ルート2 ~インフィニット・ストラトス~   作:葉月乃継

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45、オンリーロンリーグローリー

 

 

 

「お前たちは、たった一人の犠牲を強いることで、全てを無かったことに出来るのだ。喜ばしいことだろう?」

 挑発的な笑みとともに放たれた一言に、誰もが動くことが出来なくなる。

 彼女たちは、多くの死者と行方不明者を知っている。

 まだ自覚がないもの、悲しみを抑えているもの、それぞれに様々な感情を抱えている。心で受け入れる前の段階のまま、この戦いの場に立っているような状態だ。

 その受け入れなければならないだろうことが、全て無かったことに出来る。

 十二年前からのやり直し。

「生きてさえいれば、幸せになれるかもしれない。違うのか?」

 選ぶのか、ただ一人の幸せを犠牲にして、他の全世界の幸せを選ぶときなのか。

 織斑一夏は何も喋らなかった。

 自分が言葉を発すれば、全て台無しになると直感していた。

 彼は、そもそも論として織斑一夏ではない。織斑一夏のような『何か』である。本人は織斑一夏であると名乗ってはいるが、それすらも確定した事項ではない。

「さあ、戸惑う暇はないぞ。お前たちは意思を集わせ、力の限りを振るい、私を倒せ。だが元の世界に戻っても喪失感に苛まれ、いたはずの者が消えた世界で悩むだろう」

 ジン・アカツバキが両手を広げ、その手に一本の和弓のような兵装を取りだした。

「そしていつか言うだろう。二瀬野鷹に、お前が死に、世界の歯車を元に戻せと。それを言わぬ言わせぬ者だけが、私にかかってくるが良い」

 一夏の歯がゆい思いを見透かすように、紅蓮の神が人を不敵に笑い、弓に巨大な光の矢をつがえる。

「貴様らは、私に改変されるか、二瀬野鷹に改変させるか、その二つしか答えがないのだ」

 終わりの始まりを告げる鏑矢が今、放たれた。

 

 

 

 

 

「そういうことだったってわけか。良かった」

 オレこと二瀬野鷹は、ホッとため息を零した。

 両手で掴んだ棒のような武器を立てて、額に手を当てる。

 何はともあれ、世界は全て元通りに戻るというわけか。

 ……元通り、か。

 わかってるよ、言われなくたって。

 どうせそこにオレはいない。

 オレが全ての原因となる巨大隕石破壊に成功したとして、ジン・アカツバキの言う通りなら、この体は死ぬんだろう。

 しかし、十二年前から改変したとして、ISはどうなるのか。

『やあ、気分はどうだい?』

 オレの眼前に通信ウインドウが起き上がる。その回線を開いてきたのは、篠ノ之束だった。

「お久しぶりですね、篠ノ之束。初めまして、クソッタレ開発者」

 おそらく今の話を聞いて、オレと話をする気になったようだ。

『四十院総司、とかいう男が居たね。忘れてたよ。私がISを開発発表したとき、妙にスムーズにことが進んだ気がしたんだよね』

「良い直感だ。アンタもオレに操られてたってわけだ」

『さてさて、どうかにゃぁ?』

「ちょっと聞きたいことがある、篠ノ之束」

『んー?』

「アンタは帚星を見なかったとして、ISを作らなかったか?」

『んー、私はそうだね、何かを作らない自信がない。何はどうあれ、ルート系機能がなかろうと、持て余した創造力をどうにかして形にしようとするだろうね。それがISか、大きなロボットか、巨大戦艦か、ナノサイズ以下の極小機械かはわからないけれど』

