ルート2 ~インフィニット・ストラトス~   作:葉月乃継

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18、独自の個性(オリジナル・キャラクター)

 

 

 IWS。正式名称はインフィニット・ストラトス・イン・ワンダーランド・シンドローム。

 この病が発見されたのは、ほんの4年前だ。当時、各国のIS乗りたちから『ISの万能感が降りても続く』という申告が上がっていた。しかし開発者たちも医療関係者も軍部も、単なる精神疲労だと思い、大して重要視をしていなかった。

 だがそうしているうちに、数人のIS乗りが日常生活の事故で立て続けに亡くなったのだ。そして、そのいずれもが先述の症状を申告していたという共通点を持っていた。それを重要視した数人のIS乗りたちの自主研究により、現在のIWSが病気として立証されていった。

 主症状は感覚異常で、他にも慢性的な頭痛や生理不順などもあるらしい。実際にはどれがISの長時間搭乗に起因するものなのか、まだまだ研究の余地があるそうだ。

 そしてオレには、大脳基底核の閉鎖回路における運動系ループの異常という長ったらしい症状名がつけられた。

 要するに、脳内の四肢の運動をコントロールしている場所に異常があり、このままでは神経変性疾患における運動障害を起こすという診断だ。

 普通の人間なら運動に関する神経伝達は、自分の肉体にのみ作用する。だがオレの場合は翼を動かす、という肉体にない器官の動作がISによって異常発達されており、このままでは手足がまともに動かなくなるかもしれないそうだ。

 医師たちによって、視力が落ちていたり左腕の痛覚麻痺は全てこれに起因するのではないか、という推測が立てられたと聞いている。

 そんなことはないとオレは思っているが、説得力はお医者様方の方が圧倒的に上だ。

 なおかつオレは世界に二人しかいない男性IS操縦者であり、心身の健康は何より重要視される。

 リアが昨日、隊長に相談されていた件はコレだったということだ。

 さらにセラピーという名の思想チェックは異常ありだ。どう考えたって専用機を渡して良い人材ではない。

 この、クソどうでもいい長ったらしい説明を理解したのは、専用機剥奪の数時間後だった。

「落ち着いた?」

 部屋の天井に仕込まれたスピーカーから、リアの声が聞こえてくる。

「おかげさまでな」

 オレがいるのは、白く病的なまでに清潔な合金で囲まれた部屋だ。ただし通路側だけが分厚く透明な強化ガラスになっていた。まるで博物館の展示物を置くガラスケースのような場所だ。

 ここはたぶん、IS用の研究室になる予定の部屋だろう。その証拠に、ど真ん中にISが寝かせられるサイズの寝台が一つ置いてあった。出入り口であるである重そうなデカい扉もISを搬入出来るサイズだ。ただし、営倉代わりに使うためか、端っこにはカーテンに仕切られた仮設トイレが設置してあった。ありがたいことだ。

「随分、暴れてくれたわね」

 ガラスの向こう側から、赤髪に眼帯のリア・エルメラインヒがマイク越しに話しかけてくる。

「悪かったな」

 素っ気なく言い放ってそっぽを向いた。

 ISを取り上げられた後、リアを跳ね除けてテンペスタへと向かい走り、取り押さえられ、無理やり睡眠薬を打たれた結果が、この独房まがいの真っ白な研究室だ。

「これからしばらくは監視がつくわ。専用機はすでに封印済みよ」

「封印?」

「この基地で全ての機能をロック済み。解除コードは隊長しか知らないわ」

「四十院には?」

「抗議が何回も来てるわね」

「話が違うじゃねえか。四十院には連絡が行ってたはずだぞ」

「ええ、でも別口から抗議が来てるみたいよ。研究所ではなく四十院の持ち株会社名で来てるわ。確かシジュウイン・カグラという子ね」

 神楽か。さすが事務仕事が得意なだけはある。どうやら研究所本体とは別に抗議を出してきてるみたいだ。ってことは、アイツも知らなかった事態か。

「今は何時だ?」

「22時よ」

「7月3日か?」

「ええ。いい? こっちの指示に従えば一カ月もすればまた元に戻るわ」

 元の状態に戻るのが一ヶ月後では遅すぎる。オレの戦闘は7月7日だ。

「IWS」

「なに?」

「数字を見せろ。根拠がうさんくせえ」

 オレの言葉を受けて、リアが手に持っていた10インチサイズのタブレットをガラスにくっつける。

 そこには、

「一昨日の精密検査の数字があるわ。貴方の脳から指先への無髄神経伝達速度が他の人より遅い。逆に脳脊髄神経が異常に速い。典型的IWS症状よ」

「……神経伝達速度か。だけどそれも、他の患者に見られる傾向が多いって話だろ?」

「仮想アームによる四肢の反応速度も、やっぱりズレてるわ」

「推進翼操作の件は?」

「診断の通りよ」

「大脳基底核の閉鎖回路における運動系ループの異常、だっけ」

「詳細は検査中だけど、脳幹細胞に……いえ、そうね。簡単に言うわ。貴方の脳内にある貴方の体には翼が生えてるわ」

「実はオレ、天使だったのか」

 しかも脳内だけって、どんだけ暗いヤツなんだ。

 そんな自嘲混じりの笑いを喉で鳴らすオレに対し、リアは眉間に皺を寄せて渋い顔をしていた。

「にしても、これはホントにオレの数字か?」

 ここまで自覚症状がなければ、疑わしいにもほどがある。

 オレの怪訝な様子に、リアは肩を竦めてから口を開いた。

「もちろんよ。何なら貴方の前で精密検査をしてみせましょうか?」

「精密検査なんてする前に、自覚症状と通常の検査で気付くものだからな、普通は」

「思ったより冷静なのね」

「ああ、頭は冴えてきた。だけど、この数字でオレが通常に動いてたってことは、治すと逆にズレるんじゃないのか?」

「貴方の場合はズレてるんじゃないの、生えてるの。それに……セラピーの結果も悪かったから」

「セラピーの結果は聞いてねえぞ」

「貴方は妄想家の類ね。貴方はこの世界に生きていない。催眠中の貴方はこう言っていたそうよ」

「なんて?」

「この世界は物語の中だと」

 事実、その通りだろうが。

 しかし、これはミスった。IWSの件はともかく頭の方は何度やろうが、催眠状態のオレは同じ回答をするだろう。そして一度、異常が見つかってしまえば、毎回同じ内容の思想チェックになるに決まってる。

 催眠に対して耐性をつけたり出来るんだろうか……。

「オッケー。現状は理解した。いつ、ここから出られる?」

「それは宇佐隊長が総合的に判断するそうよ」

 チラリとリアに視線を向けると、視界にもう一つ、人影が差した。

「元気か、二瀬野」

 閉鎖されていた重い合金製のドアが開き、三人の警備スタッフという名の軍人を連れて、責任者が入ってくる。

 丁度、名前が挙がっていたくすんだ金髪の女、宇佐つくみ隊長だ。

「ええ、もうすっかり」

「ふん、ならいい。あと数日はここで過ごしてもらうぞ」

「へいへい」

「ったく、だから向いてねえんだよ。面倒事ばっか起きやがる」

 心底疲れたようにため息を吐きながら、パンプスの音を立てて隊長が近づいてくる。

 乱暴にオレの髪を掴み、自分の方へと引っ張った。

 そのまましばらく、隊長と睨み合う。

「大人しくしてろよ。てめえはガキだが不思議と嫌いじゃねえ」

 オレにしか聞こえないような声が聞こえた。

 眼前の顔は、獲物を狙う獣のような印象を与える。切れ長の目がまるで蛇のようだ。そして普通に目を開いていれば、美人な部類に入るだろう。くすんだ金髪は明らかに染髪したもので、この人の元の色じゃない。

 改めて観察して、初めて気付いた事実があった。

 ……ああ、本当に銀の福音事件以外の何も見えていなかったようだ。違和感を覚えた正体はコレか。

 オレは以前の知識でこいつを知っていたのに、全く気付いてなかった。

 この隊長の正体は、亡国機業の一員。

 多脚式IS『アラクネ』のパイロット、確か名前は、オータム。

「何を笑ってやがる?」

 力ない笑みを零すオレの髪を、オータムが苛立たしげに突き放した。

「いや、何でもねえっす。失礼しました、隊長殿」

 存在感がなくて、すっかりその存在を忘れていたが、いたなぁ、そういうヤツらも。

 こいつは八方塞かもしれない。詰み具合がハンパじゃねえ。

 力のない自嘲の笑みが腹の底から自然と込み上げる。

 この秘密組織が何様なのか知らないが、こんなところまで入り込んでるなんて、普通じゃない。

 本来のストーリーなら、巻紙礼子と偽って一夏の白式まで強奪しようとしていたような奴らだ。全容がどんな存在なのかはわからないが、隊長に収まってるなんて、よっぽどの力があるんだろう。

