ルート2 ~インフィニット・ストラトス~   作:葉月乃継

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1、 鷹

 

 

 自分はどうなったんだろう。

 たしか友達と遊んだ帰り道、本屋によって今日、発売されたばかりの「IS」の8巻を買った。

 そこから少し小走り気味に、自分の家に向かっていたはずだった。

 背中が冷たい。頭が割れるように痛い。右目が見えない。視界の左が赤い。

 もう、意識を手放したい。

 血に濡れた世界の空に、一羽の鳥が飛んでいた。

 気高く雄々しく、自由に。

 いつだったっけ。家族と行った山登りで見た、本物の鷹の姿に酷く感動したのは。

 右手を伸ばそうとする。そこで、何もかもが崩れた。

 

 

 どうやら2回目の人生だ、と気付いたのは小学校に入ったときだ。

 この世界に生れてしばらく経ち、喋れるようになってからは、周囲はオレの発達に驚いていた。何せ新聞を読む、ネットの記事を貪る、中学校の教科書の中身を理解している。神童だ、と自然に囁かれるようになった。

 小学校に入ってからは、ことさら普通を心がけた。なぜなら自分の人生が、二回目だと気付いたからだ。二回目と気付けば、一回目の記憶が鮮明になってきた。一回目は単なる大学生で終えた。中学生レベルの問題ぐらいわかるはずだ。逆に言えば、それぐらいまでしか通用しないことも簡単に想像できた。ゆえに普通であろうと心がけ始めた。

 

 それから、地味に過ぎて行く『二回目』の人生だったが、たまに妙な人間や出来ごとに出会う。

 小学校1年ののとき、親の勧めで近くの剣道場に通った。そこに『織斑一夏』と『篠ノ之箒』がいた。

 織斑一夏と篠ノ之箒、と言えば、前の人生で好きだった本の登場人物だったと思う。

 そして篠ノ之箒の姉が開発したという『インフィニット・ストラトス』というマルチフォーム・スーツ。これもまた、同様にその本に登場する兵器だった。

 そのことに気付いて、オレは可能な限り、その本の内容を思い出すように心掛けていった。

 篠ノ之箒はやがて転校していった。記憶が確かなら、VIP保護プログラムによって、各地を転々としているはずだ。

 そして『ファン・リンイン』が転入してきた。彼女は織斑一夏や五反田弾と仲良く遊んでいた。オレは織斑一夏の幼馴染の一人だったので、自然と巻き込まれる形になっていった。

 ある日、織斑一夏がいなくなった。誘拐されたのだろう。時期的には、第二回モンドグロッソの決勝戦。これも記憶の通りだ。

 

 だが、そこからが違った。織斑一夏は、そのまま国外に転校していった。自分の記憶が正しければ、織斑一夏はそのまま中学に戻り、最終的には日本でIS操縦者の養成学校に入るはずだったのに。

 結局、一夏が日本に戻らぬまま、ファン・リンインも中国へと帰国していき、オレは弾や数馬たちとダラダラと過ごして中学生活を終えようとしていた。

 

 オレの今の名前は二瀬野鷹(フタセノ・ヨウ)。一夏たちはからは『ヨウ』とか『タカ』とか呼ばれていた。トンビが生んだ鷹になりますように、という親の願いらしい。分不相応の名前だと思う。

 いくら二回目の人生だからって、トンビから生まれた雛が鷹になるはずはない。事実、所詮はただの大学生が過ごす二回目の人生など、中学生の時分には普通の子供に紛れて見分けなどつかない。すぐにただのトンビに成り下がっていた。

 

 

 中学校三年の冬、オレは受験会場である市立の多目的ホールにいた。本来なら一夏が受験するはずだった藍越学園の受験会場だ。覚えてる通りなら、ここでIS学園の試験も行われているらしい。

 今、一夏はたまにメールをよこすぐらいだ。どうもヨーロッパの方にいるらしいとしかわからない。なので、彼がここでISに触れて動かすこともない。

 つまり、オレの覚えている「IS~インフィニット・ストラトス~」の世界からは大きくズレてしまった。

 