 ニヤリと笑う篠ノ之束に、オレは鼻を鳴らした。

「良い答えだ」

 さすがステキに頭がイカれてやがる。自分自身を抑えきれないくせに、自分自身をよく理解してるぜ。

『さて、これでキミが隕石を破壊しても、ISが生まれる可能性ってのはあるんだけど、どうする?』

「可能性なんて、どんなものだって存在してる。それこそお前がある日突然、大きなトラックに吹き飛ばされて死ぬぐらいはあり得るだろうよ」

『はっはっー、限りなくゼロに近い事象を取り出しゼロじゃないと強弁したって、起きえないね』

「あのさあ、篠ノ之束」

『ん? 恨み辛みかい?』

 ニヤニヤと笑いながらオレの答えを待つ束に、送ってやれる言葉は一つだけだ。

「ありがとう」

 オレの放った感謝に、彼女は一瞬だけ目を丸くした後、

『きっとキミは私に感謝したことを恨むよ』

 と僅かに頬を緩ませた。

 通信回線が強制的に閉じられ、ウインドウにオフラインの文字が浮かび上がる。

 何とも不吉な予言だけどな。ありがたいこった。

「相変わらず、不気味な女だぜ」

 いつも通りの軽口を叩いた後、上唇を軽く舐める。妙にしょっぱい気がした。

「……ヨウ君」

 ディアブロを装着した玲美が、泣きそうな笑みを浮かべ、少し首を傾ける。長い髪が揺れた。

「んだよ?」

「どうして、笑ってるの?」

 玲美がオレの顔を見て、悲しげに呟く。

 言われて気づいた。頬が緩んでるのか、口の両端が吊り上がってるな。

「笑ってたのか、オレ」

「……とても酷い顔で笑ってる」

「マジか」

「でも、泣いてるよ、キミ」

「泣いてるのはお前だろ」

「いいや、キミも、だよ」

 二の腕で頬の汗を拭く。そこに水滴がついたが、汗以外の何物でもないだろ。

「さあ、国津三弥子。ディアブロを返してもらおう」

「絶対に、それはさせないから」

 両手に構えた二つの大剣と、背中から放たれたソードビットの切っ先がオレへと向けられる。

「ほんじゃ行くぞ! こっからのオレは弱いぞ!」

 レクレスと名付けられた一本の棒の切っ先を相手に向け、推進翼に意思を込める。

 だが『三弥子』は、悲しげに笑ったまま、

「また会いましょう、ヨウ君」

 とオレに別れを告げた。

 こちらに向け加速をつけた『三弥子』が右手に持った大剣を振り下ろす。

 その攻撃をレクレスで防ぎ、その反動を受け流して回転しながら蹴りを放とうとした。

「なっ!?」

 だが、その攻撃を理解していたかのように、勢いのついたオレの脚部装甲を左手の剣で受け止め、上方から二本のソードビットを振らせてくる。

 咄嗟に下半身のスラスター全てを点火させ、相手を吹き飛ばそうとした。

「大好きだよ」

 そのタイミングを知っているかのように踏み込まれ、オレの眼前に国津玲美の顔が近づく。胴体を抱きかかえられ、動きを封じられた。

 だが、ソードビットは玲美の真後ろに位置していて、攻撃するにも大きく軌道を曲げなければならない。

 何だ? 何をする気だ? 

 相手の攻撃が読めない。どうする気だ、玲美は。

 そんな一瞬の戸惑いを断ち切るように、オレの腹部へ熱い痛みが走った。

「ん……な、てめえ」

 玲美は背後にあったソードビットで、自分の体ごとオレを突き刺したのだ。

 二本のソードビットが二人を縫い付ける。

「さあ、次を始めましょう、ディアブロ」

 もう言葉に震えはなく調子は平坦で、声音は冷静そのものだった。

 彼女は先ほどまで、まだ迷っていたのかもしれない。どこかでオレを止める手段をまだ探っていたんだろう。

 だがジン・アカツバキの発した真実により、彼女は考えるのを止めたようだ。

 『三弥子』がオレの体を軽く押しのける。

 背中から腹へと刃が突き刺さったまま、彼女はオレを見下ろしていた。その口元からは血が流れている。

「なんつー……攻撃だよ、クソ……」

 自分の手足に力が入らない。予想外の攻撃を受けて戸惑っているのもあっただろう。確実にオレを止めるため、急所を狙った攻撃であったせいかもしれない。

「ディアブロ、お願い」

 その黒い悪魔の背後に、八本の荷電粒子砲型ビットが現れる。電流がバチバチと音を鳴らし、一撃でISを葬り去る攻撃が、オレとホークに向けて放たれようとしていた。

 回避しなければと体を動かした瞬間に、腹部に激しい痛みが走った。そのせいで推進翼が一瞬だけ、空吹かしを行ってしまう。

 オレの視界が、まばゆい光で覆われた。

 

