「おおオォォォ!!!」
手に構えたのは、
「それぐらいで!」
ディアブロの爪で玲美がオレの攻撃を受け止めて、オレを弾き飛ばす。
スペックは段違いだってのは、この二瀬野鷹が一番知っている。
「だけどなあ!」
「ダンサトーレ・ディ・スパーダ!」
「当たるかよ、玲美!」
真っ直ぐオレに向かう巨大な剣状の遠隔感応兵器を、サイドステップで紙一重に避ける。そのままレクレスを使って棒高跳びのようにふわりと浮かんだ。
「イグニッション・ブースト!」
二枚の推進翼を立てて、一気に加速し、跳び蹴りをかます。相手はそれをバックステップで避け、すぐさま爪を構えて突撃してきた。そのスピードは一瞬で音速を超えるディアブロそのままだ。
「だけど甘えよ!」
そいつが速いのはわかってる。
そいつが強力なのは理解している。
そいつが悪魔なのは知っている。
「みんなのヨウ君を舐めんなよ!」
上体を後ろに倒して膝を折り、敵の突撃を寸前でやり過ごす。そこから腹筋の要領で起き上がって前方に回転しながら飛び上がり、逆さまでレクレスを投げつけた。
急制動をかけながら、玲美は振り向きざまにレクレスを掴み取る。
次にオレが構えたのは、二丁のシータレーザーライフルだ。両手で小刻みに打ち続けて相手の頭を抑え、自分は上空へと浮き上がる。
「くっ、そんなもので!」
四枚の翼で自分を守るように羽ばたくと、玲美はオレ目がけて急上昇してくる。
お互いが理解していた。空を自由に舞う者同士、より高く速く飛べる者が勝つ。
逆に言えば、相手をより遅く低く押さえつけた者が勝つのだ。
「レクレス!」
投げ捨てた武器を再度、右手に召喚し、自らを一本の槍と言い聞かせる。
相手は音速で自由に飛び進める悪魔の弾丸だ。
「行くぜ! イグニッション・ブースト!」
「イグニッション・バースト!」
お互いの推進翼が全推力を後方へと吹き出して、音速を超える。
「こっからは、無軌道瞬時加速の勝負だ!」
時の彼方で起こる新旧世界最高速同士の戦い。
飛行の自由さで劣る者が負ける。
相手は悪魔と名付けられたインフィニット・ストラトス。
だけどオレの背中にゃ病とまで呼ばれた翼があるんだ。
「そんなんで、止められてたまるか!」
「絶対に止めるよ、絶対に!」
お互いが惹かれ会う星のように、遠心力をイメージだけで押さえつけ、軌道を修正しながら何度も何度もぶつかり合う。
「ずっと好きだった! 初めて会ったときから良いなって思ってた!」
リズムを叩くように、同じタイミングで何度もぶつかり合う不協和音。
「オレだって同じだチクショウ! それでももう遅いんだ!」
メロディを奏でるがごとく鳴り響く、切り裂かれる空気の破裂音。
「まだ遅くないよ! 世界はまだ終わってない、未来は何一つ決まってない!」
交わす言葉は詩になり、交わらない気持ちが歌になる。
「愛してた! 好きだと思った! もしIS学園で付き合うなら、彼女にすんなら、絶対にお前だと思ってた!」
時の果て、現世からも解き放たれ、二人で奏でる、世界最高速の愛の詩。
「だったら幸せ、探したって良いでしょ!」
「何度も何度もお前が辛い人生繰り返しゃ、オレが幸せだってのかよ!」
「知らなければ、何も問題ないよ! ヨウ君を苦しめた分だけ、私が苦しめば良いだけじゃない!」
「もう良いだろ!? オレにとっちゃ十二年前の話だ、遥か過去のおとぎ話だ!」
「私にとっては、まだ見ぬ明日の未来の話!」
「だからお前は」
「だからヨウ君は」
「幸せになるべきだ、オレなんて忘れて!」
「幸せになるべきだよ、私がいなくなろうとも!」
ヒーローは自分のことなど顧みない。
その瞬間だけは、本気で相手のことを思ってる。
だったらオレたち二人は今だけは、ヒーローとヒロインなんだろう。
「くっ、さすが玲美! アクロバティック過ぎるだろ!」
「さすがの翼捌きだよね、ヨウ君!」
同時に大きく振りかぶった攻撃同士の激突が、二機のISに距離を作ったところで協奏曲が終わりを告げる。
ここまでは互角だ。
スペックで大きく上回るディアブロを相手に、テンペスタ・ホークは良く戦ってくれている。
「今回はその気持ちが変わらないってことが、よくわかったよ、ヨウ君」
ディアブロの背後に現れるのは、ISの全長ほどの砲身を持つ荷電粒子砲ビット八門だ。そして両手に持つのは、その翼を模して形成された、無人機を一刀両断する巨大な片刃の剣である。
ここからがISの戦いにおけるもう一つの局面、つまり武装同士の戦いだ。
「ここで、止めるよ、ヨウ君」
震える声で、玲美が呟いた。
その言葉に込められた意思を、悲しく思う権利がオレにあるのだろうか。
「止まらねえよなぁ、世界秩序の崩壊ってヤツか?」
天井に大きな穴の開いた瓦礫だらけの部屋で、オータムはイスに座り机に足を投げ出していた。膝の上に置いたタブレット端末は、亡国機業の持つ独自の回線へと繋がっている。
「被害はおそらく億単位か。下手したら二桁に届くな」
もちろん金額ではなく人数の話のことだった。
すでに戦闘が終了してから二十分ほど経っている。
襲いかかってきた謎のISの大群は、突如として姿を消し、その敵影は宇宙を含めて全く見えなくなっていた。
しかし、謎のISたちが残していった傷跡は、地球上でかつてない程の戦禍を残していた。
彼女らが呆然としていたのは、最初の二分のみで、そこからこの部屋に戻り、それぞれ自分の思う仕事に向かっていた。
「各国はどうなってる?」
オータムが面倒臭そうに、すぐ近くの机に座る悠美へと問いかける。
「大混乱です。特に西側諸国の首脳部はほぼ全滅。何故か首都から逃げ出していた東側の大国の首脳部は、その逃亡先をピンポイントで狙われて死んでいます」
悠美は何も考えないようにと、キーボードを叩き続ける。
周囲にはまだ回収されていない彼女の仲間たちの死体が、無造作に並べられていた。
「やれやれだ」
「難を逃れたアフリカや西アジアの国々は、被害が大きな国への援助を宣言してます」
「そんな金や余裕があれば良いけどな。下心ありありだろう。どうせ治安維持のための介入とかだろ?」
「テロ組織の犯行声明は多数。どれも自分のところのISの威力は凄いだろう? です。大きな組織の一部は逆に今まで敵視していた国への援助を申し出ていたりしますが」
「バカばっかだな、この世界は。そう思わねえか、エルメラインヒ?」
近くにいたもう一人の隊員に、シニカルな笑みで呼びかける。
だが、相手からの返事はない。赤毛に眼帯をつけた彼女は、自分のタブレット端末を食い入るように見入っていた。
「おい、エルメラインヒ? 返事をしろ」
「は、はい、何でしょうか?」
「てめえは何してんだ?」
「……本国と連絡をつけようと」
「やめとけやめとけ。こういうときは、なぁんも考えないのが正解だ。今、目の前にあることを一つずつ、ベルトコンベアから流れてくる歯車の品質を選別するみたいに、仕事の送り先だけを選んでおく方が良いぞ」
つまらなそうに手を振るオータムに、リアは生真面目な敬礼を返す。
「ご忠告、感謝いたします」
「IS学園の連中は?」
「戦闘中に現れた船で待機しています。織斑教官、いえ、織斑隊長と篠ノ之束博士も一緒です。あとクロエ・クロニクルも同様です」
「何話してんだか」
「通信回線開いてますので、こちらにも聞こえてくるはずです」
「あーそう。んじゃ拝聴いたしますか」
