ハイスクール・フリート・プラスワン・アンド・アザー 作:オーバードライヴ
はじめましての方ははじめまして。いきなりでごめんなさい。
私、知床鈴は今、いろいろあって死にそうです。
「それで、どうしたの?」
「えっと……やっぱり話さないとだめですか?」
「学校として状況の把握はしないといけないから。仮にも警察のお世話になったのよ。ちゃんと弁えなさい」
目の前に座っているのは横須賀女子海洋学校古庄薫教務主任。モデルルームそのままか、と突っ込みたくなるような小奇麗さに整えられたモノトーンの一室で硬い革張りのソファーに座っているととても居心地の悪さを感じる。あぁ、逃げだしたいと思うが12階のマンションの一室から逃げ出すのは無理だ。少なくとも目の前の女性をかいくぐって逃げられる気はしない。
「それで、なんで家出なんてしたの」
「それは……」
視線が落ちる。コースターとセットで出された涼しげなグラスには氷入りのオレンジジュースが注がれていた。カラリと涼やかに氷が崩れるが、今はそれも皮肉に聞こえる。
「……もう、帰れない、です」
「どうして?」
「……古庄教官は、ブルーマーメイドになる時、家族は納得してくれましたか?」
「……うちの場合はね。しっかり頑張りなさいって送り出してくれたわ」
それを言われると、もう話せない。たぶんこの人は、わかってくれない。
そんなネガティブな感情が沸き上がる。それが、嫌だ。
「……大体察したわ」
古庄教官はそう言って肩を竦める。
「RATt連続テロ事件の後だもの、親御さんとしては心配よね」
「……でも、だからって。学校やめて普通科高校に入り直しなさいっていうこと、ないです」
「そう言ったのは、お母様?」
頷く。方向は縦。
「女親って、そんなものよ」
「そんなもの、なんですか?」
「そんなものなの。親の心子知らずというし、子の心親知らず。心配して当然だと思うわ」
古庄教官は笑って手元のコーヒー(この暑いお盆真っ盛りにホットコーヒーというのに驚愕したのはナイショだ)に口をつけた。
「で、親子喧嘩の果ての果て、着の身着のまま飛び出して東京まで戻ったところまではよかったものの、カードを忘れて、手持ちのお金が尽きて野垂れ死に寸前で補導はさすがに雑じゃないかしら」
「うぅ……だって、携帯電話と一緒に持ってたんですもん。携帯電話あるとGPSで追跡されますし……」
「にしてもやりすぎよ」
そんなことを言われても、近所に居たらあっという間に捕まるのは目に見えていた。逃げられるだけ遠くへと思って逃げてきたのだ。晴風まで戻ろうにもお盆の時期に晴風に出入りするには申請が必要で足が付くから避けていたのだ。
「それで、どうしたいの?」
「……残りたいに、決まってるじゃないですか」
軽く頬を膨らませてそう言うと古庄教官は笑った。
「じゃぁ戦いなさい」
「……へ?」
「だってそうでしょう? 私が親に話したところでどうにもならないし、親権を持つ保護者に『中退させます』って書類を揃えられたら、学校としても受理するほかない。だから、あなたが戦いなさいな。少しぐらい言い合いしても嫌われても、親は子どもを見捨てられないわよ。だからそこに甘えて、言いたい放題言うといいわ」
そう言われた直後、インターホンが鳴った。
「ちょうどいいわね、戦闘開始よ。少しは援護射撃してあげる」
古庄教官は笑って玄関の方に向かった。嫌な予感がする。
「鈴」
名前を呼ばれる。聞きなれた声。振り返ると見慣れた顔が二つ。父さんも来ていることに少し驚いたけど、なんとか顔に出さずに済んだだろうか。
「母さん……」
「なんで黙って行っちゃうの。帰るわよ」
家族ならではの無遠慮さで手首を掴まれ引っ張られる。
「最後の最後までうちの娘がご迷惑をおかけしました。もう二度とこんなことは起こさないように言い聞かせますので。これまでありがとうございました」
そう勝手に言って、話を畳もうとしている。……母さんの中で『横須賀女子海洋学校中退』は決定事項らしい。
