その出会いは、今でも覚えている。まだ小学校のときだ。親の勧めもあってオレは篠ノ之道場に通い始めていた。
同じく小学生だった一夏と箒に興味があったし、剣術にも興味があったからちょうど良かった。
「二瀬野さんの家の子か。ここに通い始めたんだな」
道場の外で一人、素振りをしていたとき、年上の女の人に声をかけられたことがあった。剣道着を着た織斑千冬だった。
オレはその姿を何度かその道場で見かけたことがあった。
「えっと、こんにちは。いつも一夏君にはお世話になってます。二瀬野鷹です」
ペコリと頭を下げた。何度も姿を目にしてはいたものの、話しかけられたのは初めてだった。
「ふふっ、しっかりしてるな。こっちこそ一夏がいつも世話になってる。これからも、よろしく頼むな」
そう言って、まだ幼いオレの頭を撫でた。凛々しい顔つきに優しい笑みを浮かべていた。
「は、はい!」
思わず背筋をピンと伸ばしてお辞儀をした記憶がある。
いつも、というのはうちの母親が織斑姉弟を気にかけていた節があったからだ。たぶん単純に不憫に思ったんだろう。織斑千冬が忙しいとき、まだ小学生だった一夏は箒の家かオレの家でメシを食ってたりしてた。そのあとで織斑千冬がわざわざ弟をうちまで迎えに来ていたというわけだ。
「先ほどの剣の振りはあまり良くなかったな、少し見せてみろ」
そう言って、織斑千冬がオレの手を取ったとき、遠くからのんびりとした声がかかった。
「あ、ちーちゃん、来てるなら教えてよー」
とたんにパタパタと走ってくる一人の女性の姿が見えた。
「お前に会いに来たわけじゃない」
「もう、ちーちゃんのツンデレさん!」
ニコニコと笑顔を浮かべて千冬さんに話しかけていた。
オレはこの女を出会う前から知っている。
篠ノ之束。『インフィニット・ストラトス』を作り出した天才。このときはすでにISを発表した後だが、世間にその兵器としての価値を認められていない時期だ。
「ほら束、挨拶しろ」
千冬さんがジャレつく篠ノ之束を押しのけながら、オレに向けて顎で促した。
「何の話?」
彼女には、オレの姿すら見えていないようだ。
「お前な……箒の友達だぞ」
呆れたような声を出す千冬さんの腕を、お構いなしに引っ張っていく。
「ほらちーちゃん、そんなことより、こっちこっち。すっごい良いこと思いついたんだ。詳しく説明するからさー」
「あ、待てこら」
そのままズルズルと連れ去られていく千冬さんが、道場から出る際に、
「ま、またな! 二人と仲良くしてやってくれ!」
と声をかけてくれた。
オレは何とかペコリと頭を下げる。そのまましばらくの間、頭を上げられなかった。体は震えていて、言うことを聞かない。
なぜ震えていたかっていうのは簡単だ。
篠ノ之束にオレは認識されていない。
彼女はインフィニット・ストラトスの開発者で、この世界のキーパーソンだ。そして彼女の目に入るのは、この世界の中心たる主人公たちだけだ。
思い上がってた。何故か一回目の人生の記憶を持って生まれたこの身だ。九歳には似つかわしくない聡明さと頭の良さ、それと一度目のの人生経験から来る精神的余裕。そして『物語』の先を知るというアドバンテージ。
これらが揃っているがゆえに、いつのまにか自分を特別な存在だと思い込んでた。
だが、そうじゃない。オレは篠ノ之束に認識されない。
この先、もうすぐ先の話だ。彼女の作りだしたISが世界を変え、女性しか動かせないその兵器が全てを染め上げる。
それは知ってる。だが、知ってるだけだ。
織斑一夏は特別だ。彼は主人公として、ISを動かせることがおそらく決まっている。ならオレは? なにせオレは男で普通ならISを操縦できない。オレはどうなるんだ。ただ外から眺めるだけなんだろうか。
次の日、ハッキングされた世界中の弾道ミサイルが、一体のマルチフォーム・スーツにより全て撃墜された。
世界が変わったというのに、オレは小学校で退屈な授業を受けていた。
そういう思い出だった。
というわけで。
篠ノ之束は、織斑先生に襟首を掴まれて、引っ張られるように強制連行されていきましたとさ。
終わり。
「あああぁぁぁぁ、ちーちゃん、ひどいぃぃぃ」
終わってくれないかな。篠ノ之束、嫌いなんだよ……。
いつのまにか紅椿の周りに専用機持ち、一組、他のクラスという順番で円が出来ていた。
