ルート2 ~インフィニット・ストラトス~   作:葉月乃継

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26、リヴ・エンド・レット・リヴ

 

 

「相手は天使様か」

 IS学園の第六アリーナに通じる格納庫には、一年の専用機持ちが集まっていた。今から理事長直下組織の機動風紀と彼らの仲間が模擬戦を行うからだ。

 青いISスーツを着て黒い眼帯をつけた織斑一夏が、白式を装着する。

「何の話? 中二病?」

 鈴が小首を傾げると、一夏は右腕部装甲の先にある五指マニュピュレータを一番から五番まで順番に動かし始める。

「なんで中二病なんだよ。ヨウとそんな話をしてたんだ。神様ってのがいるとしたら、この時代なら自立思考型ISのことなんじゃないのかって」

「うわ、男同士揃って、そんなバカっぽい会話してたんだ。気持ち悪っ」

「気持ち悪くはねえだろ! いや、いたって真面目な話なんだ。鈴は直接聞いてなかったっけ」

「なによ」

「新理事長、つまり束さんの姿をした偽物が、自分を神って言ってたのを」

 肩に浮いたスラスターを上下に可変させて、調子を確かめる。その脳裏には、紅椿と同じ腕を生やした篠ノ之束の姿が昨日のことのように思い浮かんでいた。

「箒から聞いたけど、バカバカしい話でしょ」

「んで、今から戦う機動風紀の専用機は、マルアハっていうんだ。ヘブライ語で天使って意味なんだとさ」

「じゃあヨウのディアブロが悪魔ってこと? 良い感じで出来てんじゃない」

 鈴が小馬鹿にしたように鼻で笑う姿を見て、一夏は苦笑する。

「じゃあ俺たちは何だって話だよな」

 格納庫の壁面にある画面に、アリーナ中央が映し出される。そこには、一体のフルスキンISが直立不動のまま立っていた。

「決まってるでしょ。人間様よ。ほら、相手はお待ちかねみたいだし」

 やれやれと首を横に振った鈴に、なぜか一夏は頼りがいみたいなものを感じていた。

「一夏、わかっているな」

 彼と同じ眼帯をつけたラウラ・ボーデヴィッヒが腕を組んで、壁にもたれかかっていた。

「ああ。相手があのときの夜竹さんたちと同じかどうか、それを見極めるんだろ」

「そうだ。相手の性能もだが、あの偽物がどういう動きをするか、私たちは見張らなければならない」

「何をするつもりか、さっぱりわからないけどな。まあヤバいヤツだってのは理解してるし、そもそも自立思考するISってのがホントなら、かなり危険な存在だ」

「頼んだぞ」

「ヤー」

 不安げに彼を見上げるセシリアとシャルロット、それに箒へと、一夏は爽やかな笑みを浮かべ、

「ま、とりあえず天使様のお手並み拝見ってところだ。行ってくる」

 と親指を立てて答えて見せた。

 

 

 

 

 動風紀の委員長、ルカ早乙女が、白式をつけた一夏が近づいてきたのを確認して振り向いた。

「本日はぶしつけなお誘いに乗っていただきまして、誠にありがとうございます」

 青紫のISがフルスキンの頭部だけを解除し、中の女子生徒が顔を見せて礼儀正しくお辞儀をする。

「いえ、こちらこそ、ありがとうございます」

「では、戦闘を開始いたしましょう。勝負形式はいかがなさいますか」

 一夏が相手に抱いている印象は、プロフェッショナルのメイドだ。それも日本の電器街にいるものではなく、欧州の資産家の家で見た女中の方である。

「模擬戦ということで、どちらかが三割を切ったら終了でどうでしょう?」

 それはシールドエネルギーの残量が三割切ったら、という意味であり、IS学園内における一般的な模擬戦の方式だった。

「了解しました」

 もっと酷い条件で戦うのかと思っていた一夏は、肩すかしを食らった気分だったが、それを表にはおくびも出さずに返答をする。

「では合図は、時計が十七時を指したらにいたしましょう」

「わかりました」

「あと二分ほどありますね。少しお話しましょう、織斑一夏」

「はあ……」

 急な申し出に一夏は思わず気の抜けた返事を返してしまう。だが相手は表情を変えずに、

「二瀬野鷹、という男性をご存じでしたか」

 と気にした様子もなく問いかけてくる。

「え、ええ。友人ですけど」

「友人ですか。実は私、彼に淡い思いを抱いておりました」

「え? えーっと」

「この歳まで恋愛など全く縁のない生活をしてきましたが、初めて彼の練習を見たときに、体がスタンガンに撃たれたようになりました」

 撃たれたことあんのかよ、と思わずツッコミを入れそうになったが、相手の平板な声音にどうも調子が掴めない。

 高校生の女子なら、もう少し恥じらいなどもあってよさそうなものであったが、機動風紀委員長のルカ早乙女という女子生徒は全く感情を変えることなく、言葉を口にし続けていた。

「毎日無駄な努力をし、それが誇りだという様子も見せず、黙々と感情を殺すような反復練習。私は直感しました」

「何が言いたいんでしょうか」

「貴方はかのお方の姿を見て思ったことはありませんか? 彼はISになろうとしているのだと」

 抑揚がないだけに、相手が何を思ってそんなことを言っているのか、さっぱり推測出来なかった。

「そんな素晴らしい方を追い出した生徒、というのにも少し興味があります」

「それは……」

 突然に紡ぎ出された言葉に、一夏は口ごもってしまう。

 彼は二ヶ月ほど前に、二瀬野鷹がIS学園を出て行くきっかけを作っていた。追い出したと言われても、一夏に反論はない。それを知ったIS学園中から、あること無いことを責め立てられたことは、まだ記憶に新しい。自分たちを糾弾する生徒の中には上級生もいたのだ。

 目の前の三年生が、そこで初めて微笑んだ。決して目元を崩さずに口の両端だけを釣りあげて、

「私、日本語で言うところの、ヤンデレでストーカーですので」

 と告げた。同時に彼女の頭部が装甲に包まれて表情が見えなくなる。

 試合開始のブザーが鳴った。

 一夏は咄嗟に雪片弐型を構えて、相手の行動に備える体勢に入った。

 機動風紀のIS『マルアハ』が実体化した兵器は、機体全長を超える長大な柄と、それに見合った刃を持つ巨大なデスサイズだ。背中には巨大な紫色の推進翼を備えている。

「処刑、というより私刑ですね、これから始まるのは」

 少したりとも感情を見せずに、ルカ早乙女の操るIS『マルアハ』が死の鎌を振り上げて一夏の白式へと襲いかかった。

 

 

 

 

 二瀬野鷹曰くオリムラガールズと呼ばれる専用機持ちの女子生徒たちは、格納庫から観客席へと移動していた。

「今のところ、おかしな様子はないな」

 アリーナで戦う二機を見て、箒がポツリと呟く。

「うん……でも、速いね、相手の機体」

 シャルロットが手元の端末で撮影をしながら、隣の箒へ返答した。

「速いというか、鋭い印象だな。あの鎌を上手く防御に使いながら、相手が隙を見せれば確実にそこを突く。剣術の基本のような動きだ」

「あの機動風紀の委員長さん、どういう人なんだろう?」

「先ほどの会話を聞くかぎり、かなり突飛というか」

「エキセントリックな人だよね……」

「そうだな、うむ……。タカも妙な人に好かれていたものだ。セシリア、お前はアイツを知っていたか」

 相手の動きを分析するように鋭い視線を向けていたセシリア・オルコットだったが、箒の言葉にゆっくりと首を横に振った。

「いいえ、ヨウさんの近くにあのような方が近寄っていた記憶はありませんわ。少なくともわたくしの覚えている限りは」

「タカの周りには、いつも国津がいたからな」

「え、ええ……。それとは別に、あの方の名前は聞いたことがあります。スイスの期待の星だと」

「強いのか?」

「スイス連邦はIS後進国ですわ。そこから唯一、IS学園に入ったものの、その後は鳴かず飛ばすという話でしたが」

「……一夏と比べても、そこまで差があるようには思えないが」

「ですわね」

 二人の視線がアリーナの中央に戻る。

 戦闘状況はわかりやすいほど、二人の実力差を表現されていた。

 真っ直ぐ立ったまま、最小限の動きだけで相手の動きを防ぐルカ早乙女に対し、一夏はその周囲を回りながら、隙を探っては切りかかるというパターンを繰り返していた。

「あれほど視界が広い方は、なかなかいらっしゃいませんわ」

「ISの性能か」

「でしたら良いのですが……そもそもISのセンサーは脳内に360度を映し出します。ですが、その機能を使いこなすには、かなりの慣れが必要ですわ。さすが三年生、ということでしょうか」

