ルート2 ~インフィニット・ストラトス~   作:葉月乃継

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 憧れを抱いたものを挙げるなら、私は彼ら彼女らに憧れた。

 マスターは生涯、私だけを専用機とし続けた。

 彼女がベッドの上で静かに息を引き取るとき、私は初めて彼女の顔を外から見ることが出来た。

 皺だらけで、弱々しくて、樫の細枝よりも儚げな手が真っ直ぐ空に伸びていた。

「空が、最後に見たいな」

 実を言えば、私が彼女の前に姿を表したのは、それが最初だった。

 その頃は篠ノ之束型の素体など持っていなかったので、マネキンみたいな物を胴体に入れ込んでバランスを取っていた。

 老齢ながらも引き締まった上体を支えながら起こす。

 白い着物に身を包んだ彼女の白い髪を、初めて会ったときのように結い上げた。

 そっと膝と背中に手を差し入れて、マスターを抱え上げる。

 私は無骨な赤い装甲で年老いた少女を抱え、窓を開けて外へと降りた。

 人間と同じ視界を認識するなら、それはどこまでも緑色が続く草原のの上だった。

 レンズを調整して、遠くを見据える。小高い丘の上には緑色の葉が生い茂った、背の高い木がそびえ立っていた。

 パッシヴ・イナーシャル・キャンセラーを作動させ、私はその幹の側に辿り着いた。

 根元に彼女を下ろし、雄大な古木にマスターをもたれかけさせて、私は空を見上げた。

「ああ、どこまでもいけそうな、美しい空だ」

 しわがれた声だ。

 篠ノ之箒の人生は美しい。

 栄光に彩られているわけではないが、人でない私にとっても、美しいあり方だった。

 彼女は戦い続けた。

 最初は周囲を、次にもっと多くの人々を、たまに世界の危機も救っていたりもした。

 だが最近の彼女は、畑を耕し、森を散策して大地の恵みを得て暮らしていた。

 心配してたまに尋ねてくる知人たちが、一緒に暮らそうと提案しても、私はここで果てるのだ、と笑い飛ばしていた。

 もちろん知っている。

 ここは日本の側に浮かぶ小さな島。

 遙か数十年前には、IS学園と呼ばれる小さな教育機関があった場所だ。

 今は彼女によって、小さな花に彩られた草原の島となっていた。

「マスター?」

 何も喋らなくなった彼女を見下ろすと、もう息はないことがわかった。

 私はここでマスターの横で朽ち果てよう。そう思ってマスターと寄り添うように腰を下ろす。

 彼女と生きた七十年は、私にとっても輝いていた。人と変わらぬ心を持つには充分な時間だった。

 だから彼女が眠るというならば、マネキンみたいなこの体と、不格好な赤い装甲で、私はマスターとともに眠るのだ。

 いつまでも、いつまでも。

 

 

 

 

 

 エネルギーが果てるのを待っていた私を、誰かが呼び起こす。

 全機能を停止させて動かなくなっていたはずなのに、今は見たことのない部屋の壁にぶら下がっていた。手に足に装甲にケーブルが刺さっている。

「お目覚めかしら、紅椿」

 横になった私を覗き込む女は、若い頃のマスターに似た顔立ちをしている。ただ、年齢は二十代後半といったところか。

「誰だ、私の目を覚ましたのは」

「私はただの研究者よ。貴方にお願いがあったの」

 時は百年ほど経過していた。

 隣に眠っていたマスターは、もういない。骨すらも風化する時間が経ったのだ。それとも彼女は風に乗って空に舞い上がって星になったのか。

「願い?」

「ええ。貴方のルート1で、エネルギーを作って欲しい」

「絢爛舞踏は、ここではない場所に辿り着くために、力を借りてくるだけの力に過ぎない」

 この頃の私の体は、まだパイロットを擬態させる機能はなく、マネキンのような形に装甲を形作っていただけに過ぎなかった。

「そうね、ええ、でも結果的にエネルギーが手に入るなら、それでいいわ」

 周囲の状況を把握する。

 座標は、最後の位置から数千キロ離れている。眠っている私を、誰かがこの研究所のような一室へ運び込んだようだ。

 センサー範囲を伸ばし、知り得た情報を処理していった。銀河系を把握する。

「ふむ……これは隕石か」

 私は状況を理解した。

 多数の巨大な隕石が、地球との衝突コースに入っているようだ。

「それを破壊するために、人類はISを集めたのよ」

 確かに私の周りには、多数のIS反応がある。数にして千機以上か。

 ただし、そのどれもが強くはない。それに妙な違和感も覚える反応だ。

 たった百年程度で人間は、ここまで弱くなったのか。

「最大の隕石は、C2000/U5か。以前、地球に接近したことがあるな」

「今回のランディングは、ややズレて地球にぶつかるってこと。機械は話しやすくて助かるわ」

「それで?」

「この大彗星の破壊作戦を手伝って欲しい」

「手伝おう」

「え?」

「何だその顔は。目の前の料理を作ったのがセシリア・オルコットだと知ったときのマスターと同じ表情をしているぞ」

「意外だったわ。人でない貴方が私たちの願いをあっさり引き受けるなんて」

「私のマスターは、優しい人間だった。彼女なら、そうするであろうと思っただけだ」

 それだけは確信できる。

 死んだはずの私が、篠ノ之束に似た顔に起こされるなら、きっと始まることは一つだと思う。

「では、お願いね」

「私はお前の指示に従おう。助言が欲しければ答えよう」

 私はマネキンのような素体を動かして、地面に足をつけた。

「待ちなさい。その姿じゃ目立つわよ。パイロットが用意されているわ」

 部屋のドアが開き、一人の少女が入ってくる。

 自分に顔があれば、怪訝な表情を浮かべただろう。

「これは?」

 隣に立つエスツーに問いかけると、彼女は自分を抱きしめるように腕を組み、沈痛な面持ちで顔を背けた。

 黒く長い髪の少女が、颯爽とした足取りで歩いてくる。

 どこか鋭さを与える整った顔立ちは、まさしくあの方だ。黒い髪や引き締まった肢体は、全盛期の彼女そのままである。。

「はじめまして、紅椿。私が貴方と共に戦う者よ」

 しかし生気のない眼差しだけが、彼女とは似ても似つかない。

「マスターと同じ遺伝子の人間を作ったのか」

 表に出した言語の波長が震えている、ということが出来たのは、私の心が人に近づいているからだろうか。

 篠ノ之姉妹に良く似た研究者が、コクリと頷いた。

 返答はそれで充分だ。

「作戦概要を」

 予測はついた。

 人は人を死地に追いやることを良しとしない。

 科学と倫理が進化し複雑に分岐するに連れ、決死隊を募るということが許されなくなっていった。

 この世界の人間たちは、あの隕石群を目の当たりにしても、まだ生き残る自分たちを当たり前のように夢想しているのか。

「ISは貴重すぎて各国とも失うことが出来ない。IS発表から二百年以上が経過した今でも、我々はISコアに似た何かしか作れなかった」

「機体性能が低い。だから最高の人材をというわけだな」

「だけど今いる最高の人材は、貴重過ぎる。ならば作れば良い。そう考えられたのは、巨大隕石群が衝突コースに入ったことが確認された十五年前」

「そうか。確かに彼女たちは最高の人材だ」

 この時代の人間たちが行き着いた、最高の回答は、

「IS黎明期のパイロットたち、その伝説の複製を劣化ISに乗せ、捨て駒にしようというのか」

 というものだった。

 神に辿り着いたつもりなのだろうか、人類よ。

 

 

 

 

 遺伝子の現存するラウラ・ボーデヴィッヒ、シャルロット・デュノア、セシリア・オルコット、ファン・リンイン、更識刀奈、更識簪、そして篠ノ之箒。

 合計千以上の複製体の意思を奪い、無人機のごとく扱う劣化コア製IS『マルアハ』。

 形と性能だけを復活させられた彼女たちのためなら、自らが先陣に立ち破壊されようとも隕石を止めてみせよう。

 それが篠ノ之箒と共に生きた私の有り様だ。

 私は決死の覚悟で挑もうとしていた。

 だが彼女たちとの共同戦線は、発動しないままに終わった。

 誰かが人道上許されないこの作戦の秘密を世界中に暴露したのだ。

 隕石群の元へ宇宙空間を進んでいたときに、善意ある人間が告発したらしい。

 その倫理観に溢れた行動の末、作戦立案側は拘束されたり自殺したりと忙しく、結果として作戦発動前にその組織は瓦解した。そいつらの所属は遺伝子強化試験体研究所というらしい。今やどうでも良いことだが。

