八月も目前となった頃。
空に浮かぶ太陽は、元気に街を照らしている。
正直言って鬱陶しい。
部屋の窓からは、熱気で歪んだビル群が蜃気楼のように揺らめいているのが見えた。
高校を卒業してから、だいたい四ヶ月。
色々あったが結局、私は普通に大学に通っている。
そしてもうすぐ夏休み、というわけだ。
高校のあった街からは流石に引っ越したが、やっていることは大して変わらない。
決まった時間に授業に出て、帰って寝て、起きて。
それを何回も繰り返す。
ただ、私を取り巻く環境は劇的に変化したと思う。
引っ越した、というのも一つの変化だが。
それより、もっと大きな変化。
「あ、ソーニャちゃん……おはよう」
「やっと起きたか……」
やすなが一緒の部屋に住んでいるってこと。
二人で住むにはちょっとだけ広いこの部屋を、二人で家賃を折半しながら私たちは生活している。
「今日も暑いねー……」
「……あぁ」
結論から先に言ってしまうと、私とやすなは付き合っている。四ヶ月前からだ。
告白したのは、私から。
卒業式が終わった後、例の空き教室でやすなを呼び出して。
その時、なんて言葉を捧げたかは忘れてしまったが、やすなが顔を真赤にして首を縦に降ったことだけは覚えている。
それと少しだけ、彼女が泣いたことも。
ともかく、晴れてその瞬間から私たちはカップルと相成った。
たまたま進学する先が一緒だったので、同棲する話は早くから出ていた。
乗り越えるべき問題はそれなりにあったが……それはまぁ別の話。
そうして私たちは共に上京して、このような生活が始まったというわけだ。
「それから、四ヶ月、か……」
「ん?なにが?」
「いや、なんでもない。て言うか布団から出ろ。もう十時だ」
「いいじゃん、夏休み始まったばっかりなんだし……二度寝しようよ、二度寝」
「いつまでそうしてるつもりだ……それに、今日の朝食当番お前だろ」
「んー……めんどくさーい……」
「昨日も一昨日も私がやった、いい加減にしろ」
「やーだー……」
やすなはぶつくさ言いながら、布団の中をもぞもぞと芋虫のように体をうねらせている。
らちがあかないので奴の布団を引剥してやった。
すると今度は、体をダンゴ虫のように丸くして抵抗する。
「あぁ、もう!さっさと起きろ!」
「うえー……」
今更言わなくてもわかると思うが、こいつ寝起きが非常に悪い。
学校のある日は毎朝、一から面倒を見てやらないといけない程だ。
夏休みに入ってそれも無くなる……と思っていたが、どうもその考えは甘かったらしい。
むしろいつもより面倒だ。
構っていても仕方がないので、私は奪いとった布団をベランダにかけに行くことにした。
窓を開けると、不愉快な熱気が部屋に流れ込んでくる。
この国に来てしばらく過ごしているが、やはりこれだけは慣れない。
布団を手すりに放り投げ、私はそそくさと部屋の中に退散した。
やすなはと言うと、呆れたことに再び気持ちよさそうに寝息を立てていた。
こいつは……。
もう、いちいち小言を言うのも疲れた。
私もこの際、少し寝てしまおうか……。
やすなの寝顔を見ていると、ますますそんな気分になってくる。
彼女の横に腰を下ろして、顔を覗き込んだ。
まるで赤ん坊みたいに、安らかな寝顔。
こいつは前から変わらないな。
脳天気で、気分屋で。
まぁ、そこが可愛かったりするんだが。
「ぅ……ん?」
不愉快な暑さで目が覚めた。
どうやら、本当に寝てしまっていたらしい。
見ると、日光が私の体に直に当たっていた。
だから砂漠で熱湯風呂に入る夢なんか見たのか……。
体温が異常に上がっていて、気分が悪い。
そう言えば冷蔵庫にアイスが置いてあったな……。
私はヨタヨタと、台所へ向かった。
冷蔵庫を開けると、冷気が床へ向かってだらりと垂れていく。
中から一本、アイスを取り出して一口かじる。
冷たい。
舌の上でアイスの破片を少し転がして、飲み込んでやった。
ソーダの爽やかな甘さを堪能していると、騒がしい足音が近づいてくる。
あいつめ、やっと布団から出たか……。
そして私の姿を見つけるや否や、やすなは大声で叫んだのだった。
「あーっ!ずるい!私にもちょうだい!」
「そんなことでいちいち大声出すんじゃない……まだ残ってるから」
「やった!」
私の前を通り過ぎ、喜々として冷蔵庫を物色しだす彼女。
私が食べているのとは別のアイスを取り出して、それにかぶりついた。
「んーっ、んまい……!」
その顔の、なんと幸せそうなことか。
アイス一本であんな表情を出来る人間など、そうそう居ないだろう。
しかし、最初はおとなしく自分のアイスを舐めていたやすなだったが、その内私の方をチラチラと見てくるようになった。
こうなると、こいつが次にどんな台詞を言うかは容易に想像できる。
「……ねぇソーニャちゃん」
「なんだ」
「そっち一口ちょうだい」
ほら来た。
「イヤだ。自分の食べろ」
「えー、ケチー」
「ケチって……お前自分でそれ選んだんだろ」
「人が食べてるとなんか美味しそうに見えるの!」
「迷惑なヤツ……」
「ねぇお願い!私のもあげるから!」
「……ほら」
「んむ」
少し棒の先端が見えた食べかけのアイスを差し出すと、やすなは素早く食らいついた。
しばらく口を動かして、満足したらしい彼女は棒を口から離す。
