ルート2 ~インフィニット・ストラトス~   作:葉月乃継

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42、フロム・ニュー・ワールド

 

 

 

 

「行くぜ、白式!」

 織斑一夏が一歩踏み込みながら、大きくブレードを振り下ろす。

 その少年の放つ輝く刃は、距離さえも飛び越えて枝分かれし、一薙ぎで数機のマルアハを二つに切り分けて光の粒子へ返していった。

「チッ、本当に人間はしつこい!! だが、織斑千冬さえ落ちれば!」

 紅椿の背後で巨大な翼のような群体を作るマルアハたちが、一斉にレーザーキャノンを解き放つ。大地すら裂けるその一撃が、再び六百人の生徒とそれを率いる織斑千冬に襲いかかろうとしていた。

「ちーちゃんは私が面倒見てあげるよー、愛だから仕方ないからね」

 天才が手を振り上げると、ISの気配すらなく透明なシールドが壁となって現れる。数百機から同時にレーザーキャノンが放たれようと、先ほどまでの一夏と同じように全ての攻撃を弾いて無に帰していった。

 たった二人の増援が、戦況を一変させた。

 先ほど以上の戦力を持って、相手を押し返していく。

「さあ、返してもらうぜ、未来を!」

 織斑一夏が紅蓮の神へと光輝く切っ先を向けた。

 

 

 

 

 

「何が起きてるの……?」

 一夏の死体の側に膝をついたリア・エルメラインヒが、周囲を把握しようと視界を回す。

「貴様らはよほど私に逆らうのが好きらしいな」

 紅蓮のISを身につけた篠ノ之箒。その顔にはバイザーが降り、無人機たちを操って世界を破壊しISを取り込んでいく。

 群体のように蠢くISたちが、レーザーを撃ち放ち、大地を削り人を殺していった。

 二瀬野鷹が復活したと思われた者の正体は、四十院総司だった。

 六百機の生徒を連れた織斑千冬は、そんなことすら気にせずに相手を削り落としていく。

 四十院の機体ディアブロが、まるで原初のIS『白騎士』のような形を取り、強力な武装で敵を排除し始めた。

 押し返せるかとそこに従った織斑マドカによって一夏が殺される。

 だというのに、間髪入れずに空中に浮かぶ巨大な船から、無傷の一夏が現れた。

 状況を把握するには、情報が足りない。

 それでも戦力が充分だと理解出来る。

「ぱらっぱらー、篠ノ之バリアー!」

 敵のレーザーを完全に遮断する透明な壁が、半球状に広がって味方機全てを包んでいる。その強力な防御の発生源は、考えるまでもなく世紀の天才かつISの開発者である篠ノ之束の仕業だった。その身にISらしきものは見えずとも、あんなに強力なシールドを張れる可能性があるのは、現状で彼女ぐらいしかいない。

 そして最大の謎は、上空に浮かぶ巨大な直方体の船らしき物体だ。

 攻撃を仕掛けてこず、なおかつ篠ノ之束と織斑一夏がそこから現れたということは、敵ではないと推測可能だった。

 防御膜に包まれた人間たちが呆然とする中、篠ノ之束とその横に並び立つ織斑一夏が、周囲をグルリと見渡した。

「立てよ人類、ってな」

 快活に笑いながら、一夏は冗談を飛ばす。

 だが全員の反応がいまいちだったせいか、恥ずかしそうに頭をかく真似をした後、

「いいか、これが最後の戦いってヤツだ。みんな、前を向け」

 と全員に背中を向け、ゆっくりと歩いて先頭に立つ。

「ラウラ、呆けてる場合じゃないぞ。やらなきゃいけないことがあるだろう? お前がラウラ・ボーデヴィッヒなら、今、ここでやらなきゃいけないことを見失うわけがない。そうだろ?」

 銀髪の少女が、その言葉にオッドアイを丸くした。

「いち……か、なのか?」

「今更確認するなよ。俺は……」

 彼は一瞬だけ瞼を閉じ、暴虐の光の飛び交う空を見上げた。

「織斑一夏だ。それで、充分だろ」

 そして、上空を見上げて、太陽の側を飛ぶ黒い影を見つけ、少しだけ目を眩しそうに細める。

「やっと、届いた」

 

 

 

 

 

 よく状況が理解出来ない。

 オレこと二瀬野鷹、じゃねえ四十院総司は戸惑っていた。

 気づけばオレのディアブロが、フィッティングを終えたばかりのときのように、白騎士そっくりの姿になっている。

 その上、織斑マドカに一夏が殺されたと思ったら、即座に新しく一夏が現れた。

 そんな意味不明な状況にも関わらず、可変型無人機はオレに向けて数十機ほどの編隊で襲いかかってくる。

「ゆっくり考える暇ぐらい与えて欲しいもんだね!」

 突き放すように上昇しながら、背後に浮かぶ巨大な荷電粒子砲ビットを発射する。近くの敵が焼き尽くされたのを確認し、空を飛ぶ方向を変えた。

 状況を把握するため、この海域で一番意味のわからない船へと向かった。

 これは敵か味方か。

 直方体を無理矢理に船へと整えた、そんな形の物体だ。甲板に武装の類いは一切存在しない。内部に繋がる階段が覗く、小さな入り口が見えるだけだ。

 その舳先に音も無く降り立つと、内部から一人の女性が姿を見せる。

「ディアブロ……ということは、キミ、なの?」

 舳先に一人の女性が立ち、こちらを見上げていた。長い黒髪に白衣をまとった姿は、まるで箒を大人にしたようなイメージだった。

「……誰でしょうか?」

 オレは一瞬だけ返答に悩んだ結果、財閥の御曹司としての顔で問い返した。

「何を言ってるの!? ヨウでしょう!?」

「私はヨウ、なんて人間じゃありませんよ」

 この場所に向けて、急速にISの反応が増えていく。

 どうやらここにいる意味はない。

 見知らぬ女性が一人、そこにいるだけだ。

「とりあえず、ゆっくりしてる場合じゃありませんので、後ほど。ああ、貴方ももしISを使えるのなら、下の子たちを助けてあげてください」

 言えることはそれぐらいである。

「ま、待って、ヨウ!」

「また時間を作って、機会を持って話しましょう」

 四十院総司として笑いかけ、オレは前を向く。

 眼下では、篠ノ之束の参戦とともに、一夏が『帰ってきた』ことで、先ほど以上の戦果を上げ始めている。

 今が地球上の最大戦力だ。これで負ければ終わりだろう。

 相手の数は未だに千機近くだ。

 ならば、やることは一つだけだ。

 視界の一部を拡大し、紅蓮のISを見つめる。

 奇妙なほどに無表情だった。

 さぞや悔しがっているだろうと思っていたが、予想を裏切る面持ちだったので不審に思う。先ほどまでは、まるで箒のように表情豊かだったものが、今や冷めた眼差しで戦況を見つめているだけだった。