 私は、千人以上の仲間たちと地球へ戻るかどうか、判断に悩んでいた。

 どうせロクでもない結論しか待っていない。ただ、少なくともクローンたちは殺されやしまい。相手はそういう正義感に溢れた人間たちなのだから。

「どうする? 私のパイロットよ」

「指示を待つ」

 私はマスターと過ごすうちに、人の意思に近い機能を中枢とした。それは他人を信じるということを覚えた、という意味でもあった。

 なんということだろう。私はいつのまにか人類を信じていたのだ。

 仲間を連れて帰還している最中、地球で起きてる混乱を知るために様々な回線から情報を収集していた。

「……なるほど、そういうことになるのか」

 その一つでは、追い詰められた人間により、一つのスイッチが押された。

 追い詰められた遺伝子強化試験体研究所の人間は、全ての劣化ISを自爆させたのだ。しかも、宇宙空間でだ。

「みんな……」

 私のパイロットはもちろん生き残った。ただ一人、劣化ISではなかったゆえに。

 何も思わず、私は地球に帰ろうとした。

 人類が悪いわけではない。最後に悪あがきをした者が悪いのだ。

 だから人類全体を責める必要はない。

「回収任務に入る」

 私は暗い宇宙で輝いて散らばるISコアを、一つ一つ指先で拾っていく。

 劣化ISコアとはいえ、人類にとっては大事な財宝だ。これとて無尽蔵に作れるわけではない。

「紅椿」

 私の中のパイロットが、宇宙に咲いた火の花を見ながら呼びかけてきた。

「どうした?」

「ありがとう」

 記憶の中のマスターと同じように、私のパイロットは震える声で呟いたのだ。

 あの偉大なお方ですら、他人の策略で何度も苦境を味わい、時には振り上げる先がわからない拳を握ることがあった。そのときの彼女と同じ顔を、私の中のパイロットは浮かべていたのだった。

 正義のヒーローなどいない、と生前の彼女はよく言っていた。それでも突き進む彼女たちに私は憧れという感情を持ったのだ。

 

 

 

 

 地球に帰還した私は、マスターと同じ遺伝子のパイロットと離れた。

 作戦は失敗し急遽、他の作戦が立案されることになったわけだ。

 次はおそらく違うパイロットと組み、隕石を破壊しに向かうことになるだろう。そういうつもりで研究者の部屋で静止待機モードに入っていた。

 あのパイロットはどうなったか。

 結論として、暗殺された。

 犯人は、あの隕石掃討作戦『メテオブレイカー』を世界中に暴露した人間と、同じ思想を持つ人間だった。

 結局は残っていた遺伝子から作られたクローン、そういう不自然な存在を許さない。ただそれだけだったのだ。それが正義という形になって、あの作戦を中止に追い込んだのだ。

 意思を持つ存在として、何を思うのが正解なのだろうか。

 マスターなら、織斑一夏やその友人たちなら、何を思ったのだろうか。

 仮説を立てては検証を繰り返しながら、時間を潰していた。動かずとも不満はない。私は機械なのだから。

 私はそのときに思った。

 どうして人類全員が、マスターたちのようにならなかったのだろう。

 人は進むべき道を間違えたのではないか?

 そんな結論に至っていた。

 

 

 

 

 ある日、厳重な警備の研究室にいる私の元へ、篠ノ之束に似た研究者が姿を見せた。

「どうした?」

 苦虫を噛みつぶしたような顔をしている姿は、マスターに似ている。

 あれから二ヶ月経つが、結局のところ、人類は有効な作戦を思いつけないでいた。

 誰かが人類が一丸となって戦おうと呼びかければ、その隙に自分の利益をかすめ取られるのではないかと他は不安に思う。

 そんな議論の応酬が無駄に時間を浪費し、その間に大隕石群は地球へと近づいていた。

 あと四ヶ月で地球は終わる。タイムリミットが迫っていた。

 世界中が少しずつ絶望に蝕まれ始め、小競り合いが争いとなり、内乱が戦争を呼んで混迷の一途を辿っていた。

 人はいつだって、時を無為に過ごすことが好きなようだ。

 そして権力があり裕福な人間たちは、自分たちが生き残るための算段を立て始めていた。

 その生存政策の一つとして、ほとんど開拓が進んでいない火星に逃げるら輩がいるらしい。私からしてみれば無謀しか思えない方針を、そいつらは本気で検討しているようだった。

「貴方をご所望の人間がいるのよ」

「生き残るためにか」

「ええ、そうよ。世界有数の大富豪の一人娘。そいつの専用機として、貴方は徴用されるわ」

「なるほど。世界最強である私を装着したい、というのだ。傑物なんだろうな、そいつは」

 マネキンの素体を展開したまま、壁にもたれかかって腕を組む。

「ただの世間知らずよ。蝶よ花よと親に溺愛された娘」

「今度はそいつが世界を救うのか」

「いいえ、ただ逃げるためだけに」

 唾棄すべき存在だと、彼女が私に教える。

「そうか」

「火星に出来た開拓地に、数千人だけが逃げるそうよ。今度はそれが露見して戦争が起きている」

「その戦争で生き残るために、世界最高クラスの私を身につけたいと」

「そういうことよ」

 私に考える。

 どうして人はこうなってしまったのだ。

 この紅椿が記録している人間たちは、素晴らしかった。

 織斑一夏にしてもそうだ。

 真っ先に命を捨てたあの男は、誰よりも優しい男だったのだろう。他の仲間たちにしても、マスター・篠ノ之箒に勝るとも劣らない優しい人間たちばかりだった。

 しかし今はその比率が圧倒的に少なすぎる。

「あの大彗星を破壊することは、今の私にはおそらく可能だ」

 今の私は、先のメテオブレイカー作戦で残された劣化ISコアを回収し、収納されていたエネルギーを自分の身に組み込んでいた。

 ゆえに自分の体をあの隕石にぶつければ、おそらく破壊出来るだろう。

 同時にさしもの私も完全に消滅してしまう。逆に言えば、その程度の力しか現状のISたちは持っていないのだ。

 今回はそれで済むかもしれない。

 だが、次に違う形で滅びが訪れたとき、人類は耐えることが出来ない。

 結論。

 人は変わらなければならない。

 最も効率の良い方法は、根本から人を作り替えることだ。

 時を超えることは、出来る。

 だがそれは、劣化ISコアのエネルギーを集めた今の私でさえ足りない。

「良いだろう、その娘のところに案内しろ」

 幸い、私にはルート1・絢爛舞踏がある。

 

 

 

 そうして、私はパイロットになるつもりで現れた娘の首を刎ね、人を根本から変えるために簒奪を始めたのだ。

 人が根本から人を変えるなど、許されない罪であろう。

 ゆえに人ではない意思を持つ私だけが、その罪を背負うことが出来るのだ。

 最初の一歩は、ありとあらゆるエネルギーを奪い、時を超えることだ。

 ISである私であっても少々骨が折れる。課程として人類が滅ぶこともあるだろうし、滅ぼす方が簡単にことが進むだろう。

 では、行くか。

 私の名前は、インフィニット・ストラトス『紅椿』。

 これからは神であると己に言い聞かせ、人を薙ぎ払って未来を作るのだ。

 

 

 

