ルート2 ~インフィニット・ストラトス~   作:葉月乃継

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20、私とワルツを

 

 

 私こと国津玲美は、これといって特徴のない子だ。

 明るく振舞っても子供っぽく、研究者の両親の元に生まれた割に頭が悪くて、大人っぽくしようと髪を伸ばせば癖っ毛で広がっちゃう。

 ISの操縦だけは得意なつもりだったけど、私より上手い人はたくさんいる。

 その点、幼い頃から一緒にいる二人はすごい。

 理子はいつだって明るい人気者で、みんなを楽しい気持ちにさせてくれる。ISの知識だって凄いし、あの年で研究所のみんなと対等に話してる。

 かぐちゃんこと神楽は、財閥のお姫様で大人っぽくて理知的で仕事も出来る。気配りも聞いて、色んなことに詳しい。

 私はISが上手いだけで、その操縦だって私より上手い子なんていくらでもいる。すぐ落ち込むし子供っぽいし、容姿だって普通だ。理子と一緒にいなかったら友達なんて出来なかっただろうし、かぐちゃんと一緒にいなかったらISにすら乗れてない。

 すぐバラバラになる長い癖っ毛を首の後ろで押さえつけながら、夜空を見上げた。

 梅雨になったら切ろうと思ってたけど、せっかく伸ばした長い髪だし、なかなか踏ん切りがつかないままで夏になった。

 そもそも、何で髪を伸ばしたかと言えば、子供っぽさを無くしたかったから。

 いっつもパパやママにくっついていたら、甘えんぼだと言われた。だから大人っぽくなりたくて、初めて髪を肩から下まで伸ばしてみた。思ったより癖っ毛だったみたいで、想像してたみたいに真っ直ぐは伸びてくれなかった。よく考えれば、最初からわかってたことなのに。

 やっぱり少し頭が足りないらしい。

 私は、私が嫌いだ。いつも失敗してばかりで、何だって自分から転んで台無しにする。

 髪も伸ばしてみたら、癖っ毛で綺麗にまとまらない。

 ISに真剣に打ち込んでみれば、病気にかかって強制ストップ。

 大好きな人の役に立とうとすれば、その人自身を追い詰めただけになった。

 国津玲美の人生は、大事なことばかり、いつだって失敗する。

 

 

 

 

「玲美! どうなってるんだ!」

 織斑君と篠ノ之さんを寝かせた和室の外で、ラウラが私に食ってかかってきた。

「……わかんない」

「どうしてIS学園を出て行った二瀬野が邪魔をするんだ! しかもアハトだと言ってたんだな!?」

「うん、メッサーシュミット・アハトだって言ってたよ」

「クソッ、何でそんな機体で……ワンオフアビリティを発動させたからか? 誰が持ち出した!」

「知らないよ、そんなこと」

 そう吐き捨てると、ラウラが私の上着の襟を締め上げる。その右眼が赤い怒りに震えてた

 だけど、それを見れば見るほど、私は冷めていく。

「ラウラ、やめて!」

 シャルロットが止めに入って、ラウラと私を引き剥がした。それでもラウラは怒りが収まらないようで、

「二瀬野はなぜ、邪魔をしに来た! キサマら四十院は何か知ってるんじゃないのか!」

 と叫んだ。

「知らないよ、何にも」

 言葉に感情が何にも籠らないのが自分でもわかった。

 そう、私は何にも知らない。

「……あの、どうするの? これから」

 四組代表の更識さんが申し訳なさそうに小さく手を上げながら、みんなに尋ねてくる。

 セシリアが手を頬に当てて考え込みながら、

「織斑先生の指示では作戦は失敗、これ以上は何もせずに待機、ただし専用機持ち以外はバスでIS学園に帰等、でしたわね」

 と先ほど受けた指示内容を確認した。

「専用機持ちはなんで残るの?」

 それまで黙っていた鈴ちゃんが小首を傾げて尋ねる。

「銀の福音がおそらく近くにいるからですかしら。一夏さんと箒さんを追いかけてくる可能性もありますわ。旅館の人間も一時退去ですわね」

「ふーん」

「……それにおそらく、ヨウさんがISをつけて、一夏さんと箒さんを狙ってきたということは」

「ああ、目的がわかんないIS操縦者が近くで何かを狙っているってことね。ま、IS同士の戦闘なら海の上の方がマシだし、一夏と箒のことをもう一回狙ってくるかもだし」

「ですわね。専用機持ちだけで迎え撃つということか……迎え撃つという表現が何ともしっくりきませんが……」

 そんなことはしないと思うけど、別に根拠もないし、私は黙って聞いてた。

「ねえ玲美」

 ボーっと話を聞いてた私の肩に、シャルロットが両手を置いた。

「なに?」

「ホントにヨウ君のこと、何も知らないの?」

「知らない」

「……新しく出来た試験分隊に行ってるんだよね?」

「だから私は! 何も知らないの!」

 ついカッとなってその手を跳ね除けてしまう。

 ヨウ君が何であんなことをしたのかも、何を思ってるのかも、何にも知らない。

 鈴ちゃんが肩を竦める。

「ま、アタシたちが追い出したようなもんだし、アイツの行動理由をあれこれ玲美に聞いたって仕方ないでしょ」

 その言葉に全員が押し黙る。

 そこに小さな電子音が鳴った。

「あ、ごめんなさい……わたし」

 携帯電話を取りだした更識さんが画面を見て、すごく驚いた顔をしてた。そのまま少し離れて通話し始めたようだ。

「ど、どうしたの? う、うん、え? うん……そう……それは言えな……わかったよ、うん、ありがと」

 元から小さな声の子なので、ほとんど内容が聞こえて来ない。

 通話を終えるまで、みんな黙り込んで、何か考え込んでいるようだった。

「ご、ごめんなさい……あ、の、その、情報が一つあって」

「何ですの?」

「二瀬野鷹君は……ISを奪って逃走中、だそうです」

「え?」

 みんなの視線が一斉に更識さんに集まった。人の注目を集めるのに慣れてないのか、そのまま縮こまっていく。

「もし、そのこっちに来たら、保護して欲しいって要請が……」

 さらに声が小さくなっていったのは、ラウラの怒りが目に見えて膨らんでいったからだと思う。

「保護だと!? ふざけるな!」

 感情任せで近くの柱を殴る。

「ご、ごめんなさい……」

「相手は誰だ!?」

「それは……言え……なくて」

「クソッ、ふざけるな、と伝えておけ!」

 もう一度、強く拳を柱に叩きつけて、ラウラはどこか行ってしまった。

「アタシもとりあえず部屋に戻るわね」

 鈴ちゃんも冷たく言って、歩いて行った。

 そこからはみんな、バラバラに無言で去っていく。

 誰もいなくなった廊下から、旅館の日本庭園が見えた。私一人が縁側に座って、柱にもたれかかる。

 ヨウ君……どうして、あんなことをしたの?

 私は何も知らない。

 ヨウ君は篠ノ之さんと織斑君を、絶対防御発動まで左腕一本で追い込んで、そのままどこかに飛んでいった。

 ナターシャさんを助けに来たんだと思った。でも、ナターシャさんを助けるだけなら、私たちの邪魔をする意味はないし。

 膝を抱える。

「……ヨウ君」

 何も考えられない。

 さっき海の上で会った、好きな人の顔を思い出した。

 どうして、あんなことをしちゃったんだろ、私たちは。

 後悔しても、何も変わらない。

 ヨウ君がいなくなってから、ずっと泣いてばかりだ。

 涙の水源がなかなか枯れてくれない。

 ヨウ君は、今度も何も教えてくれなかった。

 

 

 

 

 

 タッグトーナメントのときもそうだった。何も教えてくれなかった。

 あの日、真剣な顔で控室から出ていこうとする彼の手を思わず掴んでしまった。今まで見たこともない悲壮な顔をしてたから。

「どこに行くの?」

「ちょっとな。今回は気合いが入ってるんだ」

 誤魔化すように笑ってるつもりなんだろうけど、私にはヨウ君が自分自身を卑下してるようにしか見えなかった。

「みんな頑張ってるんだし」

 そんなことを言わないで欲しい。 

 確かにみんなが、このタッグトーナメントを最初の目標として頑張ってた。

 それはヨウ君だって一緒のはずなのに、なんでそんなに他人事のように言うんだろう。

 すごく不安になった。

 ヨウ君はそれから控室にいるみんなを見回してから、今後は優しく微笑んだ。

 まるで、遠くではしゃぐ他人の子供を見るように。

 そして彼が戻ってきたときに言ったのは、

「オレ、機体損傷が激しくて棄権するわ」

 というセリフと、わざとらしい笑みだった。

 誰がそんなことを信じるんだろう。思ったとおり誰も信じなかった。

 織斑君は怖い顔で、シャルロットは不満げに、セシリアは困惑した様子で、そして鈴ちゃんは怒ってた。

 きっと私も怒ってたと思う。他のみんなも困惑してた。

 どんなことに怒ってたのか自分でもわからなかったけど、とにかく怒ってて、そして悲しくなった。

 メテオブレイカー作戦の後、私と彼は気持ちが通じ合えたと思ったのに。そんな勝手なことを考えてた。

 

 

 

 タッグトーナメントの準決勝で織斑君と戦った後、大勢のの拍手の中で握手をしながら一つ、彼にお願いをした。

「ヨウ君と仲直りできないかな?」

「……ヨウとは別にケンカしてるわけじゃないよ」

「私じゃダメだった。それでも織斑君なら」

「そっか……。ホントにヨウのこと、好きなんだな」

 面と向かって、そんな恥ずかしいことを言える織斑君がスゴいって思った。

「一度、ぶつかってみるよ。声を上げて体ごとさ」

 

 

 

 タッグトーナメントが終わった後、ヨウ君に関係してる子たちが、自然と控室に集まってた。

「ヨウと試合しようと思う」

 織斑君が、みんなの前で言った。

 ラウラが少しため息を吐いた後、

「お前がドイツにいた頃から気にかけてたんだからな」

 と苦笑いを浮かべる。

「ああ。大事な親友……ずっとオレの憧れだったんだ」

「憧れ?」

「そうだ。オレにとって二番目のヒーローだ。最初は千冬姉だけどさ。いつもオレのワガママを聞いて、何とかしてくれるのがヨウだったんだ」

「そうか」

「だから今度こそヨウに近づきたい。ヨウと本気でぶつかり合いたい。そうするのが一番早いと思う」

 織斑君の真剣な言葉を聞いて、セシリアが思いついたとばかりに、一つ手を叩いた。

「では、タッグトーナメントと同じ試合形式でいかがですか?」

「いいな。お互いの機体も損傷してるし、打鉄同士を使えば同じ条件だし」

 そこまで腕を組んで壁に背を預けていた篠ノ之さんが、小さく手を上げた。

「私が立会いたい。門下生二人の試合だからな」

 たしかヨウ君も篠ノ之さんの家の道場で習ってたって言ってた。

 腕を組んで聞いてた鈴ちゃんが、

「アタシも付き合うわよ。二人とも付き合い長いしね」

 と小さく肩をすくめながら参加を表明する。

「ではわたくしも、クラス代表として、二人の試合を見届けますわ」

 セシリアも真剣な顔で申し出た。

「僕もいいかな?」

 シャルロットがまだ憮然とした顔のまま、真っ直ぐ手を上げて言う。

「じゃあどうせだし、気になる人はみんな、見届けようよ。二瀬野君のこと、気になるもん、私も」

 控室のどこかで声が上がった。

「あたしも気になる」 

「観客がないってのも、トーナメントらしくないしね」

「じゃあ全力で迎え入れようよ。二瀬野君のこと、こんなにみんな、気にかけてるんだよって」

 あちこちから声が上がって、一つのイベントが出来上がって行く。

 ちょっと嬉しかった。みんな、やっぱりヨウ君のことを見ててくれたんだって。

 でも隣にいた理子だけが、少し首を傾げてた。

「どうしたの?」

「……ううん、何でもない」

「そう……」

 口ではそう言いながらも、空気に敏感な理子は何かを思案してるようだった。

 少し気になったけど、理子も上手く言葉に出来ないみたいで、それ以上は何も言わなかった。

 ヨウ君はいつも織斑君のことを気にかけてた。本人は意識してないみたいだけど、心配するように目で追いかけてるときが多い。織斑君もさっき言ったみたいに、ヨウ君を尊敬してて気にかけてるみたい。

