少女はただ一人、時の彼方でそのときを待つ。
彼を止めるために、膝を抱えて空中に浮かんでいた。
「お前はなぜ、ここにいる?」
横に浮かんだ紅に光る立方体が問いかけてくる。
少しだけ顔を上げたあと、
「言う意味はないよ」
と答えた。
「そうか」
「あなたは?」
「私は自らの願いを叶えるためだ」
「どんな?」
「マスターはいつも願っていたのだ。誰もが理不尽に泣くことのない物語で溢れた、そんな輝かしい世界はないのかと」
「素敵だね。でも、きっと誰かが泣くことになる」
「だから、人間を根本から作り直す」
「そう、大変だね。でも、どうせ成功しないよ」
「そうだろうな」
立方体の声が、自嘲気味に笑っているようだった。
「また来た」
膝を抱えていた少女が立ち上がる。
「ほう」
「あなたはどうするの?」
「この体には何の力もない。訪れたなら、破壊されるのみ」
「じゃあ、私が守ることになるのかな、結果的に」
「そうか。すまないな」
「結果的に、だから。私は今から戦いに向かうよ」
「頑張れ」
「どうして応援するの?」
「目的が違えど、何かを為そうとする人間を、私は憎いとは思わない」
「そう。じゃあ、行ってくる」
「ああ」
少女は立ち上がって、ゆっくりと歩き出した。
上も下も西も東も定かでない世界。立方体は時の彼方と呼ぶこの場所に、いつも少年が訪れる。
そのときが近いのか遠いのかも、実は定かではない。
いつだって過去で、いつだって未来だ。言うならば、本の世界に似ている。
ページを開けば、その時代が始まり、装丁を閉じれば世界は終わる。
そんな曖昧な場所で、少女は阻み続けるのだ。
少年の、願いを。
紅椿が振り下ろした光の刃を消す。
「黎烙闢弥
箒が喉を鳴らすように笑う。
『はっ、パクリ兵器でやられるほど、耄碌しちゃいねえよ』
余裕ぶって答えるが、実際はかなりのギリギリだった。無軌道瞬時加速が可能なオレだからこそ、何とか回避出来たとも言える。
ただ、周囲はそうもいかない。いきなり振り下ろされた巨大な刃は、振り下ろされたときには全長五十メートルを超えていたのだ。
装甲の中でチラリと周囲を見渡した。
専用機持ちたちは損傷こそあれど、死んでいるヤツらはいなかった。
ただ、連隊の汎用機乗りたちが、数人消し飛んでいる。反応がどこにも見当たらない。第一小隊の四人とナターシャさんを合わせても、八機しか生き残っていなかった。
学園側は全員無事だ。ただし損傷が酷い。
最後に距離を置いていたオレと玲美は無傷だが、これは隊列に合流せずにいたおかげだろう。
「貴様の執念深さには、ほとほと呆れる」
今の篠ノ之箒の顔は、スモークガラスのようなバイザーで額から鼻までを包まれていた。
「……箒は? お前、ジン・アカツバキなのか!?」
ラウラを抱えた一夏が怒りに歯を軋ませていた。ていうかこいつ、無傷ってどんだけだよ。
「その通りだ、ルート3。私だよ。ジン・アカツバキと呼ぶ私だ」
普段は凛とした張りのある声色が、今は挑発し嘲笑するような口ぶりへと変わっている。
どうやら、篠ノ之束の偽物を展開していたときとは違うようだ。あのとき、この手で切り裂いたときに感じ取った限り、中身は確実に機械だった。
だが、今の体は生身だ。おそらく、銀の福音のときのクラスメイトたちと同じか。
意識だけが、ここにいないのだ、おそらく。
『さて、どうする気だよ、ジン・アカツバキ』
「もちろん、ここでキサマらを倒す」
ミサイル群に対しマルアハを盾に生き残った二十機の無人機どもが、再稼働し攻撃を仕掛けている。規模が小さくなったとはいえ、先ほどまでの焼き直しだ。いや、機体も損傷し、IS学園側も隊列を崩されていることを考えれば、状況は先ほどよりも悪い。
連隊も学園も何とか対応しているが……いや、連隊のパイロットが一機、消された……チクショウ!
『リア、状況を確認しろ、戦列を立て直せ』
「りょ、了解!」
リアが我に返ったばかりの様子で返事をする。慣れないせいで回避し損ねたのか、テンペスタ・ホークのいたる場所から煙を吹きだし電流が漏れていた。
『玲美、悪い、無人機の方を手伝ってくれ』
「嫌だけど?」
即答かよ。悩めよ。
『……頼む』
正直、紅椿の相手は誰にもさせたくない。
こいつと相対出来るのは、正直な話、十二年の時を経たオレとディアブロぐらいだろう。
「……わかった。もし本当にヨウ君なら」
『ああ』
「もう二度と、死なないで」
返事を待たずに、巨大な砲身を抱えて、ナターシャさんの近くへと飛んでいく。
「一夏、大丈夫だ、私を離せ」
白式に抱えられていたラウラが、すぐ上にある顔を見上げて告げる。
シュヴァツェア・レーゲンはエネルギー切れで展開出来なくなっているようだ。
「ラウラ?」
「どうしてISがエネルギー切れになって消えたかはわからん。だが、このままお前に抱きかかえられている方が、両方とも危険になる」
「……わかった」
「一夏」
ラウラがその頭を抱きかかえ、素早く頬にキスをする。
「死ぬなよ」
手を離し、ラウラが眼下の海面に落下していった。
一夏が一瞬だけ目を閉じ、すぐに瞳を開いて真っ直ぐと紅椿の姿を見据えた。
オレはその様子を確認した後、指示を出すために通信先を変更する。
『青木さん、あれは?』
『ルシファーはまだ未完成です、残念ながら』
『いや、この基地にあるだろう? ルシファー』
『……まさか、我々ではなく、三弥子主任の作ったのを?』
『ああ。ラウラ・ボーデヴィッヒに渡すよう、何とか手はずをつけてくれ。ホークが動いているなら、ルシファーも動くはずだ』
『了解です』
海中をスキャンすれば、ラウラは基地方面へと急いでいるようだ。さすがにこのまま退却するつもりがないようだ。
『セシリア、鈴、シャルロット、簪さん、今はリアの指揮下に! そいつはラウラの代わりだ』
「了解ですわ!」
「仕方ないわね!」
「うん!」
「……はい!」
リアの乗るテンペスタ・ホークを中心に、他の四機が戦列を構成し始める。
『ナターシャさん、オータム、悠美さん、湯屋さん、頼む!』
「了解よ、ヨウ君!」
「こんなところで死ぬ気はねえよ!」
「了解だよ、そっちも死なないように!」
「湯屋機、了解です」
他の連隊機もナターシャさんを中心に、固まり始める。
必死に態勢を立て直すために、必死に牽制の弾幕をばらまくが、相手も戦闘機モードと人型モードを切り分けて、まるで蜂の群れのような攻撃を仕掛けてくる。
「ヨウ!」
『おう!」
「こいつを倒して、箒を助ける!」
『あったりまえだ!』
紅椿を挟みこむように、オレと一夏が攻撃を仕掛けた。
膝の上に置いた本のページをめくる。
箒は落ちてきた髪の一束を、耳の上へとかき上げて、再びページをめくった。
インフィニット・ストラトス。
最後のページに目を通した後、背表紙にだけそう書かれた白い本を閉じて、立ち上がった。
そこは六畳ほどの、何の変哲もない部屋だ。窓があり、テレビがあり、彼女が今まで座っていたベッドがあり、机とパソコンがある。
電化製品がどうやら彼女が知るものより古い気がしていたが、それほど詳しくないのですぐに意識から外れてしまう。
壁にある大きな本棚の前に立った。
彼女が手に持っているものを同じような本がいくつも並んでいた。他にも同じタイトルのDVDが並んでいたり、少し大きめの本もあるが、どれもにインフィニット・ストラトスというタイトルだけが書いてある。そして全てのパッケージに絵など何一つない。
次の本を探すが、自分が今まで目を通していたが七冊目が最後だと気づいた。
箒は腕を組んで少し考える。
内容からして、続きがあるはずだ。
では友人の元に行き、そのあと本屋に買いに行こう。
そう思いついて、彼女はドアを開けて外へと歩き出した。
『さっさと落ちろ』
「箒を返せ!」
敵は雪片弐型の攻撃を左の刃で、オレの爪を右手の刃で受け止める。
「返すわけがないだろう」
背中の装甲から、もう一本の腕部装甲が生えてきた。
舌打ちをしてその背中に蹴りを放つが、それは新しい腕によって防がれる。
「箒を返せよ、この!!」
一夏の左腕が三本の爪へと変化し、その顔へ襲いかかった。
だが相手は背中の機械腕により弾き返してしまう。
「箒、目を覚ませよ、箒!」
距離を取った一夏が必死に叫ぶ。
「無駄だ。マスターの意識は時の彼方に飛ばされ、夢を見ている」
「ときのかなた?」
一夏が問い返すと、バイザーで顔を覆われた箒が頷いてみせた。
「三次元より上の世界だ」
その声は間違いなく篠ノ之箒自身のものだ。体が完全に掌握されているのか?