「ここか」

 一つの大きな扉の前に立つ。一夏が間違えて入るはずだった、入学試験用の『打鉄』が置いてある場所。

 オレが触れられる、最後の『IS世界』が、この中にいる。冷え切った鉄の扉を押し開けて、中に足を進めた。

 そこはおそらく市の劇団やダンス教室などに使うための部屋なのだろう。壁が全て鏡張りだった。反射光きらめく中央で、そいつは鎮座していた。

 初めて間近で見たインフィニット・ストラトスは、思ったよりも大きく、そして冷たい輝きを放つ『兵器』だった。

「こんなのに触ってみようとか、普通は思わねえだろ」

 自然と笑いがこみ上げる。

 どうして彼はこれに触れてしまったんだろう。触れなければ、きっと物語は始まらなかった。

 オレは恐る恐る足を踏み出した。

 一回目の人生で憧れていた世界、その中核を成す『インフィニット・ストラトス』。

 これに触れて、動かないことを確認しよう。そして、これからは『二回目』だということを忘れて、普通の人生を藍越学園で過ごしていこう。

 無力なトンビに出来るのは、トンビなりの人生だ。

 そんな諦観とわずかな希望を胸に、オレは、『インフィニット・ストラトス』に触れた。

 

 

 数ヵ月後、結果としてオレはIS学園の教室に席が設けられていた。

 目まぐるしい二カ月間だった。本当にもう色々な人がオレの元へ押しかけ、サラリーマンとパートアルバイターの両親はトンビが本当に鷹を産んだと大喜びだった。その笑顔もあって、オレは自分の進路を半回転ほど捻って、IS学園に入ることに決めた。

 織斑一夏と同じように、入るしかなかった、とも言う。

「では、みなさん、自己紹介をお願いしますねー」

 教壇には、山田真耶先生が笑顔で喋っている。

 ……うむ、本物は、デカい。

 何がといえばもちろん胸だが。

 凝視するのも男してどうかと思ったので、視線を変えて隣の席を見る。そこには『篠ノ之箒』がいた。

 その姿は美しく、幼い姿を覚えているオレは、キレイになるもんだなぁ、女の子って、という感想が心を占めていた。

 思わずジッと見つめていたせいか、視線に気づいて、篠ノ之箒がオレを睨む。

 軽く手を振って返すと、しばらくオレを見つめたあと、少し目を見開いた。どうやらやっと、オレが一夏の隣にいた幼馴染の一人だと思いだしたようだ。

「どこかで見た顔だと思えば、ひょっとして、タカか……?」

「おうよ。っていうか、本名は『ヨウ』だ。上杉鷹山の『ヨウ』」

「間近で見て、ようやく思いだしたぞ。本名など覚えてなかったが、まさか、剣道場で一緒だったお前がISを動かした男子だったとは」

「ひっでぇなー。ま、そういうわけで、改めて二瀬野鷹だ。よろしくな、篠ノ之さん」

「箒で良い。お前と一夏はそう呼んでたではないか」

 凛とした顔がわずかに綻んだのは、一夏のことを思い出したせいだと思う。

「次、篠ノ之さん、お願いしますね」

 山田先生がひそひそ声で話すオレたちに呼びかける。コホンと小さく咳払いしてから、箒が勢いよく立ちあがった。先ほどの少しだけ見せた柔らかい笑みはもうない。

「篠ノ之箒です。よろしくお願いします」

 短く、つっけんどんな自己紹介だ。それ以上話すことなどない、と言わんばかりにすぐさま着席してしまう。

 想像した以上だ。よくこんなのに『幼馴染だから』なんて理由で話しかけられたよな、主人公さん。

 山田先生が少し困ったように箒を見つめるが、その期待に答えるつもりはないようだ。

 すぐに隣の女子生徒がフォローするように立ち上がって自己紹介を始める。

 その一つ一つに拍手をしながら、出番を待った。

「次、フタセノ君、お願いします』

 呼ばれて、オレは立ちあがる。

 さすが唯一の男子とあって、教室中の注目が一気に集まった。

 軽く周囲を見回したあと、小さく頷く。

 ここから、オレの物語が始まる。本物の『鷹』になるためのストーリーが。

 精いっぱい考えた、自分なりのあいさつを、出来る限りの笑みを持って言い放つ。

「二瀬野 鷹です。この『IS学園』で、みなさんと一緒に頑張っていきたいと思います」

 

