さあ、勉強の時間だと言われて連れていかれたのは、ミーティングルームのような場所だった。ホログラムウィンドウが流行り始めた昨今だが、ここは白いスクリーンとプロジェクターを使っているようだ。
ドクターが車椅子を押し、オレをスクリーンの前に配置する。そして部屋に待機していた痩せぎすの中年男がプレゼンテーションし始める。
「現状としては、IS学園側と国際IS委員会直下の実行組織であるアラスカ条約機構は、微妙なバランスの元に立っている」
頬杖をついて、オレはその話に聞き入っていた。ドクターの言っていた通り、オレは世間の情報から断絶されていた。知っているのは四十院所長と岸原一佐、それに国津博士がIS学園に入ったことと、あの偽物がIS学園の新理事長になったところまでだ。極東IS試験部隊がどうなったとか、そういうことまでは知り得ていない。
「元々はアラスカ条約に深く入り込んでいた四十院総司が、IS学園の方をコントロールする予定だった。だが、篠ノ之束が勝手にISコアを増産し、あまつさえ学園の生徒を動員し、機動風紀委員会という自分直下の武装組織まで作った。これは由々しき事態である」
刺々しい言葉の端々から考えるに、バイアスがかかり過ぎて主観に欠けた情報のような気もする。これは鵜呑みにしてはダメだな。参考にしかならないタイプだ。
「これによりアラスカ条約機構は四十院総司に、増産されたISコアを引き渡すように打診。だが、その返答は三日経った今でも無しだ。これによりアラスカ条約機構は以前より推し進めていたIS学園接収に向けて、極東飛行試験IS部隊、通称FEFISの軍備拡大をさらに推し進めている」
そんな通称が出来たんだ。FEFIS、Far East Flight proving IS-Sectionだったっけ。まあオレがいた頃は
しかし、やっぱりあの部隊はIS学園を飲みこむつもりで作ってたってわけか。ってことは、一年の半分が訓練校に行ったのは、予定通りってことだな。
「すでに四個小隊の設立をアラスカは承認していたが、これをさらに倍の八個小隊へと増やし、基地司令として米国からグレイズマン少将を派遣、また各国のIS関連の有能な人材を引き抜き、増員を図っている。またこれに伴い呼称も極東IS飛行連隊へと変更の予定だ」
確かISの小隊は航空機と一緒だったから、4機から6機か。二機しかない黒兎隊も実質は分隊か班扱いだっけ。IS小隊なんて大きな国でも一個か二個しかないし。あとはそれに小隊に伴う整備・支援要員の数がそれなりに必要って感じか。
しかし地方連隊ってIS史上で初じゃないのか。作戦規模としてはメテオブレイカーと同等ぐらいになるはずだ。
もし戦うとしたら問題は、それでもIS学園側の方がISの数が多いことだ。
錬度はおそらく連隊が上、兵装は学園側か。
「然るに、我々もこれに参集すべく準備を計っている。二瀬野鷹」
「はい」
「キミもいずれ、これに加わってもらう」
「自分はIS乗りになって半年足らずですが」
「もちろん前線で戦ってもらうことはない。ただその特異性を持って箔をつけるだけだ。IS学園側にはもう一人の男がいるが、そちらを重要視する声も少なくはないからな」
要するに一夏に対する当て馬ってだけか。
しかし、何かわかった。こいつらは乗り遅れだ。参集すべくってのはそういう意味だと思う。世情に乗り遅れたヤツらがオレとエスツーを印籠代わりに割り込もうってことか。
だとすると、元々は大した組織じゃないけど、日本政府がバックアップしていて、アラスカは関与してないってことか?
厄介だけど、エスツーを逃す場所はありそうだ。
親が人質になっているオレが一緒に出て行くことは出来ない。誰か信用できる人物に預けたいところだけど……誰がいる? 順当に行けば千冬さんか。一人治外法権みたいなもんだしな、あの人。
あと気になるのは、こいつらもそうだけど、アラスカ側はIS学園側と事を構えるつもりなのか? 四十院所長が裏切ったってことか……? まあISコアを無制限に増産できるところに居れば、増長する気もわかるけどな……よく目的が見えてこない。もっと上手く立ち回れそうな気がするんだが。
考えても仕方ない。
オレがやらなければならないことは、エスツーをもっとマトモな場所に逃がすことだ。
あれだけ賢くて優しい子なんだ。きっと大事にしてくれる人だっているはずだ。
オレは両親が人質になっている間は、こいつらの手から逃げることは難しそうだ。だけど先行してエスツーだけを逃がすことだって出来る。
問題はリスクだな。オレがやったとバレたときが恐ろしい。
どうすればいいのか。
今度こそは、何も間違わずに人を助ける。
そう決意したとき、部屋の後ろのドアが開く。講師役の男が敬礼をした。
……あの敬礼、海の軍隊ってことか? 腕を折りたたむやり方は、狭い艦内を想定してとかだったはず。ってことはやっぱりISを持ってない出遅れってことか。日本人って仮定するなら、陸海空で唯一ISが無いのは、海上だった記憶がある。
そんなオレの情報整理が、カツカツという乾いた音で中断された。入口の方へ首を回すと、三人ぐらいの巨漢を連れた一人の老人が入ってきていた。背筋は曲がっていて、杖を突いて歩く姿が年齢を感じさせた。
ゆっくりとオレに近づき、
「これが新しい遺伝子検体か」
と意味ありげに白い髭を撫でながら、しげしげとオレを観察し始める。
「はじめまして、二瀬野鷹です。こういう体なので立ち上がらずに失礼いたします」
ここでは礼儀正しくするに越したことはない。何かあったらすぐに殴られるわ蹴られるわの暴行三昧だってのは、身をもって知っている。
「ほう、教育が行き届いているようだな。さすがだ」
ジジイは部屋の後ろで黙って見ていたドクターの方を見て、目を細めて褒め称える。
「クライアントの言うとおりに行っております。まだまだ七割といったところでしょうか。ここからは少し時間がかかります」
「結構、だがなるべく時間はかけないでくれたまえよ」
「はい」
「今からの予定は?」
「引き続き長い間、世間と断絶されていたので、その情報を与えているところです」
「大丈夫なのかね」
「戦争が始まるのです。閣下もコレを遊ばせておくために手に入れたわけではありますまい?」
ドクターがニヤリと邪悪に笑えば、閣下と呼ばれたジジイも同様の笑みで答える。
「当たり前だ。我々はこの状況を打破せねばならん」
「まあ確かに世界に二人といない男性操縦者のうち一人を手に入れ、言うとおりに動かせれば時代は変わるでしょう。それでなくとも、コレは特殊です」
「うむ、では頼むぞ。それと、お主もな」
タバコ臭い手でオレの頭を撫でた。まるで高価なツボでも愛でるような手つきだ。
「状況がわかりませんが、従えということなら従います」
「物わかりが良くて結構。なに、悪いようにはせん。我々の手元におるならな」
そう言って、ジジイがカンに触る高笑いを上げた。
エスツーがISを組み上げていた部屋に連れていかれ、雑多な機械のど真ん中に空いたスペースに立っていた。どうにも機器が系統立っていない。四十院なんかだとかなり整理されていてるんだが、ここはもう思うがままに積まれている状態だ。言うなればハードな機械オタクの密室みたいな感じになっている。
……ひょっとしてこの子は整理整頓が苦手なんだろうか。
そんなオレの推測をよそに、足元にあった部品を蹴散らしながら、エスツーが彼女には足が長すぎるスツールに腰掛ける。