超高速でフィッティングが終え、一連の武装を試した後だ。生徒全員が興味津々でドーナツ状に囲っていた。
オレもISを扱えるようになったからわかる。
ふざけた威力を持った二本の遠近両用武装、展開装甲を持ったビット、そして兵装変更なしにバランス調整できる推進装置。確かに別格の機体だ。
それに加えて絢爛舞踏というエネルギーを増幅するワンオフアビリティもあるはずだ。
「箒、大丈夫か?」
少し心配した様子で声をかける一夏を、武装を収めた箒が見下ろす。
「ああ、これは素晴らしいな!」
昨日までのローテンションとは違い、今はかなり気分が昂揚しているようだ。
当たり前か。専用機が無かったがゆえに、一夏と並び立つことも近づくことも出来なかったんだから。
「でもすげぇなー、さすがあの束さんだ。第四世代か……。でも白式まで実は第四世代だったなんてなー」
一夏の専用機、白式のメインウェポンである雪片弐型、その最大駆動時は確かに装甲が変形する。これもやっぱり篠ノ之束が仕込んだらしい。ゆえに第四世代型だと言える。
「ふふっ、そうだな、だが今はお前と戦っても負ける気はしないがな!」
「お、言ったな?」
第四世代機持ち同士が目線を合わせ、不敵な視線を交わす。
だがオレたち第二、第三世代を自機とする連中の心中は複雑だ。
ISの開発は、各国で最高の頭脳が集まって躍起になっている分野だ。最新鋭機である第三世代でさえ、まだテスト機としか言えない。そういう技術レベルなのだが、篠ノ之束は全く別次元にいるということだ。
オレがお世話になっている四十院は、部品メーカーだからまだいい。IS本体がそこまで重要じゃないからな。
チラリとデュノアの元社長令嬢、BT実験機のパイロット、そして黒兎隊の隊長に目を向けた。
全員が真剣な眼差しで紅椿を見つめている……いや、睨んでいると言っても良い。それはそうだ。目の前に突然現れたのは一足飛びの最新鋭機なのだ。そして、飛び越えられたのは、自分たちだ。
「そ、そうだ一夏、お前は今度の学年別トーナメント、タッグパートナーは決めたか?」
天才の妹が主人公に尋ねる。
「いや、まだだけど」
「どうせなら、第四世代機同士で組まないか?」
その言葉に、場にいた全員がざわつく。
「待て一夏、それは私と組むべきだろう」
真っ先に反対したのは、一夏とお揃いの眼帯を付けた銀髪の少佐だ。
「ラウラ?」
「お前はうちの隊員だ。私と組むのが当たり前の話だろう」
至って筋の通った話だ。一夏はドイツに渡っている間、黒兎隊で世話になっている。いつもお揃いの眼帯を身に着けてるってことは、今でも黒兎隊のつもりなんだろう。
「ま、まあそうだよな……」
苦笑いで一夏が返答しようとすると、そこに箒が、
「それはドイツでの話だろう? ここは日本だ、黙っててもらおうか?」
と割り込んでくる。
う、うん、筋が通ってねえ。ここはIS学園で治外法権に近い場所だ。建前上は国籍など関係なく『IS学園の生徒』だ。もちろん各人、それなりに所属があったりもするが。
「あら、そういう理由でしたら、一年一組のクラス代表であるわたくしが、一夏さんと組んでも問題ありませんわね」
セシリアが一歩前に出て、不敵に言い放つ。
「だからここは日本だと」
「反論いたしますが、IS学園は国籍で縛ることを良しとはしておりませんわ。そしてここは日本にあるIS学園ですわ」
箒の拙い理論を遮って、セシリアが正論を言い放った。
三者が一夏を間に挟んで睨み合う。
ちなみに鈴は二組なのでいない。今は二組関係ないけど。
最後に腹黒さ、もとい器用さに定評のあるシャルロットはというと、珍しく割り込まずにいる。ずっと箒ではなく紅椿を見つめていた。
何か考えたあと、スッとオレの横に寄ってくる。
「どう思う?」
「どうって? 紅椿?」
「うん、第四世代機って言ってるけど……」
同じく第二世代を専用機にするオレに意見を求めてるんだろう。
「特徴がいまいちわからんな」
前から持ってた知識がなければ、さっぱり意味のわからん機体であることには間違いない。
「だよね。もちろん、篠ノ之博士が第四世代と定義したんだから、第四世代なんだろうけど」
「うーん、タッグパートナーか。ぶっちゃけた話をしていいか?」
「うん」
「一夏と組ませた方が良いな」
「……同じ意見だね」
「その心は?」
「一夏が一番、落としやすいから。そうすれば紅椿の性能をじっくりと確かめられる」