「……誰が決めたの?」
「鈴?」
「誰が、やめるって決めたの、母さんが決めるの? わたしの意見は聞かないの?」
とりあえずそう言ってみる。普通なら言えない。言った後が少し怖い。
「なに言ってるの。あなた、あれだけ大変な目に遭って、まだ続けるって言うの? もう十分でしょう? 馬鹿なこと言わないで」
「十分かどうかも……母さんが決めるの? 母さんは晴風のなにを知ってるの?」
「知ってます。犯罪に巻き込まれて、あなた、死ぬところだったのよ。そんな危険で危ない仕事に女の子が就くなんて私は認めません」
「それは海上安全整備局の女性職員をまとめてのお話でしょうか」
古庄教官が口を挟んだ。援護射撃をするというのは本当だったらしい。
「よそのお家のことは知りません。ですが私の家の娘はもっと女性らしく安全な職業に就かせます。ですので鈴は学校を――――」
「やめないよ!」
声を、張る。母さんが一瞬怯んだ。
「決めつけないでよ! 母さんは何にも知らないよ! 晴風のみんなのことも、学校のことも、ブルーマーメイドのことも、私のことも! なんにも分かってないよ!」
「何を分かってないっていうの?」
「そこから話さないとわからないの?」
水掛け論の気配。折れてしまえば楽だと何かが嘯く。でも、きっと駄目だ。逃げたらもう戻れなくなる気がする。
「私はね、母さん。ずっと逃げてきたのが嫌で、自分のことしか守れない自分が嫌いで、横須賀女子海洋学校に入ったんだよ」
「それは知っているわ。鈴はうんと頑張った。本当によく頑張ったと思う。ストレートで入ったじゃない。それで逃げずに戦ったじゃない。もう十分逃げずに戦うことを覚えたじゃない」
「だからどうして『十分』を母さんが決めるの? 私はまだ逃げたくない。ここで逃げたくない。だから、帰らない」
「鈴」
それだけ言って、お母さんはじっとこちらを睨んでくる。いつもならここで「ごめんなさい」だ。でも、退けない。
「帰らないよ、わたしは、ブルーマーメイドになるの。だから、逃げない」
「どうしてあなたが危険な目に遭わなきゃいけないの」
「大切だから。……海の仲間は、家族みたいなものだから、だよ」
きっと昔なら、こんなこと言えなかったと思う。でも、すらりと言えた。
「まだ私は弱くて、ダメダメだけど。それでも私は、守れたよ。晴風のみんなも、シュペーのみんなも、たくさんの人を守って、たくさんの人に守ってもらって。助け合ってここまでこれたの」
鈴はそう言うと少しばかり視線を落とした。瞼を一瞬閉じる。その裏にたくさんの人が浮かんでくる。
「晴風はね、31人いないと動かないの。守れないの。みんないい友達なんだよ。みんなで頑張ってやってきたの。危ないことも沢山あったし、怖いことも沢山あった」
それでも、私は晴風が好きなの。
「後悔なんてしてないの。教官も命がけで守ってくれた。艦長も命がけで守ってくれた。みんなが守ってくれたんだ」
浮かぶのは艦長の小さな背中。―――――その向こうに、大きな大きな背中を幻視する。皆を率いて、命がけで守って、晴風を去った、大きな背中。
「だから、私もみんなを守るって決めたの」
「守るって、あなたにそんなことできるわけないじゃない」
「できるよ」
これだけは、自信を持って言えた。
「私は、晴風の航海長だもん。大変かもしれない。辛いかもしれない。だけど、できるの。だから私はマーメイドになるの。なりたいと思ったの」
「嘘おっしゃいな。あなた、入学前になんて言ってたか覚えてる?」
母さんの声、言われなくても分かっていた。
「『逃げてばっかりの自分を変えたい』……すごく、いいことだと思ったわ。だけど、もう十分じゃない。逃げずに戦ったわよ。意固地になる必要はないわ」
「私はお母さんのお人形じゃない!」
その声に、母さんの顔が赤く染まった。
「どうしてそんなことを言うの、鈴の為を思っていってるのよ。誰にたぶらかされたか知らないけど、もうこんなことやめて――――」
―――――今、なんて言った?