「経験の差ということか。だが逆に言えばISに操られているわけではない、ということだな」

「ですわね。それは間違いなさそうですわ」

 

 

 

 

「ああ、どうしたら良いのでしょう」

 死神の鎌をクルクルと回転させながら、ルカ早乙女が困惑したように呟いた。

 感情があるのか……などと一夏は失礼なことを感じてしまっている。

「どうしたら?」

「はい。織斑一夏も二瀬野鷹も魅力的すぎて、このルカ早乙女、XX染色体を持つ者として至上の喜びを感じております」

「そ、そりゃどうも」

「こちらこそ」

 一瞬だけ感じた情動の発露もなく、すでに平板な声に戻っていた。

 そんなことよりも、一夏は背中に冷たい冷や汗が垂れているのを感じた。目の前にいる女子生徒が、今までになく妙な性格をしていると感じたからだ。それも悪い方向で。

「こちらとしても、このまぐわいをマグロのままで終わらせるのは忍びありません。では、参りましょう」

 一夏は戦闘中に、ここまで早く帰りたいと思ったことはなかった。

「このマルアハ、ISコアの量子演算機能をフルに使ったサポートが非常に優秀な機体でして、まぐわいに器具を使うなど相手の技量不足を侮蔑するようで気が進みませんが、殿方を満足させるためには仕方ありません」

「か、帰りたい」

 とうとう本音が漏れてしまったが、相手は気にした様子もなく、巨大なデスサイズを上段に構えた。

「始まったばかりです。さあさあ、織斑一夏。私を発奮させてください」

「は、はっぷん?」

「間違えました。発情です」

「くっ!」

 寒いものを感じ、一夏は思わずバックステップをして距離を取る。

 その直感に従ったことを、彼は己の肉体に感謝した。自分が一瞬前まで立っていた場所が、相手の武器によって抉られていたのだ。

「俊敏な腰の動き、素晴らしいです。では、次はどうでしょうか」

 背中に生えた推進翼を立てて、青紫の機体が一気にスピードを上げて近づいてきた。

 咄嗟に雪片弐型を下から上へと振り上げて迎撃をしようとするが、相手の姿はすでにない。

「無軌道瞬時加速!?」

 背後から来る空気の流れを感じ、振り向きざまに零落白夜を発動して最大の攻撃を仕掛けた。

「すばらしい判断です」

 声が聞こえてきたのは、自分の横からだと気付いたときには、すでに自分の機体が殴りとばされていた。

 とっさにたたらを踏み、推進装置を操って体勢を立て直す。次の攻撃に備えて武器を構えたが、敵機は鎌をバトンのように振り回し見栄を切っているところだった。

「いかがでしょうか? 私自身には二瀬野鷹のような推進翼捌きは出来ませんが、このマルアハはプログラムのサポートにより、予めコースを入力しておけば同様のことが可能になります」

「つまり、俺の動きを予測していたってわけですか」

「いいえ、零落白夜を使うところまでは予測していませんでした。設定コースに遊びを取っていなければ、私は一撃で切り落とされていたでしょう」

 一夏は相手を警戒しながらも、自分の視界に浮かぶステータスウィンドウでシールドエネルギーの残量をチェックする。大して減ってないのが幸いと、彼は再び剣を構える。

 ルカ早乙女の言葉を信じるなら、相手の予想を超える動きをすれば落とせるということだと理解した。

 つまり自分の友人ほど厄介な相手ではない。

「では、参ります、二段目です」

 全く感情を感じさせない平板な声を発してから、ルカ早乙女がデスサイズを構える。

『そこまでにしておきましょう、ルカさん』

 アリーナのスピーカーを通して、男性の声が聞こえてきた。

 一夏が声の主を探せば、箒たちとは反対側に、開発局の新局長である国津幹久博士がマイクを持って立っていた。

『そのISはまだ調整中の段階です。無理をさせないでください』

 続けられる静止の声を聞いて、ルカ早乙女はISを解除して地面に降りる。

「では、また次の機会に。二瀬野鷹とも早くまぐわってみたいものです」

 背中を向け、そんな不謹慎な言葉を残して機動風紀委員長は歩き去って行った。

 その様子を見送りながら、誰だよ日本語を教えたヤツと一夏は内心で愚痴を零していた。

 

 

 

 

 機動風紀委員長のルカ早乙女との戦闘が終わった後、ISスーツから制服に戻った一夏は、更衣室内のベンチでスポーツドリンクを喉に流し込んでいた。

 思ったより喉がカラカラになっていることで、自分が緊張していたことを自覚した。

「思ったより腕は普通だな。確かに経験は我々より多いようだが」

「おわっ、ラウラ!」

「何を驚いている? 私はお前の上官だぞ」

「いや関係ないだろ今は。っていうか、いつからいた」

「五分ほど前からだが」

「俺は着替えてたんだけど!?」

「そうだな。私はその、なんというか、気にしないぞ、うん」

 そっぽを向いて口ごもる少女の頬が、少しだけ朱に染まっていた。

「気にしろよ! というか俺が気になる!」

「そんなことより」

「いや結構、俺の精神的には重要な話だったんだが、何か話があるのか」

「全く行方がわからんな」

 すでにいつもの表情に戻っていたのは、話題が真面目な話に移ったからだろう。

「俺もいくつか当たってるけどな……。明日は休みか」

「教官は何をしている? 同じ人物を探しているのではないのか」

「いや、昨日から連絡が取れない……どうしたっていうんだか。まあ、前から急に連絡が取れなくなったりしていたからなぁ」

「ふむ……しかし二瀬野の家族か。心配だろうな、二瀬野のことが」

「だよな」

「……私もぜひ会ってみたい。許してもらえるとは思わないが」

「え?」

「一度、二瀬野の親にも謝罪をしたいと思っていた」

「ラウラ?」

「記憶がないとはいえ、アイツの腕を落としたのは私だ。本人は気にしてないと言っていたが、やはりな」

 目線を地面へと落とし、その瞳が申し訳なさそうに歪んでいる。

「そうだな……だけどラウラがそこまで言うなんて、俺は嬉しいよ」

「当たり前だろう。私はお前の腕がなくなったらと思うと……」

「……そうか。ありがとうな、ラウラ」

 優しく微笑む一夏に、ラウラが怪訝な顔をする。

 ラウラ・ボーデヴィッヒは家族というものを知らない。それゆえに一夏を無理やり嫁と呼んだり家族と言い張ったりもしていた。

「早く探して、一目だけでも再会させてやりたいものだ」

 一夏と会ったばかりの頃のラウラは、張りつめた雰囲気で任務優先の人物だった。だが今は周囲の協調も大事にし、気遣いも見せる。また己を省みて、悪いと思ったことはすぐに改める。