 そして一夏を誘拐しようとした事件の首謀者が、こいつらだ。

 そうなるとだ。

 岸原一佐もグルか。国津博士や四十院所長まで亡国機業と手を組んでいる可能性も高い。

 その娘たちまで全て知ってるとは思わないけど、もう、これじゃ何にも信じられねえじゃねえか。

 目的がわからないが、この基地は普通じゃないってことだ。

 割と本気で、オレの人生は詰んでるよな。IS学園を出て亡国機業の懐に飛び込んでるなんて。

「どうした?」

 顔を離した宇佐つくみ隊長、いやオータムが怪訝な表情を浮かべる。

 うすら笑いを浮かべたままのオレは、

「いえ、以降、宇佐隊長の指示に従います」

 と力なく答えるしか出来なかった。

 

 

 

 7月4日の朝、昨日と同じ部屋で目覚めた。分厚い防弾のクリアガラスに囲まれた研究室にいると、まるで博物館の展示物のようだ。

 ひょっとして、この先の人生は男性IS操縦者として、こんな客寄せパンダか実験体一号みたいな感じで生きて行くんだろうか。死ねば剥製になったりしてな。

 そんなパンダに誘われて、一人の女性が部屋を訪れる。

「おっはよー」

「一人で入って良いんですか?」

「え? なんで? ただの病気なんでしょ?」

 のんびりと話しかけてくるのは、ピンクの迷彩を羽織った沙良色悠美さんだ。

 専用機持ちゆえに、こんなに堂々と一人で入って来れるんだろうな。ISの専用機を持つってのは、個人で世界最高ランクの強さを持つってことだし。だからオレは専用機持ちから外されたわけでもあるんだけどな。

「はい、朝食。こんなものしかないけど」

 コンビニのビニール袋から、サンドイッチ二袋と缶コーヒーが一つ、オレに差し出された。

「あざーっす」

 一つ手を合わせて、ビニールを破いて卵サンドを取り出す。

「何か納得いかないなー。どうしてなんだろ」

 悠美さんはオレの寝ていたベッドに腰掛け、腕を組んで首を傾げながら唸っていた。

「納得済みですよ。オレみたいなのがあんなに操縦出来てたのがおかしかったんです」

 なるべく事を荒立てるようなことは言わないのがベストだ。

 この人が何をどこまで知っているかまではわからないけど、それでもうかつなことは喋らない方が吉と思う。この人が白でも、他の誰に聞かれてるかもわからないし。

「確かに精密検査と身体測定の結果を見ると、IWS患者のようにも見えるんだけど……」

「そういえば、悠美さんの打鉄だと推進翼って汎用パッケージですよね。どういう操縦方法なんです?」

「私? 普通だよ。肩甲骨と僧帽筋の延長って意識かな。ラファールにもちょっと乗ったことあるけど、あれのデフォルト装備も、そんな感じだった」

 それだけ聞いてもオレとは全然違う。テンペスタ・ホークの推進装置は本当に背中に生えた翼だ。羽ばたいて、そこに意識を集中するだけで加速が行える。

 いや、本来は肩甲骨や背中の筋肉の延長で操作すべき項目を、オレが翼として誤認していただけなのかもしれない。

「なるほど、勉強になります。やっぱキャリアが違いますね」

「こら、私が年寄りだと言いたいのかっ」

 冗談めかした怒った顔で、ツンと頬を突かれる。その可愛らしさに思わず頬が緩んでしまった。

「いえいえ、純粋に褒めてるんですよ」

「でも、鷹君が下手だって言われてるの、実はIWSのせいだったりして」

「へ? でもIWSって主症状はISに乗った感覚が降りても続くって病気でしょう? 最もオレは自覚症状がないですけど」

「私も専門家じゃないけどね。IWSって謎の病だから」

「まあ、謎って言えば謎ですよね。原因がISに乗ってるということだけで」

「あれって結局、長時間乗ることでIS側に体が適正化されるだけでしょ。まあ確かに日常生活じゃ危ないかもしれないけど」

「……ああ、そういう考え方もあるんですね」

 つまりオレの体こそが、いつのまにかISの部品として最適化されていってたんだろう。

「私も何人か見てきたしね。あ、さすがキャリアが長いとか言ったら怒るからね?」

「いえ、もう言いません。でも確かにISが人間に適正化するように、人間がISに適正化していく。つまり、オレはテンペスタ・ホークに同化しすぎたってことか」

「でも、おっかしいなあ。IS学園はともかく、普通なら四十院の検査で気付くはずだけど」

 ……四十院か。今となっちゃ、信じるに値しねえな。

「見落とすこともありますよ。何を考えてたかまでは、オレにはわかりませんけどね」

「フラグメントマップの伸びはどうだったの?」

「見事に推進翼特化でしたよ」

 肩を竦めるオレに、紙パックのイチゴミルクを飲んでいた悠美さんが困ったように微笑む。

「だったら気付き難かったのかな。IWS患者は異常部位におけるフラグマップ上の神経伝達速度関係が、爆発的に伸びるときが多いみたいだしね」

「あれも何でなんでしょうね?」

「うーん。よくわからないなぁ、その辺は。さすがに専門家じゃないとね」

「世の中、謎だらけってことですね」

「まあ、今は療養に精を出してね。みんなの話じゃ、一カ月ぐらいだろうってことだし」

 ただしそれは病状に関してだけであり、思想がおかしいと判断された件については、解決する見込みは少ない。

「それじゃ、私は行くね。昼ごはん、持ってくるから。他に欲しいものある?」

「いや、特には」

「暇だったら、IS関連の教本とか持ってきて上げるよ。真面目なところ見せておいた方がいいかもだし。紙の本しかダメだろうけど」

「ですね、お願いします。どうせ、することなくて手持無沙汰だし、整備関連のことでも勉強しておきます。本読んでたら嫌なことも忘れられるし」

「おっけー。グレイスが良いの持ってた気がするから、借りてくるよー。ここの設備関連もいくつかあるから、持ってくるね」

 グレイスってのは、この隊にいる整備・開発畑のISパイロットだ。フルネームはグレイス竜王っていう厳つい感じだが、東南アジア系ハーフの美人さんである。

「お願いします」

「それじゃ、また後でね」

 裏のなさそうな笑顔で手を振って、悠美さんが部屋から出て行く。同時に重い金属が落ちる音がした。たぶんドアがロックされた音だろう。

 悠美さんは、確か日本の暗部を司る更識の分家と言っていた。オレの記憶通りなら、更識と亡国機業の繋がりはないはずだ。昨日も何も知らない風だったもんな。

 だけど、それが信じるに値するかと言えば、また別の話だ。

 ここは隊長が亡国機業のIS乗りなのだ。本家と分家で動きが違う可能性もある。

 八方塞がりってのはこのことか。

 オレ自身が疑心暗鬼になっているのもあるだろうが、それでも信じるに値するものが、ここには何一つない。

 四十院所長の言葉だってそうだ。

 似たような機体があれば洋上ラボに持ってくるといいと言っていたが、それに従って銀の福音をオレが持っていくと、亡国機業に接収されてしまうかもしれない。アイツらはイギリスから盗んだBT実験機すら自分達で使っていたぐらいだ。

 状況を整理すればするほど、自分の巡り合わせの悪さに泣けてくる。

 今のオレは唯一無二の相棒ですら取り上げられ、体はこの部屋から出ることすら出来ない。

 愛する人たちからは心も体も遠く離れ、今までの努力は病だと断じられ、周囲は何も信じられず、時は無為に進んで行く。

 オレは見世物用の檻の中で、誰からも顔が見えないように膝を抱えた。

 ……ああ、本当に、そろそろ泣いても良いんじゃないだろうか。

 ごめんなさい。

 すみません。

 本当に、申し訳ありません。

 生温かい涙が、ほとんど見えない右目から零れ落ちた。

 