オータムは呆れたように天井を仰いでため息を吐いた。
連隊に来てから、ずっとケチがつきっぱなしだ。らしくねえ。
亡国機業の現場指揮官であるミューゼルからの命令だといえ、オータムは軍隊で中間管理職をするはめになるとは思わなかった。
さっきまでの戦闘も、下手をすれば死んでもおかしくはなかった。問答無用で死んでしまったヤツらもいる。
オータムはチラリと布をかけられただけの死体を一瞥した。
「なあデカパイ」
「何ですかバカ隊長」
悠美は先ほどから一度も目を離さずに画面へと向かっている。
「お前は死ぬとき、どんな感じで死にたい?」
「とりあえず色んな人に囲まれて、笑いながら死にたいところですね」
「私は逆だなぁ。どことも知れない場所で、死んだことも知られずに、いつのまにか砂に埋もれるように忘れられたいもんだ」
オータムはイスに体重を預け、頭の後ろで手を組んだまま、穴の開いた天井を見上げる。
そんな隊長を一瞥した悠美は、すぐに端末へと視線を戻し、
「そんなの、いつだって出来るじゃないですか」
と、小馬鹿にしたような口調で言い放った。
オータムは一瞬目を丸くして、冷ややかな視線の悠美を見つめた後、
「間違いねえ」
と鼻で笑った。
「オレが生きた証なんていらねえんだよ! 二瀬野鷹が殺された、四十院総司が消え去った、それで充分じゃねえか!」
空中を縦横無尽に飛び回り、八機の荷電粒子砲から放たれる攻撃を回避し続ける。
IS連隊基地で発生した戦いだとしても、ここだけで戦ってやる義理はねえ。
オレのマストオーダーの一つは、ジン・アカツバキを倒すこと。玲美の相手をすることじゃない。
山沿いの海岸線にある道路の上を滑走し、相手の攻撃から逃げていた。
コンマ二秒前までオレのいた場所が、八門の砲台から放たれた光で撃ち抜かれる。
地図上で隠れられる場所を探そうとするが、どうにもオレの知っている連隊基地周辺とは違う風景が続いていた。
やっぱり現実、いや三次元上の日本とは違うってわけか。
誰もいない道路を推進翼を吹かして、蛇のように蛇行する道の、高さ三十センチを飛び続ける。
「墜ちて!」
荷電粒子砲がオレの行く手を阻むように撃ち抜かれた。
だけど、そんなのは予想済だっつーの。道路沿いを走りゃ、そのまま道路を走ると勘違いするってのが定石だ。
全力で急制動をかけ、今度は内陸側に飛び上がった。今度は山中を抜けるアスファルトの上へと降り立つ、時速二百キロで車一台分のトンネル内に入り込む。
そこで再び急制動をかけ、入ったばかりの出入り口から出ていくと、ディアブロの背後へと躍り出た。
「なっ? 後ろ!?」
「甘えよ!!」
手に持ったシータライフル二丁を連射しつつ、オレは再び山を越えて市街方面へと向かった。
ISは車じゃねえんだ。トンネルに入ったら逆から出なきゃいけないなんてことはない。
速度を生かすのは、いつだって停止状態とのギャップだ。
一瞬で抜けきった先には、市街地のようなビルの塊が見えてきた。 どこまでも広がるように見える建造物群の塊。どうやら東京っぽいところのようだ。
背後を確認すれば、四枚の翼で連続点火式瞬時加速を使い、オレの背後に迫ってくる悪魔のような機体が見える。
アカツバキの姿が見当たらない。どこにいやがる、アイツは。
いたとしても、このテンペスタ・ホークで勝てるのか?
アイツも玲美も、目的は合致している。十二年前からやり直すことだ。だから今は手を組んでいるような状態なんだろう。
それに一つ、気になることもある。
前回のオレは、どうして殺された?
この四十院総司が、いや二瀬野鷹が、玲美に『死にたい』なんて言うだろうか? そんな心情を漏らすきっかけが何かあったはずだ。
そしてアイツはそれを隠してる。大事なことを言い忘れることには定評がある、国津玲美だからな。
オレはディアブロを振り切るために、ビルの合間へと音速で突入していった。
「ジン・アカツバキの本体は、時の彼方と呼ばれる異空間にある。そういう解釈で大丈夫よ」
横須賀にある極東IS連隊のドックには、空から現れた箱船が着水し停泊していた。
その甲板上では白衣を着た女性が、場違いにも思える普通のホワイトボードに、簡素な絵を描きながら何やら説明しているところだった。
それを囲むように集まっているのは、IS学園の専用機持ちたちだ。セシリアは所属が訓練校に変わっているが、今はIS学園の生徒たちと一緒に行動をしている。
他にもIS連隊側の面々が通信回線を通じ、各々の任務をこなしながら、内容を聞くだけという形を取っていた。
「ちょっと意味わかんないんだけど、そのジン・アカツバキの本体ってのを倒せば終わるわけ? じゃあさっさと行こうよ。ISなら行けるんでしょ?」
胡座をかいた鈴が、憮然とした口調で言い放つ。
「ことはそう簡単じゃないわ。おそらくジン・アカツバキの本体を倒した瞬間に、時の彼方は塞がれる」
ホワイトボードに描いた丸いアイコンに、エスツーと名乗った女性が大きく×印をつけた。
「相変わらず眉唾物の理屈だがな。こちらとしては教官と一夏が信じるというなら、こちらも二人を信じるしかあるまい」
船の縁にもたれかかって腕を組むラウラが、説明を続ける女性へと訝しげな目線で問いかける。
「それで結構よ。ついでに言えば篠ノ之束もその存在を証言しているわ。これ以上の証明はないでしょ? ラウラ」
だが相手は初対面にも関わらず、親しげな友人へ話しかける笑みを向けてくるのだ。ラウラとしては調子が狂うばかりだ。
「ったく。それでジン・アカツバキを倒すと、その異空間が塞がれる。それの何がマズいのだ?」
「根本は彼女がどうやって時間を超えたか、という手法に問題があるのよ」
「手法? どんな手を使ったというのだ?」
「力技」
「力技?」
「そもそも、紅椿はそんなに器用なISじゃないわ。パイロットを見ればわかるでしょうけど」
呆れるように肩を竦めたエスツーの言葉に、一夏がクスリと微笑んだ。
そのパイロットの面影を宿す女性が、手に持った指示棒でホワイトボードの左上を示した。
「三次元での『時間』とは、一方通行の直線のようなもの。そして『時の彼方』とはその直線を取り囲む多数の円のようなもの、と解釈すれば良いわ」
「ふむ、次元をそれぞれマイナス1してやれば、わかりやすいということか」
「観念的にはそれで良いわ。ジン・アカツバキはそのうちの一つに強烈なエネルギーを与えて膨張させた。膨張した一つの『時の彼方』は他の時の彼方を飲み込みながら、さらに膨張していったわけ。そうすることで『時の彼方』の体積を増やしていった」
エスツーの説明に、今度はシャルロットが手を上げる。
「えーっと、時の彼方という異世界の面積・体積を増やすと、三次元の世界における『時間』に干渉出来る範囲が増える、ということで良いのかな?」
半信半疑といった面持ちで問い直す金髪の少女に、エスツーは小さく微笑んで、
「時の彼方を膨張させればさせるほど、今より遥か過去へと干渉が出来るようになる。さすがシャルロットね。そういう解釈で捕らえておけば良いわ。」
と褒めそやす。
その微笑ましいやり取りに対し、腕を組んで黙っていたセシリアが、不満げな顔で一歩前に出る。
「貴方がおっしゃってる言葉が真実として、それでどうなるというんですの?」
少し刺々しい口調であっても、エスツーはどこか懐かしいものを見る目つきを変えなかった。
