脚本通りに進んでいる?
「マスター、準備が整いました」
「そうか」
背中にキルキルちゃんの冷静な声を受け、僕は振り向くことなくうなずく。目の前に広がるちっぽけな洞窟の入り口。こんな小さな穴倉でも十年以上住み続ければ愛着もわく。何とも複雑な感慨を胸に、洞窟の闇を見透かさんとばかりにその奥のずっと先を見つめていたが、やがて名残惜しい気分をも露わに振り払って、僕は踵を返した。
振り返った先に控えているのは、侍従服を身にまとったキルキルちゃん。そしてリュックを背負って口を結んでいるミサカ。そしてその背後に群れるおばけキャンドルをはじめとした家具魔獣たち。
すっかり大所帯になったものだとひとりごちる胸に去来する思いはひとしおだった。家族の輪は今や世界中に広がっている。僕の背中に続く魔獣たちの群れにその輪の結束を見た気がしたのだ。
ああ、そうさ、僕は一人じゃない。一人じゃなくなった。
もう怖いことなんて何もない。例え今このとき、外の世界に出ることに竦む足があったとしても、僕には背中を押してくれる家族がいる。
外に向かってまっすぐ伸びるつま先に感じる重みに逆らわず、少し背中を傾ければ、トンと柔らかな感触に支えられる。その心地に瞼を閉じて、笑った。
「どうなさいましたか、マスター」
「僕は自分の足で立てるようになったな」
意を察して柔らかくキルキルちゃんは僕の背中を支える手に力を込める。
「…………そうですね。昔のマスターはすっぽりとこの腕の中におさまったものですが、今ではこうして支えることしかできません」
かつてはそれを能力の不足と慚じただろう杓子定規な考えは傍にあるキルキルちゃんの唇からは伺えない。艶やかに弧を形作る笑みがそれを如実していた。
「ああ、だが悪くない、そうだろ?」
「そうですね。それに今なら、抱きしめてもらえます」
嫣然と微笑みを作っていた唇の隙間から媚びるように吐息をもらす。耳に伝わる息の感触に肌が痺れた。陶然に移り変わる目の色の変化を見てとって、諦め気味に火照る体の熱に身をゆだねようとしたそのときに割って入る影があった。
「それ今やることですか、とミサカは嫉妬を隠さずに茶々を入れます」
そのまま文字通り、僕とキルキルちゃんを引き離すミサカの顔立ちは露骨に歪んでいた。幾分か大人びたミサカもまた心身ともに成長していた。どこぞの魔獣からデータを回収したのか、バストアップエクササイズに励んだ成果はミサカの身体のラインに大きく貢献していたし、実質序列一位のキルキルちゃんへの遠慮もない。それどころかこういう件に関しては積極的に絡んでくる。
皆変わったな、随分と…………
無言で視線の火花を散らしあう二人に、僕はため息をついて肩をすくめた。
先程まであった鈍る足の重みはすでに感じなくなっていた。背後でたむろっていた家具魔獣たちに合図すると、僕は歩きはじめる。皆もこうした事態への対応は慣れたもので、周りが見えなくなっている二人を無視してまたぞろ僕にてくてくとついてきた。
その様子にひそかに笑いつつ、先を急げば、慌てたように僕に追いすがってくる魔獣が二人。
追いつきすぐに僕の両サイドに控えた二人の何か言いたげな顔を抑えるように自然に後ろに手をやれば、揃って仲良く僕の手を繋ぐ。
僕は二人の手と家具魔獣を引き連れて、転生してから住処としてきた家を離れた。
未開の森より出る集団の戦闘を歩くその人間は、精悍な顔つきをした青年だった。
「神滅具・魔獣創造が発見された、か…………」
やや豪奢な椅子から放たれた若い声。面を上げることが許されたならば、そこには紅髪のミドルの若き魔王の顔があるに違いなかった。かの人物こそが旧魔王に次ぎ新魔王となったルシファーの名を冠する魔王の一人サーゼクス・ルシファーその人である。