その後に残ったのは、ほとんど棒だけになった私のアイスの無残な姿であった。
「あっ、お前半分以上も食いやがったな!」
「うん、美味しかった」
「くそっ、お前のも寄越せ!」
「え?もう食べちゃった」
「てめぇ!」
私はやすなの後ろに回りこんで、気絶しない程度に首を絞める。
すると、彼女はいつもの様に間抜けな悲鳴をあげて私の腕をタップした。
「首!首は!首はアウト!ぐぇ!」
「うるせえ、食い物の恨みは恐ろしいって言うだろ」
「そんなアイスくらいで、ソーニャちゃん意地汚いよ!」
「その台詞、鏡に向かって言いやがれ!」
「ぐぇー!」
昼間の少し薄暗い部屋に、やすなの声が木霊した。
あんなバカな事をやっている間に、いつの間にか太陽は地平線にその身を沈めようとしていた。
熱気で揺らめいていたビル群が、今度は綺麗なオレンジに染め上げられる。
私達の部屋にも、同じ色が流れ込んできていた。
遠くからは、子供のはしゃぐ声や、電車が鉄橋を走り抜ける音がどこからとも無く聞こえてくる。
私は窓辺に座って、ぼんやり外を眺めていた。
もうすぐ、一日が終わる。
なんとなく、視線を部屋の方へ移す。
台所には、エプロン姿のやすな。
鼻歌なんか歌いながら、夕食の準備をしている。
今日は何を作るつもりだろうか。
「はぁ……」
なんだか、こうして過ごしていると変な感じ。
こんな生活を始めて、まだ半年も経っていないというのに。
私たちはずっと前から、こうやって生活していた気がしてくる。
まだ友達の延長のような。
一応、恋人同士のはずだけど。
その実感すら、薄れてくるような。
私達って、本当に付き合っているんだろうか?
そう言えば、今までカップルらしいことなんてあんまりしてこなかったと思う。
それが原因なんだろうか。
「ソーニャちゃん」
そんな事を悶々と考えていると、不意にやすなから声がかかった。
私は立ち上がって彼女のもとへと向かう。
「なんだ」
「これ、切ってくれる?」
そう言って、彼女はタマネギと包丁を渡してきた。
キッチンの上を見ると、ニンジン、ジャガイモ、肉とカレールウ。
なるほど、今日はカレーか。
彼女から包丁を受け取って、私は軽快に野菜を刻んでいく。
十分もすると、野菜はすべて細切れになっていた。
「おい、終わったぞ」
「ん、ありがと。じゃあ後は私がやるから」
「……そうか」
私は包丁を置いて、やすなの方を見た。
彼女は鍋の方を向いて、おたまで中身をかき混ぜている。
そう言えば、こいつは毎日何を思って私と過ごしているんだろうか。
やはり、高校からの延長?
それとも、こいつはこいつなりに恋人と意識しながら過ごしていたり?
もしくは何も考えていないとか。
一体、どうなんだろう。
よく、わからない。
「……ソーニャちゃん?」
「……あ」
「どうしたの?」
「いや……」
「向こうで休んでていいよ」
「あぁ……」
それだけ言うと、やすなはまた鍋に向き直る。
休んでていい、と言われたけど。
私は、その場を離れたくなかった。
理由は特にない。
彼女の背中を見つめてみる。
高校の頃よりも、少しだけ大きく見えた気がした。
私はその背中に、少しずつ近づいていく。
そして、抱きついた。
「えっ、ちょ……ソーニャちゃん?」
やすなは、わかりやすく戸惑っているようだった。
そりゃ、いきなり後ろから抱きつかれれば誰でもそうなるか。
私は彼女を、更に抱き寄せる。
「ソーニャちゃんってば。本当にどうしたの?」
「……別に」
「危ないよ、火のそばだし……」
少し身を捩って、私の拘束を解こうとするやすな。
でも、その顔は満更でもなさそうな。
こう言うのを、恋人らしい行為と言うんだろうか。
やっぱり、私にはよくわからない。
一日に一回お互いに抱きしめ合って。
愛の言葉を耳元で囁やけば良いんだろうか。
「やすな」
「え、なに?」
「……好き」
「へ?」
「……なんでもない」
「ちょ、ちょっと待ってよ!もっかい!もっかい言って!」
「やだ」
「なんでー!」
やっぱり、私にそんな恥ずかしい真似は無理だな。
私は彼女から離れ、再び窓辺に座り込んだ。
台所では、やすながまだ何か騒いでいる。
まぁ、とりあえず……。
私たちは、今まで通り。
そうやって生きていくのが、性にあっているのかもしれない。
うん、多分そうなんだろう。
無理にそう言う事をしなくたって、どこかで繋がっているはずだから。
「……ふふ」
そう考えると少しだけ嬉しくて。
私の口から、思わず笑みがこぼれた。
「ソーニャちゃん、ご飯出来たよ」
「はいはい」
やすなが私の名前を呼ぶ。
私はそれに応じて、再び彼女のもとへ。
カレーのいい匂いがする。
さて食べようかと皿を並べていると、今度はやすなが私に抱きついてきた。
「……なんだよ」
「さっきの仕返し」
「離せ、動けない」
「やーだ」
「はぁ……」
「……もう一回、言ってくれたら言うこと聞く」
「何をだよ」
「わかってるくせにぃ」
そう言って、私にまとわり付く彼女。
これじゃ仕返しどころか、三倍返しじゃあるまいか。
まったくこいつは、そのあたりの鬱陶しさまで昔のままだ。
まぁ、やっぱりそこが可愛かったりするんだが。
「……お前が望むなら、いくらでも言ってやる」
「やった!」
私がそう答えると、彼女はいつもの笑顔を返してきたのだった。
「でも、今はヤダ」
「なんでー!」
おわり。