「ジン・アカツバキの本体があるのは、その場所ということ。時の彼方を膨らませるというのは、多量のエネルギーを必要とするわけ。そして、広げたものは収縮することが、とある仮説で理論上証明出来ている。ゆえにジン・アカツバキは本体から端末を、過去に送り出して切り離した」
「なぜ切り離したんですの? 時の彼方にある本体と情報のやりとりを続けていれば、もっと簡単にやれたでしょうに」
「先ほど言ったように、ここより十年ちょっと前の時間と接続し続けるには、それだけ余分にエネルギーを消費し続けることになるわ。この時代の言葉で言えば、省エネのために端末を自立思考させた、ということかしら」
「なるほど。では時の彼方の体積は、現在の時間へ干渉するまでしかない、ということですわね。さらに過去へと行こうとするなら、大きなエネルギーを必要としてしまう」
「ええ、それで結構よ」
少し納得がいったのか、セシリアの眉間から皺が取れる。そこへ、簪がおずおずと小さく手を上げた。
「あの、結局……時の彼方に乗り込んでジン・アカツバキを倒すと、何がいけない、んでしょうか?」
その質問に、それまで饒舌に説明していたエスツーが口を噤む。何か言いにくいことがあるのか、と簪は小首を傾げた。
押し黙った白衣の女性に、全員の視線が集まる。
織斑一夏がホワイトボードを挟んでエスツーとは反対側に立った。
「簡単なことさ」
「一夏さん?」
「ジン・アカツバキが死ねば、時の彼方は急速な収縮を起こし、質量が反転した結果、時の彼方は消え去る」
「……ビッグクランチですわね? 宇宙の概念が通じるのかわかりませんが」
セシリアの発した単語を知らなかった一夏は、横に立つエスツーに視線で助けを求める。彼女は彼の様子に呆れたようなため息を吐いた後、
「正解よ、セシリア」
とだけ答える。
「つまり、時の彼方に乗り込んで勝てたとしても、生きてこの時代、この時間に戻ってこれる保証はない、ということですわね?」
念を押すように真剣な面持ちで問いかける。
その言葉に、エスツーは小さく頷いて返した。
「ええ、その通りよ。だから、誰かを信じて死ぬ覚悟で行くか、ここで何も信じずに消えていくかを、今から決めてちょうだい」
「いやー生きてくーちゃんに再会出来るなんて、ホント奇跡って起きるもんだねー。確率上は余裕だったけど」
箱船の内部にあるフロアで、篠ノ之束はポロポロと涙を零す少女を抱きしめ、その長い銀髪を撫でていた。
「ご、ご無事で、なにより、です!」
クロエ・クロニクルは行方知れずになっていた主の胸に、嗚咽を上げながら顔を埋めていた。
「いやいやもう、無事か無事じゃないかって言えば、無事以外の何者でもないんだけどねえー。おーヨシヨシ、しかし正直なくーちゃんはこんなにも可愛らしいというのに、普段からこうやって抱きついてきても、ええんじゃよ?」
「そ、そんな恐れ多いことなど、私には出来ません」
「涙声で抱きつきながら言われても、説得力も理論も皆無ってもんだよ、よしよし」
「い、今はこれで良いのです……!」
「しかしまあ」
束は目の前にある上半身だけのISを見上げた。
「私が思いつきで設計した箱船を作って、黒鍵を使い何をしようと思ったのか、簡単に想像がつく。人ってのはつくづく変わらない」
普段の束からは想像もつかないほどの、周囲の温度すら下げてしまうような冷たい声だった。
「束様?」
「さて、くーちゃん、キミに上げた黒鍵を出してくれないかな?」
クロエが顔を上げると、そこにはいつも通りの笑みを浮かべた束がいる。
「はい?」
「ここの黒鍵は出来損ないだ、使えないよ、とかなんとか言っちゃってー。くーちゃんの黒鍵と入れ替えて、もっとマシな動きが出来るようにするのさ」
「わ、わかりました。しかし束様、このカプセルの中の子供たちは?」
天井から吊された上半身だけのISに、多数の線が接続されている。そのケーブルの先は、彼女たちがいる箱船の内部に敷き詰められた銀色の棺桶のようなカプセルに繋がっていた。
「エスツーの話なら、これは未来で地球から逃げだそうとした子供たち」
クロエから離れ、カプセルの一つに腰掛けた束が、糸のように目を細め肩を竦めた。
「これはその、睡眠状態なんでしょうか?」
鈍い銀色の棺桶には、SARASHIKIという文字が彫り込まれたプレートがついている。
「ううん、全員、すでに脳死してるよ」
「え?」
「バカだなぁ。人間の脆弱な脳でISを介さずに黒鍵のデータに耐えられるとでも思ったのかなぁ。多分、実験段階でわかっていたはずなのに。それでも強行したのかな? 時間がなかったから実験する暇もなかったって線もあるか。それとも他力本願で誰かに生き返らせてもらおうと思ったのか。ほーんと、バカだねえ」
「束様?」
「つまり人類が未来で守れたものは、何一つ無かったってことさ。さて、くーちゃん。ちょっと作業に入るよ」
足を組み替え、束の頭についた兎の耳のようなマニュピュレータが、ピコピコと動く。
「かしこまりました。たとえ私がここの少年少女たちのように死のうとも、束様のお役に立てるなら」
「くーちゃんを死なせる束さんがいるもんかい。目的は、この船をもうちょっとマトモに動けるようにすることだよ」
「つまりそれは」
「もちろん、私ももう一回、時の彼方に乗り込むのさ! 万全の状態なら、どうってことないよ」
「しかし、束様が行かれずとも!」
少し心配げに止めようとするクロエの言葉を、束はチッチッと指を振って遮った。
「こーんな楽しそうなことに、私が参加しないとか、有り得ないってもんでしょー!」」
「マスター! どうして!?」
太刀による一撃が、ジン・アカツバキの装甲に一筋の切り傷を作った。
「どうして、というのは、私がISに傷をつけたことか、それとも私がお前を狙ったことか」
左手に持った鞘に刀を納め、箒は無表情な顔を相手へと向けた。
その刀を見つめ、ジン・アカツバキの中に納められた顔が、ハッとしたように口を開く。
「そうか、それは篠ノ之束が残した武器か!」
「さあな」
「何故、記憶があるのだ、篠ノ之箒!」
「記憶など無い」
そんなことは些事に過ぎないと、彼女は無感動に言い捨てた。
「……では、どういうことだ?」
「私が読み続けた物語の中で、織斑一夏は織斑一夏だった。どこまで行ってもだ」
箒が腰を落とし、左手の親指を刀の鍔に添えた。
「それがどうした?」
紅蓮のISから見れば、刀一本など丸腰と変わらない。
だが、今までのどんな戦いでも感じたことのない、圧力のようなものを相手から感じ取っていた。
「さあ構えろ。そうでなくば、死ぬぞ」
「くっ」
色あせた白と黒で彩られた時の彼方にある空間で、薄墨桜が舞い踊る。
「篠ノ之箒はいつだって失敗ばかりだ。おそらくここから先もずっとそうなのだろう」
一瞬だけ微笑んだ箒は、鞘に収めた刀を腰につけ、刃を抜く準備をする。
「マスター、貴方が奪うというのか」
「奪うわけではない。私は私の道を行くだけだ」
彼女のポニーテールが揺れる。
「それを他人がどう意味づけようとも、意味はない。心はここに、あるのだから」
「玲美!」
未だ瓦礫と火の手だらけの滑走路に、輸送ヘリが降りてくる。その横から二人の少女が飛び降りて、国津玲美に向けて走り出した。
「かぐちゃん!? 理子も!」