それだけではない。そのサーゼクス・ルシファーと同じ卓に居並ぶ面々のはいずれも、その旧弊の四大魔王の名を冠する、セラフォルー・レヴィアタン、アジェカ・ベルゼブブ、ファルビウム・アスモデウス、と錚々たるものだった。
悪魔が悪魔なら、泣いて喜びそうな面子の目を自分一人に集めておいてセバスチャンには何の感動もない。
セバスチャンが主君と仰ぐはただ一人、創造主たるレオナルドのみ。それは魔王であっても同じこと。その他の人間など所詮利用できる駒でしかないのだ。
そのような反骨心、家族にだって欠片とて見せないセバスチャンも内心はほかの家族とそう変わるものではなかった。むしろそれを直接的に表現できない奥ゆかしさがあるからこそ、このような任に当たっているのだとも、皮肉げながらに思った。
「それは間違いないことなんだね、セバスチャン」
事実、直接的な主君たるサーゼクスにはその立場柄事実関係に慎重な姿勢はあれど、その声音にはセバスチャンが言うのであれば、という確かな信頼があった。
冥界に来て十年あまり、この御仁らに仕えてからは六年になるが、同じく席次を連ねる純血主義の悪魔よりも有能な転生悪魔であるセバスチャンを見込んでくれている節が魔王らにはある。セバスチャン自身そう動いたということもあるだろうが、単純に背後関係やその思想が有能さを妨げることの多い悪魔よりよっぽど背後関係に薄い転生悪魔の方が使い勝手がいいと考えていることは明らかだった。
最年少、転生悪魔初の政府閣僚。自分の肩書を思い出して、フッと心のうちでほくそ笑んだ。その立場がこうして四大魔王の直言許すようになるのだから、全くもって愉快である。何せこれが主から命ぜられた、初めての命令である。細々としたものはいくつも今までこなしてきたが、今まで高めてきた上級悪魔としての権力をフルに活用するようなものはこれが初めて。その時を得るまでに適切な立場と権力を得られた僥倖を与えてくれた愚かな四大魔王にセバスチャンは心から感謝した。
「間違いございません、サーゼクス様。私はしかとこの目で魔獣創造の神器所持者を確認いたしました」
「そうか…………」
サーゼクスの顔色は複雑だ。つい六年前悪魔界には神滅具・赤龍帝が加入したばかりだ。今ではあらゆる意味で話題をかっさらっているセバスチャンの女王であるが、このことの差す意味はその話題以上に大きい。何せ神滅具を悪魔化して確保したのだ。死ぬことがない限り、赤龍帝と言う強大な戦力は悪魔のもの。悪魔の生が途方もなく長いことを考えれば、その利益は大きかった。
しかし、その天龍という強大な戦力を確保できた矢先での、新たな神滅具との接触。三大勢力間の緊張に殊更目くじらを立てるサーゼクスからしてみれば、頭の痛い問題には違いなかった。
「ふむ、それで件の魔獣創造は今は?」
黙考するサーゼクスの代わりに口を出したのはアジュカ・ベルゼブブだった。こちらは心配とは無縁に興味深げな顔をしている。
「人間界の我が邸にてくつろいでもらっています」
「まぁ囲い込むのなら眷属化が無難であろうな」
「むー、私としては慎重にいきたいところかなー。何せ今はおっぱいドラゴンでいっぱいいっぱいだからねー」
技術担当のアジュカと外交担当のセラフォルーがそれぞれの立場から意見を交わしあう。その場がこの会議の中心とならぬうちに、セバスチャンは口を挟んだ。
「眷属化については差し当たって難題が存在しています」
「それはなんだい? セバスチャン」
サーゼクスが代表して問いかけると注目は再び私に戻った。
「はい、問題は並みの上級悪魔ではかの人物を眷属化できないというところです。彼本人のスペックとしても相当ですし、もしかすれば最上級悪魔をしても人を選ばなくてはなりません」
「セバスチャンがそこまでいうかー」
セラフォルーとサーゼクスの反応に自分の言葉の影響力への手ごたえを感じたセバスチャンはそのまま場の中心を引き寄せにかかりたいところだったが、ここでセバスチャンへの反応を肯定的な色に染めなかった者が二人いる。