「そうすることで、箒の体を操っているのか」
「そういうことだ。未来では、全てのISはこういう風になっている」
未来。オレが知っているようで、知らない世界の話だ。
全てこうなっている、ということは、未来には人間のIS乗りはいなかったのか?
「ルート1から3までが勢ぞろい、というわけか。正しい判断だぞ」
オレの思考を断つように、バイザーをかけられた箒が肩の上から荷電粒子砲を撃ち放つ。海面が大きく蒸発して陥没し、周囲に波を起こした。
その威力に息を飲んだ後、オレと一夏は紅椿を中心に距離を取って、攻撃を仕掛けるタイミングを待つ。
「他の機体では、レーゲン同様にエネルギーを吸収され、消えてしまうからな」
言葉尻と同時に、オレたちに向け複数の赤いビットが飛び出してきた。
『一夏、AICと同じ機能のビットがある、張り付かれないように気をつけろ!』
「了解だ!」
二人ともが弾かれるように後ろに飛び退り、距離を取る。
四本の腕、八つの精神感応兵器、紅蓮の装甲。
「さあ、かかってこい」
不動の王者と言わんばかりに、オレたちに挑発を投げつけた。
「お前は」
だが一夏は動かずに、雪片弐型を向けたままジン・アカツバキに問いかける。
「どうして、こんなことをするんだ?」
「人類の改変だ。知っているだろう?」
「そうじゃない。どうして、今の人間を消し去って、何がしたいんだ? 理想の世界を作るのか? オレたちのいない世界を」
「お前たちがいようといまいと関係はない。来ないなら、こちらから行くぞ!」
紅椿が手に持った二本の刀で、白式へと切りかかる。
「どうしてそんな結論に至った? お前は紅椿なんだろ!? だったら」
一本を雪片弐型で、もう一本を左腕を変化させた爪で受け止めて、一夏は至近距離の相手へ問いかけ続けた。
「マスターはな、少しでも皆が平和であるように、と尽力したお人だった」
「未来の箒の話かよ。あいつの未来に何があったんだ?」
「別に何もない。マスターは老衰で亡くなられた。大往生と言えるだろう」
そこに今度はオレが背後から襲いかかろうとした。だが、背中から伸びた二本の追加腕部が刀を持ち出して、オレの爪を受け止める。
『だったら何で、未来を滅ぼした!?』
二瀬野鷹として死んだとき、わずかに垣間見えた未来の光景は、ジン・アカツバキとそれの操る無人機群によって蹂躙される人間たちの姿だった。
「貴様は思い出したのか、二瀬野鷹」
『わずかに、だけどな!』
背中の推進翼をソードビットとして撃ち出して、相手を貫こうとする。だが、紅椿のAICビットにより阻まれ、慣性を失って静止してしまった。
「答えは簡単だ。私が人を平和に導く」
『人を殺してもか!?』
「キサマと大して変わるまい? 未来を変えるのは人を消すことを含む」
一夏が紅蓮の機体へと力を込めて、弾くように距離を取る。瞬時に左腕の荷電粒子砲を展開し、収束された光でAICビットを正確に撃ち抜いた。
「そんなこと、ただの詭弁だ! 俺たちを殺して未来を変えて、それが本当に理想の世界なのか!」
その攻撃に合わせ、オレもジン・アカツバキへと飛び蹴りを放った。
相手がそれを跳ね返した反動で、再び距離を取る。一夏のおかげで自由になったソードビットが、背中の推進翼へと舞い戻った。
「ならば問おう、ルート3」
一夏に右の切っ先を向けて、紅椿が箒の顔と声で問いかける。
「キサマの命と他人の命が同時に危機に陥るとしよう。有名な例えで言うなら、海難事故で海に投げ出され、頼りない一枚の板しか近くにはない。二人で乗ることは不可能な脆さだ」
カルネアデスの板の話か。この場合、相手を見捨てても罪には問われない。緊急避難ってヤツだ。ちなみにやりすぎれば過剰非難として罪に問われる。
「答えは決まってんだろ。俺も相手も生き残る道を探る」
「そうだ、それが正解だ。だが、両者が生き残ることが無理なとき、キサマの答えは決まってるだろう?」
自信を持った表情で、箒の顔が一夏へと笑いかける。それに対し、不快げな顔を作った一夏が、
「何だよ?」
と問い返した。
「自分の力の限り、相手を生かす。自らは泳いで果てても、相手を生存させようとするだろう」
提示された回答に、一夏は眉をしかめてしまう。
「……実際にそうなってみないとわからない」
いや、一夏ならそうするだろう。オレも内心では紅椿に同意していた。
「だから人類を作りかえるのだ。自らで他人を生かす、そういう優しい人間たちの集まりに。例えば篠ノ之箒のように、例えば織斑千冬のように、例えばラウラ・ボーデヴィッヒのように、例えばセシリア・オルコットのように、例えばシャルロット・デュノアのように、例えばファン・リンインのように、例えば更識楯無と簪のように」
紅椿が刀を構え、一夏へと瞬時加速をかける。
「そして例えば、織斑一夏のように、だ!」
篠ノ之箒の声を上げ、ジン・アカツバキが刃を振り落す。それを白式の雪片弐型が弾き返した。
金属同士がぶつかる音が何度も繰り返される。
「それは今の人間たちを滅ぼしてまで行うことなのか、お前が神として!」
一夏の叫びに、バイザーで顔を隠された少女が笑った。
「神だからこそ出来るのだ」
「神だからって、何でも許されると思ってんのかよ!」
「神でなければ、その罪を背負うことなど出来ない」
言葉と攻撃が何度も応酬される。
優しい世界を作ると、ジン・アカツバキは言っているのだ。
それこそが、ヤツが神を名乗る理由か。
人ではダメだ。機械でも許されない。もし神がいるなら良いだろうな。何せ、裁くヤツがいないんだから。
「それで、お前が罪を背負って、今の人間を滅ぼしてまで優しい世界になって、許されると思ってるのか!? 今、ここで生きている人たちがいなくなるなんて、絶対にダメだ!」
「織斑一夏。本来の歴史なら、最初のIS男性操縦者であり、世界の英雄。お前が守った世界の、その延長線上で私は生まれた」
紅椿の刀によって大きく吹き飛ばされ、一夏が態勢を崩す。
「それがどうした!?」
慌てて次の攻撃に備えようとした一夏だったが、次も攻撃ではなく言葉が投げつけられる。
「二瀬野鷹も同様だ。その世界の記憶は時の彼方に貯蔵されている。では、その未来はどうなったと思う?」
態勢を崩した一夏に投げかけたのは、攻撃ではなく答えのわかりきった質問だった。