 背後に浮かぶ荷電粒子砲型ビットを撃ち放ち、オレはコースを作る。赤へ続く道、死出の旅路だ。

 背中の推進翼二枚二組に意識を集中する。強烈な推力に押し出されるような感覚を覚えた。

「さあ、そろそろ幕引きと行こうぜ、ジン・アカツバキ」

 

 

 

 

 

「ああ、もういいぞ、全てが失敗だ」

 ジン・アカツバキは腕を組み、背中から生えた副腕を仕舞った。

 この時代に来てから、相も変わらず失敗ばかりだ、と内心で愚痴を零した。

「最低限、ルート2だけは消滅させ、残りのエネルギーを吸収して終わろうと思ったが」

 元々はあの『二瀬野鷹』という人間を侮ったせいだ。

 ルート2という少年は、心だけの身となり、この時代に追ってきた。

 その記憶さえ定かでなくとも、織斑一夏への憧れだけでIS操縦者となり、私の前に何度も立ち塞がってきた。

 では、排除しよう。

 真っ先に、最初に、いの一番に、初っぱなに、とにかくともかく、最初にヤツとディアブロを破壊して、そいつを砕いて殺して叩いて散り散りにして、蘇らぬよう、確実に死ぬように、誰の助けも届かぬようにだ。

 そして、時の彼方にいるアイツも葬ってやろう。

「さあ来い、ディアブロ」

 二本の腕に携えるは、抜き放った二つの刃だ。

「お前の対症療法では、人間は救えぬ」

 遥か上空から訪れる荷電粒子砲で作られた光のラインを辿り、その悪魔は四枚の翼から大きな羽根のような光を吐き出して、一直線に飛んでくる。

「オレは救うつもりはねえよ」

 その黒い機体が、無人の天使の隙間を縫い、敵へ一直線に飛んでいく。

 二機の刃がぶつかり合った。

 お互いがお互いを弾き飛ばし、その反動で再び距離が離れるが、すぐに敵をロックし、無軌道瞬時加速で駈ける。

 世界最高速の戦いは、孤独な神と孤独な心の一騎打ちだ。

 その二つの存在ともが、誰にも理解されず、誰にも認められない存在同士だった。

「譲ることは出来ないな」

「お互いに化け物同士だろ。お似合いだ」

 ぶつかる度にお互いを五百メートル以上も吹き飛ばし、再びぶつかり合う。

「お前は今の人類が正しいと思うのか、二瀬野鷹!」

「化けの皮は剥がれた。オレは四十院総司だ!」

「それで正しいと思うのか! お前はお前自身さえ、お前が育てた子供たちにすら理解されない。誰もお前を信じない!」

「信じて欲しいなんて願いは、とっくに捨てた!」

「ならばなぜ、レミに別れを告げた!?」

 刃と刃がぶつかった瞬間に、ジン・アカツバキが篠ノ之箒で質問を投げつける。

「それが相手に相応しい儀式だからだ、前に進むための!」

 お互いの圧力でお互いを弾き飛ばし弾き飛ばされながら、空中に即座に体勢を整えて、敵へと真っ直ぐ襲いかかる。

「お前は十二年間を費やして、何をしたいのだ? 貴様だけは圧倒的に矛盾している!」

「オレは一貫している! 二瀬野鷹は、死に絶えたいんだ!」

 二人がぶつかり続ける様子は、まるで決まりきったコースを超音速で漂い続ける隕石のようだった。

「ならば何故、私と戦う!?」

「お前だけは道連れにしてやるって決めたからだよ!」

「それに何の意味がある! お前はそこにいない! キサマが世界を救おうとも、キサマはそこにいない! ヒーローにでもなったつもりか二瀬野鷹!」

「四十院総司だ、バカヤロウ! ヒーローなんて沢山いるし、お前だってある意味ヒーローだ!」

「巫山戯るな、貴様! いい加減に砕け散れ、ディアブロ、いや白騎士・弐型!」

「フザケんなよ、ジン・アカツバキ! いいや、自立思考型インフィニット・ストラトス『紅椿』! オレは四十院総司だ、それで良いんだ! 見ろよ、さっきの有様を!」

 二瀬野鷹は段々と分かりだしていた。

 なぜ、自分はこんな言葉を吐露しながら、相手に斬りかかっているのか。

「さっきの有様だと! 貴様はやはり受け入れられてないではないか! ほとんどの人間たちは、お前が二瀬野鷹であったことを理解しようとしない。どんなにお前が他人を救うために頑張ろうとも、所詮はそういうことになるのだ。お前のような者を幸せにすることが出来るのは、周囲の人間たちが正しく優しいときだけだ!」

 ジン・アカツバキも理解し始めていた。

 なぜ、目の前の相手にここまで拘っているのか。

 片や自立思考を得た機械であり、片や機械に抜き出された心である。

 言うなれば、世界で唯一の仲間同士だ。

「うるせえよ、諦めることにゃ慣れてるし、本音を言わないことにも慣れている! 理解されないことも慣れてるし、誰かを邪魔することなんて度々だ! 死にたい人間への理解はいらねえ!」

「人はもっとお互いを理解しあうべきだし、お互いで話し合い人間を尊重すべきだ、違うのか!?」

 ジン・アカツバキには許せないものがある。それは優しくない人間たちだ。

 お互いで足を引っ張り合い、宇宙から落ちてくる石ころ一つ対処出来ずに身勝手に滅んでいく。あまつさえ、過去に生きた人間たちを再び生み出して、無理矢理にISへ乗せ、結局はボタン一つで殺した。