「ふふ、なにやらやけに実感がこもっているな、セバスチャン。まさかとは思うが、神滅具をその身に二つ抱えようとしたわけではあるまいな?」
そのうちの一人がアジュカだった。しかし、ただ単純にからかっているだけで、その態度はアジュカの常であるが、今回ばかりはセバスチャンの不快を買う。
「お戯れを。赤龍帝で実感しているだけにございます」
慇懃無礼に答えればアジュカは面白そうに笑う。気に入られているのはわかっていたが、如何せん場を選ばなさすぎた。今のセバスチャンは主から授けられている重要な任についている只中である。余計な興に寛容である理由はなく、必然対応は邪険なものになった。
「それにしても最上級悪魔か」
場を切り替えるようにサーゼクスが疑問を口にしたので、それに乗っかる形でセバスチャンも再び演者に戻る。多少強引なのはわかっているが、常に冷静なセバスチャンがこうした態度を見せるからこそ、そのギャップから言葉を聞いてもらえるだろうという打算があった。
「最上級悪魔の中でも今眷属で十分に空きがあるのは転生悪魔に心好い感情を持たない純血主義の名家の方々ばかりになりますが」
その場合の影響力の増大をあなたたちに受け入れられるのか? 言外にそう問うとやはり返ってきたのは懐疑的なものだった。
「あの人たちがそもそも受け入れるかなー☆ 下手すれば転生悪魔の地位がさらに上昇しかねないような人間を眷属とすることを」
「わからんぞ、神をも殺す神滅具を所持することの魅力に抗える輩は珍しいだろう」
セラフォルー、アジュカが首をひねる中、その横では私の具申に対して心動かされなかったうちのもう一人――――ファルビウムは目をうつらうつらさせていた。
この方は唯一セバスチャンが歓心を買えなかった人物だ。サーゼクスは能力、セラフォルーは魔法少女、アジュカは研究、とそれぞれ渡りをつけることができたが、この軍事を担当するファルビウムだけは繋がりを持つことができなかった。どうにも飄々としているというか、つかみどころがない人物だ。職務は最低限しかこなさない、不真面目、しかしかといって無能でもない。理解しがたい要注意人物だ。しかし会話に加わらないというのは好都合。
ここはセバスチャンの舞台だ。観客は大人しく引っ込んでいてもらおう。
「それだけではありません」
再びやりとりを遮って、セバスチャンはできる限り情念をこめて言葉を膨らませる。
「本人が悪魔になることをあまり望んでいないということもあります」
深く息を吸って声を整えると矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「魔獣創造の所持者はかなり神器に使い慣れています。ともすればいらぬ反発を招くということもあるかと」
ここで、アジュカが訝しげな表情をした。とりわけ神器を使い慣れている、という点に目を細めている。脚本通りの反応を返してくれてありがとう。お礼にセバスチャンの舞台に招待しよう。
「あれほど派手な神器を使い慣れるほど使っていれば、今まで我らの目に留まらなかったことの方がおかしくないか」
「その通りでございますが、アジュカ様。それについてはこれから語る彼の出生にも関わることでございます」
「出生ね…………そうお前が思わせぶりに話すのなら何かあるんだろうな?」
「聞かせてくれセバスチャン」
わずかにサーゼクスは居住まいを正した。その人の人生に関わるようなことを生半可で聞く気がない当たりこの人も悪魔らしくないな、と思う。ありていに言ってしまえば甘い。頂点に君臨するものとしては甘すぎる。それはセラフォルーにも向きがあるが。
見ろ、アジュカを。あれなぞ悪魔らしい悪魔だ。自分の興味にしか執着がない、魔獣創造の出生についても暇つぶしぐらいにしか思ってないに違いない。そういう意味ではファルビウムも同様だ。あれはこちらのことなど心底どうでもいいと思っている。