 付き合いの長くなってきた相棒の成長を、彼はとても頼もしく思っていた。

 

 

 

 

 

「マスコミ?」

「うん、そういう手もありなのかなって」

 一夏が野菜と五穀米だけの晩飯を食べているときに、反対に座っていたシャルロット・デュノアが一夏の顔色を窺うように提案してきた。

「シャルらしくない発想だな。お前はそういうの嫌いそうだけど」

「嫌いだけど、その情報網もバカにならないよね。僕もデュノアの社長交代後は、かなりつけまわされたりしたし。鼻が効く人も多いと思うんだ」

 その話題に、箒が少しうんざりした顔をして、

「私のときもそうだった。かなりしつこかったぞ……」

 と肩を落とす。

「最初は道場に何人も押しかけて来たもんなあ」

「あれはかなり参った」

 白騎士事件直後は、篠ノ之道場の周囲は日本だけでなく世界中のマスコミが集まって取材攻勢をかけてきていた。その主な被害者である箒としても、マスコミには最悪の印象しかない。

「うーん、俺も向こうにいたとき、かなりストーキングやらパパラッチやらに気をつけてたから、こっちからマスコミに接触するってのは……信用できる人物でもいれば良いんだけどな」

 うかつなことをマスコミに漏らせば、それこそ面白おかしく書き立てられるかもしれない。周囲の耳目を一身に集める可能性が高い織斑一夏と二瀬野鷹だけに、それは最新の注意を払わなければならないと自覚していた。

 それでなくとも、世界に二人しかいない男性操縦者のうち一人が、左腕と脚を欠損していて、なおかつ行方不明など大スキャンダルだ。

「あ、あの!」

 そこで初めて、箒の隣に座っていた四組クラス代表の更識簪が口を開いた。

「何か良い案があるのか?」

「確か……新聞部の黛先輩の……そのお姉さんがインフィニット・ストライプス紙の記者だった、と思います」

 常に申し訳なさそうな簪の言葉に、全員が顔を見合わせて、

「ストライプスかぁ……」

 と口に出してぼやいた。

 インフィニット・ストライプス紙はISの専門誌だが、機体や技術的なことよりもパイロットに焦点を当てた、まるでアイドル紙のような作りをしている。ゆえに目立つのが好きではないくせに目立つ一夏にとっては、あまり良い印象がなかった。ラウラも同様だったが、シャルロットだけが少し考え込んでから、

「黛さんは多分、悪い人じゃないよ。それと逆に考えてみて。ストライプスなら頼みごとする代わりは、ただのインタビューとグラビアで済むと思うよ」

 と提案してきた。

「なるほどな。そういう考え方もあるか。それで行ってみるか。今は少しでも外で動ける手が欲しいし」

「いいの?」

「なんでシャルが確認するんだよ」

「だって一夏って、あんまり表に出ようとしないし……」

「そりゃそうだけど、仕方ないだろ。俺がちょっと嫌な思いするぐらいなら、全然問題ないぞ」

「じゃ、じゃあ前にストライプスに出たときに名刺を貰ったから、連絡してみるね」

「頼む」

 シャルロットが食事の済んだトレイを持って、パタパタと駆け出していく。その姿を見送った後に、

「いいのか?」

 と箒が熱いお茶をすすりながら尋ねてきた。

「構わないぞ」

「なら良いんだが……。しかし親か。うちの親も行方がわからないな、言われてみれば。そうは言ってもたまに政府のエージェント経由で手紙が届くが。検閲済の内容だが、どこぞの山奥で元気に修行しているようだ」

「いつかまた手合わせして欲しいもんだな」

「そうだな。私も今の実力を父に見せたい」

「喜ぶと思うぞ、きっと」

「ああ、そうだな。では私も先に失礼する。簪、行くぞ」

「あ、えっと、は、はい」

 先に食器返却口へと向かった箒を、簪が慌てて追いかける。

「仲良くなったみたいだな」

 正直、更識簪が箒の護衛につくと言ったとき、幼馴染である一夏としてはかなり不安だった。

 簪との付き合いは短いながら、相当な引っ込み思案だとわかっていたし、箒は付き合いが長いだけあって、かなり気難しい性格だと知っている。護衛任務は何より護衛対象との協力が一番重要であるがゆえに、上手く行くのか心配していた。

「まあ、二人とも無口だからな。気を使わなくて済むんだろう……なんだその目は。言いたいことがあれば言え」

「いいえ、何にもございませんよ少佐殿」

「ふん、覚えておけよ、ノイリング(へなちょこ)」

 気分を害したのか、ラウラは肩を怒らせて立ち上がる。ドイツ語でルーキーと罵られ、事実ルーキーの域を出たつもりががない一夏には返す言葉がない。かろうじて、

「そりゃちょっと酷いぞ……」

 と項垂れて不満の声を上げるだけだった。

「今日の動きでお前はまだまだだと理解した。明日からはもう少し厳しめ行くぞ! いいな?」

「おう、頼む」

「……ったく」

 脅しをかけたつもりの上官だったが、部下が素直に頷いたせいか、毒気を抜かれたようにため息を吐きながら去って行った。

「なんだったんだ?」

 一人だけポツンと残された一夏は、ただ小首を傾げるだけだった。

 

 

 

 

 

 翌日、学園は休日だった。

 本来なら学園祭が実施される日程だったが、今年は諸事情により延期か中止の予定となっている。

 都内にある世界的にも有名なホテルの一室で、一夏は私服からIS学園の制服に着替え、撮影をこなした後だった。さすがに眼帯は外せという指示がラウラから出ていたので、今日は素顔のままだ。

 絶え間なく炊かれていたフラッシュが途切れ、インフィニット・ストライプス紙の副編集長である黛渚子が軽く拍手をする。

「はーい、織斑君ありがとう。カッコ良く撮れてたと思うわ。次は篠ノ之さん、良いかな?」

「わ、わかりました」

 緊張した面持ちで撮影用のセットに足を踏み入れる。あからさまに強張っていて、普段の仏頂面が数倍怖くなっている。普段は気にしない一夏も、撮影となれば放っておけずに箒に近づいて笑みを見せた。