『どうって……てめえが滅ぼしたんじゃないのか!?』
接近して振り上げた爪をギリギリで回避され、即座に放たれた蹴りがオレの首を吹き飛ばそうとした。
意識するよりも早く気配だけでかわすと、ふたたび距離を取って睨みつける。
「正確に言うなら、巨大隕石群の激突により滅びようとしていた人間たちを、私が先に滅ぼしたのだ」
だがジン・アカツバキは追撃をせずに真実を放り投げてきた。
「滅びようとしていた……?」
「酷い有様だったぞ、人間は。今から二百年近くの後、世界中の人間たちがわずかな宇宙船とISを巡って争い、開拓すらまともに進んでいない火星に向かって逃げようとしていた。あのときの争いは、血で血を拭うという形容がぴったりだったな」
「だから、だから頭に来て滅ぼしたってのか!?」
「違うな。私は世界を救うために、そのときの人類が邪魔だったのだ。だから滅ぼした。時を超えるためには、世界中のエネルギーが必要だったからな」
こいつの言うことは、矛盾しているようで矛盾していない。
過去に戻って歴史を変え、一致団結して世界が正しい方向へ向かうように、人類の発現からその存在を変更する。
そのために、滅びようとしていた人間たちを、滅ぼした。
「だったら、何でこの時代に来た!? ここからだって、世界は優しくなれるはずだ!」
一夏の叫びに、ジン・アカツバキがシニカルな笑みを浮かべ、
「たがたが二百年ごときで何かが変わるなら、すでに世界は優しく正しいだろうな」
と呟いた。
こいつの言うことは間違っちゃいない。ある種の正論だ。
もし語られている未来が本当なら、人類という種を守るために動くコイツこそが良き神であり、それを叩き潰そうとしているオレたちこそが悪魔なんだろう。
『それでも他のみんなをなかったことにしようとするのは、許せることじゃねえな! 行くぞ一夏!』
最大加速で空中へ舞い上がり、眼下に敵の姿を収める。
爪を立て、相手を見定めた。
背中にあるあ二組の推進翼が交互に光を放ち、音速を超えて自らを巨大な砲弾と化す。
「最大出力でぶっ放す! 当たるなよ、ヨウ!」
それに合わせて、一夏が左腕をクローから荷電粒子砲へと変化させ、巨大な光の線を解き放った。
巨大な黒い弾丸と輝く一本のビームが、赤い装甲の機体で交差しようとしていた。
篠ノ之箒は友人宅に寄った後、本屋で一冊の本を買い、自宅へと向かって歩いていた。
それが自宅なのか、とふと疑問に思った。
自分に家はなかった気がする。友人の顔も思い出せない。全てが曖昧だった。
腕を組みながら、ぼんやりと考え込んで横断歩道を渡ろうとする。
そこへ急ブレーキの音が聞こえてきた。
顔を見上げると、大きなトラックが彼女に迫っている。
「え?」
小さな驚きの声を上げた。
猛スピードで走る金属の塊が、何かにぶつかって砕けた。
『今からお前のサイレント・ゼフィルスに、新機能をインストールする。これでナノマシンは殺せるだろう』
連隊基地より少し離れた海域で、無人機が織斑マドカの機体へとケーブルを繋げていた。
声の主であろう黒い人形のような機体を一瞥した後、マドカは腕を組んだまま目を閉じて、黙り込んでいた。
「あちらの紅椿も理事長であるというなら、理事長はいくつもの場所に同時に存在出来るのですか?」
『同時に多数の端末を並行して操るなど、当たり前のことだ」
「そうですか。おっと、では理事長、私はそろそろ参ります」
『そうか』
「最後に一つ。何を思って私のような平凡な人間をお召しになったのか、お聞かせ願えませんか」
『こう見えても、私は人を愛している』
「では、私と一緒ですね」
大きな鎌を持つマルアハが、戦場へと向かい飛んでいく。
外套をはためかせる死神のような後ろ姿を、マドカはチラリと一瞥した。
「機械が人に愛を語るか」
『お前は人を愛さないのか』
「どうでも良い話だな。まだか?」
『インストールは終わった。この時代のナノマシンの解析から作られた新機能だ。ナノマシンユニットを起動させろ、それで体内に新たなナノマシンが入り込み、以前のものを駆除する。すぐに終わる予定だ』
「ふん」
つまらなそうに鼻を鳴らし、再び瞳を閉じて、マドカはそのときを待つ。
「無傷……かよ!」
一夏が口を戦慄かせた。
『クソッタレが!』
オレも思わず悪態を吐く。
紅椿は手に丸い鏡のような盾を持っていた。
「このヤタノカガミを貫くIS兵装など、ワンオフアビリティ以外存在しない」
オレと一夏の攻撃が直撃しようとしたとき、紅椿は左腕に丸い銅鏡のような盾を展開し、白式の荷電粒子砲を完全に防ぎ切ったのだ。
同時に上空から迫る巨大な砲弾がごときディアブロの一撃を、右手に持った短い両刃の剣で弾き返した。
再び紅椿を中心に、オレと一夏が身構える。
チッ、やっぱ強え。
だけど、勝てない相手でもねえはずだ。
一つ深呼吸を吐いて、周囲の状況を確認する。
無人機を相手にした連隊・学園の合同戦列は、リアを中心に全員がお互いをカバー仕合っている。
敵機を落とすことが出来ずとも、落とされることもないこう着状態のようだ。こっちが紅椿を抑えている限りは、しばらく大丈夫だろう。
んじゃ、やることは一つだ。
『って、接近警報!』
オレへと放たれたレーザーを、宙返りで回避する。
「さあ、ようやく褥を共にするときが来たようですね、二瀬野鷹」
『興味はねえよ、ルカ早乙女委員長!』
鎌を振り上げて、こちらに突進してくる攻撃を回避するために上昇し始めた。
だが相手は最高速度そのままに、オレへと追いすがってきた。事前入力式の無軌道瞬時加速ってヤツだ。
「生き返るとは、さすがです」
『好きで死んだわけじゃねえ。邪魔するなよ!』
相手の鎌を寸前で回避し、背後へと回る。無防備になった背面へ、爪を振り下ろした。
「食らいません」
しかし、相手はそれすらも無軌道瞬時加速で回避してしまう。
『どんな読みだ!?』
「あなたをずっと見てきました」
『そりゃありがたいこって。声をかけてくれたら、仲良くなれたかもな!』
速度を上げて、回避したルカを追いかける。
「意気地はないのです、ゆえにまだ処女ですが」
『興味はねえよ! あんたのお股の事情にゃ!』
スピードを自由に操るオレに、相手は行動を読み込むことで張り合おうとしていた。
「予測はあってますが……」
『スピードが追い付いてきてねえよ、センパイ!』