 その後のホームルームは、つつがなく終わった。本来の担任である織斑千冬が登場したところで教室がざわめいたが、オレと織斑千冬の直接関係はないに等しいので、イベントはない。

 正直、彼女は幼いころに見たことがあったし、以前の記憶があったとしても、高校一年のオレとしては『ただの怖い女の先生』だ。積極的に関わりたくはない存在である。

 いくつかの連絡事項が終わり、そのまま授業に突入。予習だけはに詰め込むだけ詰め込んできたので、『彼』のように全く理解できない、ということはなかった。

 一時間目が終わり、休み時間は遠い遠い男子トイレまでダッシュで終わる。本の中だけだな、男一人で羨ましいとか。実際はこういう細かい苦労が絶えまないんだろうし。

 そしてそのまま午前中の授業が終わり、昼飯になった。

 寮に男子用の空きはなく、オレはしばらく家から通うことになっているので、母さんが持たせてくれた弁当持参だ。

 高価な機械の塊だろうIS学園の机で食べていいものか悩んだが、とりあえずは食欲優先だ。包を開けて箸を取りだす。

「ちょっとアナタ」

 そこに、やや甲高い声が、頭上からかかった。

「ん?」

 顔を見上げる。

 やべえええええ、セシリア・オルコットだあああああ。

 一気にテンションが上がった。

 これは、オルコッ党じゃないオレでもテンション上がるだろうよ!

 さっき、自己紹介を見たときもちょっとテンション上がったけど、やはり間近で見る生オルコットは違う。その存在、輝き、美貌、もう一回ぐらい死んでもいい!

「ちょっといいかしら?」

「なんでございましょうか!?」

 勢いよく立ちあがったオレに、セシリアが驚いて仰け反る。

「い、いえ、そこまで謙らなくても……」

「あ、はい。すみません、少し興奮してしまって」

 おずおずと席に着く。

「あなた、本当にISが動かせるんですの?」

 きたー! イベントきたーーーーーーーー!

「あ、そのようです、ハイ」

「わたくし、そのことがどうしても疑問でして。男性には動かせないISのはずですのに」

「あ、そうみたいです、はい、すみません。でも動かせちゃいまして……」

「えーと、フタセノさんでしたわね」

「呼びにくいと思いますので、ヨウで結構です、ハイ」

「ヨウさん、ですね。よろしければ、練習を見て差し上げましょうか?」

「えええええ!? 良いんですか!?」

「え、ええ。興味もありましたし、それにわたくしは専よ」

「専用機持ちなんですよね! ブルーティアーズ! オレ、一番好きな機体なんです! なんといってもビット! ロマンですよね!」

 しまった、セシリア様がまた驚いて引いてしまった。

 どうもISを動かせてからというものの、それまでと違って解き放たれたようにテンションが上がってしまう気がする。まあ、それまでがいわゆる『二回目の人生』のくせに特別なことは全然なく、小さいころは神童と言われた反動で凡人扱いこの上ない陰鬱な人生だったおかげだろうか。

「こ、こほん。嬉しいことおっしゃってくださいますわね。で、でも、それとこれとは話が別ですわ」

「えー? と、言いますと?」

「とりあえず、あなたはわたくしが直々に指導して差し上げますわ」

 この申し出に、思わず『ありがとうございます!』と叫んだオレだったが、後で悔やむことになる。このときの彼女の不敵な挑戦状を、優しい微笑と勘違いしていたことに。

 具体的には翌日の放課後ぐらいに。

 

