エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ、拠点(住居)最悪との逢瀬   作:空想病

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 時系列としては、書籍版第七巻。
 アルシェたちワーカーがナザリックに侵入する前あたりですかね。


 それでは恒例の一言。


 はぁ…エントマちゃんかわゆ…


エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ、拠点(住居)最悪との逢瀬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナザリックにおいて、五大最悪と呼ばれるNPCが存在する。

 その中で「拠点(住居)最悪」の称号を戴いた彼は、私のことをこう呼んでいる。

『眷属喰い』と。

 

 

 

 

 

 恐怖公が至高の御方より賜った領域は、ナザリック地下大墳墓第二階層“黒棺(ブラックカプセル)”。

“黒き棺”とは実におどろおどろしい名称であるが、私の感覚で言わせてもらえば、そこは“おかしの間”である。

 カサコソと這い回るクラッカーのごとき輪郭。

 黒色に輝くチョコレートのような光沢の甲皮。

 床と壁と天井を覆い尽くす大量の飴細工の群。

 そして、侵入した者を(あまね)く捕食し飲み込んできた棺の中は、芳醇かつ濃縮された死の香りに満ちていた。

 あまり声を出したくはないが、つい本音がこぼれてしまう。

 

「……イイ匂イィ」

「またいらっしゃったのですか、エントマ?」

 

 名を呼ばれた少女は沸き立つ悦びと少しの不安を覚え、しかし表情はまったく変えることなく――というか仮面の蟲なのだから変えることは不可能なのだが――呼びかけた者の方へ振り返った。

 そこにあった姿は、体長三十センチほどの直立するゴキブリである。真紅のマントは豪奢な金糸で縁どられ、純白の宝石をはめ込んだ立派な王笏を握る前肢の様も雄々しく映える。その小さな頭部を飾る黄金の冠は、なるほど見るもの全てに恐れと怖れを抱かせるに相応しい高貴さと典雅さが現れているようだった。

 人間の王族でも、これほどの贅をこらした装飾で身を飾るのは難しいかもしれない。人間では着飾るどころか手に触れることも躊躇われる至宝の財を、彼は己の一部のごとく着こなし魅せている。

 この昆虫こそ、この“黒棺”という領域を預かる領域守護者・恐怖公――その正体である。

 ちなみに。

 アインズの生きていた現実世界の日本では、家屋害虫・不快害虫として忌み嫌われる存在の代名詞とも言えるゴキブリなのだが、海外などではペットとして愛玩されている種類もあり、国内でもゴキブリの品評会――いわゆる大きさ/美しさ/すばやさなどを評価競争するコンテスト――が執り行われた歴史もあるなど、その筋の人種から大変重宝される存在でもあることは、あまり知られていない。

 彼はゴキブリの前肢で頭を抱え、嘆息まじりに歓迎とは程遠い声色で迎え入れる。

 

「まったく。我が領地に何の断りもなく入室してくるのは、愚かしい侵入者だけでありたいというのに……貴女は何度言い聞かせても自制してくださらない」

 

 貴族然とした優美な所作と言葉遣いであるが、その発生源は腹部を露出した直立する昆虫だ。ただの人間がこれを直視しても奇態にしか映らない光景であるが、近親種であるエントマから見れば中々に魅力的な光景に映るというもの。

 いつもであれば、ここでちょっとしたおしゃべりに興じるところ。

 だが、少女は一声も発しない。

 

「何か抗弁されてはいかがですかな? ただ黙っていては、何をしに来たのか判断に困りますので?」

 

 と言いながらも、恐怖公は彼女が「つまみ喰い」に来たのだろうと、何とはなしに理解していた。

 ナザリックの支配者であられるアインズ様からの勅命や伝令であれば《伝言(メッセージ)》を飛ばすだけでも事は足りる。であるなら、彼女がここへやって来る理由などそれぐらいのもの。恐怖公はそうこれまでの経験から推察していた。

 だが。

 

「……エントマ?」

 

 黙したまま棒立ちになる少女の名を呼んだ。

 その異様に、周囲に蠢く大小さまざまな眷属たちも、無い首を傾げそうになる。

 

「――――、―――、――」

 