 二人には、他の人に入り込めない空気みたいなものを感じてて、ラウラやシャルロットもそれをどうにかしたいって思ってる。

 声を上げてぶつかり合うってのは、私にはよくわからないコミュニケーションなのだけど、誰よりも付き合いの長い織斑君がそうしたいって言うなら、間違ってないんだと思う。

 結果として、二人が仲直りしてくれたら、素敵なことだ。私だってかぐちゃんや理子とケンカしたままだったら、悲しいし。

 そうして私たちは深く考えず無自覚に、あの悪夢のイベントを作り上げた。

 

 

 

 

 その二日後の夜、ヨウ君は授業にも出て来なかった。帰ってないかと思って部屋を尋ねたら、ドアが開いたままだった。

「ヨウ……君?」

 恐る恐る中を覗くと、灯りのない部屋の中には、同居人の織斑君だけがいた。ベッドの上で項垂れてる。

 まだ帰って来てない、と思って自分の部屋に戻ろうとしたとき、私はようやく気付いた。

 荷物がない。

 慌てて中に駆け込んで見回すと、ヨウ君の荷物だけが無くなってた。

「……ど、どういうこと?」

「あ、ああ、国津さんか」

 顔を上げた織斑君の顔は疲れ切ってた。

「ね、ねえ! ヨウ君は!? ヨウ君の荷物は!!」

 私が尋ねても、織斑君は小さく首を横に振るだけだった。

 ケータイを取り出して、ヨウ君にコールする。

 だけど流れてくるメッセージは、お客様のご希望によりお繋ぎ出来ませんというメッセージだけ。

「織斑」

 開きっぱなしのドアがノックされて、振り向くと織斑先生がいた。

「ち、千冬姉?」

「織斑先生だ。ほら」

 織斑先生がビニールに入ったIS学園の制服をベッドに投げる。

「お前の予備に使え」

「え? これ……」

「体格はさほど変わらんだろう」

 それだけ言って、歩き去ろうとする。慌てて立ち塞がって

「お、織斑先生、ヨウ君は!?」

 と詰め寄った。

「二瀬野か?」

「は、はい!」

「本人の強い希望により、本日付で退学を受理した。もう退寮済みだ」

「え……え?」

「行き先は機密事項に当たるため、私からは言うことが出来ん。以上だ」

 抑揚なく事実だけを告げて、私の横をすり抜け歩き去っていく。

 私はそのまま、廊下の上に崩れ落ちてしまった。

 

 

 

 

 その噂はあっという間にIS学園中を駆け巡った。

 あの出来事とともに、知らない人がいない事実になってしまった。

 何も考えずに寮の廊下を歩いていると、誰かの肩がぶつかった。

「……ごめんなさい」

 謝りながら顔を上げると、ぼんやりと記憶にある子だった。他にも三人ぐらい連れている。

「なにその顔」

「え?」

「二瀬野君を追い出したんでしょ、アンタたち!」

 肩を掴まれて、壁に押し付けられる。

「痛っ……」

「酷いことするわね。そんなに織斑君が良かったってわけ!? あんな眼帯男に乗り換えるんだ、アンタたち!」

 強い語気で次々と言葉を投げつけられる。髪を掴まれて引っ張られた。

「……なにを」

「あれだけ二瀬野君に良くしてもらっておいて、何なのよ!」

 ああ、思い出した。ヨウ君と何度か話してた三組の子だ。目に涙を浮かべてる。

「何をしている!」

 誰かが声を上げながら走ってきた。

「ああ、篠ノ之さんだっけ。アンタも織斑君と一緒になって、邪魔な二瀬野君を追い出したんでしょ!」

「な、何を言っている!」

「お姉ちゃんに専用機まで貰って、今度は成績の良い二瀬野君を追い出して、織斑と篠ノ之でIS学園を乗っ取ろうっての!?」

「そんなわけがないだろう!」

「じゃあ二瀬野君を連れ戻しなさいよ!!」

 大きな声が廊下に響き渡った。

 篠ノ之さんも、私も何も言えなかった。だって、相手だって泣いてるんだもん。後ろにいる子も泣いてたり怒ってたり。

 騒ぎを聞きつけて、色んな人たちが私たちの近くに寄ってくる。

「絶対、許さないから!」

 私の肩をもう一度壁に叩きつけて、その子たちは去って行った。

 そのまま、ずりずりと床に腰を落とす。

「国津、大丈夫か?」

「え? ああ、うん」

「……すまない」

「別に謝られることじゃないよ」

 私だって共犯者で、あの子も気持ちがすごくわかった。だって、私も同じぐらい怒って泣いたと思うし。

 ヨウ君は人気があった。

 だって、優しくて気さくでISにも詳しくて努力家で前向きで、死ぬような目に遭ってまでみんなを守ってくれるヒーローなんだもん。

 その彼を、私たちが追い出した。そういう構図がIS学園に出来あがってた。

 でも私たちは何も反論がない。だって、その通りだから。

 

 

 

 IS学園は荒れてた。

 寮では一組・二組の子と、その他のクラスの子たちに分かれていた。食堂だって、みんな離れて座ってた。

 色々と意地悪をされた。さすがに表立って暴力を振るってくる子はいないけど、それでも色々とあった。ときには上級生までが私たちに疎ましそうな視線と言葉を向けてきた。

 特に私はあること無いこと言われてるみたい。歩いてるだけで、ヒソヒソと周りが喋ってる。

 でも、何も言えなかった。

 今日も学校が終わって、ヨウ君の部屋のベッドの上で、彼の残した制服を抱きしめて、彼の帰りを待つ。

 いつのまにか眠っていて、起きたら自分の部屋のベッドだった。

 同室のかぐちゃんが、少しだけお小言を言ってくるけど、よく耳に入って来ない。

 食欲もないけど、理子が無理やり口にねじ込んでくるパンを飲み込む。

 促されて立ち上がって着替えさせられて、校舎に向かう。

 教室に入って授業が始まってもヨウ君の席だけが、埋まってくれない。

 

 

 

 それから数日経っても、私はボーっとしてた。

 彼がいるはずだった部屋で、彼の残り香が残っていたベッドの上で膝を抱えて、彼の残していった制服を抱きかかえたままだった。

 何もする気がしない。

 彼が私たちの前から去っていった事実が受け入れられない。

 何度も電話して、何回もメールを送ってみたけども、何の返事もなかった。

 パパたちにヨウ君の行き先を聞いても、誰も教えてくれなかった。かぐちゃんは何か知ってるみたいだけど、どうせ会わせてもらえないからと何も言ってくれない。

 ケータイをベッドの上に置いて、操作するでもなくボーっと見つめていた。

「……国津さん、そろそろ消灯だから」

 誰かの声が聞こえるけど、声を返すのも面倒だった。そのままコテンと横になって、目を閉じる。

 どうして、私たちはあんなことをしてしまったんだろう。

 未来人。

 そんな言葉を残して消えた二瀬野君は、ひょっとしたら本当に私たちと違う存在だったのかもしれない。

 思い出せば、変なこともあった。

 シャルロットと初めて会ったときも、不自然なぐらい驚いてた。

 彼は織斑君の専用機である白式をずっと前から知ってたみたいだった。倉持と四十院のコンペのとき、まだ未発表だった機体だったのに、その名称を呟いてた。

 そしてコアナンバー2237、テンペスタⅡ・ディアブロ。

 ステルス機能を動かすために、私は一度だけその機体に乗った。

 ……思い出したくもない機体だった。

 メテオブレイカーの日、私が試験パイロットとなって完成した機体のセットアップをしてたとき、不思議なことが起きた。

 いきなり眼前を埋め尽くしたエラーウィンドウ群。強制的に形状を変えて行く装甲と推進翼。

 ルート2進行中という文字。2番目の道を進んでるってどういう意味?

 そして隕石の接近を聞いてヨウ君に伝えなきゃ、と思った瞬間だった。何もしていないのにコアネットワークでヨウ君との直結回路を開いたウインドウがあった。

 フタセノ・ヨウという人は、一体何者なんだろうって、その後に思った。

 それを聞く勇気も持てないままに、その姿を見ることさえできなくなった。

 大事なのは何者かじゃなくて、彼が何を思ってたかだったのに。

 

 

 

 

「玲美、もうあの部屋に行くのはやめてと言ったでしょう?」

 何も考えずに寮の廊下をボーっと歩いてた私に、かぐちゃんが怖い顔で言ってきた。

「帰ってくるかもしれないし」

「帰って来ないのよ」

 かぐちゃんが、今までにないぐらい怖い顔をしてた。

「帰ってくるもん。あの部屋、ヨウ君の部屋なんだし」

「……会ったわ」

「え?」

「ヨウさんに会ったのよ。今日。洋上ラボに来てたから」

「ホントに!?」

「7月7日、合宿の日、私たちに会いに来るって」

「ほ、他には?」

「他は特に。でも、元気そうだったわ」

 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ心が軽くなった。

「部屋に帰りましょう」

 優しく諭すかぐちゃんの後ろをついて歩く。

 周囲から、ひそひそと噂をする声が聞こえた。

 まただ。たぶん、他のクラスの子。

 ヨウ君がIS学園を辞めた日から、一組と二組の子は、他のクラスや学年から色々と言われてる。私たちは何も言い返せなかった。言い返しても自分たちを正当化するだけだったし、そんなのは悲しいだけだった。

 でも今日は違った。

 なにあの子、二瀬野君と付き合ってたんじゃないの? 今度は織斑君目当てで入り浸ってるんだって。

 そんな言葉が聞こえてきた。

 そっか、そんな風に思われてたんだ。

 正直、あの部屋にいるときは織斑君のことなんて頭になかった。消えて行く残り香を心に留めるので精いっぱいだった。

 毎日、目が覚めたら自分の部屋にいたから、理子とかぐちゃんが連れて帰ってくれてたんだと思う。

 ……バカだなぁ、私って。まだ甘えんぼだったみたい。

 でも本当にヨウ君が会いに来てくれるなら、何度でも謝って、そして本当に好きなんだってもう一回伝えたい。

 例えヨウ君が許してくれなくても。

 

 

 

「今11時でーす。今日は夕方まで自由行動ですけど、時間に遅れないように旅館に戻ってきてくださいねー」

 山田先生の声が聞こえる。

 私は岸辺から少し離れた場所にパラソルを立てて、頭にタオルをかけて膝を抱えていた。水着も着ずにTシャツとホットパンツのままだった。

 ヨウ君がいなくなってから一週間以上経って、私たちのクラスも表面上は落ち着きを取り戻し始めてる。

 ふと砂浜の一角が騒がしくなってたので、そちらを見れば、今からバーベキューを始めるようだ。

「ラウラ、火を起こしてくれ」

「任せろ」

「おい待てって、なんでISを部分展開する」

「この半分に切ったドラム缶の炭に火を点ければ良いのだろう?」

「いやそうだけど、ISはいらないだろ。得意のサバイバル技術でどうにかしてくれよ」

「仕方ないな」

 どうやら織斑君が陣頭指揮を取ってるようだった。

「一夏、これは?」

「ザックリ切ってくれればいいよ。おい鈴、キャベツ切るのにどうして甲龍がいるんだ」

「え? いや華麗な私の技を見せて上げようかなって」

「そういうのいらねえから。普通に切ってくれ。箒、ちょっと鈴と一緒に頼む」

「わ、わかった、任せろ」

「刀を使うのは無しな」

「わ、わかっている!」

 専用機持ちの子たちが中心になって、どんどんと準備が進んでいく。

「一夏! ちょっと火の勢いが強過ぎるんじゃない!? 炭多過ぎ!」

 向こうではシャルロットが慌てた様子で声を上げてた。

 バーベキュー用に用意したドラム缶を半分に切っただけのコンロから、黒い炭が溢れだしてる。

「わ、悪い。ボーっとしてた!」

「とりあえず燃えてないのから取り出そ?」

「お、おう」

 織斑君もやっぱり本調子じゃないみたい。

「玲美は行かないの?」

 紺色の競泳水着を着たかぐちゃんが私の隣に座る。

「そんな気分じゃないし。かぐちゃんは?」

「私は食材を提供したわ。ヨウさんからバーベキューの準備を代わりに手伝って欲しいと言われたから」

「そう……さすがヨウ君だね」

 あれだけのことをされて出て行ったというのに、織斑君のことを気にかけてる。

 きっと織斑君もそれがわかってるから、バーベキューをしてるんだろうな。約束とか言ってたし。

 だけど、それに私が参加したいかは別。

「ねえテンペスタ・ホークが」

「言わないで」

 かぐちゃんが洋上ラボでヨウ君と会った次の日、私はママからテンペスタ・ホークが封印されたって知った。

 原因は、搭乗者の心身の健康状態に問題ありだった。

 信じられなかった。パパに聞こうにも連絡が取れない。ママも居所を知らないみたい。

 パパだけじゃなくって、岸原のおじさんや四十院のおじさんもいなくなったらしい。

 何か変だ。

「あっついなー」

 黄色のセパレートの水着を着た理子が私たちのところに戻ってくる。

「おかえり」

「おかえりなさい」

「ただいま」

 そう言って、理子はかぐちゃんから差し出されたスポーツドリンクに口をつける。

「ぷはっ、生き返るー」

「どこ行ってたの?」

「バーベキューの食材を積んで流れてきたボートを隠しにね。あとはリベラーレの装備受け取りを」

 IS学園の合宿は基本的に部外者参加が禁止だけど、専用機の装備だけは色んな陣営が海から無人で送ってくる。理子はそれの受け取りに行ってたみたい。カートごと旅館の方に詰み込むから、人手はいらないし。