「箒、リラックスリラックス。笑顔は作らなくても良いから、普段ぐらいでいいんだぞ」

「わ、私は緊張などしていない。お、お前こそどうしてそんなに慣れているんだ」

「俺はIS学園に来たときに、何社か新聞社からインタビュー受けてるし。よく見せようとするから、緊張するんだ。普段通りにしてれば良いよ」

「普段通り……にしているぞ、私は」

「ちっとも普段通りじゃねえよ。普段はもっと綺麗だぞ」

「き、綺麗!?」

「ああ」

「そ、そうか、ふ、普段から私を綺麗だと思ってるんだな、そうか……」

「ってみんなが言ってた」

 言葉を言い終わるよりも早く、力の入った拳が一夏の顔面へと延びる。咄嗟に首を曲げて回避したが、一夏の髪が数本、パラパラと床に落ちて行った。

「こわっ!? 当たったら鼻が折れるぞ!」

「ふん、いいか、私は緊張なんてしていない。普段通りだ!」

 そう言って、肩を怒らせて撮影ルームの真ん中に立つ。

 その様子は、すっかり緊張が取れてはいるようだった。もっとも、緊張が取れて普段の仏頂面に戻っているだけだったが、一夏の目には先ほどより数段マシに見えている。

「ドリンクどうぞ」

「ありがとうございます」

「今日はありがとね。グラビアまで撮らせてくれて

 グラスに入ったウーロン茶を黛副編集長から受け取り、一夏は壁際に置いてあった椅子に腰かける。

「アイドルじゃないんで、制服までですけど」

「専用機持ちって言ったらアイドルみたいなものでしょ?」

「そうとは限りませんよ。少なくとも俺にその自覚はありません。あとお願いが一つあります」

「お願い?」

「ええ。もう一人の男性操縦者、つまり二瀬野鷹って俺の幼馴染なんですけど、そのご両親にちょっと連絡が取りたいんです。ただ場所が掴めなくて」

「二瀬野君のご両親……それは少し厳しい話だわ。本人と連絡は取れないの?」

 仮にもIS業界専門誌の副編集長であるので、簡単な事情ぐらいは察しているようだ。

 だったらと、一夏は表情を引き締める。

「こういうご時世なんで、察していただけるとありがたいです。受けていただけないんでしたら、今日の撮影内容は全て破棄していただきます」

「え!? きょ、今日のって、全部!?」

「グラビア写真も全てです」

「ちょ、ちょっと酷いんじゃない? いくらなんでも」

「ええ。ストライプスさんがネットの広告を急遽、俺たちへのインタビューとグラビアに差し替えたところまでは確認しました」

 相手が仕事だとは理解している。自分たちみたいな高校生が偉そうな口調で条件を出すことを申し訳なくは思っているが、一夏も手段を選んではいられない事態だ。

「問い合わせもバンバン来てるってのに、それは無理よ!」

「その代わり、こちらの条件を飲んでいただければ、向こう半年は他紙からのインタビューを受けません。写真も同様です」

 そしてこれはシャルロットとセシリアからの提案だった。後出しで条件を突きつけたのも、そういう経験が多い彼女たちからのアイディアであった。

「ぐ……それは魅力的っていうか」

「ISの機体関連でも、蒼風を出し抜けますよ? いかがでしょうか」

 蒼風というのは、ストライプスと双璧をなすIS専門誌の名前である。ストライプスがパイロットにスポットを当てたアイドル紙風なら、蒼風は機体をメインに扱った専門誌だ。一般大衆はともかく、業界からの評判は蒼風の方が断然上である。取材申し込み時点で、ストライプスの名前だけで断られることなど彼女は何度も経験していた。

「美味しい話よね……私個人としても大手柄だし……」

「我ながら、売れると思いますよ、次号」

 受けないなら副編集長としての評価はどん底、受ければ大手柄どころの話ではない。

 彼女なりの打算もかなりある。世情がIS学園を中心に不穏な方向に進んでいるのは、彼女ならずとも知っている。もしISでの武力行使などが起きてしまえば、パイロットにスポットを当てたアイドル紙の発行部数など、あっとういう間に落ちるだろうというのが、彼女と上司の見方だった。だから今のうちにある程度稼ぎつつ、新しい方向へとコネも作っておかなければならない。今日の取材も、すでに次号の紙面差し替え準備が済んでいるのだ。

 色々な利益の計算をした後、黛副編集長は苦渋の顔を見せて、

「わかったわ。でも無理はしないわよ。政府が関わってる話だし、目をつけられたくはないの」

 と承諾の構えを見せた。

「ありがとうございます」

「ただ、条件があるわ。向こう半年の他紙インタビューの件、一年にならないかしら」

「えーっと……どうしようかな」

 悩む格好を見せる一夏だったが、内心ではガッツポーズを決めていた。相手から新しい条件が出てくることもすでに想定済だったからだ。大人は子供の条件を一方的に飲むことはない。どんなに無意味でも、自分が上だと示そうとする。シャルロットとセシリアからそう助言を受けていた。

「お願い!」

「うーん、わかりました。たぶん大丈夫です。一応、自分だけで決められることじゃないんで、後でまた連絡します」

「ありがとう! これからよろしくね!」

「はい」

 一端渋ってから、笑顔で差し出された手を握り返す。

「ちょっと席を外させてもらうわね」

「はい」

 携帯電話を取り出しながら出ていく黛の顔が、嬉しそうに綻んでいた。

 これで外へ手が広がった、と一夏は内心で安堵のため息を零す。相変わらず自分の仲間たちの知力は侮れないなと思っていた。これも仲間があればこそだ。

 貰ったウーロン茶に口をつけながら、改めて頼もしさを覚えていた。

 ふと、隣にあった鏡台の上に聖書が出ているのが目に入る。

 二年近く欧州暮らしをしていた一夏にとっては、聖書は馴染みがあるものだ。手に取ってパラパラを眺めていると、隣に更識簪が近寄ってきた。

「お、おつかれさまです」

 丈の長い大人しめなデザインの空色に染まったワンピースに麦わら帽子を手に持っている姿は、どこかの深窓の令嬢にも見える。

「更識も撮影されるのか?」

「う、ううん、私はパスさせて……もらいました。あ、あんまり目立つことは好きじゃないし……」

「そっか。じゃあそれはお前の私服なのか」

「あ、あの、変でしょうか」

「いや、可愛いと思うぞ。よく似合ってる」

 一夏の何気ない言葉に、顔が一瞬で真っ赤になった簪は、その表情を麦わら帽子で隠してしまう。

「か、可愛くないです、私より、お姉ちゃんの方が……」

「そりゃ楯無さんは綺麗だけど、魅力はそれぞれだろ。俺はどっちも魅力的だと思うぞ」

 特に気取った風もなく、一夏は足を組んでウーロン茶を飲みながら、聖書をパラパラと捲り続けていた。

「……神様、か。天にいまし、世はことも無し、とはいかないものか」

 件の新理事長、自らを神と名乗った存在を思い出していた。

 何が目的かはわからないが、危険な存在だと理解しているつもりだ。クラスメイトの意識を封じ込めてISを操り、友人たちを傷つけた。

 今のところは様子見の一夏たちだが、生徒会長の楯無の指示により、色々と裏工作を初めてはいる。一夏たちの仕事は、いざというときの無関係な生徒全員の脱出経路確保だった。

「神様……」

 麦わら帽子から少しだけ顔を出して、簪が一夏を横目でちらりと見る。

「ああ。更識も聞いてただろ。アイツ」

「日本人には、ピンと来ない話……ですよね」

「うーん、俺はそうでもないかな。向こうじゃ日曜礼拝なんて当たり前だったし。俺は信じちゃいないけど、簡単なお祈りぐらいは覚えてる。でも神様か。まあ、ISコアも作れるようだし、人の意識を失わせて自由に操ったりしてるわけだしなあ。それがとんでもない科学力で、神様だって名乗るんなら、そうなんだろうけどさ」

「未来……から来た……んですよね」

「本当かどうかは知らないけどな。ヨウ曰く、そうじゃないかって」

「タイムトラベル……理論上は不可能だと思いますけど……」

 つっかえながらも会話をしてくれるようになっただけ、以前よりは進歩してるよなと一夏は少し感動していた。どうにも彼の周囲はグイグイと来る連中が多いので、簪のような引っ込み思案なタイプと接することが珍しい。

「ロマンはあるけどなあ。それにここより未来から来たってんなら、神様名乗ったって不思議じゃないけど」

「神様……は名乗るもの……じゃないと思います……けど」

 恐る恐る反論する簪の言葉に、一夏は小首を傾げる。

「名乗るものじゃないって?」

「神様は……誰かに……望まれないと寂しいだけ……だと思います」

「……だな。確かにそうだ。自分で神様名乗っても、誰にも望まれないなら神様じゃねえよな。言うとおりだ」

 パタンと聖書を閉じて、元の場所へと戻す。

 神様ではない、おそらくは未来から来た自立思考型インフィニット・ストラトス。

 目的はわからないがゆえに、向こうが敵と断定されたわけではない。ただ、自分たちは何を起こすかわからない存在に怯えてばかりはいられないのだ。

「ありがとうな、更識」

「あの……簪、でいいです。お姉ちゃんも更識だし……」

「じゃあ、ありがとう簪。ちょっと頭が冴えてきた。これからもよろしくな」

「は、はい、よろしくお願いします、織斑君」

「一夏、で良いよ。みんなそう呼ぶし」

「え、えーっと、じゃ、じゃあ、一夏君」

「おう。悪いけど箒のこと頼むよ。何か起こるとしたら、あいつが一番、危険だろうしな」

 そう言って、視線を撮影用セット内の箒へと移す。

 さすがプロのカメラマンだけあって、箒と会話をしながらリラックスしたムードを作り出している。箒も箒で、大きく表情を崩すようなことはないが、それでも少しずつ頬が緩み始めていた。