まぁそれが今回ばかりは好都合になるのであれば、このセバスチャンもこの主君の欠点らしい欠点を美点として目を瞑ろう。本気で仕えているのならまず甘言することではあるがな。
それからセバスチャンは恐れ多くも主の出生を語った。
できるだけ悲哀をこめ、それでいて客観的に語るように。事実を誇張するようなことは一切せず、嘘偽りなく申し立てた。
魔獣創造の主は五歳のころに両親に一人、未開の森の山中に捨てられたこと。生きる術を知らず脆弱な身体しか持たない少年は、神器をつかって危険な野生動物などが生息するジャングルで生きていたこと。やがて神器を使い続けた少年が限りなく人に近い魔獣を創造することに成功して、それからずっとその魔獣とお話しして暮らしていたこと。十分に成長してからも森の外には一切出なかったこと。
その生涯を簡潔に語った。そしてそれが功を奏した。
こういった話し方をすれば、自然、人は想像がかき立てられるものだ。
そもそも五歳の子供が両親に捨てられたときの心境はいったいどんなものなのか。
泣いただろうし喚いただろうし縋りついただろうし暴れただろう。
例え神器があったとしてそこで生き続けることがどれだけ難しいことなのか。
飢えと渇きに苦しみ、獣の息に怯え、空気の冷たさに肌をかじかませ、泥に塗れて、夜闇に必死で目を瞑り、迫りくる明日に身をすくめる。
そんなときに人に近い魔獣を生み出した少年の意図はなんだったのだろう。そしてそんな魔獣を生み出した時、少年は何を想ったのだろう。それから暮らした日々はそれ以前と比べてどんなものだったのだろう。そしてかたくなに森の外に出なかった理由はなんだったのだろう。今森の外に出た理由はなんだったのだろう。
話した時間は短かった。その後の沈黙はそれ以上に長かった。
感受性の高いセラフォルーなんかは目にたんまりと涙をためて鼻をすすっている。サーゼクスも痛ましげな表情を隠さない。
この二人が釣れるのはわかっていた。
彼らとてこんな悲劇が世界中探せばどこにでも転がっていることは知っているはずだ。それでもなおここまで感情を揺さぶられるのは、魔獣創造の所持者の人間の問題が彼ら魔王にとっても身近であるからに違いない。身近であるから感情移入が働くのだ。身近でなければ、一つため息をついて終わりだろう。
まったく身勝手なことだが、生物なんて結局はそんなものだ、とそれを利用しようとしている魔獣は思っていた。
「なるほど、人型の魔獣か。それは興味深いな」
話が終わって、一番最初に口を開いたのはアジュカだった。その言葉はセバスチャンの狙いからは外れていたが、今になってはこの魔王の反応は気にする必要がなかった。
サーゼクスとセラフォルー、政治決定権を強く持つ二人が落ちた時点で勝負は終わったも、同然なのだから。
「む、むー、アジュカちゃんひどぉーい! あんな話聞いて最初に出る言葉がそれぇ☆!?」
「あんな話? 事実を単純に並べた私好みの話し方ではあったが、内容として一番気になったのはそこだな」
事実、私が反応せずともセラフォルーが勝手にアジュカをおしこめてくれる。まぁここまでくれば後は任せておいても大丈夫かもしれないが、一応念には念を押しておこう。
「その人型ですが。魔獣創造の力の大半はあれに注ぎ込んでいるようで、かなりのものです。それに、あれの他人への鋭さはまんま少年の他人への防衛意識を反映しているのでしょうね」
わたしでも相手にならないでしょう、と付け加えるとなおのことアジュカが興味深そうに笑った。一瞬だが、ファルビウムの細まった目からも油断ない光が洩れる。全くこの二人は先の話に心動かされている様子を見せない。この二人が感情に揺さぶられがちな二人とバランスをとることで均衡が成り立っているのだろう。厄介ではあるが、そこまで重要視すべき要素でもないとセバスチャンは踏んでいた。