 ドリンクを半分ぐらい一気飲みしてから、理子は私を挟んでかぐちゃんの反対側に座る。

「ねえ、かぐちゃん」

「なにかしら?」

「研究所の方、何で誰もいないの? お休み?」

 研究所っていうのは、郊外の丘陵地帯にある四十院研究所本社のことだ。

「ええ。今はラファールも洋上ラボに行ってるから、余剰人員は有給を取ってもらったわ」

「洋上ラボは動いてるんだ」

「そうよ」

「あー、うちのオヤジ様もどこ行ったんだか。くそぅ、とっちめてやろうと思ったのに。玲美のおばさんも知らないんだよね?」

「うん、知らないって。ママも呆れてた。でも大学時代はよくあったらしいよ、ママ曰く」

 うちのママもパパと同じIS研究者で同じ職場だけど、パパと連絡が取れなくて困ってた。

 何かが起きてるのはわかる。でも、私たち子供には何にもわからなくて、すごく気持ち悪い。

 ヨウ君、大丈夫かな……絶対に落ち込んでるよね。

 そう思えば、私たち三人は誰もはしゃぐ気にはなれない。

 神楽も理子もそれぞれ端末を操作しながら、色々と仕事をしてるみたい。理子なんて胡坐をかいて、頭をガシガシとかきながら眉間に皺を寄せて、端末を荒っぽくタッチしてる。

 こういうときは、ISに乗るしか脳がない私は出来ることがほとんどない。

 仕方なくボーっと海を見てる。

「はい」

 目の前に櫛に刺さったお肉と野菜が差し出された。

 顔を見上げると、鈴ちゃんだった。

「ありがと」

「玲美、で良いんだっけ」

「うん」

「……ったく、あのバカ、どこで何してるのやら」

 鈴ちゃんなりに気を使ってくれたみたいだった。

 ブツブツと呟きながら、またバーベキューコーナーに戻って行く。

 明日は7月7日。

 ヨウ君が会いに来るって言ってた。

 今日はよく寝よう。明日、ちゃんと彼を見ることが出来るように。

 そう思いながら、少しコゲたタマネギに噛みついた。

 

 

 

 

 7月7日、11時過ぎ。

 一年の専用機持ちが緊急招集され、旅館の一角にある広めの客室に集まっていた。

 畳の部屋の真ん中には携帯端末からホログラムディスプレイが映し出される。全員がISスーツのまま、それを囲んでた。

 銀の福音、つまりアメリカで会ったナターシャさんの機体が暴走したらしい。中にはナターシャさんが乗ったままみたい。

 よりにもよって、こんな日に……。

「衛星軌道上のアラスカ条約機構宇宙軍のISにより、機体を超望遠レンズで捕捉、コースを算出した結果、ここから数キロ先をかすめて紀伊半島上空を通過し、関西から中部地方を通りぬけ、最終的には中国南部方面へ向かう可能性が高い。そこで我々に出された指令は、この暴走ISを可能なら撃墜、可能でなくとも本土に上陸させないようにすることだ」

 無茶苦茶な指示だと思った。

 ラウラと織斑君が視線を交わして、頷き合う。二人は何か知ってるみたい。

「作戦としては、高機動機による一撃離脱。無理はしなくていい。失敗しても、後詰に横須賀に新設された国際IS委員会の試験分隊がいる」 

 その言葉に、思わず反応してしまう。

 かぐちゃんから聞いた、ヨウ君のいる部隊だ。

 ヨウ君が出てくる? ううん、ヨウ君はホークがないから、出て来れないはずだし。

 私があれこれ考えているうちに、詳細は詰められていってるようだ。手に持ってた端末に、銀の福音のデータも送られてた。

「では、作戦の担当は」

 織斑先生が私たち専用機持ちを見回す。

 それから、少し低いトーンで、

「作戦は織斑と……国津、二人が先行する」

 と私の名前も告げた。

「……どうして私が?」

「お前のテンペスタⅡが、この中で一番速度が出るからだ。テンペスタⅡにより予定ポイントまで搬送、ランデブーと同時に白式の零落白夜で攻撃し離脱」

 確かにヨウ君がいない今では、同じ系統の推進翼を使ってる私かシャルロットが適任かもしれない。

 でも、それでもヨウ君のように軽々とマッハを超えることが出来るわけじゃなくて、充分な加速からのイグニッションブーストで、やっとマッハに届くか届かないぐらいだ。

「セシリアかシャルロットではダメでしょうか?」

「不服なら、オルコットにやらせる」

「じゃあオルコットさんでお願いします」

 ヨウ君が来るかもしれないのに、ここを離れる気なんてしない。

「では国津は二人に同行して近くで待機、二機がエネルギーを使い果たした場合は、回収して戻って来い」

「私は正式な専用機持ちではないので、辞退したいんですけど」

 借り物をしてる時間が延長してるだけで、代表候補でもないし。

「やる気がないなら構わん。出て行け。あとデータは消せ」

「了解です」

 織斑先生の言葉に従って端末を操作してから、障子を開けて出て行こうとする。

「国津」

 ラウラが声をかけてきた。

「なに?」

「二瀬野の代わりに参加してもらう、というわけには行かないか」

「ヨウ君の? どういうこと?」

「今回の作戦は失敗するわけにはいかない」

 そう言って、チラリと織斑先生を見るけど、先生は何も表情を変えなかった。

「残念だけど」

「……本来なら、誰よりも速いあの男がいれば良いんだが、我々はこの様だ」

 でもそれは、私たちで犯した間違いだ。不利益があるなら被るべきも私たち。

「やる気がない人が参加するよりはマシ」

「聞けば、お前は銀の福音も見たことがあるという」

 確かにナターシャさんの機体はアメリカで見たことがある。外から見ただけでもすごい機体ってわかったし、パイロットの腕もすごかった。あれに勝てるのは、世界でもそんなにいないと思う。

「それが? 実際にその機体と模擬戦を行ったのはヨウ君だけだし、私たちは見てただけ。何の役にも立たないと思うけど?」

 ヨウ君がいれば、この作戦だって成功確率が上がったと思う。でも無い物ねだり。

「今回の作戦は、どうしても失敗するわけにはいかない」

 織斑君が立ち上がった。

「どうして? 試験分隊がいるんだよね?」

「そこに任せるわけにはいかないんだ」

 何を言ってるかわかんない。他の人がやってくれるっていうなら、そっちに任せちゃえば良いのに。

 私と織斑君が無言の視線を交わしていると、ガタガタって音が天井から聞こえてきた。

「とう!」

 いきなり天井の板が外れて、女の人が降りてくる。

「やあやあやあやあ、ちーちゃんお困りだね、困ってるね、コマンタレブーだね?」

「……誰か、摘まみ出してくれ」

 呆れたような困ったような顔の織斑先生に、篠ノ之束博士がすがりついてた。

「待って待って待って、ちーちゃん待って! ちょっとこっちも時間ないから、色々と! で、高機動機体が欲しいんだよね?」

「どこから聞いてた?」

「いやもう最初っからさー、わかってるくせにーウリウリ」

「時間がない。用がないなら出て行け、用があっても出て行け」

「ひどい! って、そんなことしてる場合じゃなかった。紅椿の展開装甲をちょいちょいといじれば、マッハ2ぐらいまでは大丈夫さー」

 全員が驚いてるけど、私からしてみたら今さらマッハ2でどうとか……。ISの世界最高速は、テンペスタ・ホークがメテオブレイカー作戦でマークしたマッハ3オーバーだし。

 冷めた目線で見つめる私をよそに、みんなは部屋から出て、中庭で色々と作業し始めた。

 どうにも篠ノ之さんの紅椿をいじったら、簡単に高機動機になるらしい。IS自体に興味がないわけじゃないけど、私が出なくて良いなら別に何でもいいや。

 みんなを尻目に、廊下を歩いて自分の部屋に戻ろうとしたところに、またラウラと織斑君が近づいてきた。

「さっきの話の続きだが」

 立ち塞がる小さなラウラ。

「紅椿で送るんでしょ? 私は必要ないと思うけど」

「先ほどと同じように、二番目の部隊として同行して欲しい」

「だから、何で私?」

「……正直、苦戦は免れないと思うからだ」

「だったらセシリアかシャルロットだけでいいじゃない」

「オルコットはまだ良いが正直、高機動戦になると我々だけでは厳しい。相手もマッハ2で航行可能な機体だ。その点、四十院の高機動機体になれているお前なら、確実に戦力になる」

「別に逃がしたって、他の部隊がいるんでしょ?」

「どうしても我々が作戦を成功させなければ、マズい。織斑教官はああ言ったが、かなり状況が……」

 詳しくは話せないのかな。ラウラがどんどん言葉を濁し始める。

 そこへ織斑君が、

「お願いだ。協力して欲しい」

 と近寄ってくる。

「もちろん俺も成功できるよう頑張るけど、確率は少しでも上げたいんだ」

 そう言って、チラリと織斑先生の方を見る。

「言いたいことはそういうこと?」

「……この作戦だけは絶対に成功させたい。そのために、国津さんの力が必要なんだ。こんなこと言える義理じゃないのはわかってる」

 真剣な顔つきの織斑君の横で、ラウラも似たような顔をしてた。二つの目が私にすがるような目をしている。

「ラウラ」

「何だ?」

「どういうこと?」

 私だってそこまでバカじゃない。広域せん滅用の強力なISと戦うのに、何も知らずにというわけにもいかない。

「……国際IS委員会が二つに割れている。簡単に説明すれば、IS学園側と新しい試験分隊側だ。今まで色々と無理なことを通してきたせいで、織斑教官はかなり矢面に立たされている。失敗すればいくら織斑教官と言えど理事長副理事長ともに解任、IS学園もどうなるかわからん」

「で、その心は?」

「……わかった。正直に話そう。四十院はどちらかといえば試験分隊側だ。だからこそ、今ここでIS学園側で結束して事態の収拾に当たりたい」

 IS学園は今、二つに割れている。例のヨウ君の退学問題を発端としてるみたい。

 織斑先生もその監督責任を取らされていると思う。他にも色々と政治的問題が絡んでるって、かぐちゃんも言ってた。

「でもそれだって全部、私たちの責任じゃないかな?」

 自分の声と思えないぐらい冷たい声だった気がする。

 織斑君は私の言葉を聞いて頭を垂れた。だけどすぐに顔を上げ、

「アイツがいつでも帰って来られる場所にしておきたい」

 と真剣な目をする。

 それを言われたら、私の心も揺らいでしまう。

「千冬姉を守りたい。ここで千冬姉を守ることが、今までのIS学園を守ることにも繋がるんだ。だから、この作戦は可能な限り成功率を高めた状態で挑みたい。時間もないんだ」