「ISを出して」
「IS?」
「チェックする」
「整備か……これ、結構特殊なんだけどな」
チラリと前面ガラスになった廊下側に視線を送る。ドクターとさっきのジジイに護衛と思しき数人の男が立っていた。ドクターが顎で指し示すのを確認し、オレはISを展開した。ジジイが感嘆したように口を開けている。ホント、自分の骨董品コレクションとかそういうのを見る目つきだよな。
エスツーが少し高いイスに座ると、空中から立方体のキーボードが降りてくる。
「接続」
「了解だ」
腰のコネクタボックスへ、天井からぶら下がったケーブルを接続していく。全ての接続が終わる前に、エスツーの前にホログラムウィンドウがいくつも浮いては消えていった。
ボーっと立ったまま、目の前の少女の動きに見惚れる。国津博士やママ博士なんかは普通のメカニカルキーボードの愛用者で、たまに投射式キーボードを使ったりはするが、この少女のようにカスタムされた立体キーボードを使ったりはしない。ゆえに間近で見るその動きは新鮮だった。よく見ればキーボードを叩くたびにキーの配置が変わっている。次に叩くキーが効率的な形で配置され、それが打鍵するたびに行われるようだ。
「まだ球体は無理」
「球体?」
「本来は球体にするのが理想」
「ああ、キーボードの話か。どうだ? ディアブロは」
「変」
「だろうな」
「イメージインターフェースがない」
「ああ、ルート2っていうワンオフアビリティが代わりをしてるらしい」
「メンテナンスに時間がかかる」
「了解。気長に待つさ」
久しぶりの全身展開なので、細かく羽根を動かしてみたりする。違和感はない。いたってオレの体そのものと区別がつかない。肉体としては無くなった腕と足も、IS装着状態なら以前と変わらないように動かせる。それこそISがオレの体であるとでも言うようにだ。
「……完成に近いようで、完成していない機体」
「あん?」
「違う。そもそもインフィニット・ストラトスというマルチフォームスーツは、完成に至っていない」
「どういうこった? 天才過ぎて何言ってるかわかんねえぞ」
「宇宙でも活動できるマルチフォームスーツという目的は完成している」
「まあ実際に宇宙に羽ばたいてる機体もあるわけだしな」
「ただし、これでは意味がない。何故なら」
「うん?」
「遠くまで飛べない」
その言葉にオレは眉間をしかめた。
「遠くまでっていうのは?」
「地球数周の距離程度を飛んでも仕方ない。宇宙は広大。コアネットワークもある」
「なるほどな。コアネットワークによる位置把握は、どこにいてもお互いの居場所を掴めるらしいからな」
「これが根拠。まだインフィニット・ストラトスは想定された機能に達していない。つまり」
「完成していないってことか」
さすがとしか言いようがなかった。わずか十歳にも満たない子供が達する結論じゃない。オレでさえ、十歳のときは専門書籍にかじりつくのが精いっぱいだった。
こいつはやっぱり、あのババアどもが言うような存在なんだな。
「現状として、辛うじて完成に近い機体は、紅椿と白式のみ」
「紅椿……はわかる。エネルギー総量がワンオフアビリティで桁違いの効率を発揮するからな。だけど白式は何でだ? ありゃ相当に燃費が悪い機体だぞ」
「違う。それは生かし切れていないだけ」
「そりゃ……何となくわかる」
ごめんよ織斑君。オレが言ったんじゃねえからな?
「この子もかなり完成に近い機体。エネルギー効率が……およそ通常の機体の50倍以上。それでも」
「遠くまで、というには至っていないってことか。だったら尚更、白式はどうしてだ?」
「壁を超える者」
「どういう意味だ?」
「現状の世界で唯一、壁を超えることが出来る機体。推測」
「推測?」
「私は篠ノ之束じゃない。なので推測」
「……そうだな。お前はお前だ」
その小さな言葉に、この子なりのプライドを感じた気がする。オレなんかより、よっぽどしっかりしてるぜ。
「推測。ISの本来の最終到達点は、多次元戦闘機インフィニット・ストラトス。これが究極」
聞き慣れない単語にオレが戸惑っていると、今までずっと動いていた指を止めて、エスツーがオレの目を見つめる。
「ストラトスの語源はラテン語の『広がり』。つまり無限の成層圏という皮肉ではなく」
「どこまでも続いて行く者ってことか?」
「正解」
「どこまでもってのは、この次元だけじゃなくってことか」
「そう、長さも幅も高さも、そして時間さえ超えて広がり続いていく者。ヨウには意味がわかっているはず」
すがるような視線だった。お前だけは同類なのだから、と言われている気がする。だからオレは、
「ああ、わかるよ」
と短く同意した。
広大な宇宙を効率的に進むには、距離を縮めるか時間を操るかの二つしかない。光ですら数万年以上かかる距離にも星はあるのだ。つまり三次元に生きているオレたちでは辿りつけない場所がある。
「すべては推測。どうせあと200年は完成しない」
そこまで喋ってから、少女の目が眼前のウィンドウへと戻り、ピアノを叩くような打鍵が再開される。
「わかってるよ。お前は篠ノ之束じゃない」
オレに言えるのは、こんなセリフしかない。
「覚えておいて」
「ん?」
「私はここに生きていた」
少女が言ったセリフは、IS学園に来たころのオレがよく思ってた言葉だ。
だが、思わず小さく吹き出してしまう。
「なぜ過去形」
「間違えている? 普段は思考を言語化しないから」
少女が口を尖らせて非難の目をオレへと向けた。
先ほどまで淡々と喋っていた天才の顔はそこになく、いつもの無口だが年相応の少女の顔だ。
「ああ、そうだな」
ISの足を動かして、右手の装甲を解除する。そしてそっと、広大な宇宙にも続く少女の頭を撫でる。途端にネコのように目を細めて気持ち良さそうな顔をし始めた。
「オレたちは生きてるよ、ここに。こっからはずっと一緒だ」
「……ヨウは優しい」
「そうだな。優しくしてもらえるのは、嬉しいことだよな。世の中が、そうなれば良いのにな」
そんなことが理想だってのはわかってる。
さっき聞いたありがたい勉強の内容だけでも、世界が戦争へと向かっているのがわかった。
誰が用意した舞台かはわからないが、あとは何かのトリガーさえあれば戦いは始まってしまうだろう。
オレがここから離れられない。だから、この少女だけはせめて、誰にも届かない場所で幸せになって欲しい。そう思うのはオレの我が儘なんだろうか。
振り返れば、我が儘ばかりの人生だ。
でもそれが二瀬野鷹の生きてきた道だ。恥じることも悔いることも沢山あって、取り返しのつかないことだらけだ。戦争が起きるとしたら、オレだってその遠因を作った一人だろう。
両親だって人質扱いで、自由に羽ばたくことが出来ないなら、せめてこの少女を青い鳥となる。
決意というにはあやふやで、過去を取り戻すことにはちっともならないが、そんな小さな祈りぐらいは許してくれないか。
なあ、神様。
風の強い夜だ。鉄格子の向こうにある窓がガタガタと揺れていた。
隣を見れば、エスツーが抱きつくようにして、スヤスヤと眠っている。意識はないのに、オレの検査着をしっかりと掴んでいるところが可愛らしいもんだ。
コンコンとノックの音がした。
この遺伝子強化試験体研究所で、オレが心を許しているのは隣で眠る少女だけだ。あとは面倒事しかない。
ゆえに寝た振りがベストだ。
「おや、寝てるのかい。いや起きてるだろ、M1」
