ルート2 ~インフィニット・ストラトス~   作:葉月乃継

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47、メテオブレイカー(ディアブロズ・ブラック)前編

 

 

 

 

 織斑マドカが国津玲美を殺した後、オレこと二瀬野鷹は彼女の亡骸を持って方舟へと合流した。

「シジュ!」

「ヨウさん!」

 国津と神楽が甲板へ降り立ったオレの元へ駆け寄ってくる。

「……それは」

 オレの抱える少女の亡骸を見て、国津が震える声で尋ねてきた。

「玲美だ。お前の娘さんだよ」

 四十院総司の言葉を二瀬野鷹の姿で喋る。その演技に集中することで、幾分か冷静になれた。

「……キミが殺したのか」

「んなわけねえだろ、国津」

 鼻で笑いながら、そっと彼女を冷たい板の上に寝かせる。

 国津の膝が崩れ、冷たくなった娘の手をそっと握った。

「……なんでこんなことに」

「知らねえよ」

「シジュ!」

 投げ捨てるように言い放った言葉に、少女の父親が顔を上げた。怒りと悲しみの織り混ざった複雑な表情だった。

「生き返らせろとか言わないでくれよ、国津。オレにだって出来ることと出来ないことがある」

 出来るのは、生き返らせることじゃない。全てをなかったことにすることだけだ。

「ヨウさん……いえ、お父様」

 神楽もまた悲哀に満ちた顔をしている。

「悪かったな。どうにも、こういう結末になっちまった」

 神楽の目を見ることが出来ずに、空になった自分の手の平を見つめた。

 装甲で覆われたこの手に、掴めたものなんて一つもない。

「……玲美は、玲美はどうして」

 娘が胸元で両手を握りつぶすようにして、悲しみを噛み殺していた。

 いつからだっけなぁ。オレの前であんまり感情を見せなくなったのは。オレが忙しそうだったから、邪魔にならないようにとか考えたんだろうか。

 奥歯を噛み、目を閉じてから小さな深呼吸をする。それから必死に笑顔を作った。

「あの子にはあの子の、やりたいことがあったのさ」

 彼女の頭を軽く撫でてから、オレは背中を向ける。

 こんな短い時間しか笑顔が浮かべられないなんて、四十院総司も落ちたもんだ。

「お父様……」

「でも、ホントになあ。なんつーか」

 大事なことを言い忘れるヤツだよ、ホント。他愛のない日々を思い出せば、最初っからそうだったなぁ。

 ……感慨に浸るのはここまでだ。

 やれることは一つだけである。その最大の障害をここで取り除くべきだ。

 鈴のアスタロトのバックアップについた岸原親子が、目の前の仮想ウインドウで作業をしながら、ちらりとオレの方を見つめる。

「心配しなくても良いって」

 笑顔で短く告げ、オレは舳先に立つ篠ノ之束へと歩き出した。

「やあ」

 世紀の大天才が軽い調子でオレへ手を上げる。

「おう。この姿で会うのはハジメマシテか」

「思ってた結果と違ったけど、マドカ、どうしたのかな?」

 音もなくオレの背後に降り立った少女へ、問いかけが向けられた。

「ディアブロを斬る、という依頼は失敗した。まさか相手がISを引っ込めるとは思わなかったからな」

 悪びれずにマドカが興味なさそうに言い放った。

 マドカは良くも悪くも、誰の味方でもなさそうだ。その証拠に、方舟へと合流する間も一切攻撃を仕掛けてくることはなかった。

「んー。じゃあディアブロはまだ機能を生かしてるわけか」

 束がISをつけたままのオレにツカツカと近寄ってきて、後ろに手を組み、顔を近づけてしげしげと観察を始める。

「これがエスツーの作った白騎士ってわけかー。やっぱり独自の進化っていうか、パイロットに合わせた兵装を展開してるみたいだねえ」

 物珍しそうに、ISの開発者がディアブロの装甲にぺたぺたと触れ始めた。

「アンタは何がしたかったんだ?」

「ん? もちろん、この世界の存続だよ。せっかくの『インフィニット・ストラトス』を、このまま消滅させるなんて」

 オレの問いに、少しも悪びれず束が小首を傾げる。

「ディアブロを攻撃させたのは?」

「ルート3で破壊すれば、ディアブロはさすがに止まる。紅椿も同じだね。零落白夜は抑止力の役目も担ってるから」

「なんでせっかくの『インフィニット・ストラトス』を止めようとした?」

「そこに込められた意思に気づいたからだよ。私にとっては、その意思はとても優先すべきものだったし」

 束がオレに向けて射貫くような視線と言葉を向ける。

 高校生の二瀬野鷹であったなら、怯んだかもしれない。

 だけど、そんなものはとうの昔に置いてきた。

「意思ってのは何の話だ?」

「キミが存在する意味さ。おかしいと思ったんだよね。エスツー」

 今度はオレを超えて、後ろに立っている女性へと問いかける。少しだけ責めるような口調なのは、気のせいなんだろうか。

「何の話かしら?」

「まだ黙ってるつもり? くーちゃん、『彼』の映像を出して」

 船の中心部にいる自分の養女へと声をかけると、オレたちの目の前に、一つの大きなホログラムウインドウが浮かび上がった。

 そこには瞼を閉じた少年の顔が映っている。十歳ぐらいだろうか。あどけない顔つきの子供だ。

「誰だよ、これ」

「そんな訝しげな顔をするもんじゃないよん。これはキミさ」

「はぁ?」