自分でも驚くぐらい、暗い声が出た。
「……っ」
「『こんなこと』なんかじゃないの。『誰かに言われた』からじゃないの。守りたいと思ったの。それから私は逃げたくない。今晴風から離れたら、絶対に後悔するから……だから、私は帰らな――――」
「なんでわからないの! こんな危険な仕事やめなさいって言ってるの!」
「なら!」
こんな時にも、私は弱い。だけど、止まらない。止まれないんだ。
「――――私はいつまで『いい子』でいればいいの!? やっと変れたって胸を張れると思ったのに!」
悲しい、滅茶苦茶だと自分でも分かっている。それでも。
「もういいよ! 母さんのいう事の聞く子を呼んで来ればいいよ! 安全な仕事に就いて、もっと可愛くて、おりこうさんないい子でも拾ってきなよ!」
視界が揺れた。頬を張られたと気が付くまで数瞬。咄嗟に頬を張り返した。加減をしたつもりだけど、大きく左右に首が振れた。
「……どうして」
「母さんが叩くなら、私も叩くよ。もう私は、子どもじゃない。守られるだけのお人形さんはやめたの。どうしても何もないよ。もう逃げないって決めたの。それを母さんも応援してくれたよね」
「―――――知床、そこまでにしなさい」
割り込んだのは古庄教官の声。
「どうしてですか」
「やりすぎだからです。それに民間人と物理戦になったら、訓練された法執行要員たる海上職が圧勝します。あなたを暴力事件で捕縛するのは私もいやよ」
その言葉の合間にすすり泣きが響く。
「……鈴」
父さんの声。
「今度ゆっくり話そう。……先生、大変な失礼をいたしました。娘をしばらくお預けします。どうか」
「はい、お預かりいたします」
古庄教官はそう言って笑った。
「鈴、母さんには、私からちゃんと話しておく。――――立派になったな」
「……うん」
そう言われ母さんがなぜか傷ついたような顔をして、父さんを睨む。
「あなた、何を言って……」
「やめんか、他人様の前で見苦しい。鈴ももうすぐ16だ。自分のことは、自分で決められるな?」
後半はちらりと目配せしてきたので頷く。
「逃げたくなったら逃げてきなさい。それで守れるものもある。逃げるのは無制限に使える最強の切り札だ。それを忘れずに戦ってきなさい。もう家出しなくて済む家にして待っているから、いつでも帰ってきなさい」
そう言うと父さんは、母さんの腕を引いて出ていった。共用廊下からもどこかヒステリックな泣き声が聞こえてくる。溜息が出た。
「無事勝利、おめでとう。大丈夫だったでしょ?」
「これは勝ったって言うんですか?」
「合法的に意見を通したんだから勝ちは勝ちよ」
そう言いながら古庄教官はキッチンに行くと濡れタオルを持ってきた。
「顔拭いて冷やして。平手が外れて鼻血が出てるわよ」
そういわれて、慌てて顔を拭く。その間に古庄教官は詰め物を持ってきて渡してきた。至れり尽くせりだ。
「少しばかりネタ晴らしをすると、君のお父様から事前に事情は聴いていたんだ」
「父さんが?」
「『娘の意思を尊重したい。親子喧嘩で見苦しいところを見せることになるかもしれませんが、よろしくお願いいたします』……間違いなく、君の味方だ」
それに少し驚いた。家ではうだつが上がらない父親という印象しかなかったのが正直なところだ。
「父さん……」
「寮が開くまでは宗谷元校長のところにでも身を寄せるといい。話は通してあるわ。……時々、親には電話してあげてね。きっと心配してるわ」
「……ありがとう、ございます」
いつでも帰ってきなさい。
その言葉がリフレイン。もう少しだけ頑張って、胸を張れたら、帰ろうと思った。
†
「そっかー、大変だったね」
ジャガイモの煮っ転がしを飲みこんで、岬明乃がそう言った。横ではほうれん草のお浸しを口に運ぶ宗谷ましろが頷いている。