三人の幼なじみたちが抱き合って無事を確かめ合う。
「本当に無事で良かったぁ!」
一番身長の低い理子が、手を伸ばして玲美の頭をガシっと引き寄せる。
「そっちこそ、無事で良かったぁ」
玲美がホッとした様子で二人を抱きしめた。
「貴方だけでも無事で良かったわ……お父様は?」
その言葉に、玲美が身を固くする。
「オジサンは……わかんない。ジン・アカツバキと一緒にどっかに行っちゃった」
「……そう。でも、本当に、無事で良かったわ、玲美」
そのまま三人で抱きしめ合う。
「おっと、感動の再会は先にやられてしまったか」
「パパぁ?」
理子が心底驚いた顔をすると、してやったりとした顔で岸原大輔が笑う。
「どうした、オレには抱きついてこんのか。ほれ」
まるで相撲取りのように構える岸原の元へ、理子は肩を怒らせて進むと、そのスネを思いっきり蹴飛ばした。
「今まで何やってたのよ、このダメ親父!」
「ぐぉぉ、本気で痛いぞ、理子」
「こっちがどれだけ、心配したと思ってんのよ!」
涙目で娘に怒られては、強面の軍人といえど、立つ瀬がない。ばつが悪そうに、
「すまん」
とだけ謝った。
「ぜったい許さないんだから」
泣きながら、父親に理子が抱きついた。
「玲美、よく頑張ったね」
岸原親子の横で、国津幹久が娘の肩に手を置いた。
「パパ……私、何にも出来なかったよ」
「いや、玲美は頑張ったよ」
白衣を羽織った父親が、娘の肩をそっと抱く。
「ママは?」
「ママは、帰ったよ」
その悲しげな顔を見せないよう、幹久は娘の体を強く引き寄せる。
「そっかぁ」
玲美は久しぶりのぬくもりに、目を閉じた。
親子二組の様子を、神楽は少し悲しそうに見つめていた。
「これからどうなるのでしょうか?」
戦闘の残滓が残る連隊の基地を遠目に、神楽が呟いた。
「さてな、見当もつかんな」
理子を抱きしめたままの岸原が、IS連隊のドックに繋がっている全長二百メートル級の艦船を見つめた。
まるで旧約聖書に出てくる箱船のような形だった。
「おそらく、始まるんだろうね、これから最後の戦いが。いや」
幹久が続けて小さく呟く。
「すでに始まってるのかもしれない。最後の時間が」
摩天楼の隙間を縫いながら飛ぶ危険なランデブーが続く。
ビルの横を飛ぶたびに、音速を超えたことで起きた衝撃波が窓ガラスを砕いていった。
オレこと二瀬野鷹がディアブロと国津玲美に勝ってる点はただ一つだ。
「追いつけるか? こんな場所で!」
「相変わらずだね、ヨウ君!」
それは最大速度でも、武装の扱いでもなく、方向転換の鋭さである。
事実、建物を壁にするために曲がるたびに、玲美との距離が開いていった。
相手の姿が見えなくなると同時に、オレはツインタワーで有名な高層ビルの影に隠れる。
呼吸を整えながら、相手の動きを探り始めた。
『……どうして死にたいなんて考えたの?』
少し遠くから玲美の声が聞こえるが、反響しているせいか居場所が掴みづらい。
ただ、周囲の建物を計算しセンサーで逆算すれば、声の発生源は掴める。
某四十八階立てビルを挟んで反対側のようだ。
だったら、ここからビル越しにレーザーライフルで撃ち抜くか?
いや、さっきの話じゃないが、オレは武装の扱いに長けているわけじゃない。だったら近接で確実に仕留めるべきだ。翼さえ折れば、速度は落ちる。相手がどんなヤツだろうと、ISである限りは一緒だ。
推進装置を使わずにPICだけで音もなく、オレはビルの壁に沿って下降して地面へと着地した。
ISを解除し、足首に光るアンクレットへと戻す。ISスーツのみのまま、オレは階段を上り始めた。エレベーターを使うと音でバレるだろうしな。
『どうして、死にたいって、そんな風に考えるの? 生きて欲しい人だって沢山いるのに、キミのお葬式であれだけ沢山の人が悲しんだのに!』
玲美の言葉が響いてくるが、答えてやることは出来ない。
ただ黙って階段を走り続ける。
どうして死にたい、か。
どんな間違いを犯したって前を向いて、償いをするように生きていくべきだ。そんな理想があるのはもちろん知っている。
だけど、自分がこれからも先、他人の死体に取り付いた化け物として生きていく。気持ち悪いにも程があるだろう。
それでも失われた未来を取り戻そうとしているのが、玲美やジン・アカツバキだ。
じゃあオレが過去に戻って、修正しなおすのか? どうやってだ?
待て。
玲美はどうして、自分が行こうとしているんだ? オレが過去に飛べるかどうかは別にして、一緒に行ったって良いじゃねえか。
オレを過去に行かせたくない出来事が存在してるのか?
まだ何か隠されている秘密があるってことか。
非常階段を上り続けながら、オレは考える。
何か大事なことに気づいていないのか? 玲美がオレをここで殺し、過去へ自分が行こうとしている意味を推測しろ。
おそらくそれが全てを解決するキーなんだろう。
「でもまあ」
簡単には喋ってくれないだろうな。
アイツは国津玲美でありながら、強かに過去を改変し続けた国津三弥子でもあるのだ。
ここで時間稼ぎをして、新しい手を考えるしかねえか。
そう思って、足を止めた瞬間、足下が揺れて階段から転げ落ちた。
「なんだ?」
立ち上がろうとしても、足が宙を踏み、再び転げてしまう。先ほどから地面の角度が変わり続けているせいだと気づいた。
「建物の根元から切り落としたのか!」
思い切りが良いじゃねえかよ、玲美のヤツ。
今の敵はおそらく世界最高クラスのスペックを持つIS、ディアブロ。
「だけどな、ここまで来て、オレもあっさり殺されてやるわけにはいかねえんだよ!」
オレは再びテンペスタ・ホークを展開し、次の戦闘行動に向けて動き始めた。
「一つ、質問があります、エスツー」
手を上げたのは、生徒の代表を務める更識楯無だ。
「何かしら、楯無」
「ジン・アカツバキを倒したとして、不確定の未来から来た人物たちはどうなりますか?」
「普通にこの時代の人間として生きていくだけよ。私達はすでにここに存在しているのだから、ここに存在しているという事実を元に未来が確定していくだけ」
「では、貴方たちがいた未来は、どうなりますか?」
「どうなるも何も、すでに存在しない。確かに未来は揺れているけれど、過去へ介入する者がいなくなれば未来は確定するわ。介入された一番古い物事を基準として、ドミノ倒しのように物事が確定していくはず」
エスツーは淡々と語りながら、ホワイトボードに書いた図を消していく。
「なら良いんです」
それらの回答の聞いた楯無はあからさまほどに不機嫌な顔を作った。隣に座る簪が不安げに覗き込むと、楯無はわずかに笑みを見せただけでそれ以上は表情を見せなかった。
「以上で質問は終わり?」
再び真っ白な状態に戻った後、白衣の研究者が全員に問いかけた。
集った全員から返答がないことを確認すると、彼女は織斑千冬と目を合わせて頷いた。
それまで黙っていた千冬が一歩前に出ると、
「全員、注目」
と教師然とした態度で号令をかける。
久しぶりに聞いた言葉に、生徒たちは思わず姿勢を正してしまっていた。
「これは強制ではない。お前たちの中には未だに半信半疑の者もいるだろう」
少女たちは黙って千冬の言葉に耳を傾ける。
「しかし、先ほどまでの戦闘は紛れもなく真実だ。世界中で人は死に、その被害は甚大だ。これから先、地球が元の形に戻れるよう、一人のISパイロットとして尽力していくのもまた、正しい選択と言える」