「王となる悪魔への配慮もそうですが彼自身の実力も無視できません。安易な眷属化は彼との軋轢を生みかねません」
「だが、放置もできない」
苦い響きが混じるも、しっかりとサーゼクスも要点を抑えている。内心では、こうも悲惨な育ちをしてきた所持者を政治に巻き込むことに苦慮しているのかもしれないが、統治者としての最低限の分別は持ち合わせていた。
しかしだからこそ、彼の処遇には最低限の分別さえ守り、悪魔界の利益に反しない限りであれば便宜を引き出すことができる。
それをセバスチャンは狙っていたのだ。
「そうですな。眷属化は情勢的には好ましくなく、かといって他方への影響力を考えれば、こちらでしっかりと囲い込まねばならない」
わたしに腹案があります、と続ければ、舞台もいよいよ大詰めだ。魔王らが頭を悩ませる、魔獣創造の所持者の感情論。このような目にあってきたのだ、これからは幸せになるべきだ、そんなことを考えているのなら、セバスチャンの案に必ずや乗ってくる。何せ、魔王たちはこれから先知る由もないが、魔獣創造の所持者である主本人の意向なのだからな。
セバスチャンはほくそ笑む。これがいかにいい折衷案なのかを、見せつけるのがセバスチャンの役目であるが、この分だとさして心配もあるまい。主にもらった役目がようやく果たせそうだ、と内心で安堵しながら、私はできるだけ誠意をこめて切り出した。
「駒王市の駒王学園に入学させてはどうでしょう」
「全くもって小賢しいですね」
毒を吐きながらもにっこりとほほ笑むその姿は昨今世間をにぎわせている複合企業の会長氷の女王、カレン・オルテンシアの肖像に変わりはない。本人は演技だとマスターの前で嘯いたが、どう考えても、マスコミの前で見せている姿はカレンの素だった。
これが、凡百の相手であればその態度に眉を顰めるのだろうが、今回ばかりはカレンの相手をしている相手が相手である。
名目上はカレンの子供にあたる綺礼少年は親譲りとしか思えない悪辣な笑みにその貌を染めて、カレンに追従した。
「いやはやまことに。しかし相手も馬鹿ではない。私がここにいて、久方ぶりに親子の親交を温めていることが何よりの証拠でしょう」
「拙い欺瞞ですね。こんなことで私の目を誤魔化せると思っているなんて、本当にかわいらしいこと」
カレンは手元のスクリーンに映る、相対する三者の会話を見下してにっこりと笑う。先進的な魔法技術で構築された監視機能は、監視されているさぞ優秀であろう三者全てを欺いてきちんと役割を果たしていた。
頬杖をついてそれを眺めるカレンはどう見ても可憐な乙女にしか見えないが、それが外見通りでないことはこの親子のやり取りからも明らかだった。
「拙い、というよりはこうして欺瞞する私への信頼の表れと申した方がいいでしょう」
「あら? 私はその期待を裏切って拙い欺瞞をしているあなたに言葉を向けているのですが。ねぇ、もう少し上手く欺瞞できないのですか、と」
「仕方ありますまい。私もまだまだ親にかまってもらいた年頃なのです。ですから、ついついこうして仕事を疎かにして、親子の語らいに熱中してしまうのですよ」
「あらあら。不出来な子ほどかわいいと言いますが、それは本当の事のようですね」
ふっふっふと笑みを交わしあう二人。裏では密接につながっている、その関係性を表に出さないという暗黙のルールの下、白々しい建前と建前の皮肉ぶつけあってこの両者は愉しんでいた。
これが親子の語らいだというのなら、どこまで寒々しい家庭環境にあるのか、と心配してしまうような光景だが、歪ながらにこれが二人の愛情表現の仕方であった。
「ふふふ、それじゃあ仕事よりも親子の情を優先してしまうどうしようもなく不出来な綺礼? お母さんにこの三人が何をやっているのか教えてくれないかしら」
「熱心なクリスチャンであらせられる母上に、天界の方々が悪魔や堕天使たちと和平を結ぼうとしているなど到底言えませんなぁ」