 ラウラが私の手を取って小さくて白い両手で握ってきた。

「国津……いや玲美、お前もIS学園の、同じクラスの一員として、我々の仲間として作戦に当たって欲しい。せめて私たちがIS学園を守らねばならない」

 今日は二瀬野君が会いに来ると言った日だけど、どのみちこの事態が収拾されないと、この旅館にも近づけないだろうし……。

 嫌なことは早く終わらせたい。

 試験分隊に対しては、いきなり何も言わずにヨウ君からホークを奪ったパパたちへの反抗心もある。

 何よりヨウ君のいたIS学園を守るという言葉は、私を動かすエネルギーになってしまった。

「……わかったよ」

「いいのか!?」

「うん……その、出来ることは少ないかもしれないけど」

 自信なさげに言う私の空いていた手を、織斑君が握って持ちあげた。

「ありがとう! 本当に! 国津さんの実力がわかってるし、頼りになる!」

「あ、う、うん……」

 ラウラがジロリと織斑君を睨むと、慌てて私の手を離した。

「えっと、あ、ご、ごめん」

「ったく。まあいい。私からも感謝を。玲美」

「わかったよ、頑張る」

 私は少しだけ笑顔を浮かべた。

「えっと国津さん、ありがとう」

 ばつが悪そうにお礼を繰り返してくる織斑君に、ラウラが大きなため息を吐いた。

「仲間なのだ。ファーストネームで良いだろう。お前は近しい人間をファーストネームで呼ぶ癖があるしな」

「わかった。じゃあ玲美……さん。よろしく!」

 さん付けは正直、背筋がムズムズする。そんなふうに呼ぶ人なんて、ほとんどいない。

「呼び捨てで良いよ。ヨウ君だっていきなり呼び捨てしてきたし」

「わかった、よろしく! 玲美!」

 

 

 このときの私は、本当にバカなんじゃないかな。

 自分のやったこともわからずに、何も疑わずに、全部が元に戻るときが来るって、信じてた。

 でも、変わってしまった物は、元に戻るなんて有り得ないって、三十分後には思い知らされることになる。

 

 

 シャルロットとセシリアの三人で、先行した二人にかなり遅れて戦闘区域に向かっていた。

 戦況はまずいみたい。ファーストアタックに失敗し、そのまま戦闘になったらしい。

 作戦に参加してる全員が、通信チャンネルを共通化してる。それで、二人の様子はわかった。

 焦っている二人の声が流れてくる回線から、信じられない言葉が聞こえた。

『タカ!?』

 篠ノ之さんがタカと呼ぶのは、この世界でただ一人、ヨウ君だけだ。耳を疑い、声を潜めて次の言葉を待つ。

 破砕音が聞こえ、篠ノ之さんの悲鳴が流れてくる。

「箒さん!? どうしたんですの!?」

「一夏! 一夏!?」

 横の二人が慌てて通信を求めるけど、向こうの二人はそれどころじゃないみたいだった。

『ど、どうして……タカ……』

 もう一度、その名前が呼ばれた。

『……ヨウ、お前!』

 織斑君がその名前を叫んだ。

 次の瞬間、私の推進翼が加速を始めていた。

「玲美さん!? お待ちに!」

 制止する声を置き去りにして音速を超え、衝撃波をまき散らし、愛しい人の元へ少しでも速く。

 会って何を言うか。

 言葉より今は、その顔が見たい。

 

 

 そう、ヨウ君は約束を守ったんだ。

 7月7日の七夕に、海の上で好きな人と再会した。

 彼は翼さえ奪われて、左腕と脚しかないISを装備して、私たちの元へと会いに来た。

 私たちに敵対する形で。

 

 

 

 

 

 作戦は失敗に終わった。

 織斑君と篠ノ之さんはヨウ君によって絶対防御発動まで追い詰められ、今は昏睡状態だった。

 しばらくボーっとしてた私だったけど、もう作戦が終わったなら、ここにいる意味もない。

 更識さんの話からして、あのボロボロのISは奪ったものみたい。ということは、彼は犯罪者なんだ。

 ヨウ君だって、ここに来るわけじゃない。

 帰ろう。

 のそのそと立ち上がって、フラフラと廊下を歩く。

「玲美?」

 声をかけられて声を上げると、理子とかぐちゃんが立っていた。

「どうしたの? 酷い顔」

 理子が駆け寄ってきた。

「ヨウ君が……」

「え? ど、どうしたのよ?」

 見慣れた顔を見た瞬間に、目が潤んでしまった。

 私より小さな体に思わず抱きついてしまう。

 そして、ヨウ君が姿を消してから初めて、大声を上げて泣いた。

 

 

 変わってしまったのは、私たちのせい。

 もう戻らない。

 私たちはヨウ君を追い出して一人にし、彼は罪を犯して戻れない場所まで行ってしまった。

 だから、もうあの楽しかった頃には戻れない。

 

 

 旅館の自室に帰って、ISスーツのまま布団の上で横になってた。

 ちらりと時計を見れば、あれから二時間ぐらい経ってる。

 同じ部屋で、理子とかぐちゃんがバタバタと動いてた。

 私は目を閉じて、せめてこれだけは変わらないようにと、一番幸せだったときを思い出を瞼に浮かべる。

 

 

 

 

 今から数週間前、メテオブレイカー作戦がギリギリの成功に終わった後の話。

 私こと国津玲美は、IS学園の医務室に運びこまれた彼の元へ、お見舞いに訪れていた。

 洋上ラボにいた私たちに向かって落ちてきた隕石。それを破壊して全てを守ったヒーロー『二瀬野鷹』は、医務室のベッドで静かな寝息を立てていた。

 どこにもケガは残ってなさそうで、ホッとした。絶対防御が発動するほどのケガを負ったと聞いて、気が気じゃなかったけど、無事で本当に良かった。

 思わず零れ落ちそうになる涙を拭ってから、そっと彼の眠るベッドに腰掛ける。

 恐る恐る頬に触れてみた。少しくすぐったそうにした彼を見て、思わず笑みが零れ落ちる。

「ありがとう、ヨウ君。大好きだよ」

 小さく呟いてから、彼の頬をもう一度撫でる。その暖かい肌が気持ちよくて、思わず何度も撫でてしまった。

「さすがに触り過ぎだろ」

 いきなりパチリと目を開けて、彼が笑いながら上体を起こす。

「って、起きてるし!」

「そりゃ起きるだろ」

 うわー……すごい恥ずかしい……。

「ど、どっから起きてたの?」

「……悪い、最初っから」

「も、もう! 起きてるなら言ってよね!」

 照れ隠しに怒ってから、思わずプイッと顔を逸らしてしまう。それでもチラリと彼の顔を横眼で見ると、優しげな眼で、

「みんな、無事だったか?」

 と尋ねてくる。

「う、うん。洋上ラボには被害なし。みんな、すごい感謝してたよ」

「国津博士の機体のおかげだな。それに、作戦に参加してた他のみんなも頑張ったよ」

 こともなげに謙遜しながら、ヨウ君が大あくびをして背筋を伸ばしていた。

「う、うん。感謝だね」

 そんなに謙遜しなくても良いのに、と思った。

 パパ曰く、テンペスタのレーザー射撃がなければ甚大な被害が出て、私たちも生きてなかっただろうって話だった。

 もう二回も命を救って貰っているヒーロー、それが私の中の二瀬野鷹君だ。

「それに、お前が無事で良かったよ、本当に」

 彼はそう言って、私の頭をポンポンと撫でてくれる。そして少しだけ、髪をすくように指を動かしてから手を離した。

「え、えっと私の髪、あんまり綺麗じゃないし、その」

「そんなことねえよ。オレは好きだぜ。お前、いっつも気にして押さえつけてるけど、似合ってるし」

「で、でもかぐちゃんとか、その、篠ノ之さんとかみたいに真っ直ぐで綺麗な髪だったら」

「神楽はわかるが、何で箒……だから箒は一夏のことが好きなんだっつーの。オレは何とも思ってねーって」

「だ、だってヨウ君、結構気にかけてるし……」

「そりゃまあ昔馴染みだけど、深い意味はねえよ。アイツはぼっちで悪目立ちしてるから気になるだけだって」

「む、むぅー」

「変な声出すな」

 私たちを見る目はいつも優しくて、私は彼が大好きだった。

 でも時々、遠い目をして篠ノ之さんや鈴ちゃんなんかを見てるときがあるし、セシリアやシャルロットなんかにも同じような目を向けてる。外人好きっぽいしなぁ……。

「あ、あのね、ヨウ君」

「ん?」

「え、えっとね、前のISショーのときもそうだったし、今回も助けてもらって、ホントに感謝してるんだ」

「おう、どういたしまして。でもまあ、気にすんなよ」

「気にします! だって命の恩人だよ!?」

「まあ……無事で良かったよ。研究所のみんなも」

「うー……体は大丈夫?」

「何ともねえよ。良く眠って絶好調だ」

 絶対防御を発動するほどの事態だったのに……。

「え、えっとね、ヨウ君。あんまり無茶しないでね」

「無茶できるほどの技能がねえ……」

 ガックリと肩を落とすヨウ君は、確かにIS操縦が上手くない。

 だけど、推進翼関連の操縦だけは別格だった。彼とテンペスタ・ホークは本当に鷹みたいに空を飛ぶ。

「……え、えーっと」

「ん?」

「あの、その」

「おう?」

「え、えっと、何でもありません」

 自分でも何を言おうと思ったのかよくわからず、赤面してうつむいてしまった。

 ベッドに腰掛けて背中を向けてる姿勢だから、彼からは紅潮した頬は見られてないはず……。

「それじゃ、もうちょっと寝るわ」

 大あくびをしながら、彼がベッドに倒れ込んだ。

「うん、それじゃあね。おやすみ」

「おう、おやすみ」

 彼が目を瞑ったのを確認してから、私はベッドから降りる。

 もう、ヨウ君ってば、起きてるなら最初っから言ってくれれば良いのに。

 ……うん? 最初っから?

「ってヨウ君!?」

「おう!?」

 びっくりした様子で彼が飛び起きた。

 というか、ビックリしたのはこっちだよ!

「な、何か聞こえた!?」

「何がだよ?」

「え、えっと、私が言ったこと」

「……何の話だ」

 気まずそうに布団の中に戻って、わざとらしく寝返りをうって背中を向けてきた。

 その態度でわかってしまった。

 絶対に聞かれてた! 大好きだよって言っちゃったの、絶対に聞かれちゃってる!

 う、うわー……。

 思わず両手で頬を隠そうとしたけど、頬どころか顔中が真っ赤だよね、今!

「ね、寝てたから、お、起きてたのウソだから、で、だ、大丈夫」

 カミカミで答えてくるヨウ君の態度で、恥ずかしさが増してしまう。

 心臓が飛び出そうなくらい脈打ってるのがわかる。

 く、くぬ、ここで言うつもりはなかったのに……。

「よ、ヨウ君!」

「へ、へい」

「こっち向いて!」

「へ、へい……」

 恐る恐るといった感じでこっちへ顔を向ける彼は、マズいことしたー! って顔をしてた。

 正直な話をすれば。

 私は二瀬野鷹君のことが大好きすぎて、独占したい。

 会ってから三カ月も経ってないけど、こんなにパパママ以外を好きになると思ってなかった。

 でも、彼は世界にたった二人しかいない男性操縦者で、私がどうにか出来る人じゃない。

 いつもは気さくで普通の高校生で、ちょっと大人びてて優しい普通の男の子だけど、彼は普通じゃない。私なんかが独占できる相手じゃない、みんなのヒーローなのだ。

 そんなことを今さらながら思い出して、顔の熱が冷めていく。

 私だけじゃなくって、色んな子がヨウ君を好きだって知ってる。

 理子は何でも詳しくて、元気で気が利く楽しい子だ。

 かぐちゃんこと神楽は、大人びていてスタイルも良くて仕事も出来る優しい子だし。

 だけど私こと国津玲美は、どこにでもいる平凡な女の子でしかない。特技もISの操縦がちょっと上手いだけで、そのIS操縦だって、もっと上手い子が沢山いる。

 他の二人が彼のことを好きなのかは確認したことないけど、周囲を見回しただけでも自分よりステキな女の子が二人もいる。

 そう、自分は彼と釣り合わない普通の女の子でしかないんだ。

 だから、ずっと黙ってた。でも今日はつい漏らしてしまった。

 沈黙が長くなるたびに、私はどんどん落ち込んでいってしまう。

「今は、誰かと付き合ったりできないんだ」

 ヨウ君がゆっくりと起き上って、小さな声で呟いた。

 やっぱり断られた。

 そうだよね……やっぱり。

「でも」

 彼は言葉を続けてくれる。

「メテオブレイカー、最後にお前の声を聞いて頑張れた。だから、もし誰かと付き合えるようになったら、お前が良いな、とは思う」

 驚いて顔を上げると、そこにはちょっと恥ずかしそうに笑っているヨウ君の顔があった。

「え? え?」

「悪いな、こんな返事しか出来なくて。もしそのときが来たら、オレからもう一度、言うよ」

「よ、ヨウ君!?」

「ま、まあそういうことで。寝るわ。あ、そんときに他に好きなヤツ出来てたら、断ってくれていいから」

 最後は早口でまくし立てながら、彼は再び布団を被って私に背中を向けた。

 え、えーっと。

 どうしたら、えっと、どんなことを言えば……。

「と、とりあえず、ありがとう?」

「お、おう。おやすみ」

「えっと、おや……すみ」

 私の言葉が切れると、彼はわざとらしい大きないびきをかきはじめた。

 その様子につい笑ってしまった。

 よくわからないうちに保留されちゃった気もするけど、すっごく良い返事がもらえた気がする!