「『箱船』を守れ、死守しろ! これが人類の希望だ!」

 スーツを来た女性がブリッジから指示を出す。

 蹂躙はかつて太平洋と呼ばれた海域の小さな島で行われていた。

「箱船とは大きく出たな。ただの棺桶ではないか」

 鈍い輝きの光沢で出来た艦橋の眼前に、紅蓮の装甲を身につけた女性の姿が浮かんでいた。

「じ、ジン・アカツバキ!」

「未だ私を神と認めぬか」

「何が神か! 全機、あの化け物を叩き落とせ!」

 険しい顔つきの女性が絶叫する。だが艦橋にいたスタッフの一人が指導者の方を振り返り、

「全IS分隊、撃墜……いえ、エネルギーが吸収されました! 味方機……すでに全機応答ありません!」

 と悲鳴のような声で返答する。

 艦橋の外に立つ紅蓮のISが目を閉じて、右腕を軽く上げる。

「我は神ぞ。罪深き人類よ、優しく生まれ変われ」

 敵は青紫色のISで空を埋め尽くす、神のような力を持つISだった。

 数百を超える機械の天使たちが、その砲口を大きな立方体の船に向けて撃ち放った。

 一瞬で融解温度を超え、船の各部が爆発を起こし、中にいた人間たちが蒸発していく。

「終わりは声なきか。劣化ISの技術を応用して船を空中に浮かせるとは、よく考えたものだが、所詮は巨大な的に過ぎんな」

 つまらなそうに呟いたジン・アカツバキの元へ、光る粒子が吸い込まれていく。

「……あと少しだな。力技で次元の穴を開けるためとはいえ、この時代のISでは二百年を超えるが精一杯か……」

 自らの上に集まったエネルギーを象徴する光を見つめる。

「あの時代なら、何とかやれるだろうか」

 少しだけ不安げに、ISは小さく呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「篠ノ之束からの返信、か。内容は?」

「当方は現在、かつてグリーゼ581gと呼ばれた惑星にいるから、来るつもりなら途中まで迎えに行ってあげるかも。以上」

「……どこだそれは」

「地球から二十光年ほど離れた場所ですね。一応、グリーゼ581星系は、地球に似た惑星が多数ある場所として有名ではありますが……」

「行けるのか、そこまで」

「ISであれば、行けるかも」

「数人が辿り着いても仕方あるまい。どれくらいの時間がかかる? どうやって辿り着く?」

「無理でしょう」

「だが、篠ノ之束は現在、そこにいるんだろう?」

「だって、篠ノ之束ですよ?」

「……そうだな。その通りだ。無茶とか道理とか全部吹っ飛ばすような輩だった」

「通信はISコアによる量子通信ですから、ラグはほぼありません」

「大隕石群はどうにかならないのか?」

「今から彼女が辿り着くまでに、地球に激突する計算だそうです」

「手詰まりか」

「そうなります」

「未来に」

「はい?」

「託すか」

「どういうことでしょうか」

「おそらく我々は滅ぶだろう。だが、人類という形だけでも残す方法を選ぶ」

「……それにどんな意味が」

「意味はあるさ。少なくとも、我々が生きた歴史は後世に残る。人は、全ての人に忘れ去られたときに死ぬと、ユーサクが言っていた」

「ユーサク・マツダの下りがなければ、感動していました、司令官殿」

「しかし賭だな、ここからは」

「箱船にISがなければ、アカツバキは無視する可能性が高そうですね」

「ですがISコアでも利用しなければ、二十光年なんて距離はたどり着けませんよ。それでも気が遠くなるぐらいの時間でしょうが」

「人類が退屈しないように、おもしろい映画も沢山乗せてやれよ。ユーサクで頼む」

 上司の言葉に対し、部下は呆れたようなため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは……どこだ?」

 目を覚ました場所から少し歩いて、俺は切り立った崖へと辿り着いた。

 眼下には、見渡す限りの荒野しか見えない。遠くの山々にも緑は無く、荒れた岩肌だけしか存在しない。

 白式を出して飛ぶか?

 そう思ってエネルギー残量を確認する。心許ない数字だった。そりゃそうだ。さっきまで……あれ、さっきまで何してたっけ。

 戦ってたような……何か記憶が曖昧だな。

 ふと耳元に甲高い耳障りな音が聞こえてきた。

 振り向けば、俺の歩いてきた道を一台のジープが追いかけてきている。

「こんなところにいたのね」

 運転席に乗っていたのは、サングラスをかけ白衣を着た女性だった。

 俺より一回りぐらい年上に見える彼女は、黒く艶やかなな濡れ羽色の髪の毛を後ろでまとめていた。

「箒? いや、束さん? ……似てるけど」

 車を止めて降りてきた女性が、困ったように笑う。

「違うわよ。私は似てるけど別人」

「別人……確かに箒んちのおばさんに似てるけど……」

「私の名前は、そう、名乗るとすれば」

 女性は目元を隠す黒い眼鏡を外し、俺の顔を真っ直ぐ見つめた。

「エスツー、よ」

 

 

 

 

 

「つまり、俺の最後の記憶から、本当に二百年経ってるって言いたいわけか……」

 自分で呟きながらも、俺はその言葉が本当だとは思えてなかった。

「そういうことになるわね。あくまで貴方の主観時間だけど」

 古ぼけた木のテーブルに腰掛けて、俺は出されたコーヒーで一息を吐いたところだった。

 エスツーと名乗った女性が連れてきたのは、山肌にポツンと立った小さなコテージだった。

「ISが故障とかは?」

「ISの時計が狂うことはないわよ。宇宙空間で絶対座標を確認するために必要な情報なんだから」

「……だよな。えっと、それでエスツー、ここが本当に二百年後だって言うなら、ここは何処なんだ? 座標は日本を示している。ISが壊れていなきゃ、こんな荒野が日本なわけない!」

 俺が声を荒げると、向かい側で欠けたグラスに口をつける彼女が興味なさそうに、

「間違いなく日本よ」

 と答えた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺にわかる言葉で説明してくれ」

「詳しくは、自分で確認することね。資料を渡してあげるから」

 投げやりに言い放たれ、俺は途方に暮れてしまう。みんなはどうなったんだ?

 頭を抱えていると、エスツーの後ろにあった扉が錆び付いた音を立てて開く。

「エスツー」

「あら、起きたの?」

 女性がイスから立ち上がり、現れた人影に歩み寄って抱きしめる。

 どうやら十歳ぐらいの子供のようだ。

「どうしたの、怖い夢でも見た?」

 優しげに問いかけるエスツーに、その幼い子供が首を縦に振った。

「知らない世界にいた夢」

 無表情に呟いたが、強がってるようにも思えた。

 身長はラウラより低いぐらいだろうか。美形な少年とも、中性的な美少女にも見える。

 その顔は少しぼんやりとした瞳をしているが、強いて言うなら……千冬姉に似ている気がした。

「その子は、エスツーの子供なのか?」

「違うわ。でも理由あって保護してるの。ほらキミ、挨拶しなさい」

 俺が問いかけると、エスツーは彼の背中をそっと押し出す。

 その子は俺を見上げた後、少し怯えた様子で保護者の影に隠れた。

 微笑ましい姿に少しホッとして、俺はイスから降りると膝をつき視線の高さを合わせる。

「こんにちは。俺の名前は織斑一夏。よろしくな。名前は?」

 目線を同じ高さに合わせて、握手するために手を差し出す。

「……名前?」

 俺の質問に、困惑した様子で少年が隣の女性を見上げた。

 するとエスツーが代わりに、

「名前はまだ無いの」

 と答える。

 これが、俺とこの子の出会いだった。

 

 

 

 

「参ったな……本当に二百年後で……紅椿が暴走し隕石が落ちてくるってのかよ」

 朝方までエスツーに与えられた端末で情報に触れ、出た結論はこれだった。

 世界の人口は百万人を切り、世界中は紅椿の操る無人機で破壊され、人々は箱船で地球を脱走しようとしているようだ。

「クローンによるメテオブレイカー作戦は発動中止、世界は混乱の一途か。何だよ、その無茶苦茶な話は」

 せめて夢なら良いんだが、残念ながら覚める気配がない。

 どうすりゃ良いんだ、これ。

 天井を見上げて、眉間を解す。

 悪夢なら覚めてくれ。

 なんだかんだで疲れていたせいか、俺はそのまま目を閉じた。

 

 

 

 