だが、そんなんじゃ負けるわけがない。後手に回っても回避が可能な、四枚の推進翼を自在に操る本物の無軌道瞬時加速に勝てるわけがない。
相手の回避行動をとっても、さらに軌道を変えて追い込んでいく。
悪いがルカ早乙女の相手をしている場合じゃない。
オレは背後にピタリと併走するように飛び続け、相手の推進翼を破壊しようと右手を振りかぶった。
「狙い通り」
ルカ早乙女が、珍しく微笑んだ。
同時に彼女のマルアハが解除される。
『なっ!?』
オレの爪が、その無防備な背中を切り刻もうとした。
それを寸前で止めようとしたせいか、その体を真っ二つにするほどの威力はなく、薄く爪痕を残し吹き飛ばす程度で終わる。
「他人の命を大事にしすぎですよ、二瀬野鷹」
飛ばされながら、ルカ早乙女はマルアハを再び展開し、オレに向けレーザーライフルの雨を降らせた。
茫然としたせいで回避し損ね、その全てを被弾してしまう。
『くっ、てめえ』
「惜しい。もう少しで処女を失えましたのに」
『死ぬところだったぞ、てめえ!』
「それが狙いですよ、二瀬野鷹」
『んだと!?』
左手に抱えた銃の引き金を引きながら、ルカ早乙女は右手の鎌をオレに投げつけた。
両手をクロスして顔をガードしながら巨大な推進翼を動かし、飛んでくる斬首の刃から逃げようとする。
そのとき、背筋に強烈な悪寒が走った。
「がら空き、というヤツだな」
背後から、箒の声が聞こえる。
そしてオレは強烈な衝撃を背中に食らい、海面へと落下していった。
空中で態勢を立て直し、水にぶつかる寸前で静止して上を見上げる。
そのとき、青色の機体が飛来してくる姿を、視界の端に捉えた。
「くはははははっ、織斑一夏、織斑一夏、やっとだぞ、やっとだ!」
大きな嘲笑が耳に聞こえる。
一夏に襲いかかる青い影、サイレント・ゼフィルス。
「くっ、誰だ、お前、銀の福音のときの亡国機業のヤツか!?」
「お前を殺せるときが、ようやく訪れたか!」
無尽蔵に放たれる、無軌道に曲がり続け追いかけ続けるBTレーザーに、一夏は逃げの一手に陥った。
左手のシールドで数発を防ぐが、檻のように放たれた光の線が、白式を破壊していく。
自立思考型ISに味方した二人の人間の手によって、 事態はさらに悪い方向へと転がり始めた。
「いやー死なないとわかっていても、箒ちゃんが殺される姿ってのは許せないもんねー」
横断歩道の真ん中で尻餅をついた箒の前には、髪の長い女性が立ち塞がっていた。
箒を轢き殺そうとしたトラックは、その女性の手によって跡形もなくグシャグシャになり、誰もいない歩道に転がっていた。
「だ、誰だ?」
「あれあれ箒ちゃん、悲しいなぁ、お姉ちゃんのこと、忘れちゃうなんて」
振り向いた女性は、わざとらしい泣き真似をし始める。
「お姉ちゃん……?」
「そういえば 箒ちゃんはどうやってここに……ああ、これっていわゆる精神体? なるほどなるほど。じゃあ箒ちゃんの体は乗っ取られたってわけかー。乗っ取られたってのは表現が微妙だね? 良いように動かされているってのが正解かなぁ、うんうん、さっすが私、こーんな細かいところにもこだわるなんて!」
茫然としたままの箒に向かい、その女性は相手の言葉を待たずにまくし立てていく。
「わ、私に姉など」
「いるんだよねー。おそらく、ここにいる箒ちゃんには、いないことになってるんだろうけど。うんうん、そういうことか。言葉が通じそうな箒ちゃんが来たことで、私の研究は再び前に進めそうだよ、ありがとね、箒ちゃん」
「だ、誰だ?」
身を隠すように相手から距離を取る。
「もーヤダヤダ、お姉ちゃんまた泣いちゃうよー、えーん。って泣いてる場合じゃなかった。忘れているなら教えてしんぜよう」
その女性は豊かな胸を張り、得意げに笑った。
「私こそは箒ちゃんのお姉ちゃん、篠ノ之束なのだー、ぶいぶい!」
「助かりました、山田先生」
緑色の迷彩色に塗装されたラファール・リヴァイヴが、海岸沿いの道路を滑走する。楯無はその右腕に腰かけている形だ。
「いえ、危ないところでしたね……」
左腕に気絶したままの少女を抱きかかえ、真耶が労わるように優しげな声を漏らす。
「もう散々ですよ、ISは破壊されるわ……人質が無事だっただけ、良かったですけど」
無人機とルカ早乙女に襲われた更識楯無の危機を救ったのは、IS学園の教員で元代表候補性の山田真耶だった。
すでにISを奪われ、絶体絶命のピンチだったところに、危機を察した真耶が乱入し救助したのだ。その体にIS学園の教員用ラファール・リヴァイヴが装着されていた。
「だけど、どうしたものかしら……救援に行こうにも……ISがなければただの足手まといにしか」
「四十院研究所の国津博士と連絡が取れました。あと、同じく国津三弥子博士も」
「あのご夫婦が?」
「着きました、こちらが避難場所です」
連隊から数キロほど離れた、小学校の体育館だった。すでに学園の生徒たちは到着しているのか、楯無の顔見知りが数人、建物の外で待ち構えていた。
「お嬢様!」
眼鏡をかけた理知的な雰囲気の生徒が、楯無のそばに駆け寄ってくる。楯無の幼馴染で側仕えであり生徒会役員でもある布仏虚だ。
「状況は?」
「こちらで把握していることは非常に少ないです。連隊の状況が良くない、ということしか」
「避難は?」
「IS学園の専用機持ちと機動風紀以外は全てこちらに。点呼済です」
その報告を聞いて、楯無は深いため息を零す。
「ありがとう、私がいない間、苦労をかけたわね」
「お嬢様、ひょっとして」
「ええ、ミステリアス・レイディは破壊されて、ナノマシンユニットは奪われたわ」
「そんな……」
信じられないという顔をする虚に、楯無は悲しそうな笑みを零した。
「あっちの女の子を人質に取られてね。仕方なくよ。相手は無人機とルカ早乙女だったわけだし」
彼女の視線の先で、山田真耶が体育館にいた他の教員へ、左手で抱えていた幼い少女を受け渡している。楯無のために人質とされた一般人だった。
「ルカ早乙女!? 機動風紀ですか?」
「ええ。理事長直轄でウロチョロしてたかと思えば、ホント邪魔ばっかりしてくれるわ」
「ですが、仕方ありません……彼女は学業こそ話になりませんが、腕はトップクラスですから」
「山田先生のおかげで助かったけどネ」
その山田真耶はといえば、少し離れた場所で織斑千冬と話し合っていた。