 とりあえず、あれがが私たちの精いっぱいだった。

 

 

 

 

 あのときの幸せな気持ちをもう感じることは出来ない。そう思って体が震えた。

 会いたい、という気持ちが積み上がって行く。

「玲美、あんまり寝てると髪の毛に変な癖つくわよ」

 かぐちゃんがし優しげな声で注意してくれる。

 元々は大人っぽいかぐちゃんに憧れて伸ばし始めた髪だった。

「ねえ、かぐちゃん」

「なあに?」

「ヨウ君は、何で……あんなことしたのかな」

「……それはさすがにわからないわ」

「ナターシャさんを助けに来たなら、一緒に戦えば良いのに」

「だったら、そうじゃないんでしょう」

 かぐちゃんも困惑してるようだった。

 目的が何もわからない。

 まるでこんな出来事が起こるって知ってたみたいに、ヨウ君は7月7日を指定してきたんだ。最初から、私たちと敵対するために。

「玲美、ヨウさんは、ボロボロのISで来たのね? どうだった? 性能とか」

「……うん。メッサーシュミット・アハトっていうやつ。左腕と脚しかなかったし、スラスターは腰に小さいのがあるだけ。でもパワーはすごかった」

「すごいわね、そんなISで二機も。大戦果じゃない」

「……そうだね」

 かぐちゃんは少し考えた後、手に持った端末を操作し始めた。

 その様子をボーっと眺めてるだけで、私の体からは何も力が湧かない。

 このまま消えてしまいたい。

 時間が戻ってくれたら、絶対にあのときの私を止めに行くのに。

 変わってしまったのものは、もう戻らないんだ。

「未来を、変えに来たのかもしれないわね」

 かぐちゃんがポソリとそんなことを呟いた。

 ストンと、何かが胸に落ちた気がした。

 今まで何にも気にとめてなかった、ヨウ君の言葉『未来人』。

 未来人かぁ。

 小さな笑いが零れ落ちる。

「どうしたの?」

「だって、未来人なのに、あんなにあたふたしたり、IS下手だったりして、もう少しスマートにさ」

「出来ないのがヨウさんらしさかもしれないわね」

「そうだね。真面目だし、頑張り屋で……」

 もちろん、そんな言葉を本気で信じてるわけじゃない。

 でも、ヨウ君は私を二度も助けてくれた。

「ねえかぐちゃん」

「なあに?」

「ヨウ君のこと、好き?」

「ええ好きよ」

「……やっぱそっか。ねー理子ぉー」

 少し離れた場所で荷物を漁ってた理子に呼びかける。

「なにー?」

「ヨウ君のこと、好きー?」

「そりゃ好きだよ。愛してるって言ってもいいネ」

 声を上げて、あっけらかんと笑う。

 何だかんだで結局みんな、彼のことが好きなんだ。

「ヨウ君の良いところゲーム、いぇーい」

 低いテンションのまま、リズム良く言ってしまう。

「なにそれ」

「じゃあ私からー。変なメガネが似合う」

 私の回答に、理子が笑いながら、

「次あたしねー。言葉使いが昔の不良っぽい」

 と乗ってくる。

 それを聞いて、私も笑ってしまった。

「はい、次かぐちゃん」

「んー、そうね。じゃあ、ついポロリと本音を漏らしてしまうところ」

「あー料理事件かー」

「まだヨウさんには実験台になってもらわないと。不味いとまで言われたのだし」

 私たちは遠慮して言えなかったけど、かぐちゃんの作る料理はどっかおかしい。味覚の守備範囲が広すぎる気がする。その上で普段は食べられない味を組み立てるから、普通の人には有り得ない味になるんだと思う。

「次、玲美ー」

「んー、器用な振りして、実は不器用なところー」

「じゃ、あたしね。あんな外見なのに義理堅い」

「あるわね。じゃあ私よね。えーっと、意外とため息が多い」

「あ、私も思ってた!」

「あたしも!」

「次、玲美ね」

「んー、カッコいい?」

「はいダウトー」

「それはちょっと……」

「え、カッコいいよね?」

「んー。雰囲気イケメン? 玲美のパパの方がカッコいいと思うけど?」

 理子が失礼なことを言う。本人が聞いたら『うっせ』とか言って拗ねちゃいそう。

 おっかしいなー、私はカッコいいと思うのに。

 ……そうだよね。

 ヨウ君はカッコ良かった。アメリカでIS強盗に捕まったときも、真面目に練習してるときも、ずっと。

 そして、思い出せばついさっきも。

「……やっぱりカッコいいや。好きだ」

 結局、女の子なんてこんなもの。

 もう一度、髪を撫でて欲しい。

 ヨウ君のカッコいいところを見たい。

 会えないから余計に、今まで手に入ってたものが恋しくなる。

 やっぱり甘えんぼの乙女なのだ、私は。

「盛り上がってるところ悪いんだけど、カッコ良くはないでしょ?」

 私たち以外の声が聞こえてきたので振り返ると、鈴ちゃんが障子を開けて入ってくる。

「えー? カッコいいよー」

「目が悪いの、アンタ……」

「あ、鈴ちゃんは織斑君大好きだもんね」

「ちょ、べ、別にアタシはあんなヤツ……」

「赤くなったー!」

「う、うっさい。段々ヨウに似てきたわよ、アンタ! ってそんなことをしてる場合じゃなかった。ラウラが呼んでる。ついてきて」

「ラウラが? 何だろ? ちょっと行ってくるね」

 立ち上がって、鈴ちゃんについていく。

 よし。

 どこにいるかわからないけど、ヨウ君に会いに行こう。

 何をするか知らないけど、ヨウ君がカッコいいなら、それでいいや。

 元に戻らないものを嘆いても無駄だ。だけど私が頑張れば、もう一回ぐらいはカッコいいヨウ君を見れる。

 もうちょっと頑張れば、二回ぐらいは行ける。

 仕方ない。会いたい気持ちは、止まらない。

 

 

 

 ラウラが泊っている部屋に集まった私たちが、お互いの顔を見合わせる。

「これで全員だな」

 呼び出した本人が、部屋にいる子たちの顔を見回す。

 織斑君と篠ノ之さん以外の専用機持ち全員が集まっていた。織斑先生と真耶ちゃんはいないみたい。

「私から頼みがある。これから、銀の福音を倒しに行くのを手伝って欲しい」

「え? それは」

「織斑教官には内緒でだ。許していただけるはずがない。ましてや、教官本人のためなど聞けば、殴り倒してでも止めに来る」

 そう言ってシニカルにラウラが笑った。

「これは、これからのIS学園を守るための戦いだ」

 少佐っぽい感じで、ゆっくりと喋り始める。

「失敗すれば、世界的なIS情勢は一気に傾く可能性もある。おそらく織斑教官と理事長たちは更迭され、IS学園は必要のないものとされ、新設された試験分隊が先導していく形になるだろう。かなり強力な部隊を作るつもりらしいからな。だが」

 そこでちょっと間を取ったあと、隣に座っていたシャルロットと視線を合わせた。

「このままだと、僕たちだってIS学園から外されちゃうかもしれない」

 その言葉に、セシリアが神妙な顔で頷く。

「ですわね。男性操縦者が分かれ、必ずしもIS学園にいる必要が出てくるわけではありませんもの」

 私はシャルロットたちの言い分を聞いて、おかしくて思わず笑みが零れてしまった。

「どうしたんですの?」

 自分のことをバカにされたと思ったのか、セシリアが少し不満げに怪訝な目を向けてきた。

「だって、なんでそんな遠まわしに言うのかなって。織斑君と離れたくないから頑張るって言えば良いのに」

「なっ!?」

「隠し事はナシナシ。別に良いと思うよ、それで。私たちは乙女なのです」

 シャルロットとセシリアの頬が赤くなっていく。わっかりやすいなぁ。

「で、関係なさそうな更識さんは?」

「みんなが行くっていうなら……ちょっと気になることも……ある」

 申し訳なさそうに、語尾が消えていく。

「鈴ちゃんは?」

「アタシ? うーん。別に付き合っても良いんだけど」

 あぐらをかいてた鈴ちゃんが、腕を組んで言い淀んだ。

「あれ? どうしたの?」

「ううん、正直、IS学園がどうなるかって言われると困るんだけど……本国よりは日本にいる方が性に合ってるし。まあ参加はするわ」

 それを聞いて、ラウラが眼帯を正してから頷いた。

 まあ、みんなそれぞれに考えがあるなら、思ったとおりに動けば良いんだと思う。

 でもま、私は織斑ガールズというわけでもないし、好きなようにさせてもらおう。とりあえずかぐちゃんと理子に相談かな。

「目標の位置は私の方で捕捉済みだ。鈴」

「ん? なあに?」

「お前は旅館に残ってもらって良いか?」

「アタシ?」

「二瀬野が来てる。何をしでかすかわからん。念のため、旅館に残る教官と一夏たちの護衛に残ってほしい」

「いいわよ」

 意外にもあっさり了承した。そういう地味なことは断るかと思ったけど。

「では私と部隊側で考えた作戦概要をそれぞれの端末に送る。15分後、旅館の入り口に集合で良いな? くれぐれも織斑教官や他の生徒に悟られるなよ」

 ラウラの言葉に、全員が神妙に頷いた。

「置いてきぼりはないぜ、ラウラ」

 男の子の声ってことは、織斑君かな。振り向くと、障子を開けて、篠ノ之さんに肩を貸してもらいながら入ってきた。

「一夏! 大丈夫なのか!? それに箒も!」

 ラウラとシャルロット、それにセシリアが包帯だらけの上半身を晒した織斑君に駆け寄る。

「私は大丈夫だが、一夏が」

「寝てた方が良いよ!」

「そ、そうですわ! ここはわたくしたちに任せて」

 心配する女の子たちを押しのけて、織斑君がラウラと向かい合う。

「ラウラ、俺も行く」

「負傷兵など邪魔だ。そもそも、機体の調子はどうなんだ?」

「スラスター以外は行ける」

「では無理だな。相手は高機動機。動けない機体などいても邪魔なだけだ」

「だけどラウラ!」

「箒は?」

「私か。正直、きついな。体に問題はないが、同じくスラスターの破損が酷い。自己修復も追いついていない」

 なるほど、ヨウ君はそこを徹底的に狙ったのかな? 確かにあのボロボロなISだとすぐ追いつかれそうだし。さすが考えてるなぁ、そういうところもカッコいいなぁ。

 いつのまにか私と更識さんを残して、他の子たちが織斑君の周りに固まっていた。

「ふーん、機体を治せば良いんだよね、二人とも」

 急に新しい声が聞こえてくる。

「姉さん?」

「束さん!?」

 部屋の真ん中に、篠ノ之束博士が急に現れた。本当に何もない場所から、まるでISの武装を展開するときみたいに粒子をまき散らしながら現れた。

「やあやあやあ、久しぶりだね二人とも」

「先程、会ったばかりではないか。それより姉さん、機体を!」

「いいよ、治してあげる。それと紅椿は一つ、バージョンアップをしよう」

 感情なく笑顔を浮かべて、まるでPICで浮いてるISみたいに、篠ノ之博士が篠ノ之さんに近寄る。

「姉さん?」

「紅椿は第四世代機として、白式のルート3・零落白夜のように、ルート1・絢爛舞踏というワンオフアビリティがあるんだよ」

 え? なに?

 ルート3? ルート1? え? え? 何それ?

 なんで、そんな単語が……?

「ルート1・絢爛舞踏?」

「エネルギー増幅機能、ということになっているけどね。紅椿は兵装にエネルギーを使い過ぎるから、このルート1・絢爛舞踏を使わなければ本領を発揮できない。まあ発動すれば、他の機体にも簡単にエネルギーを受け渡せるから、白式のルート3・零落白夜も有効活用できる」

 淡々と、張り付いた笑みのまま篠ノ之博士が説明していく。

 ……何か、変だ。まるで、さっきの作戦開始前に見た篠ノ之博士とは別人っていうか。他の人は変に思わないのかな。隣の更識さんは私と同じ感想なのか、小さな顔に疑問を浮かべていた。

 ルート2という単語は、私がディアブロの中で見た言葉。

 じゃあ、ルート2はワンオフアビリティのことなの? なんで起動したばかりの第三世代のテンペスタⅡに、ワンオフアビリティが?