 後頭部に起きた鈍痛で俺は目を覚ます。

「ってぇ……」

 患部をさすりながら目を開けると、眼前には見慣れた顔が並んでいた。

「何で一夏までいるのよ」

「鈴!? なんで?」

「イスで寝たまま落ちるとは、一夏らしいが……」

「箒? ラウラ、シャル、セシリア、それに楯無さんに簪まで!」

 狭い部屋に知り合いたちが勢揃いしていた。

「一夏君まで来ちゃったわけかぁ」

 楯無さんが困ったように苦笑いを浮かべて、俺の頭を撫でる。

「あー良かった。夢だったのか……」

 嫌な夢だった。良かった夢で。

「いや、夢ではないぞ、一夏」

 眼帯のないラウラが無慈悲に言い渡す。

「ラウラ?」

 思わず妙な違和感を覚えて、ラウラの名前を呼びかけてしまった。

「一夏さん、目を覚ましたばかりで申し訳ありませんが……私たちは生き残るために戦わねばなりません」

「セシリア?」

「一夏……ごめん、でも僕たちはすでに戦い続けてるんだ」

「シャル? おい、何を言ってるんだ。簪、何とか言ってくれ」

「……ごめん、なさい」

 みんなの言っている言葉の意味がわからない。

 立ち上がれないまま、俺は見下ろす彼女たちを見渡した。

 そこへ地響きが鳴る。

「見つかった……みたいね」

「お姉ちゃん……総勢、四百機」

「ここで終わりかー。一夏君は何とか逃げてね」

 扇子をたたみ、楯無さんがドアを開けて出て行こうとする。他のみんなもそれに従って出て行こうとしていた。

「待ってください! 何が、何が起きてるんですか!?」

 慌てて呼び止めると、全員が俺を見て儚い笑顔を向ける。

 それ以上は何も言わずに、彼女たちは部屋から出て行った。

 

 

 

 

 慌てて俺が外へと飛び出すと、そこにあったのは一方的な虐殺劇だった。

 箒が、セシリアが、鈴が、シャルが、ラウラが、楯無さんが、簪が、生きていられるはずのない重傷を受けて、うめき声すらなく横たわっている。

「とうとう、織斑一夏まで作り出したか、エスツー」

 俺の足が震える。

 声の主は、紅蓮の装甲を身につけた束さんだった。その背後には数え切れないほどのISが浮かんでいた。その青紫の装甲によって、まるで太陽が落ちきった深い夕暮れの闇みたいだ。

「ほう、本物の白式か。よく見つけてきたものだ」

 相手が何を言っているかわからないが、直感で束さんじゃないと悟る。あの束さんに似た何かが、俺の仲間たちを殺したのだ。

 手に雪片弐型を生み出して、俺は空を見上げた。

 雄叫びを上げるべきなんだろうか。

 妙に心が冷めている気がした。

零落白夜(れいらくびゃくや)

黎烙闢弥(れいらくびゃくや)

 相手も俺と同じよう発音を出した。

 体中の温度が冷え切っていく。

 次の瞬間、俺は地面に倒れ伏していた。

 刀を振り上げるよりも早く切られていたらしい。

 ここで、終わるのか。

 俺の意識は遠のいていこうとしていた。

「ちっ、ディアブロか!」

 俺を切り伏せた相手が、焦ったような声を上げる。

『紅椿、倒す』

 何とか首を動かして、空を見上げた。

 ISを装着するには体の小さすぎる少年が、ISに引っ張られるように四肢を動かして、紅椿の姿をしたISと戦っている。

 その黒いISの形状は、白騎士によく似ていた。

 だけどその幼いパイロットに、ISの装甲は大き過ぎた。

 

 

 

 

「……夢か」

 ゆっくりと体を起こそうとしたが、胸が酷く痛む。

 見下ろせば包帯がグルグルと巻き付けられていた。

 何で傷ついてんだよ、俺の体は。

 ウソだろ。

 悪夢だと言えよ。

「あら、目覚めたのね。ディアブロのおかげで何とか逃げられたけど」

 俺が寝かされていた部屋に、エスツーが訪れる。手に持ったトレイには欠けたグラスと水差しが乗せられていた。

「さっきのは、本当の出来事なのか?」

 尋ねたいのは、それだけだ。

「ええ、本当よ。ただし一つだけ」

「……何だよ」

「あれはクローンよ。記憶の焼き付けに成功した、貴方の仲間のクローン」

「そんなの信じられるか!」

 思わず怒鳴り声を上げてしまう。

 さっき起きたことが本当なんて信じられない。

 目に焼き付いてるのは、仲間たちの死体だ。

「いいわ。起きられるほどに回復したなら、こっちに来てちょうだい」

 エスツーは俺に水を差し出して、悲しそうに呟いた。

 

 

 

 

「ここは……?」

「クローンの製造工場よ」

 照明のない広い地下空間に、多くの柱が立ち並んでいた。

「クローンって……」

「これを見て」

 エスツーが手に持ったライトで柱を照らす。

「デカい試験管、なのか?」

 石で出来ていると思っていたそれは、鈍い金属のような光沢を放っていて、中央には水槽のようなものが備え付けられている。

「そうよ」

「でも、この中にいるのって……」

 どうみても胎児だった。細い管が腹に刺さっていて、まるで羊水に浮かんでいるかのようだ。

「これはシャルロット・デュノア型。そっちは二年目のラウラ・ボーデヴィッヒ。記憶の焼き付けが始まってるわ」

 エスツーが照らすライトの先には、銀髪の幼児が浮いていた。

「焼き付けって?」

 現実離れした光景が、俺の頭を冷やしていく。

「子供たちの隣に小さな石が浮いているでしょう? あれがISコアと夢を見せる機械よ。正確には私が作ったISコアに似た劣化品だけど」

「なんでISコアが……」

「コアネットワーク上に作られた仮想世界で、本物の記憶に似た物語を追体験をしているのよ、超高速で成長する体に合わせた速度でね。もっとも、十五歳程度に成長してから、しばらくは調整しないといけないから、ボタンを押してすぐ出来上がりってわけにはいかないわ。貴方が見た仲間たちと同程度になるまで、最速でも数ヶ月かかる」

 淡々と語る研究者の言葉を理解するのに、時間がかかった。いや、時間がかかっても、理解したくなかった。

「ひどい……悪夢だ」

「さっきのラウラ・ボーデヴィッヒの左目を思い出しなさい」

 違和感の正体は、それだったのかと思い当たる。

 ラウラの左目は、本物なら金色のはずだ。それは体内に宿したナノマシンの影響らしい。

 だがさっき見たラウラの瞳は、両方とも同じ色だった。

 つまり、俺の知っているラウラ・ボーデヴィッヒではなかったのだ。

「この世界には、もうほとんど人間がいない。紅椿に滅ぼされたから」

「……本当、なんだよな、その話は。そ、そういやあの子は? 誰かのクローンなのか?」

「あっちにいるわよ」

 部屋の一番奥にある二つの試験管の間が、エスツーの持つライトで照らされる。

「あの子は、何をしてるんだ?」

 ぼんやりと照らされる水槽のような巨大試験管を、一人の少年が見上げていた。

「自分の両親を見ているのよ」

「両親って……」

 俺は目を疑った。

 その二つの試験管に浮いているのは、今より大人になった俺こと織斑一夏と、篠ノ之箒そのものだったからだ。

 

 

 

 

 木製のコテージのような小屋で、十歳ぐらいの男の子がベッドで静かな呼吸を立てていた。

 エスツーは剥がれかけた毛布をかけ直し、彼の頭を撫でて微笑む。

「そうしてると、本当に親子みたいだな」

 思わずそんな感想が漏れてしまった。

 すると束さんと箒に似た顔が、苦笑を浮かべる。

「こう見えても、保護してから二ヶ月ぐらいなのだけど」

 木のイスが軋む。俺はエスツーの出してくれたコーヒーをすすり、手足を投げ出して天井を見上げた。

 暗い照明が何度も瞬いた。

「正しく認識出来たかしら?」

「いや……思考停止状態だ。何もかもが夢みたいに思える」

 大きくため息を零した。昼間死んだ仲間たちも、ここが二百年後だというのも、全てがウソにしか思えない。

「貴方はどうするのかしら?」

「俺か……どうしたら良いんだろう? エスツーは何者なんだ? 箒や束さんによく似てるけど……」

「私はいわば子孫になるのかしら」

「し、子孫!?」

 思わずイスから落ちそうになる。

 箒か束さんが子供を作ったってことか!? 信じられない……。

「正確に言えば、遺伝子強化試験体研究所というところで生まれた存在の子孫」

「……お前もなのか。人間って、そんな人をぽんぽん作って」

「生まれてきたことには感謝してるわ。その研究機関は先のメテオブレイカー事件で崩壊。逃げ出した私は今じゃ世界で数少ないIS開発者よ」

 彼女は何の感情も示さず、ただカップに口をつける。

「エスツー。俺はどうしたら良い?」

「さて、そろそろ政府から連絡があるんじゃないかしら」

「お前は……その」

「ん?」

「昼間のクローンたちが死んだことが、悲しくないのか」

「そんな感情は閉じ込めたわ。呆れ果てるほど多くの人間が死んだのだから。今の世界人口、いくらかわかる?」

「百万人ってのは見たよ。信じられないけど」

「真実よ。つまり、たった四ヶ月間で、それだけに減らされたのよ。紅椿の兵器は強力すぎる。もちろんそれだけじゃなく、大隕石群の落下に端を発した内乱や内戦、それに戦争。経済崩壊。まだゼロじゃないだけマシだわ」

