でいられなくなる!」
「……え?」
泰星が凍り付く。
「確証はない。だけど、慢性外傷性脳症のステージ1の可能性が高い……」
「慢性……なんだって?」
「慢性外傷性脳症……何度も頭を打ったりし過ぎているせいで、脳に障害が出始めてる……このまま進行すれば、そのうち、認知症の症状が出始めるかもしれない。もうやめてって、じっとしててって言っても、あの人は……!」
「……くそ」
泰星が悪態をついた。
昂三、お前、一体どこでなにをする気だ。
†
「恨むぞ平沼。なんであの場で出てきた」
車の後部座席に座るや否や運転席の男に柳はそう言った。
「お言葉ですが、隠し通すのも不可能かと思いまして」
「ふざけるなよ。あいつらを巻き込む必要性がどこにある」
「ありますよ。我々はあなたに長いこと現場にいてもらわなければなりません。あなたに長生きしてもらうには周囲の支援が不可欠です。医者やカウンセラーは
「……今、俺を敵に回したぞ」
「それでも貴方は協力せざるを得ない。鏑木美波さんがなぜ自由に外出できているか、忘れたわけではないでしょう。もっとも我々と貴方で利害は一致しているはずです」
舌打ちの音が車内に響いた。電気自動車は音もなく舗装路を進む。
「ヘファイストス計画の進行を我々内務省も支持しています。しかし人的被害の存在は無視できません。少なくとも、新体制に刷新された第二次越沼内閣はそれを容認しません」
「政権の票稼ぎに加担する気はない」
「結構です。我々も票の為に戦うわけではありません。こうでもしなければ守れないものがあるから戦うだけです。そのヴィジョンは一緒だと思っていますよ」
そう言われ柳はもう一度舌打ち。平沼と呼ばれた男は笑うだけだ。
「状況は急を要します。作戦指揮を、柳特務官。通信を阻害しないようトンネルを避けたルートで旭川まで抜けます」
柳は溜息をついて目を開いた。ゴーグルに投影されているのは作戦概要図。港沿いのコンテナターミナルらしい。
「報道管制は大丈夫なんだろうな?」
「えぇ、対応済です」
「善意溢れる市民からの通報で水を差されるような展開は御免だからな。こちら
《S1、レディ》
《S2》
《S3》
《S4》
「レポート了解。突入用意。積み荷に当てるな。中身は低レベルとはいえ放射性物質だ。テロリストに渡すわけにはいかないが、ここで開けるわけにはいかない。テロリストについては可能な限り生け捕りにしろ」
柳はそう言ってタブレットを操作する。情報が一気に更新されていく。
「開始時刻まで、あと4、3、2、1、マーク。
電子空間で様子を確認しながら現場からの音声を聞く。
「いつまでたっても硝煙の中、か」
柳はどこかうんざりしたようにそう言うが、その目は今も鋭く光っていた。
……いかがでしたでしょうか。
やっぱり引退できなかったよ柳さん、な今回でした。美波さんの受難はいつまで続くやら。
RATt連続テロ事件は柳の言う通り、何も解決していません。その中で晴風はどう動き、何を成そうとするのか。そこに意味があると信じて書き進めて参ります。
――――――
「でも、私はやっぱり、晴風が好きだよ」
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