 

 

 

「どうした、かかってこないのか」

 ジン・アカツバキの撃ち放った光の矢が、眼下に広がった仮初めの世界を吹き飛ばしていく。

 十二機のISは、散り散りになりながらも、それを必死に回避していた。

「うおおおおお!!!」

 織斑一夏が雪片弐型を右手に構え、左手の荷電粒子砲を撃ち放つ。

 その攻撃が相手の光る矢と空中で激突し、両者が霧散する。

「それを相殺するか。さすがは織斑一夏」

「何はともあれ、お前にやられてやる気はねえ!」

「良い心がけだ。お前たちは私を倒してようやく始まるのだからな。それが犠牲に目を瞑るような道であっても。だが気にするな」

 ジン・アカツバキが鏃の先を上空へと向け、そのまま撃ち放った。

 光の矢が三十メートルほど上昇した瞬間、十二に分かれ、放物線を描き落下していく。別たれた攻撃は寸分の狂いもなく集ったISパイロットたちへと降り注いだ。

 いたる所から悲鳴が上がる。

「さあ織斑一夏、叫べよ、そんなことはない、そんなことはないとな。二瀬野鷹を犠牲にせず、世界が死に絶えようとも過去からのやり直しを行わず、我ら我々らは真っ直ぐこの未来を進むのだ。そう叫べよ、織斑一夏!」

 次々と放ち、光の雨を降らし続ける。その攻撃が各機のシールドエネルギーを減らしていった。

「くっ、てめえ!」

 シールドを左腕に展開し、隣にいた箒を抱きかかえ、その攻撃を防ぐ。

「叫べまい、お前には」

 矢を放ちながら、ジン・アカツバキが上昇していく。攻撃の角度は完全に下を向き、絶え間ない雨のような攻撃に、十二機全てが防御に徹することしか出来なかった。

「……俺が叫ぶことじゃねえからな」

 一夏が悔しそうに呟いた。

「そうだな。元よりお前は他者を犠牲になど出来まい。そういう性格であることなど熟知している」

「俺の命一つで済むなら、それで構わねえんだけどな」

 一夏は抱きかかえた箒の顔を見つめる。

 少し呆けたような眼差しの顔つきに、彼は遠き日の彼女を思い出した。

「さあ道を譲れ織斑一夏たちよ。私はきっと人類を正しく導いて見せる。どんな困難にも自力で立ち向かい、隣人を愛し友を抱きしめる、そういう人類たちに、この私が十万年前より導いて見せる」