 

 

 

 7月5日の朝。

 今日も悠美さんが朝食を持ってきてくれた。昨日と同じようなメニューだが、缶コーヒーがビッグサイズなアルミ缶のコーラになっていた。

 しかし朝からこの量の炭酸とは……。この人、やっぱ天然さんなのかねえ。

「炭酸飲みたいかなぁって。私もビール飲みたくなるときあるし」

「いや、二十歳の大人と一緒にしないで下さいよ」

「あー! また歳のこと言った!」

 IS用の寝台にいたオレの隣に、悠美さんが軽くジャンプして腰掛ける。うお、胸揺れた。

「気にするような年齢じゃないでしょ、まだ」

「気になるの! 他のアイドルやってる子って、みんな若いんだから!」

「いや、そりゃそうでしょうけど。でもほら悠美さん綺麗で可愛いし、大丈夫ですって」

 サンドイッチを食いながらテキトーに褒めておいた。

 我ながらすごい投げやりな感じだったんだが、なぜか悠美さんは顔を赤くして、指をもじもじさせている。

「も、もう、口が上手なんだから」

「……悠美さんて」

「な、何かな?」

「褒められ慣れてないの?」

「ぐ、う、うん。実は……、それに男の子と話すのも珍しい」

 言い返そうとしたが、すぐにガックリと肩を落として小さなため息を吐いた。

「それでよくアイドルやろうと思いましたね」

「今でも結構大変……現場は男の人ばっかりだし。話が来た時は、何も考えずに飛び乗ったんだけどねー……昔っからの夢だったし」

「最初からアイドルになろうとしなかったんですか?」

「うーん、ほら、普通の人は知らないけど、うちの家ってアレじゃない?」

「ああ、アレですね」

 悠美さんは古来から日本の暗部に根を生やす更識家の分家出身らしい。暗部というからには、マスメディアに出るようなことは、簡単には許されないんだろうな。

「表に出るなんて、絶対にダメー! みたいな感じで諦めてたんだけど、言われた通りIS乗りになったら、ある程度名前が知られてきてさ。そしたらもう関係ないでしょ。でも今さらアイドルになりたいなんてなーって思ってたときに」

「やってみないかって話が来たんですね」

「そうそう! もう有頂天になってさ、ハイハイハーイ! って手を上げて!」

 いちいちアクションをつけて説明してくれる姿に、自然と頬が緩んでしまう。この人、癒し系だなあ。

「でも、夢が叶って良かったじゃないですか」

 それだけは、手放しで称賛できる。チャンスが転がってきたとはいえ、夢を叶えて頑張ってる人がいる。

「まだまだ途中だけどね! 夢は私の踊りとか歌を、親戚の子が真似しちゃう感じ!」

「ああ、そういう子だったんですね、悠美さん」

「うん、もうテレビの前で歌ったり踊ったり! あー……簪ちゃんが不思議そうな顔で見てたの思い出しちゃったわー……」

「簪とも知り合いなんです?」

「あの子のお姉ちゃんよりは断然仲良いよ。IS学園に入る前は勉強見て上げたりもしたし。私、問題出したりするの好きだから楽しかったなぁ。今もたまにメールするし、テレビ出たら感想くれたりするんだー。私の方がアレより断然、簪ちゃんのお姉ちゃんっぽい気がする!」

 照れ笑いを浮かべながら、ちょっと嬉しそうに小さくブイの字を作る。

 オレは更識簪のことを会う前から知っていた。とは言っても四組のクラス代表で無口な引っ込み思案な、打鉄弐式のパイロットってぐらいだ。あとはヒーロー物が好きだったかな。

 それでも、悠美さんと簪は繋がっていて、会話をしている。

 いつも思うが、人は不思議なところで繋がっていて、それが組み合わさって世界が作られているよな。

「さて、そろそろ行くね、訓練始まるし、昼からは外でお仕事だ!」

「ありがとうございました。ここから出たら、サイン下さい」

「いいよ、まかしといて! ISスーツに書こうか?」

「い、いや普通に色紙で……」

「ちぇー……。でもちょっと元気出た?」

「へ?」

「ほら、私ってアイドルだし、人に元気あげないとね!」

 ちょっと照れながら胸を張って、得意げな顔をしている。

「……ええ。気を使わせて申し訳ありません」

「それじゃね、またお昼に!」

 手を振ってドアから出て行く姿を見送りながら、オレはアルミ缶のプルトップを開ける。炭酸が勢い良く吹き出して中身が零れそうになったので、慌てて口をつけた。

 あの人、炭酸の入ったビニールをブラブラと振りながら持ってきたな……。

 だけど、夢、か。

 銀の福音を救うことに失敗し、もう何もない。

 オレの頭の中身はバレてしまったので、自由にISに乗り続けるのも難しいだろう。

 そして、ISに乗っても役立たずだ。オレの翼は病であり、治ってしまえば以前と同じようには飛べないだろう。以前のように飛べるようになっても、それは病の再発以外の何ものでもない。

 こうなると最悪、実験体扱いだろうな。男でISを扱えるがゆえに、その謎を解くために都合良く使われる可能性だってある。

 一夏とは、雲泥の差になっちまったな。

 今日は7月5日か。

 笑える。笑えて仕方がない。

 7月7日を待たずにゲームオーバーという情けなさが、いかにも二瀬野鷹らしくて素晴らしい。

 悠美さんは悪い人じゃないが、残念ながらそのお家柄と、ここにいる亡国機業のおかげで信用に値しない。

 それは四十院研究所も、この隊に関連する岸原一佐もだ。

 今までやってきた自分の努力さえ信じられないのだから、何一つ信じられないよな、マジで。

 

 

 

 

 ガラスの外にある廊下は消灯されていた。ということは23時を回っているようだ。

 することもないので、人間には不釣り合いなIS用の寝台に寝転がって、悠美さんが差し入れてくれたISの整備関連の本を捲っていた。

 何か手を考えなければ、と思いながらも、信じて頼れる人間が誰一人としていない状況だ。

 絶望的な状況の想定しか出来ず、ボーっとした頭でペラペラと紙を弄んでいる。

 この手の本格的な本は通常の書店じゃ手に入らない。一部の関係者だけが持っているような物ばかりだ。2月の末に貰ったIS学園時代の教本は一年までの内容だから、整備関連の項目がかなり少ない。しかも三月には全て読み終わってしまった。事前に暗記しとけと言われていた電話帳みたいな厚さの本も、よく読めば概論と規則関連ばかりで、大した内容じゃなかったしな。

 その点、ここの隊員であるグレイスさんが持ってたという本は、そういう項目もかなり詳細に乗っている。内容自体は第二世代機の初期に作られたマニュアルを元にしているようで、汎用装備のインストールや機体のフィッティング、それに専用機用のパーソナライズの手続きなんてのも載っていたりした。

 興味深い項目ばかりで、つい夢中になってしまう。

 だがパーソナライズ関連のページを読み終わり、ページを捲った瞬間に我に帰った。

 ……どんだけIS好きなんだ、オレ。

 大きくため息を吐いた。

 生まれる前からインフィニット・ストラトスを知っていたオレは、関連書籍が出始めると同時に買い漁り読み耽って育った。

 中学校に入ってからは、男でも動かせる方法がないか必死に探していた。女しか反応しないISを、自分の手で動かしたい。それをずっと考えていた。

 それが今や、この状況だ。

 動かしたって、ロクなもんじゃなかった。

 だが、男が動かしたという事実がある以上、オレはISから離れることは出来ない。

 オレと一夏という二例が見つかってから、IS操縦者適正試験は、男も受けるようになっているらしいが、今のところ見つかっていない。おそらく奇跡みたいな確率を頼って、オレと一夏以外の男性操縦者が山ほど出てくるのまでは、この身に自由などないと思う。

 ゆえに、銀の福音事件で何も出来なかったという事実は、心に刻まれたままになるんだろう。

 

 

 