千冬は集った生徒たち全員を見渡して、最後に弟と目を合わせた。
一夏は姉の視線の意味を感じ取り、首を横に振る。
その意図を正しく感じ取り、千冬は一瞬だけ悲しそうに瞳を伏せた。
だがすぐに前を向く。
「しかし私は行くとしよう。まだまだ若輩の身だが、残念ながら一度は世界最強の称号を得たからな。その責任がある。束はおそらく行くだろう。アイツはバカだからな。そういうわけだから、私たちに任せて、他の全員は残れ」
有無を言わせぬ命令口調の言葉には、否定を許さない無言の圧力が込められていた。IS学園最強を誇る楯無ですら気圧されるほどだった。
そんな中、一夏は千冬の眼光を見つめ返し、
「俺は行く。ヨウも気になるし、箒も救わなきゃな」
と力強く言い放った。
「好きにしろ。エスツー、もう一機の白式は?」
先ほどのアイコンタクトで意思は確認し終わっていた。当然のように聞き流し、自分の武器を確認する。
「すぐに準備は終わると思うわ」
「了解だ」
「あと三十分ぐらいは、この世界と時の彼方が繋がっている猶予があるわ。一度解散しましょう」
「なるべく迅速に行動した方が良いんじゃないのか?」
「どのみち、向こうはこっちと時間という概念が違う。今行こうとも、三十分後に行こうとも、出る場所が違うだけで大した違いはないわ」
「なるほどな、了解した」
エスツーが先行して、船の内部へ続く階段へ歩き出し、千冬と一夏もそれに従った。
「一夏」
鈴が代表して声をかけると、彼は振り返って全員に向け、
「安心しろって。みんなが納得するハッピーエンド、見つけてくるから」
と自信満々に親指を立てて笑顔を作るのだった。
『ジン・アカツバキを倒して生き残ったみんなで新しい未来を目指しました! そんなハッピーエンドがあり得るの!? キミがいなくなった世界で!』
だけど、それが今のところの正解のはずだ。
横倒しになって倒壊していく巨大な建造物の中で、オレは玲美の慟哭を聞いていた。
このままじゃ潰されるが、テンペスタ・ホークを装着したままなら無傷で済むだろう。
落ちていく建物の中に残るってのは、なかなかの恐怖感だ。だけど、瓦礫の中から反撃に出るために、死ぬわけじゃないと腹を括る。
だが、すぐ近くの壁が熱で溶解する様を見た瞬間、咄嗟に上空へ向けて飛び出す。
「荷電粒子砲かよ! 容赦ねえな! 殺す気か!」
二枚の翼で羽ばたき、攻撃から逃げるよう灰色の空へと上昇し続けようとした。
「止める気だよ、本気で」
すぐ近くで少女の声がする。
後ろを振り向く暇すらなく、オレは地面へと叩き落とされていた。
「くそっ!」
地上スレスレで何とか体勢を立て直し、遥か上空に浮かぶ黒い悪魔を見上げた。
気を抜けば落とされる。
玲美は確実にオレを止めに来てるんだ。
つーか、ホントまあ……過去の過ちがオレの道を遮るなんて、如何にもオレらしい有様だ。
「ディアブロ、ヨウ君を止めるのを手伝って!」
背中にある四枚の推進装置から大きな光の粒子を吐き出した。
黒い悪魔は一瞬でホークの最高スピードを超える。しかも、置き去りにした荷電粒子砲での攻撃を放ち続けながらだ。
「みんなが笑って迎えられる未来のために、何度でもやり直す! だからキミはここで止まらなきゃいけない!」
ディアブロは、世界最高速の記録を非公式ながら何度も塗り替えている。
そして武装の威力も違い過ぎた。無人機であろうとも一撃で数機を葬る砲台が、遠隔感応操作兵器となって襲いかかってくる。
背中から射出されたソードビットが回転しながら、荷電粒子砲から逃げようとするオレの行く手を塞いだ。
自由に動き回る二本の大剣を横回転で回避した瞬間に、眼前で黒い爪が煌めいた。
「ここにいるジン・アカツバキの本体を倒せば、全てが終わる。おそらくこの次元に到達出来るチャンスは二度と来ない」
首がもぎとられるかと思うような衝撃とともに、オレの頭が掴み取られる。
そのまま大地へ向けて加速したディアブロが、テンペスタ・ホークを地面へと叩きつけた。
「生きていた証明が消え去ったって、また一から作り出せば良いでしょ? どうしてそれがわからないの?」
街のど真ん中に開いた大穴で、その中心点でディアブロがホークの上にまたがっている。
「二瀬野鷹が生き残ったとして、四十院総司はどうなる?」
「……おじさんは本当は、あのときに死んでいた」
オレの首筋にディアブロの冷たい爪が突きつけられていた。だが、その指先は一目でわかるほどに震えている。
「今でも死んでるぞ。偽物がその体を使って本人の振りをしていただけだ」
「だったら! かぐちゃんにはごめんだけど!」
声を出さず唇だけで、死んでいてもらうしかない、と呟いた。
自分でも酷いことを言っているのがわかるんだろう。玲美の瞳から、ポロポロと涙が零れていた。
曖昧にしておくのは簡単だ。
それでも明確にしておく必要がある。
「そうか、お前は四十院総司を助けることが出来ないからな」
玲美が国津三弥子として生まれるのは、常に十二年前の交通事故からだ。それ以前にまで戻ることが不可能なんだろう。
「じゃあ、どうすれば良いの!? 次もまたヨウ君が死ぬのを見過ごすの!?」
「オレが四十院総司じゃなけりゃ、四十院研究所は存在しない」
「私が作るよ!」
「どうやって? 四十院総司がいなければ、国津三弥子はただの飛行機エンジニアでしかない。金もなけりゃコネもねえ。それがISに携わるなんて、荒唐無稽にもほどがある」
背中の翼は土に埋まったままだった。それでも故障した様子はない。
オレは選ばなけりゃならない。
彼女の気持ちを踏みにじり、ジン・アカツバキを倒すという最大の目的を果たすのか。
「それでも、繰り返すよ」
突きつけられていたディアブロの爪が開かれ、オレの首を掴む。
喉を圧迫され、声どころか呼吸すら出来ない。
意識が遠くなっていくオレの視界に、ぼんやりと少女の顔が映っていた。
「何度でも、繰り返すよ」
可愛らしい顔が涙でくしゃくしゃだ。
「ヨウ君を幸せにするために、何度でも、何度でも。二回でも三回でも四回でも」
右手だけだった絞首刑に、左手も追加された。
「何度でも何度でも何度でも、何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも」
叫ぶ女の子の顔を見ながら、オレの意識が消えていきそうになる。
「君の幸福のために、何度でも、この十二年間を」
そんなことを、彼女は本当に願っているんだ。
ナターシャ・ファイルスは基地の倉庫から食料を持ち出し、料理を始めようとしていた。
「レーションは全部ダメだったわ。食堂用のが残ってるだけみたい。その分、新鮮だったけど」
彼女がいるのは、赤くなり始めた太陽の射す海岸線だった。そこに軍用の組み立て式テーブルを広げ、サンドイッチを作っていく。
そのすぐ近くでは、織斑マドカが呆然とした顔で体育座りをしていた。
「暇なら手伝ったらどうかしら?」
冗談めかして笑いかけるが、相手が答える様子がないとわかり、彼女はトマトをアーミーナイフでスライスし始める。
「料理、好きなのよ、こう見えても」
独り言になるとわかっていながらも、彼女は喋り続ける。
「味と見た目のこと以外は、何も考えなくて良いから」
彼女の背後では、未だに建物が燃えている。ISで生きている人間がいないことを確認した後、彼女は消火活動を生存していた隊員たちに任せている。