黒い、黒いよ……一応、一夏のこと好きなんだよね、キミ……。
同じこと考えてたけど、それでも軽く引いちゃうぜ。
思わず腰が引けるオレの横で、シャルロットが急に頭を抱えて悩み始める。
「でもねー……そうするとタッグの練習をする相手が箒になっちゃうわけでしょ……一緒の時間が……」
半分涙目でフルフルと首を横に振り始めた。
デュノア社パイロットと恋する乙女の狭間で悩んでるってことか。
オレにも色々と負い目があるし、誰かの味方というのも簡単には出来ない。
だが、先日の悩み方を思い出すに、今は箒の方についてやりたいという気持ちもある。それに、オレのせいで一夏と箒は同室になって甘酸っぱい思い出を作る暇もなかったんだしな。
さて、トーナメントのタッグか。どうしたらこの場を丸く収められるか。
頭の中でピコンと電球が灯る。閃いた。
「なあ一夏、誰と組むんだ?」
ギャーギャーとわめき合う専用機持ちの横をすり抜けて、一夏に問いかける。
「い、いや、どうしたらいいんだよ、ヨウ……」
「良いアイディアがある。聞くか?」
全員の視線がオレの方に集まった。
クラスメイト連中も含めて、ぐるっと半周、視界を回したあと、
「一夏と箒が組む。そしてタッグトーナメントに優勝したヤツらは一夏を三日間、好きに出来る。これでどうだ?」
と提案する。いつぞやの作戦のリサイクルだ。
場が一瞬、沈黙したが、すぐに女子連中が声を揃えて、『えーっ!?』と驚きを上げた。
ラウラがチラリとシャルロットと視線を交わす。
さすが隊長殿だ。オレの思惑にすぐ気付いたらしい。
ぶっちゃけた話、箒はそこまでISが上手い方じゃない。政府に無理やり入学させられたせいか、授業などは真面目にこなしても、放課後までISの練習していることなど滅多にない。剣を振って本を読んでいる程度だ。
その箒が操る紅椿と、遠距離武装のない白式を操る一夏との組み合わせ。
どっちかと言えば織斑・篠ノ之組には勝てる要素が少なく、なおかつ一夏を先に落とせば、邪魔も入らず紅椿と戦うことが出来る。
さらにその上で箒は、タッグパートナーとして練習を一緒にできる。優勝できる見込みはかなり少ないが。
全員が一つプラスで一つマイナスだ。
「な、なあヨウ、オレの意見は……」
間違った、一人だけ損しかしてないヤツがいた。
「え? 箒と組むのが嫌なのか?」
「そういうわけじゃないけどな……あと、問題はそこじゃないけどな」
「とか言ってるけど、篠ノ之さん?」
わざとらしく一夏の注意を箒の方へと向けてやる。目尻にうっすらと水滴を浮かべながら、顔を紅潮させて一夏を睨んでいた。
「い、一夏は私と組むのが嫌だというんだな! それならこっちからお断りだ!」
「そ、そういうわけじゃない! わ、わかった、わかったよ、みんながそれで良いなら、そうするって!」
みんなの憧れ、正義のヒーロー様が投げやりになりがら叫んだところで、全員から喝采が起きる。まあ、みんな目標も出来ただろうし、良いことづくめだよな。一夏に興味がない生徒だって、紅椿には興味があるだろうし。
「ちょっと、何騒いでんのよ、アンタたち。なにこれ新型?」
そして今頃、鈴がテコテコと歩いてやってきた。あーお前の意見聞くの忘れてたわゴメンネ。
と口にする度胸もなく、オレは鈴をシカトして紅椿に歩み寄る。
色々あるものの、一人のIS操縦者として、やっぱり第四世代機ってのは気になる。
「ふーん……これがねえ」
その名の通り濃い赤色に染め抜かれたISにもう一歩近づこうとした。
突如、悪寒が走る。
金属同士が激しくぶつかる音がグラウンドに響いた。
「……何のつもりだよ、箒」
咄嗟に部分展開したテンペスタの左腕に、岩ぐらい軽くふっ飛ばしそうな勢いで紅椿の右腕がぶつかったのだ。オレの頭を狙ったような動きだった。
「え、あ、な、何が?」
当の操縦者本人も何が起きたかわからず、青ざめた表情で紅椿の腕をオレから離す。
「……暴走か?」
「い、いや、わからん、そ、その、急にお前に向かって紅椿が」
自然と表情が厳しくなってしまう。
「だ、大丈夫か、ヨウ!」
ようやく我に返った一夏が駆け寄ってきた。その後ろから玲美が慌てて近づいてくる様子が見える。集まっていた人間たちがざわめき始めた。
「……ISを展開するだけの訓練、毎日やっといて良かったわ……」
「は?」
「こっちの話だ。それより一夏」