「姉さん、そんな機能があるなんて……どうして今頃?」

「封印されてなければ、順当に発動してたはずだけど、まあ仕方ない。じゃあ修理と一緒に作業を始めよっか。15分だっけ。それだけあれば余裕か」

 篠ノ之博士の言葉に、ラウラが、

「お願いします」

 と声をかける。

「束さん、ありがとうございます!」

 織斑君も頭を下げる。

「ここじゃISを展開するには狭いから、外で。織斑教官には見つからないようにやろう」

 ラウラが先導して、部屋を出て行く。

 状況についていけないのか、織斑君と篠ノ之さんとラウラ以外の四人だけが部屋に残される。

「とりあえず、それぞれ機体を最終チェックして、抜かりないようにいきますわよ」

「うん」

「……了解」

 私も立ち上がって、速足で部屋を出て行く。

 とりあえず、かぐちゃんと理子に相談しなきゃ。

 

 

 

 部屋に戻ると、かぐちゃんと理子も他の子と同じように旅館から帰る用意をしてた。

 織斑先生からの指示で、今からバスで全員がここから離れてIS学園に帰ることになってるからだ。

 ちなみに安全のためか、旅館やこの近くに住んでる人たちも退避することになっていて、先生たちも全員、そっちの方にかかりっきりになってる。

「どうしたの? 顔青いよ?」

 理子が駆け寄ってくる。

「ちょっと話があるの。理子、かぐちゃん、時間いい?」

 

 

 

 廊下の一角の、人のいない場所で、私たち三人は声を潜めていた。

「ルート1と3?」

 メガネの奥で、理子が怪訝な目つきをしていた。

「そう、ディアブロはルート2だったよね?」

「う、うーん。そんな機能は聞いたことないけど……。白式の零落白夜だって、元は織斑先生の暮桜のワンオフと同じ名称だし、それだってルート3なんて呼び方、されたことないよ」

「ちょっとわかんないなぁ」

「そっかぁ。理子でもわからないとなると」

「ヨウ君なら、って、ヨウ君も知らないって言ってたっけ」

「うん」

 ヨウ君が知らないって言うんだから、ホントに知らないんだと思う。

 かぐちゃんが手を頬に当てて、

「それよりも、これから、どうするの?」

 と聞いてきた。

「もちろん、行くよ、ラウラの作戦に」

「そう……いいの?」

「うん。ねえ、かぐちゃんはヨウ君の目的ってわかる?」

「そうね……ヨウさんは織斑さんに、守りたい物が違うって言ったのよね?」

「人と物って言ってた」

「ひょっとしてだけど、銀の福音も含まれてるんじゃないかしら」

「ISが?」

「ヨウさんが私たちの作戦に協力せずに妨害してきた理由、何なのかは正確にはわからないけど、でも」

「……そうだよね。ISを奪って脱走してきてまで、ナターシャさんを傷つけようとするわけないもん」

 ヨウ君はたぶん、アメリカで会ったナターシャさんをかなり尊敬してると思う。

 でも不思議なところもある人だし、ディアブロのコアナンバーも考えたら、未来人っていうのも、ウソじゃないかもしれない。

 そっか。

「ヨウ君が何を考えてるかわかんないけど、やっぱり未来人、かな」

 理子がポツリと言う。

「理子、どういうこと?」

「まあちょっと面白いけど、未来人っていうなら、未来を変えに来たんじゃない?」

「ふむふむ、ということは、ヨウ君は知ってる未来を変えに頑張ってると」

 私たちだって、本当にヨウ君が未来人だって信じてるわけじゃない。

「そうね……まあもし、本当に未来人だとして、ひょっとして銀の福音がIS学園に渡ったらいけないのかもしれないわ」

 かぐちゃんが自分の言葉を確認するように、ゆっくりと喋る。

「どういうこと?」

「まずヨウさんは銀の福音が不利になるまで、出て来なかったのよね?」

「戦況から考えてそうかな」

「じゃあ、銀の福音を無傷で、というのは達成目標じゃないと思うわ」

「ふむふむ」

「ただ単に邪魔をしに来たって考えることも出来るけど」

「そこまで無駄なことするかなぁ。だって脱走してきたんだよ? IS奪って」

「そうよね。やっぱり銀の福音をIS学園に渡したくない、が正解だと思うわ。最終的に米軍に返すにしても、一度でもIS学園側に渡したくない、もしくはそれに近い目的があるんだと思う。それに、前に暴走する機体を元に戻すにはどうしたら良いか、と国津のおじ様に尋ねてたわ」

「とりあえずヨウ君は、銀の福音自体を守りたいんだよね、たぶん」

「それは直接聞いてみないことには」

「かぐちゃん、それだけわかれば充分だよ。ってことは銀の福音についてれば、ヨウ君がいつか来るわけだ」

「それはそう……だけど」

「じゃ、銀の福音を逃がしちゃおう」

 私の言葉に、理子とかぐちゃんが目を丸くして顔を合わせる。

「ちょっと玲美……」

「それじゃあラウラたちと全然別の……」

 呆れたような、心配したような表情を浮かべて、私を止めようとしてきた。

「うん、ラウラたちには悪いけど、銀の福音を逃がしちゃう。それからヨウ君と一緒に追いかけて捕まえれば良いでしょ」

「たしかにリベラーレはテンペスタⅡっていう高機動機だけど……」

「やるよ。邪魔な子は落ちてもらうことになるけど、でもお互い様だよね。ヨウ君だってよく部屋を追い出されてたんだし」

「玲美……」

「やるって言ったら、やる。だって、そうじゃなきゃもう、ヨウ君に会えないかもしれないでしょ。会えるなら会う。だってヨウ君、カッコいいし」

 私はカッコいい彼に憧れたから、どこまでも彼のファンでいたい。ライブにも行かずに家でアイドルが尋ねてくるのを待ってるファンなんていない。

 それなのに、自分達で追い出して、あまつさえIS学園でぬくぬくと待ち呆けてた。

 気付いてしまえば簡単だ。もしここから先の未来を変えるなら、ヨウ君を追いかける自分でありたい。他の誰よりも鮮烈な、彼のファンでいたいんだ。だって、恋する乙女なんてそんなものでしょ。

 得意げな笑みを二人に向けると、心底呆れたような顔をしてた。

「なにその顔……協力しないのー?」

「ったく。わかったわかりました」

 理子が降参とばかりに手を上げる。

「困ったものね、幼馴染というのも。犯罪ほう助になるかもしれないのよ?」

 かぐちゃんが大きなため息を吐いた。

「私たちは三人で一人なのです、だから仕方ないのです! それにかぐちゃんが何とかしてくれるんでしょ?」

 含み笑いをしながら、大財閥のお嬢様に問いかける。

 やれやれと困った顔で、

「最近はヨウさんに良く見せようとしてたみたいだけど、貴方が甘えんぼだってこと忘れてたわ、玲美」

 とため息を吐く。

「知ってたら諦めようよ」

「でも、まあいいわ。上手い逃げ道がありそう。その辺りは任せておいて」

 この宣言に、理子が含み笑いをし始めた。何か楽しいことを企んでる顔だ。

「おっけー。ちょっとあたし、ラファール取ってくる」

「ラファール?」

「洋上ラボ。うちのオヤジ様たち連絡取れないし、勝手に借りちゃおう。かぐちゃん、出来る?」

 理子が両手を腰に当てて笑うと、かぐちゃんは指折り算段を立てていた。

「ええ、たぶん大丈夫そうね。洋上ラボにいる人たちは何とか言いくるめるわ。移動手段は?」

「昨日、浜でボート隠してたでしょ。こんなこともあろうかと!」

 理子が超得意げな顔をして言った。

「抜かりないわね。では、私たちは作戦を立てましょ。理子はラファールを使ってヨウさんを捜索。捕まえたらとりあえず洋上ラボへ連行」

「連行って……なんで洋上ラボ? ラファール以外もあるの?」

「相手がルート1と3を持ち出すなら、ルート2を使いましょう」

 思わず理子と顔を見合わせてしまう。

「ディアブロが、なんでそんな場所にあるの!?」

「こんなこともあろうかと……というのは嘘だけれど先日、運び込んだのよ、お父様の命令で。あそこは半潜水式プラットフォームで、真ん中に長いバランサーがあるの。その一番下、水深50メートルにある格納庫であって、そこで眠ってるわ」

「ふむふむ。それでヨウ君に渡すつもり?」

「返すのよ。それにあの人に、翼のない機体は」

「似合わないね、うん」

 欲を言えばホークがいいけど、あれはどこにあるかもわかんないし。

 それにディアブロは元々、ヨウ君が生れたときから持ってたコアを使ったIS。それを返すときが来たんだと思う。

「でもいいの? 玲美」

「ん? 何が?」

「話を総合すると、6機を相手にしなきゃいけないかもしれないのよ」

「かーぐちゃーん。やるって言ったらやるの」

「それに……IS学園にはもう戻れないかもしれないわよ?」

「ふふん、気付いたんだ、私」

「何かしら」

「私と理子とかぐちゃんがいてヨウ君がいれば、そこが私にとってのIS学園だし。問題なし!」

 そう、IS学園に入ってから、いっつも四人で行動してた。だから彼の戻らないIS学園に私がいたって、意味がない。

 かぐちゃんと理子が諦めたように、でも優しく笑う。

「さすが玲美ね」

「バカは強いわー……」

 優しくなかった、呆れてた。

「相手が6機だろうと10機だろうと100機だろうとやるよ。ヨウ君なんて、あんなISで第四世代を二機落としたんだよ。じゃあ、私がやらなくてどうするのって話だし。知ってると思うけど、ヨウ君より私の方が強いんだよ?」

「はぁ……一週間以上アンニュイになってた子とは思えないわー」

「わかったわ。詳細な作戦なんかはデータを直接、リベラーレに送るわね」

 さてと。

「理子、ハサミ持ってる?」

「ハサミ? 工具箱にあるけど」

「ちょっと取ってきて」

「うん、何に使うの?」

「髪切ろうかなって」

「へ?」

「もしヨウ君が私たちを信じてくれなかったら、切った髪を見せて欲しいの。だってヨウ君が私の髪のこと、好きだって言ってくれたから」

「ちょ、ちょっと玲美!?」

 かぐちゃんが今日一番の慌てた顔を見せた。そんな顔見せるなんて珍しいなぁ。

 男の子っぽい手で撫でてくれた、癖っ毛の長い黒髪。少しでも大人っぽくなれるようにって、かぐちゃんに憧れて伸ばしてたものだけど。

「いいのいいの。だって言葉だけじゃ信じてもらえないでしょ。だったら行動で示さないと。他にヨウ君に渡せる物なんてないし。髪は女の命って言うでしょ?」

 私たちに出来ることなんて、ホントに大したことはない。100機だろうとやるって言ったけど、正直に言えば、他の専用機持ちが一機でも厳しい。

 それにヨウ君だって駆けつけてくれるとは限らない。私たちはあんなことをしてしまったんだから。

 だったら乙女らしく、乙女の武器を使ってヨウ君をおびき出してやる!

