「その……受け取ってくれないか? 摩耶」
提督が、摩耶の左腕を握る。普段は口の悪い摩耶も、その時ばかりは緊張した表情で、こくんと頷くだけだった。
「その、さ……感謝してるんだ。アタシの力、存分に引き出してくれて」
「……力だけか?」
「照れ隠しだ。分かれ馬鹿」
二人の唇が合わさる。執務室は夕日に照らされ、重なる影が床に絵を描いていた——。
「カット!オッケー!」
監督の合図で、二人は離れる。中城哲二はマネージャーからタオルを受け取ると、汗をぬぐってパイプ椅子に腰を下ろした。
「お疲れ様です、中城さん」
「お疲れ、真紀ちゃん。……これ、売れるのかな」
摩耶役の真紀が隣に座り、中城は声を小さくして問いかける。劇場版艦隊これくしょん。元はブラウザゲームだった物を実写化した映画だ。何でもかんでも実写化すれば良いって物ではない。そんな中城の心配を他所に、真紀はへらへらと笑って見せた。
「売れてくれないと困ります。私、CDまで出すんですから」
真紀はまだまだ売り出し中の新人女優だ。ここで歌手としても伸び代を作り、少しでも芸能生命を延長しようという算段なのだろう。
「……あ」
真紀が、ぽっかりと口を開く。
「ん? どうしたの?」
不意に、周囲が薄暗くなる。ライトが落ちたのだろうか。その割には、照明さんが怒鳴っていない。ならば。
気付いた時にはもう遅い。中城の身長を越す程の脚立が、ゆっくりと彼の頭を目掛けて倒れて来ていた。
「……ハッ!」
何かに肩を押された気がして、目を見開く。夢、なのだろうか。それにしてはリアルな夢だ。周りには、やはり収録時と同じ様な景色が広がっている。やたらリアリティを気にする監督のせいで、撮影の殆どは実際の海上や軍事施設で行われていた。
ふと、目の前を誰かが通過する。真紀だ。摩耶の衣装に身を包んだまま、何やら鎮守府の中を走り回っている。
「おーい、真紀ちゃん」
ぽんと肩を叩いてみる。するとどうだろうか。彼女は一度肩を震わせると、その背中の砲身を、中城へ突き付けたのだ。
「おいおい、セットとは言え危ないよ?」
「誰だ、テメェ?」
低く、敵意を剥き出すその声。まさに、役柄である摩耶そのものである。
「稽古中? 監督、何処へ行ったんだ?」
「……何訳分かんねー事言ってんだよお前?」
からかわれているのだろうか。それならば、一度ガツンと言ってやらねばならない。最近の若い者は随分と馴れ馴れしい。……とは言え、中城もまだ二十代もそこそこなのだが。
「あのね真紀ちゃん。僕の方が先輩なんだけど」
「真紀って誰だよ。アタシは摩耶様だぜ? 大体お前……ああ、面倒クセェ!」
ぐいっと、襟首を持ち上げられる。おかしい。その時点で、中城は自分が妙な事に巻き込まれ始めている事に気が付いた。劇中にも、こんなシーンが用意されていた。しかし役者として最低限に身体を鍛えている……増してや提督役という事で普段の倍は筋肉をつけている中城を、真紀が持ち上げられる訳もない。撮影にはクレーンを使用していたのだが、勿論周囲にそんな物は見当たらない。
「……へ?」
どう言う事だ? そう尋ねる暇もなく、中城は木製の格子で封鎖された牢屋に叩き込まれた。
「やっとあのクソ野郎が出て行ったと思えば、今度は侵入者かよ。ウチの鎮守府、本当に解体されちまうのかもな」
真紀が呟く。もしや。と、中城はふと思い立った。偶にあるのだ。役に入り込み過ぎて、役柄と現実の区別が付かなくなってしまう役者が。
「真紀ちゃん。この前話しに出たあの芋焼酎。赤霧島だっけ? あれ手に入ったから、一緒に……」
そう言う時は、現実の話題を振ればいい。しかし、真紀は益々眉をひそめるばかりである。
「霧島? 何言ってんだ。彼奴は前に轟沈したよ」
「轟沈? ……いやいや、だから」
「次に訳の分からない事を言ったら、大本営に報告する前に沈めちまうぞ」
ジロリと、生気の無い瞳で睨まれる。ダメだ。相当役に入り込まれてしまっているらしい。
「真紀ちゃん、ほら。撮影ももう直ぐ終わりだし、余計なトラブルは……」
「……良し、沈める」
かちゃりと、真紀が牢獄の扉を開ける。正気に戻ったのでは無い。彼女はハッキリと、『沈める』と言ってのけた。殺される。中城は壁に張り付いて少しでも彼女から逃れようとして——
「……チッ」
ブザー音に、助けられた。何の音なのだろうか。定期的にビービーと音を鳴らしながら、彼方此方に天井にぶら下げられた赤色灯を回転させている。
「深海棲艦か。……おい、不審者」
深海棲艦。確か、艦娘の敵。
「聞いてんのか!?」
真紀の怒声に、中城は思わず肩を震わせた。
「き、聞いてる!聞いてるから!」
「アタシは戦いに出るから、此処から一歩でも出てみろ。殺すぞ」
脅迫では無い。彼女の瞳には、確かに殺気が篭っている。ぐらりと、足元が揺れた。ぱらぱらと砂が落ちる。遅れて聞こえてきた轟音と共に、真紀は目を見張る速さで牢獄の並ぶ建物を飛び出して行った。
「……へ?」
事態が飲み込めない。深海棲艦が襲ってくるシーンは、完全CG。床に揺れる装置も付けられていない。となると、やはり自分は。
「……嘘だろ」
どうやら、役に入り込んでしまったのは真紀では無く、中城自身らしい。