「あ、ああ。箒、とりあえずISを解除しろ」
「し、しかし」
「今日はもう終わりだ。訓練は明日からやろう」
念を押すように、一夏が一言一言をゆっくりと言い聞かせる。
紅椿が解除されると同時に、場にいた全員が安堵のため息を零した。
……死ぬかと思った。
というより、専用機持ちじゃなかったら確実に死んでたし、専用機持ちでも対応が遅れていたら、絶対防御が発動する云々よりも先に、首から上が吹っ飛んでいたかもしれない。
首が吹っ飛んでも絶対防御で生きてるとか、首を吹っ飛ばす前に絶対防御が発動するとか誰も試したことないから、結果として生きてたかどうかはわからない。だが、死ぬかと思ったのは間違いない。
箒もそれがわかっているのか、顔面蒼白のまま一夏に支えられている。
「ヨウ君、大丈夫?」
心配げに近寄ってきた玲美がオレを見上げる。
「……おう」
「何が起きたの? なにあれ?」
玲美は憤慨した様子で、肩を怒らせて箒の方へ向かおうとしたので、腕を掴んで止める。
「まあまあ、本人は慣れてないんだろ。気にすんなって」
「で、でも!」
「そんなことより、オレたちも対策考えようぜ。あれのデータ、欲しいだろ」
適当に喋りながら、クラスの輪の中に固まっていた理子と神楽の元へ向かう。二人とも心配げな顔をしていた。
腰が抜けそうになるのを必死に我慢しながら、わざと余裕ぶって肩を竦めた。
ナターシャさんは、自身のISである銀の福音の言うことがなんとなく理解できると言っていた。オレもその意見には賛成だ。
だから本物なんだろう。紅椿から向けられた、オレに対する殺意と憎悪は。
いつのまにか垂れていた冷や汗がメガネに零れる。邪魔な水滴を弾こうとメガネを外し、一息つくように校舎の方に視線を向けた。
ん? 何だ?
そこで違和感に気付いた。5月に落ちた右目の視力が、なぜか正常に戻ってる。
不思議に思いながら、視力を試すように遠くへと焦点を合わせた。
グラウンドを囲む外壁の上に、一人の女の影を捕える。織斑先生に連れていかれたはずの篠ノ之束だ。
向こうもオレを見ていたようで、彼女は唇の動きだけでこう告げた。
残念、と。
その天才の目と口は、底の見えない亀裂のように、全てが真っ黒だった。
「大丈夫か? 何か顔色悪いぞ」
更衣室内のベンチででぐったりしているオレに、一夏が心配そうな声をかけてきた。
「いや……ちょっと色々あって疲れてるだけだ。箒はどうした?」
「とりあえずシャルロットに頼んで着替えさせて、保健室の方へ連れていった。かなり参ってたけどな……」
「そっか……」
本人が意図してないとはいえ、危うくオレを殺すところだったのだ。いくら箒といえど、精神的に応えたんだろう。
「お前も大丈夫か? 保健室行くか?」
「いや、とりあえずは良い。歩けるし」
手の平を見つめる。目の視力は再びぼんやりとした世界へと落ちていた。
「篠ノ之束、だったんだよな」
「ん?」
「い、いや何でもない」
幼い頃見かけた彼女とも違う。気持ち悪い化け物のような目を持った人間だった。そして、明らかにオレに視線を向けていたのも、幼い頃と違う。
「とりあえず着替えたらどうだ?」
「そうだな」
立ち上がって自分のロッカーを開け、ISスーツを脱いで制服に着替え、メガネをかける。上着を着るのは面倒だったから羽織るだけにしておいた。
「そういう格好してると、昔の不良みたいだな」
「うるせー」
顔立ちがナンパなせいか、昔っから不良っぽいと言われたもんだ。メガネをかけるとスケベに見えるらしいけどな……。
「とりあえず部屋に戻って、また箒のところ行ってくるわ」
「りょーかい。オレの方は全然気にしてないって伝えておいてくれ」
「わかった。悪いな」
「おう」
更衣室を出て通路を歩く。時々すれ違う女子と軽い挨拶をしながら寮へと向かっていると、四十院神楽が立っていた。姿勢正しくこちらにお辞儀をしてくる。
「こんにちは、ヨウさん、織斑さん」
「ちは、四十院さん」
「おっす。どうしたんだ、こんなところで」
「ええ、ヨウさんを待ってました」
そう言って、チラリと一夏を見る。その視線だけで察したようで、一夏は軽く手を上げ、
「んじゃ先に戻ってるぞ」
とオレたちを置いて歩き出した。その背中をしばらく見送り、声が届かないぐらいの距離になると、神楽が口を開く。
「ディアブロが、勝手に起動しました」
「は?」