 構えた和弓の弦を鳴らし、その神は次々と鉄槌とも呼べる攻撃を放った。

 織斑千冬は弟と同じようにシールドを展開しながら、同じフィールドに立つ人間たちを見渡す。

 ほとんどの人間が困惑しながら、相手の攻撃を防ぐことに集中していた。

 彼女はその光景に舌打ちをする。

 ここに集った人間たちは、優しく強すぎる。

 ジン・アカツバキを倒した後、二瀬野鷹を犠牲にして世界を元に戻す。そういう道を提示されたがゆえに、目の前にいる最大の敵へ集中出来ないでいるのだ。

 人は想像する生き物だ。

 彼女たちは、ジン・アカツバキを倒した後に二瀬野鷹へ何を告げるべきなのかを迷ってしまっている。まだジン・アカツバキを倒していないにも関わらずだ。

 想像力と罪悪感が手を止めさせているのだ。

 その二つは未来を作る力と過去を省みる力とも呼べ、本来なら人間の持つ素晴らしい能力であるべきものだ。

「ここで世迷い言か、ジン・アカツバキ!」

「戯言でわたくしたちをこれ以上、もてあそぶつもりなら!」

 迷いを振り切るように大声を上げながら、ラウラとセシリアの二人が砲撃を開始しようとする。

 だが、そこに光の矢が撃ち込まれた。

「くっ」

「きゃあ!?」

 咄嗟に回避しようとしたが間に合わず、それぞれの装甲へ直撃した。

 吹き飛ばされて倒れ込んだところへ、次の一撃が降り注ぐ。

「やってくれるわね!」

 半透明の装甲を持ったISが二人の前に割り込んだ。そのパイロットである更識楯無が、水のヴェールを広範囲に展開して多数の光弾を防ぎ切った。

「私のフィールドと相性は良いみたいね」

「更識楯無。お前はどうする?」

「どうするなんて、貴方を倒した後に考えれば良いこと!」

「それはただ問題を悪戯に後回しにするだけだ」

 ジン・アカツバキの背後にある空間から、何の前触れもなく多数のミサイルが撃ち出された。米軍ISの放つ巡航ミサイルと同等サイズの実弾兵器が、易々と水のヴェールを突破し、ミステリアスレイディ・バビロンへと迫る。

「お姉ちゃん!」

 妹である簪が、腕部装甲で薙刀状の武器を構えて立ち塞がった。飛来したうちの一発を叩き落とし、同時に背後にミサイルポッドを展開し発射する。

 相手のミサイルとは比較にならない小ささだが、その正確さを持って全てを事前に爆発させた。

「打鉄弐式か。本来なら完成が遅れたはずの機体だったが、それも四十院総司の皮を被った二瀬野鷹により前倒しになった」

「お、オジサンには、感謝してる……から!」

「それも二瀬野鷹が私を倒すために、ずっと騙し続けていたからだ。お前たちは都合の良い手駒として目をつけられたのだ」

「そ……そんなこと、な」

「ないと言い切れるのか? 全てを許せるのか?」

 和弓のような武器によって繰り出される光の雨の勢いが、倍の数へと増していく。その中に多数の巨大ミサイルを混ぜられ、更識姉妹は再び防戦一方に押し込まれ始めた。

「そんなことないよ」

 ジン・アカツバキの背後にオレンジ色の機体が忍び寄る。

 シャルロット・デュノアが操るラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡだ。

 右手に持ったナイフで紅椿の背中を突き刺そうとした。

「さすがのエイスフォームたちだ」

 金属同士を強く打ち合わせた音が響く。虚を突いたはずの攻撃は、ジン・アカツバキの装甲から生えた二つの副腕によって防がれていた。

「まだまだぁ!」

 一瞬で状況を判断したシャルロットは、ナイフでの攻撃を諦め左腕を突き出す。装甲の一部が小さな爆発ともに剥がれ落ち、中から六連リボルバー式パイルバンカーが姿を現した。

「甘いぞ、シャルロット」

 篠ノ之箒の声が、親しげに彼女の名前を呼んだ。

「え? うわっ!?」

 小さな爆発音が響いた瞬間、彼女は背中に寒気を感じた。フランスの代表候補である金髪のパイロットは、小さな悲鳴を上げながらも直感に従い、急制動から後ろへ一気に飛び退る。

 距離を取って横目で左腕の状況を確認すれば、パイルバンカーが強固なシールドと一緒に切断されていたのだ。その断面は高熱で溶けているようだった。

「オッサンたち、一気に行くわよ、ブースターランチャー!」

 テンペスタエイス・アスタロト、そのレッドカラーの機体を装着した鈴が、大きな砲身を両手で構えた。

『一発目はすでにチャージ済。アスタロト二号機、どうぞ』

『砲身温度、HAWCシステム連動、全て正常、ファン、撃って良いぞ』

 通信回線の向こうには、方舟の甲板からアスタロトのHAWCシステムを操作する二人がいた。

「おっけー、消え去りなさい、バカミサマ!」

 彼女が引き金に力を入れる。

 降り注ぐアローレインの光すら切り裂いて、ISを一撃で吹き飛す威力を持った砲撃が撃ち放たれた。

「相変わらずの勢い任せだ」

 呟くと同時に、銅鏡のような盾が神の前に現れる。

 並のISなら一撃で葬り消し炭へ変える攻撃が、銅鏡に当たった瞬間に全て霧散して威力を完全に失った。

「お前たちは過去を取り戻したいと思ったことはないか? 失敗をやり直したいと思ったことはないか? あのとき、こうしていれば、最高の人生が待っていたかもしれない。そう思う瞬間がないのか? ファン・リンイン。例えばお前だ」