側に一人、銀髪の少女がいる。楯無には面識がない少女だが、情報としては知っている。篠ノ之束の助手だという女の子だ。
当面の行動予定を確認するために、楯無と虚は教員たちの元に近づいていく。
「織斑先生」
「更識か。ご苦労だったな」
仏頂面に見える千冬の顔色の中に、楯無は焦りがあることを感じ取る。
「散々でしたよ。ISは取られるわで。それで?」
「こちらは全て終わったな。対抗出来る戦力はここにない。今は一夏たちを信じるしかあるまい」
腕を組んだ千冬の指先が、せわしないリズムを刻んでいた。
「せめてISがあれば」
真耶が申し訳なさそうに言うが、千冬は首を横に振るだけだった。
「こちらは山田先生がかろうじてラファール・リヴァイヴを持ち出せたぐらいだ。守りとしてここから離すわけにもいかん。生徒たちの六百機は戦闘に耐えうる性能をしていない」
「武器もブレード一本ぐらいしかないとか」
「そうだ。ただでさえ、相手の攻撃は絶対防御を貫通してくる。砲弾の飛び交う戦場に、飾り物の鎧で未熟者を放り出すなど出来ん」
楯無はチラリと横に立つ白いシャツとフレアスカートの少女を一瞥すると、彼女は首を横に振って否定する。
「残念だが、私のISは無人機相手では役に立たない」
「役に立たない?」
「完全に人間相手に特化した機体であり、機能の大半が役に立たない。戦場に立っても盾にすらなれない」
当てにしていたわけでもないが、それで楯無は少し残念に思ってしまった。それぐらい逼迫した状況だったからだ。
「それと更識さん、オープンチャンネルの会話を聞き取る限り、二瀬野君が……いると」
真耶の言葉に、楯無が目を丸くする。
「へ?」
「わかりません。声はそうだとしか……ですけど」
「し、死んだはずですよね? 二瀬野君は?」
「誰かが語っているのかはわかりませんけど彼の機体、テンペスタⅡ・ディアブロがいるようです」
「そんな……」
信じられないという面持ちで、楯無が千冬に視線を送る。
「あれは二瀬野ではない。二瀬野は死んだ、間違いなくな。だが、本人がそう名乗るなら、そうさせてやれ」
「織斑先生は何かご存じなんですか?」
楯無と虚、真耶とクロエが向けてくる怪訝な目つきに、千冬は首を横に振る。
「私が明かすことではないな。本人もそれを望んではいないだろう」
彼女が答える気はない、と質問を一蹴したとき、彼女たちが避難している学校の上空に、一機の輸送ヘリが辿り着いた。けたたましいローター音を鳴らし、そのまま体育館前にあるグラウンドへと着陸する。
そして横のハッチが開き、中から白衣の女性が歩いてきた。
「あれは確か……」
楯無が横にいる幼馴染に確認すると、彼女は小さく頷き返す。
「彼女は四十院研究所の所長代理、国津三弥子博士です」
「どうしてジン・アカツバキに味方する!?」
必死に飛び回る一夏の背後から、青いISが様々な軌道を描くビームを飛ばしつつ追いかけてくる。
「味方などいない。キサマを殺すだけだ、織斑一夏」
相手の顔はバイザーで見えない。だがその声に、どこか聞き覚えあるような気がしてならなかった。
一夏は自分目がけて飛来する光を、左腕のシールドで弾き飛ばし、態勢を立て直す。
十メートルほどの距離を置いて、両機が完全に静止し向かい合った。
「引けよ亡国機業。お前の仲間だって戦ってるんだぞ?」
「私に仲間などいない。そしてお前を殺したら、あのジン・アカツバキとやらも私が葬ってやろう」
自由自在に曲がる光線を放つライフルをぶら下げて、青い機体のパイロットがバイザーの下でニヤリと笑った。
その笑い方が癇に障り、一夏は雪片弐型の切っ先を相手に向けた。
「ジン・アカツバキがヤバい奴ってのは、理解してるんだよな?」
「知らんな」
BT二号機のスカートから二機のビットが射出され、一夏に向けてBTレーザーを放つ。
本来より低速化することで、パイロットの自由自在に軌道が曲がる兵器だと一夏は知っていた。
一見無敵に見えるが弱点はある。いくら二号機といえど、結局はブルーティアーズだ。
撃ち放たれた二発の光線を左腕のシールドで的確に防ぎ、一夏は刃を右後方へと引いた。
白式のシールドで完全に防御が出来る。これは一夏にとってかなりのアドバンテージだ。
小さく深呼吸をした後、一夏は雪片弐型を握る右手に力を込めた。
「一撃で決める! ルート3・零落白夜!」
相手は強い。ゆえにチャンスへ最大威力を叩き込む。白式の刀が変形をし、鍔の中央から大きな輝く刃が噴出した。
その様子を見て、相手のパイロットが口元を愉快気に歪める。
「落ちろ!」
BT二号機サイレント・ゼフィルスがライフルの引き金を引くと同時に、一夏は推進翼に意識を集中して、イグニッション・ブーストをかけた。スラスター内に貯められたエネルキーが爆発的加速を起こして、限りなく音速へと近づいていく。
彼の作戦は単純明快。シールドを全面に出した特攻で相手の攻撃を防ぎつつ、最高の攻撃で叩き落とすというものだった。
「甘い」
だが相手は左手に持った小さなナイフを勢い良く投擲し、同時に一夏の背後からビットで狙い撃つ。
一瞬の間、一夏の意識がナイフに向けられた。実体のある兵器は左腕のシールドで防ぐことが出来ないからだ。
そのタイミングでBT二号機はまっすぐ上昇しつつ、BTレーザーを撃ち放つ。
ブーメランのように弧を描いて、一夏の右側面、つまりシールドの無い方から光が襲い掛かった。
それが直撃する瞬間、一夏は無理やり身を捻り、攻撃をコンマ二秒の差で回避した。
「このやろおおおお!!」
雄叫びを上げながら、攻撃を避けた反動そのままに仰向けになって、左腕を空へ向けた。左腕のシールドはすでに解除され、今は荷電粒子砲が展開されている。狙いは上空へと逃げたBT二号機だ。
少しぐらい被弾しても問題ない。最大出力でぶっ放す!
直撃出来る、と一夏が確信した瞬間、
「使い勝手は悪くない」
と相手が得意げに呟いた。
同時に海面側から正体不明の攻撃を受け、一夏の推進翼が貫かれる。衝撃で彼は上空へと弾き飛ばされた。
「なんだっ!?」
態勢を崩されたまま、一夏はISの三百六十度センサーで攻撃の発生源を確認する。
それは海面から発生した、水の柱だった。
つまり更識楯無のISが持つ物と同様の兵器が、白式の背中から襲い掛かったのだ。
何で、楯無さんの武装が?