「先ほど、研究所から報告がありました。幸い、起動して一メートルほど動いただけで止まりましたが」
「……正確にはいつ頃の話?」
「私たちがグラウンドにいた時間帯ですね」
「ふぅん……」
あの紅椿の暴走と関係あるのか、もしくは、あの黒の……。
思い出して再び背筋に悪寒が走る。この世界じゃありえない黒く染まった目が、まるでオレを引きこもうとしているように思えた。
「あの」
「ん?」
「ヨウさんは、私たちに何か隠し事をしてませんか?」
おっとりと形容される顔が、今は少し困惑しているようだ。
「隠し事……」
ありすぎて何を言っていいのかわからん。
前の人生の記憶を持っているのが、たぶん最大の秘密だろう。
う、うーん。信じてもらえるわけがないし、どうしたものか。信じてもらえたとしても、それはそれで頭のおかしいヤツだしな、オレ。
とりあえず、オレがみんなに言えることは、
「何も隠してないよ、少なくとも、みんなに言えることは全部話してる」
ということだけだ。
「……そうですか。では、言えないこともあるんですね」
「そりゃそうだ。例えばおねしょを何歳までしてたかなんて、恥ずかしくて言えないだろ」
ここで話は打ち切り。再び寮の方へとゆっくり歩き出す。
「あ……」
神楽も何か言いたげな表情だったが、次の言葉を吐くことはなかった。遅めのスピードで歩くオレに、小走りで追いついてきた。
二人で速度を合わせて、夕日の中、短い帰路を無言で辿る。
いつだって言えないことだらけだ。
でも、そういう風に生まれついたのだから、仕方ないだろう。
今日は退避先として、珍しく女子の部屋にお邪魔になっていた。
ここは玲美と神楽の部屋だ。ピンクを基調としたベッドのシーツやカーテンと、所々に置かれたぬいぐるみが正に女の子の部屋だと感じる。
今はシャワーを浴びてから結構経っているらしく、パジャマではあるが髪は濡れてない。同居人の神楽も同様だ。今日の大浴場は男湯仕様なので、二人とも手早く済ませたようだ。ちなみにオレはここでの用事が済んだら行く予定である。
しかし、ただまあ、何て言うかさ。どこに視線を置いていいか困るよな……女の子の部屋って。特に湯上りとか、無駄にドキドキしちゃうんですけど。
そんな男子高校生の心の呟きなど察することもなく、ベッドに寝転んで枕を抱えたパジャマ姿の玲美がプンプンと怒っていた。
「なんかもう、なんていうか、もう!」
「まだ怒ってんのか」
「だって、ヨウ君死んじゃうところだったんだよ?」
夕方の件で彼女はまだ怒ってるらしい。ふと隣の机を見れば、もう一人の部屋主である神楽も眉間に皺を寄せている。
「第四世代機、紅椿、ですか」
「あんな風に暴走しちゃうなんて、何が第四世代っていうのよ、ホントにもう!」
「世間は騒然としていますね。他の生徒たちも、所属がある子は色々と呼び出しをされているようです」
「へーんだ。あんな機体にうちのホークちゃんが負けるわけないし!」
もちろん四十院の方も色々と騒いでるようだ。
貰ったお茶に口をつけてから、ため息を一つ吐き出す。
「突如現れた第四世代機。パイロットはISを開発した天才の妹。まあ騒ぐわな」
「いいえ、問題はかなり複雑化しています」
「複雑化? そんな複雑な問題か? 技術的な注目だけじゃ?」
「まず第四世代機を凍結して差し出せ、という案が国際IS委員会で出ているみたいですね」
「ま、そりゃそうだわな」
「あと学園の通信情報網が一時的にランクD警戒に上がっています。情報漏洩を防ぐためでしょうね。今は外に出るとき検閲されていますし、生徒たちも迂闊なことは出来ません。生徒所有の携帯電話なども監視されているでしょうね」
「そこまでやってんの?」
「入学するまでのハードルが低いですからね、IS学園は。だから逆に」
「でも入試とか難しいだろ? 男ってだけで放り込まれたオレが言えた義理じゃねえけど」
「勉強してバックボーンと思想のチェックを受ければ、最新の軍事技術が溢れる場所に誰でも入れる、ということです」
「確かに四十院と空自のチェックの方がよっぽど厳しいよな」
「なおかつ生徒は比較的自由に外出まで出来ますからね。名目上は専修高校なのですから仕方ありませんけど」
基本的に制服を来て外出届を出せば、外に買い物ぐらいは自由に行ける。
オレはかなり行動の制限が多い上にアウトドア派ではないから、自由を謳歌したことはないが。