 まるで翅音のような、消え入りそうな声がかろうじて聞こえたのは、眷属たちの蠢動する音が消え去ったからだ。彼らという存在は、すべて恐怖公と召喚の糸によって結ばれている。彼が念じさえすれば、万単位の蟲の集団を静止させることも容易い。

 そして、彼はようやく、彼女の声が変質していることを認識した。

 

「なるほど。ご自分の声がお嫌いでしたね、貴女は」

「……ウン」

 

 実に従容と、エントマ・ヴァッシリッサ・ゼータは頷いていた。

 

口唇蟲(こうしんちゅう)は、どうされたのかな?」

「……奪ワレタァ」

「奪われた? 今、奪われたといったのですか?」

 

 エントマは黙して語らない。

 だが、それこそが何よりも雄弁に語りかけている。

 第九階層の守護を任される戦闘メイド(プレアデス)の一員である“蟲愛(むしめ)でるメイド”エントマ・ヴァッシリッサ・ゼータが、口唇蟲を奪われるほどの「敗北」を喫したという、事実を。

 口唇蟲は換えの利かないような存在ではない。ナザリックにおいて自然と湧き出(POPし)ないモンスターであるが、ユグドラシルの硬貨を使用して召喚することは可能なモンスターだ。実際、エントマに与えられた私室には予備の口唇蟲が幾匹も飼われている。その姿は粘液に塗れた蛭のようなもの。先端は人間の唇の形状をしており、人間種の喉の声帯を貪り喰らうことで、その人間と同じ声を出すことを可能とする。

 自分の声を嫌っているエントマが、その口唇蟲を奪われ、本来の声でいることを強要されるのは十分以上に屈辱的なこと。そんな状況に甘んじ、予備の口唇蟲を使わない理由など、ひとつしか考えられない。

 

「よろしければ、詳細をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 

 エントマは思考を幾重にも重ねるようにして視線を彷徨わせる。視線の先はすべて恐怖公の眷属たちで埋め尽くされていたが、今は、おやつを品定めしようという気概は欠片もない。

 彼女は決して動くことのない口で、彼女本来の声をもって、訥々(とつとつ)と語り始めた。

 王都における『ゲヘナ』作戦に参加したこと。

 その折に遭遇した人間の冒険者チームのこと。

 そして、あの忌まわしい魔法詠唱者(マジックキャスター)の小娘・イビルアイのこと。

 

「ほぉ。興味深いですね、殺虫魔法とは」

 

蟲殺し(ヴァーミンベイン)》という名の魔法に、恐怖公は心当たりがない。少なくともユグドラシルには存在しない魔法であったはずだ。もしも存在していたとしたら、恐怖公などの蟲種族モンスターにとってはまさに天敵。ユグドラシルプレイヤーを幾人も強制退去(ログアウト)させた経歴を持つ恐怖公が《蟲殺し》の魔法を受けたことがない以上、ユグドラシルにおいては存在しない魔法なのだと推測できる。

 無論、恐怖公と相対したプレイヤーが単純に習得していなかったとか、恐怖公の姿や戦法が生理的嫌悪の塊であったが故に失念し(パニクっ)てしまったなど、いくつか思案できなくもないが、同種にして同胞である第五階層守護者・コキュートスにしても、そのような蟲種族に致死性を持つ魔法を喰らったなどという話はついぞ聞いたことがない。あの武人気質の塊であり、同種にして同じナザリック地下大墳墓を守護する盟友が、自分にそういった魔法の存在を秘匿するような可能性は絶無だ。

 とするとやはり、エントマを退けた殺虫魔法というのは、この世界における独自魔法と看做すのが正しいだろう。

 

「その、イビルアイとかいう小娘。単純なレベルでいえば我輩を軽々と屠ることも可能でしょうな。我輩に与えられたレベルは合計30。それより格上のエントマを退却させうる相手。しかも扱ってくる魔法が致死的な作用をもたらすとなれば」

 

 エントマは湧き上がる感情を抑えきれなかった。

 蟲も符も使わずに、彼女は剥き出しの床を蹴りつける。その激震はナザリックの第二階層にとっては何の痛痒にもならない0ダメージでしかなかったが、余波を受けた蟲の群れが再び蠢き騒ぎ出すのには十分な威力だった。