「あらヨウさん、男性ISパイロットというのは、大したことないんですのね」

 ホホホッと器用にISの腕で口元を隠しながら、彼女はからかうようにオレを笑った。

 思い出した、オレ、オルコッ党じゃなかったよ。あのアマ、泣かしてやる。

 とはいうものの、オレには白式に当たるものがまだ手元に無い。

 専用機はどうやらこの国の男政治家集団が四方八方と手を回して用意してくれているらしいが今、オレが装着しているのは練習用の『打鉄』だ。武装だって手に持ったブレードのみだ。

 で、結局は、彼女のブルーティアーズに翻弄されまくってるわけだ。そもそも、空さえ飛ぶのがおぼつかないオレでは、地上に鎮座するIS型の的以外の何物でもない。

「さて、これぐらいでやめましょうか?」

 始まって一分。

 オレのシールドエネルギー 残り300。パーセンテージで言うところの50%ぐらいだ。開始して空中に上がった彼女から、ビットの攻撃八発とライフルの一撃を食らったせいだ。

 空中に浮かぶセシリア・オルコットを見上げる。

 その様子は、たぶん、鷹を見上げるトンビみたいだろう。

 ふと、高笑いを浮かべていた彼女の顔が一瞬、曇ったように見えた。何かに失望したような目だった。

 ……そういや、セシリア・オルコットの父親は、妻に媚びる情けない男だったんだっけ。

 さて、気を取り直そう。舞い上がった気分もおしまいだ。この世界に、白式を装着した織斑一夏はいない。少なくとも今、ここには存在しない。

 そしてオレは、汎用のインフィニット・ストラトスである打鉄を装備した二瀬野鷹だ。

 なら、やらなきゃいけないことがあるはずだ。一ではなく二として。織斑一夏ではない二瀬野鷹として。

「まだ続ける」

「……なんですって?」

「まだ生きてる。オレは生きてる。アンタも満足してない。なら、続けよう」

「ですが、勝負にすらなりませんわ」

 あざ笑うわけではなく、まるで小さな子供の扱いに困るような顔。どことなくオロオロしているように見える。

 チクショウ、キレイな人だなホントに。

「勝負にならなくても、たぶん、見せないといけない姿があるんだ」

「え?」

「オレが思うに、誰かが、他の、そう例えばアンタの父親とか、ここにいないバカな主人公さんが見せなきゃいけなかった、男の姿ってやつ」

「……わたくしの父親? 主人公……?」

「じゃあ、行くぞ、真っ直ぐ行く。真っ直ぐ飛んで、アンタに切りかかる。それしか出来ることないしな」

 挑戦的なオレのセリフに、セシリアの顔が引き締まる。油断はない。

「そのようなことで、わたくしに勝てるとでも?」

「勝つわけじゃないよ、見せるんだ」

 頭に思い浮かべる。

 トンビじゃない。いつか見た、あの大空を雄々しく飛ぶ、鷹の姿を。

「行くぞ!」

 はるか上空に舞う青いISを見据え、オレは一直線に、ありったけのイメージを持って飛び上がる。

 セシリア・オルコットの持つライフルが、オレの打鉄に銃口を向けた。

「おおりゃああああ!!」

 引き金を引く前に、持っていたブレードを、力の限り投げつけた。

 セシリアの顔が一瞬だけ強張ったが、回転して襲いかかるそれを、わずかに横に避けてやり過ごす。

 そこに向けて、オレは拳を握って殴りかかった。

 すぐさま気づいた彼女は、間一髪、その拳を交わした。そのまま上空にオレは飛び上がり続ける。まっすぐしか飛べないんだから、当たり前だ。

「そんな幼稚な策で!」

 セシリア・オルコットが上空に上がったオレを見上げ、狙撃銃スターライトMK3を構えて狙いをつける。

「えっ!?」

 彼女の声が驚きに染まる。

 オレが空中で刀をキャッチして、投擲しようとした姿を捕えたからだろう。

 ……あーIS搭乗時間が長いのは、伊達じゃないなぁ。

 すでにビットがオレの背面に回り込み、狙いをつけていた。

 だが、これでいい。

 彼女のビットの攻撃の一発がおよそ5%ほど削り、最大で四機から二発ずつ、つまり40%削る。それにライフルの一撃が12%ほどだ。オレの現在のシールドエネルギーは48%だから、ライフルさえ防げば、生き残る。