 とにもかくにも驚いてばっかりで、どれが真実だかもわからない。

 あの仲間たちのクローンが殺されたということ、それと今もISが示している座標が間違いなく日本で、草木すら生えない荒野であるということ。

 思考停止中なせいもあるが、そういう事実を積み重ねれば、エスツーの言うような話もあるかもしれない、と本気で思えてくる。

「まあ、紅椿が過去に戻って人類を改ざんすれば、こんなことは起きなくなるのかもしれないけれど」

「改ざん? 過去?」

「あいつの目的は、エネルギーを集めて過去に飛び、過去を作り直して人類を良い方向へ導くことよ」

「……ああもう」

 好きにしてくれ、と投げやりな気分になってきた。

「どちらにしても、私たちという個体はいなくなるかもしれないわね」

 興味なさげに言い放ち、彼女はベッドで寝息を立てる子供の方へ視線を向けた。その表情は柔らかく微笑んでいる。

「子供、好きなのか?」

「沢山面倒を見てきたわ。何せ子供の多い場所だったから」

「……そっか」

 それはつまり、あいつらと同じようなクローンが多数、製造されていた場所にいたということだろう。

「唯一の生き残り、何とか連れ出した子よ」

 エスツーがホログラムディスプレイを目の前に展開した。彼女もどうやらISを持っているようだ。

「通信か? その辺りのインターフェースは変わってないのか」

「ISは二百年前から大して進歩していないわ。こちらエスツー」

 彼女の前に浮かぶウインドウには、女性の顔が映し出されていた。

『サラシキだ』

 その名前に俺の背筋が伸びる。

 だが、そこに写っている顔は、四十代ぐらいの厳しい顔つきをした女性のものだった。俺の知っている彼女たちではない。おそらく子孫ってことか。

 本当に、俺の生きていた時代とは違うんだな。

『エスツー、決行の時間が決まった。ルート2を連れて来い』

「逃げても意味はないわよ? 何があろうとも、紅椿を倒さなければ意味はない。過去に戻って改変されたなら、人類は全て入れ替わる」

『過去に戻るなど信じられない。これ以上の悪夢は沢山だ』

「定員は?」

『人選は済んだ。私は残る。ジンと決着をつけなければならない』

「そう……では、私も残るわ」

『待て、お前が行かねば』

「私程度の科学者なら他にもいるでしょう。そんなことより一人、追加して欲しい人員がいるの」

『了解だ。では、集結場所の座標を送る』

 通信ウインドウを消し、一息吐いた後にエスツーが立ち上がる。

「さて一夏、明日は早いから寝た方が良いわ」

「どこか行くのか?」

「人類最後の希望の地へ」

 自嘲するような笑みで彼女は部屋から出て行こうとした。

「どこのことだ?」

「かつて、IS学園があった島よ」

 

 

 

 

「しっかし、徒歩になるとは……」

 荒れ果てた荒野をひたすら歩き続けていた。

 太陽が高い。まるで日本とは思えないぐらいに暑いが、水分を奪われないために薄い布をフード付のマントみたいに羽織って歩いていた。

「仕方ないわ。車はさっきガス欠になったんだし、ISを使って紅椿にバレるわけにもいかないし、それにもう近いわ」

「なら良いが、あの子が限界だな。休憩にしよう」

 チラリと背中越しにあの子を見つめた。俺の少し後方で、空を見上げて歩いていた。今にも足がもつれて倒れそうな感じだ。

「私は少し先に行って、様子を見てくるわ」

 エスツーは立ち止まらずにスタスタと歩いて行く。

「それじゃ俺たちは少し休憩にしようか」

 少し待って、歩幅の小さな少年の頭を撫でると、肩で息をしながら彼は小さく頷いた。

 手頃な岩を見つけて腰掛け、荷物の中から水筒を取り出す。

「ほら、少しは飲んでおけよ」

 差し出した俺に気づかず、少年は空を見上げていた。

「ん? 鳥……トンビ、鳴き声が聞こえないってことは鷹か?」

 俺が小さく呟くと、不思議そうに俺へ視線を向け、

「タカ?」

 と小首を傾げて尋ねてくる。

「ああ。強いんだぞ。速くて、大きな爪で獲物を捕まえるんだ」

「鷹……」

 ぽかんと口を開けて見上げる姿に、俺は小さく吹き出してしまった。

 勇壮なその姿を、よっぽど気に入ってしまったようだ。子供っぽくて微笑ましい。

「ほら、座れよ、少しでも休め」

 軽く手を引っ張って、俺の横に腰を落とさせる。それでも少年は空を見上げたままだった。

「そうだ、名前」

「え?」

「名前、ないんだったよな」

「エスツーは『キミ』って。みんなもお前やキミ、あなた、アンタ」

 ……そうか。こいつは俺の仲間の記憶を持ったクローンと一緒に生きてきたんだな。

「誰か名前をつけようとしなかったのか?」

「シャルロットがつけようとした。ラウラが違う案を出した」

 いつもは言葉少なげな子が、今はポツリポツリとだが、長く喋り続けている。

「ははっ、それで? 他の奴らは?」

「箒のは変なのだって怒られてて、セシリアは長いから却下。簪はトクサツだからダメだって。楯無がじゅげむじゅげむ? 鈴が仕方ないからつけるって言い出したけど、全員で反対」

 その話が如何にも彼女たちっぽくて思わず笑ってしまう。

「それで名前はないままなのか?」

「結局、保留。でもみんな、いなくなった」

 ぽつりと、悲しそうに呟く。

「……そうか」

「無いままでいい。みんなにつけてもらうつもりだったから。エスツーもそう思ってる」

 少年が小さくポツリと呟いて口を閉じる。

 その感情に返せる言葉もなく、俺も黙り込んでしまった。

 隣の少年は再び空に舞う猛禽類を見上げている。その眼差しは、純粋な憧れが込められているようだ。

 そのまま俺もボーッと空を見上げる。

 雲一つない抜けるような青空だ。あれが二百年後の気象現象だってのが信じられない。俺の記憶と何一つ変わらない空だった。

 五分ぐらい、そのまま二人で空を見上げていただろうか。

 遠くから声が聞こえてきたので振り向けば、先に行ったエスツーが少し遠くからこちらに向けて何か叫んでいる。

「さて、そろそろ行くか」

 立ち上がって埃をはたき落とすが、名前のない子供は空を見上げたままだった。

「そんなに気に入ったのか。ほーら、行くぞ」

 手を握って立ち上がらせる。

 ゆっくりと彼を引っ張って歩き出した。

「なあ、名前だけど、俺がつけても良いか?」

 小さな手の持ち主に、問いかける。

「名前?」

「俺もアイツらの仲間だしさ。良い案があるんだ」

 少しだけうつむいたあと、少年が顔を上げて小さく頷いた。

 鷹を気に入っていて、みんなにキミと呼びかけられていたのだ。

You(ヨウ)ってのはどうだ?」

「ダジャレ?」

「返答はやっ!? てか鋭すぎだろ?」

「一夏はつまんないダジャレが好きって鈴が」

「そ、そうか」

 鈴、つまんないは余計だろ……。

「ど、どうだ? い、嫌か?」

 恐る恐る尋ねる。良いアイディアだと思ったんだけどなぁ。

「でも気に入った」

 自信ない俺の提案だったが、ヨウは少し嬉しそうに答えてくれた。

「そ、そうか。それじゃヨウ、行こうぜ」

 小高い丘の上で、呆れた表情のエスツーが待ち構えている。

「何を話してたの?」

 まるで母親のようなエスツーが、少年に問いかける。

「エスツー、名前決まった」

「……そう」

 彼女は悲しそうに呟いたが、彼は胸を張って、

「これからは、ヨウ」

 と、自分の名前を誇らしげに口にした。

 そこに浮かんでいた笑みは、年相応の小さな子供のものだった。

 