 恐怖公は別にエントマを刺激しようとして言ったのではない。

 自らの力を卑下すること。それは、至高の四十一人に創造された事実を侮るという見方もできる。

 だが、恐怖公は現実問題として、敵が自分を上回る可能性を考慮する必要を知っていた。

 自分はそこまで強くはない。だが、そんな弱卒な自分をこそ、至高の御方々は望まれ、あまつさえこの“黒棺”という領域に(ほう)じてくれた。その御恩に報い、忠義に励むことこそ至上の喜び。

 自分の弱さを認める恐怖公の心胆は、まさに、公位を戴くに相応しい強さが溢れかえっていた。

 それを理解できないほど、エントマは莫迦(ばか)ではない。

 だからといって、彼があの小娘に殺される場面など、一秒たりとも想像したくない。

 あの忌まわしい白い靄が、彼の命を奪う瞬間など!

 

「落ち着き給え、エントマ」

五月蠅(ウルサ)イィ!」

 

 王笏を杖のようにして仁王立つ恐怖公に詰め寄っていく。

 蜘蛛の子を散らすのではなく、ゴキブリの群れを散らすように、エントマは一歩一歩を踏みしめ歩く。

 

「私ハ負ケテナイィ! アンナ小娘ワァ、私ガ最初カラ殺スツモリデェ、本気ノ本気デ仕掛ケテイレバァ!」

 

 千鞭蟲(せんべんちゅう)をもっと効率的に使役していれば。

 蠅吐きをもっと効果的に使用していれば。

 蜘蛛の脚を。蜘蛛の糸を。符術を。蟲たちを。

 自分の持てる全てを出し惜しむことなく投入してさえいれば、戦局は優位に動いたはず。

 男女(おとこおんな)や忍者を早急に殺戮し、盾役や支援を封じてしまえれば、勝利は自分に輝いたはず。

 純粋な戦力分析でいえば相性の不利は厳然たる事実として存在していようと、至高の御方によって創られた自分のステータス・与えられた最高位の装備・様々な状況に対応可能な符術師と蟲使いとしての特殊技術などの要素がある以上、あの小娘単体に劣ることなどないはず。

 だが、彼は頭を振ることなく――というか、もともと振ることは出来ないので体全体を揺らすようにして、嘆きの声を上げる。

 

「それをしなかったから、貴女は敗けたのですよ」

 

 エントマは、別の意味で声を奪われた。

 それほどの威力が、恐怖公の言葉には込められていたから。

 

「アインズ様が仰っていたそうです。『どんな弱い存在でも侮るのはいけないことだ』と」

 

 我が盟友が賜った言葉だと、彼は誇るように語って聞かせる。

 

「まさに、今のあなたが受け入れなければならない御言葉ではないですか。あなたは敵を侮った。侮ったが故にさらなる強敵を呼び寄せた。強敵が来て慌てて力を振おうとしてみたが、思いのほか手痛い一撃を受けて反撃の目を失った――それで? それで一体、どうしてあなたは敗けていないと言えるのです?」

 

 カツンと王笏が床を打ち鳴らした。

 その音は不敬かもしれないが、まるで至高の御方々のまとめ役、アインズ様のみが握ることを許された杖を思い出させた。

 

「エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ。

 あなたは本気で、御自分がアインズ様の御言葉に沿った行動をとれていたと放言されるのか?」

「……イイエェ」

「まったく侮りなどなかった。

 自分に出せる全身全霊、全力全開の状態で、敵である者たちに立ち向かったのだと?」

「…………イイエェ」

 

 自分は確かに油断していた。侮っていた。軽んじていた。

 すぐに殺せる敵だと思った。口では侮ることは不味いと言っていたが、心の奥底では戦闘メイド(プレアデス)としての自尊心が本気を出すことを忌避していた。ただの餌だと、ただの動き回る食材だと、そうやって相手を自分と戦う“敵”に値しないと無意識に思い込んでいなかったと、言い切ることは出来ない。

 思うように事態が進展せず、飢えと自尊心が隙を生んだ。そうした結果、あの魔法詠唱者の闖入を許した。

 最初はあの殺虫魔法を相手のミスだとさえ誤認してしまった。確実を期するならば、奴の魔法は可能な限り回避して、蟲たちを盾にぶつけて様子を窺うべきだった。切り札を切ったことで増長し、無理やりに決着を早めようとしたツケが、エントマに敗北をもたらした。