「それってつまり、誰かを幸せにすること以外、何も考えなくて良いってことだから」
水を入れたボールでレタスを洗い、それをむしり始める。
米軍のエースパイロットとして鳴らした彼女も、此度の戦闘ではかなり疲れ切っていた。
ただ、全くの空腹で動くのは経験上良くないと知っている彼女は、自分の仕事を食事の確保と決めて取りかかったところだった。
「肉も欲しいところね」
「死体なら、いくらでも転がっているだろう」
投げかけられる独り言に耐えられなかったのか、織斑マドカがポツリと答える。
「ローストならチキンの方が好きだわ」
「食事など、何でも良い」
「あら、残念だわ。私とは気が合いそうにないわね」
一瞬だけ手を止めたナターシャだったが、すぐに作業へと戻り、次々とサンドイッチを完成させていく。
そこへ、一人の少年が姿を現した。
「あ、ナターシャさんでしたっけ?」
IS学園の制服に似た格好の織斑一夏だった。
「ええ、ナターシャ・ファイルスよ。どうしたの?」
「オレも丁度、メシを作ろうとしてたんですよ。手伝っても良いですか?」
「そこにある完成品を持っていっても構わないわよ」
「あ、じゃあ少しだけ手伝います」
「料理が出来るの? 感心な子ね」
「こう見えても、家事はお手の物なんですよ。それに腹が減っては何とやら、ですから」
一夏が腕をまくり、ナターシャの横に立つ。
「あれ? マドカ、か」
「ふん……」
「何やってんだ、お前。手伝えよ」
呑気な様子で笑いかける様子に、無表情だったマドカの顔が急に険しくなる。
「お前は汚い」
「ん? そうか?」
「殺したはずだ。何故、生き返る?」
「と言われてもな。お前が殺したんだっけ? 俺を」
トボけた感じで苦笑いを浮かべる彼に、彼女は怒りを露わにしていきり立つ。
「そうだ、私が、お前を殺してやった!」
「そうかよ。すっきりしたか?」
「ああ、したぞ。お前を殺してやって、その済ました顔を苦痛に歪め、命を絶った!」
「人は、簡単に死なねえぞ。あ、ナターシャさん、ちょっとソース作るんで、そっちのマヨネーズとマスタード下さい。あとコショウも」
相手にする様子もなく、一夏は金髪の女性と作業を開始する。
「貴様!」
「お前が何をしたか、よく覚えてねえけどさ。でも、お前はお前のしたいことをしたんだろ?」
「そうだ、その通りだ。だから、お前をもう一度、ここで殺してやる!」
「やめとけやめとけ。しっかしお前って、かっこ悪いヤツだよなあ」
小さな容器の中身をスプーンで混ぜながら、一夏がこともなげに言う。その言葉に、マドカは呆気に取られてしまっていた。
「は?」
「千冬姉は、もう少しカッコ良いぞ。そりゃ家じゃだらしねえけど」
「……織斑千冬が、だらしない?」
「そりゃもう、家じゃ全く何もしねえ。パンツすら自分で洗えねえし、俺がいなけりゃ、部屋がゴミだらけになるんじゃねえのか」
突然始まった身内話にナターシャが小さく吹き出した。
「世界最強のブリュンヒルデも、弟にかかったら台無しね」
「そりゃもう。弟ですから。何があろうと、それは変わらないですよ」
サンドイッチに作ったばかりのソースを塗りながら、一夏が楽しそうに笑う。
「き、貴様が織斑千冬の何を知っている!」
「知るかよ」
「やはりお前が癌だ!」
そう叫んで、マドカがISの腕を部分展開し、BTライフルを一夏へ向ける。
だが、向けられた方は何処吹く風で料理を続ける。
「お前じゃ俺に勝てねえよ。だって、弱そうだから。ほい出来た」
一夏が完成したばかりのBLTサンドの一つを、マドカの前に突き出す。
「何だ、これは」
「千冬姉が好きな食べ物の一つだ。俺を殺した後は、お前が作れるように味を覚えておけよ」
「ふざけているのか、貴様は」
「大真面目だっての。ほれ」
相手の顔へ向けて、一夏は作ったばかりの食料を放り投げる。突然の出来事に慌てながらも、マドカが空いていた左手で、サンドイッチがバラバラになる前に受け取ってしまった。
「俺を殺しても良い。そしたら、お前がそれを作れ。作れないなら、俺を殺している場合じゃないぞ、マドカ」
一夏の挑発を受け、マドカがおずおずと口をつける。
千冬と同じ味覚の素養があるのか、彼女は小さく驚いたような顔の後、一気に口へと入れてしまった。
そんな二人の様子を、ナターシャは微笑みながら見守っている。
「んじゃナターシャさん、貰っていきますね」
「はいどうぞ」
手早く包にサンドイッチを束ね、一夏は動き出そうとした。しかし何かを思い立ったのか、すぐに足を止める。
「そういや、ナターシャさんはどうするんです?」
「さっきのエスツーとかいう人の話?」
「ええ。通信回線越しに聞いていたんでしょう?」
「もちろん行くわよ。行ってみるだけの価値はありそうだし、騙されたって、せいぜいちょっと遠くに行くぐらいでしょう?」
「なるほど。じゃあ頼りにしてます。それじゃ」
「ええ、それじゃあまた後でね」
彼は人好きのする笑顔を向けた後、すぐに背中を向けて振り返らずに走り出していった。
声をかけることすら出来ず、マドカは食べ物を咀嚼し終わるまで、その背中を見送っていた。
「何してるの? 殺すんじゃなかったの?」
「……こんなものが美味いというのか、織斑千冬は」
「ライフル、下げたら? 後、頬が緩んでるわよ。日本語で言うなら、ほっぺたが落ちてる、というのかしら」
ナターシャに笑いかけられて、マドカはライフルを仕舞うと、さっきまでいた場所に再び腰を落とす。
「手伝わないの?」
「こんなもの、買えば良いだけだ」
少しだけ強がった様子で、マドカがそっぽを向く。
織斑マドカが、今起きた出来事を家族の食卓だと気づくことは、一生訪れないかもしれない。
しかしナターシャ・ファイルスは、そういう未来があれば良いのかもしれないと思うのだった。
「最初に願ったのは、あの流れ星のように、どこまでも飛んでいけるように、だったかなぁ」
箱船の中心部、薄暗く奥まで見渡せないほど広い階層で、天井から吊されたISをいじりながら束は小さく呟いた。
「それは聞いた」
すぐ近くに立っているのは、白式を身にまとった千冬だった。それはこの時代の織斑一夏が身につけていた物だった。
「箒ちゃんの名前って良い名前だと思わない?」
「ん?」
「
「こじつけだな」
千冬が鼻で笑うと、束が頬を膨らませ、
「ちーちゃんって、昔っから私にだけ酷いよね!」
と冗談めかした言葉を返す。
手元のホログラムウィンドウと白式を見比べていたエスツーが、手を止める。
「まあ確かに彗星の彗も箒も、元は帚星と同じ文字ね。それ以外にも箒神と言えば、産神として祭られているところもあるわ」
「ほーら、合ってる合ってる。束さんの直感侮れないし、ちーちゃんはもう少し私を敬って見るべきだと思うけどね!」
得意げな顔で胸を張る友人を見て、千冬はやれやれとため息を零す。
「お前がそんなことを気にしていることに驚きだがな。何を突然に言い始めた?」
「んー、なんていうか、遠くまで行くつもりで作ったはずのインフィニット・ストラトスなわけで。それなのに、自立思考に目覚めたと思ったら、こーんな近くに来ちゃったわけで。束さん複雑ぅ」
束が小さく肩を竦めるポーズを取ると、千冬もエスツーも小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「日頃の行いだろう」