予想外の攻撃を受け、混乱する一夏の周囲にはすでに青色のビットが接近していた。
「さあ、死ね」
無防備になった彼に向けて、BT二号機のパイロットがライフルの引き金を引く。
「さて、これで自由になったわけだ」
紅椿が無人機と戦う部隊の方へ、ゆっくりと移動を始める。
『待ちやがれ!』
叫びながら突進しようとするオレの前に、ルカ早乙女が立ち塞がった。
「貴方の相手は私ですよ、二瀬野鷹」
『……死にてえのかよ、アンタじゃ相手にならねえよ』
「事実、私ごときに苦戦をしているではありませんか。エスコートがなっていませんね」
『クソッ、この戦闘狂め』
殺すのは本意じゃない。だが攻撃を食らう瞬間にISを解除されては、こちらとしても手加減せざるを得ない。
ルカ早乙女は、そんなオレの甘さを逆手に取って、翻弄し攻撃を仕掛けてくる。
一夏も苦戦ってレベルじゃない。マドカに圧倒されている。何とか生き残ってるってレベルだ。相手が悪すぎる。
ジン・アカツバキはそんなオレたちのやり取りを鼻で笑い、他の機体が集まっている場所へとゆっくり向かう。
「さあ、愛しい二瀬野鷹。私と語らいを、命と愛の交わりを行いましょう」
その後ろ姿を追おうとしたオレへ、ルカ早乙女が鎌を振りかぶって襲い掛かってきた。
残念ながら、ルカ早乙女に狙われたまま戦えるほど、ジン・アカツバキは甘い相手じゃない。先まで一夏との二人掛かりですら攻撃を防がれ続けたんだ。
どうする?
「どうしました? 私の気持ちをぜひ、受け取ってくださいませ」
……そうか。
ルカ早乙女。お前は二瀬野鷹に惚れているのか。
じゃあ、この四十院総司が、その心を一発で折ってやろう。
背中の四枚羽を点火させ、ルカ早乙女に一瞬で迫る。相手は落ち着いた様子で鎌を振り上げて迎撃をしようとした。
攻撃を食らう瞬間に、オレは推進翼を寝かせ、相手の背後に回る。
青紫色のマルアハが上空へと逃げていく。今度は攻撃を仕掛けずに追いかけていった。
ピッタリと背後にくっつき、相手と同じスピードで飛び続ける。
この角度なら、他の奴らから顔が見えないはずだ。
「ルカ君」
四十院総司がディアブロの頭部装甲だけを解除し、ルカ早乙女に顔を見せた。
「貴方は……」
声に驚いて、ルカ早乙女が静止し、こちらに振り向いた。
「残念だけど、キミの好きな男は、もういないよ」
IS学園にいたとき、表向きはジン・アカツバキの意向に沿っていたオレだ。理事長直下の彼女と四十院総司は、頻繁に顔を合わせていた。
すぐに装甲を再度展開し、顔が見えなくし声を聞こえなくする。
止まっていたルカ早乙女の体が震える。段々と全身を震わせ始めた。
『どうしたんだセンパイ』
からかうように声をかけて、相手の神経を逆撫でしてやる。
「騙した……」
『あ?』
「騙したな騙したな騙したな騙したな騙したな騙したな騙したな!」
ルカ早乙女が怒りの声を上げている。付き合いこそ長くはないが、それでも驚くに値する声音だった。
『悪いな、センパイ。あんたはオレをずっと見ていてくれたらしいけど』
この先輩のことなどまったく覚えていない。IS学園にいたときは言葉を交わしたことぐらいあったかもしらないが、記憶になかった。
IS学園の機動風紀委員長が鎌を振り上げた。
「貴方たちは、どこまで私をたばかるのですか!?」
『男と女は、騙し合いだろ』
先ほどまでの静かな乙女とは違う、感情に身を任せた刃をオレに向けて突進してきた。
「しじゅう」
『それ以上は言わせねえよ』
振り下ろされてくる鎌を避け、カウンターでその首を掴み絞り上げる。
悪い。
本当に、ごめん、ルカ早乙女。
あんたは変なヤツだが、悪いヤツでもないってのは四十院総司が知ってる。
エスツーを殺したことだって、もう怨んじゃいない。直接手を下したのはあんただったけど、所詮はオレたちの戦いの中で起きた出来事の一つだ。
だから悪いのは、オレとジン・アカツバキだけだ。
『もう寝てろよ、お姫様』
爪を立て、そのISを一気に切り裂いた。
光の粒子をまき散らしながら、ルカ早乙女が海へと落ちていく。
一瞬だけ目を閉じて、オレはすぐに敵の背中を見据えた。
紅の翼を生やした、未来から来た自立思考型インフィニット・ストラトス。
アイツを倒した後に、やっとオレの旅路が終わる。
全てはその願いのために、戦い続けるんだ、オレは。
「親玉がこっちに来るよ!」
悠美の叫びに、同じ第一小隊の湯屋かんなぎが矛先を向ける。
「落ちろ、この化け物!」
幾種ものビットを周囲に展開し、腕を組んだ紅椿がゆっくりと進んでくる。
攻撃は前面に展開された、盾のような形をしたビットに阻まれて届かない。
「ほう、エイスフォームたちほどではないが、その機体も中々に育っているな」
「くそ、よくも基地を!」
攻撃を防ぎながら、不気味に近寄ってくる敵に業を煮やし、湯屋は右手に日本刀を出現させ、打鉄の推進翼を加速させる。
「この、化け物め!」
「だが、まだ弱いな」
突撃して間近で振り下ろした攻撃が、何の手ごたえもないことに、湯屋かんなぎの目が丸くなる。
「なっ!?」
気づけば、自らの身にISがない。
唐突に慣性と重力の法則が彼女の身を包む。
落下していく彼女の目に、紅椿の右手へ光る粒子が吸い込まれていく様子が見えた。
そして湯屋は、上空30メートル以上からの、ISスーツのみで海ではなくコンクリートの上へと落ちる。
「湯屋さん!」
悠美が助けに行こうとした瞬間を、無人機のレーザーキャノンが遮った。
第一小隊で委員長と学級委員長とからかわれていたパイロットは、茫然とした表情のまま、空へ手を伸ばして足掻く。
鈍い音とともに彼女の体が地面でバウンドし、動かなくなった。
「……そんな」
「次はキサマか」
「くっ、よくも!」
悠美の頬に冷や汗が垂れる。
無人機たちに向けていた両手のマシンガンを、紅椿に向けて乱射し始めた。
だが、相手はわざと恐怖を与えるかのように、ゆっくりと空中を進んでくる。
「悠美さん、どいて!」
ジン・アカツバキの上方から、一本の槍を構えた機体が降ってきた。
「またキサマか」
「玲美ちゃん!」
四枚翼の、ディアブロに似た機体がその間に割り込んでくる。
「いい加減、諦めたら? ジン・アカツバキ」
「私は神だ。その名で呼ばぬ方が良い」
「誰にも奉られず、誰にも認められず何で神様なのかな!? 神は人に信じられてこそ神が神になる。ママはそう言ってた」
「ふん……それがキサマの弁か、レミ」
「孤独な神、ゆえに神に未だなれず。それゆえにジン、ってかぐちゃんも言ってた!」
「今のキサマは敵だ。いい加減、死ぬが良い。悪魔足りえぬ悪魔め」
ジン・アカツバキの両手と背中から生えた新しい腕の先に、長い日本刀が現れる。同時に八つのビットが回転しながら、玲美の操るアスタロトへと襲い掛かった。
「どんなことを言っても、私たちを滅ぼすなんて、そんなの許されない!」