入ってきたのは、サディストのババアことドクターだ。
オレがベッドに倒れたまま沈黙していると、
「聞いてなくてもいいがね。エスツーに関する重要な情報があるよ」
と鼻で笑う。
この少女に関する情報というなら、起きないわけにはいかない。エスツーを起こさないように上体を起こし、逆行で顔の見えないドクターを見据える。
「起きてるじゃないか。随分と仲良くなったようだね。逃がそうとか思うんじゃないよエスツーを」
「そんなことしねえよ」
「残念ながら、人質は二体いるんだ。逃がせば一体、お前が怪しい行動をすれば一体。そういう風に出来てるんだ」
「……人の親をそういう風に数えんじゃねえよ」
「日本語は数字がややこしいから面倒だよねえ。アイン・ツヴァインじゃダメなのかい」
「何でもワンツーで済ますのが便利だとは思わねえな。用件はそれだけなら、了解だ」
それだけ告げて、オレは再びベッドに寝転ぶ。その様子を気に食わなそうに舌打ちをしてから、ドクターが去って行く。
……なんで舌打ちしたんだ、今のは。更年期障害か。まあいい。
問題は先手を打ってきたってことか。
「ヨ……ウ」
幼い声に気付いて、隣を見つめる。ただの寝言のようだ。
「なんか名前とかあると良いよな、きっと」
外へ出れば呼び名に困る。S2なんて人間の名前じゃない。いっそ名前を考えてやるといいかもしれないな。
そっと頭を撫でてから、オレは目を閉じようとした。
その瞬間に、小さな窓の外が光る。
「なんだ?」
立ち上がろうとしたときにようやく判別できた音で寒気がした。
「ISのスラスター音!」
咄嗟にISを全身展開をし、窓に背中を向けてエスツーを抱きかかえる。
閃光が強くなった瞬間、爆音が周囲に響き渡った。
「今度は市街地でISの戦闘!?」
国津玲美は寝ぼけ眼で、電話を持って驚いている神楽の方を見る。彼女のもう一人の親友である理子は、反対側のベッドで夢の中だった。
ここは四十院研究所の海上ラボ内にある仮眠室だ。簡素なパイプベッドがいくつか並んでいて、今は他の研究員たちも就寝につこうとしていたところだった。
「IS……戦闘?」
「わかりました、はい」
電話を切った神楽は、ベッドサイドに置いていた髪留めで、下ろしていたサイドを止めてベッドから降りる。その横顔は悲痛な物だった。
「かぐちゃん?」
「何でもないわ。ちょっと電話してくるわね」
「……どうしたの」
「なんでもないわ」
パタパタと走り出していく幼馴染の姿に、そこはかとない不安を覚えた。
何かおかしいとはずっと思っていた。
彼女はもうう十日も母親の指示でここで待機状態だ。自分の目にはどう考えても終わったように思えるISの調整を、何度もやり直しをさせられていた。二瀬野鷹とも連絡が取れてないことも不安だった。
そもそも、自分は訓練校に入ったはずなのに、海上ラボにいて良いのか。
保護者である母と信頼している幼馴染の神楽が何でもないと言い張るので、玲美としては黙っていたが、もう限界だった。
市街地でISの戦闘なんて、正気の沙汰じゃない。それに嫌な予感がする。乙女の勘だ。
ベッドから飛び降り、部屋の隅のロッカーを開けて中からISスーツを掴む。研究室に行ってテンペスタ・ホークを持ち出すつもりだった。
騒然とし始めた仮眠室を走って出て行こうとしたとき、その入り口に立ち塞がる人物がいた。
「玲美、どこに行くの」
「どこって……とりあえずかぐちゃんを追いかけて、何があったか聞こうって」
「ベッドに戻りなさい」
所長代理でもある母親が、有無を言わせない言葉で命令をしてくる。その姿に、やはり何かがあったんだと確信した。
「ママ、どうして何も言わないの? ヨウ君、どうしたの?」
「何にもないわ。彼は元気よ」
「嘘」
「嘘じゃないわ」
「だってママ、私がウソ吐くときと同じ顔してる」
娘の言葉に、母はハッと驚いた顔をし、すぐに目線を逸らした。
「……親子ですから」
「じゃあヨウ君と会話させて」
「ダメよ」
「アレの傍受とか関係ないよ。ちょっと話をして無事を確かめるの」
「許しません。すぐにベッドに戻りなさい!」
「嫌!」
親子の言い合いの声が大きくなり始め、仮眠室にいたメンバーの目線が二人に固定されていた。
埒が明かないと思った玲美は、母親を無視して横を通り過ぎようとした。だがその肩を強く掴まれて止まる。
「いたっ」
「今はダメよ。絶対に」
「どうして!? ねえママ!」
玲美は自分の肩を掴む腕を振り払い、逆に母へと食ってかかる。だが相手は苦渋の表情で、
「貴方が……いえ、私たちが彼の足枷になるからよ」
と呟いた。
「足枷ってなに!」
「……そうね。貴方が二瀬野鷹にとって新しい枷になるのよ」
「だから、どういう意味なの!」
「簡潔に言うわね。二瀬野君は、ご両親を人質にされて、人でなしの集団の実験体にされてるの」
「え!? ちょっとママ?」
「わかったなら、ベッドに戻りなさい」
「わからないよ! ママ、どういうこと!」
「日本政府最大の過失、と言えば良いのかしら。それから貴方を守るためよ」
「ママ!」
「いいから、黙って戻って!」
「戻らない! いいから、ママ、ちゃんと説明して!」
金切り声に近いトーンで言い合いが大きくなり始めた。
そこへ、のんびりとした声で、
「市街地での戦闘、いつかの戦闘機モドキのISと、ディアブロだね」
という言葉が聞こえてきた。
「理子!?」
「もうウルサイから起きちゃったじゃない」
手に持ったタブレット端末を片手に、理子はメガネをかけベッドから降りる。ペタペタと裸足で玲美へと近づいて、端末の画面を彼女に向けた。
「これ、陸の研究所にあるレーダーが掴んだ情報だね。ここのラボにも送られてる」
「じゃ、じゃあやっぱりヨウ君の」
「何があったかわかんないけど、無人と思われるISコアを搭載した未確認飛行物体と、ディアブロが戦ってる」
「……助けに行かなきゃ」
「無理無理。ホークは毎日、試験が終わったあとにISコアをスリープされてる。ママ博士の指示でね。解除キーはママ博士しか知らない」
理子が肩を竦めて呆れたように言う。
「ママ!」
「ダメよ。絶対に行かせないわ」
「どうして! ヨウ君だよ! ヨウ君が戦ってるのに!」
「理子、端末を貸しなさい」
「はいどうぞ」
理子から端末を受け取った所長代理がタブレット端末を何度かタッチした後、画面を娘へと突きつけた。
「まずこれ。私たち四十院研究所への捜査令状の発行がされてるわ。次、所長代理ならびに一部近親者の身柄受け渡し要求。一部近親者ってのが誰のことかわかるわよね」
「……私?」
「そうよ。次、この付近を遠巻きに監視してる艦船のデータよ。なぜか海上保安庁じゃなく海自が出張ってきてる。これはね、ISを持たない海上自衛隊の一部、艦隊派って呼ばれてる人間たちの指示よ」
「ママ?」
「つまりね、貴方は狙われてるのよ」
「ど、どうして!? なんで私?」
「貴方が、二瀬野鷹に対する大きな枷の一つだから。幸い、極東のIS部隊と協力して要求を跳ね除けてるわ」
「枷って……」
「わかってるわよね。理子も危なかったら呼んだ。神楽はまだ四十院の壁があるから大丈夫と踏んでたけど、そろそろ危ないかもしれないわ。他の子はIS学園所属だから大丈夫だと思うけど」
「で、でも!」
「考えなさい。二瀬野君は、あんなことをした貴方を助けたのよ、あの横須賀沖で。それが大事な人間の一人じゃないってどうして言えるの?」