「でもリンちゃんもアクティブになったね」
「そ、そうかな……」
「誰かの頬を張るなんて……『脱兎の知床』にしては大々的な進歩だな」
「もう、しろちゃん!」
宗谷家の食卓はどこか明るい。鈴はそれがどこかありがたかった。
「でも、無事に二学期からも来れるんでしょ?」
「うん、父さんが転学届の取り下げをしてくれたみたい。だからこれからも晴風だよ」
「よかったー。リンちゃんの操船だと安心できるからねー」
明乃の声に溜息をつくのはましろだ。
「それは知床さんぐらいしか、艦長の指示について行けないからでしょう。一学期の期末演習の時だって、第一主砲の旋回装置が不調だからって、船ごと回して照準とかまともにできませんって」
「そ、そんなことを言われても……だって、あの演習のダメコン想定だとそうするしかなかったよ……?」
「普通なら魚雷戦に移行するんです。なんでそこで敵前大回頭からのラムアタック寸前の砲撃戦になるんですか」
そのやり取りの合間に笑い声。鈴と、宗谷真雪のものだ。
「なかなか愉快な演習してるのね」
「ま、まぁ……ミケちゃんの指示は飽きません」
そう言って鈴ははにかんだ。
「やっぱり、晴風が好きなんです。明るくて、優しくて。皆で頑張ろうってなれる晴風が大好きなんです」
鈴の声に皆がいつの間にか静かになっていた。
「うぇっ? そんな聞いてもらうような話じゃないよ……」
「ううん、聞きたいの」
明乃がそう言って、笑う。
「リンちゃんにとって、晴風ってどんな場所?」
問われ、逡巡。
「……背筋を伸ばせる場所。かなぁ」
「背筋を伸ばす?」
ましろの問い返しに、鈴は続ける。
「少しだけ、しゃんとできる気がするの。強くなる……とも違うし、勇気がでる……とも違うんだけど。なんだろう。これでいいんだなって思えるような場所っていうか……。口にするのは難しいかも」
「そっか」
破顔した明乃はどこか嬉しそうだ。ましろも嬉し気だ。
「なら、もっといい場所になるように頑張らなきゃね」
「……船を壊さないようにね」
「そう言う時は、マロンちゃんの出番だね」
「いや、壊さないようにしようよ」
ましろの冷静なツッコミのタイミングで、電話が鳴った。
「あれ? 誰の着信?」
「あ、私だ」
そう言って明乃がスマートフォンを手に取る。
「あれ、噂をすればなんとやらだね。マロンちゃんから――――はい、明乃です。どうしたの?」
直後に、明乃の表情が凍り付いた。
「……どうしたの?」
鈴が不安そうな顔になる。
「わかった。ちょっと待って。うん。――――真雪校長、真霜室長に繋げますか?」
「……穏やかな話じゃないみたいね」
明乃がうなずく。
「自主研修で木更津港に来ていた晴風の機関科6名が武器の密輸入を行ってるグループに遭遇。柳原麻侖機関長を除く5名が犯人グループに拘束されたそうです。――――法執行チームの投入を進言します」
8月の熱帯夜。眠れない夜が幕を開けた。
……いかがでしたでしょうか。
リンちゃん回でしたが、キャラクター崩壊になってないか心配です。
そしていきなり投入されるドンパチの匂い。やっと機関科のカッコイイシーンに繋がりそうです。
私事になりますが、この四月から新社会人となって、北陸から関東へ移動し、毎日ヘロヘロになりながら過ごしています。社会人執筆者の方はこれを毎日こなしているのかと思うと畏敬の念を抱いています。毎日筆は取っていますが、生産効率はかなり落ちていますので、投稿はかなりスローになると思われます。ごゆるりとお待ちいただければ幸いです。だれか精神と時の部屋ください。執筆したい。執筆したい。
というわけで、これからもどうぞよろしくお願いします。
―――――
「精々
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