でも通販あるとあんまり困らないんだよなぁ……IS学園メシ上手いし。
「あ、玲美、アレの件、来てるわよ」
「え? ホント!?」
玲美がベッドから降りて神楽の端末を覗きこむ。
「やっぱり紅椿の件が効いてるみたいね」
「そういう意味では、紅椿様々なのかなぁ……ちょっと複雑」
二人でピコピコと端末を操作し始める。
「何の話?」
「ふふふ、聞いて驚けヨウ君。なんと私、今日から専用機持ちです!」
「はぁ?」
「と言っても期間限定なんだけどね。トーナメントにテンペスタⅡで出場することが決まりました!」
「ってディアブロ!?」
「そんなわけないじゃん!」
「だ、だよな」
あんな紅椿以上に意味不明の機体、表に出せるわけがない。……そういやアイツも勝手に動いたとか言ってたな。
「あ、あっちのテンペスタⅡか。もう一個のコアを使った。換装するとか言ってたよな」
「うん、最終調整と試験飛行が残ってたんだけど、色々とあったでしょ? それで先延ばしになってて。今日、ようやく終わったんだって」
「はー。でもテンペスタⅡ持ち出したら、研究所からISコアなくならないか?」
四十院研究所が持っている正式なISコアは二つだ。それが二機ともIS学園入りしては、出来ることが少なくなるだろう。もちろんコアナンバー2237は持っていることすら機密である。
その辺りの事情に詳しそうな神楽が、
「今日の午前中に、デュノアから連絡があり、ラファール・リヴァイヴの高機動カスタム機を作ることになりました。ISコアは向こうの持ち込みです」
と自分も加わった商談の結果を教えてくれた。
「土日にやってたヤツか。えらく急だな」
「デュノアは第三世代が開発できていませんからね。先のメテオブレイカー作戦で高機動汎用機の有用性が高まりましたし、経営者も交代しましたから」
「金になるかわからない第三世代よりは、第二世代のシェアを拡大化して稼いでいくつもりってことか。まあそれも有りな経営方針だな」
「会社って大変だねーヨウ君」
「だなぁ」
経営に一切携わってない身としては、半分以上は他人事だ。かといって社会の動きに鈍感で許されるほどISのパイロットってのは甘くないけど。
「ISを作るなんて、本来はバクチ的なモノなんですよ、やっぱり。でも国家や軍としては威信をかけてやらなきゃいけない一大新規事業ですからね。うちみたいな兵装開発企業が一番、得をします。IS本体を作らなくて良いんですから。あ、そうそう」
「ん?」
「臨時ボーナスが出ますよ、ヨウさん」
「え? なんで?」
「メテオブレイカー作戦、無謀とはいえ機体速度の最高値をマークし、うちの推進翼の有用性が増しましたからね。おかげで一件商談がまとまりましたし、追加で2件ほど案件が来ています」
「おー。ボーナスか……あんまり使い道ないけど」
「研究所からの感謝の気持ちですよ、些少ですが。ご両親に何か買ってあげてはいかがですか?」
神楽が微笑みながらオレに言う。
そういやオレの親の境遇までは知らないんだっけ。
二瀬野鷹の両親は、政府のVIP保護プログラムによって、名前を変え新しい土地で暮らしている。息子であるオレでさえ会うことはおろか、連絡を取ることすら出来やしない。本人たちの身の危険に繋がるからだ。
「まーそうするかなー」
タッグトーナメントに来賓として見に来るらしいが、オレの姿を見せられるかどうかすら怪しい。
でもま、わざわざ話すことでもないしな。
「で、タッグはオレと組むんだよな? 玲美」
感情を悟られないように、続けて玲美に質問を振る。
「えー? どうしよっかなぁ。私とタッグ組みたいのー?」
ニヤニヤ笑いながら問いかけてくるが、からかってんのか。
「んじゃお仕事繋がりにシャルロット辺りに頼んでみるか」
「ちょ、ちょっと待って待って。組まないとか言ってないし! ていうか組もうよ、組むしかないんだから!」
「えー? どうしようかなぁ?」
ニヤニヤ、と。
二人でふざけ合ってると、神楽がコホンと咳を吐く。
「残念ですけど、二人は別々に出てもらいますから」
「えーっ!?」
「それはそうでしょ。トーナメントなんだから、少しでも紅椿と当たる可能性を高くしないと」
「そんなぁ」
玲美が情けない声を上げる。
「んじゃ誰と組むんだ?」
「玲美は理子と。いい?」
「んー……はぁい」