冷たい調子で次々と突きつけられる事実に、玲美は何も言えなかった。
思いも寄らなかった。ただの恋心が、人の足を引っ張るなんて。
「……ママ、でも、助けに行きたい」
ポロっと零した言葉と涙に、母親はそっと優しく抱き締めた。
「私は失敗したけど、貴方を失敗させるわけにはいかないのよ。貴方が助けに行くのは、もう少し後よ」
母の腕の中で、娘が嗚咽を上げる。
「ねえママ博士」
横に立っていた理子が、クイっとメガネを上げた。
「なに?」
「日本政府最大の過失ってなに?」
その質問に所長代理は玲美を抱き締める力を強め、
「すぐにわかるわよ」
と悲しそうに呟いた。
燃え上がるビルを背に、オレはディアブロを展開して立っていた。
「くそっ! なんだコイツ、飛行機かよ!」
敵はいつものISじゃない。全長三メートルぐらいだが、どう見ても胴体や頭が入る場所が見当たらない、航空機と戦闘機の相の子みたいな形をしていた。
火力はノーズに搭載されてるビーム兵器だけっぽい。小回りも効き難い機体みたいだけど……。
「周囲にいる人間は、早くここから離れろ!」
オープンチャンネルで避難勧告を出しつつ、マイクを通して外部音声でも叫ぶ。
そのタイミングで、敵はビルに向けてレーザーを撃ち放った。咄嗟に間へと入り、左腕を盾にしながら攻撃を受け止める。
「くそっ、正気かよ!」
無人機ってことは、おそらく神様もどきの使者ってことだ。こんな市街地で人員を巻き込みながら戦闘を仕掛けてくるなんて、さすが人じゃねえ。
敵機はビルの周囲をグルグルと逃げ回りながら、敵は攻撃を建物へと仕掛けようとする。
小回りが効くディアブロで瞬時加速をかけると、その背中に取りついてノーズを上空へと無理やり方向転換させようとした。
発射されたビームが、オレたちのいたビルの屋上辺りを削る。内部で爆発が起きた。
「何が目的だってんだ、チクショウ!」
四枚の推進翼を全力で機動させ、敵機を抱き締めたまま空へと昇り始める。抵抗しようと相手も推力を働かせてもがこうとするが、人型じゃないので手足もない。そして推進力はディアブロが上だ。
先端にあるビーム発射口ごとノーズを上へ向けて、ビルから離れようと飛ぶ。
そこで、敵の小型戦闘機型ISに異変が起きた。装甲に走るラインを中心に、ISが分割され始める。
「なんだ、展開装甲か!?」
敵の兵装を潰すために、オレは慌てて左腕を突き立てようとした。
だが、それは一瞬で形を変えた。
翼が割れ、胴体部分から腕と足のような細い棒が割れる。
「可変型だと!?」
ノーズが割れ、装甲の隙間からバッタのような頭部が剥き出しになった。
新しく生えた手の平に、光の粒子が集まる。
「しまっ!?」
オレの体に強い衝撃が走った。
頭を振って周囲を見渡す。
攻撃を食らって見逃したかと思ったが、すぐに敵機を捕捉出来た。
異様な機体だ。ディアブロの半分ほどしかない胴体と垂直に交わった肩部から、ぶら下がるような腕が生えている。頭部も胴体同様に細く、先端に昆虫の複眼みたいなセンサーがついていた。胴体と並行だった推進翼は垂直方向へと変わっていた。さながら空飛ぶ黒いバッタか、それとも戦う十字架か。
「……そんな良いもんじゃねえな。案山子みたいだ」
そんな奇妙なISが、ぶら下がった両腕の先をオレへと向ける。
そこから放たれたビームを、長い左腕で薙ぎ払うようにして防ぎ切る。
「遠距離は戦闘機モードで、近づいたら小回りの効くその形になって戦うアサルトタイプってことかよ」
オレは唯一とも言える兵装の推進翼兼ビット『ダンサトーレ・ディ・スパーダ』を切り離し、相手に向けて飛ばす。
敵機はさっきよりスピードは落ちてるが、ひらひらと飛び回って器用に回避した。
さすが無人機、回避するのは上手ってことか。
ビットの恐ろしさは、相手の死角に入って攻撃できることだ。人間の場合はどんなに視野が広かろうと、自然と意識が一点へと注目してしまい、死角がおろそかになる。だが端から機械である無人機には、そういった弱点はない。認識したものをかわすだけだ。
「くそっ」
とりあえずは、ここから離れるしかない。ビルからさほど離れていないこの高さじゃ、戦闘に巻き込まれて死人が出る。
ぶっちゃけ他の人間はむしろ死んで欲しいが、エスツーだけは逃がさないと。
「来い!」
挑発するように背中を向け、オレは空へ舞い上がろうとした。
だが、相手の様子が変だ。
その細い体を上へと向ける様子がない。
おかしい。
そう思いながら、二本の大剣状のビットをけしかける。
すると、それをヒラリと回避した可変型無人機は、一瞬で戦闘機モードに戻り、地面の方へと加速し始める。
「待ちやがれ!」
分離していたメインの推進翼と合流し、敵を追いかける。
地面を拡大してみれば、ドクターに手を引っ張られて走るエスツーの姿があった。
ディアブロ、頼む!
祈るような気持ちで背中に意識を集中する。
四連続のイグニッションブーストがかかり、相手が攻撃しようとノーズのレーザーライフルを撃つ前に追いついた。
ディアブロの長い左腕を突き出して、敵へと激突する。
体勢を乱された可変型無人機のレーザーが、オレたちのいたビルを薙ぎ払った。まるで名刀でカットされた巻藁のように、斜めにスライドしてから倒れてくる。
その破片がエスツーたちの方へと降り注ぎ、切断されたビルの上層部分が地面へ傾き始めた。
「エスツー!」
地面すれすれで方向転換して、ツバメのようにエスツーをさらう。
「ヨウ?」
右腕で抱き抱えたエスツーがオレを見上げた。
振り向けば、巨大な建築物がドクターのいる場所へと落ちて地面を揺らした。最後にこっちを向いて何か叫んでいたが、それも轟音にかき消された。
「ドクターは」
「無理だ、助からんし、助ける気もねえ」
そのまま滑走し、少し離れた場所へと降り立った。上空を見上げれば、こちらに白い光がいくつも降り注ぐ。
推進翼を広げて、エスツーに覆いかぶさる。
「クソッ!」
どんな理屈か知らんが、銀の福音のときと同じようにシールドバリアを貫通して直接攻撃が当たる。何がどうなってんだチクショウ。
幸い、推進翼兼ビットである巨大な剣によって大多数を弾き返し、一発が脚部装甲を抉った程度で済んだ。そこにオレの肉体はないから、問題ない。
「いいか、なるべくここから離れろ! 走るんだ!」
「……ヨウは?」
「あれを倒したら追いかける!」
少女の了承さえ聞かずに、空を見上げた。ふたたびIS型へと変形した敵機に向かって、左腕を盾のように突き出しながら飛びかかる。
冷静に見れば、動き自体は大したことがない。スピード型じゃない甲龍やレーゲンと同程度だ。
そしてこっちは、まだ大した損傷を受けてないのだ。
「うざってぇんだよ!」
その頭部センサーに向けて、飛びヒザ蹴りを食らわせる。装甲の破片を撒き散らしながら、可変型無人機が上空へと吹き飛んでいった。
それを追いかけるように瞬時加速をかける。
手が届く位置へと辿り着いた瞬間に、日本刀を束ねたような悪魔の左腕を横へ薙ぎ払った。敵の両腕が砕かれる。右手を突き出して、相手の細い胴体を掴んだ。
「トドメだ、ご主人さまにオレに構うなって言っとけバカヤロー!」
背中の推進翼を分離し、動けない機体の後ろから串刺しにした。さらに右手を離してから、もう一度左腕を振り上げて、刀のように振り下ろす。
可変型ISは、その一撃で単なる破片になって落ちて行った。ISの反応は一切なく完全に沈黙したようだ。