「何ふざけたこと言ってんのよ、アタシには」

「二瀬野鷹の言葉を信じれば良かった。そう思わないのか」

 放たれた予想外の内容に、鈴は言葉を失った。

 織斑一夏が誘拐されたとき、鈴はヨウの言葉を信じず、彼ら二人を危ない目に遭わせてしまっていた。

 あのとき、もしヨウの言葉を信じていれば、一夏がヨーロッパに渡ることもなく、自分が転校するまで一緒にいることが出来たのではないか。

 さらに言えば両親の離婚を止めて、一夏と一緒に最初からIS学園に通うことも可能かもしれない。

 まだ十五歳に過ぎない少女の心を揺さぶるには、充分過ぎるほどに甘い誘惑だった。

「そんなお前たちが持つ悔恨すら無くなるのだ。苦しいだろう、お前たちは優しいからな。自らの軽率な行動で他人を苦しめたことを、ずっと悔やんでるんだろう」

 鈴の動きが完全に止まったところを、狙い澄ましたような一撃が降り注ぐ。

「鈴、バカ、避けろ!」

 一夏が叫ぶが、間に合わずにアスタロトへ多数の光の雨が直撃した。

 砲身が爆発を起こし、彼女の体が後ろへ吹き飛ぶ。

「ちっ、バカが」

 白式を装着した千冬が鈴の体を抱き留め、シールドの傘を展開する。

「す、すみません、千冬さん」

「まだ動けるなら、自分で立て!」

 口では厳しく叱咤しながらも、千冬は鈴を守るように体を被せながら左腕を突き出す。その防護膜のおかげで、鈴は一発たりとも追撃を食らうことがなかった。

 そんな強さを持つ織斑千冬すらも、心が揺れ動いていることを自覚せずにはいられなかった。

 もし、白騎士事件からやり直せたなら。

 世界最強の身である彼女にすら、多くの悔恨があった。

 一夏の誘拐もその一つであり、恩人である二瀬野鷹の両親が亡くなったことは、その最たるものの一つだった。

 そんな自分が、何を願う?

 自問せずにはいられない。

 彼女にだって、幸せを願う人々がいる。

 ジン・アカツバキとの戦いでは、世界中で十億に達する人間たちが失われた。その全てが取り戻せると聞いて、心が揺れないわけがない。

 ISを生み出したのは篠ノ之束であっても、織斑千冬には共犯意識が消えたことがない。

 わかっている。

 あの紅蓮の神を打倒しなければならない。

 そんなことは、ここに集まった全員が理解している。

 それでも先ほど伝えられた真実により、彼女たちの脳内に一つの疑問が付きまとっていた。

 ジン・アカツバキを倒して、その後、どうなる? と。

 たった一人の犠牲で元に戻る世界に、自分たちは生き続けることが出来るだろうか。そう自問せずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

「紅椿は何故、ルート1を使わないのでしょうか?」

 方舟の甲板で、四十院神楽がやや不安げに国津幹久へと尋ねた。

「隙が大きいからじゃないかな。エネルギーを吸うとはいえ、先の戦いの映像を見るに、相手を掴んでから一瞬の間があるようだし。やはり強制的にエネルギーバイパスを繋ぐとはいえ、相手側から少しは抵抗があるようだ」