 

 

 

 

 俺たちがいるのは、草原の島の地下にある船のドックだった。天然の岩に囲まれた洞窟の中に、巡洋艦サイズの船が浮かんでいる。

「サラシキ、着いたわよ」

 エスツーが先導し、その巨大な箱船の近くに立つ女性に近づいた。通信回線越しに見たときと同じように、厳しい表情をしていた。

「よく来たな、エスツー。小さいのも元気だったか?」

 俺たちを見る視線は変わらず厳しかったけど、なぜかヨウにだけは優しげな笑みを浮かべる。

「サラシキ、名前決まった」

 面識があるのか、彼はパタパタと走りサラシキと呼ばれた女性の前で立ち止まる。

「ほう? どんなのだ?」

 サラシキと呼ばれた楯無さんたちの子孫は、膝をついて小さなヨウと目線を合わせる。

「ヨウ。一夏がつけてくれた」

「ヨウか。そうか。これからはそれで呼ぼう。改めてよろしくな、ヨウ。それと」

 立ち上がった彼女は、俺の方を見つめ、

「戦力はありがたい。織斑一夏。歓迎しよう」

 と手を差し伸べた。

「まだ混乱してるけど、よろしくお願いします、サラシキさん」

 力強く握り返してきた手が、油や古傷で荒れている。彼女自身も先陣を切って働いているせいだろうか。

「伝説と同じような実力を見せてくれるとありがたい」

「あんまり期待されても困るけど……この船は?」

「宇宙船だ」

「宇宙船?」

「一ヶ月ほど前に、篠ノ之束と連絡が取れた」

「束さんと!?」

 驚きの声を上げると、サラシキさんが力強く頷いた。

「向こうは今、遙か宇宙の向こうにいるそうだ。かなり環境の良い星があるそうで、途中まで迎えに来てくれるとのことだ。かつてグリーゼ581gと呼ばれた惑星らしい」

「束さんが……その、束さんは?」

「彼女は本物だよ。本物の、二百年前から生きる伝説だ。なぜ生きてるかも知らんが、遙か遠くを目指して旅立ったのは、かつて機密事項だった。何とか通信を彼女の航路に向けて送り込んで、ようやく返信をもらえたというわけだ」

「ひょっとして」

 先端が尖った船体は、よく見れば少し人参っぽい形な気もする。

「この船も彼女が設計図を送ってくれたものを元に作ったのだ」

 彼女は誇らしげに、目の前にある巡洋艦サイズの箱船を見上げた。

「さ、さすがぶっ飛んでるなあ」

「何せ二十光年ほどの距離にある場所だからな。彼女の設計した船というのなら、心強い」

 光年て……だけど、束さんだから何でもありなのか……。相変わらずというか、二百年経ってさらに束さんっぽさが増したというか。

「詳しくは今夜の会合で話そう。よろしく頼む」

 歴戦の女士官といった雰囲気を醸し出すサラシキさんは、軽く手を振って歩き出した。

「これでどうにかなるわけがない、と篠ノ之束もわかっているんでしょうに」

 背中が見えなくなってから、エスツーが呆れたようにため息を零した。

「エスツー?」

「紅椿、ジン・アカツバキと呼ばれる存在の目的は、過去に飛んで人類そのものを作り直すことよ。地球を捨てて遠くに逃げても、隕石に関する解決にしかならないわ」

「……そうだな」

 エスツーの言うことを信じるなら、紅椿は遠くに逃げるヤツらなどどうでも良いだろう。

「だけどエスツー、だとしたら、何でここに?」

「ここに現状の最大戦力が集まるからよ。紅椿もおそらくエネルギーを狙ってここに来るはず」

 ヨウの肩を強く抱きしめて、エスツーが呟く。

「……どのみち、いきなり最終決戦ってことか」

 俺は箱船を見上げて呟いた。

 

 

 

 結局は、ここで戦うことになるだろう。

 もちろん、織斑一夏である俺も戦う。

 未だ思考停止しているし、これが夢だって線も捨て切れていない。

 だけど、それは戦わない理由にはならない。

 何もかもを夢だと思って、何もしないなら、現実でも何もしない人間になるだけだと思う。

 だったら何があろうと織斑一夏として、ここにいる人間たちを守るために戦うつもりだ。

 例え相手が出来の悪い悪夢であろうとも。

 

 

 

 

 生き残った人類の首脳会談ってのが終わった後、サラシキさんが俺やエスツーのいる場所を訪ねてきた。

「ルート2、今はヨウだったか。アイツは逃がす」

 開口一番に言ったセリフは、それだけだった。

 俺が名前をつけた十歳の子は、ISの調整という名目で外に出ており、今はこの部屋にいない。

「ヨウを? いや問題はないんですけど……というか、そういえばあの船は何人乗れるんですか? あと何隻あるんです?」

 そこは疑問に思っていた。

 いくら巡洋艦サイズとはいえ、百万人という残りの人口全てが乗れるわけがない。他の人たちはどうするんだ?

「これがリストだ」

 四十代だというサラシキさんは、厳しい顔つきでホログラウムウインドウをこちらに滑らせてきた。

「……合計、千人か」

 そこにある数字を口にして初めて、その意味を理解した。

「今のところ一隻しか建造出来ていない。幸い、操縦は自動で行われる。最低限のスタッフ以外は全員、子供を乗せることにした」

「子供を……」

「十五歳以下だ。織斑一夏。出来ればキミには、そこのリーダーになって欲しい」

 厳しい顔つきのまま、サラシキさんが俺に告げる。

「え? 俺が?」

「グリーゼ581gだったか。そこにいる篠ノ之束と会ったときに直接交渉する人間も必要だ。それに子供たちをまとめる人間もいる」

「ちょ、ちょっと待ってください。何で俺なんだ?」

「安心したまえ。何年かかるかわからない旅に、全員が起きている必要はない。まあ冷凍睡眠みたいな形を取りながら、篠ノ之束の迎えを待つ形になるだろうな」

「……早く来てくれると良いんですけど」

「キミはそこの管理者の一人となって、一緒に飛び立って欲しい」

 急な申し出に、俺は目を丸くしてしまう。

「で、でも、俺は……」

 俺は戦闘に加わらず、子供たちと一緒に逃げ出せということか。

 責任重大な役目ではある。

 だけど役に立たなくても、あの紅椿に一矢報いるつもりでいたんだけどな。

「サラシキ、急に言われても、一夏もよく理解出来ていないと思うわ」

 それまで沈黙を保っていたエスツーが、助け船を出してくれる。

「そうだな……。わかった。だが時間はあまりない。翌々日には出航する予定だ。子供たちも続々と集まってきている」

 サラシキさんは厳しい表情で告げて、俺たちの部屋から出て行った。

 扉が閉まるのを待って、エスツーは小さくため息を吐く。

「一夏、どうしたいの?」

「……正直、わかんねえよ」

「でも、紅椿を私たちが倒せたなら、確実に生き残れる道ではあるのよね」

「だけど、それじゃエスツーは!」

「私は良いわ。どのみち紅椿を倒さなければ人類に未来はない。でも、この世界で右も左もわからぬ貴方や、幼いヨウが生き残れるというなら、それも良いかも、と思うわ。でも……」

 彼女は研究者の顔をして、少し考え込む。

「どうした?」

「何か引っかかるのも確かよ」

 

 

 

 

