ハイスクール・フリート・プラスワン・アンド・アザー 作:オーバードライヴ
たった一時間なのだが、それでもその間の緊張は確実に集中力を奪っていく。明乃は暗いブリッジで時計を見上げた。
「〇三〇〇時、そろそろ逃げ切れたかな?」
「速度差は大体2ノットしかないんだ。まだ有効射程内と見るべきだろう」
柳は手元にタブレットを取り出してブリッジの外に光が漏れないように気をつけながら状況を見る。
「伊201が撃ってきたG-RX6は潜水艦専用の長魚雷だ。53センチ径の中では最新型で、当たるかどうかはともかく射程距離だけなら27海里は走るんだ。そうそう逃げ切れるわけじゃない」
「も、もっと速度を上げれば……」
「その音を目印に魚雷が飛んできますね……」
鈴の声に幸子が答える。しゅんとする鈴。早く逃げたいのだが、その逃げる行為が相手の必殺の一撃を与えかねない状況だなのだ。そのジレンマはどうしようもない。
「ふわぁ……ねむぃ」
「はしたない」
隠そうともせずあくびをかました水雷長の西崎芽依を砲術長の立石志摩が窘める。窘めるのだがその彼女もあくびが伝染したらしく。それを何とか隠そうとする。
「メイちゃんもタマちゃんも眠いところごめんね」
「いんやー? 対潜戦闘ならどうしても爆雷とかを使うことになるだろうし砲雷科ツートップがいないと話にならないでしょ? 艦長はドンと構えてればいいの、ねータマ?」
そう言って芽依が志摩の肩に手を回して抱き寄せた。志摩はいきなりそうされたことで戸惑っているようだが、こくりと頷いた。
「あのー……」
艦橋の入り口から小さく声が響いた。
「どうした、杵埼さん」
杵埼ほまれが遠慮がちに覗き込んでいた。タブレットから視線を上げた柳が声をかけるとどこか恥ずかしそうに手にしたお盆を差し出した。
「あの、杵埼屋特製どら焼き持ってきたんですけど、食べませんか?」
「どら焼き!」
眠そうだった芽依が一気に食いついた。その様子を見て数人が噴き出した。
「猫みたい」
「……タマちゃんだけには言われたくない」
ぶすっと膨れながらそう言った芽依だったが、志摩にどら焼きを口に突っ込まれてどうでもよくなる。
「うんまー! なんだこれ!」
「あ、あり合わせで作ったんですけど……」
「あり合わせってレベルじゃねぇぞこれ!?」
そう言われ照れたように頭の後ろを掻くほまれ。おいしいという声が艦橋のそこらじゅうに響く。
「杵埼姉妹のご実家は確か和菓子屋だったな。作るのも手伝っていたのかい?」
「家では売り子ばっかりだったんですけど、少しだけ……」
「それでどら焼きが作れるんだ。すごいよ」
艦橋要員全員に渡っていることを確認して柳もどら焼きを受けとった。どら猫の焼き印まで押してあるなどかなり手が込んでいるのがわかる。口に含むと粒あんの素朴な甘みが口いっぱいに広がる。
「ん、上品だ。船の砂糖と大豆ってそこまでいいものじゃないし、これだけの味が出せるのは上手い証拠だな」
「あ、ありがとうございます……」
ほまれは彼にそう言われ顔を赤くして俯いてしまった。柳はそれを気にせずにどら焼きを口に運ぶ。その様子を見てにんまりと笑みを浮かべたのは芽依だ。
「教官、ほっちゃん
それに悪乗りしたのは幸子である。いかにも演技臭い『驚きました!』みたいな顔をしている。
「ま、まさか『ふ、俺と一緒に逃げよう、二人ならこの大海原だって超えられる!』『や、柳さん……!』『なに、心配いらない、上手く逃げられるさ!』みたいな関係に……!」
「ち、違いますっ!」
「どういう関係なんだそりゃ」
顔を真っ赤にして必死になって反論するほまれとは対照的に、柳は胡乱な目を幸子に向けた。
「生徒に手を出したら犯罪だぞ犯罪。まだ私は檻の中には入りたくないね」
「えー、教官面白くないですよーそんな反応」
「面白いかどうかで選んでたら生きていけないの」