 7月6日の昼。

 予定通りなら、IS学園の合宿は始まっている。

 オレは相変わらずの、この狭い独房暮らしだった。

 飯時になると、必ず悠美さんがメシを持ってきてくれて、他愛のない会話をしてくれる。

 今日になって、久しぶりにリアがやってきた。コイツは専用機持ちじゃないから、後ろにはマシンガン付の警備スタッフがいる。

「しばらくISを離れてたわけだけど、何か変わったところある?」

「いや全然。何が通常かもわからん」

「それはそうよね……」

「そんなことよりシャワー浴びたい」

「ボディウォッシュペーパーはあるでしょ」

「髪洗いたい。悠美さんに匂いがうつっちまう」

「そ、それはまずいわね。今日の夜ぐらいには、何とかしてあげるわ。っていうか隊長もいつまでここに閉じ込めておくつもりなの」

「オレが知るか」

 そっけないオレの態度に、リアが小さくため息を吐く。

「いい加減、機嫌を直したら? いい? 貴方は病気だけど、それは普通に治るの。そんな態度じゃ治るものも治らないわよ」

 おそらくコイツは自分の弟にも、こんな口調で諭すんだろうと思った。

「だったら、ここから出せよ。ちょっと暴れたからって、いくら何でも長すぎだろう」

「それは私も思うけどね。でも貴方の場合は、頭の方も問題ありだから」

「……そうだな」

 ひょっとして、オレは生まれ変わったと思い込んでるだけで、本当はただの頭が狂った人間なのかもしれない。

 そんな他愛のないことを考えていると、思わず大きなため息が床に届いてしまう。

 そのまま無言でいると、リアが一歩近寄ってきた。

「……あと一つ、いい? 落ち着いて聞いてね」

「ああ」

「四十院研究所製のテンペスタ・後期高機動実験機だけど」

 その長ったらしい正式名称は、オレの愛機であり現在は封印されているテンペスタのものだ。

「ホークがどうした?」

 膝に置いていたオレの手を、リアがそっと包むように小さな両手で握る。

「……宇佐隊長の専用機になることが決まったわ」

 

 

 

 7月6日の夜。

 テンペスタ・ホークを思い出す。ずっとオレの傍にいてくれた機体だ。

 三枚の推進翼と脚部大出力スラスターを備えた、マッハ3を超える超高速機動インフィニット・ストラトス。世界最高の速度記録を持つ、イタリア伝統の黒いスポーツカーデザインのIS。

 4月に出会って、三か月程度の付き合いだとはいえ、ずっと一緒に戦ってきた。

「え? ヨウ君のテンペスタが?」

 隣に腰掛けていた悠美さんの声が上ずっていた。その事実をやはり知らなかったようだ。

「らしいですよ」

 自分のことを他人事のように言うのは慣れている。

「……やっぱりそっか」

 隣の専用機持ちは腕を組んで爪を甘噛みしながら、何か考え込み始めた。

「知ってたんですか?」

「今日の昼、隊長が中心になって封印を解除して色々いじってたのは見たわ。内容は教えてくれなかったけど、専用機用のパーソナライズだったのね、あれは。グレイスも関わってなかったし」

「パーソナライズまで終わっているってことは、もう待機状態で隊長が持ってるってことですよね」

 そう、つまりテンペスタ・ホークはBT二号機と同様に、亡国機業によって奪われたのだ。

「……うん、そうなるね。でもアレ、鷹君以外に操縦できるの?」

「出来るでしょう。ただの第二世代機なんだし」

「グレイスに聞いたけど、あれの推進翼、かなり特殊な成長してるみたいよ? それこそIWS患者にしか操縦できないと思うけど」

「フラグメントマップごとリセットして、汎用のインターフェースに馴染むようにすれば、それこそ悠美さんの機体と同じように操縦できるはずです」

「詳しいねー」

 オレの説明に、悠美さんが感嘆の息を吐きながら褒めてくれる。

「借りた本にあった記述から推測しました」

「すごいなー。私より全然詳しそう」

 どうやらこの人はパイロット技能専攻型らしい。

 パイロットも人それぞれで、腕が良いだけの人もいれば、整備関連もばっちり行えるタイプの人もいる。一夏や箒、鈴と玲美はパイロット技能専攻型だ。反対にオレやシャルロット、ラウラやセシリアはバランス良く覚えている方である。理子や神楽も整備・開発希望だったはず。ちなみに世間の流行りはバランスタイプ。就職先が広がるからな。

「そっか……」

「ISコアの数は限られてるんだし、搭乗者は優秀な方がいい。そして数少ない男性操縦者なんて希少種はISに乗せているより、それこそ色んな検査を受けさせてデータ取りに回した方が良いでしょう」

 貰った弁当を口にかきこみながら、思いつく事実を挙げていく。

「……大丈夫?」

 最後まで取って置いた魚フライを味わっていると、すぐ隣に座っていた悠美さんが、心配げな顔でオレの表情を窺っていた。

「ちょっとヤサぐれてるだけですよ。正常です」

 オレは基本がヤサぐれている。表に出さないだけで、ずっとネガティブ思考だ。

「ごちそうさまでした」

 手を叩いて、お礼を言う。

「おそまつさまでした。ごめんね、いつもコンビニ弁当なんかで」

「気にしてないっすよ。メシ持ってきてもらえるだけでありがたいです。あと悠美さんがいてくれるだけで、ありがたいッス」

「も、もう! 口が上手だね、この子ったら!」

 頬を染めながら、軽くとオレの肩を叩いて来る姿が可愛いらしい。

「年上っぽく振舞おうとしてるんでしょうけど、なんかオバサン臭いですよ、その口調」

「何か言った?」

 ……うわ、一転してすげえ睨んできた。

「いいえ、聞き間違えではないでしょうか」

「もー! あ、そうだ。明日は何がいい?」

「ハンバーグとか食べたいです」

「りょーかいです! この補給班にお任せください!」

 冗談めかして、小さく敬礼をしてくる。自衛隊の募集ポスターに乗っていても不思議じゃない可愛さだ。つか、次はこの人を採用してくれないかな、盗んで部屋に張るから。

「でも、あのドイツから来たISをリセットして換装するのかと思ってた」

「ドイツから?」

「メッサーシュミットだっけ。古い第二世代機。まあ、ちょっと笑っちゃったけど」

「ああ、迷彩色の宇宙服みたいな」

「違うの違うの。だって、下半身と左腕しかなかったんだよ?」

「え、それでISなんですか?」

「壊れてたコアのリセットしたんだけど、予算がつかなくて改修出来てないんだって。それで無理やり余ってたパーツをつけたんだけど、パーツ自体がそんなに余ってなかったみたいだよ」

「あー。計測器が届くって、そういう意味か。たぶんオレのデータ取り用じゃないですか。色々とテストするとか言ってたし」

 自分で言ってから、自らの言葉に納得してしまった。専用機を剥奪されたときに、そんなことをオータムこと宇佐隊長が言ってたな。

「腐ってもISだけどね。でも確かにそれじゃデータ取りぐらいにしか役に立たないかも」

「ですね」

 たぶん男性IS操縦者ゆえのISのデータ計測特化だろう。世界に二人ってのは、それだけの価値がある。

 それに左腕と腰と脚だけのISなんて、まともに戦える機体なわけがない。おそらく脚も歩行テスト用についてるだけだ。つまり、この分隊が、いや世間がオレを戦わせる気がない。

 翼を奪われたどころの騒ぎじゃねえ。オレのパートナーは今後、計測器が務めてくれるらしい。

「じゃ、そろそろ行くね。ゴミ、明日には回収するから、まとめといてねー」

「ありがとうございました」

 ヒラヒラと手を振りながら出て行くピンクの迷彩服を見送って、オレはIS用のベッドの上に寝転がった。

 目を閉じて、小さくため息を吐く。

 今日は7月6日だ。

 紅椿の封印は解かれ、このままでは銀の福音暴走事件は起きる。

 あと12時間ちょいもすれば、ナターシャさんの愛機は暴走するだろう。

 7月7日、午前11時半過ぎに白式と紅椿は、暴走した軍用ISと会敵する。

 オレの知っている話では、戦場に紛れ込んだ密漁船を庇おうとした一夏と、無視しようとして窘められた箒は、銀の福音によって落とされる。

 一夏は絶対防御により昏睡に入り、箒は自信を失いISから離れようとし、鈴たちに窘められるはずだ。

 そして一夏を除いた5人で再度、銀の福音に挑み、撃破されそうになったところへ、一夏が駆けつける。最後には進化した白式の武装『雪羅』と発現した紅椿のワンオフアビリティ『絢爛舞踏』により、銀の福音は停止する。