「ま、あのババアを殺したことだけは評価してやらぁ」
ホッとため息を吐いてから、オレはエスツーを探す。さっきより少し離れた場所で、こちらを見上げて、両手を伸ばしていた。顔には微笑みが浮かんでいる。
周囲の反応を慎重に探りながら、ゆっくりと地面へと降り立った。
『さすが私の思い人ですね、二瀬野鷹』
オレの耳にそんな声が聞こえた。
どこだ? と反応を探ろうとした瞬間に、オレの横を白い光が通り過ぎていった。
「んな!?」
振り向いた視線の先、超望遠モードで確保した視界には、青紫のISが巨大なスナイパーライフルを構えて、ビルの上に立っていた。距離にして8キロ先だ。
そしてオレの背中側で、何かが崩れ落ちる音がした。
振り向きたくない。振り向くな。
見たくないものがそこにある。
ああ、そんなバカな。
どうして。
あの小さな少女が。
頭を撫でるとネコのように目を細め、眠るときはオレの服をしっかりと掴んでいた、あの可愛らしい少女が。
胸から上を失った亡骸になって倒れているのか。
IS学園は不穏な空気に包まれていた。
夕方の食堂では、食事を取っている全員が携帯端末をいじったり、数人で集まってヒソヒソと噂話をしている。その誰もが深刻な表情を浮かべていた。
その隅で一夏はコーヒーカップを握って、ボーっとその水面を見つめていた。
「謎の戦闘機による市街地攻撃か……」
テーブルの反対側にいたシャルロットが、ぽつりと、連日流れて続けているニュースの内容を呟いた。
「日本でこんなことが起きるなんてな」
「ネットなんかじゃIS学園のISの仕業じゃないかって」
一夏たちが外出し、外でのストライプス紙のインタビューを受けた日の夜、都内にあるビルが謎の戦闘機による攻撃を受けたらしい。
周囲に住宅の少ない地域で時間が夜だったが、それでも建築物の倒壊が三棟、死者四十名、行方不明者二十名以上を出す大参事になった。
「シャルんところは何か指示あったか?」
「ううん、今のところは……」
「そっか」
「一夏は?」
「気をつけろ、とだけ」
「まあ隊長のラウラが側にいるわけだしね」
「そりゃそうだけど、ラウラだって本国の意向には逆らえないわけだしなあ」
日本がきな臭くなり始めた、というのが世界の見方だった。
何故か日本国内にいる一部の外国人、とりわけ関東地方にいる人間には、国外に脱出するよう勧告も出始めているらしい。もちろん、そんなニュースを知らない日本国民ではなく、とりわけ最近の報道番組のゲストには軍事評論家の出番が多い。
逆にIS学園は、不気味なほど静寂だった。
全ての生徒には、関係者以外に無駄なことを喋らないようにという通達が出ただけである。もっとも、一般生徒は誰もその事件の真相を知らないので、噂話程度しか出来ないのだが。
一夏にとって気がかりなことは、それだけではない。
二瀬野鷹の両親について探っている件が、外出した日以降、新しい情報が何もないのだ。
かなり焦っている。
ラウラの話によれば、かなり危険な機関に囚われているという話だ。
だが、二瀬野鷹の両親の足取りが未だに掴めない。
「どういうことだろうな」
「ん?」
「いやヨウんちのオジサンとオバサンの件。全然行方が掴めないってのは……」
「それだけ情報が堅いってことだよね」
「っと、メールだ。誰からだ?」
携帯電話を取り出すと、そこには彼の記憶にないアドレスが表示されていた。
「うーん、あ、黛さんからだ」
「ストライプスの副編集長さんだよね?」
「そうそう。次回インタビューとグラビア撮影で、いくつかの候補地が絞り込めましたので、だってさ。いやグラビアって……」
「そんな約束してたの?」
「いや全然」
「受けるの?」
「いや、受けないよ。向こうは誘拐されかかって、たぶんこの件から手は引いてるだろうし。申し訳ない気持ちはあるけど、でも取引自体が破棄なんだ。受ける必要は……なんかおかしいな」
一夏がメールに表記されたマップをスクロールしながら見ていると、妙な違和感を覚えた。
「どうしたの?」
「どれも普通のマンションっぽいな。ってこれ……」
すぐに自分の察しの悪さに頭を抱えたくなった。ストライプスの副編集長は、危ない目に遭っておきながらも、しっかりと一夏が依頼した件を果たしていたのだ。
「……ちょっと裏付けが欲しいな。シャル、悪い。オレの部屋にラウラと箒と簪を呼んどいてくれ!」
一夏はぬるくなったコーヒーを一気飲みし、自分の部屋へ向かった走って行った。
「えと……ここが二瀬野君のご両親が?」
一夏が自室のディスプレイに映し出した情報を、簪が覗き込んでいた。その二人の後ろから箒とラウラも同じように覗き込んでいる。
「だけどまだ確信がないんだ。裏付けがもう一つぐらいは欲しい。俺たちもそんなに頻繁に外出するわけにはいかないし」
「うーん……これの根拠は何でしょう?」
「どうやら大阪の政府関連の外郭団体に就職して、すぐに退職、それで居場所がわからなくなった人っぽい。で、東京で似た人を見たって情報だ」
「いわゆる偶然……ですね」
「どうも曰くつきのマンションらしくて、つまり日本政府関連の人用の隠れ家なのかな。多目的に使われる場所だと思う」
「うーん……ちょっと待って……これはたぶん、自衛隊関連の施設でしょうか」
簪が自分の端末を触れながら、一夏の机にあるディスプレイと見比べていた。
「自衛隊?」
「ちょっとお姉ちゃんを呼びます……」
そう言って電話をコールしようとしたとき、
「呼んだ? 暑いねーまだまだ」
と棒状のアイスを咥えた更識楯無が入室してきた。ホットパンツにノースリーブというざっくばらんな格好をしていた。
「た、楯無さん、なんで!?」
「ちょっと用件があったから。あらラウラちゃんと箒ちゃんまで。何かわかったの?」
「すみません、それっぽいマンションの情報があったんですけど、確信がなくて」
「情報源は?」
「マスコミです」
「ああ、ストライプスの……それはちょっと裏付けが欲しいね」
「はい。そう思って簪に聞いてたところです」
「かんざし?」
「え?」
「へー? ふーん? もう呼び捨てするような仲なんだ、へー?」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。今はそういうのは」
「いいよいいよ、全然。でもまー、まさか簪ちゃんまでライバルになるなんてねー」
棒状のアイスクリームを舐めながら、楯無が両者を交互に見比べる。一夏はともかく簪の方は頬が紅潮し始めていた。
「ゴホン。生徒会長、そういう場合ではないはずですが!」
「その通りだ、遊んでいる場合ではない!」
一夏の後ろから眉間に皺を寄せた箒とラウラが、抗議の声を上げる。
「うんうん、別に余裕を見せてるわけじゃないけどね。ただ、ごめんね。少しでも先延ばしにしたかったのかも。私の悪い予感が当たりそうだから」
「へ?」
だが、シャクシャクと音を立ててアイスを食べ終わり、残った木の棒をゴミ箱へと投げ入れた。
「こっちも怪しい場所を掴んでて、それが三か所に絞られてたから見てもらおうかなって」
「そ、そういうことなら、早く言って下さい!」
抗議の声を上げる一夏だったが、生徒会長は寂しそうな顔を見せる。
「楯無さん?」
「ううん、何でもないわ」
だがそれもつかの間、いつもの余裕を含んだ笑みに戻る。