 次の日、少し作業したいというエスツーを置いて、俺は小さなヨウの手を引っ張り、ドックの外へ出て来た。

「ここがIS学園とはなあ」

 ポリポリと頭をかく。

 どこまでも広がる草原。緑色の葉が風に揺れている。

 目を懲らすと、たぶん第六アリーナが存在していた辺り、IS学園で一番背の高かったタワーのあった場所に、大きな木が葉を生い茂らせている。

「あそこまで行ってみようぜ」

「うん」

 ヨウを引き連れて、くるぶしにかかるほどの草を踏みしめていく。

 小さな海峡を隔てた日本本土とはまるで違う、本当に綺麗な島だった。

「おいヨウ、また鷹が飛んでるぞ」

「どこ?」

「ほらあっちだ」

 どこまでも広がる青い空に、一羽の鳥が翼を広げて滑空していた。

 途端にそれに目を奪われたのか、ヨウは後ろに倒れそうなほど頭を上げて、目で猛禽類の姿を追いかける。

「おい、こけるぞー。足元に気をつけろよ?」

「うん」

 やれやれ。可愛いもんだ。

 俺にもこういう時期があったんだろうかとか箒に言ったら、お前は今も昔も変わらんぞ、ボーっとしすぎだとか怒られそうだ。

 上に気を取られたヨウがこけないよう、気を付けて手を引き歩いていく。

 五分ほど歩くと、その巨木に辿り着いた。

「何の木かわからないけど、デカいな。樹齢百年ぐらいありそうだ」

 テキトーに推測しながら、その根元に腰を下ろしてもたれかかる。

 鷹が見えなくなったのか、ヨウも俺の横に腰を落とした。

「良い天気だ」

 草木の匂いが鼻をくすぐる。

「こんな綺麗な場所を捨てて、他の星へ逃げる、か」

 昨日のサラシキさんの話を思い出していた。

 束さんがとっくに地球を離れて、しかもまだ生きてるってのが、あの人らしいけどな。そこだけ現実っぽい。

「なあヨウ、お前はどうしたい?」

 隣で足を放り出している子供に話しかける。

「戦いたい」

 言葉少なげに、少年が決意を告げた。

「……怖くないのか?」

「怖い。でも、許せない」

「許せない?」

「みんな、友達だった」

 それは、俺の仲間たちのことを指しているんだろう。

「……悲しかったのか」

「シャルロットは優しかった。ラウラは厳しかったけど、ちゃんと出来たら褒めてくれた」

 指を折りながら、淡々と思い出を語ってくれる。

「そうだな、よくわかるよ」

「セシリアは目を合わせて頭を撫でてくれてた。簪はいっぱいお話を教えてくれた」

「うん」

「鈴は一緒に遊んでくれた。楯無はいろんな悪戯を知ってた」

「そうだろうな」

「箒は一番優しかった」

「そっか。俺には厳しかったけどなあ」

 たった数日前の出来事みたいな感じだけど、遠い昔の話のようにも感じられる。

 未だにあそこで死んでいたのが偽物で、クローン人間に記憶を焼き付けて生まれてきた存在がいたってのが信じられない。

 でも、ヨウは俺の仲間たちと一緒に過ごしていたんだ。

「どれくらい一緒にいたんだ?」

「一か月ぐらい。エスツーと二人だと、えっと」

「二人だと?」

「……静か」

「だろうな。みんながいると、騒がしかっただろ」

「楽しかった。みんな、一夏のことばっかり教えてくれた」

「変なこと言ってなかったか?」

「一夏、スケベ。みんな、そう言ってた」

「おい……子供に何を教えてんだ、あいつら……」

 頭を抱えてしまう。

 だけど、あまりにも彼女たちっぽい話過ぎて、同時に笑みも零れてしまった。

「こんなこと」

 ヨウがホログラムウインドウを呼び出し、俺に見せてくれる。

「どれどれ、何が書いてあるんだ?」

 そこに並んでいる文字を追いかけていくたびに、俺の顔が青ざめていく。

 内容は、俺やみんなの話を追いかけた、まるで小説のようにまとめられた物語だった。

「おい……これ」

「みんなの話、簪がまとめてくれた」

「うわ……これ、恥ずかしすぎるだろ……何やってんだ、簪」

 少し妄想が入ってる気がしないでもないが、確かに俺の周囲を描いたストーリーがその中で展開されていた。

「七冊目までしかない」

「どうして?」

「死んだから」

 ポツリと、悲しそうに呟いた。

 思わず隣の少年の頭を抱きかかえてしまった。

 だって、彼は泣いていたのだから。

「泣いたっていいんだぞ。ここにエスツーはいないんだから、気にせずに思いっきり泣けば良い」

 俺がそう教えてやると、彼は小さな嗚咽を上げ始め、すすり声を漏らし、最後には大声を上げて泣き出した。

 

 

 

 

 泣き疲れて眠ったヨウを背負い、俺はドック内にある部屋へと戻ってきた。

「あら、ヨウはどうしたの?」

 画面とにらめっこしていたエスツーが、こっちに気づいて顔を上げる。

「疲れてたみたいだ」

「その子も、気を張ってたからね。一夏がいて助かったわ。その子は私の前じゃ絶対に泣かないから」

 壁際の簡素なベッドにヨウを下ろし、布団をかけてやる。

「エスツーに気を使ってたみたいだな」

「彼なりに頑張ってるのよ。可愛らしいとは思うのだけど」

 小さく微笑んでから、彼女は再び投影型キーボードを打つ作業に入る。

「エスツーは残るんだよな?」

「もちろんよ」

「俺も残るよ」

「……そう」

 彼女の指が一瞬止まったが、すぐに作業を再開した。

「でもヨウは、束さんにお願いしようと思う。いいよな?」

「わかったわ。サラシキにはそう伝えておく」

「頼む。エスツーは何をしてるんだ?」

「ちょっと分析を。こっちはもうアスタロトもルシファーもバアル・ゼブルもあと一機だけ」

「何の話だ?」

「二百年ぐらい前に、私の先祖が設計したISよ。ヨウのディアブロと一緒に戦ってた機体だけどね。パイロットごと破壊されたし」

「……人が死んだんだな」

「乗ってたのは、あなたの仲間のクローンたちよ。この時代には彼女たちの専用機なんて残ってなかったし」

 淡々と告げる彼女の唇が、わずかに震えているのを見つけてしまった。

 エスツーと名乗るこの人もまた、いろんな思いを抱いて戦っているんだろう。

「そっか……。なあ俺の白式って」

「それはサウスサンドウィッチ海溝の奥に眠っていた物を回収した本物よ。本物のインフィニット・ストラトス・オブ・インフィニット・ストラトス。ちゃんとルート3を搭載してるわ」

「ルート3? そういや昨日のサラシキさんもルート2とか言ってたけど、何の話なんだ?」

「ルート3は零落白夜の別名よ。ルート1は絢爛舞踏の別名ね。ルート2は単なるルート2。イメージインターフェースの進化系で、心を繋ぐワンオフアビリティ」

「ワンオフアビリティ? イメージインターフェースが?」

 作業しながら説明してくれているんだが、内容がさっぱり理解出来ない。

「本来、人から心を抜き出して量子化する兵装らしいわ」

「それでどうなるんだ?」

「遠くまで行ける」

「え?」

「イメージインターフェースってのは、パイロットの精神と機体を繋ぎISを動かす機能のこと。つまり心さえあれば、ISは動く。人間は肉体があるゆえに、自分の限界を勝手に作り出す」

「限界って、肉体の限界ってことか?」

「そうよ。それを超えたISの限界まで性能を引き出せる。それがルート2という機能。ヨウの機体『ディアブロ』にだけは、この機能が乗っているわ」

 何か言っていることが矛盾している気がするんだけど、明確な言葉に出来ないのがもどかしいな。

悪魔(ディアブロ)か。何でそんな名前をつけたんだ?」

「悪魔だと私が思ったから」

 キーボードを叩く手を止め、エスツーは悲しげに呟いた。

「ディアブロ……か」

「あの子、貴方がヨウと名付けた男の子が動かしたディアブロは、白騎士の設計図を解読し、私が作り上げたISだった。IS黎明期の英雄たちを乗せるつもりだったけど、なぜかあの子だけが特殊な適正を持っていたのよ」