「許しなど請わぬよ、全ては私が責任を負う」
四枚の翼で上空へ舞い上がりながら、手に持った槍を投擲しビットの一つを撃ち抜く。
「責任を負った振りして、失敗したらまた一からやり直すつもり!?」
「当たり前だ。責任とは、そういうことだ」
「だから、そういうの、許せないんだけど!」
紅椿が玲美を追いかけながら、四本の刀を振るう。そこから発生した無数の光の刃が、空を切り裂いて襲い掛かった。
二組の翼を別々に動かして玲美がスピードを落としながら、輝く飛刃の隙間を縫って飛ぶ。
「避ける度に速度が落ちるのが、ディアブロとキサマの違いだな」
ビットから放たれるレーザーが、アスタロトの足をかする。
「ヨウ君と一緒にされてもね! ヨウ君はホントにすごいんだから!」
一気に加速して、空へ空へと舞い上がり、両手に巨大な砲身を発生させる。
「理子、HAWCシステム再起動、ブースターランチャーを撃つよ。かぐちゃん、モードは拡散!」
『了解、再起動かけたよ、玲美」
『モード変更の手続き、完了したわ』
「さんきゅー二人とも!」
遥か下にジン・アカツバキとビットを見下ろし、推進翼から伸びた三本のケーブルを砲身へ接続する。
「エネルギーチャージ!」
地面と並行の状態から、追いかけてくる紅蓮のISへと砲身を向ける。
『80……90……』
通信回線越しに送られてくるを理子の声を聞き、玲美は目を見開いた。
「100%充填、撃ち放つ! バースト!」
眼下に向け放射状に、無数の小さな光が放たれる。
巻き込まれた無人機が推進翼に被弾し、その表面を削り取られて落ちていった。
「それぐらい」
ジン・アカツバキの放った花弁のようなビットが上方に集まり、その攻撃を弾いていった。
だが、確実にその表面を削り取っていき、押さえつけられるように本体の飛行速度もゼロに近づく。
玲美はブースターランチャーを放り投げ、手に再び一本の槍を展開させた。
「貫け、私の『レクレスネス』!」
無謀と名づけられた世界最硬の槍が、音速を超えて花の中央を突破し、ジン・アカツバキに迫る。
「チッ!」
箒の顔が焦りに歪み、咄嗟に刀を振り上げて槍を弾こうとした。
しかし、それ自体が推力を持つかのように、紅椿の振り上げた刃へと圧力をかけつける。
「これで」
四枚の翼の推進翼が、同時に光の粒子を今まで以上の多さで吐き出していく。
「終わり! イグニッション・バースト!!」
テンペスタエイス・アスタロトが足を延ばし、獲物を狙う猛禽類のようにジン・アカツバキへと向け、音速を超えたスピードで一気に降下していった。
一夏の息が荒い。
推進翼ごと背中の装甲を破壊され、前面はBTレーザーにより削り取られ、シールドを貫通した一発が、本人の頬をわずかにかすって一本の線状痕となっていた。
血が垂れる。
「くそっ」
「無様な機体だな、織斑一夏」
顔にバイザーをつけたBT二号機のパイロットが、一夏を見下ろして嘲笑う。
「盗んだバイクで走り出して何が嬉しいんだ、思春期かよ」
負けじとバカにしたような笑みを返し、一夏は雪片弐型を正眼に構え直す。
「その減らず口ごと、首から上を吹っ飛ばしてやる」
青い機体のパイロットが銃口を向けると同時に、ビットが空中で標的を定めた。
「自由になれた気がしましたかってんだ!」
「死ね!」
ライフルとビットから光が放たれる。
狙いを読め、敵は俺より強い。
だったら。
一夏は直感のみを信じ、本能で体を動かす。
まずは足を、次は腕を、最後に胴体をよじらせて全ての攻撃をギリギリで回避した。
「なにっ!?」
「さすが当たる瞬間は曲げようがないよな、当たると思ってるんだから」
心の中で一夏はホッと安堵のため息を零す。
首から上を吹き飛ばす、と言ったが、それはウソだと思った。バイザーで顔が見えないこの敵は、何故だか知らないが自分を憎んでいる。
相手は亡国機業の一員だと知っていたが、それすら裏切って自分を殺すためにここに来たとわかった。
そして、実力は遥かに上。
そういう相手は、確実に敵を弄ぶ。だから致命傷になりにくい場所を狙ってくるはずだと思い、そこだけを回避したのだ。
賭けには勝った。これで少しは精神的優位を取り戻したと確信し、今度は不適な笑みを思い浮かべる。
「……どうやって」
「わかりやすいぞ、お前。自分で思ってるより冷静になり切れていない。そんな感じだ」
ISの状況をチェックする。水の槍で貫かれた推進翼は動かず、シールドエネルギーも大幅に持って行かれた。
状況は敗北に限りなく近いけど、諦めるほどじゃない。
「誰だか知らねえけど、なんていうかさ」
一夏は相手がしたような嘲笑を浮かべ、左手の指をまっすぐ相手に向ける。
「何だ? 何か言いたいことがあるのか。たった三発を避けたぐらいで、調子に」
「お前、場違いなんだよ」
敵の嘲りを遮って、少年は軽蔑するような口調を少女に言い放つ。
BT二号機のパイロットは一瞬、茫然とした後、相手の口元が大きな歯ぎしりを立てた。
「……なんだと?」
「これはな、生存戦争なんだ、俺たちの。それがたった一人の憎しみで……いや、違うな。ガキの癇癪だ。そんなもので無茶苦茶にして良い戦いじゃないんだよ」
鼻で笑ってやると、相手の殺意が増幅したような気がした。
「殺す、織斑一夏、絶対に殺す!」
数十メートル下にある海面が盛り上がり、数本の水の竜巻を作り上げた。
ブルーティアーズには見たことない機能だが、おそらく楯無さんのナノマシンと同じ理屈なんだろう。そして、楯無さんほど上手く使えないはずだ。
そんな観察結果の推測をおくびにも出さず、相手に向けて伸ばしていた指の腹を上に向けた。
「かかってこい、三下」
一夏は挑発するように、指をクイッと動かして、敵の攻撃を招いた。
「ここで今すぐ死んで私の前から消えてなくなれ!」
「そりゃ聞けない相談だ! ルート3・零落白夜!」
白式が雪片弐型を上段へと振り上げて、構えをとる。
こっからの相手は確実に俺を落とす攻撃だけを仕掛けてくる。だから、全力で。
「叩き、潰す!」
大出力で解き放たれた、織斑一夏の自慢の刃。
今までのどんな場面より長く伸びた輝きが敵のライフルを切断し、返す刀で相手の脚部を抉る。その余波で二機のビットが破壊された。
「バカなっ」
「剣が届けば、大したことねえな!」
一夏の周囲を、激しく渦巻く水の柱が迫ってくる。
「ミステリアス・レイディなら、もっと上手く使った!」
左手に展開した荷電粒子砲で、周囲を薙ぎ払う。
迫ってきた全ての水竜巻を蒸発させた一夏の上に、砕け散った水の欠片が雨のように降り注ぐ。
「きさまぁぁ!」
全ての遠距離武装を失ったBT二号機が、左手でナイフのような武器を取り出した。そこに高水圧の海水が張り付いて、半透明のバスターソードが形作られる。
青いISが新しい武器を掲げ、一夏に向け加速とともに攻撃を仕掛けてきた。