そう言ってどら焼き最後の一欠片を口に放り込み、律儀にごちそうさまと手を合わせる柳。
「さて、夜明けまであと二時間強だ。仕掛けてくるならあと二時間以内だろうな、昼になってしまえば潜水艦は活動しずらくなる。向こうもそろそろしびれを切らすタイミングだ。気を引き締めていこうか」
「はい!」
艦橋の面々の声が揃う。
「ほかにどら焼きを配ってないところは?」
「ブリッジが最後なのでみんなに配りました」
「ん、了解。ならとりあえずは主計部の持ち場に―――――」
《雷跡フタ! 左120度30! 接近中!》
柳の言葉を野間が叩き切った。直後に明乃が叫ぶ。
「面舵いっぱーい!」
「面舵いっぱーい! 面舵20度」
鈴が一気に舵輪を回す。船が揺れた直後、爆裂。柳のタブレットに警報が入る。第12ブロック浸水。猿島との戦闘の応急処置が未だに足を引っ張っている。角材で一通り補強してブロックごと水密扉で封鎖してあるためそこから致命的な状況となることはまずないはずだが、いろいろ心もとない。実際に今回の爆裂で破孔部に影響があるのは間違いないのだ。
「直撃していないのは幸い……、あ」
「きょ、教官?」
いきなり飛び出す「あ」という一言ほど怖いものはない。周囲の空気が凍り付く。
「向こうはどうやら晴風を本気で沈める気ではないのかもしれないな」
「最新式の魚雷を撃っておいてですか?」
ましろはどこか信じていない目線を柳に送ってそう言った。
「晴風だって実弾を撃ったがアドミラルシュぺーを沈めるつもりはなかっただろう?」
「そ、それはそうですが……」
「向こうの使ってるG-RX6は近接信管だが、その設定がかなり甘い。まだ遠い時点で起爆している。バブルパルスで船体にダメージを与えているが、一発で竜骨へし折って沈めるには到底届かない距離だ。少なくとも最初の二本よりも遠くで起爆している――――沈めるつもりならさっきので終わりだ」
「ど、どうして……」
「さぁな」
柳がそう答えたタイミング。勢いよくブリッジの扉が開かれた。
「なんなんじゃこのヘッタクソな操艦は! この船はド素人の集まりか!」
弾かれたように振り返った柳。右手が背中側に回っているが、すぐにだらりと脇に垂らした。ブリッジへの乱入者は透き通るような金髪を細い月影に光らせながら周囲を見回した。黒い開襟のジャケットは横須賀女子海洋学校のものとはかなり異なるものだった。柳が警戒の目を向けていることに気が付いていないのか、それを一切無視しながらその女の子が怒鳴り散らす。
「対潜戦闘もまともにできんのかこの船は! 性根入れ替えしっかりせんか!」
「サイレントランができるような状況でもなくてね」
柳がそう言うと鼻を鳴らすその女の子。
「ならなんで攻撃に移ってないんじゃい!」
「生憎ながら人員も武装も足りてなくてね」
「人員なら儂もおろうに」
いきなり『儂』という女の子らしからぬ一人称が飛び出してきて、周囲が驚いた。
「いや、そもそも人員カウントしてないし。と言うよりもお前は誰だ?」
ましろが艦橋要員全員を代表して聞きたいことを投げかけた。
「ふん、儂はヴィ――――」
「あっ! ドイツ艦の子だよ! 目が覚めたんだ! よかったぁ……」
ドイツの子が名乗る前に明乃が答えを出してしまう。それに面食らったドイツの子だが、表情を切り替え、前を見据える。
「いや、儂よりも先に戦闘だ。さっさと反撃に移りんさい! ドイツは潜水艦大国、対潜のノウハウも持っとるけぇ、儂に任せんさいや! まずはド基本の爆雷で!」
「一発しかない」
「ならド定番の対潜迫撃砲!」
「積んでない」
「Mk32対潜魚雷!」
「積んでない、っていうかいつの時代かわからないようなものを出すな!」
ドイツの子の言う条件をましろがひたすら切り捨てる。それを聞いた鈴と幸子が面白そうに笑っていた。
「な、なら何があるんじゃーい!」
「そう、私達には何もない。だから力を貸してほしいの」