「場所はこれね。どれどれ……うん、ビンゴじゃないかな。私の持ってる候補地の一つと合致する。おそらく海自の艦隊派が秘密裏に持ってる隠れ家ね」
ディスプレイを覗き込んだ楯無の声に、一夏は小さなガッツポーズを作る。
目的だった二瀬野鷹の両親を見つけた、
「よし、じゃあすぐ行きましょう! 前から目をつけてたIS学園からの脱出経路を使います。ラウラ、シャルと合流して行こう」
「セシリアと鈴はどうする?」
「なんかあったときのために残っててもらおう。それにオレたちがいないことを誤魔化す人も必要だし」
「了解だ」
一夏はラウラと箒に視線を送って、駆け出そうとする。
「待ちなさい!」
駆け出そうとした三人を、鋭い声音で楯無が止めた。その気迫に一夏と箒、ラウラの三人の動きが止まった。
「楯無……さん?」
一夏が恐る恐る問い返したが、楯無は背中を向けて自らの表情を隠す。
「……織斑一夏君」
「はい?」
「辛い決断をすることになると思うわ」
夜の帳が降りた窓ガラスは鏡のようで、辛そうな表情をしている楯無の顔が一夏にもよく見えた。
「あくまで私の勘よ。女の勘。でもよく当たるわ。こと悪い場合に限っては本当に嫌になるぐらい」
「ちょ、ちょっと待ってください、どういうことですか? 何を言いたいんでしょうか?」
「……それでもキミしかいないのかもしれないわ。世界初の男性IS操縦者、メテオブレイカー二瀬野鷹。彼を救う決断になるかは、わからない。でも」
「行きます。ありがとうございました」
楯無の言葉を振り切るようにして、一夏は走り出す。
それを背中越しに見送った後、部屋に残っていた簪の方を向き直す。
「簪ちゃん、申し訳ないけど、彼らを助けてあげて。車とか。……武器はいらないわ」
「お姉ちゃん?」
「行きなさい、それとあの子たちをお願い」
「う、うん。わかった」
簪も一夏たちを追いかけて走り出す。
それを見送った後、楯無は浅いため息を吐いて夜空を見上げた。
「……可哀そうな子」
誰に向けて呟いたかもわからない憐憫の言葉は、誰の耳にも届かなかった。
一夏とラウラ、シャルロットと箒、そして簪を乗せた車が、都市部にある何の変哲もないマンションへと辿り着いた。
運転手を務めたの女性は、更識の家の人間らしく、今は合流ポイントで待機してもらっていた。
「ここか」
二十階建ての、よくある高層マンションだ。彼ら五人が降り立った最上階の奥にある部屋が目的地だ。
「……マンションには人の気配が少ないな。見回りやセキュリティ装置も見当たらない」
先頭を歩くラウラが拍子抜けしたように呟いた。
彼ら全員がISの専用機持ちである。悪いとはわかっていながらも、センサーだけを起動させ周囲の人影を確認していた。
「外れなのか……ここまで来て」
箒がぼそりと呟くと、シャルロットは、
「ううん、目的の部屋には人影が二つある。たぶんそこに二瀬野君のご両親がいるって信じよう」
と励ました。
「そうだな……この瞬間にもタカは酷いことになっているのかもしれないんだ。行こう」
それ以上は何も喋らずに、五人はエレベーターから一番遠い部屋の前へと辿り着く。
ラウラとシャルロットの二人が扉を挟むように壁へ張り付き、一夏たち残りのメンバーは少し離れた場所に待機する。
荒事になれたラウラが最初に侵入し、次に訓練を受けているシャルロット、続いて一夏と箒、そして殿に簪という突入順が組み立てられていた。
そしてドアノブを握ろうとしたラウラが、怪訝な表情を浮かべる。
「電気が来ていない」
外にある電力会社のメーターが視界に入ったようだ。
「電気が来てないのに、人が中にいるの?」
シャルロットが声を抑えて問いかけると、ラウラはドアの隙間へと耳を済ませた。
「……女の声が二つ……この声は!」
驚いた様子でラウラがドアを開けて、中に入り込む。
合図も何もない突入に焦りながらも、シャルロットが慌てて追いかける。続いて残りの三人も中へとなだれ込んだ。
そこは何の変哲もない3LDKの部屋だ。
そして誰も住んでいないのか、家具も電化製品も何もない。
「教官!」
ラウラが震える声で叫ぶ。
暗いリビングの奥、ベランダから射す月明かりの下にに立っていたのは、一夏の姉でありラウラの教官でもあり、元IS学園の教諭でもあった織斑千冬だった。
「お前らもここに辿り着いたのか」
冷たい声音で呟いた内容は、どこか悔やんでいるような響きを含んでいた。
「千冬姉……どうして、ここに」
「偶然だ。そこの女もな」
千冬が顎で指し示すと、部屋の隅の暗闇から、一人の女性が姿を現した。白いTシャツにデニムのミニスカートという地味な服装だが、その体の凹凸と可愛らしい顔立ちが逆に目立つ、そんな容姿の女性だ。
「みなさん、こんばんは」
「悠美お姉ちゃん……?」
「残念ながら、私も今来たところよ。この織斑さんと鉢合わせになって、事情を聞こうとしてたところ」
そう言って、肩を竦める。
場に集まった六人が、先客である千冬を囲む。
だが彼女は気にした様子もなく、まるで
「お前たちが集まったのも、そこの極東の専用機持ちと同じ、二瀬野さんの件だろう?」
「あ、ああ」
上ずった一夏の返答に、姉である千冬は自嘲するような笑みを浮かべた。
「辿りついてしまったか、と言わざるを得ないな」
「な、なんで千冬姉がここに?」
「偶然だ。本当はここに来るつもりはなかったんだが、どうしても自分で確認しておきたくてな。二瀬野鷹のご両親は、私にとっては恩人だ。ここに現れても不思議ではないだろう」
「そ、そりゃそうだけど……って千冬姉、これはどういうことだよ? オジサンとオバサンは?」
一歩前に出て、一夏が姉へと食いかかる。
月明かりに背中を向け、表情が見えない千冬が、少し重たそうな口を開いた。
「帰れと言っても納得しないだろう。しかしこれ以上探しても無駄だ」
「……どういう意味だ?」
「これは、現代における日本政府の最大の過失の一つ、と言っても良いだろう。そしてそれを隠すために、二瀬野は遺伝子強化試験体研究所なんて場所に連れていかれ、時流に乗り遅れた亡霊たちの走狗とされようとしていた」
「だから何が言いたいんだ、千冬姉! ヨウんちのオジサンたちの行方を知っているなら、教えてくれ」
「ああ。いいか、私も信じられない。言いたくもない。だが……真実はこうだ」
「真実?」
「二瀬野夫妻は、もうこの世にいない」
その驚愕の事実に、全員が口を噤んだ。信じられないという目を千冬へと向ける。
千冬がサマージャケットのポケットから一通の封書を取り出した。
「これは、二瀬野鷹の父親が、息子へ送った遺書だ」
「遺書……自殺だったのか?」
「ああ。七月に起きた事件で、アイツが左腕と膝から下を失った。これをな、二瀬野さんに漏らしてしまったバカがいたんだ。おそらく何の意図もなく、もしくは誰かが息子の状態を母に伝えようとした善意なのかもしれない。それを知った母は、息子に会わせてくれと政府に嘆願した」
淡々と、事実だけを伝えるように努めながら、千冬は言葉を続ける。
「だがもちろん、二瀬野鷹はISを奪い、アラスカ直轄の作戦を邪魔した容疑者であり、なおかつISをその体から取り外すことが出来ないという状態だった。政府でさえ、その扱いに困るほどの人間だ。そして二瀬野鷹に対する最大の人質が両親だった。だから簡単に会わせるわけにもいかない。政府は母の要望を全て却下した」
「そんな……」
絞り出すような声で呟いたのは、シャルロット・デュノアだった。彼女は亡き母親から惜しみなく愛された記憶がある。ゆえに気持ちがよくわかったのかもしれない。