 まさにヒロインとヒーローの所業だ。

 だが、結果として銀の福音は暴走の理由が不明のまま封印されるのだ。

 これが、オレの知る銀の福音事件の始まりから終わりである。

 せめて誰かに伝えるべきなんだろうか。

 一番止めることが出来る可能性が高いのは、現場近くに基地がありIS三機を保有する、この試験飛行IS分隊だろう。

 だが、ここは亡国機業の巣窟だ。

 そして、銀の福音を救えるかもしれない四十院研究所は、この分隊に深く噛んでいる。

 つまり、このIS分隊に頼る時点で、亡国機業に銀の福音を差し出すようなものだ。だったら、言わない方がまだマシだ。

 次にIS学園か。

 IS学園の整備班なら、オレが国津博士に貰ったヒントを伝えれば、もしかして何とか出来るかもしれない。

 だがこちらも問題ありだ。織斑先生の立場が悪い。

 撃破した軍事機密満載の機体を持ち帰って、通常状態に戻すなんてことをすれば大問題だ。国際IS委員会に対する反逆と言っても良い。

 一夏が知っているかどうかはわからないが、織斑先生の立場はかなり悪いようだ。ここで勝手なことをすれば、アラスカ条約機構の反IS学園派に付け込む隙を与える。

 そして、それが推測できないラウラとシャルロットじゃない。アイツらはオレなんかよりずっと賢くて優秀だ。しかもラウラにとって織斑千冬は恩師であり、愛する一夏の姉である。シャルロットだって同様に一夏のために動くだろう。

 オレがラウラなら、IS学園を退学した生徒に銀の福音を助けてくれと頼まれていても、織斑先生のために銀の福音を破壊する。

 古巣に頼れるわけがない。

 一夏はどうだろう。

 ……論外だな。アイツが大事な姉に迷惑をかけるとは思えない。

 これじゃアイツらに話しても話さなくても、何にも変わらん。

 結局、オレ一人でどうにかするしかない。

 そして、どうにか出来るほどの力がオレには無い。テンペスタ・ホークすらも剥がされた。今は監禁状態で部屋から出ることすら出来ない。

 羊代わりに絶望を数えたって、眠れやしない。

 自分の運の悪さと不甲斐なさに、身が震える。

 全てを投げ捨ててIS学園を出てみれば、この有様だ。

 この後は何にも出来ずに朽ち果てて、希少種である男性IS操縦者として単なる見本検体(サンプル)として毎日を過ごすんだろう。

 悔しい。

 横になったまま膝を抱えて、自分の足に爪を立てる。

 一つ、小さな嗚咽が込み上げてきた。

 

 

 

 二瀬野鷹は、前回の人生の記憶を持って、今の体を動かしている。

 物語として認識していたはずの世界で、登場人物たちと出会い、正しく現実を認識せずにいた。そして、全てを放り投げて、一つの願いに自分の生きている意味を賭けたというのに、今のオレには何も力も無い。

 自分が一体、何をしたというんだろう。

 いや、きっと少しずつ、この世の中を歪めてきた。

 生まれてきたことで両親の人生を、未来を変えようとして一夏と登場人物たちの人生を、オレが生きていることで周囲の人生を、本来ある形から歪めてきた。

 多分、その帳尻合わせが、今のオレの有様なんだろう。

 この先はずっと心を閉じて、せめて一夏の身代わりに捧げられた生贄がごとく、男性操縦者のサンプルとして生きていくべきだ。そう思えば諦めることも出来ようってもんだ。

 それでも悔しい。

 何でこんなに悔しいんだ。

 止めることなく涙を流して、歯を食いしばる。もうカッコつける相手すら周囲にはいない。

 タッグトーナメント辺りから、オレの精神力はガリガリと削られっぱなしだ。

 崩れていきそうな心に、知っている人間たちの姿を思い浮かべていく。

 最初に、この人生が始まる前から知っていた連中が出てくる。次に、それまでは名前ぐらいしか知らなかった人たちだ。さらに、この人生が始まってから知った名前が思い浮かんでは消えていく。

 その中で、IS開発者の能天気な姿を幻視した。

 オレを無視した篠ノ之束。幼いオレの自尊心を破壊した篠ノ之束。オレが嫌いな篠ノ之束。

 本当はわかっていた事実を、心の奥底に閉じ込めていた箱から取り出して行く。

 タッグトーナメントのとき、無人機を落とす前に思ったことがある。

 もし仮に、この世界にオレと同じような存在がいたとして、そいつがこの世界の思い出や絆を蹂躙したとする。きっと今のオレだったら、そいつと戦いに行くだろう。絶対に許せない存在だということには違いない。

 だから、篠ノ之束は嫌いだ。許せない。

 でもホントは最初から気づいてた。

 これは自分を騙すためのウソだ。

 篠ノ之束すらも正しく『登場人物』であり、オレと同じような存在じゃない。

 オレは、自分が世界に必要な存在だと信じるために、自分にウソを吐いた。

 本来通り進む銀の福音事件という出来事を破壊しようとする二瀬野鷹だけが、この世界の異物で許されない存在なのに。

 ナターシャさんが愛機を失い涙を流すのだって、本来の運命だ。それを止めようとするのこともまたオレのエゴでしかない。

 もう諦めろ。終わってしまえば変えようのない事実が残るだけだ。

 小学校二年のときに出会った一夏と箒は、ちゃんとヒーローとヒロインになった。

 鈴だってIS学園に来て、セシリアも一夏に惚れて、シャルロットとラウラも揃った。物語の7月7日時点としては完璧だ。

 ウソを自分で暴いてしまえば、自分の存在理由すら残らない。

 後は脇役は脇役らしく、主人公の邪魔にならないよう、そっといなくなるだけ。思い出は沢山貰ったし、もうフェードアウトしていっても良いだろう。

 色々あったが、ここで二瀬野鷹の物語はもう終わりだ。

 これは失敗だ。

 終わりなんだ。

 二つめの道なんてなかった。1になれない者(ルート2)が消えていくだけなんだ。

 今度はそう思い込もうとした。

 それでも悔しさだけが消えてくれない。

 悔しい。

 自分がヘマをしたのはわかる。オレが他人の未来を邪魔してきたのもわかる。

 それでも悔しい。

 何も出来ない自分も悔しいし、狭いこの部屋だって憎い。自分を除け者にして廻る世界だって嫌いだ。

 悔しい。

 眼帯をつけた男が、オレに『助けようと思った心だけは否定しちゃいけない』と言った。

 じゃあ、それ以外の気持ちは否定していいのか。この悔しいって気持ちは否定しなきゃいけないのか。

 あのアリーナで、一夏との間を取り持とうとして、オレを否定しにきた気持ちを、綺麗だと思わなくちゃいけないのか。

 人を守ろう助けようとする気持ちだけが美しくて、悔しくて世界を恨む気持ちは汚いのか。

 そんなことはない。

 どっちもオレの気持ちだ。

 世の中がオレの心を否定しに来るなら、戦うまでだ。

 結果が伴わなくとも、無為に死んでやることなんてしない。決まり切った未来の邪魔をして、せめて誰か一人にでもオレと同じ悔しさを味あわせてやる。

 絶対に、こんな檻の中で生きてなんかやらない。

 そんな暗い決意を心に灯せば、不思議と元気が湧いてくる。

 オレはどこまで行っても根が暗い男らしい。

 いつだってネガティブな心でポジティブに生きてきた。

 二瀬野鷹は織斑一夏じゃない。だったらどこまでも二瀬野鷹らしく、意地汚く間違った努力をしてやろう。

 だから、どんな手段を使ってでも銀の福音を助けて、この場所にオレの生きた爪跡をつけてやる。

 

 

 

 起き上って涙を拭き、大きく深呼吸をした。

 ベッドから飛び下りて、部屋の中をウロウロと歩きながら頭の中で試行錯誤を繰り返す。

 考えろ。まだ考えることだけは出来るんだ。

 思い浮かぶだけの人物像を捻り出しては検討していくが、簡単には良い案が出て来ない。今までだって散々考えたことなんだから。

 だが今回は、それまで考えつきもしなかったアイディアが挙がってきた。たぶんさっき、その人物のことを考えたからだろう。

 それはすなわち、篠ノ之束に銀の福音の復元を頼むということだ。

 最高のアイディアで、最低の手段に違いない。

 前提から考えると、事件を起こさせないよう頼んで、ヤツが聞くだろうか。

 オレの思いつく限りでは難しい。

 アイツの目的は紅椿のデビューと進化である。

 事前に言ってしまえば、アイツはオレの口を封じてくるかもしれない。もし交渉に成功しても今回が起きないだけで、再び銀の福音を使った事件を起こす可能性だってある。それだけ強力なISであり、紅椿のデビューと進化にはもってこいの相手だ。