 自分が敗けたことは何とも思わない。

 ナザリックの戦闘メイドが敗北したことが、何よりも問題なのだ。

 それは言うなれば、至高の四十一人の誇るナザリック地下大墳墓の名誉を傷つけたことと同義。

 たとえ相手が自分に伍するレベルの魔法詠唱者であり、相性的な不利や数の差はあったとしても、一敗地に塗れ無残にも敵に背を向けた事実は拭い難い。

 そのあまりの絶望感に作戦終了直後は自害すら選択しかねないほどエントマは荒れたが、慈悲深きアインズ様に赦されたことで救われた。

 そして、エントマは今、この領域に、彼の目の前に戻ることが出来た。

 

「我が盟友は、アインズ様から更に御言葉を賜りました。『二度と失敗しないよう精進するならば、それは意味のある失敗だ』と」

 

 含蓄の深い言葉だと、恐怖公は陶然となりながら言い募る。

 

「エントマは、二度と失敗などしない。我輩はそう信じてもよろしいのでしょうか?」

「………………ウン」

 

 少女は静やかに、緩やかに、その場に腰を下ろした。

 この姿勢でないと、彼と視線の高さを合わせられない。否、この姿勢でもまだ自分の方がはるかに目線が高いので、エントマはさらに床面に寝そべることになる。

 膨れ上がる溶岩のごとき憤怒は霧消し、それを確認してから、恐怖公は眷属たちを彼女のそばへ集めていく。

 おやつの海に抱かれる彼女のもとへ、彼もまた近寄り、その前肢で仮面の頬を撫でる。

 

「とても痛かったでしょうね」

「ソンナコトナイヨォ……」

 

 触れられている仮面の下が熱を帯びる。

 五体を大地に投げ出し、恐怖の化身たちをその胸の内にかき抱く。

 

「アインズ様ノオ役ニ立テナクナルコトニ比ベレバァ……ソレニィ……」

「それに?」

「アレヲ喰ラッタノガァ……私デヨカッタカモォ」

 

 私だから、あの程度で済んだ。

 もしも、あの魔法を彼が受けるようなことになったらと思うと、それだけで臓腑(ぞうふ)が煮え滾るようだ。

 

「……恐怖公ォ」

「何です、エントマ」

 

 決まりきった遣り取りだが、それでも聞かずにはいられない。

 

「……食ベテェ、イイィ?」

 

 周囲を覆い尽くすおやつがキシキシと自己主張する。その様までもが愛らしい。

 彼はいつものように、呆れたような困ったような微笑の吐息を少女に吹きかける。

 

「いくら断っても食べるのでしょう? まったく貴女は」

 

 彼はゴキブリの顔面を綻ばせることは出来ないが、顎をかちかち鳴らすようにして笑みを表す。

 

「さぁ、どうぞ。我輩を召し上がりなさい」

 

 人間の肉を食べる時とは違った多幸感が、少女の意識を染め上げる。

 (さざなみ)のように寄せては返す彼を口の中に頬張りながら、蟲愛でるメイドはひとつ告白する。

 

「大好キダヨォ。恐怖公ォ」

「我輩もですよ。エントマ」

 

 たくさんのおやつに埋め尽くされる。いっぱいのおやつに囲まれて揺蕩(たゆた)う。

 この至福のひと時を与えてくれた創造主たちに感謝を込めながら、エントマは仮面の奥を綻ばせる。

 エントマは夢見心地なまま、彼に包まれる感覚に溺れていく。指先で、口内で、全身で、彼の感触を味わっていく。

 いつまでも。

 いつまでも。

 愛するものを抱きながら。

 愛するものに抱かれながら。

 

 

 

 

 

                  【終】

 

 

 

 




 ここまで読んでくれたあなたに、感謝の極み。

 いかがでしたでしょうか?
 書籍版第六巻で大活躍を見せてくれたエントマちゃんの物語でしたが、正直「蟲×蟲」の描写は、なんかこう、胸に来ますね。

 いや恐怖公は体長的にちょっとデカいぬいぐるみサイズだから、それを考えればエントマの腕に抱かれている姿というのも、中々。

 いやゴキブリだって見方によってはかわいいですよ? かわいいよね? かわいいと言ってくださいお願いします(懇願)

 次は誰の逢瀬と巡り合えるでしょうか。

 それでは、また次回。          by空想病
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