 あのとき、何もわからずISに乗せられ、意識を奪われたまま殺されたクローンたちを、紅椿は守るべきだと思っていた。

 自らを犠牲にしてまで助けようとした千人以上の仲間たちを無残に殺された。

「そんな私に心がないとでも言うのか、お前は!」

 人間を変える権利ぐらいはあるだろう。せめて悲しく散っていく心が減っていくように、努力することぐらい許されるだろう。

 八度目のぶつかり合いは、初めての鍔迫り合いとなる。

 至近距離で顔を突き合わせ、合金製の刃越しに睨み合った。

「私はここに吐露しよう。ジン・アカツバキとして、世界唯一の同類であるルート2に!」

「これ以上、何を語るってんだ! てめえは今の人間を殺して絶滅させようと、人を変えたいんだろう!」

「私は悔しいのだ。人類のスペックはこんなものではない。だからそれが正しく発揮されるよう、過去から変えるのだ」

「正しすぎるだろ、てめえは! 合理的過ぎて、同意しそうになる!」

 四十院総司ののISが、相手を弾き飛ばすために、今までよりもさらに推力を増していく。

「今いる人間たちが消え去っても、新しく生まれてくる人類は、改変されてなくなった未来など知らないのだ。そして彼らは幸せになる!」

 押し返されそうになった紅椿もまた、今までで最大のエネルギーを推進翼へと送り込む。

「幸せの尺度なんて人それぞれだが、その考えには同意だ紅椿。人が今より他人に優しく出来る世界なら、きっと素晴らしいだろ」

 お互いがお互いに本音をぶつける理由は、やはりお互いが世界で唯一の同類だからだった。

「ならば貴様は死ね、ここで一人で死ぬが良い!」

「順番を間違えるな、ジン・アカツバキ! オレはお前を道連れにしてでも倒したいんじゃない! オレは死ぬついでに、お前をぶっ潰すんだよ!」

 紅椿は理解する。

 ああ、こいつはダメだ。ただの狂気に取り付かれた私専用の暗殺者と化している。

「ならば揃って死ね、ルート2」

 紅椿が押し返していた刃から力を抜き、相手の体を後ろへ流す。

 ディアブロは前のめりになりながらも、空中で逆さまになりながら、剣を振り上げた。

 二つの刃がぶつかり合って、再び三十メートルほど距離が開いた。

「あん? どうした理事長様?」

 相手が急に動きを止めたことを不審に思い、四十院総司は怪訝な様子で片眉を上げる。

「諦めよう、ディアブロ。いや副理事長」

 ジン・アカツバキが刀を腰にしまうような動作をすると、武装が光る粒子となって消え去っていく。

「諦めたのかよ」

 ディアブロの背中に、荷電粒子砲ビットが八門現れ、紅蓮の神へと狙いをつける。

 二枚二組の推進翼、両手に持った巨大な剣、日の光を吸収し反射すら許さない黒い装甲。

「じゃあさっさと死のうぜ、カミサマ」

 悪魔は容赦なく神様へと牙を剥く。

 八本の光が真っ直ぐアカツバキへと伸びていった。

 

 

 

 

 

「諦めるのは、今回の世界だ」

 目の前にISを包むほどの大きな黒い穴が現れ、ディアブロの放った攻撃全てがそこへと吸い込まれていった。

 そのISの中心である肉体が、自嘲の笑みを浮かべる。

「なんだ? ……時の彼方へ続く道ってやつか?」

 目の前の敵を見据え、ジン・アカツバキが腕を組む。

「私はキサマらによって妨害され、この時代に辿り着いたときは大した力を持たなかった。しかも力技が主の私としては、想像以下の結果に終わった」

「なんだかんだで二瀬野鷹が散々に邪魔をしてやったからな」

「どうにも向いていないようだ、策略というものも。だから諦めるのだ。この身に貯めたエネルギーを十二年分だけ残し、お前を確実に葬れば良い。ディアブロごと、ルート2を搭載したISコアごとだ」

 四十院総司が道と称した穴は、底の見えない井戸のように、何も見えなかった。

「オレを葬って、十二年目に戻り、またやり直す気か」

「それが一番の近道だろう。何せ私たちには過去へと戻る力があるのだから。お前と同じことをするだけだ。私は私なりに、二瀬野鷹という人物を調べた。見事に出し抜かれてしまったからな」

 とうとうと語り出す声は、篠ノ之箒のものだ。

「はっ、良い気味だ」

「ルート2がお前だということは、織斑一夏以外の男性操縦者である、という点で気づいていた。逆にそれを隠しきった四十院総司には気づけなかった。それが敗因だった」

「それが今更どうした?」

「ゆえに私は二瀬野鷹と四十院総司という人間の両方を調べた。その足跡をだ。最初のお前はどうしようもないクズだった」

「うるせえよ」

「身勝手に未来を変え、その罪すら背負うことなくIS学園を逃げ出して、今度はあの時代で一緒に過ごしていた仲間たちの邪魔をし始めた。結果として、私がシルバリオ・ゴスペルからエネルギーを吸い取るという手段は封じられてしまったが」

「ざまあねえな、ジン・アカツバキ」

「お前はどうしようもないクズで、その身に降りかかった運命を呪い、あまつさえ身勝手に死にたいとさえ願い始めた。明らかに織斑一夏たちとは違う」

「それを今更オレに語ってどうする? 願いは変わらねえ」

「お前のような身勝手な人間がいなくなるようにと願う」

「いつも他人を優先するのが、そんなに素晴らしいことかよ。じゃあお前はどうして、そんなことを企んだ? 誰のためだ? マスターか?」

 嘲笑するように問いかけると、バイザーで鼻まで覆われた箒の顔が、真剣な面持ちへと変わる。

「自分のためだ」

「自分のため?」

「誰だって自分のために動く。見知らぬ人間を命がけで助けるのも、目の前で人が死ぬと自分が嫌だからだ。誰だって、どんなヒーローだってそうだ」

 正しいことを言っているんだろう。機械から生まれた自立思考らしい表現で、間違ってはいないと思わされる。

 よくある物語のヒーローたちは、誰かを命がけで助けて、自分のためにやったんだと嘯いてることが多いらしい。オレ自身はよく知らねえけど、うちの娘たちが好きそうなのは、そういう謙虚で偉ぶらないヒーロー像だろう。

 他人を命がけで巨悪から救い、自分のためにやったと笑う。カッコ良いじゃねえか、ヒーローたち。

 しかし、今までずっと他人として生き続けてきたオレだからこそ、思うことがある。

「だからてめえはいつまで経っても、二流の悪役なんだ、ジン・アカツバキ」

 何度でもお前の思い違いを嘲笑ってやろう。

「では、お前の理論は違うというのか?」

 なんだ、神様はこんな簡単なことすらわかってなかったのか。

「ああ、違うな。それはお前が本当に誰かを救ったことがない偽物だからだ。だからそんな戯れ言を本気で信じてやがる」

 こっからは、偽物であるこの二瀬野鷹から、偽物の救世主へのラブレターだ。

「……貴様」

 アカツバキが歯軋りを鳴らす。

「本物はな、もっとバカなんだ」

 無人機と争う一夏たちの戦場をチラリと見て鼻で笑う。

 六百人の生徒たちは、何を考えてこの戦場に現れたのか。

 先ほどからずっと、ただ織斑千冬の命じるがままに金属のブレードを投げ落とすという作業に徹している。死ぬかも知れない恐怖に打ち震えながら、ずっとだ。

 大した武装なんてなく、性能はジン・アカツバキの無人機以下であることは明白だった。戦場に来れば命の危険があることもわかっていた。

 打算が無いとは言わない。妥協が無いとも言わない。雰囲気に飲み込まれていない、とも言えない。

 彼女たちは世界一安全な鎧であるISで、遠くに逃げ出しても良いはずだったのだ。

 だけど彼女たちは、選んだのだ。

「バカ、だと?」

「そんときゃそれしか考えつかねえ。目の前で他人が死にそうになってたら、仲間がくたばりそうになってたら、頭の中はな『自分のために』なんてことは考えつきもしてねえんだよ」