 オレはもう一度、ブレードを投げつけると同時に襲いかかった。鷹になれるようにと祈りながら。

「くっ!」

 ブルーティアーズのビットがビームを放つ。オレの背中にぶち当たる。計八発分の衝撃が当たる。

 それでも真っ直ぐ飛ぶ。その衝撃さえも糧にして、先ほどよりも速く。

 避けられて地面にぶつかっても構わない。今、オレに出来るのは、可能な限り速く飛ぶことだけ。

 自らの名前のように、右足を伸ばして、まるで猛禽類が獲物を狙うがごとく、オレはセシリア・オルコットに襲いかかった。

 

 結果から言えば惨敗もいいところだ。

 結局、最後の飛び蹴りは回避され、オレは地面に突き刺さったんだから。

 地面に刺さった打鉄から何とか這い出て、土の上に腰を落とした。

「大丈夫ですの?」

 ISを解除したセシリアが、心配げな顔でオレを覗き込む。

「オレさ」

「はい?」

「二瀬野ヨウって言うんだ。ヨウは、日本語で『鷹』、つまりホークって意味なんだ」

「はあ……」

「鷹になりたいんだ。だからセシリアさん。飛ぶのが上手い貴方に、色々教えて欲しい」

 軽く頭を下げると、青色の優雅な貴婦人が、頬を緩めた。

「……高いですわよ?」

「何でもする。アンタと違って貧乏な家でお金はないけど、オレに出来ることなら」

 細い手を、オルッコット姫が差し伸べてくれる。オレはそっとそれを握り返した。

「時間があるときぐらいなら、それぐらいは付き合って差し上げてもよろしいですわ」

「それでいいよ、ありがとう」

 思ったよりも強い力で引き上げられるように立ち上がった。

 改めて、目の前に立つセシリア・オルコットという女性を見る。一回目の人生で思い描いたとおりの、自信に満ち溢れた美しい女の子だった。

 この自信満々の笑みが、織斑一夏の不在によって涙で曇らないように。

 それぐらいは頑張ろうと、オレには思えた。

 

 全寮制といえど男のオレに部屋は用意されてなかった。準備が整うまでは自宅通いらしい。痛む全身を引きずりながら、私服に着替えIS学園発のモノレールに乗る。街中を制服でうろつくなんて真似も、今のオレには許されていない。

 隣に電車を乗り継いで、自宅へと帰りつく。

 我が二瀬野邸はよくある20階建ての一室で、家族がローンを組んで購入したものだ。もう八年も住んでいる。すり減ったエレベーターのボタンを押して、自分の家のある階へと向かった。