明乃がそう言うとドイツっ子が一瞬唇を噛み締めるような動作をした。
「……なにか、なにか水中で動かすようなものはないんか」
「水中で動くもの……」
「なにか! 何かあるじゃろう! デコイとか、何か!」
明乃は必死に思考を回す。備品の一覧のリストを思い出す。
「掃海具がある」
柳の言葉にハッとして顔を上げる。
「そうだ! 掃海具があった!」
「水中になにかを投下したことはわかっても相手はそれが爆雷なのか何なのか判別はつかない、か……」
それを聞いて明乃は頷いた。現状をこちらの手で変えるには、これしかない。
「柳教官! 用意をお願いできますか?」
「了解、艦長。杵埼さん、手伝ってくれるか?」
「わ、わかりました!」
柳が真っ先に艦橋を出ていく。外階段からカン! と鋭い音がしたっきりなところを見ると、どうやら柳は手すりに足をかけ滑り降りたらしい。
「……艦長、上手くいくと思いますか?」
「やってみるしかないよ。手伝って、しろちゃん」
そう言った明乃はすでに決意を固めているようで、ましろは頷く以外に返せるものはなかった。
†
掃海具を固定している小型のダビットに駆け寄った柳が、ダビットの固定ピンを引き抜いた。チェーンで基部に繋がれたピンが展開用のハンドルにあたり、金属質な音が響いた。
「杵埼さんたち、手伝って!」
ほまれが双子の妹と等松美海を呼んできたため、甲板作業員は十分に揃っている。ほまれとあかねが巨大なハンドルに憑りついた。
「回すぞ、いっせーのーせっ!」
「うっ、重いぃ……!」
「展開位置までだから少しの辛抱!」
力をかけながらも柳はダビットの位置を確認していく。ゆっくりと回り展開位置まで旋回を続けていく。星空を横切るように黒く沈んだ掃海具が少しずつ動いていく。しっかりと海上にはみ出すような位置に届いたところで美海がダビットにとりついた。そのままハンドルを足掛かりにしてするすると昇っていく。
「等松さん! 気をつけろよ!」
「わかってまーす!」
《雷跡ヒト! 左舷150度! 接近!》
「!……まずい!」
船が一気に舵を切り、その衝撃でダビットが大きく揺れた。ダビットの最上部は船の動揺がより大きく伝わってしまう。手を滑らした美海のからだがふわりと宙に浮く。空中で両手が離れてしまっては掴むところなどない。そのままスローモーションで落ちていく。
「きゃぁ……っ!?」
「間に合えっ!」
柳が落下地点に滑り込まんと木製甲板を蹴る。落下してくる高さはそこまででもないし、足元は木の板だとはいえ、打ちどころが悪ければ簡単に死んでしまう。
「――――――っ!」
ギリギリで間に入り両腕でその体を受け止める。左肩に嫌な衝撃が走った。それでも柳は落ちてきた美海の体を引き寄せるようにして体勢を整え、両膝のクッションで衝撃を和らげつつ後ろ受け身を取るように転がった。
「いっつ……、等松さん、生きてるかい?」
とりあえずは頭を打たなかったことに感謝しながら、柳は声をかけた。地味に左肩が痛い。それに目を細めながらダビットから掃海具が外れていることを知る。何とか投下が完了したらしい。
「え? は、はい……」
「意識があるなら俺の上から退いてくれると助かる」
「はい……、ってひゃぁっ!?」
文字通り飛び退いた美海が顔を赤くしたまま転落防止の柵まで全力で後退する。その激烈な反応を見て苦笑いを浮かべる柳。
「セクハラだとか言ってくれるなよ、不可抗力だ」
「わ、わかってます……」
「頼むぜほんと、っ……!」
「柳教官!?」
体を起こそうとして左肩に痛みが走り体を支えきれずに倒れた。慌てた様子であかねやほまれが駆け寄る。
「大丈夫、ただの脱臼だ。すまん、誰か手伝ってくれ、とりあえず関節嵌めないと……」
《柳教官! 大丈夫ですか!?》
タブレットがいきなり大音量でがなる。それに驚いて右手でタブレットを引き出してみれば、納沙幸子のタブレット端末から通信を飛ばしているらしい。割れた画面越しになんとか通話先を確認して答える。