玲美は肩を落として、ふらふらとベッドに倒れこんだ。そのまま枕を抱いて何も喋らなくなる。スポンサーの意向なら仕方ないし、普段も神楽に逆らうことはあんまりないしなあ、オレたち全員。
「で、ヨウさんはシャルロットさんと組んでいただきます。これは先方も承知済みです」
「え? マジか」
「先だって明日から、試験型の推進翼をシャルロットさんの機体に装着、データ取りを行います。その推進翼の指導をお願いしますね」
「……お仕事ってわけか。それじゃあ仕方ないか」
正直、シャルロットを初め、ラウラや鈴、セシリアや更識簪辺りとは組みたくなかったんだけどな。
「オーケー。了解した。ビジネスライクにやるよ」
ベッドで『の』の字を書いている玲美を見て、
「ぜひ、そうしてくださいね」
と神楽が苦笑した。
「しっかし、篠ノ之束か」
久しぶりの大浴場開放日だ。このだだっ広い場所を今は一夏と二人で貸し切りである。
プラスチックの桶を置く音が反響し、昔行ったことのある銭湯を思い出した。
「お前、束さんと面識なかったっけ? 道場通ってたのに」
「面識って意味じゃ知らんな。見かけたことはある」
なにせ認識されてなかったからな。
「……あの人もホント、変わらないな」
「そういうヤツだろ、あの女」
オレの吐き捨てるような言葉に、一夏は苦笑するだけで何も言わなかった。
体を洗い終わり、二人して湯船に肩まで浸かった。深く漏らした息が大浴場内に反響していった。
「やっぱ風呂は日本だなあ」
感慨深く呟いた一夏も、今はさすがに眼帯を外していた。
「でも千冬姉は前から知ってただろ? IS学園に来てから、オレのこととか何か話したりしなかったのか?」
「小さいときは何度か会話したことはあるけどな。こっち来てからプライベートな会話はしてねえ。向こうもなんとなく覚えてるってレベルじゃねえの」
「いや、絶対に覚えていると思うぞ。オレも小さい頃はお前んちで何度もメシご馳走になったし、迎えにも来てくれてたんだし」
「そういやそうだっけか」
十代そこらの女の子が、弟を育てるなんてのは無謀にも程がある。小学校高学年までは、危なくて一人で家には置いておけなかったみたいだしな。
実際の話、うちの母さんも人が良いので、幼い姉弟のことを気にかけてたみたいだ。何だかんだで一夏のこともお気に入りだったんだろうし、織斑先生も学生の頃から礼儀正しい人だったしな。
しかし織斑先生の女子校生時代とか、ラウラが見たら鼻血出すんじゃね?
「箒が転校していったぐらいだっけ。お前がオレんち来なくなったの」
「ん、まあな。さすがにある程度、家事ができるようになってたし。箒んちも引っ越しちゃったし、いつまでも他人に頼りっぱなしじゃあ申し訳ないかなって。あ、でもお前んちのおばさんには感謝してる。色々と教えてくれたし」
「洗濯の仕方とかな」
幼い頃の思い出を振り返れば、笑いが込み上げてくる。うちに来なくなったのは、少しでも早く一人前になりたかったからだろうな。
「そ、その話は忘れろよ!」
「ヘイヘイ」
適当に返事しながら、さらに腰を落として首まで浸かる。
良い湯だなぁっと。普段は女子が一杯な風呂だと思うと、余計に……っとか考えてたら殺されそうだ。
「家には帰ってるのか?」
「オレ?」
「土日は寮にいないだろ」
「う、うーん……まあ、そうだな。忙しかったりもするからな」
「なるべく家に帰ってやれよ?」
まあ、悪気はないんだろうし、オレが悪いんだし、こいつに話すことでもないしな。話題変えるか。
「そんなことより、バーベキューいつにすんだよ」
「あーそうだな。お前、いつ空いてるんだよ。土日いっつもいねえし」
「夏休みまではスケジュール一杯だわ。神楽いるだろ、四十院神楽」
「ああ、財閥のお嬢さんとかいう。お前の機体もそこのなんだろ?」
「スケジュールお任せしてんだけど、容赦ないんだわマジで。最初は手加減してくれてたみたいだけど、最近はもうテストテストの嵐でなー。そうだ、夏の合宿はどうだ?」
「ん? 合宿?」
「おう、海に行くやつ。相模湾に出来たプライベートビーチだっけ」
「メテオブレイカー、頑張って良かったな」
「まったくだ。女子の水着姿は無事に守れた。たぶん昼飯は現地だから、真耶ちゃんに言ってバーベキューにしようぜ」
「いいな。クラス皆でやるか」
鈴は二組だ、ざまあみろ。つっても勝手に混ざってくるんだろうな……。