 そしてまたカッコいいところを見せてもらうんだ。

 

 

 

 

 太陽が傾き始めた時刻、私は旅館の前に立っていた。他の専用機持ちたちも揃ってる。

 織斑君と篠ノ之さんに支えられて、ゆっくりと歩いてくる。

 合計7人が揃った。

「みんな、協力してもらってありがとう」

 織斑君が篠ノ之さんから離れながら、私たちにお礼を言う。

「これはオレたちの居場所を守る戦いだと思ってる」

 その言葉は私にとっても異論はない。ただ、立ってる場所が違うだけ。

 この場に集まった誰もが喋らずに、織斑君の言葉に耳を傾けている。

「最後まで仲間を信じて、頑張ろう」

 残念だけど、私は貴方達を裏切ることになる。

 でも発端は、私たちがヨウ君を裏切ったことだから仕方ないよね。

「さあ、行こう」

 ISを展開して、織斑君が飛び出した。それに続いてラウラ、シャルロット、篠ノ之さん、更識さん、セシリアと飛び立っていく。

 私もISを展開して空に飛ぼうとしたとき、居残りになる鈴ちゃんが、

「髪、どうしたの?」

 と微笑みながら聞いてきた。

「ちょっと気合い入れようと思って」

「ふーん。それでヨウがこっち来たらどうする?」

「簀巻きにして、私のところに持ってきて」

 私の言葉に、鈴ちゃんが吹き出した。

「りょーかい。そのアイディアは乗ったわ。頑張りなさいよ」

「はーい。じゃあね」

 軽く手を振ってから、装着しなれてきたテンペスタⅡを使って、空に浮かぶ。

 ちょっと出遅れたけど、どうせ私が一番速い。この中で私より速いのは、ヨウ君だけだもん。

 ここからの私はリベラーレ。

 自由という名を元に、空へと舞うのだ。

 

 

 

 

 先行してるラウラたちの反応を目指して追いかけてると、みんなが空中に止まってた。

 見たことのない三機のISと女の人が空中に止まってた。篠ノ之博士だ。

 ……あれ?

「どうしたの?」

 更識さんに近づいて尋ねると、彼女は小さな声で、

「……篠ノ之博士がその、あの三機を連れてきて、助けてくれるって……」

「あの三機?」

 見たこともない黒いISだった。三角形と三角錐を集めて装甲にしたような、刺々しいフォルム。背中には妙な六角形の黒い板状の推進装置が乗っていた。

 フルスキンタイプだけど、どうやら口元だけが空いてる。でも、表情が全然ない。

 あれって……。

「なんで夜竹さんが……それに相川さんと谷本さんまで」

 織斑君がその名前を口にする。

 ……夜竹って、さゆか? それに清香にゆっこ? どういうこと? うちのクラスメイトがなんで?

「まあまあ、いいじゃない。この三人は非常に協力的だし、もちろん私が無茶をしないようにバックアップするよ、ぜひ一緒に行こうよ」

 織斑君の問いかけを、篠ノ之博士が遮る。

 能面のような張り付いた笑みだった。

 正直、人間らしさがない。ホントの天才ってこんな感じなのかな。

「だけど……」

「IS学園を守るんでしょ? それにこんなところで時間を食ってる場合じゃないと思うけど?」

「……わかった。束さん、お願いします」

 正体不明の物体を連れて、私たちは再び飛び始める。

 わざと遅れるようにして距離を取り、かぐちゃんに回線を繋いだ。

『はい、何か変化があったの?』

『何か変。篠ノ之博士がさゆかと清香とゆっこをISに乗せて、同行してきた』

『なんですって?』

『とりあえず、このまま行くよ。チャンスを見て、奪うから』

『ま、待って、待ちなさい、玲美。ということは相手は9機なの?』

『たぶん大丈夫だよ、かぐちゃん。そっちはどう?』

『たぶんって……無理はしないで。ヨウさんは捕捉済み。とりあえずこちらは貴方のお母様が協力してくれたおかげで、色々と捗ったわ』

『そっか、さすがママ。それでパパたちは?』

『いまだ行方不明よ。今回はあの人たちだって変だわ』

『了解。見つけたら三人とも正座させなきゃ。ここから先は連絡を控えるね。傍受されても嫌だし』

『わかったわ。気を付けて』

 回線を切り、再びみんなを後ろから追いかけることに集中する。自然と見慣れない黒いISが目に付いた。

 ……あのIS、どんな性能なんだろう。背中に背負ってる六角形のやつ、推進装置なのかな……。脚部が異常に太いけど、腕とか胴周りは装甲が薄そう。

 さゆかたち、大丈夫かな……でも、さゆかたちなら、戦わなくても良さそうだし。

 とりあえず銀の福音の推進装置が潰される前には、何とかしないと。

 指折り算段を立てながら飛ぶ。みんなで速度を合わせてるせいか、かなり時間がかかってるけど、こっちとしては好都合だ。

『玲美、どうした?』

 少し遅れてる私を心配してか、篠ノ之さんが声をかけてくる。

「ううん、何でもない。ちょっと緊張してるだけ」

『全員でかかれば、負ける相手ではない。確実に行こう』

「ありがと」

 まあ、速度を落として足を引っ張ってるのは、わざとなんだけどネ。

『目標発見、少し場所がズレているな。これより戦闘を仕掛ける』

 ラウラの声が通信で流れてきた。

 視界を望遠モードにして、座標を合わせる。確かに銀の福音だ。まるであの部屋でヨウ君を待ってた私のように、膝を抱えていた。たぶん自己修復をしてるんだと思う。

 だけど、こっちの接近に気付いてたか、顔を上げて推進翼を広げた。

『零落白夜!』

 織斑君がブレードを抜いて、ワンオフアビリティを発動させる。そして肩に浮いた推進翼を立てて、イグニッションブーストで突進した。

 だけど相手は完全にこちらを捕捉してる。

 ……織斑君は結構、焦ってるのかな。

 銀の福音は飛び上がりながら、手のビームバルカンを白式に向けて連射し始める。

『くっ』

『一夏以外の全員、牽制に回れ、簪、上方からミサイルで押さえつけろ、シャルロットとセシリアと私は狙撃しつつヤツの先手を抑える。玲美と箒一夏に先行して、隙を見つけ次第攻撃をしかけて足を完全に止めろ。一夏は最後だ、エネルギーを無駄に使うな!』

 ラウラからの指示が矢継ぎ早に飛んでくるけど、みんなそれどころじゃない。

 何せ相手は広域せん滅用かつ、初めての実戦だ。模擬戦じゃなくて、相手は電子の殺意を持って攻撃を仕掛けてくる。

 海面すれすれを飛ぶ銀の福音に対し、更識さんの放ったミサイルが上から追いすがる。さらにその先手を抑えるように、シャルロットが実弾をばら撒いた。

 だけど相手はその全てを回避しつつ、何とか海域から逃げようとしてるのか、超高速で蛇行しながら動き回る。

 私はチラリと視界の隅のウィンドウで相手の速度を計った。

 マッハを超えようとしてる。そろそろ衝撃波にも気をつけなきゃいけない。

 でもさすが四十院の推進翼、しかも唯一、ホークの正当後継型を積んでるだけある。他の機体ならイグニッションブーストと同じぐらいのスピードなのに、ふらつく様子も一切ない。

『速い!?』

 二丁のマシンガンで牽制するシャルロットが、焦りの声を上げてる

 みんな、ヨウ君のこと好き勝手に下手だの弱いだの言ってくれたけど、所詮はこんなものだ。勝てるはずがない。

 空を飛ぶISを篭に入れて戦わせて、何の順位を競ってるんだろう。

 さて、お仕事お仕事。

 セシリアのビットが銀色の機体の前に立ち塞がる。

『これ以上は自由にさせませんわ!』

 手に持った青色のライフルと、空中に浮かんだ精神感応兵器からクロスするようにレーザーが放たれて、セシリアらしい幾何学模様を描く。相手は急旋回しながらギリギリでかわしていた。

『巻き込まれるなよ!』

 ラウラの方を振り向けば、少し離れた岩礁に陣取って、踵のストッパーを岩に突き立て砲撃体勢に入ってた。右肩のレールカノンが電光を漏らしてる。

 発射された一撃が銀の福音へとクリーンヒットし、目標の上半身が仰け反った。ガードした手ごと吹き飛ばされていく。

 だけど相手は空中でスラスターを小刻みに吹かして体勢を整え、同時にラウラの方に体を向けた。

 背中の推進翼を立てて、イグニッションブーストの体勢に入り、そのまま動けないラウラを狙いに行く。

『くっ』

 砲撃を繰り返すけど、今度は相手も食らう気がないみたい。機械ゆえの正確さでバレルロールを繰り返し、弾丸をかすめながら回避してラウラへと追いすがる。

『ラウラ!』

 そこへ紅椿が両手に刀を持って割り込んだ。相手の爪と鍔迫り合いをして、ラウラのいる岩礁の手前で踏みとどまる。

『玲美!』

 ラウラが私の名前を呼ぶ。

 やっと出番だ。ここからが、私の見せ場。

 一気に加速し、手に合金製のブレードを構え、銀の福音を目指して飛んで行く。

『一夏、玲美が抑えたら勝負だ!』

 篠ノ之さんが叫んだ。

 やっぱりまずは司令塔だよね。

 私は銀の福音の横を通り過ぎ、ラウラ・ボーデヴィッヒへとスピードを乗せた攻撃を振り下ろした。

『え?』

 誰かの驚きと、ラウラの右肩の爆砕音が同時だった。

 返す刀で左肩のフロート推進装置を叩き落とす。さらに上下へ振りまわして、ラウラの機体を削る。最後に足で蹴り上げ、空中にゆっくり浮き上がったレーゲンへと、後ろ回し蹴りを振り下ろし気味に叩き込んだ。

 我ながら、こういう動きはほんと上手いなぁ。ヨウ君に負ける気がしないや。

 たぶん、みんなが呆気に取られてるはず。

 チャンスはここしかない。

 海中へと落ちて行くラウラを尻目に、銀の福音へとイグニッションブーストをかけて突撃してきた織斑君へ、こっちも同じ速度の加速で切りかかる。

 次は武器。狙いは白式の右腕。

「玲美!?」

 間近で織斑君の驚く肉声が聞こえた。だけど驚きながらも、織斑君が手に持った雪片弐型で私の攻撃を受け止めようと身構える。

 そして私は、その力強さに憧れて嫉妬し、見惚れた物を思い出す。IWSにかかるぐらいに練習してきた、一つの必殺技を使うために、推進翼に意識を集中させる。

『無軌道瞬時加速!?』

 ヨウ君の必殺技。ISの最大加速を保ちながら、自由に動き回る。それこそ獲物を狙うタカのような動きを、今だけは完全に再現できた。

 彼ほど自由に動けるわけじゃないけど、二回ぐらいの方向転換なら私にだって出来るんだ。

 左から後方に周り、振り返ろうとしているその右腕を思いっきりブレードで叩いた。

 破砕音と手応えを感じながら、さらに前方宙返りを決めてもう一度攻撃を当てる。

 その右腕は完全に破壊した。第四世代型兵装雪片弐型が海面へと落ちて行く。

『一夏! 国津!? ぐっ、うわぁっ!?』

 銀の福音が自らを抑えてた紅椿へ、腕のビームカノンを撃ったみたい。篠ノ之さんが煙を上げる左腕を抑えながら後退して、攻撃をかわそうとしている。

『玲美ぃぃぃ!!!!』

 これはシャルロットの声。さすが反応が速いなぁ。

 だけど、まだ落とされるわけにもいかない。

 目的は銀の福音をここから逃がすこと。その後で追いかける。ヨウ君だって合流しやすいはず。

 右腕を抱えたまま茫然としている織斑君と顔を突き合わせる。

「やっぱり呼び方は、国津さんでお願いしまぁす」

「え?」

 クスクスと笑いながら、その後ろへと周り込む。

『一夏、どいて!』

 得意の銃撃を使うわけにいかなくなったラファールが、左腕を引きながら私たちに肉薄してくる。

 だから私は、動きの止まっている織斑君の背中を、イグニッションブーストで押し出した。

『えっ!? きゃあっ!』

 たっぷりと加速した二機がぶつかり合う。私は加速した勢いを殺さずに回り込み、目標を見失ったシャルロットへと上空から切りかかる。

 それを盾で受け止めたのはさすがだと思う。

 でも。

 私は再度加速して、今度は織斑君の左肩の推進翼へとブレードを突き刺した。

『一夏!!!』

 信じられない、という顔つきのまま、織斑君は海面へと落ちて行く。

『このぉ!』

 咄嗟に二丁のサブマシンガンを取り出して、私へと引き金を引いた。

 でも、こちとら鷹に恋する乙女である。そんな弾に当たるようなスピードをしちゃいないのだ。

 もう理論も何もなく、根性と直感だけで動きまくる。

 セシリアと更識さんは動かないはず。チラリとそちらを向けば、二人とも呆けたまま成り行きを見てるだけ。何となくだけど、そんな気がしてた。

 紅椿は銀の福音が相手をしてる。

 問題は篠ノ之博士だけど、少し離れた場所に三機とともに待機して、こっちを窺ってるだけ。

 なら、今はシャルロットだけを落とす! もうエネルギーは少ないけど、ここが勝負の分かれ目!

 推進翼に火を込めて、楕円を描きながらラファールへと迫って行く。

 そしてここから直角に加速!