「肩関節脱臼だけでとりあえずは大丈夫だ。掃海具の方は?」
《曳航を始めました。とりあえずリールを繰りだして伊201のどこかに引っかかるのを待ちます》
「わかった。これでうまいこと釣れてくれればいいんだが……。さっきの魚雷は?」
《不発だったのか、後方を飛びぬけてそのまま消えました》
「後5本か……頼むぞ」
《頑張ります》
幸子の声がそう答える。それを聞いて通話を切った柳は仰向けに姿勢を整える。
「教官、私たちは何をすれば……」
そういうほまれの声を聞きながら、柳は右手で外れた肩関節の位置を確かめる。
「悪いが左腕を斜め上の方に引っ張り上げてくれ。ゆっくり頼む」
「は、はい……」
ほまれがゆっくりと慎重に腕を持ち上げ、引っ張っていく。痛みが走るが奥歯を噛み締めて耐えた。
「……っあがっ! それでいい、ありがとう。とりあえず戻った」
元の位置に戻った感覚を確かめて柳は自分のネクタイを外して輪になるように結び直すと三角巾のように左腕を吊って固定した。
「とりあえずはこれで何とかなるか……等松さんはけがない?」
「大丈夫です。あの、ごめんなさい……」
「謝らなくていい。怪我がなくてよかった。こっちが脱臼で済んだんだ。十分に安い出費だ」
そう言って笑ったタイミング、夜の眼を射ぬく様に探照灯の照射が始まった。雷跡が4本、こちらに向かっている。鳴り響くブザー。主砲が砲撃態勢に入った。
「耳を塞いで口開けて!」
柳がそう指示を出した。発砲の衝撃で耳を持っていかれるのはまずい。慌てて皆が指示に従ったのを見回したタイミングでまばゆいばかりの閃光が走った。海面に当たって砕けた砲弾が大きな水柱と爆炎を上げる。それに連動するようにいくつもの水柱が経った。水圧で誤作動を起こした信管が魚雷を炸裂させたのだ。
「……榴弾を装填したのは正解だな、こりゃ」
そう言うとあかねやほまれはどこかポカンとしていた。炊烹所が彼女らの仕事場なのだからポカンとしていてもおかしくないのだ。
「4発もいきなり放ってきたとなれば相手はかなり焦っているみたいだな……。このまま退いてくれよ、頼むから……」
そう願いながら、艦尾に敷設された爆雷投下索を見る。そこには爆雷が一つだけ乗っていた。あれを使わねば潜水艦は止まらないかもしれない。それでもソレを使って潜水艦を止めれば、その潜水艦は二度と浮上できないような致命傷を負うかもしれない。ここの水深は一〇〇〇メートルを超える。そんな深さまで沈んでしまえば、潜水艦は水圧に耐え切れずに乗員もろとも潰れるしかなくなるのだ。
「……頼むぞ」
そう願ったのが通じたか、ずっと掃海具を曳いていたウィンチが悲鳴を上げた。まるで海中に引きずりこまれそうになるほどワイヤーがしなり、音を立てた。
「……! ブリッジ、こちら柳! 掃海具の曳航索が201のスクリューに絡んだ! こちらの勝ちだ! 状況終了! 撤退しろ!」
タブレットに向けて叫ぶ。西崎芽依の戸惑ったような声が聞こえる。
《ま、まだ確実に勝ったわけじゃ……》
「これ以上の攻撃は必要ない、伊201の人員を殺したいのか!?」
《……!》
柳はあえてショッキングな言葉を選んだ。通話先が押し黙る。その声を聞いていた美海たちも肩を跳ね上げた。
「向こうの推進装置と方向舵を奪ったんだ。伊201は浮上しない限り戦闘行為は不可能になっている。これ以上の追い打ちは必要ない!」
芽依が戸惑ったような声を出しているが言葉にはなっていない。それを押し切るように、明乃の声が割り込んだ。
《曳航索切り離し! 両舷前進強速! 取舵いっぱい! 晴風はこれより当海域を離脱します!》
「曳航索切り離し」