「お前らヨーロッパ組の歓迎会もやってないしな。そこに焦点を合わせようぜ」
「でも、機材とか食材、どうやって持っていくんだよ?」
「現地調達?」
「そんなの許されるのか? 魚でも取るとか?」
「たぶんアレだよ、クーラーボックスごと海から流れ着くから大丈夫だ」
「なんだそりゃ」
「ほらIS関連の機材かと思って空けてみたらバーベキューセットだった! とかあるだろ」
「ねえよ……」
男子高校生の会話ってのは、本当にテキトーである。
「手は考えておくわ」
「頼む。こっちは準備しておくから」
「おう」
「先上がるぞ」
そう言って一夏が風呂から出て行く。デカい大浴場で一人、大きくため息を零した。
相模湾でバーベキューね。
……メテオブレイカー事件、なんであの破片の軌道、途中で変わったんだろうな。
事件中に湧いてでた素朴な疑問を思い出した。
本来なら、国際宇宙ステーションの大型荷電粒子砲によって破砕され、最大級の破片は地球から離れるはずだった。そして何事もなく成層圏での流星見学をして帰るのが本来の作戦内容だった。
だが実際は、ナンバー2237使用のISが作られてた相模湾沖の洋上ラボへ、隕石が狙ったように軌道修正されて落ちてきたのだ。
事前調査では、隕石の成分は95%が岩石で残り5%は不明だった。オレたちでぶっ壊したから、破片で地上まで落下したものはない。ゆえに回収された物もなく最後の5%は最後まで不明だった。
……いや、まさかな。
他の隕石と干渉しあってたまたま落ちてきた。そう考えるのが妥当だろう。
だから『慣性に干渉する装置』、例えばPICがあらかじめ隕石に積んであった、なんてのは荒唐無稽すぎる予想だ。
そんな想像をしてしまうほど、篠ノ之束が得体のしれない存在だってことだろうな。
それにあの女がもう登場したってことは、こっちも色々と考えなきゃいけない。
紅椿を送り込んできたってことは、そのデビューを狙ってるはずだ。それも盛大に、インパクトのある手でだ。
持っている記憶を辿る。
考えられる手は無人IS『ゴーレム』、そしてナターシャさんの『銀の福音』の暴走。
どちらの手で来るか。
オレはまだゴーレムを見ていない。来るならこっちが先か?
篠ノ之束はIS学園にある何かを探ってるんだよな、確か。暮桜だっけ……。
ってことは銀の福音は考えにくいか。あれは強力なISとはいえ、電子戦の装備を積んでるわけじゃなさそうだ。でもオレもあの機体のことなんて、上辺しか知らないしな。
正直、シルバリオ・ゴスペルとは戦いたくない。どんな理由があろうとも、ナターシャさんがあれだけ愛情を注いでいる機体を、篠ノ之束のせいで破壊しなければならないなんて、絶対に嫌だ。
ゴーレムの場合はどうか。『記憶』の糸を手繰れば、確か鈴と一夏の戦いに乱入したときは一機だったはず。なら今回も一機か?
ダメだ。相手の考えることがわからん。
ただ一つ言えることは、何が乱入してこようと、乱入があった時点で学年別タッグトーナメントは終わる。
つまり、試合順次第でオレの晴れ姿を見せることが出来なくなる可能性も高い。
……せっかくオヤジと母さんが来るっていうのにな。
それでも何が出来るかを考え続けた。乱入があっても、可能な限り来賓や一夏に危害が少なく済む方法はないのか。
もちろん、そう簡単には思いつかない。
全てを話す? 誰が信じるんだ、オレがこの先を『知っている』なんてことを。
下手すりゃ頭がおかしい人間扱いされ、ISを剥奪される可能性も高い。それだけは避けたい。今回を防げても、次もその次も事件は起こり得るんだから。
結局は、あの誘拐事件の巻き直し。
オレ自身の力なんて所詮はこんなもの。だけど今度は、失敗するわけにはいかない。
お湯を掬い目を閉じて顔を拭う。
もう一度、あの女の姿を思い出した。今日、二つのアイツを見た。
ひとつは昔と変わらない篠ノ之束、オレが嫌いなヤツだ。
そしてもうひとつは、底の見えない地割れのような眼差しを持った『篠ノ之束』。……あれは何だったんだ。
紅椿の調整が終わったあと、織斑先生がヤツを連れていった。それが何で、グラウンドの外壁に立っていた?
先生から逃げた? いやそんなすぐ逃がすようなら、そもそも連れていかないだろ。
紅椿の暴走よりも、あの暗い目の方が強烈に脳裏に焼き付いていた。今思い出しても寒気が走る。
……あれは、本当に篠ノ之束だったんだろうか?
第13話は数日中に。