 ドアが空いたと同時に、有名な引っ越し業者の働く姿が見える。時間はもう夜の八時だ。こんな時間に誰か引っ越しか? と怪訝な様子で足を進めた。

 引っ越しをしているのは、我が家だった。そんな話は初耳だ。

「なんでオレんちが……?」

 業者を押しのけるように、家へと駆け込む。片づけられたリビングの真ん中で、父さんと母さんが、誰かと話していた。

「あら、ヨウ君」

 母さんがオレに気付いて、優しい声をかける。メガネをかけ、くたびれたスーツを着た父さんが力なく笑った。

「どうしたの? これ、なんでオレの知らない間に引っ越しなんて」

 父さんには勿体ないレベルの美人である母さんが、困ったように手を頬に充ててオレを見る。

「重要人物保護プログラムって言うらしいの。政府からの命令でね」

「政府から? 何でだよ!?」

「それは……」

 母さんが言葉に詰まって、隣の父親を窺う。父さんがオレの肩に手を置いた。

「がんばれよ、ヨウ」

「意味わかんないこと言うなよ! なんで政府……まさか、オレがISを動かしたから!?」

「お前に責任はないよ。ただ、お前が私たちの息子で誇らしいだけだからな」

 精いっぱいの威厳を繕って、くたびれた中年が笑いかける。

 ……普段は酔っ払って帰って、休日は寝ているだけの親父が妙にかっこよく見えた。

 VIP保護プログラムの適用。おそらくはオレが世界で唯一、ISを動かせる男になったせいで、危害が及ぶ可能性がある両親を退避させるためだろう。おそらく名前を変え、勤め先を変えて他の土地を転々としていく人生のはずだ。

「ヨウ君、これを」

 母さんが両手をそっとオレに差し出す。そこには、小さな石があった。

「……これは?」

「アナタが生まれたときに、ベッドの上に落ちてたのよ。よくわからないけどキレイだから捨てられなくって、臍の尾と一緒に取ってあったの」

 大きさ三センチほどの、立方体の石だった。母さんの手からそれを受け取る。

「何でこんなものを?」

「急なことで、あなたに上げられるお守りも用意できなかったから、代わりにね」

「……母さん」

 母親がそっと手を伸ばして、オレに抱きついた。

「ケガしないようにね。お母さんはそれが一番、心配だから」

 二回目の人生だった。二人目の母親だった。でも、そんなこと関係なく、この人は二瀬野鷹が生れたときからずっと、オレの母さんだった。

「泣くなよヨウ。これからは、強く生きていかないとな。こんなオヤジみたいにショボくれるんじゃなく、ずっと空を目指して、鷹のように」

「父さん……」

「私たち二人の名前は変わるらしいが、二瀬野鷹は私たちの息子だからな」

 父さんがオレの頭を撫でる。

「二瀬野さん、時間です」

 外から黒いスーツの男が声をかけてきた。引っ越し業者ではなく、政府の使者だろう。

「元気でな。お前の活躍を、ずっと祈ってるぞ」

「ヨウ君、元気でね。ケガとか気をつけてね」

 

 マンションの下で、黒塗りの車の後部座席に乗った二人を見送った。

 もう、面と向かって会えるのは当分先だろう。ひょっとしたら、二度と両親とは会えないかもしれない。

 ……二回目の人生、二回目の両親。一回目は、別れの挨拶さえ告げられなかった。そう思えば上等だ。

 受験のとき、一回目の記憶に頼ってISに触れなければ、オレはあの二人と別れることはなかった。あの二人の子供のまま、平和な人生を謳歌していたんだろう。

 あの二人だって、ずっとこのマンションで老いていって、孫の顔も見れたのだろう。

 オレのせいだった。全ては、二回目の人生というものを舐めていたオレのせいだった。

「ばかやろおおおおおおおお」

 貰った石を握りしめ、大空に向かってオレは吠えた。

 神様が何のためにこの人生を与えたのかわからない。

 だけど、これは酷いだろ。

 夜空を見上げる。雲だらけで月さえ見えない、暗い闇だけが広がっていた。

 

 

 夜の11時に、オレはIS学園に戻ってきていた。誰もいなくなった部屋で一晩過ごすなんて、考えたくもなかった。

 母さんが用意してくれてた、オレの私物が入った二つの大きなカバンが肉に食い込んで痛い。学園駅のトイレで制服に着替えたのは、校内は寮以外での私服は禁止されているからだ。フラフラと歩いて校門前に辿り着く。

 政府から連絡が行っているかもしれないが、さすがに今日のうちから寮に部屋を準備するのは無理だろう。そもそもIS学園の寮は女子寮だ。織斑一夏ならいざ知らず、誰か女子の部屋にお世話になるなんてことはないと思う。