「へぇ…………」
穏やかならざる笑みを浮かべてカレンは相槌を打った。というのも表面上だけの事。長く付き合っている人間にとってはこれが茶番だということがわかる程度の儀礼的な態度だった。
「本当に小賢しいですね」
「まったく」
カレンの複合企業は悪魔や堕天使の息がかかった企業も多数傘下におさめている。熱心なクリスチャンであるカレンがこれを排除しようとしないのは、三大勢力間の緊張を刺激しかねないという憂慮の下に付き合いのある教会の人間に知らされていないからだ。逆に言えば、知られれば三大勢力の均衡など考えずに叩き潰しにかかる狂信者だと思われているからなのだが、そんなところを隠れ蓑にして和平工作をするなどと存外天使たちも図太い。
他に候補がなかったというのもあるのかもしれない。ここは三大勢力が互いの利益を棄損しないという暗黙のルールの下運営されている数少ない組織なのだから。
「ですが、こちらにとっても好都合ですからね。今は目を瞑ってあげましょう」
「
意味ありげに綺礼が反復すると、カレンはやはり穏やかに微笑む。笑顔だけは崩さず、カレンは綺礼に問うた。
「それで、綺礼。あなたのほうはどうなのですか」
「まぁあなたよりは信頼されて、ここにいますよ」
それは親と違って和平工作を明かせる程度には地位を築いていることに他ならない。いくら子という立場が欺瞞工作に使えるとはいえ、和平工作は信用に置けない人物に明かすほど些末事ではないのだ。それだけで十分に綺礼の教会内の立場が知ることができた。
「結構…………時は近い。私が言うことではありませんが、あなたはあなたの役割を果たせるように全力を尽くしなさい」
「言われるまでもありません」
そうして、二人揃って視線をやる先は、和平のために遠回しな接触を重ねる三者の姿。
そうだ、時は近い。主が目指すその時に向けて我らは邁進する。願わくば最善の未来あれと願う主のために今日も闇で蠢く者たちは蠢動する。
「そう、全ては主のために」
「全ては主のために」
その主が誰であるのか、神に仕えるこの二人に問うまでもないだろう。
とある研究所にて。
「何度相談されても答えは変わらんよ、アザゼル総督」
スクリーンに映る黒髪の堕天使を前にしてジェイル・スカリエッティは常と変わらず享楽的に振る舞う。子供の好奇心をそのまま膨張させたようなこの研究者は相も変わらず調子よく物事を語る。
「君らと僕が共同研究をなせば、それはそれはとても素晴らしい成果があがるだろう。そこは否定しない。だけどね、アザゼル総督。僕としては君らには競争相手になってもらったほうがお得なんだ。敵対関係を弾みにして技術発展したケースは思いのほか多い。ライバルがいるというのはそれだけで向上意欲が湧くんだよ。現に見てみたまえ、僕のこの顔を! すっごく楽しそうに笑っているだろう」
『ああ、俺らをどう出し抜いてやろうか、企んでいる悪い顔だ』
「ははは。そして鏡を見てみたまえ、アザゼル総督。君は今笑えているかい」
ある意味でスカリエッティとアザゼルの方向性は似ているのだ。子供をそのまま大人にしたようなスカリエッティと悪童をそのまま中年オヤジにしたようなアザゼル。両者の違いがあるとすれば、それは老けだ。長いこと生きて色々なしがらみを負っているアザゼルはその対応に追われることで本来やりたいことができていない。
現にこんな相談を持ちかけること自体アザゼルにとっても不本意なことは、顔から容易に読み取れた。ますます老け込んでいる、そうスカリエッティは感じたのだ。
「君と僕は似ている。だからこそ言う。自分が笑えるように、生きたいように生きるべきだよアザゼル総督。君にそんな顔は似合わない」
『…………そうも言ってられねえんだよ』