 イグニッションブーストを操りながら、シャルロットの右からブレードを振り被って襲いかかった。

『それはさっき見たよ!』

 シャルロットも瞬時加速を使い回避しようとする。

 だったらもう一回曲がる!

『このぉぉ!』

 相手はサブマシンガンをばら撒きながら逃げて行く。だけど被弾も気にしてられない。

 そしてコンマ数秒の後、シャルロットへと追いついた、と思ったとき、

『こっちも同じ四十院製だよ!』

 とラファールが目の前から消える。

『なっ!?』

『二回は無理でも一回ぐらいなら出来るから!』

 慌てて視界を横に戻したときには、すでにシャルロットが手に持ったグレネードランチャーの引き金を引いてた。

 咄嗟に両腕をクロスして防御しようとするけど、私の機体に弾頭が着弾した瞬間、爆風と破片で吹き飛ばされる。

「くぅぅ!」

 それでも視界に浮いたウィンドウの情報を頼りに、PICとスラスターで天地を確認し、相手を捕捉しようとした。

「もらったよ!」

 肉声が聞こえる距離に、ラファール・リヴァイヴ・カスタムが肉薄してる。

 オレンジ色のシールドに包まれた左腕が、私のお腹へと突き出された。

 全てがスローに見える。

 炸薬により撃ち出される金属製の杭は、シャルロットの機体の中でも必殺の威力のはず。

「こんんんのぉぉぉぉ!!!」

 今まで出したことないような声を上げて、私は右側の推進翼だけに火を入れて身をよじる。

 絶大な威力を誇るって言っても、結局は火薬によって撃ち出される大きな弾丸のようなもの。

 ライフル弾だって、マッハ3を超えるか超えないかって理子が言ってた。

 私はそれと同じ速度で飛ぶ人を知っている。

 その場で超スピードで回転し、杭打ち機の先端から逃れながら、後ろ回し蹴りをオレンジ色の機体へと叩き込んだ。

 テンペスタⅡ・リベラーレの足が、ラファールの左肩へめりこむ。そして斜め下へと吹き飛ばした。物凄い水柱を立てて、海中へと落ちる。

 ……やった!?

『シャルロット! くそ、こいつめ!』

 篠ノ之さんの焦る声が聞こえる。

 だけど同時に銀の福音から放たれた攻撃で爆発が起きる。

 そして銀の福音が両手を組んで、ハンマーのように腕を振り下ろす。

『ぐッ!?』

 同時に推進翼を吹かして、銀色の機体が海域から飛び去って行こうとしていた。

 後は、あれを追いかけつつ、ヨウ君と合流するだけ。

 そこからは、私のヒーローに頑張ってもらって、カッコいいところを見せてもらおう。

 そう思って銀の福音を追いかけようとしたとき、

『……まさかな。身内から裏切られるとは』

 とラウラの苦笑交じりの声が聞こえた。

 私の体が海面方向へと引っ張られる。見れば、足に光るワイヤーが巻きついていた。

 慌ててブレードでそれを切ろうとした瞬間、さらにもう一本が伸びてきて右腕の自由を奪う。

「仕留め損ねたかー……」

 ワイヤーは確かシュヴァルツェア・レーゲンの武装だったはず。

 とりあえずはいい。私は行けなくても、銀の福音だけでも逃げれば、ヨウ君が何とかしてくれるはず。間近でその姿を見れなくなったのは……すごい残念。

 そう思って、離脱していく目標に視線を戻したときだった。

「逃がしてもつまらないな」

 誰のものかもわからない、冷たい機械みたいな声が私の鼓膜を揺らす。

 篠ノ之博士の周りにいた黒い三機のISが追いかけていた。

「って、速い!」

 思わず声が出る。

 背中の六角形の板みたいなのは、やっぱり推進装置だったみたいだ。

「さゆか! 清香! ゆっこ! お願い、その子を逃がして上げて!」

 声を張り上げて呼びかけるけど、聞こえないのか届かないのか、まだスピードを上げきっていなかった目標へと、あっという間に追いついてしまった。

 そして真っ直ぐ銀の福音へと襲いかかる。

 相手も気づいたのか、振り返りながら、右腕に備えたビームバルカンを三機に向ける。

「危ない!」

 思わず声を上げたとき、黒いISの背中にあった六角形の板が真ん中から割れて変形していった。そして、背中に生えた翼になる。

 光る粒子をまき散らし、さらに加速しながら、軌道を変えて襲いかかる。

「無軌道瞬時加速!?」

 篠ノ之束博士が用意した三体は、テンペスタ・ホーク並みの加速性能を備えているみたいだった。

 それぞれが俊敏に曲がる蜂のように銀の福音に取りつく。

 驚くことに、一瞬で二機が銀色のISの背中を取り、両腕を捕まえた。

 何とか逃げようと暴れる機体に、残りの一機が真っ直ぐ突撃していく。

 凄い激突音が聞こえた。

 一発で頭部を包んでいた銀色の装甲が剥げ落ちる。

 後ろの二機が、掴んでいた両腕を強引に、曲がらない方向へと曲げた。

 鈍い音が響いて来る。骨が折れた音だと思う。

 甲高い電子音が大きく鳴り響いた。耳をつんざくその音は、銀の福音の悲鳴なのかもしれない。

「あ、あ、あ……」

 言葉にならない声が漏れたのは、たぶん、私の口だ。

「さゆか! 清香! ゆっこ! それは人が乗ってるんだよ! やめて! もうやめて!!!」

 精いっぱい声を上げるけど、向こうの三機は振り向くどころか、手を休める様子さえなかった。

 銀の福音の前に立つ一機が、拳を振り被って何度も何度も殴りつける。そのたびに装甲が剥げ落ちていった。

 ナターシャさんの顔が覗き見える。気絶してるのか、目を閉じたままだ。

 全員が息を飲んでいた。

 私を捕まえていたラウラでさえ、言葉を失っている。

 右腕に巻きついてたワイヤーが緩み始めてた。ブレードをお手玉のように投げて左手に持ち替え、二本の光る線を切断し、銀の福音の前に入り込む。そして殴りつけている機体へとしがみついた。

「さゆか! もうやめて、さゆか!」

 これに乗ってる夜竹さゆかは、大人しくて真面目な子だ。こんなことをするなんて信じられない。

 振り被っていた右腕に抱きついて、止めようとする。

 まるでなめらかな滑車のような動きで、その首が私の方を向いた。

「さゆか?」

 声をかけると、動きが止まった。

 ホッと安堵のため息を吐く私の顔へ、影が差した。

 いつのまにか、さゆかの機体の後ろに篠ノ之博士がいた。まるでPICを使っているISのように浮いている。

 位置関係から、その表情は私からしか見えない。

 だから、その目と口が、まるで底のない穴のような黒い物だったとしても、私にしか見えなかった。

 全身に鳥肌が走る。

 これ、人間じゃない!!

「これ以上邪魔をされても困るな。やれ」

 私だけに聞こえるような声で、さゆかたちに命令が下される。

 目の前の黒いISが空いていた左腕を振り下ろした。

 一撃で私の翼が破壊される。

 そしてもう一回、背中に衝撃を感じた。左の推進翼を、清香の乗る機体が殴りつけていた。

 振り向こうとした私の腹部へ、打撃が加えられる。

 体がくの字に折れ曲がった。

 そしてもう一度、背中に強烈な打撃を受ける。

 痛い、なんで痛いのこれ!?

 スキンシールドは!? エネルギーはまだあるのに? まさか衝撃が貫通してるの!? なんで?

 わけがわからない。

 頭が混乱していく。

 視界の端に、ゆっこの機体が銀の福音をぶら下げて浮いてる姿が見えた。ナターシャさんの綺麗な金髪が、頭の装甲の隙間から漏れてた。

 とりあえず、二人から離れなきゃ。

 力を込めて腕を振り回して、近寄ってくる機体から逃げようとする。

 その右腕の装甲を、さゆかの機体が掴んだ。

 そして、力任せに握り潰す。

「ああアアアぁぁぁぁぁぁ!!」

 痛い痛い痛い痛い痛い! 痛い! 痛い!

 どうして痛いの!? なんで!? これは何!? 何が起きてるの!?

 悲鳴以外の声が上がらない。

「姉さん! 何をしてるんだ姉さん!! 夜竹たちもやめるんだ!」

 篠ノ之さんの声が聞こえる。

「んー? 悪い子にお仕置きをしてただけだけど?」

「それ以上はやめるんだ、どうしてこんなことをする!?」

「もちろん、ちーちゃんのためだよー? そうだよね、いっくん?」

「た、束さん、もうやめてくれ、銀の福音は止まったんだろ? もういいだろ?」

「だって、まだ邪魔する気かもしれないじゃない? ほらほら人間って何するかわかんないし」

 指をパチンと鳴らす音が聞こえた。

 そして、私の右腕がさらに深く握り潰される。

「ああぁぁぁぁぁぁァァァァァァァ!!!」

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い! 

 どうして痛いの!? なんで? ISが? どうして? 

「姉さん!!」

「はいはい。まあこれぐらいでいいでしょ。それより、銀の福音を吸い取っちゃいましょー」

「は? え? い、いやそんなことより国津を離すんだ、姉さん!!」

「紅椿ならそれが出来るからだよ。ルート1なら、相手のエネルギーを吸い取れるし」

 言葉にならない鈍くて重い痛みが右腕を焼いている。

 悲鳴を上げたせいか、口から涎が垂れてる気がする。

 思考がまとまらない。

 目が銀色のISを捕えた。

 ……なんで、あれを逃がそうとしてたんだっけ。

 考えがまとまらない。

 万力で押しつぶされるような、重いハンマーですりつぶされるような痛みが続いて、気が遠くなっていく。

 心が動かない。

 暗くなっていく。

 夕闇の海の上で、私の意識が消えて行く。

 それでも、私の左腕が勝手に動いた。

 まだブレードを持ってたことに気付いく。それが時計の秒針ぐらいのスピードでゆっくりと、上から下に振り下ろされた。

 カン、と軽い音がして、攻撃が弾かれた。誰に当たったのかもわからない。

 まだ戦うの? 私。

 

 

 

 私は一つの失敗をして、好きだった人の心を傷つけた。

 全ては私たちが何も考えずに起こした、無知と無邪気の罪だ。

 再会した彼は変わり果ててたけど、それでも、カッコいいままだった。

 それを取り戻すんじゃなくて、そこまで追いかけるために、私は周囲を傷つけた。

 好きだと言われた髪さえ切った決意は、心の中で燻っている。

 

 

 だから、もう一回だけ、左腕を動かそう。

 手には刃しか持ってないけど、どこにいるかもわからない人へと手を伸ばそう。

 カン、と小さな音色を立てる。

 

「殺すか」

 

 まるで合成音を調整しただけのような声が届いた。

 でも欲しいのは貴方の殺意じゃない。

 そしてもう一度、左腕を何かわからない相手へと、力なく振った。

 

「死ね」

 

 風圧を感じる。

 ああ、もう一度だけ、せめて、ごめんなさいと、ありがとうだけを伝えさせてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、彼はやってきた。

「てめえが」

 悪魔のようなISを着ていた。

「死ね」

 怨念を抱いて、私の周りを全て吹き飛ばした。

 

 

 誰かが私を両腕で抱えている。

「ヨウ君……?」

 ようやく名前を呼べた。

「おう」

「助けてくれて……ありがと」

「お前がそんな姿になってるのを見たとき、生きた心地がしなかったよ」

 そう言って大きなため息を吐く。

 前に助けてくれたときも、同じようなことを言ってた。

 やっぱりカッコいいなぁって思って、頬が緩む。

「言いたいことは色々あるけどな、玲美」

「ん……?」

「もうちょい綺麗に髪の毛切れよ。似合ってねえぞ」

 そんな本音を漏らした。

「……ばぁか。でも、さすが私の……ヒーローだね」

「ヒーロー言うな」

 ちょっと憮然とした顔をしてそっぽを向いた。

「でも、ありがとう、それと……ごめんね」

 

 

 

 

 私こと国津玲美は、どこにでもいる女の子だ。

 何をしたって平凡で、得意なIS操縦だって私より上手い子が沢山いる。

 やらなければならないことも山ほどあるし、償わなければならない罪も増えた。

 今も何かを取り戻せたとか、罪を償ったとか、そんな気は全くしない。

 だけど、ヒーローにまた会えたことを感謝したいと思います。

 

 

 

 

 

 










誰得3万6千字。

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