柳が右手一本で曳航索を繋ぎとめているウィンチの切り離し装置のピンを引き抜いた。安全装置のカバーを開いて、中にあるボタンを押す。ウィンチへの動力などが全てカットされ、曳航索をありったけ繰り出し始める。そのまま曳航索は海の中へと消えた。
「曳航索の切り離しを確認」
《ありがとうございます。教官はけがは大丈夫ですか?》
「とりあえずはね、単なる脱臼だとは思うけど、とりあえず医務室に行っておくよ。いいかい?」
《わかりました。あとは私達で大丈夫です》
明乃の声に笑って柳は通信を切った。美海がどこか不安げにあたりを見回していた。
「とりあえず……終わったんですよね?」
「終わったってことでいいだろう」
柳がそう答え、笑みを浮かべて見せる。
「さぁ、簡単に確認終わらせて少しでも寝ておこうぜ」
†
学校からの全艦帰港命令が出たのはことが収まってから2時間強が経った午前五時〇四分だった。それに付されていた校長からの「私はすべての生徒を見捨てない」というコメントが付いていたことにましろはどこか胸が熱くなるのを感じた。
あぁ、学校は私たちを見捨てたりはしなかった。信じてもらえている。それがなんと心強いことだろう。
「母さん……」
母は私を見捨てなかった。それがなんと嬉しいことか。いろいろ問題はあったが、それでもまだ晴風には帰るべき母港があるということだ。母なる港に戻ることができる。それがましろを勇気づけた。
「すぐに戻れる。5日もしないうちに戻れるんだ。こんな危険な航海を終わらせることができる」
それを思えば、その間部屋にドイツの子――――アドミラルシュぺーの副長、ヴィルヘルミーナ・ブラウンシュヴァイク・インゲノール・フリーデブルクを居候させるぐらいなんだというのだ。幸子に写真を取られて瞬く間に晴風クルー全員に拡散されたぐらいなんだというのだ。朝食の間、皆から生暖かい視線を送られることぐらいなんだというのだ。
そう思って部屋のドアを開ける。自室では既に休息に入っていたヴィルヘルミーナが大いびきをかいて寝ていた。少しイラつく。ましろは午後0時からのシフトまで休息となっていた。自分も少して寝ておかなければまずい。
「……あ、ブルース」
いつも寝るときに抱いているサメのブルースがいないことに気が付いた。そういえば対潜戦闘で招集がかかったときにそのまま持って上がってしまっていたっけ。
あれがなければ寝られないということはないが、あったほうが寝やすい。それに私物を艦橋に置きっぱなしにするのは副長としてもふさわしくないはずだ。取りに行かねば。そう思い、眠さをこらえながら部屋を出た。
階層を3つほど上がり、艦橋の入り口に着た時、中から話声がするのに気が付いた。朝日が細く漏れ込むように僅かに開いているドアの隙間から声が漏れ出ているのだ。
「……アドミラルシュぺー、伊201共に合同演習への参加が成される予定でした。本艦で回収したアドミラルシュぺーの副長は西ノ島新島沖での停泊後から電子機材の異変が発生、その後、乗員の命令無視が見られたと報告しています」
女性にしてはあまりに低い声。柳のものであることは間違いないが、相手の声は聞こえない。おそらく通信を行っているのだろう。邪魔にならないように静かに入って下がればいいかと考え、扉に手をかける。
「……校長、そろそろ話していただけませんか?」
その言葉に動きがとっさに止まる。
「晴風の缶の故障の原因について柳原機関長からの報告が上がっています。インタークーラーの配管の腐食に起因するものですが、明らかに何らかの腐食性の薬品が塗布されたと見られる跡が見つかっています。冷却システムが上手く働いていなかったためにセーフティが作動し缶の燃焼を停止させたものと思われます。……明らかにあれは人為的に起こされたものです」
高温高圧缶のセーフティの機動。この航海で一回だけ発生しているもののことだろう。西ノ島新島沖での演習への航海の最中に発生したものだ。
アレが人為的に起こされたモノだった? なぜ、なんのために?