 投影型のキーボードをタイプしながら、幹久が困ったような顔で答えた。

「つまり、さっきの戦いのように自分が多数ならともかく、今のように囲まれている状態では使えないということか」

 渋い顔で頷いたのは、元自衛官である岸原大輔だ。

「でもでも、じゃあ何でジン・アカツバキは自分の軍隊を呼び出さないの? マルアハだっけ?」

 父親二人に率直な疑問をぶつけたのは、岸原理子である。

 彼女たち四人は、二人一組になって二機のテンペスタエイス・アスタロトのバックアップに回っている。方舟から遠隔で武装制御の手伝いをしているのだ。

「呼び出せない理由があるのか、呼び出さない理由があるのか」

「何それ、パパ、意味ありげな言葉で誤魔化すより、素直にわからんって言った方が良いよ?」

「理子、お、お前なあ」

「だって何の回答にもなってなかったじゃん」

 娘が口を尖らせ父に文句を言う。 

 親子の様子に微笑んだ幹久だったが、すぐに表情を引き締めて目の前の画面に視線を落とす。

 そこに映っているのは、ファン・リンインの操る機体が捕捉している、ジン・アカツバキという名の自立思考型ISであった。

「さっきの言葉、どう思う?」

 大輔が長年の親友である幹久に、ぶっきらぼうな言葉で問いかけた。

「もう十二年も前なのか、と思ってしまったよ」

 少し懐かしげに答える幹久に、大輔は一瞬言葉を失った。しかし、すぐに鼻を鳴らし、

「同感だ」

 と答える。

「まあ、あの事故からやり直せるか。悪くはない話だと思うよ。僕も普通の飛行機エンジニアに戻って、岸原はただの自衛官のままだ」

「悪くない人生だな。しかし、シジュがな」

 それまで四角張った顔を崩して笑っていた男が、急に顔を苦々しげなものへと変えて呟く。

「二瀬野君とシジュが同一人物か。何とも信じられない話ではあるけど」

「騙されていたんだな、俺たちは」

「悔しいと思えば良いのか、憎いと思えば良いのか、僕にはもうわからないよ。でも」

「でも?」

「楽しくなかった、と言えばウソになるんだ」

 ずっと画面から目を外さなかった幹久が、隣に立つ大輔の顔を見て悲しげに目尻を落とす。

「……そうか」

「気づけば、中身が違うとはいえ、二瀬野鷹という男との付き合いの方が長くなっていたんだね」

「そうだな。しかし、あの男は」

 大輔はそこまで口にした後、小さく鼻で笑って首を横に振った。

「岸原?」

「いや、俺たちが作ってたISじゃないパワードスーツがあっただろう?」

「え? ああ。最近は忙しくて触っていなかったなぁ」

「どうして、あんなものを作っていたのかと思っただけだ」

 二瀬野鷹という中身が入った四十院総司は、国津幹久、岸原大輔の二人と一緒に、ISコアに頼らず自由に空を飛ぶパワードスツーツを趣味で研究していた。メカニックは岸原、設計は幹久、パイロットは四十院総司。良い大人が三人も揃って、全力で遊んでいた趣味だった。

「空の奪還計画か」

 懐かしい名前を呟いて、幹久が喉を鳴らし笑う。

「空は誰の物でもないのだがなぁ」

「きっと、誰の物でもないところに返したかったんだろうね。だけどまあ、死んだシジュには悪いけど」

「ああ、俺たちにとっては、あのふざけたお調子者がシジュになってた。もう十二年もの付き合いだからな」

「その通りだね。もうあの男が何をしようが、最後まで付き合うよ、僕は」

 困ったような顔で見つめ合った後、何がおかしいのか、吹き出して笑い声を上げ始める。

『かぐちゃん! 理子! ブースターランチャー用意!』

 男たちの感傷めいた雰囲気を、回線越しに聞こえた悲鳴のような声が切り裂いた。

「玲美?」

『ディアブロを発見……ホークまでいる!』

「両機のパイロットは!?」

『ディアブロは反応不明、ホークは……まさか、ホントに……』

「玲美?」

『ヨウ君だ……ホントに、ホントに生きてた!』

 その言葉に全員が驚いて画面を覗き込む。

「状況を先に把握しろ、なぜディアブロがシジュ、いや二瀬野鷹から離れている?」

 大輔が慌てて声をかけるが、映っている映像はぶれていて、パイロットの姿が上手く把握出来ない。

『わ、わかんない! って、HAWCブースターランチャー、起動する。エネルギー待てない! もう撃つよ!』

「バカ、玲美、玲美!? ああ、もう!」

『ヨウ君!』

 画面の中の視界が、まばゆいばかりの光に包まれた。

 

 

 

 