 それに今のオレは弱ってる。誰かに顔を見られたら泣いてしまうだろう。そんなことは女子の前では絶対に避けたい。

 疲れ果てて、座り込み校門にもたれかかった。背中には、国立IS操縦者養成高等学校の文字がある。

 今日はもう動く気力がない。とりあえずまだ夜は寒いし、私服を毛布代わりにして、ここで寝よう。

 そう思って、私服の詰まっているカバンを開けた。一番上に、ちょこんと弁当箱が入ってる。昼間食べたやつとは違う箱なのは、母さんが入れてくれたからだろう。

 そういや晩飯は何も食べてなかったな、と思い出し、青い包を開けた。

 いつもと変わらない弁当だ。パート先で特売で買った鶏肉のから揚げ、オレが好きだと言ったら、二回のうち一回は献立に入るようになったポテトサラダ。母親が自分で漬けた梅干し。萎びたレタス。添え物の煮干し。全てが十六年近くの間、ずっと食べてきた味だった。

 食べてる間に涙が出てきた。もう涙を飲み込んでるのか、弁当を食べてるのかもわからなくなってくる。

 もう会えないんだ。

 その事実を噛みしめる。

 食べ終わって、涙を袖で拭いた。白いIS学園の袖が少し汚れた。

 

 

「おいタカ、起きろ」

 ガッツンガッツンと誰かが堅い物で脇腹を突いてくる。

「いてぇなオイ!」

 撥ね退けて飛び起きると、目の前に剣道着を着た篠ノ之箒がいた。

「なぜこんな場所で寝てる?」

「起こすのに木刀でつつくな」

「学校前で寝るとは何事だと聞いているんだ」

「色々事情があるんだよ……っと、今何時だ?」

「6時半だが……」

「朝練か?」

「日課だ」

 剣道場にでも行って、木刀を振るつもりなのだろうか。そういや剣道で全国制覇してるんだっけ。

「遅ればせながら、全中優勝おめっとさん」

 全中とは、全国中学校剣道大会のことだ。ちなみにオレは予選落ちである。

「……なぜそれを」

「いやオレも剣道やってるし」

「ほほう。では、どれだけ腕が上がったか、今度見せてもらおうか」

「もうてめぇには泣かされねえぞ」

 そうだ、こいつには小さいころ、剣道の稽古で何回も泣かされたんだった。一夏のヤツはまともに打ち合ってたけど。

「その……一夏は」

「あいつは剣道やめちまったよ。何でかは知らん」

「……そうか」

「ちなみに今、どこにいるかも知らん。最後に聞いたのはヨーロッパ方面だってことぐらいだ」

「連絡は取ってるのか?」

「たまにな。良かったら今度、アドレス教えてやるよ」

「い、いいのか!?」

「あいつに黙ってアドレス売るのは楽しいからな」

「い、いくらだ!?」

「真に受けんなバカタレ。タダでやるよ。ケータイは持ってるか?」

「い、今は持ってない」

「んじゃ今日、教室でな」

「わ、わかった! 絶対だぞ!」

 オレに背中を向けると、箒は小さくガッツポーズをした。オレのが背が高いんだから見えるっての……。

 でもこいつ、小さいときからずっと、一夏のこと好きなわけなんだ。いや、前の人生で読んだ本でもそうだったけど。

 そこでふと思い出す。そういえば、こいつもVIP保護プログラムで両親と別れたわけだよな。しかもずっと幼いときに。

「箒」

「な、なんだ?」

「お前、すげぇ奴なんだな」

「は?」

「んじゃ、オレはアリーナ行ってシャワー浴びてくるわ」

「あ、ああ。約束、忘れるなよ!」

「りょーかいりょーかい」

 テキトーに返事をしながら、踵を返してバッグを持ちあげる。

 オレは何だかんだで、このIS学園で生きていくしかない。でも、せめて箒ぐらいは頑張れるようにやろう。

 そう決意して、オレは一歩、力強く足を踏み出し、IS学園に入っていった。

 

 

 

 


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