そう思いながらドアの隙間からそっと中を覗き込んだ。艦橋の中央で舵輪を握り、イヤフォンを片耳に差した柳の姿が見える。
「西ノ島へ向かう途中の晴風の操舵ミスについても電子的トラブルがあった可能性が高いことが判明しています。知床航海長は航行装置の表示に何度かノイズが走ったことを記憶していました。偶然の一致と言われてしまえばそれまでですが、知床航海長が進路を外れたタイミング、また、進路のミスに気が付いたタイミングに晴風への戦術リンクはオンラインであり、データ転送が行われています……まだ続けますか?」
早鐘の鼓動を感じながら、ましろはそこに立っていることしかできなかった。聞きたくないが、彼の言葉はましろを待ってくれない。
「校長、貴方は知っていたはずだ。そうでなければ、私を晴風に乗務させるような無理をしなかったはずだ。女性の教官をわざわざ外してまで、男である私を乗務させた。……テロ、反乱、それに類する武力行使を伴う違法行為。……それに晴風が巻き込まれる可能性があることを、事前に知っていた。だからこそ私を乗務させた」
柳の声は冷え冷えとしている。
「晴風は時間通りに西ノ島新島沖の演習海域に到達
それっきり柳の言葉は止まった。朝日が射しこむ部屋の中で彼は微動だにせず、通話の先の答えを待っているようだった。ましろはまるで船酔いを起こしてしまったかのように足元が不安定に揺れているような感覚に襲われた。
「……海に生き、海を守り、海を往く。そのために人は人魚となる。人魚に足は必要ない。足枷で地上に縛り付けられるぐらいならと足を捨てたのでしょう。ただ愚直なまでに海に生きる民を守るために、人魚となったはずでしょう。――――何に捕らわれているんですか、校長。何を晴風に隠しているんですか?」
再びの間が空いた。その合間を波音だけが埋めていく。
「……貴女に言われるまでもなく、私は横須賀女子海洋学校の教諭として生徒の命を守ることを最大の責務として行動するだけです。貴女の娘さんが乗っているかどうかでそれが変わることはありません。馬鹿にしないでいただきたい」
ましろからは彼がどんな顔をしているのかは見えない。見えるのはいつも通り背をしゃんと伸ばした彼の後ろ姿だけだ。
「……了解しました。それが生徒を守ることに繋がることを心の底から願っています。以上、通信終わり」
柳が右手でタブレットを叩くのが見える。すぐにそのまま舵輪を持ち直し、視線を前に向けていた。
ましろは盗み聞いていたことが咎められるのが怖くて、その場を逃げ出すように部屋まで戻った。息が上がっている。足元は未だにくらくらと回っていて、部屋に戻ってすぐにベッドに飛び込んだ。
「……母さん、何を……何を隠して……」
額に乗せた腕に力が入る。先ほどまで感じていた眠気は吹き飛んでしまっていた。
はいふり最新話でネタが被ってびっくりしたキュムラスです。まぁ史実ネタを漁っていたので被るのはある意味必然と言えばそうなのですが……。とりあえず話の大筋には被らないと思うのでこのまま行きます。
なんだかいろいろ疑念の香りがしてきましたね。ここからかなりオリジナル要素の色が濃くなっていくと思います。既に濃い気はしますが、さらに濃くなります。話の展開もアニメと比較してかなり変わってくる模様……。
次回から次章突入となりますが、お楽しみいただければ幸いです。
――――――
次回 足りないものを嘆いたところで
それでは次回もよろしくお願いいたします