 オレを消し去ろうとしていた『三弥子』のビットが爆発を起こした。

 視界の端に見えるのは、ISを身につけた十五歳の国津玲美だった。その両手は装甲に包まれ、機体全長を超える砲身を構えている。

「……玲美」

 自分の名前を呟いた後、『三弥子』が自らの顔を手で一瞬だけ覆った。次の瞬間には、彼女の姿が本来の玲美から、仮の姿である国津三弥子に戻っていた。

 んだよ、そんなこと出来るのかよ……。さすがデタラメ空間だぜ。

 思わず苦笑いを浮かべたとき、落下する体が誰かに抱き止められた。

「頑張ったわね、ヨウ」

「あなたは……さっきの?」

 青い装甲のISは紅椿はそっくりで、中にある顔は箒と篠ノ之束によく似ていた。

 横須賀の連隊基地で戦っていたときには、しっかりと顔を見てる暇もなかったし、気にしている場合でもなかった。

 初めてマジマジと近くで見て、その事実に気づく。

 この女性は、エスツーを大人にしたような顔なのだ。年頃はおそらく二十代後半だろうが、十二年前にオレが失った小さな少女にそっくりだった。

「覚えていないのね……でも、よくやったわ、あなたは本当に頑張った」

 そのエスツーそっくりの女性が、オレの頬に自分の頬をすりつける。

 まるで子供を抱きかかえる母親そのものだった。

「……エスツー、なのか?」

 恐る恐る尋ねるオレに、彼女は顔を離してから小さく微笑んだ。

 オレの目の前で、胸から上を失って倒れ死んだ少女がいた。守らなきゃと思ってたはずなのに、あっさりと殺された女の子だった。

「その通りよ」

 なぜ生きてるのか、よく理解出来ない。

 この時の彼方ゆえなのか、インフィニット・ストラトスゆえの奇跡なのか。

 だけど、その表情はとても優しくて、オレは母親の顔を幻視してしまった。

 彼女がもう一度、オレの頬に自分の頬をくっつけた。

「ママ、なの!?」

 悲鳴のような問いかけが響く。

 玲美が胴体に大剣が刺さったままの国津三弥子の顔を見て、信じられないと唇を震わせていた。

「こんなところまでやって来るなんて、さすが私ね」

 自嘲するように鼻で笑った彼女の顔は、まさしく国津三弥子、通称ママ博士と呼ばれる人物そのものだ。

「どうしてママが、ヨウ君を殺そうとしてるの!?」

「救うためよ」

 声どころか口調までもが、四十院研究所を代表する若き開発者の一人と化していた。

「救うため?」

「貴方も聞いたでしょう、玲美。このままでは、二瀬野君は遠く離れた隕石に向けて飛び立ってしまう。それで良いのかしら?」

「ちょ、ちょっと待ってよママ、何を言ってるの!? どうしてそうなるの!?」

「聞いてみればいいわ、二瀬野君に」

 国津三弥子の胴体に刺さっていた大剣が光の粒子となって消えた。そこにあった傷口も瞬時に復元されていく。

「ヨウ君に……? ってそうだ、ヨウ君!」

 ママ博士の言葉に我を取り戻したのか、武装を投げ捨て、玲美がオレの元へ飛んできた。

 相変わらずの精密動作で完全制止した彼女は、抱きかかえられたオレの頬に、手を伸ばしてきた。だが、オレに触れる寸前で動きが止まった。

 怖いんだろう、オレが本物であるかどうか、偽物だったらどうしようという思いが怖いんだろう。

「おっす、おひさ」

 バレてしまっては仕方ない。軽く手を上げて頬を引きつらせた。

「生きてたんだ……ホントに」

 力なく上げたオレの手を、ISの腕部装甲を解除した玲美が握る。

「泣いてんなよ。お前。さっき、一度会っただろ?」

「さっきって……」

「四十院総司は、オレだ。バカみたいだろ?」

「……オジサンがヨウ君って、ホントなんだ」

「まあ、隠してるような段階じゃねえし」

 肩を竦めて苦笑いをすると、彼女はクスっと笑った後、暖かい指でオレの手を強く握って胸元で抱きしめる。

「ヨウ君」

 その頬からは止めどなく涙が零れ始めていた。

 ああ、本当に暖かいな。

 強く握られる指を、オレは軽く握り返す。