「そして二瀬野鷹の両親はどんどん憔悴していった。息子が心配で食べ物も喉に通らない。それはそうだろう。腕も足もなくなったと聞いてまともでいられる肉親の方が少ない。そして会うことも許されないのだ。そして事件は起きた。何の変哲もない場所で、上の空で歩いていた二瀬野の母親は階段を踏み外して、打ち所悪く死んでしまったんだ」
「そんな……」
「誰も責めることが出来ない事故だ。彼女に付き添っていた政府のエージェントを責めることも出来ない。そして妻を失った夫はな、エージェントの目を盗んで、投身自殺をしたのだ。この遺書を残してな」
そこまで喋ってから、千冬は手に持っていた封書を、一夏へと差し出した。
「千冬姉?」
「お前が持ってろ。友達なんだろう?」
「で、でも!」
「このことを、二瀬野に伝えるかどうかの判断は、お前たちに任せる」
「……どうやって伝えろって言うんだ。こんな、こんな……お前んちのお父さんとお母さんは亡くなりましたって!」
「だが伝えねば、二瀬野はいつまでも、この世にいない両親を人質に取られたまま、誰かの奴隷になって生きて行く」
「そんな……」
「遺伝子強化試験体研究所の『躾係』の噂は私も知っている。未成年の精神など、あっという間に改造されてしまうだろう。一カ月も持てばマシな方だ。人質のいなくなったゆえに、そんな場所に叩きこんだんだろうな」
その言葉にラウラが唇を噛む。彼女はその苛酷さの一部を体験しているのだ。すぐに躾係の世話を受けることがなくなったとはいえ、忌わしい記憶の一つとして残っているほどだ。
「……そして、二瀬野自身はISを外すことが出来ない。つまり超危険人物だ、世間的に言えばな」
そこまで喋って、千冬は一夏たちに背中を向け、窓の外で瞬く星空を見上げた。彼女は自身で口にしたように、二瀬野鷹の両親を、恩人と思っていた。まだ幼い一夏を連れて途方に暮れていたとき、そっと力を貸してくれた人間たちだった。その善良な厚意に、未熟だった織斑千冬は大いに助けられた。その二人が逝ってしまった。涙こそ見せないが、彼女にとっても相当辛い出来事だった。
暗い部屋に居合わせた誰もが、何も喋らない。
二瀬野鷹の幼馴染である織斑一夏も篠ノ之箒も、学び舎を共にしたラウラもシャルロットも簪も。後輩である彼を追って、ここまで辿り着いた沙良色悠美も、誰も何も言葉が思い浮かばない。
決断など出来るわけがない。
伝えるだけでも辛い話だ。
だが、伝えなければ二瀬野鷹の身は危うい。
そして伝えても、彼の身が好転するとは彼らには思えなかった。専用機持ちという世の中で最大級の戦力を個人で所持しながら、剥奪することさえ出来ない身の上だ。
「でも……伝えずにいても問題の先延ばしにしかならないわ。いつか気付く。それに彼を一刻でも早く救いたいなら、彼自身に出てきてもらうのが一番だから……」
二瀬野鷹は専用機持ちである。彼が自由になればISを持たない人間たちは誰も止めることは出来ない。
黙って聞いていた一夏が、大きな歯軋りを立てた。
「なんで……なんでこんな……」
それまでずっと黙っていたラウラが、一夏の前へと歩いた。毅然とした顔で、部下の顔を叩く。
「しっかりしろ!」
「ラウ……ラ?」
「決断しなければならない。親を失って凶暴になった猛禽を解き放つか、それともこのまま飼いならされていくのをずっと眺めていくのか! 今の話から考えれば、相手はどんな手段を使っても二瀬野を篭に押し込めようとする」
「……そうだな」
「嘆いていても、誰も救われない……お前がやらないというなら、私が伝える」
唇を噛むラウラの心は、申し訳ない気持ちで一杯だった。息子の腕を奪った本人として謝罪するつもりだった。だが、その相手はこの世にいない。
震えるラウラの肩に、一夏はそっと手を置いた。
「俺が伝えるよ。みんなも、千冬姉も、沙良色さんも、俺に伝えさせてくれ」
手に持った遺書を見つめ、一夏は喉の奥に力を込めて、一言ずつはっきりと告げる。
「……いいの?」
「シャル、俺がやりたいんだ。俺はアイツの友達なんだ。アイツが危ないなら守りたい」
「……わかった。でも、僕は一夏の決断を応援するよ。どんな結末になっても、一緒に責任を取る。みんなもきっと、同じ気持ちだと思う」
一夏が仲間たちの顔を順番に見つめる。誰もが彼に力強く頷いて見せた。
「沙良色さんも良いですね?」
「辛い役目よ。いいの?」
「はい。千冬姉もいいよな?」
「お前の判断に任せる」
「それじゃあ、コアネットワークを繋ぎます。この際、あれの傍受なんて気にしてられない事態だから」
唯一、事情を把握していない悠美だけが傍受という言葉に怪訝な様子をしたが、今は口にしなかった。
一つ深呼吸してから、一夏は視界内にISコア同士を繋ぐ直接通話回路を起動した。
「ヨウ、聞こえるか」
なるべく感情を込めないように一夏は平坦な調子を心がけて口を開いた。そうでなければ、自分が泣いてしまいそうだったからだ。
『……一夏か。どした』
少し疲れた様子の声が返ってくる。
「どこにいるんだ?」
『どこだろうな。たぶん、海の上かなんかだ。揺れてる』
「会話できるか?」
『ああ、大丈夫だ。ちょっと疲れてるけどな』
「疲れてる?」
『精神がな、かなり参ってる。それと……まあいいか、この話は。で、何だよ』
その弱々しい声の調子に、今伝えるべきか迷っていた。
「なあ、どんな様子なんだ?」
『あん? どんな様子?』
「お前が躾係って呼ばれてる連中のところにいるのはわかってるんだ……その、辛い目に遭ってないのかとか」
『ああ、それか。最悪だわ。蹴られるわ殴られるわ。一番厄介なババアは事故でお亡くなりになったんだけどなあ、まだ妖怪みたいなジジイがいてさ。今度はそいつが気が狂ったみたいにオレを殴り始めたわけだ。もう最悪。オレはドMじゃねえし、殴られるならせめて若い女の子にして欲しいっつーか。人が親を人質に取られて動けないのを良いことに、やりたい放題だ』
相手のテンションがおかしいと察した。妙に饒舌で、そのくせ声の端々に投げやりな調子があって、しかも声音自体は疲労を感じさせていた。
「……ヨウ、今からその」
『なんだ?』
「大事な……ことを言う」
『大事? 誰かと付き合い始めたのか? 箒か? ラウラか? それともシャルロットか? 鈴はねえな、アイツ馬鹿だし。セシリアなんかプライド高いけどお買い得だぞ、たぶん。オレ、初対面で惚れそうになったからな。あと料理は殺人的だから、注意しろよ。綺麗な物にゃ毒があるぞ』
「ヨウ……あのな」
『ああ、それとも楯無さんか簪か。楯無さんは凄いよなあ。簪も引っ込み思案だけど、変な笑いのツボがあるっぽいぞ。時々、腹を抱えて笑いを抑え込もうとしてるときがある』
「ヨウ!」
『んだよ、うっせえな』
「……どうしたんだ、何かあったのか」
『何にも……何もねえよ! 何にも! 何もかもいなくなったんだよ! チクショウ! ああ、そうだよ、何も悪いことしてねえのに! なんで……アイツが……チクショウ』
「ヨウ?」
『用件は何だ? 早く話せ』
「お前……」
『切るぞ、早くしないと。なんか部屋の外からジジイの叫び声が聞こえる』
「ま、待て、大事な話だ」
『何だよ』
「お前の」
『オレの?』
「お前んちのオジサンとオバサンな」
『うちのオヤジと母さん?』
「……な」
『な?』
「亡くなった……んだ」