「人間はそういうものではないぞ、二瀬野鷹」

「いいや、織斑一夏はそうだ」

「……キサマ」

「ラウラ・ボーデヴィッヒだってそうだ、シャルロット・デュノアだってそうだ、ファン・リンインだってそうだ、セシリア・オルコットだってそうだ、篠ノ之箒だってそうだ、更識楯無も簪もそうだ」

「好きにほざくが良い。人間の行動を理論的に考えれば、他人を救うのは全て自分のためだ。私はそれで良いし、それこそが」

「違うぜクソッタレ。駅のホームで足を踏み外した婆ちゃんを救った兄ちゃんだってそうだ。敵国のガキを身を呈して守った軍人だってそうだ。たまたま整備不良で自分の船が沈没するときの船長だってそうだ。あそこに集まった六百人の生徒たちだってそうだ」

 神様の理解力が低すぎて、呆れてため息が漏れるぜチクショウ。

「心がねえお前にはわからねえ。アイツらはな、もっとバカなんだ。だからその瞬間は、本気で他人のためを思ってる。他人が死んだら自分が嫌だなんて、他人を助けるときには頭の中からすっ飛んでるんだ」

「それでは理論が通らない」

「理論じゃねえんだよ。ああ、なるほどな。お前は自立思考を得ていても『心』を持ってねえのか、神様」

「では貴様の言う心とはなんだ、二瀬野鷹。ルート2というキサマならわかるというのか」

「わかるよ、オレには。ずっと心だけの化け物として、他人の体で生きてきたからな」

 笑わせてくれる。結局、こいつも自分の尺度で人間を測ってただけだ。

 だから、押しつけるわけでもなく、未来そのものを過去から書き換える。そういう理想の幸せなんてものを考えついてしまったんだ。

「もしお前が人間で、ある日、目の前でトラックに轢かれそうな大学生でも見つけたら、きっと助けたんだろうな。例え自分の命を失ってでも」

 オレの言葉を聞いても、何ら反論が返ってこないので、言葉を続けてやることにした。

「人間ってのはな、何かしらんが、助けちまうんだよ。いざっててときにはな。それを知らないから、お前は過去を書き換えるなんて単純な結論に辿り着いた」

「では」

「あん?」

「ではお前はどうなのだ、二瀬野鷹」

「オレは違うぞ」

 恐る恐る尋ねる相手の態度を、笑い飛ばすように自信満々で答えてやる。

「……そうか」

「オレは本気で身勝手で、自分のことしか頭にねえ。絶滅させた方が良いな」

 だから失敗し続けた。

 結論、オレもあいつも所詮は人間じゃねえ化け物ってことだ。

 偉そうに上から目線で放った言葉を、篠ノ之箒の顔をしたジン・アカツバキが鼻で笑った。

「戦況が悪いようだ」

「そうみたいだな」

 一夏の再登場と篠ノ之束の参戦で、千機近くの無人機たちとの戦いのバランスが、一気に傾き始めていた。

 何せ全ての攻撃はおろか敵の接近全てを、篠ノ之束が鼻歌交じりに防いでしまう。ジン・アカツバキが最初に篠ノ之束を異世界送りにしたのは、正解だったようだ。あれは無敵過ぎる。

 さらに千冬さんのメッサーシュミットによって撃ち放たれたブレードと、他のパイロットたちの攻撃は一方的に届くのだ。

 極めつけは、一夏の零落白夜だった。振り抜くたびに刃が自在に変化し、雷で薙ぎ払うように敵の機体をまとめて両断していった。

 先ほどまでは緩やかな消耗戦だったのが、たった二人の復活で一方的な蹂躙へと変わっていた。

「エネルギーを節約しようとしたせいで、今回は失敗だ。これでは十万年分を飛ぶための分を貯めることが出来そうもない」

「お前も相変わらず失敗してばっかりだな」

「お前と同様だな、二瀬野鷹。だが、こちらは過去へと飛べるのだ」

「オレが意地でもついていってやる。また裏をかいてやるぞ」

 挑発するように言い放つが、ジン・アカツバキはそれを無視し、両手を横に開いた。

「お前にとって最強の敵を用意してある」

「あ?」

「結局は、お前を粉微塵に復活出来ぬほど機体ごと打ち砕けば良いのだ。後は再び過去からやり直せば良い」

 相手の意図はわかるが、何をするのかが予測出来ない。

 身構えたまま、どんな攻撃も回避出来るように推進翼へと意識を集中させる。

「では、いざ参ろうぞ、時の彼方へ」

 まるで柏手でもするように、ヤツがポンと一つ手を叩く。

 その瞬間、オレの全方向を黒い円形が覆い尽くした。

「なっ!?」

「戦場は、あちらだ」

 ヤツが得意げに呟いたと同時に、オレの体が空中に出来た黒い穴へと吸い込まれてしまった。

 

 

 

 

 

 

 目を覚ませば、灰色の空間だった。

「痛えな……」

 後頭部がひたすら痛む。

 気づけばアスファルトの上に眠っていたようだ。

 ここがどこかは理解出来ない、どこにでもあるような街角だった。天を突くような超高層ビルの間にある道に立っているようだ。

 だが、人影は一切無く、奇妙なことに全ての物が灰色だった。

 本来は鮮やかなルージュが引かれているはずの化粧品メーカーの看板も、何故かグレースケールで構成された味気のないものへと変わっている。ビルの一階に入っている本屋のショウウインドウに並んだ雑誌すらも、全て黒の濃淡だけで表現されていた。

「おわっ?」

 思わず驚きの声を上げてしまった。

 鏡のような窓ガラスに映された自分の姿が、十五歳ぐらいの雰囲気イケメンへと変わっていた。

 いつのまにか四十院総司の体ではなく、二瀬野鷹の肉体へと戻っているのだ。

「まさか過去に飛んだのか!? いや」

 制服すらIS学園の物へと変化している。

 オレは心だけで死体へと乗り移る化け物だ。ってことは、二瀬野鷹になることは二度とない。

「いわゆる時の彼方ってヤツか」

 来たことはあるんだろうが、記憶には残っていない。

 さっき、ジン・アカツバキがオレを包んだのは、大量の無人機を呼び出したときと同じ物だった。

 どうしてさっさとオレをここに閉じ込めなかったのか、と考えたが、さっきまで篠ノ之束がいたからかと思い当たる。さっきまで、という時間の認識が正しいのかどうかわからないが。

 ってことは、どっかにジン・アカツバキの本体と箒の意識がいるのか?