 何だか、帰ってきたような気がした。懐かしいIS学園に、何度か触れ合った指の感触が懐かしい。まさか、この姿で手を触れあえる日が来るなんて。

 玲美が顔を上げ、泣きながら微笑んだ。

 空を見上げる。

 ディアブロを装着した国津三弥子が、冷たい表情でこちらを見下ろしていた。

 同じ存在であった二人を見比べた後、オレは瞼を閉じる。

 この歪な光景も、オレとジン・アカツバキが産み出した。

 ならば消し去るべきだ。

 全てを取り戻す方法がわかった。

 じゃあ、四十院総司ではなく二瀬野鷹として、どうするのかは決まってる。

 プライドなんて投げ捨てろ。

 こだわりなんてもういらねえ。

 オレを追って、ここまでやってきた『三弥子』にウソを吐きたくない。

 そこに正直になった分は、他のヤツらにウソを吐こう。形振り構わず、矜持も信念も感情も、最後には心を捨てれば良い。

 どうせ消え去ると決めたんだ。

「……そっちのは誰だか知らないけれど、邪魔をするなら、三人まとめて相手をしてあげるわよ。このインフィニット・ストラトス、白騎士弐型で」

 武装を解き放ち、国津三弥子が攻撃態勢を取る。

 本当にありがとう、『三弥子』。

 貴方ほど、オレを思ってくれた人はいなかった。

 自分勝手に感謝を内心で呟いた。

 この人生の終着点が完全に決まったことを自覚する。

「玲美、それとエスツー、感動の再会はまた後でだ。三弥子さんを倒すのを手伝ってくれ」

 心地よかったエスツーの両手から降り、二人の女性の間でオレは自らと同じルート2を見上げた。

「ま、ママを?」

「殺すわけじゃねえよ。どんな理屈か知らねえがディアブロを奪って、よりにもよってジン・アカツバキ側につきやがった。ISを解除させるしかねえだろ」

 大きく深呼吸をする。動かなかった四肢に力が沸いてきた。

 おそらく、ここが分水嶺。

 横にいる二人へ、ウソを吐くか否かでこの先が変わる。

 二瀬野鷹は、ずっと本当のことを言わなかった。

 四十院総司はずっとウソ吐きだった。

「玲美、ヨウ君の話を聞きなさい。彼がこの先、どうするつもりなのか。もしジン・アカツバキを倒したとして、二瀬野君、キミはどうするつもり?」

 抑揚のない声は、彼女が十二年間作り続けた国津三弥子であることを表している。

「ヨウ君? まさか、アイツの言ってたみたいに、その、巨大隕石を壊して、とか考えてないよね?」

 強ばった調子でまくしたてる顔は、まだ十五歳の少女そのものだ。

 やっぱりコイツも、さっきのジン・アカツバキの言葉を聞いていたのか。

 小さく深呼吸をした。

 これから再びウソを吐く。

「そんなわけねえだろ。何だよ、それ。そんな自殺願望持ってるわけねえだろ」

 不敵に笑い、オレは国津三弥子を見上げた。

「ヨウ君……まさか」

 彼女は目を見開き、愕然とした表情を浮かべた

 唇を戦慄かせた後、大きな歯軋りを立てて彼女はオレを睨む。

 四十院総司がどこまでも卑劣で、虚偽にまみれ、目的のために何でもする男だということを思い出したんだろうな。

「さあ二人とも、手伝ってくれ。ママ博士を止めようぜ。目指すは」

 続きを喋ろうとして、喉が勝手に言葉を遮った。

 ダメだ、声が震える。

「ヨウ?」

「ヨウ君?」

 二人がオレの顔を覗き込む。その表情に胸の奥が張り裂けそうだった。

 どうした二瀬野鷹。もっと上手にウソを吐け。偽物の笑顔は大得意だろ。

 心に鞭を打つために、唇を一度強く噛み締めた。鉄臭い味が舌に触れる。

「目指すは、みんなでハッピーエンドだ。そうだろ?」

 笑顔を浮かべ、オレを追ってきた二人に笑いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 








今回が短いのは、次回以降が長いからです。
すみません。

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