 自然に笑うその顔を見て、あいつは昔から笑うと可愛いんだよな、と内心で苦笑いを浮かべた。

 

 

 

 

 

 取材が終わり、一夏と箒、それに簪の三人はホテルのカフェでテーブルを囲んでいた。今はIS学園までの送迎の車を待っている状態だ。

「とりあえず今日の目的は達成したかな」

 黒い七分丈のTシャツにジーンズという私服に戻り、一夏はホッと安堵のため息を吐いた。

「これで少しでも情報が入れば良いが」

 抹茶ラテを口にしながら、白いカットソーを着た箒が独り言のように呟く。

「まあ、専門誌だけあって、多少は伝手があるとは言ってたからな。少しは期待出来るだろう。一応、無理はしないように念押しもしておいたけどな」

「簪の方はあれから、何か情報は入ったのか?」

 話を振られた簪は手元にある端末を操作し始める。

「えっと……一応、少しだけ足取りが掴めました。四月の初めに……二瀬野君のお父様は大阪の方の政府機関に転職されています。資料整理をしていらっしゃったようです」

「母の方は?」

「同じくついていってますね。ただ、七月のあの事件以降がやはり何にも掴めません。大阪から東京に移動した、と追加情報がありますが」

「東京にまだいるとしたら、まだ距離が近いだけあって、探しやすくはあるな。一夏? どうした?」

 隣に座る一夏が、エレベーターホールの方を見て厳しい表情をしていた。

「あれ、黛さんの後ろ」

「ん?」

「一緒に歩いているように見えたけど、さっきのスタッフの中にはいなかったな。帽子で顔が見えないけど」

 一夏に促された箒が見たのは、先ほどまで自分たちを取材していた黛記者だった。その後ろをテンガロンハットを被った女性がついて歩いている。

「表情が硬いな」

「ああ。さっき一瞬だけ見えたけど、肩にかけたバッグの中から銃を突きつけてた」

「なに!?」

「待て、動くな箒、簪も視線を戻せ、気付かれるな」

「し、しかし」

「おそらくホテルから出れば車が待ってるんだろう。距離を置いて近づこう」

 一夏はアイスコーヒーを一気飲みしてから、ゆっくりと立ち上がった。

 

 

 

 一夏はホテルのロビーを出て、周囲を見渡す。敷地を囲う垣根の隙間に、目的の二人を見つけて彼は走り出した。

 道路に面した歩道に出たとき、黛記者がちょうど車に乗せられようとしているところだった。

「待て!」

 一気に走り出して、銃を持って脅そうとしていた女に飛びかかる。相手も気づいて銃を向けようとしたとき、簪が土台になりレシーブの要領で勢いをつけ、植木を飛び越えた箒が相手の手首に手刀を落とした。滑り落ちた銃を一夏は遠くへと足で蹴り飛ばす。

 そのとき、車の中から銃を構えた男が出てきて、一夏に突きつけた。

 そこに垣根を迂回して駆けつけた簪が男の手を掴んで、腕を捻り上げて足を払い投げ飛ばす。

「黛さん、ホテルの中へ!」

「あ、ありがとう!」

 人質が駆け出すのを確認して、一夏たちは退散しようとする。相手がこれ以上銃火器を持ち出すようなら、ISの部分展開も辞さないつもりで左腕を前に差し出す。

「誰だ、お前たちは!」

 一夏たちが問いかけるが、作戦に失敗したとわかって、男と女が車に乗り込んだ。

 そして道路を走り出そうとしたとき、プロ野球チームの帽子を深く被った女性が立ち塞がった。

 その女性は無造作に片足を前へ突き出した。

「危ない!」

 箒が思わず叫んだが、その女性は得意げに笑って両脚にISを部分展開する。そこへ車が激突しボンネットが凹んで、車内ではエアバッグが作動する。

 女性はそれを確認した後にすぐさまISを仕舞い、周囲を一瞬窺ってから、ホッと安堵のため息を吐く。

「そこのキミたち、危ない真似を……あれ? 簪ちゃん?」

 Tシャツにキャップを被った

「え……悠美お姉ちゃん?」

 簪が驚いたように目を丸くしていた。

 

 

 

 

 

「織斑一夏です」

「篠ノ之箒です」

「はいはい、織斑君、篠ノ之さんね。私は簪ちゃんの親戚で、沙良色悠美と言います。よろしくね」

 誘拐犯の逃亡を阻んだのは、青いTシャツにデニムのミニスカート履いた可愛らしい大きな目の女性だった。一夏と箒に握手をしてからイスに座る。

 再びホテルのカフェに戻った三人は、窓ガラス越しに事件現場を眺めていた。すぐに駆けつけた警官に悠美と名乗った女性が少し会話をしただけで、一夏たちは解放された。今は黛を悠美が呼んだ仲間が送迎し、彼女を加えた四人でテーブルを囲んでティータイムの続きをしているところだった。

「相手は何者なんですか?」

「もちろん言えるわけないけど」

 透明なカップに入ったコーヒーを飲みながら、悠美は意味ありげに笑った。

「悠美お姉ちゃん……その」

「いいのいいの、大体の事情は理解してるの。でもね、簪ちゃんには危ないことに首を突っ込んで欲しくないっていうか」

「で、でも……その」

「うーん、そうは言うけど」

「わ、私たちは二瀬野君の件で動いてたの」

「なんとなくわかってるよ。友達だったんでしょ、そっちの二人は」

「そ、その……」

 簪がチラリと一夏に視線を送る。

「簪、この人は?」

「う、うん、ちょっと言えませんけど、信用していいと思います……あ、そう、二瀬野君の知り合いで」

「ヨウの?」

 一夏と箒が怪訝な視線を送るが、相手はニコリと微笑んで受け流す。

「ま、仲は良いよ。向こうも悠美さん悠美さんって離さないんだから」

「悠美お姉ちゃん……話、盛ってるでしょ……」

「え? そ、そんなことないよ? 仲良しだよ?」

「そこは疑ってない……大体、二瀬野君は、国津さんがいるし……」

「べ、別に良いじゃない。ちょっといいなって思うぐらい! それに五つも年下なんだよ? お姉さんとしては放っておけないっていうか、うん、そう放っておけないの!」 

 一夏も箒も、簪が楽しそうに話しているのを見て少し驚いていた。その視線に気づいてから、簪は申し訳なさそうに顔をうつむける。

「あ、えっと、ごめんね、こっちで話を進めちゃって……」

「う、うん、ちょっと驚いただけだ、問題ない」

 箒が手を振って誤魔化してはいるが、最近はいつも一緒にいることが多いだけに、内心ではかなり驚いていた。

「悠美お姉ちゃん、その……どうしてここに?」

「うーん、その話は後でじゃダメ?」

「たぶん、私はこの二人に話すと思うけど……」

「そう来たか。簪ちゃんも大人になっちゃったねー」

 悠美が冗談めいた笑いを浮かべて、簪の頭を撫で始めた。

「も、もう、子供扱いしないで……」

「だって、簪ちゃんは可愛い私の妹分だもん」

「お姉ちゃんは?」

「あれはダメ! ノーセンキュー!」

 両腕で大きくバツ印を作る姿に、一夏は思わず吹き出してしまった。荒事に慣れているようだったので少し警戒していた彼だったが、相手と簪の会話で段々と緊張を解き始めていた。