 考え込む前に、体へディアブロを呼び出して装着した。

 一応、ISはあるようだ。

 そのまま視界に索敵モード用の仮想ウインドウを起動させ、周囲の反応を探る。

「敵影どころか、生命体の反応すら無し、か。ジン・アカツバキのヤツ、どこに行きやがった?」

 周囲を見渡せば、車やバイク、自転車なんかがいたる場所に止めてある。たぶん、生き物だけがいないんだろう、ここには。

 足を踏み出して、空へと飛び立つ。

 ゆっくりとビルの谷間を上昇して、一番高い建物の屋上に足をつけた。

「……東京、か」

 見渡した視界に映るのは、どうやらオレの知っている新宿辺りと良く似ているようだ。

「だとしたら、とりあえず行くのは、横須賀のIS連隊基地だな」

 先ほどまで戦っていた場所が気になった。ひょっとしたら、そこに誰かいるかもしれない。

 四枚の推進翼をゆっくりと加速させ、オレは西南方向へと飛び出した。

 

 

 

 

 

 

「ジン・アカツバキがいない」

 無人機たちと戦っていたラウラが、その事実に気づいて一夏に声をかける。

「どこ行った? 反応はないぞ?」

「わからん……」

 篠ノ之束の張った巨大なシールドの中に、一夏の味方のほとんどが揃っていた。

「隊長、敵の数が!」

「ああ、知っている。私たちが倒す以上に数を減らしていってるな」

 リアの言葉を受け、ラウラが上空を見上げた。先ほどより青紫の無人機からの攻撃が少なくなっているのだ。

「あれが最後か」

 千冬が手に持ったブレードを投げつけると、残っていた数機が一撃で粉砕され、光る粒子となって消えていった。

「……敵影ゼロ、ジン・アカツバキ反応なし」

 沙良色悠美が状況を確認するように、視界の仮想ウィンドウを見つめてぽつりと呟いた。

 全員が肩で息をしながら、呆然と空を見上げていた。

 空中を覆っていた雲のような機影はどこにもなく、今はただ静寂と薄い青色が周囲に広がっていた。

「勝った……の?」

 簪が恐る恐る隣の楯無へ訪ねるが、さしもの生徒会長も状況を掴めずに、軽く肩を竦めただけだった。

「ま、どっちにしろ、生き延びたようだな」

 銀のISを身につけたオータムが、長い髪を振り払ってため息を吐く。

「何やらよくわからないうちに敵が消えたことを、トスカーナじゃ勝った、というのかしら?」

 呆れたようにため息を吐きながら、ナターシャがオータムに問いかける。

「防衛戦なら、敵が逃げれば勝ちだろ」

「何を守った、というのかしら」

「知るか。それで、四十院の旦那はどこに行きやがった?」

 苛立ちを隠せていない口調で、オータムが近くで膝をついていた国津玲美に質問を投げかける。

「わかんない……」

 力なく首を横に振る玲美を見た後、ナターシャとオータムが目を合わせてため息を吐く。

「何はともあれ……もう何も考えたくないけれど補給といきたいかな……」

 沙良色悠美が腰を落として大きく息を吐いた。

「生き残った人間で周囲を警戒しつつ、補給に入る」

 腕のISを待機状態に戻し、織斑千冬が全員に指示を飛ばす。背後に控えていた六百人の生徒たちの中から、少しずつ喜びの声が漏れ始めていた。

「ちーちゃん」

 世界最高の天才が、古くからの友人に呼びかける。篠ノ之束によって張られたシールドは、未だ展開したままであった。

「束、お前は一体どこに、あの船は何だ? なぜ一夏が」

「まずいかも」

 かつてない深刻な表情で呟く束に、千冬が眉をしかめた。

「どうした?」

「ここで倒せたなら、問題はなかった。っていうか、倒したかったかも」

「束?」

「ジン・アカツバキは再び過去に飛ぶつもり」

「は?」

「いっくん! 楔を!」

 その単語だけで何かを理解した一夏は、先ほどまでジン・アカツバキと四十院総司が戦っていた場所へ慌てて剣を向けた。

「ルート3・零落白夜!」

 一気に振り下ろした瞬間、ガラスの割れるような音が大音響で周囲に響き渡った。全員が咄嗟に耳を塞ぐ。

「何が!?」

「消えかけてた此処と時の彼方が繋がる穴を、再び大きく広げたのさ」

 天才の発する言葉に、一夏を除く全員が訝しげな目を向けていた。

「彼女からじゃわかりにくいでしょうから、私が説明するわ」

 突然聞こえた見知らぬ声に、皆が地面に倒れていた織斑一夏の方を振り向く。その側には白衣を身にまとった二十代後半の女性が立っていた。

「貴方は?」

 不審げな口調でリア・エルメラインヒが訪ねると、どこか篠ノ之姉妹に似た彼女は、

「エスツーよ。よろしく」

 と興味なさそうに自分の名を名乗った。

 

 

 

 

 

 

 

「見事に誰もいねえ」

 辿り着いた横須賀のIS連隊基地には人間どころか 死体もなければ瓦礫もなく、戦いの痕跡が一切見当たらない。

 どういう理屈かが理解出来ないが、まるで時間を止めた場所のようにも思える。

 これが時の彼方ってヤツか。

 ヘリポートには輸送ヘリが数台置いたままで、基地のあちこちに移動用のジープが整列してあった。

「ISの反応があるのは、格納庫の方か」

 とりあえず色々と探るしかない。

 元の時間に戻れるかどうかわからないが、絶望するにゃまだ早いはずだ。

「ま、戻れなくても構わねえか。ジン・アカツバキさえ倒せれば」

 鼻歌交じりに低空飛行をし、ISの反応があった建物の前に降り立つ。

 記憶にある通り、士官や隊員たちの事務を行う部屋と格納庫がくっついたメインベースがそこに存在していた。

 ISを解除して、近くにある扉を見つけ、中に入ろうとする。

「とうとう、ここまで来たのね」

 ドアノブを握った瞬間に声をかけられて、背後を振り向いた。

 さっきまで誰もいなかった滑走路に、白衣を着た女性が立っていた。

「ママ博士……ですか」

 娘と良く似た髪と理知的な眼差しを携えた、国津三弥子主任だった。

「ヨウ君の姿なのね。何か懐かしい」

「どうやらそのようで。三弥子さんもこんな場所で会うなんて、奇遇ですね」

 わざと四十院総司のようなジェスチャーを取ると、相手は少しだけ楽しそうに笑う。

「私は元々、ここにいたから」

「ルート2ってヤツですか」

 彼女は以前に夢で出会ったとき、自らをもう一人のルート2と名乗っていた。

 実は違う時代から来たもう一人のオレなのか、とも思っていたが、どうやら違うようだ。少なくともこんな優しげな視線を、オレは一生出来そうにない。

「そうね。ここから出ることは出来るけど、私は貴方を待ってたのよ、ヨウ君」

「オレを?」

 怪訝な目で問い返すと、彼女は悲しそうに目尻を落とし、

「願いは変わらない?」

 と質問を投げかけてきた。

「変わりませんよ」

 即答してしまったことに、自分で苦笑いを浮かべてしまう。

「どうして、そこまで頑ななの?」

「オレはね、化け物なんですよ、ママ博士。心だけになって時を超え、他人の死体に取り付く化け物。そんなのが人間の振りをして他人を振り回しちゃいけないでしょ」

「そう言ってたわね。前回も」

 相手が諦めたように発した言葉が気にかかった。

「前回?」

「そうよ。この世界はすでに何度か過去から改変されている」

 その事実に目新しいところはない。オレ自身が行っていることでもある。

「これで何回目なんです?」

「四度目のやり直し、五回目の世界よ」

「五?」

「一回目は、二瀬野鷹のいない、世界が滅ぶ寸前までルート機能が知られなかった世界。二回目は二瀬野鷹が現れた世界。三回目はジン・アカツバキが到着した世界。四回目は四十院総司として作り直した世界」