不貞腐れたようにつぶやき顔を歪める。少しだけだがアザゼルにスカリエッティに対する羨望が見えた。生きたいように生きられたらそれはどんなに幸福なことか。だが、グリゴリという堕天使の組織の頭であるアザゼルにはそれを軽率にできるような立場になかった。
『確かに俺個人としてはお前を組織に招くなんてこたぁしたくねえ。むしろ、こんなことやっているよりか、今このときも神器研究で一歩か二歩、先行っているであろうお前を追い越すための研究に時間を当てたいと思っている。お前の力なんか借りずに独力で、だ』
それは長年神器に触れてきたアザゼルならではの矜持に障る問題でもあった。けれどそうも言っていられない、逼迫した現状が差し迫ってもいた。そしてそれを座視することはグリゴリの頭の矜持として看過できなかったのだ。
それに対してスカリエッティは退屈な時間になりそうだ、とため息をついた。
『グレゴリの中で人間でありながら神器研究をして、その情報を悪戯に天使やら悪魔やらに流すことをよく思っていない連中がいる』
「スポンサーに成果を見せるのは当然の事さ」
『そうだろうな。だけどお前が現れる前は神器研究による利益は俺たちの既得権益だった。犯されればそりゃ文句も言いたくなるさ』
スカリエッティはここ数年の間でめきめきと神器研究で頭角を現している。それはひとえにその成果がどこかの勢力によって保障されてのことだ。
スカリエッティも所詮は勢力の恩恵にあやかれない一個人に過ぎない。いくら設備・材料が揃っているからといって組織として研究を行っているグレゴリに一個人でたちうちするのは難しかった。
そこでスカリエッティが用意したのがスポンサーだ。神器研究の情報の独占を快く思わない悪魔・天使と堕天使の間でシーソーゲームをし始めた。別に設備や材料は足りている。太刀打ちできないのは、勢力として研究の妨害を防ぎきれないところだ。だからスカリエッティは神器研究の成果と引き換えに、自身の保護を要求し、結果契約はなった。
そこで面白くないのが、堕天使たちだ。堕天使からしてみればスカリエッティは自らの領域を侵す目の上のたんこぶ。たかが人間風情がという思いがますますその傾向を加速させるが、三大勢力をむやみに刺激したくないアザゼルによって止められ妨害もできない。
宙に浮いた形となった堕天使たちの感情。それがスカリエッティが成果を上げ続ける近年さらに高まってきているのだ。
『俺に止められるにも限度がある。文句だけで済ませられねえ連中がそろそろ出てきそうなんだよ』
アザゼルにも暴走を止めきれない連中がいる。さらに言えば神器研究の分野で後れを取っていることには研究に携わる堕天使としてアザゼルの不甲斐なさを感じているのだ。部下に誇りを持たせてやれないアザゼルも強くは言えなかった。
「と言ってもな。私は悪魔や天使にその活動を保護されている。並大抵では揺らがないよ」
『…………そいつらは常にお前の傍で警備しているわけではないだろう』
「救援を呼ぶくらいの時間は自分で作れるさ」
『そんなことがわからない俺だと思うか』
暗にその時間も作れないほど高位の幹部がそれに関わっていることを示すがスカリエッティはただただ笑みを深めるだけだった。
『これはマジで言ってるんだスカリエッティ。それにお前だって俺と共同研究することのメリットはわかってんだろ』
スカリエッティをグレゴリに招くというのはある意味最上の策であった。
それでスカリエッティに対する敵意を抑えられるのかと言ったら微妙だが、少なくとも自分の目の届くところに置き守ることはできる。
何より神器の情報の独占を再びこの手に戻すことで、対外的な組織としての面子は守れるのだ。それぞれの個人的な感情を除けば、及第点以上の解決が図れる良案であった。
見方を変えれば、今までスカリエッティの研究の恩恵をあずかってきた悪魔・天使の利益を奪い、三大勢力の緊張を刺激しかねないアザゼルらしくない策ではあったが、アザゼルの考えはむしろその先にあった。