「それで私がなんでここにいたかって話だけど」

 周囲を軽く見ました後、悠美は人差し指で三人の顔をテーブルの上へと招く。

「さっきのはとある組織の連中で、つまるところ二瀬野君をどっかにやった連中の仲間なのよ」

「え!?」

「何だって!?」

 予想外の内容に、一夏と箒が思わず驚きの言葉を上げてしまう。

「しっ、静かに!」

「す、すみません。でも何で?」

「それはこっから吐かせる予定だけど、素直に吐いてくれるまで結構かかると思う」

 そこまで喋って悠美が背もたれに体重を預けると、三人ともがテーブルの上から頭を戻す。そのどれもが深刻そうな表情をしていた。

「ま、言えるのはこれぐらい。私も今日はお家の事情で動いてるから、簪ちゃんに喋ったけど」

「ご、ごめんね、悠美お姉ちゃん……」

「いいのいいの。簪ちゃんのためだし。そっちも些細なことでもいいから、教えてね」

 笑いながら手を振り、深く帽子を被って悠美が去って行く。

「はー……綺麗な人だったな」

 一夏が何の悪意もなく賞賛のため息を吐く。相手の容姿は彼が見た中でもかなり上位に位置する。しかも愛嬌まであるタイプは、彼の周囲にいる年上の中では珍しい。何せ他の身近な年上は、ドイツの鬼少尉だったり、元世界一のISパイロットだったりするからだ。

「当たり前です……あれでも、一応、アイドルしてますから……」

「アイドル!? 有名人だったんだ。サインもらっときゃ良かったかな。帽子を被ってたのはそのせいか。でも結構、無茶苦茶するなあ。一瞬だけどIS展開して車をぶっ潰すとか」

「余裕ぶってるけど……たぶん、余裕ないのかも……」

「え?」

「かなり……焦ってる気がします。普段は、絶対にああいう無茶しないし……アイドル業に支障があることはやりたがらないし……」

「やっぱりヨウのことが絡んでるんだな。よし、俺たちも戻るか」

 一夏はコーヒーを一気に飲み干して立ち上がる。

「やらないといけないことは沢山あるわけだしな」

 

 

 

 

 

 IS学園から離れ、更識楯無は皇居の近くに古くから存在する高級料亭の一室に来ていた。

 夜の帳に包まれた、入口からかなり奥まった場所にある書院造の茶室は、遥か江戸時代の頃から富裕層たちが内緒話をするときに使っていた場所だ。年季の入った床柱が黒い光沢を放っている。

 楯無自身も場所に合わせてか、今日は紋付の訪問着を着ていた。

「失礼いたします」

 仲居が障子を開け、続いて入ってきた人物は、同じ日本の旧家出身の四十院神楽だった。彼女もまた楯無と同じような和装だ。

「お久しぶり、神楽ちゃん」

「お久しぶりです、楯無さん」

 障子が閉められ、仲居が去って行ったのを確認すると、神楽が深く頭を下げる。

「この度はお招きいただき、誠にありがとう存じます」

「いえいえ、招待を受けていただいて、ありがとね。それで早速だけど、あの件」

「……二瀬野鷹さんの件ですね」

 神楽がゆっくりと頭を上げる。その顔には沈痛な面持ちがありありと浮かんでいた。

「そんな顔してちゃ、見つかるものも見つからないわよ。でも驚いたわ。IS関連で四十院と更識に日本政府がケンカを売ってくる度胸があるなんて」

「やはり父の独断が効いたのかもしれません。当家でも、やり玉に挙がっています。その混乱の隙を突かれた形でした」

「そんなところかー……やっぱり海自の艦隊派の流れを組んだ連中なの?」

「ええ、そこは掴んでいます。おそらくドイツから来た妙な研究チームと組んでいるのだと思いますが」

「ドイツ? ……ああ、遺伝子なんとか研究所とかいう」

「はい。その全容がまだ掴めていませんが、おそらく亡国機業とは無関係の者でしょう。むしろ規模が小さいがゆえに掴めていないというのが正しいかと」

「なるほどね。どこにも属してない小物だったから盲点だったと。でも、それだけわかれば、すぐにどうにか出来るかな」

「はい。あとはその……ヨウさんのご両親のことです」

「やっぱり、あの子が従ってる理由ってそれよね。これに関しちゃ日本政府もかなり意固地っていうか」

「ある意味、最終兵器ですから、ヨウさんのご両親は」

「だよね……逆に言えば、ご両親を人質に取られたら何も出来ないぐらいの良い子を、何で恐れてるっていうのか」

 手元に持っていた扇子を開いて口元を隠す。そこには信頼、と大きく書かれていた。

「ええ、おっしゃる通りです」

「さ、もう少し詳しい話に入る前に、美味しいお茶菓子を用意してるの。いただきましょう」

「ありがとう存じます」

 入口から見て奥、作法で言うところの亭主側に座る楯無が、淀みない動きで茶道具に触れようとしたとき、

「……え」

 と小さく呟いて手を止めた。

「楯無さん? どうかされましたか?」

「まさか、こんなところでIS反応!? 失礼するわね」

「こちらも失礼します!」

 二人は手元に置いていた巾着から携帯電話を取り出して、それぞれコールを始める。

「もしもし、どういうこと!? まさかこの上空を通るなんて、正気なの! いったいどこの所属!?」 

 この上空というのは、皇居上空という意味だ。日本ではいくつかの飛行禁止区域があるが、今、楯無たちがいる場所はそのうちの一つに近い場所だ。さらに言えば市街地でもあり、よほどの緊急事態以外では、ISの展開など許される場所ではない。

「私です、はい……え? IS学園の方向から!?」

 神楽が驚いて楯無の方を見る。楯無は舌打ちをした。

「うちから出てるらしいわよ、虚ちゃん! 早急に全ISの位置を確認、そう、機動風紀のもよ! 難しくてもやって、お願い!」

「形状データは……未確認飛行物体……どういうことですか! データ転送お願いします。それと防衛庁に問い合わせを、極東にもお願いします」

「機動風紀は知らないって? 三十機とも確認できたの? あの早乙女とかいう先輩は!? はぁ!? いない? わかった、でも三十機全機が学園内にいるのね。ありがとう、何かあったらまた連絡ちょうだい、ごめんね」

「確認できたデータをこちらに送ってください。楯無さんがいらっしゃいますので、見てもらい……緊急事態ですので、四十院の名を使ってください、お願いします」

 二人ともがほぼ同じタイミングで電話を切り、顔を見合わせる。

「ったく何なのよ! どこのバカがそんな無茶を!」

「全くです……機動風紀というと噂の」

「そう、新理事長直下部隊」

「あ、データ来ました。観測された形状データだけのようですが」

「ありがと、見せて」

 神楽が携帯電話の画面を見せる。そこには3D化された物体が映っていた。

「飛行機? 全長は?」

 楯無が不可解と言わんばかりの表情で眉をしかめる。

「三メートル強という推測です。どう見ても無人偵察機みたいな形状ですが……これはおそらく、数日前に海上ラボの上を飛んでいた機体ですね」

「無人機か……確かにこの形状じゃ人が入る隙間はないわね」

「はい。胴体が入る場所がありませんし、頭の大きさも無理です。もっとも、ところどころが類推データでしかないので、これが正確な形状というわけではありませんが」

「了解したわ。申し訳ないけれど、お茶菓子はまた今度の機会に」

「わかりました。では失礼いたします」

 古式ゆかしき和装をした二人は、作法もなく障子を開けて歩き出した。

「しっかし、神楽ちゃんの言う通りなら、これで二度目ということよね」

「はい」

「無人機と仮定して、何を探して……考えるまでもないか。二瀬野君ね」

「だと思いますが……しかしだとしたら、何故、今まで何もせずに」

「完全にただの妄想みたいなものだけど」

「はい」

「弱ってたんじゃないかしら」

「え?」

「あれが本当に未来から来たという存在なら、時間を超えるのにそれなりにエネルギーを使った。箒ちゃんのつけてる紅椿についてるワンオフアビリティ。エネルギーを吸い取るらしいのよね」