 そうすると確実なのは、起こした後に交渉するべきだろう。同じ機体を二度も暴走させるわけがない。

 オレの勝利は、この先もナターシャさんの元に銀の福音があることだ。

 だが交渉するにしても、ヤツにとってのオレは、路傍の石以下の存在というネックがある。

 ならば作れる交渉材料は、実際に起こした事件の真相を一夏や箒にバラすと脅すことか。起きた事象は無かったことには出来ないんだ。

 無人機の件で脅す? いやドイツがフランスでの事件前に知ってたってことは、一夏は戦ったことがあるのかもしれない。そうなると一夏はどうか知らないが、ラウラはそれとなく犯人に気付いているはずだし、篠ノ之束だってお見通しで対策を打ってる可能性だってある。

 やはり確実なのは、これから起きる銀の福音事件しかない。

 そうすると証拠を提示する必要がある。それはもちろん銀の福音そのものだ。

 だとすればやはりオレは、IS学園を出し抜いて銀の福音を回収しなければならない。IS学園に回収されたなら、そのままアメリカへ返され封印されてしまう。通常の状態に戻してから引き渡さなければ意味がない。

 今までの思考をまとめた、新作戦のガイドラインは以下の通りだ。

 銀の福音が暴走すると同時にここから抜け出し、事件が起きたあとにIS学園から対象をかっさらい、篠ノ之束と交渉して復元させる。

 上手くいく可能性は皆無に近い。そもそも篠ノ之束という人外の天才相手に交渉出来るんだろうか? 希望的観測を多く含む作戦で、ぶっちゃけて言えば、やらない方がマシなアイディアだ。

 それに成功したとしても誰も得はしない。

 IS学園のヤツらは、銀の福音をかっさらって作戦を失敗させ、織斑先生の立場を危うくさせるオレを憎むだろう。

 そしてオレはここを抜け出したことで追われ、捕まれば実験体へと戻るだけだ。

 それでも銀の福音がナターシャさんの元に残るよう、チャレンジしてみる価値はある。失う物はこれ以上何もないんだから。

 

 

 

 最初にここを抜け出す算段を考えろ。可能ならISを盗み出せ。

 オレの武器は知識だ。

 抜け出すチャンスは、おそらく銀の福音が暴走した直後だ。この基地にも連絡が来るはずだし、そうなれば内部は慌ただしくなる。

 銀の福音に対して、ここの基地のIS部隊が先に出張ることがあるか? いや無いな。実質的に動ける機体は、悠美さんの打鉄カスタムだけだ。テンペスタで本格的戦闘をするには調整不足だろう。他は未完成の機体と、計測器があるだけだ。

 ブツブツと呟きながら考え込んでいると、部屋の入り口である重い合金製のドアが開いた。

「ったく、ほら持ってきてあげたわよ」

 三人ばかりのセキュリティを連れて、リアが透明なビニール袋を持って近寄ってくる。

「なんだ?」

「なんだとは何よ。貴方が髪を洗いたいって言ってたんでしょ」

「お、おう」

「これ、置いていくから。水無しで洗えるシャンプー」

「サンキュ」

「それじゃ、おやすみ」

 ビニールをベッドに置いて、ドアへ向かって歩いていこうとする。

 その手を素早く取って、オレはリアを自分の胸の中に抱きすくめた。

「え、あ、え? ちょっと!」

 サブマシンガンを持った軍人たちが銃口をこちらに向けてくる。

 驚いたせいか動きが鈍っている。オレを押しのけようとするリアの手に力がない。

 その耳元にそっと、他には聞こえないような小さな声で、

「一夏を助けたい」

 と呟いた。

 コイツはこれで落ちる。

 腕の中にある女の子の体がビクリと震えて固まった。

 よし。

「ちょっと男女の時間にしてくれないか? アンタらだって、それぐらいは見過ごしてくれるだろ。それとも見ていくかよ?」

 オレの言葉に、三人のセキュリティが顔を見合わせ合う。こいつらは所詮、ただの警備兵だ。事情なんて深く知らない。オレがここに閉じ込められているのは、病気であるとしか知らないだろう。

 ダメ押しに、兵士たちにも見えるように、小さく震える耳元へ軽く口づけをしてやった。

「ひぅ! あ、え、ちょ、うん。貴方たちはドアの外で待っていて」

 ようやく喋るようになったリアが、慌てた様子で三人の兵士へ指示を出す。

 ISパイロットは伝統的に士官のはずだ。外から来ているとはいえ、階級が一番上であるリアには従うしかあるまい。

 ニヤニヤと笑いながら敬礼をして、警備兵たちが出て行く。

「さ、さあ、離れて」

「このまま」

「ちょっと」

「聞かれたくない話をする」

 傍から見れば恋人同士の抱擁のように見えるだろう。だけど話す内容はもっと虚偽に満ちた話だ。まあ恋人同士の会話も虚偽に満ちてる場合があるけど。

「……わかったわ。それで一夏が何なの?」

「明日、一夏たちが強力なISと戦うことになる。確定条項だ」

「どうやってそれを信じろと言うのよ」

「いいから信じろ。相手はかなり強力だ。助けに行きたい」

「だから貴方、やっぱり頭が」

「信じろ。冗談で言ってるんじゃない。四十院のオレのシンパからの情報だ」

「……本気で言ってるの?」

「ああ。ホーク剥奪の件でも、別口から抗議があっただろ?」

 これは研究所とは別に、神楽が違う会社名義で送ってきた抗議文の話だ。もちろんあっちはオレの意図なんか知らないだろうが、利用できる事実は利用するに限る。有能な元クラスメイトに感謝だ。

「……確かにあったわね」

「終われば必ず戻ってくる。お前の負担にならないように、独自でやる。ただ手助けをしてほしい」

「……無理よ、貴方は病気なのよ」

「それは、本当の話か?」

「ええ、これは誓って本当」

「わかった。じゃあお前を信じる。お前は良いヤツっぽいからな」

 信頼してるかどうかは別にして、信頼しているように見せる必要はある。

「それはどうも。で、貴方の話を信じる根拠は?」

「ハワイ沖、おそらく極秘任務中の機体がいる。アメリカ・イスラエル共同開発のシルバリオ・ゴスペル。こいつを使った作戦だと思う。アラスカ経由で調べればわかる。ここなら何か伝手があるだろ。レーゲンなんかじゃ相手にならないスペックだ。パイロットはナターシャ・ファイルス」

「……本気で言ってるのね?」

「ああ。オレは一夏の友達だ。だから信じろ。お前だって一夏を見捨てたくないだろ?」

 相手の心をくすぐるための言葉を選んでは、耳元で囁いていく。

 だが、ここまで言っても中々、色良い返事が貰えない。

 体が密着しているせいか、相手の戸惑う様子が手に取るようにわかる。

 何かを悩んでる? 何だ……。

 こいつ、まさか。

 意を決して、その単語を口にする。

「亡国機業」

 傍目でもわかるほどに、体が大きく跳ねた。相手の脈拍が速い。

 そういうことか。こいつもまた亡国機業に関わっている。

 はっ、笑わせてくれるぜ。ラウラよ、お前の部下はスパイってことだ。

「一夏とラウラとクラリッサさんには黙っておいてやる」

「……貴方、何者?」

「そんなことはどうだっていい。知ってたか?」

「何よ」

「二年近く前に一夏が誘拐された事件、あれは亡国機業の仕業だ。知り合いに聞いてみればいい。オータム……か。スコール・ミューゼルでもいいぞ」

 腕に収まった震え続ける体を、オレは力強く抱きしめてやった。

「お前がどんな間違いで、そこにいるかは知らない。だけど、お前が抜けたいって言うなら手伝ってやる」

「出来るの?」

「ここまで調べがついてるんだ。大丈夫だろう」

 コイツのことなんて知らない。悪いヤツじゃないのはわかっているから、何か事情があって亡国機業に協力してるのかもしれない。

 だが、コイツがどうなろうと、今のオレには知ったことじゃない。

「……わかったわ。何をすれば良い?」

「まず聞きたい。IWSの話は本当か?」

「それは本当よ」

「オレからISを剥奪するためのウソじゃないのか?」

「いいえ。これは本当よ」

 ここで否定しないってことは、間違いなく本当なんだろう。

 ……だったら、ここを抜け出すことは出来そうだな。テンペスタ・ホークはオレと同じ性能を出せないはずだ。

「了解だ。ISは何が残ってる?」

「2機。ただ、知ってると思うけど電子戦用ISのメイルストラム・クラケンはまだ未完成。貴方の計測用に用意されたメッサーシュミット・アハトしかないわ」

「メッサーの武装は?」

「辛うじてPICと皮膜装甲が動く程度。腕は……たぶん昔の機能にすぐ戻せると思う。だけど、脚はただの板みたいなものだし、腰のスラスターは姿勢制御レベル。もちろん武器は無し」