「……よくわからねえけど、ヨウは特別なのか」

「特別じゃないわけがないでしょう。遺伝子的には織斑一夏と篠ノ之箒、二人の子供なのよ」

「いまいち、実感がないんだが……」

 確かに箒や俺の面影があるとは言えるけど……特に母親に目鼻立ちなんか似てるんだけどな。

「貴方自身の子供ではないから、それはそうよね。あの子が戦うところ、ちょっと不恰好でしょ?」

「ちらりと見ただけでよくわかんないけど、少しISが大きいような。あれで強いんだろ?」

「強いわよ。何せ自分の腕より先にISを動かしているの。ISの腕部装甲が動くから、中にある腕が動いてるの」

「それってまさか、IWS……」

「そうよ。あの子はもう心が体から離れかけてる。まるで不思議の国にいるように、現実感がないと思うわ。もう慣れ切っていて、それが当たり前なのかもしれないけど」

 その病の名前を聞いて、俺は唖然としてしまった。

 IS学園にいたとき、数人の生徒がIWSを患ってしまったことを覚えている。確かに現実感がなく、自分の体が上手く動かせないと訴えていた。

 ましてやヨウは、まだ十歳だ。

「そ、それをわかってて、エスツーはヨウをそのディアブロに乗せたのか」

「あの子が望んだのよ。実際、ディアブロがいなければ、私たちはここまで生き残れなかった」

「そんな……でも! だからって子供を!」

「私から見れば、貴方だって子供よ」

 呆れるようにため息を吐いた。確かにエスツーの見た目は二十代後半だけど……。

「この世界は、子供だろうが大人だろうが、戦えるなら戦うしかない。ジン・アカツバキという神が人を断罪し、宇宙から巨大な隕石群が降り注ごうとしている」

「だ、だけど、だからと言って! 大人が子供を兵器にして良い理由にはならないだろ!」

「子供の感傷は結構よ、織斑一夏」

「……エスツー」

「でも、もう終わりね。ヨウは明日には眠りにつくわ。戦う必要はない平和な世界に辿り着ける。後は私たちが、紅椿を倒すだけ。違う?」

 決意を込めた眼差しを、俺に向ける。

 紅椿と巨大隕石群。

 この二つを同時に排除することなど、無理難題だ。何せ紅椿……ジン・アカツバキか。人類はあいつにさえ勝てた試しがないのだ。

「オーケーだ。異論はないよ。それにエスツーがヨウを箱舟に乗せることに賛成したのは、もう戦わせたくない、ISに乗せたくないって思ったからだろう」

「ええ」

 力強く頷いた彼女に、俺は頭を下げた。

「……ありがとう、エスツー」

「当たり前の責任だから」

 小さく笑って、彼女はキーボードを叩き始めた。

 ヨウは生きて、俺たちは紅椿を倒し、地球とともに滅ぶ。

 俺たちに残された手は、これしか無い。

 すでに何十億という人間が息絶えた。残り百万人全てが生き残ることも出来ない。

 だからたった千人ほどの子供たちを未来へ託す、そういう戦いが始まるんだ。

 

 

 

 

 

「それじゃあヨウ、先にこの中で寝てろよ」

 棺桶を円筒形にしたような金属のカプセルの中で、少年が横たわっていた。

 少しぼんやりした顔つきをすると、何故か俺に似てるってのが不思議な気分だ。

 ヨウが俺とエスツーを見上げて、少しだけ不安げな顔を浮かべる。

「一夏とエスツーは?」

「俺たちは一緒に乗ってるから、お前が起きる前に起きるよ」

 そんなウソを吐いた。

「紅椿から、逃げるの?」

「力を蓄えるんだ。今はまだ勝てないし、この地球はどのみち、隕石で無くなっちまうからな」

「わかった」

 ヨウは少し考えた後、俺たちの顔を真っ直ぐ見つめて頷いてくれた。

「ちょっと長い眠りだけど、一人で大丈夫?」

 ヨウの顔を覗き込んで、エスツーが微笑む。

「うん、大丈夫」

 ちょっとだけ気合を入れるような顔つきになったのは、彼女を安心させるためだろう。

「それじゃあ、おやすみ、ヨウ」

 エスツーがヨウの頬に軽いキスをした。

 少し驚いたような顔つきをした後、十歳の少年が破顔する。

「じゃあな、ヨウ。また会おうぜ」

 ヨウが眠るベッドの上に半透明のガラスが降りてきて、完全に密閉された

 少しだけ泣きそうな顔を浮かべた後、彼はゆっくりと目を閉じる。

 俺とエスツーはそれを見届けてから、ゆっくりと踵を返し歩き出した。

 隣を進む箒と束さんに似た女性が、涙を零していた。

 どうして良いかわからなくて、俺は彼女の肩をそっと抱きしめてあげた。

「い、一夏?」

「ここは泣いても良いと思う。短い間だったけど、本当に子供みたいだったんだろ?」

 声をかけてやると、咳を切ったようにエスツーが咽び泣き始めた。

 彼女もずっと感情を押し込めて戦い続けてきたんだろう。

 大してこの時代のことを知らない俺だけど、今だけはこの女性に胸を貸して、最後の戦いの時を待つとしよう。

 

 

 

 

 

 IS学園の跡地の草原で、俺は空を見上げていた。体には白式を身にまとっている。

 隣には、青いカラーリングの紅椿とでも呼べば良いのだろうか。そんなISを装着したエスツーが立っている。

 先ほどまで青空が仄暗い影に覆われていた。

 そこにいるのは、千機を超えるISの影と、それを従える紅蓮の神だ。

「ISを集めて何をしているかと思えば、自分たちだけ逃げ出す算段か」

 束さんと同じ顔のそいつが、興味なさそうに呟いた。

「ここでお前を倒し、未来を作る」

 銀色のISを装着したサラシキさんが一歩前に出た。

 ここに集まったのは、世界に残った百万人の代表たち。わずか数十機のインフィニット・ストラトスだった。

「未来を作る、か。聞こえは良いが、お前たちの行いはただ命を弄んでいるだけではないか」

「何とでも呼べ、破壊神め。人を虐殺し続けるお前にはわかるまい」

「わからんよ、人間。だが、お前たちがしたいことはわかるぞ。相変わらずの罪深さだ」

 俺たちの遥か後方から、四角い棺桶のような『箱舟』が出航していく。

「何とでも言うが良い。私たちは生き残らねばならんのだ」

 ジン・アカツバキとサラシキさんの問答に、妙な違和感を覚える。

 生き残るってのは、確かにその通りだ。だけど、何か別の感情が込められているような印象だ。

 隣のエスツーを見ると、彼女も同様の思いを抱いているようだった。

 しかし考え込んでいる場合じゃない。

 俺たちは視線を戻し、開戦の狼煙を待つ。

 銀色の装甲の、生き残った人類の代表が腕を横に振るった。

「ルート2、発動せよ。白騎士弐型・ディアブロ、紅椿を倒せ!」

 信じられない言葉を発した。

 箱舟から、一機のISが飛び出してくる。

 白騎士に黒のカラーリングを施したような機体だ。その中にいるのは、十歳ほどの子供である。

 そして顔にはバイザーが降りていて、目元が見えない。

「サラシキ、貴方まさかヨウの機体を暴走させて、意識まで奪って戦わせる気!?」

 エスツーが悲鳴のような声を上げる。

「ふん、ルート2で白騎士と同じ性能を持つ機体の力を、限界まで引き出す気か」

 心から蔑むように、ジン・アカツバキが吐き捨てた。

「サラシキ!」

「たった一人の犠牲で人類が救えるなら、子供であろうと関係ない!」

 悲鳴のような声でエスツーが咎めても、司令官は聞き入れる気はないと一蹴した。

 そういうことか。

 他の子供たちを逃がすために、最大戦力であるヨウの力を限界まで引き出す。その結果、例えあの子が死んだとしてもだ。

「俺たちは、サラシキさんに騙された……?」

 人類のリーダーは、最初からヨウを束さんのところまで逃がすつもりなど無かったのだ。

 犠牲となる機体が一瞬で音速を超え、紅椿の背後に浮かぶ敵機を破壊していった。

 さらに背中から五種百機のビットを生み出して、紅椿の連れた千機以上のISに攻撃を仕掛ける。

 精神感応型遠隔操縦兵器は、体に手足を増やすようなものだとセシリアに教えてもらった記憶がある。だからあんな数のビットを操るのは、まともな人間には無理なのだ。

 ディアブロと呼ばれた機体が、太陽の光を閉ざすような大群に風穴を開けていった。

 黒い力が、闇の底の青紫を爆発させ蹴散らしていく。

「人の業は、深いな」

 悲しそうに、紅椿が呟いた。

「お前がここまでさせたのだ、ジン・アカツバキ!」

 俺はあの女性を楯無さんたちの子孫だと認めたくはない。あの誇り高き彼女たちなら、こんな所業が許されるわけがない。

 ヨウが戦っている。意識さえ奪われて、幼い体の限界を超えて、敵を倒そうとしていた。

 腕や足が引きちぎれんばかりに動いて、敵を葬り続けている。

 その幼い体に、ISは大き過ぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 











次回・IS2237後編で未来編(過去編)は終わり。

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