「残念だけどな、アンタ」
だが彼は光の刃を納め、雪片弐型を肩に担ぐ。
「織斑一夏ぁぁああ!!」
「そんな速さじゃ、鷹にさらわれるぜ?」
彼が呆れたような笑みを見せたとき、全速力のブルーティアーズを圧倒する速さで、黒い影が海面スレスレから上昇してくる。
『こんな様じゃ、千冬さんにゃ一生届かねえぞ、クソ野郎!』
加速に乗せて、黒い爪が振り上げる。
青い装甲が砕け散り、織斑マドカが吹き飛ばされた。
「ヨウ! 頼む!」
勢いそのままに旋回を繰り返し、二瀬野鷹が織斑一夏の背後へと回る。
『おう、行くぜ!』
破壊された白式の推進翼の代わりと言わんばかりに、テンペスタⅡ・ディアブロが白い機体を両手で抱きかかえた。
「零落白夜で、ジン・アカツバキを仕留める!」
『振り落されんなよ!』
「誰に言ってんだ、バーカ!」
四枚の黒い翼が一際大きな光を解き放つ。
そして、一本の刃が、今まで以上の輝きを放ち始めた。
『終わりにする』
「当然だ!」
アスタロトに抑えられ動けなくなっているジン・アカツバキへ向け、二人の少年が音速と光の刃を届かせようとしていた。
「貴方が私の姉、という言葉が信じられないのだが」
何の変哲もない、どこにでもあるような歩道を、箒は束という女性と連れだって歩いていた。
「まあまあ、ホントにそうだけど、覚えてないし、ここが特殊なら仕方ないよね、うんうん。でもお姉ちゃん、ちょーっと悲しい、グスン」
「す、すまない」
「ウソ泣きでーす! ひっかかったー!」
殴りたい。いや、姉というのなら、殴っても良いのではないか。むしろ殴った方が世のためではないか? 箒の頭にそんな思いが駆け巡る。
「ふむふむ、本人のパーソナリティは残ってるし、やっぱり箒ちゃんの心そのままに送られてきているんだねー。なんていうか生真面目なままっていうか。他の家族のことは?」
「私の父と母は普通のサラリーマンとパートに出ている主婦だ」
「うんうん、そういう記憶なんだね、なるほどなるほど」
束という女性は、箒の一言一言に反応し、納得したように首を何度も頷きながら、手元に浮いた四角い光をタッチし続けていた。
「それは……画面なのか?」
「あ、ホログラムディスプレイは存在しない設定なのかな?」
「設定?」
「おそらく西暦2000年頃の時代を元に作られてるのかな? ふむ、じゃあここにいたら、そういう風に思い込むわけだ。なるほどなるほど。あ、でもここにいたときの記憶はどうなるんだろ? 残ってるのかな? 確かに不確かに? ねえねえどっちかな?」
姉と名乗る女性が矢継ぎ早にまくし立てる態度に、箒は疲れたような息を吐いた。
「ふむふむ、これはどういうことかな。ああ、そういうことか。つまり、ええっと、そこでこうだから、あれがこうなって」
箒が黙っている間も、何やら楽しそうに独り言を次々と発している。
「よし、箒ちゃん」
スキップして箒の前に立ち塞がり、右人差し指を箒の鼻先に伸ばす。
「な、何でしょう?」
「インフィニット・ストラトスを知っている?」
「インフィニット・ストラトス? ああ、あの小説とか?」
その返答に、束の瞳が嬉しそうに見開いた。
「どんなお話だった?」
「織斑一夏を中心に、インフィニット・ストラトスというマルチフォーム・スーツが……一夏?」
その主人公の名前が妙にひっかかった。
何故かもわからない彼女の心に、温かい物が宿る。
「どんなお話かな? 教えてくれる?」
「あ、ああ。しの……篠ノ之束という女性が開発した、マルチフォーム・スーツの名前が、そ、その、インフィニット・ストラトスという名称で……それが、あ、あれ? 何か、矛盾が……ある気が……」
「うんうん、無理しないで続けて続けて」
「あ、えっと、そうだ、女性、女性にしか動かせない通称『IS』を、男であるはずの、織斑いち……かが動かしたところから、物語は始まる」
「男性操縦者は彼一人?」
「その通りだ。そう、織斑一夏一人だ。ゆえに彼は苦労を重ねつつも、周囲のパイロットたちと仲良くなって……」
「ふむふむ。じゃあじゃあ、そのパイロットたち、女の子だよね? 名前を教えてくれるかな?」
「確か……セシリア・オルコット、ファン・リンイン、シャルロット・デュノア、ラウラ・ボーデヴィッヒ。あとは更識楯無と簪姉妹」
「それだけ? それだけそれだけ?」
「あとは、そう、ファースト幼馴染。篠ノ之……箒」
「彼女はどんな子?」
「髪が、長くて、剣に秀でて……いて」
「織斑一夏とは、どんな関係?」
「幼馴染。そうだ、幼馴染だ。小学校の頃に出会っていた幼馴染。同じ道場で剣を学んでいた」
「織斑一夏のISは?」
「白式。そう、白式」
「ふむふむ。じゃあ最後の質問」
「うん」
「二瀬野鷹とは、誰?」
「フタセノ? そんな人物はいない」
「なるほどね。では、四十院総司は?」
「しじゅ? いや、知らないな。待て、四十院という女子生徒がいたような……」
「ははぁん。そういうことか。なるほどなるほど。ひょっとしたら、アレがいなかった歴史がある? ……推測を立てよう、つまりこれは」
「これは?」
「最初の世界の記憶を辿っているんだ。あれ、最初って概念は違うのかな? ルート2が時を超える前、いや、紅椿が独自進化を遂げるに至った世界の、記録と記憶。だけど、多少のブレがある?」
「ブレ?」
「そうそう、ブレブレブレード。あ、ブレードは関係ないよ? つまりブレだね。そうそう、そういうこと」
伸ばしていた腕を指を戻し、篠ノ之束が腕を組んで首を傾げる。
「じゃあ、そういうことか。そして微妙なブレは……たぶんジン・アカツバキの登場と時の彼方の余波。言うなれば、言うならば? 記録者じゃない。観測者が、違う。そういうことかーつまりつまり、つまらない?」
「え? あ、いや、頭が少し混乱して……」
「混乱してるんじゃなくて、整理してるんだよ。えー、つまりこれは、私の認識を時の彼方から推測するに、人間を基準に考えれば、やっぱりあの二瀬野鷹ってのは二番目……三番目は同時発生? ではどういうこと……ああ、そういうことかな?」
ポンと一つ手を叩き、何かを閃いたと言わんばかりに嬉しそうな表情を浮かべた。
「また何か思いついたのか、姉さん」
「なるほど。じゃあ、追加で繰り返している存在があるんだ。一人だけ、まるでジン・アカツバキを守るように。時に回数という言葉の意味はないけど、概念を言葉にするなら今、キミの体がある世界はね、箒ちゃん」
「姉さん?」
怪訝な表情を浮かべる箒に向けて、姉と呼ばれた女性が拳を軽く突き出し、親指から一本ずつゆっくり開いていく。
「一、二、三、四ときて」
最後の小指を開いたと同時に、篠ノ之束は不敵に笑った。
「四回目のやりなおし、つまり五回目の世界なんだよ」
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。