 PIC(パッシヴ・イナーシャル・キャンセラー)と若干のスラスターさえあれば、かなりの低速ではあるが空を飛ぶことも出来る。皮膜装甲(スキンシールド)があれば、剥き出しの部分もシールドで包まれるな。

「……それで良い。贅沢は言わない。明日の朝、十一時頃にオレはここを抜け出す。格納庫に準備しておいてくれ」

「わかったわ。可能な限り調整はしておいてあげる」

「助かる」

 交渉が終わり、小さくため息を吐いた。

「ひゃぅ!」

「お?」

「ちょ、ちょっと、耳に息吹きかけないでよ!」

「ああ、悪い悪い」

 そう言ってようやくリアの体を離す。

 さっきまで抱きすくめていた少女は、そっぽを向いて髪を整えていた。

「シャンプー、ありがとな、助かる」

「お礼はグレイスさんに」

「持ってきてくれたのがお前で良かったよ」

「……ったく。でも、その、どういたしまして……頼むわね」

「任せろ。じゃあな」

 酷く最低の気分で、リアが出て行く姿を見送る。

 正直に言えば出来れば何かしてやりたい気持ちもあるが、亡国機業の協力者を今のオレがどうこう出来るとも思わないし、そんな余裕もないし、優先事項でもない。

 とりあえず体を清めとくか。

 明日はデートだからな。

 

 

 

 7月7日の朝、いつも通りに悠美さんが朝食を持ってきてくれた。

 オレが食べている姿を、横でニコニコと笑顔で見つめている。

「……ああ、そうだ悠美さん」

「ん? なあに?」

「今ってここの会話、聞かれてます?」

「ううん。私が入るときはオフにしてる」

 だったら、この人だけにはお礼を言っておきたい。

「オレ、ここを出ますね。短い間でしたけど、ありがとうございました」

「あれれ? ちょ、ちょっと待って、まだ」

 悠美さんが目を丸くして慌て始める。

「今日、やらなきゃいけないことがあるんです」

「ど、どうしても今日?」

「はい」

「う、うーん、止めたいんだけど……何も手伝えないし」

「それでも、行きます」

「そ、そっかあ……」

 悠美さんがガックリと大きく肩を落とす。

「ありがとうございました」

「決意は変わらないの? ホントに私、何も出来ないよ?」

「今日じゃなきゃ、ダメなんです」

「……こ、これが男らしさって言うヤツかぁ」

 頬を赤く染めて困ったような顔で、何故か照れたように笑った。

 その様子が可愛らしくて、思わず笑みが零れてしまう。

「でっかいコーラでしたね」

「ふふ、お得だったでしょ。あーあ……手はずは整ってないんだけど」

「悠美さんはどうするんです?」

「私は色々とやらなきゃいけないんですよーん。これでもサラシキだからね。めんどくさいけど、こればっかりは仕方ないよ」

 やれやれと首を振りながらも、その顔は決して自分を貶めるような表情を浮かべていない。

「お世話になりました」

「大丈夫?」

「ええ。でも悠美さんみたいな可愛い人と会えて良かったです」

「も、もう! またそんな軽口叩いて!」

 そう言って頬を赤くしながら、思い切りオレの肩を叩いてくる。

「……それは素なんですね」

「あったり前! あっちと一緒にしないでよ! ホントに男の子と話したことなんて、ほとんどないんだから!」

「生徒会長が嫌いなのも素だったんですね」

「私、嘘吐くの苦手だからねー」

 照れたように笑うこの人は、確かに暗部なんてのは似合ってなさそうだ。アイドルやってるのが一番かもしれない。

「じゃあ最後に一つだけ」

 急に改まった態度で、オレの方に体を向け、柔らかい笑みを浮かべる。

「はい?」

「鷹君は、思ったより皆に見られてるよ。だから覚えておいてね。キミが歩いてきた道は、思ったよりちゃんと道になってるよ。ISパイロットとしてキミがこの三カ月で為し得たことは、他の誰にも出来なかったこと。私たち空自のIS乗りは、キミのことをすごいヤツだと思ってるし、私のISだってキミのおかげで完成したの」

「単なる病人ですよ」

「それはキミが真っ直ぐ努力してきたことだから。それをキミが否定したがったって、私は否定してあげない」

 最後に音符がつきそうなぐらいの口調で、舌をべーっと出してから悠美さんが飛び降りる。

「じゃあね、また会おうね。絶対に」

「はい。お元気で」

「うん。ライブ、来れることがあったら来てね。ISスーツにサインしちゃうよ?」

「勘弁して下さい……」

「あはっ、じゃあ、またね!」

 手を振ってから、沙良色悠美さんが立ち去っていく。

 問題を出すのが好き、か。

 たぶんもう少しで、事件は始まる。

 未来すらも投げ捨てて、二瀬野鷹の最後の戦いを始めよう。

 

 

 

 

 部屋の壁にかけられた時計を見る。

 時刻は11時を過ぎた。

 そろそろだな。

 トイレの横から武器を取り出す。悠美さんがずっと持ってきてくれたコーラのアルミ缶を、手で千切って束ねて固め、尖らせたものだ。昨日、トイレを囲うカーテンの中で作った。本当に頼りない武器だけど、ないよりはずっと良い。

 廊下が慌ただしくなり始める。スタッフたちが今までで一番と言っていいほど焦っていた。館内放送が基地内のIS関係者を呼び集めようとしている。

 始まったんだな、とうとう。

 この騒ぎは、おそらく銀の福音がハワイ沖で暴走して、日本の方へと飛んできているためだろう。

 タイミングはここしかない。

 オレはおもむろに手に持ったアルミのナイフで、左の手首を傷つける。

 感覚が鈍いおかげで、痛みはほとんどないが、出血量はそれなりだ。

 ちょっと切り過ぎたか、と思ったが、そんなに深く切ったつもりはないのでこんなもんだろ。やってしまったものは仕方ない。

 透明な壁を叩いて、外へと知らせる。

 慌ただしく走っていた整備スタッフの一人が、オレの様子に気付いた。真っ赤になった左手で壁を叩いている囚人を見て、ぎょっとした顔をする。すぐに近くを走っていた警備スタッフを呼び寄せて、中に入ってきた。

「ふ、二瀬野くん、大丈夫?」

 この女の人の顔に見覚えがある。技術スタッフの人だ。

「ぐ、クソ……誰かが、この部屋に……たぶんベッドの裏に……」

「え? え?」

 女性スタッフの顔に恐怖の色が見える。

 警備スタッフがサブマシンガンの銃口を、巨大なIS用寝台の方へと向けた。

 その顔は緊張した様子だが、オレから見える背中がガラ空きだ。思いっきり体当たりをして、硬い合金製の寝台にぶつけてやる。

「ぐ、くそっ」

 何とか体勢を立て直そうとした警備兵の顔を、血塗れの左手で掴んだ。同時に相手の手に向けてアルミのナイフを突き立てる。それだけで武器が曲がってしまったがが、相手に痛みを与えるのには充分だ。

 さらにもう一度、頭に向けて頭突きをかます。顎の骨が折れるような音が聞こえたが、気にしても仕方ねえ。

 血だらけになった口元を押さえる警備スタッフから銃を奪い取った。

「やれば出来るもんだ。ああ、すみません、白衣下さい」

「え?」

 女の人から無理やり白衣を剥ぎ取り、包帯代わりに左腕に巻いた。それからマシンガンの引き金を引く真似をすると、喉の奥に籠るような悲鳴が二つ聞こえてくる。

 なんだ、ISと大して変わらねえな。

 踵を返して、オレをずっと閉じ込めていた檻の中から悠々と歩き出した。

 