単純に神器を研究する組織として敵対関係にある勢力に神器の情報を提供することなどもってのほかだ。自分たちの拠り所とする情報を簡単に渡すことは組織の崩壊を誘発しかねない。
そういう意味でスカリエッティと言う存在はグレゴリにとって極めて危うい存在でしかない。しかし悪魔や天使の保護があるために容易に手が出せない。
だからこそスカリエッティを招くという折衷案で組織の保全を図っているわけだが、その上で三大勢力を無闇に刺激するつもりはないという姿勢を貫けば、落としどころなど決まってくるのだ。
それすなわち、今までのスカリエッティとの関係を組織の責任として今後も続けること。
組織としてもどうせスカリエッティによって大半の神器の基礎情報は漏れているのだから、と抵抗は薄いし、こちらで開示する情報を選べる主導権を取り戻すことができるであれば、と妥協する堕天使も多いはずだ。
組織内で厭戦の空気はすでに出来上がっている。なし崩し的に三大勢力と公式に関係が持てる機会は遠くない未来を見据える堕天使上層部にとっても見逃しがたいものだったのだ。
だからアザゼルも思うような答えを得られないことに焦る。優遇すると具体的な待遇まで考慮に入れてスカリエッティに打診した。
だがスカリエッティはそれに答えるでもなく、ますます笑みを深めるだけだったのだ。
煮え切らない態度をとり続けるスカリエッティに業を煮やしたのか、少しだけ迷いながらもついアザゼルは付け加える。
「…………コカビエルがな、最近うるさくてたまらないんだよ」
ついに具体的な名前まで出てきた。しかも聖書に載るようなビッグネームの堕天使を。これは明らかな脅しとも取れるが、アザゼルの顔は真実苦味を帯びていた。
そしてその時点でスカリエッティは交渉を見切った。
元より受け入れる気のない交渉を暇つぶし程度に聞いていたスカリエッティとしてはこれだけの情報を手土産にすれば、自分に有意義に使われなかった時間も喜ぶだろう、と笑ったのだ。
結局交渉は物別れに終わった。
交渉の合間、強硬的な態度も辞さなかったアザゼルであったが最後に漏らした言葉は真実スカリエッティを慮るものであり、スカリエッティとしてもやはりアザゼルほどの人物があのような地位についているのはもったいないな、と思った。
ただアザゼルを惜しむ気持ちこそあれど、スカリエッティの本意は創造主であるレオナルドに向けられる。
事実数分前まであったアザゼルへの感傷などなかったかのように、スカリエッティは先ほど得られた情報を元に作業に勤しんでいた。
「全ては事もなし。物語はおおむね脚本通りに動いている…………」
そして手元に映るスクリーンを見つめてスカリエッティは笑う。
映っていたのはスカリエッティの下で研究材料となってくれている神器所持者たちが修行に励む風景だ。おおむね順調に進んでいる工程を見守りながら、ふと一人の少女に目が留まる。
『
確かマスターはこの人物をしきりに気にしていた。まぁ好色なマスターの事だ。聖女と聞いてヨダレでも出たのかもしれない。あの意味深な態度もそんな下心の表れだったと考えれば、合点がいく。
少し気を使うべきだったかな、と束の間考えるが、ミサカネットワークに統合された情報の検索結果が出たスクリーンを前にしてそのような些事はすぐにスカリエッティの記憶のかなたに追いやられた。
そして情報の検証を行って改めてうなずいた。
「全ては事もなし。物語は脚本通りに動いている」
五歳の子供が両親に捨てられたときの心境→牛の乳を凌辱して自己嫌悪
人に近い魔獣を生み出した少年の意図→原作キャラのオナドールが欲しい
そんな魔獣を生み出した時、少年は何を想った→ちゅーしたい
それから暮らした日々はそれ以前と比べてどんなものだった→ニート
そしてかたくなに森の外に出なかった理由→引きこもり
今森の外に出た理由→ハーレムつくりたい