部屋の中で、誰かが唾を飲んだ。
それが自分だと一夏が気付いたのは、数十秒の沈黙の後だった。
『そうか』
「……すまん」
『その可能性もあるんじゃねえかとは思ってた……ってのは嘘だな。確かに最初にオレが見せられた映像は、加工された録画だったしな』
相手の声が震えていたのが、手に取るようにわかった。
「……悪い」
『いや、サンキュな。伝えるの、辛かっただろ』
「……遺書がある」
『自殺だったのか』
「最初は事故で……オバサンが亡くなった。それを追うように、オジサンが……」
『自殺したのか。ああ見えて、あのオヤジ、母さんにぞっこんだったからな。ほら、うちの母さん、綺麗だったろ? 勿体ないぐらいの』
「……そうだな。俺から見ても母親っていえば、真っ先にお前んちのオバサンを思い出すよ」
『だろ。んで遺書の内容は?』
「あ、ああ、俺の手元にある」
『読んでくれ』
「……わかった。読むぞ」
一夏は震える手で封書の中にある紙を取り出した。手が震えて、中身を一度落としそうになった。
『一夏?』
「……これ……ああ……ヨウ、俺、ダメだ読めねえよ、こんなの……」
『読んでくれ。頼む。一夏、頼むよ』
「ち、父親って、こんな、感じなん、だな」
『一夏』
「わ、悪い、読むぞ……二瀬野鷹へ。弱いオヤジで悪かった。もうダメだ、本当に、母さんまでいなくなって、俺はどうやって生きていきれば良いのか、わからない。お前に一目会いたい。ヨウ、実は……よ、ヨウ、実は、母さんの中にな……お前の……いもう……悪いヨウ、もう読めねえよ……」
一夏の声が、一つの文章さえ読めずにとぎれとぎれになっていく。その間に混ざる嗚咽は一夏の物だけではない。
『なんで妹って決めつけてんだよあのオヤジは。そんなに娘が欲しかったのか。しっかし、十五も下の妹か。悪くないな。目に入れても痛くなさそうだ』
「名前は……も、もう決めてた、小鳥に、しようかって……」
『二瀬野小鳥か。アイツにもそんな可愛らしい名前をつけてやれば良かったな』
「元、気にしてるか、腕と脚が、なくなったって聞い、て、俺た……ちはもう気が気がじゃなかった。元気に、生きろよ、鷹。お前は、昔か、ら賢い子、だった。俺……の息子とは、思えないぐらい。すまない、弱いオ……ヤジを許してくれ……、頼りないお前の……オヤジより」
もう一夏は自分の目から落ちる涙が止められなかった。
彼は親というものを知らない。それでも、丁寧な文字で書かれたこの手紙に、どんな思いが込められていたかがわかった。
『終わりか?』
「まだ、最後、一言だけある」
『何だ?』
「……元気でやれよって」
『そっか』
シャルロットと簪は泣き崩れ、顔を手で覆っていた。ラウラは目を閉じて天を見上げ、箒は壁を叩いた。会ったこともない人物の死が悲しくて、その息子が感じているであろう感情が切なかったからだ。
年長者である悠美と千冬は、ただ目を閉じて死者を悼む。
「ヨウ……お前は……生きろよ。もう、自由だ」
一夏がつっかえながら、友人へと告げる。
『生きる、か』
「ヨウ?」
『オレってさ、実は生まれる前の記憶をある程度、持ってるわけだ。白状するとな、お前とか千冬さんとか、それにIS学園の専用機持ちとかさ、実は物語上の人物だって思ってた。少なくともオレはそう感じてた』
「何を言ってるんだ?」
『お前たちの人生を小説とかの中で見てた記憶が強烈でさ、だから現実感がなかった。ラウラやシャルロットが感じたオレの視線って、たぶん、そういうことなんだと思うわ。もっとも今から考えたらお前たち以外の物語の記憶とかないから、ホントは未来から来たっぽいけどさ。仕組みはまだわかんねえけど、たぶんそういうこった』
「おい、ヨウ?」
『だからある程度の未来が見えた。それでも自分のワガママで何とか未来変えてやろうって頑張ってさ、色んな人を不幸にしちゃったんだわ。自覚がないのも含めれば、もっとあるだろうな。ほらバタフライ効果ってやつ? ああいうのもあると思うんだよな、きっと』
「ヨウ、どうしたヨウ!」
『ひょっとしたらオレじゃなくて二瀬野小鳥って女の子が生れててさ、お前らと関係ないところで平凡で幸せな人生を生きてたかもしれないんだよな。ああもうホント』
「ヨウ、しっかりしろ、ヨウ!」
『ふはっ、ハハハハッ』
「おいヨウ、どうしたんだ、聞こえてるか!? 俺の声、聞こえてるか!」
『ハハハハハハッ、ふは、ふひ、ハハハハハハッ!!!』
耳の奥まで響く常軌を逸した笑い声に、一夏の背筋を冷たい物が流れた。
「しっかりしろ、おい!」
『……けじめだけはつけに行く。じゃあな。今まで、ありがとう。それと悪かった』
「おいヨウ! 切るな、おい!」
焦った様子の一夏の声に、場にいた全員が彼の方を振り向いた。
「一夏? 二瀬野はどうした?」
ラウラが怪訝な様子で尋ねるが、一夏の顔は硬直したままだった。
「一夏?」
「なんか、けじめをつけるとか言って……切れた」
「ど、どういう意味だ?」
「けじめって……」
鈍った頭で一夏は必死に考える。
止めなければと直感めいた何かが一夏に教える。さっきの様子は相当おかしかったことはわかった。
そこへ電子音が鳴り響いた。携帯電話のコール音だ。
「あ、ごめん、私だ」
涙を拭きながら、沙良色悠美が携帯電話を取り出して通話を開始する。
「もしもし、私。ごめんって勝手に出てきて。え? IS展開許可? 市街地だけどここ……海上からIS学園方向へ未確認ISが飛んでったぁ!?」
その言葉に全員が息を飲む。
「けじめってまさか、あいつ、あの新理事長を仕留めるつもりかよ!」
未来から来たと言った篠ノ之束の姿をした紅椿。そして未来から来たらしいと言った二瀬野鷹。
そのけじめの意味が理解出来た一夏は窓へと走り出す。
「どこへ行く気だ」
千冬がそこへ立ち塞がった。
「帰るんだよ、IS学園に、今すぐ!」
「馬鹿が。冷静になれ。まずはIS学園の専用機持ちどもと連絡を取れ。二瀬野が一般生徒を巻き込むとは思えないが、避難優先だ」
「そ、そうだ」
「ボーデヴィッヒは学園に残っているオルコットへ、デュノアはファンへ、更識は生徒会長へ連絡しろ!」
「は、はい!」
矢継ぎ早に出される指示に、まるでIS学園にいた頃のように反応し始める。短い間とはいえ、染みついた慣習は変えられないらしい。
「それじゃ織斑さん、お先に。みんなもまた今度!」
「ああ、沙良色、機会があればまたな」
「連絡取りやすいようにしといてくださいよ!」
ベランダ側の窓を開けベランダから、空中へ身を躍らせた。そのままピンク色のISを展開し、加速して見えなくなる。
「お、オレたちも!」
「一夏!」
「な、何だよ千冬姉」
「……気をつけろ」
「わ、わかった。じゃあみんな、行こう!」
「織斑教官、失礼します!」
空中に踊り出し、ISを展開、そのまま学園の生徒たちが飛び去って行く。
それを見送りながら千冬は、唇を噛んだ。
二瀬野に伝えたことが間違った判断だとは思わない。
ただ、思ったより当人の心が摩耗していたことには気付けなかった。
真っ直ぐIS学園へ向かったことも気になる。おそらく、先日起きた市街地へのIS襲撃事件に関連しているかもしれない、と思い当たった。直近でIS学園が関係している可能性のある事件を、千冬はそれぐらいしか知らない。
学園を離れても、気が休まることがない。
嫌な世の中だ、と誰にも聞こえないように心の中で愚痴をこぼした。