「……オレの認識じゃ、最後に言った四十院総司として作り直した世界のつもりだったんですが」

「残念ながら、貴方は敗北し、今回は私によって少しずつ変化した世界なの」

 そういうことか。道理で色々と知ってるわけだ。

「ちなみに、前回がどうして敗れたか、教えてくれますか?」

「私が最後の最後で、貴方を阻止したから」

 目の前の女性が頭を垂れ、自らを抱きしめるようにしていた。本人が望んで行った行動だが、動機はただオレが憎いとかそういうわけじゃなさそうだ。

「阻止っていうと」

「貴方がジン・アカツバキを倒した後に、自ら死に行こうとしていた」

「今と同じじゃないですか」

「だから今回も止めるのよ」

 言ってることは理解出来るが、肝心なところが抜け落ちている気がする。

 とは言いつつも、三弥子さんが何者かは関係ない。

「邪魔をするって言うなら、オレは貴方を倒す必要がありそうだ」

 待機状態にしたISを再び展開し、ディアブロを身にまとった。背中の推進翼を立てて、加速の準備をする。

 前回のオレを止めた、ということは、今のオレを止められるという可能性もある。全く同じである可能性は彼女によって否定されたが、それでも阻止したというなら、強力な敵であるのは間違いなさそうだ。

「無理よ、貴方には出来ないわ」

 その思索を見透かしたかのように、彼女は決意の込められた目線でオレを射貫く。

「よっぽど強力なISをお持ちなんでしょうね、もう一人のルート2は」

「ええ、そうよ」

 彼女は右の手のひらを灰色の空にかざした。

「さあ、来なさい」

 途端にオレの体にくっついていた装甲が光る粒子となって消え去っていく。

 いや、違う。

「三弥子さんの方にISが……」

 いつもならそのまま光を失って見えなくなるはずの粒子が、今は三弥子さんの元へと集い初めていた。

「彼の幸せを願い、彼の未来を断つために、来なさい、テンペスタⅡ・ディアブロ!」

 信じられない名前を、国津三弥子が高らかに叫んだ。

 白衣を身にまとっていた姿が漆黒のISスーツとなり、彼女の身に見覚えのある装甲が出現し始めた。

「んな、バカな……」

「貴方はここで諦めて。私がもう一度、過去からやり直すわ」

 日の光さえ吸収するような黒い装甲、全てを切り裂かんばかりに鋭く伸びた爪、二枚二組の推進翼。

 呆然としたまま、一歩後ずさる。

 そこには、オレのISを装着した国津三弥子が立っていた。

 

 

 

 

 

「そっと、そっとよ」

 エスツーという女性に促され、織斑一夏の亡骸を織斑一夏が運んでいた。

 その奇妙な光景に、姉である千冬が困惑した表情で見つめている。

 天井が低い合金製の部屋は、戦場の空に浮かんでいた箱船の一番下の階層だった。

 数百メートルほどの奥行きを持った空間には、所狭しと棺桶のようなものが並んでいた。

「これは何だ? エスツー」

「未来の子供たちが収められているのよ。起こさないようにね」

 織斑一夏の亡骸を開いていたベッドに収め、一夏はゆっくりと棺桶のふたをする。本人もやはり複雑そうな顔をしていた。

「あの一夏はどうなる?」

「とりあえず死んでいるけれど、ある程度までは治療が出来るとは思うわ。それからは本人次第。運が良ければ、生き返るかもしれない」

「……わかった。頼む。それで、何を説明してくれるんだ?」

「未来のお話と、これからしなければならないこと」

「……全く、わけのわからないことに巻き込まれたようだ」

 視界の端までを覆い尽くす棺桶のようなカプセルを見渡し、千冬が小さなため息を吐いた。

「巻き込まれた、というわけでもないわ」

「ディアブロと言ったか。あのISはお前が作ったものか?」

「ええ。といっても篠ノ之束の設計した白騎士に少し手を加えただけ」

「あれは、何だ?」

「ルート2という人の心を量子化する機能を持った、最後のインフィニット・ストラトスよ」

「人の心の量子化?」

「暴走したせいで、限界まで性能を引き出されたはずのディアブロが完成させた機能よ。ある少年の心を戦い続けさせるために」

「ほう?」

「あれに目覚めたディアブロは、乗せたパイロットの心を抜き取って人の理から外す悪魔となった」

「二瀬野は、その少年ということか」

「フタセノ?」

「大馬鹿者のことだ。ディアブロが白騎士と言ったな? ということは」

「ご想像に任せるわ」

「未来の白騎士は、誰でも動かせるのか?」

「ルート2を目覚めさせるのは、おそらく『彼』である必要があった。ただの推論だけど、ディアブロはパイロットの心を抜き出すけれど、対象が必ずしも『彼』である必要はないはず」

「つまり機能の覚醒とフルスペックを発揮するには、その『彼』である必要はあるが」

「一度目覚めて進行中となったルート2は、パイロットが誰であろうと次々と量子化するはず。そうでなければ意味がないから」

「意味がない、というのは……まさか」

「そうよ。心を束ねて力とする。人間の心一つでは、ただの人間が乗っているのと変わらないのだから」

 呆れたような口調の言葉を受けて、千冬が歯軋りを鳴らす。

「束め、なんというものを」

 拳を握り、今にも開発者を探して殴り飛ばしそうな雰囲気を醸し出していた。

 その彼女の肩を軽く叩き、憐憫の笑みを浮かべる。

「責めないであげて。それを起動させるには『彼』という存在が必要になる。つまり『彼』が生まれなければ、使われることは有り得なかった機能なのだから」

「……そうだな。束としてはどっちでも良かったのだろう」

「何を考えてるのかは、『私』でもよくわからないわ」

「ではエスツー」

「ええ」

「これから私がしなければならないことを教えてくれ」

 棺桶に入った一夏の亡骸を見下ろし、千冬が爪を食い込まんばかりに拳を握りしめる。

「とりあえず、他にも参加者を募りましょう。敵はここに残った最大戦力で挑んでもなお、足りないのだから」

 背中を向けて、エスツーは部屋の奥へと消えていった。

 それを見送った後、今まで何も喋らなかった一夏が、千冬の顔をじっと見つめている。

「どうした、一夏」

「いや、なんか懐かしいなあって」

 少しだけ気恥ずかしそうに答える弟に、千冬は小さく頬を緩ませ、

「そうか」

 とだけ答えた。

 