「えー? だったらもっと良いことあっても良いと思うんだけどなぁ」
「どの口がほざく」
白式の指を動かしながら千冬が答える。
「よし、くーちゃん、調子はどう?」
呼びかけられたクロエ・クロニクルは、天井からケーブルで吊されたISの内部に入っているところだった。
「大丈夫です。この箱船の外が全て見て取れます」
「くーちゃんは目力強いからねー。他の人より鋭敏に周囲を感じ取れる分、本来の視界に惑わされずにいけるはずだよん」
「目力……」
敬愛する天才に言われた一言に、クロエはがっくりと肩を落とした。
「しかし二瀬野がなぁ」
珍しく千冬が苦笑いを浮かべる。
「まさか私やちーちゃんにとっての甥っ子がいるなんてねえ。まあ、本当に甥っ子てわけじゃないけれど」
そんな昔なじみの様子を見て、束はからかうように笑いかける。
「まあ、必ずしも、このままアイツが生まれるような世の中になるわけじゃないが」
「私も実感ないけど、んー」
束がチラリとエスツーを見る。彼女は先ほどから無言で白式と繋がったコンソールに触れていた。
「エスツーはどう思ってるわけ?」
「可愛かったわよ、あの子。こっちじゃあんなオジサンになってたけど」
「ほほぅ。そいつぁ是非、元の姿に戻ったところを見てみたいもんだ。いっくん似? 箒ちゃん似?」
「どっちにも似てるわよ。後で本物の体を見せてあげるわ。しかし意外ね、篠ノ之束」
「何が?」
「貴方が血の繋がりなんてものを重要視するなんて」
「んー? まあ、私も意外っちゃあ意外かなぁ。でもなんていうか、いっくんと箒ちゃんの、それがどんな形であれ、二人の子供として生まれてきたっていうんなら」
「愛情が沸く?」
「興味が沸くかな」
「貴方らしいわ」
手を止めずにエスツーが笑う。
「もっちのろんろん、エスツーのことは何となくわかるけどね。話してみると余計に。私と箒ちゃんの間っていうか、そういう感じがビビーンと」
「それは光栄ね。織斑千冬、貴方は?」
「私か……そうだな。何はともあれ、助けてやりたい」
「それは形の上とはいえ、叔母として?」
「私にもわからん。しかし未来で本当に一夏が結婚して、甥か姪が生まれたとき、私はこうも複雑な気分になるのかと考えるとな」
「あら、意外にセンチメンタルなのね。さすが過保護な姉だけはあるわ」
すぐ間近でからかうように笑うエスツーに、千冬はばつの悪そうな顔を浮かべた。
クロエ・クロニクルは少し驚いていた。
彼女は束はもちろんのこと、千冬のことも多少は知っている。ここ数ヶ月一緒に過ごしてきたからだ。二人ともなかなかにエキセントリックな存在だと理解していた。
その二人が年相応の女性の顔で、もう一人の女性を交えて和やかに話している様子が意外だった。
「そういえば、いっくんは?」
手を止めた束が尋ねると、千冬は、
「軽くメシを作るそうだ」
と眉間に皺を寄せて答えた。
「あはっ、いっくんらしいや。良いんじゃないかな。エスツー、時間は?」
「あと十分は待てるでしょう。ルート3でつけた裂け目が楔となって、まだこの時代は時の彼方と繋がっているんだし」
「ラジャーブラジャー、こっちも終了」
「こっちも終わるわ。一夏が戻ってきたら出るわよ。さって、こんなもんかしらね」
エスツーが浮かんでいた仮想ウインドウを全て消し、首をコキコキと鳴らす。
「うは、動作がおばさんくさい!」
「うるさいわね! 貴方も似たような動作するでしょう!」
「えー? だって私、永遠の十七歳だしー? ねえ、ちーちゃん」
「お前はもう少し大人になれ」
クロエ・クロニクルは今から自分たちが向かう場所が、どんな場所であるか聞いている。彼女としては何があろうと束についていくだけだが、それでも次の戦場が最後の決戦なのだと聞けば、どこかしら緊張を覚えるものだった。
目の前の女性たちは、いつも以上にリラックスしたムードでいる。
そのうちの二人は、彼女が知る限り世界最高の人材だ。しかもその二人と同格で会話をする人物までいる。
これで勝てなければ、どのみち終わりだ。
もうすぐ出航だ。
箱船と名付けられた船が、奇しくも逃げるためではなく、戦うために神の元へと向かう。
そう思って、クロエは自分の意識をISの中に埋没させる。箱船とリンクした視界が周囲に浮かび上がった。
「あれは」
海に面した基地の護岸で、のんきにパンを食べている織斑一夏の姿を見つけた。
近くにはラウラを初めとする少女たちが集まっている。
そこもまた、先ほどまで彼女が見ていた雰囲気と同じような感じであった。
「呑気にメシなんか食っちゃってまあ」
後ろから呆れたような声が聞こえ、一夏は自分で拵えたサンドウィッチを咥えたまま振り向いた。
「鈴。お前もいるか?」
「もらうわ。急ごしらえの割には結構な数があるのね」
隣にしれっと座りながら、鈴が一夏の横にあったバスケットから一つ、手に取って口につける。
「先にナターシャさんが作ってたからな。少しだけ手伝って、貰ってきた」
「あの人はどうするって?」
「行くってさ。みんなもどうだ?」
一夏はにこにこと微笑みながら、大きな包みに入った沢山のサンドイッチを全員に差し出す。
「いただくわ」
「……私も」
「じゃあ、私もいただこうかしら?」
鈴に続いて、更識姉妹が一夏の近くに二人で座る。
「私も貰おう」
「ではわたくしも」
「僕も」
ラウラとセシリアも腰を下ろし、続いてシャルロットも輪に加わった。
「一夏君は、どうして行くの?」
楯無がトマトとレタスが挟んである物を取りながら、一夏に尋ねる。
「逆に聞きたいけど楯無さん、どうして俺がいかないと思うんだ?」
苦笑しながら答える彼に、楯無は一瞬目を丸くした後、一本取られたとばかりに笑顔を作った。
「そうね、その通りだわ。一夏君なら行くわよね」
「でしょう?」
楽しそうに笑いかける一夏に、楯無は毒気を抜かれたような笑みを作った。
「じゃあ私も行くわ。何が何だか把握しづらいことばかりで腹立つけど、でも、一夏君が行くっていうなら放っておけないし」
「ありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして」
二人は悪戯っぽい笑みを交わし合う。
「……その、一夏君」
「どうした、簪。食わないのか?」
「う、うん、もらう。じゃなくって、その、私なんかの頭じゃ、何もかもが……信じられないことばかり」
「でもさ簪、お前も戦ってたじゃないか」
「え?」
「何かを守らなきゃって思って、戦ってたんだろ? じゃあ俺と一緒だ」
「……そう、うん。その通りだね。だったら、私も、行く」
「そっか。じゃあ一緒に行こうぜ」
「はい!」
簪が小さな花のように可憐な笑みを作った。それを見て、一夏も少し嬉しそうに笑顔を作る。
「一夏さん、わたくしも行こうと思います。その、足手まといかもしれませんが」
ISスーツでも優雅に見えるセシリアが、一夏の目を真っ直ぐと見つめ強い意志を持って言い放つ。
「いいや、大歓迎だ。百人力だよ。セシリアがいてくれたら、俺だって頑張れるさ」
「……一夏さん、そ、それはひょっとして」
セシリアが嬉しそうな笑みで身を乗り出す。
「ん? どうかしたか? セシリア、熱があるなら休んだって良いんだぞ?」
「一夏さん……」