 

 

 メインベース内はかなり騒然としている。

 それでも元々のスタッフが少ないせいか、足音が聞こえるたびに隠れたらやり過ごせる。

 駆け足で移動して、天井の高い格納庫内に辿り着いた。

 リアが準備をしてくれていたらしい。

 左腕と下半身だけのISが、キャリーに立てかけてある。

 包帯代わりに巻いていた白衣を剥いで、左腕と足をISの中に通した。

「止まれ! 動くな!」

 格納庫の入り口に銃を持った数人の軍人が立っていた。どいつもこいつも厳めしいツラをオレに向けてやがる。

「おいおい、こっちは世界に二人しかいない男性IS操縦者だぜ。うかつに死んだらどうする? 誰か責任取れんの?」

 挑発するように言い放ちながら、右手で近くにあった端末に触れる。

 人質は、オレという世界に二人しかいない人材だ。貴重すぎて涙が出る。

 思ったとおり、軍人たちはオレに対して有効な手段を打てやしない。だからずっとあそこに閉じ込めていたんだろうな。

 おそらく悠美さんは出て来ないだろう。だけどオータムは出てくるかもしれないが……そこは賭けだな。勝てる相手じゃない。電子戦装備の実験機であるもう一機は、まだ未完成で動きそうもないはずだ。

 ……そして、最低の賭けを一つする。勝ってら最悪、負けたらラッキーって感じのものがある。

 色々と頭で考えながらも、右手はスムーズに端末を叩き続けていた。

 さすがリア。事前準備は終えていたようだ。

 あとは悠美さんが持ってきてくれた教本通りにフィッテングとパーソナライズを開始し、起動させる。

 これでこの頼りないISは、オレの専用機だ。

 下半身を囲んでいた装甲が変形し、左腕の装甲が形を変え、幾分かスリムな形になった。

 視界内に仮想ウィンドウが浮き上がってくる。

 機体名はメッサーシュミット・アハト。

 オッケー、とんでもないオンボロだ。エネルギー総量がテンペスタの三割ちょいぐらいしかねえ。

 ただPICは動く。全身を包む皮膜装甲も作動してる。腰の横にある姿勢制御スラスターも大丈夫そうだ。この辺もリアがちゃんと調整してくれたみたいだな。

 即座に待機モードに移すと、それは腰に巻きつく壊れかけの変身ベルトへと変化した。

 その姿にダサいと悪態を吐きながらも、近くにあったIS用キャリーが接続された車に飛び乗った。

 IS学園の整地用車両によく乗ってたからな。これぐらいの車なら、余裕で運転できる。それにこのメッサーよりは足が速そうだ。

 同時に右手でマシンガンを構え直し、固まっていた軍人たちの足元に向けて引き金を引いてからエンジンをかける。誰かの足にちょっとかすったみたいだけど、運の悪さを恨んでくれよ。こっちは急いでるんだ。

 アクセルを全開にして、閉まりかけていた格納庫の扉から飛び出した。サイドミラーに映った軍人の一人が引き金を引こうとしたが、他の隊員に止められる。

 そうそう、こっちにはオレっていう人質がいるんだから、うかつなことをするなよ?

「あばよ、くそったれの軍人ども!」

 吐き捨ててから、直射日光に照らされたアスファルトの上をキャリーで走る。

 目指すはマスドライバー射出機だ。こっちの操作方法も、悠美さんの持ってきてくれた施設関連の教本に書いてあった。

 ホント、至れりつくせりだ。

 そう、たぶん悠美さんはオレがここを抜け出す算段をつけてくれていたのだ。アルミ缶のコーラしかり、ISの教本しかり、マスドライバーの操作方法しかり。

 そして残念ながら彼女の準備が終わる前に、オレは飛び出してしまったというわけだ。

 簪の話題あたりで気付いて、彼女の発言を思い出していけば、不自然なところは結構あった。

 本当に頭が上がらない。可愛くて歌が上手くて気配り上手だ。5つも年上な点を除けば、嫁に欲しいぐらいだ。

 敷地の端にある全長2キロぐらいありそうな、クソ長い鉄橋と繋がった建造物に辿り着く。

 見上げた先に格納庫と同じぐらいの建物が、マスドライバーの制御室だ。

 ここの内部でセッティングして、レールの根元にある小さなステルス戦闘機みたいなカイトの上に乗れば、マスドライバーを利用できるらしい。

 キャリーから飛び降りて、マスドライバー制御室に繋がる、ジグザグに折れ曲がった階段を駆け上がっていった。

 

 

 

 全長2キロ近くあるマスドライバーカタパルトの根元で、左腕と下半身だけのISを展開してから、レール上の黒いカイトに飛び乗る。

 IS一機がようやく乗れるサイズか。うつ伏せになれば丁度、頭を隠すような形になる。これはエアフローを考慮した空力学的デザインなんだろ、たぶん。手元にはバイクのハンドルのような物がある。これで多少のコントロールは効くってことか。

 このマスドライバーは、専用のカイトにISを乗せて、ローレンツ力で射出し一気に加速を得るタイプらしい。つまりはレールガンの代わりにISを打ち出すみたいなもんで、それなりの初速が期待できるし、エネルギーの節約も出来るだろう。

 灯りの少ない空間に、ホログラムディスプレイがカウントダウンを映し出す。

 カイトの下のレールが発光し始めた。それが外の方へと段々と点火されていく。

 マスドライバーによる有人飛行は、ISが登場するまでは諦められていた。何十何百とかかるGに人体が耐えられないためだ。

 だが、ISは人体にかかる加速度を無視できる。

 おかげさまで、こんなマスドライバー射出機が使えるってわけだ。

 こんな技術を飛行機に流用できたら良いんだけど、なぜそうしないかは、篠ノ之束に会ったときにでも聞いてやろう。

 カウントが10、9、8と下っていく。

『二瀬野! てめえ、待ちやがれ! 建物ごとぶっ飛ばすぞ!』

 施設の外からオープンチャンネルで叫ぶ声が聞こえる。

 ようやくオータム様のお出ましらしい。悠美さんが時間稼ぎでもしたのか? グレイスさんって、のほほんさんと同じお付きの人なのかね。

 このマスドライバーの初速はマッハ2に満たない。そしてテンペスタ・ホークの最高速度はマッハ3以上だ。

 さて、オレは賭けに勝てるか否か。

 まあ、大丈夫だろうな、悲しいことに。リアが嘘を吐いてるとは思えなかったし。

「よっしゃ、行くぜ」

 カウントが0に達すると同時に、甲高い電子音の警報が耳をつんざく。

 オレの乗った硬いカイトが急加速を始める。

 仮想ウィンドウ内の速度計があっという間にマッハを超えた。

 カイトのハンドルをしっかりと握って、頭をつける。

 あっという間に桟橋を渡り切って、空中へ躍り出た。

 コースオッケー。目指す地点は決まっている。

 ISの後方視界モニターに、テンペスタ・ホークを身に付けたオータムが見える。

 ……複雑だな、他人が装着したホークを見るなんて。

 一気に加速して、オレを追いかけて来ようとするだろう。

 こっからは賭けだが、まあ、追いつくのは無理だろう。

 ホークの翼は特別製だ。アイツらの言うIWSとやらを患っていない限り、自由に動けない。もちろんマッハを超えるなんて不可能だ。

 世間で言うところのメテオブレイカーが誇る最速の翼は、オレの努力とアイツの性能で出来ていた。

 いくら優れたIS乗りでも、病的な翼など持ってはいない。

 つまり、オータムがこのマスドライバーに追いつけるほどの性能を発揮できないことと、オレのIWSが嘘ではないことはイコールである。

 どんどんと差がついていく。

『クソ、全然スピードが出ねえ!』

 オータムの悪態が聞こえてきた。

 賭けには勝った。つまりオレはやはりIWSを患っており、それゆえにあの性能を出し得たという病人だったわけだ。

 それでも、マッハすら出ていないテンペスタ・ホークが憐れだった。

 今までサンキュー、それとごめんな、ホーク。また機会があったら、きっとお前と飛ぶから。

 オレはテンペスタを置き去りにし、左腕と下半身しかないISに乗って、衝撃波をまき散らしながら目的地を目指した。

 

 

 

 

 

 


















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