 

 

 

 

 接近して放たれたその鋭い一撃を、直感だけで横に転がって避ける。

 背後にあった建造物が一撃で砕かれて、傾き始める。地面は大きく抉れていた。

「さあ、大人しくして、ヨウ君」

 土埃の向こうで、ママ博士がゆっくりとこちらを振り向いた。

 その姿は、まるで背中の曲がった悪魔が首だけで獲物を見定めているようにも思えた。

「くそっ、まさかディアブロが!」

 ゆっくりと歩いてくるママ博士から、オレは全力で逃げ出した。

 しかし相手はISだ。背中からのわずかな推力だけで、地面スレスレを滑るように追いついてくる。

「どうしてオレを殺そうとするんだ!?」

「貴方が死のうとするから。私は貴方が不幸になることが許せない」

 何だ、何がどうなってる!?

 白と黒の濃淡だけで表現されたグレースケールの世界を、IS学園の制服を着たままひたすら逃げた。

 しかし人間の足程度で逃げ切れる世界最強の兵器などない。あっという間に追いつかれ、再び爪が振り下ろされる。

 前のめりの倒れ込むようにして何とか回避したが、背後の地面から飛び散った瓦礫で大きく吹き飛ばされてしまった。

 右腕をアスファルトで強かに打付けて、オレは痛みで動けなくなった。

 そのオレを悲しそうな瞳で見落とすその女性は、一体誰なんだ?

「じっとしてて」

「どうしてオレを殺そうとする!」

「殺そうとしているわけじゃないわ。止めるだけ」

「理由がわからねえ。アンタがオレを殺さなくても、勝手に過去に戻れば良いじゃねえか!」

「ここは外とは時の概念が違う。だから放置は出来ない」

「どのみち邪魔をするってわけか!」

 何とか立ち上がって、右腕を押さえてよろよろと逃げ出す。

 このまま捕まるなんてゴメンだ。何も出来ずに失敗するなんて、もうゴメンだ。

「キミは幸せになることを放棄したから……」

「何でそれがダメなんだ! アンタもルート2っていうなら、オレの気持ちはわかるだろ! もううんざりなんだ。知っている人間たちが見知らぬ顔になっていくのも、オレが二瀬野鷹だということを打ち明けられないのも。地獄なんだ、もう、嫌なんだ!」

 四十院総司だと名乗り、他人と自分を騙しても、何にも良いことなんてない。

 自分の大事だった人々が、オレをオレと気づかずに、小さな子供から大人に変わっていく。愛なんて語らうことは出来ないんだ。何故ならオレは二瀬野鷹を名乗ることが出来ず、四十院総司として生きなければならないのだから。

 苦しいんだ。

「だから……死にたいって祈っちゃダメなのか!?」

「次は、そうならないように、もっと大きく変えていくから」

 距離を置いた場所で、彼女が立ち止まっていた。いつでも追いつけるという余裕の現れか。

「じゃあ次がダメだったら、どうする!」

「キミが幸せになるために、何度でも繰り返すだけ」

「何度でも……って。オレの幸せって何だよ! もう良いだろ! 一夏の邪魔だってした、色んな人を身勝手に巻き込んだ!」

「それでも祈ったから、キミは」

「何をだよ!?」

「好きな人たちの、幸せを」

 目の前の女性の瞳から、一筋の涙が頬を伝って地面に落ちた。

 その眼差しと面影に、とうとう気づいてしまった。

 ああ、もう一つ、オレは大きな失敗をしていたようだ。

 とんでもないクズ野郎だ、オレは。

「それの何が悪い!? このままじゃ、みんなジン・アカツバキによっていなくなってしまう。そんなのは嫌だ、ダメなんだ!」

 叫びながら、何とか逃げ切ろうとする。だけど右足を強く打付けた状態じゃ走れない。さっきよりもさらに遅い。

 そこへ、敵となったディアブロの爪が地面を勢い良く抉った。

 オレは背後からの衝撃で倒れ込む。

「貴方の願いがそれだけ、というなら、私はきっと喜んで手伝うでしょう。でもキミはその先に自分の死を願ってる」

 この人が、コイツがオレの幸せを願う理由も、生きていて欲しい理由もわかってしまった。

 そういうことかよ……。

 振り向いて瓦礫に背中を預けた。丁度、斜めになっていて、覗き込む相手の顔が泣いているのがよくわかった。

 目の前のルート2が、ディアブロの爪でオレの肩を掴む。

「大人しく、しててくれる? ヨウ君」

 この子にはオレの願いを阻み、幸せを願う正当性があるのだ。

「お前の……正体がわかった」

 呟いたオレの言葉を受けて、ISを身につけた彼女は、一瞬目を丸くした。だがすぐに唇を噛み、震える声で、

「それで、どうにかなるの?」

 と問いかけてくる。

「……もう良いんだ、こんなことをしなくても」

「どうして? 幸せになって欲しいと願うことが、そんなにダメなの、ヨウ君」

「幸せなんてクソ食らえなんだよ。正直、ウソをついてお前を騙しても良いけど、それはしたくない」

「……時々、妙に正直だよね、ヨウ君って」

 彼女が仕方ないなあと、諦めたような笑みを浮かべる。

「オレを手伝ってはくれないのか?」

「それは出来ないよ、ヨウ君。だってここで貴方を逃がせば、きっとジン・アカツバキを倒して死んでしまう。そして二度と過去へ行けないよう、ディアブロも破壊してしまうから」

 彼女はオレがそうすることが許せない。

「もしお前が正体を明かしてくれてたら、もっと違う未来が」

 いや、そんなことは無いだろうな。オレは彼女をこうしてしまった自分を恨んでいる。だから、彼女は明かせなかったのだ。

「ないよね……でもヨウ君が悪いわけじゃないよ。誰も気づかなかっただけ」

「……それでもオレが悪いんだ」

 彼女はオレの肩を掴んだまま、動かないでいた。しかし二つの瞳からはポロポロと涙がこぼれ落ちている。

 目の前の女性の正体、二人目のルート2は誰なのか。

「ヨウ君……」

 四十院総司ことオレは、二瀬野鷹が持ってきたコアナンバー2237を使って、テンペスタⅡを作らせた。

 その課程に、四十院の洋上ラボで行われたテストで、ディアブロに乗ったパイロットがいたのだ。

「そうだろ? テンペスタⅡ・ディアブロのテストパイロット、国津玲美」

 