だが、そういう意味でないと悟り、彼女は乗り出した上半身を元の位置に戻してがっくりと肩を落とす。
「何か悪いこと言ったか、俺」
「いいえ、何でもありませんわ!」
セシリアが少し怒ったようにそっぽを向く。
「ねえ一夏、一夏は信じてるんだよね?」
シャルロットが申し訳なさそうに問いかけると、彼は腕を組み、考え込む。
「うーん、そりゃあ信じてるけど、何を信じてるってのは言葉にし難いな」
「でも、僕はちょっと話が突飛過ぎて、その、どうしたら良いのか少し混乱してるかも。無我夢中で戦っていたときは良かったけど」
「まあ俺だって似たようなもんだ。だけど、信じてるのは、そうだな。俺自身か」
「え?」
「俺は俺を信じてるよ。どこに行ったって、織斑一夏としてやるしかない。だったら、その織斑一夏を信じてやるしかねえだろ?」
得意げな顔を浮かべる彼に、シャルロットが脱力したように肩を落とす。
「どこまで行っても、一夏は一夏だよね……でも」
「でも?」
「僕は、そういうところ、その……好きかな」
シャルロットが少し頬を染めながら、恐る恐る気持ちを口にする。
「おう、ありがとう」
だが一夏は特に気にした様子もなく、次のサンドイッチに手を伸ばし始めた。
「え?」
「おう?」
「あ、うん……そ、それだけ?」
「え? 何だった? 俺も俺らしいところが好きだぞ?」
「そ、そういう意味じゃ……う、ううん、もう良いよ……どこまで行っても、ホント一夏だよね」
先ほどよりもさらに肩を落とし、シャルロットは食事を口にし始めた。
「抜け駆けしようとするからよ、シャルロット。でも一夏、本当にアンタってば、どこ行っても変わんないわよね」
「そうか?」
「アタシも行くわよ」
「そうだな。お前は来ると思ってたよ」
「だけど意外ね。アンタなら、アタシたちを置いていこうとすると思ったんだけど」
「そうか? ま、一緒に行けるんなら良いだろ、それで」
言葉を濁して誤魔化す一夏に、幼なじみの一人である鈴は何を察し、怪訝な顔を浮かべる。
「一夏? どうしたの?」
「ま、正直な話をすればだ。俺が目を覚ました未来じゃ、みんなは目の前で殺された」
「え? は?」
「あのジン・アカツバキに、全員が殺された」
一夏が全員の顔を見渡す。そこには何も感情の感じられない顔があった。
「誰一人救えなかった。出来たことは、何とかこの時代に『戻ってきた』ことぐらいだ」
彼は力なく笑い、それから立ち上がる。
「一夏」
ラウラが声をかけると、彼は夕日を背中に浴びながら、笑顔を作る。
「織斑一夏に出来ることは全部やらなきゃな。そうじゃなくちゃ、俺が俺でなくなっちまう」
「そうか」
「心が、消えちまうのさ」
心だけで生きる化け物。
オレは消えていく意識の中で、自分の存在を振り返ろうとしていた。
ディアブロの親指と人差し指がガッチリと俺の首に食い込んでいる。
もう良いのかもしれない。
ディアブロは玲美を選んだのかもしれないな。死にたがりのオレじゃ不安過ぎて。
結果として、今の罪過を背負うオレは死ぬのだ。希望通りじゃねえか。
ジン・アカツバキを倒すことは、次のオレに任せよう。
きっと上手くやる、なんて断言は出来ないのが、如何にも二瀬野鷹らしい。だけど幸せになれるっていうんなら、そういう選択肢もありだろう。
そうだな、その通りだ。
よく考えれば、オレは何で意地を張って玲美から逃げようとしてたんだ。
ここで大人しく死んで、次のオレが玲美に誘導されながら、幸せになる可能性を模索してやっていくだけだ。
そうして何度も繰り返して、誰もが納得するハッピーエンドが訪れるんなら、万々歳だ。大歓迎だ。
それに頑張ったじゃねえか、オレ。
ひょっとしたら、オヤジや母さんだって生きている未来があるかもしれない。何の間違いも犯さず、オレは誰の邪魔もしないで、密やかに人生を終えることもあるかもしれない。
完璧だ。
じゃあ、そういうことで。
あとは玲美、次の二瀬野鷹をよろしくな。
納得し、オレは自分の意識を掴んでいた心の欠片を手放そうとした。
「さて、行くか」
青色のISスーツに身を包み、織斑千冬が甲板に集まった全員を見渡した。
IS学園から、生徒会長・更識楯無。一年一組からクラス代表ファン・リンインを初めとした、シャルロット・デュノア、ラウラ・ボーデヴィッヒ。そして一年四組クラス代表の更識簪。
極東IS連隊から、第一小隊長・宇佐つくみことオータム。同じく第一小隊の沙良色悠美、リア・エルメラインヒ。第二小隊長、ナターシャ・ファイルス。そして付属訓練校からセシリア・オルコット。
四十院研究所から、国津玲美、岸原理子、国津幹久、岸原大輔、四十院神楽。
そして亡国機業から、織斑マドカ。
世界最高の大天才、篠ノ之束、それに付き従うクロエ・クロニクルは船の中だ。
最後に、未来から来た二人。織斑一夏とエスツーが、全員の最後部に立っている。
「指揮は岸原さんが執りますか?」
千冬が尋ねると、彼は首を横に振る。
「とてもオレの指示に従う連中だとは思えませんな。織斑先生にお任せします」
「わかりました。では」
千冬は前を向く。
「クロエ、『時の彼方』に向かい、発進」
『了解しました。『箱船』、発進!』
箱船が浮き始める。
目指すは時の彼方、こことは違う世界だ。
「では私が先陣を切り開く」
千冬は白式を身にまとい、船の先端で雪片弐型を片手に構えた。
「ルート3、いざ、参る!」
それで良いのか。
オレこと二瀬野鷹は目を覚ます。
そうだ、これで良いわけがない。
だってお前。目の前で、女の子が泣いてるんだぜ?
殺したくない、殺したくないと泣きながら、オレを殺そうとしてるんだ。
テンペスタ・ホークの腕に力が沸いてきた。
首を掴む腕を掴み上げる。
「おいディアブロ」
目の前のISへ言葉を送る。
「てめえは、何やってんだ、ディアブロ。パイロットを泣かして、お前はそれで良いってのか」
白騎士の姿をした悪魔から、低いうなり声のような音が聞こえてくる。
「ホークが叫んでるぞ。お前が情けない有様で、そうなってるのを嘆いてる」
「ヨウ君?」
「ディアブロ、オレを舐めるなよ」
悪魔の爪を首から一本ずつ剥がしていく。
本来のスペック差では有り得ない出来事だ。
そんな不可能は、可能にしていく。
「オレを誰だと思ってるんだ」
首を掴んでいた腕を押し返し、徐々に体を起こし始めた。
「そんな……ホークのスペックじゃ」
信じられない、と玲美が声を震わせる。
「失敗ばかりで、ふざけた体で、大したことも出来ない人生だったけどな」
色んな人を悲しませ、知らないうちに他人の未来を狂わせた。
死ぬことで償うわけじゃない。死ぬことで終わらせてやりたいのだ。
「オレは世界で初めての男性IS操縦者だ」
完全に起き上がり、ディアブロと互角の力比べを始める。
いつか死ぬときが来るなら、二瀬野鷹が忘れられないうちが良い。
「さあ、ホーク。思い出せ。このバカ悪魔に思い知らせろ」
背中の推進翼を立てて、エネルギーを吐き出し始める。スラスターから光が漏れ始めた。
「これは四十院総司の指示で作られた、二瀬野鷹の専用機」
視界に浮かぶ出力表示が、今までにない数字を叩き出す。
「世界で唯一のメテオブレイカーだ」
エスツーさんの、なぜなにルート2。
遅れまして申し訳ありません。
今後のスケジュールは、三月末までお休みを頂きまして、ラストスパートに向かうとします。