 パタンと音を立てて扇子を畳み、自分の推測を検証するように言葉を続ける。

「そんなことが可能なのでしょうか」

「わからないわ。ただ、エネルギーを欲しがってる。でもそれならIS学園の設備で充分だと思っていたのだけど」

「……銀の福音に拘った理由があると」

「そう。おそらく『彼女』にとって銀の福音に拘った理由は、それだと思うの。一年生を操ったような機体を使ってでも、銀の福音を手にしたかった」

「なるほど。『彼女』にとってのエネルギーの質みたいなものが、銀の福音の方が効率が良かったと。ですが、報告では篠ノ之さんの紅椿に吸い取らせようとしたはず」

「バイパスが繋がってるとかは?」

「エネルギーバイパスが、ということでしょうか。それは物理接触をしなくとも? 不可能ではないでしょうか」

「もちろん私たちには不可能だけどね。でも私が箒ちゃんから紅椿を取り上げない理由は、もちろん何かあったときのために専用機を持っていた方が良いっていうのもあるんだけど、それより紅椿を分析することで、未来から来た『彼女』のことを知ることが出来るっていうのがあるのよね」

「確かに……現状としては篠ノ之束博士と認識されている『彼女』には、誰も手だしが出来ない。そもそも手出しをしても勝てるかどうかわからない」

「ジリ貧だけどね。でも、わざわざ紅椿に吸い取らせようとしたっていうのは意味があると思うの。それに本当に『彼女』が無敵というなら、あそこで本人が出ていけば良かったわけだし」

「それで『彼女』は邪魔なヨウさんを排除したがっていた。ただ、弱っている状態では見つけることさえ出来なかったという予測ですか」

「何にしても、妄想と希望的観測が入り混じってるんだけどね」

「希望的……どこに希望的観測が」

「あるじゃない」

「え?」

「少なくとも『彼女』が恐れる存在が、この世にいるってことよ」

 更識楯無はそう言って、悪戯っぽくウインクをした。

 

 

 

 

 

 IS学園の最深部、以前はブリュンヒルデの専用機が置いてあった場所に、それはいた。

 世間ではIS学園の新理事長と呼ばれている個体であり、正体は紅椿というISが自立思考機能を得た物である。ただし現在はカムフラージュとして、篠ノ之束という女性の姿を模しており、その姿を偽物と判別できる人間は数人程度だろう。

 彼女は空中で膝を抱えて、ゆっくりと地球の自転のように回っていた。

 周囲を囲うホログラムウィンドウが一つだけ赤くアラートを鳴らす。彼女は片目だけを開けて、すぐに閉じた。

 同時に新しいウィンドウが浮き上がってくる。

 地球上のすべての情報網の一つから得た、一つの動画が映し出されていた。彼女自体が優れた量子コンピュータでもあるので、これぐらいは指先を動かすよりも些細なことであった。

 その中では、一人の少年がベッドに眠っていた。彼には左腕と膝から先がない。

 そしてその隣には、小さな少女が少年に抱きつくようにして眠っていた。

 自立思考型ISは、篠ノ之束の姿で、ほんの少しだけ舌打ちをした。

 

 

 

 

 

「少佐、お待たせいたしました」

 都内にある防音のカラオケボックスの一室に、赤い髪の少女が入ってくる。先に入っていた客は長い銀髪に眼帯をした少女だ。

「急に呼び出して悪かったな」

「いえ」

 極東試験IS部隊のリア・エルメラインヒとラウラ・ボーデヴィッヒは密会をしていた。二人とも私服姿ではあるが、顔に浮かんでいる表情は軍人そのものだ。

 元々は二人ともドイツでの同じ部隊員だが、この日本では所属が全く正反対という厄介な立場にある。迂闊に連絡を取ることも出来ないので、目立たない場所での密会を選んだのだ。

「ここは大丈夫なのか?」

「はい。ここはセキュリティが緩く、また防犯カメラも単なるダミーです。映像は残りません。確認しました」

「わかった。では頼む」

「ヤー」

 赤髪の少女リアが手に持った端末をテーブルに置き、ホログラムウインドウを表示させる。そこには、遠くドイツにいるラウラの副官クラリッサ・ハルフォーフが映っていた。

『ボーデヴィッヒ少佐、お手数をおかけしました』

 リアは部下ということで敬礼をし、ラウラは上官なので腕を組んでままだ。

「挨拶は省く。何かわかったか」

『やはり遺伝子強化試験体研究所の残党で間違いありません。潜伏している場所までは突きとめました。まあ多少、強引な手を使いましたが」

「手段に関しては不問とする。責任は私が」

『ありがとうございます。残党はおそらく、少佐もご存じのあの女かと』

「……躾係どもか。相変わらずか、あのキツネどもめ」

 不機嫌さを隠そうともせずにラウラが大きな舌打ちをした。だがすぐに真顔に戻り、

「リアからの報告は?」

 と隣の部下へと振る。

「はい。二瀬野鷹の両親の居場所は未だ不明です。ただわかったことが一つ。異常にガードが堅い情報だ、ということです」

「ほう?」

「篠ノ之姉妹の両親より数段高いセキュリティの場所にあるようです」

 隣に座る赤毛の部下の報告を聞き、ラウラが形の良い口元に手を当てて考え込む。

「……どういうことだ。二件とも同様の日本政府によるVIP保護プログラムのはずだ」

「ヨウ……いえ、二瀬野の方はおそらく、日本政府での現状における最高機密に値すると思われます。日本の首相の女性遍歴など足元にも及びません」

「絶対にわかってはいけない秘密、か。それほど重要視しているのか、二瀬野を」

「……彼は、その」

「いやいい。どのみち、二瀬野の親を探さなければ話は進まん。それゆえにISを外すことが出来ない男が従ってるのだからな。クラリッサ」

『はっ』

「親の亡命の方は?」

『そちらは残念ながら、ドイツ政府での受け入れは不可能とのことです。ただ、なぜか米国が引き受ける算段をしているようです。二瀬野鷹の事情を鑑みて、青少年の正常な発達を妨げる可能性があるので、本人も同時に米国へと」