 

 

 

 ジン・アカツバキは遠くにある山の頂から、ルート2同士が戦う様子を見つめていた。

 国津玲美という少女が、心だけとなっていることを知ったのは、時の彼方との再接続を果たしてからだった。

 どうやら通信が途切れていた紅椿本体の側にいたらしい。本体と同期し、少女の動機を知り得た今となっては、立場は完全に逆転したと言える。

 結果として、最大の敵となるルート2を二体とも集めたのだ。後は二瀬野鷹が死ぬのを待ち、時を見計らってディアブロを倒せば良い。

 そう思って、ジン・アカツバキは目を閉じる。

 今度は篠ノ之箒の意識がある場所を覗き見ようとしたのだ。

 肉体と視界のリンクを再開し、何をしているのか確認しようとした。

 そこでジン・アカツバキは信じられないものを目にした。

「私の背中だと!?」

 その事象に驚き、慌てて背後を振り向いた。

 開けた山頂の広場に、日本刀を携えた篠ノ之箒が立っている。

「返してもらうぞ、私と、私のISを」

 彼女は長い髪をなびかせ、木々の枝から枝へと飛び跳ね、大きくジャンプしてジン・アカツバキへと日本刀を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 玲美の爪を振りほどき、足を引きずって必死に走って逃げる。

 捕まれば終わりだ。

 ここにいるオレはどうなるかわからないが、追い詰めたはずのジン・アカツバキを倒すどころか、十二年前からやり直しになる。しかも、オレは何も知らない状態でだ。

「どうして逃げるの?」

 体を起こし、玲美がオレを悲しげに見つめていた。

 オレが二瀬野鷹に戻っていたのと同様に、素性を暴かれた彼女も、国津三弥子から玲美の姿へと戻っていた。

「そりゃ逃げるだろ! オレはアイツを倒すために、ここまで来たんだ!」

「でもヨウ君、アレを倒した貴方は、死んでしまうんだよ?」

 少し癖のある髪を揺らし、十五歳の少女がディアブロを装着している。

「だったら、アイツを倒さないで、人類は絶滅すれば良いってのか!」

「ずっと繰り返して、いつか最高の結末を迎えれば良い」

「そんなことが、あり得るってのか!」

「今回は少し流れに沿い過ぎたから、上手く行かなかったのかもしれない。次はもっと大きく変えてみる」

 IS連隊の格納庫の外にある道を、オレは必死に逃げ続けていた。

 だがあっちはISだ。ふわりと浮いたまま、PICだけで進んでも足にダメージを負ったオレより充分に早い。

「そんなので上手く行くのかよ!」

「行かせて見せる。だって」

 彼女がオレに追いついて、その長い爪でオレを掴もうとした。

 咄嗟に背中にあったドアノブを回し、格納庫のある建物へとなだれ込む。

 記憶にある風景だ。銀の福音を助けるために、オレは自動小銃を持ってここを走ったのだ。

 一瞬の感傷を壊すように、背後の壁が破壊される。

「ヨウ君が幸せになるように、私は戦い続けるって、前回の終わりで決めたから」

 その瞳は涙で濡れていた。

 オレが四十院総司として十二年間、周囲を欺き続けたように、玲美も同じ時間を国津三弥子として欺き続けたのだ。

 辛い時間だっただろう。何せオレ自身が死を望むようになるほどの時間だ。

 その目的がオレの幸せなんて、どうしようも無い。

 格納庫へ続く廊下を、壁に手をつきながらフラフラと走る。

 ふと、周囲が記憶にある場所だと気づいて、オレは何とか歩みを早めた。

 ここには、あれがあるはずだ。つか足が超痛え。

「もうオレなんて放っておけよ、玲美!」

「ダメだよ、ヨウ君! だって、キミはあんなに辛い目にあってるんだから、少しでも幸せにならなくちゃ!」

「前回はどうなったってんだ!?」

「最後のジン・アカツバキの本体を倒す直前で、ヨウ君が私に言ったの。どうしても死にたいから、アイツを倒すんだって!」

「お前が止めたのか!」

「……う」

 玲美が一瞬、嗚咽のような物を上げた後、悲鳴のような雄叫びとともに、オレの背中へと襲いかかってきた。

「落ち着け、玲美!」

 倒れ込むようにして、目の前の扉を開く。

 あった!

 目的の物を見つけた瞬間に、背後の扉が爆発したように瓦礫となって吹き飛ばされた。

 オレはもんどり打って、倒れ込む。

 気づけば、瓦礫の中に埋まりかけていた。

「前回は、私がヨウ君を止めたよ」

「……そうか」

 おそらく、『前回のオレ』を殺したのは、玲美だろう。

 そうでなければ止まらないってのが、自分でもわかる。

 次は大きく変える、前回と今回が大差なかったと彼女は言っていた。

 つまりオレは死にたいと願い、その思いを吐露して玲美に殺され、そして玲美は十二年前に死んだ親の体へと飛んだのだ。そこから彼女は全てをやり直した。

 これが今回の世界だ。

「だから、止まって、ヨウ君。もう少し幸せを、何でもなかった頃のように、ゆっくりとさ」

 玲美が嗚咽を上げながら喋り続ける。

 だけど、その願いは聞いてやれない。

 オレはすでに色々なものを巻き込んだ。心だけになって、色んなものを欺いて、耐えきれないぐらい犠牲を強いてきた。

 ジン・アカツバキを倒してオレも死ぬ。

 そんなことぐらいじゃ、何もなかったことに出来ないぐらいはわかる。

 でも、四十院総司として生きて、二瀬野鷹のことは忘れて、それで何になるんだ。

 もう良いだろ。

 寝かせろよ。

 そう思って、オレは這いつくばったまま、一つの機体へと手を伸ばした。

 この『時の彼方』には人がいない。

 だが、ISはある。

 そしてここは、IS連隊の格納庫だ。だから多分、存在すると思っていた。

 オレはその機体を久しぶりに身にまとう決意をする。

「来い、テンペスタ・ホーク!」

 第二世代機をベースに、エスツーという少女によって生み出されたHAWCシステムを搭載し、二瀬野鷹の専用機として作られた、四十院研究所製の高機動型カスタム機。

 オレは自分の体で翼を広げる。

「ヨウ君……?」

「さあ、オレの邪魔をするってんなら、お前でも容赦しねえよ。オレを誰だと思ってるんだ」

 ディアブロが背中にある四枚の翼を広げ、オレへと爪を構える。

「オレは二瀬野さんちの、息子さんだっつーの!!」

 背中にある翼で、悪魔に向けてイグニッション・ブーストをかけた。

 

 

 

 

 

 












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