「ふん、歴史の浅い国は欲深いな」

『彼の国は欲深さを秩序の維持にすり替えて世界に君臨しているつもりですから』

 鼻で笑うようなラウラのジョークを、クラリッサも同意を現す。

「おそらくですが少佐、中尉」

 ラウラの横に姿勢を正して座っていたリアが口を挟む。

「どうした?」

「最近、FEFISに来たナターシャ・ファイルスはそれもあって日本に来たのでしょう」

「銀の福音のパイロットか。確か二瀬野とは面識があるんだったな」

「……おそらく、面識があるゆえにアイツはあんなことを仕出かしたのだと思われます」

 申し訳なさそうに視線を逸らす。あんなこと、というのは、暴走した銀の福音捕獲作戦に横やりを入れて、かっさらっていった件だ。

 ラウラはゆっくりと首を横に振りながら、

「その件はもういい」

 と優しい声で返答した。

「ですが……」

「アイツも言っていたが、我々もアイツも立場が違いそれで戦ったのだ。終われば気にする必要がない。そういうものだな、クラリッサ」

『はっ、おっしゃる通りです』

「それでなくとも、私は二瀬野鷹の親に会わなければならない。個人的事情だがな」

『……了解いたしました。こちらも微力を尽くします』

「あまり無理はしなくともいい。本国の状況はどうだ?」

『未だに揺れていますね。下院の選挙が近いせいか、IS学園関連にどう対処するかも焦点に入ってきています』

「軍縮軍縮と言っても、風が一つ吹けばひっくり返るか」

『議員とはそういうものです』

「了解だ。では通信を終わる」

『ご武運を』

 三人が敬礼をしてから、通信を終わる。

「すまんな、スパイのようなことをさせて」

「い、いえ……」

「出来ればお前の事情も片付けてやりたいのだが、後回しになって申し訳ない」

 リアにはラウラが曖昧な言い回しで何を言おうとしているか、すぐに察することが出来た。

「少佐……それは、私の」

「いやいい。部下の事情を把握できなかった私のミスだ。ただ」

「はい」

「意外にお前の立ち位置が重要になってくるかもしれない」

 リアの立ち位置というのは、ドイツから出向しているが、実は個人的事情により亡国機業に協力を強いられていることだ。

 ラウラとしては早くどうにかしてやりたいのだが、現状は他にも優先する事項が増えてきている。それに加えて、全容の掴めない非合法組織である亡国機業に参加しているというアドバンテージは、かなり捨てがたい。

 もっとも、それはラウラがリアを全面的に信用しているがゆえに、彼女を切り捨てるとが出来ないという理由の方が大きいのだが。

「それは……ただ、少佐」

「何だ?」

「これだけは言えます。私はどこにいようとも、黒兎隊の一員であることを忘れたことはありません」

 年下の上官に対し、真っ直ぐと敬意を向けて断言をした。その眼差しを受けて少し驚いたあと、

「これからもよろしく頼む、リア」

 とラウラは優しく微笑みを向けた。

 

 

 

 

 織斑一夏は送迎の車から外を見ていると、人ごみの中に目立つ人影を発見した。あれで紛れているつもりなのかと一夏は頭を抱える。

「すみません、止めてください」

「どうかされましたか?」

 運転手がブレーキを踏みながら問いかけてくるので、一夏は窓の外を指さして、

「いえ、クラスメイトがいたので、ついでだから一緒に帰ろうかと」

 と告げる。

 助手席に座っていた簪が運転手が頷きあう。

「あ、構いません……すぐに戻ってきてください」

「悪いな。ラウラがいたからさ」

 謝りながらドアを開け、外にいたラウラの元へと走る。

「ラウラ!」

「一夏?」

「お前も出てたのか。一緒に帰らないか? 車なんだ」

「了解だ。助かる。公共機関では門限に間に合うか怪しいところだったからな」

 二人は連れ立って歩道から車へと戻り、後部座席のドアを開けた。

「箒に更識もいたのか」

「ああ」

「こ、こんにちは」

 二人と軽い挨拶を交わし、ラウラも黒塗りの車へと乗り込む。

「ラウラは何をしてたんだ?」

 走り出してから、隣に座った小柄な少女へと問いかけた。ちなみに後部座席が箒、ラウラ、一夏の順番になり、箒が納得いってない顔を浮かべている。

「ああ、少しな。気になる情報を手に入れた」

「ん? 情報?」

「二瀬野の親の居場所だ。かなりガードが堅い情報らしい。この国の最高機密レベルだ」

「はぁ?」

 一夏と箒がラウラの言葉に驚きの声を上げた。

「最高機密って、いや確かに重要かもしれないけど。な、なあ箒、箒の場合は手紙のやり取りぐらいは出来るんだよな」

「あ、ああ。政府のエージェント経由だが、出来るぞ」

「VIP保護プログラムって言っても、誰もアクセス出来ない情報だと逆に困るんじゃないか? 権限さえあればわかる状態じゃないと、いざというときにヨウのオジサンやオバサンを保護出来ないじゃないか」

 思わず少し食ってかかるように、一夏はラウラへ詰め寄る。

「私に言うな。正直、私の認識も一夏と同じレベルだった。だが、相当に堅いガードだということがわかった。正直、外国人の私では手が出ない」

「なんてこった……じゃあ、つまりオレたちじゃ見つけられないってことかよ!」

「そうと決まったわけではない。焦るな」

「あ、焦るに決まってるだろ!」

「だから落ち着け。私たちではダメな情報でも、何とかなる人材がいるかもしれないだろう!」

 声が荒ぶり始める一夏に対し、ラウラが先にボリュームを上げて押さえつける。

「……悪い、そうだな」

「もちろん、状況が良くないのもわかっている。おそらく二瀬野は、躾係のところだ」

「躾係?」

「そういう役を担当してたサディストがいたのだ。私は嫌いだった」

 吐き捨てるように言って、ラウラは目を閉じて黙り込む。

 サディスト、という言葉だけで一夏は何となく察した。

 ある程度は理不尽な暴力も知っている軍隊育ちのラウラが、サディストと表現するのだから、相当なヤツらなのかもしれない。

 そんなところに抵抗出来ないどころか、片腕と両脚がない友人が連れ込まれて、『躾』と形容されることをされている。

 ……早くしなければ。

 車内が沈黙し、誰も喋らなくなった。エンジン音の低い唸りだけが響く。

「……ふと思ったのだが」

 その静寂を破ったのは、それまでほとんど喋らずにいた箒だった。

「どうした?」

「いや、一歩進んだVIP保護プログラムというのは、私の担当のエージェントとは違うんだろうか」

「どうだろうな……正直、その内容にまでは詳しくない」

 その質問に一夏が答えあぐねていると、簪が後部座席へと顔を出し、自信なさげに口を開き始める。

「た、たぶんですけど、違うと思います……さっきのラウラさんの情報、えっとそれから考えると、機密レベルが上がっている、ということなら、担当している部署も変わっている可能性が高い……と、思います」

「そうか、ならば役に立てないな、すまない。私が聞いてみて、エージェントが口を開くとは思えない。悪かった」

「い、いえ……」

 再び沈黙が訪れようとしたとき、今度はラウラが、

「引き継ぎはどうなっている? エージェント同士でおそらく引き継ぎはするはずだ。違う部署といえど」

 と助手席に向けて問いかける。

「そ、そうですね、それは……。あ、VIP保護プログラム……そ、そっか」

「どうした?」

「機密レベルが高い要人警護……お姉ちゃんなら何か知ってるかも……れ、連絡してみます……あ、丁度かかってきました、もしもし」

 簪が通話する内容を、全員が黙って耳を立てる。

「う、うん、なるほど、えっと、機密情報レベルはわかってる……VIP保護プログラムは、あ、待って。すみません、箒さん」

「なんだ?」

「担当の方のお名前、偽名だと思いますけど……教えてください」

「伊達だ」

「伊達……わかりました。お姉ちゃん、ダテ……うん、なるほど、あ、ありがとう」

 端末に触れて通話を切った簪が、助手席から身を乗り出して、

「少しだけ近づいたかもしれません……後はたぶん、時間の……問題」

「そ、そうか! ありがとう、簪!」

「い、いえ。ラウラさんと箒さんのおかげで、絞れました……。伊達は内閣情報室の外郭団体が使うことが多い偽名で、あと機密レベルで扱える組織も変わってくるので、その繋がりで色々と絞れそうです。的さえわかれば、後は撃つだけ……」

 素直な二人による感謝に、少し恥ずかしそうに早口でまくし立てて、簪は助手席へと引っ込む。

「よし」

 これでだいぶ近づいた。後は少しでも早く情報が手に入ることを祈るだけだ。

 確かな感触を感じ、一夏はグッと力強く拳を握った。

 

 

 

 

 

 


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