「そりゃあ元の体があるに決まってるじゃない。キミがルート2という機能により抜き出された心ってことは、抜き出される前は体があったんだから」

「まあ、そりゃそうか。しっかし、これがオレ?」

 一つたりともピンと来ない。何せ記憶にない話だからな。

 オレが覚えているのは、大学生っぽい雰囲気だったオレと、二瀬野鷹、そして四十院総司であったことだけだ。

 束の頭に生えている兎の耳のようなユニットが、ピョコピョコと動いてエスツーの方を向いた。

「エスツー。これは誰?」

 また妙なことを言い始めたな。

 相変わらず他人に理解出来ない言動をするヤツだ。

「もう行くぞ」

 これ以上話に付き合っても、良い話は聞けそうにない。

 やることは決まってるんだ。

 オレは甲板を走り、縁に足をかけて空中に飛び降りた。

 四枚の翼を広げて、一夏たちとジン・アカツバキたちが立つ戦場へと向かう。

 その道すがら、機体状態をチェックし始めた。

 荷電粒子砲ビットは八つのうち二つしか生きていない。

 だけど、この先はやるしかない。

 全てのウインドウを閉じて、前を向こうとした。そのとき、視界の端に妙なウインドウが浮かんでいることに気づく。

「……2って何の意味だ? ルートがねえな」

 そのウインドウは、大きくでかでかと数字を表示しているだけだった。

 何を意味してるのか、と考えたが、元々はよくわからない機体だ。考えても仕方ない。

 さあ行こう。

 ジン・アカツバキをぶっ飛ばすために。終わりはそこから始まるんだ。

 玲美。悪いけど、力を貸してくれ。お前たちの望むものはそこに無いけれど、頼むわ。

 そこまで呟いて、オレは自分の思考を鼻で笑う。

 ……何を今更、誰かに頼ろうとしてるんだ。

 推進翼を点火させ、イグニッション・ブーストをかけようとした。

 仕方ないなぁ。

 誰かが耳元でそう呟いた気がする。

 最後まで残っていた、数字だけのウインドウが点滅し始めた。

「……え?」

 荷電粒子砲の修復、開始。

 追加兵装の展開、開始。

 ルート2、次段階への移行、開始。

 目まぐるしく仮想ウインドウが開いては、一瞬で消えていく。

 行くよ、ヨウ君。

 推進翼が巨大化し始め、機体装甲がより鋭い形へ変化し始めた。

 その後に、背後にいくつもの新しいビットが浮かび始める。そのどれもが、荷電粒子砲に巨大な推進翼をつけたような、ISほどもある大きさの兵装だった。

『追加武装:RK』

 国津玲美(KunituRemi)

 今、オレの背中を押す力を、確かに感じた。

 

 

 

 

 

「あーあ、人の話も聞かずに」

 篠ノ之束は、二瀬野鷹が飛び去った方向を見つめながら、呆れたような顔で呟いた。

「さて、私も行くわ」

 青い装甲のISを身にまとい、エスツーと呼ばれている女性が歩き出す。

「壊れた紅椿の二番機で、どうするの?」

「修復は完全ではないけれど、何かの力にはなれるでしょうし」

 強ばった口調で告げ、甲板の端で推進翼を広げようとした。

「それでエスツー、この少年の両親は誰?」

 飛び立とうとするエスツーを、 篠ノ之束が鋭く冷たい言葉で制止させる。

「さて、何の話かしら。二百年後の織斑一夏と篠ノ之箒のクローン、その二人の子供ってだけじゃダメなの?」

 呼び止められた方は、少しトボけるように答えた。

 小馬鹿にしたような顔で、束がわざとらしくため息を漏らし、

「織斑一夏のクローンは、基本的に存在しないはずだろうねえ」

 と呟いた。

「どうかしらね」

「そんな戦争の種にすらなりそうなものを、ちーちゃんが後世に残すはずがないし」

「……さて、どうかしら」

「カンかな。女のカン? そんなものは私にはないかあ。じゃあ、推測でいいや。この『時の彼方』の中心の位置座標は、二百年後の時間座標と同じ場所」

「そうね、それをISのエネルギーで膨張させ、貴方たちの時代の時間座標まで時を超えることを可能としている」

「つまり、私がいた時代と二百年後までの時間、その全てが繋がってるわけだよねえ。ルート3・零落白夜さえあれば、その間にだけなら、時間移動が可能な状態ってわけだ、そういうわけだ」

「そうね、そうなるわね」

 振り向かずに答え続けるエスツーに、篠ノ之束は少年の寝顔が映った仮想ウインドウをつまみ上げ、投げつけるようにして投影場所を移動させる。

「じゃあエスツー、再度、質問。この少年の両親は誰?」

 再び繰り返された質問に、青い装甲の肩がビクリと跳ねた。

「……織斑一夏と篠ノ之箒の、クローン」

 彼女の返答は、明らかに動揺を覚えているとわかるほどに、声が震えていた。

「ウソだよね」

 妹を優しく叱る姉のような笑みを、篠ノ之束が浮かべていた。

「貴方がディアブロを破壊する、なんて暴挙に出ようとしたのは、それを確かめようとしたせい?」

「もちろん、確信を持って、破壊しようとしたのさ。全てを説明する必要がある?」

 最後の言葉だけが、少し責めるような語気を帯びていた。

「ないわね。おそらく貴方が推測した全てが正解だわ」

 泣くような声で答えるエスツーの元へ、篠ノ之束が歩いて近寄る。

「エスツーはさ、私たちの時代から二百年後に、存在しないはずの織斑一夏と本物の篠ノ之箒に出会ったってわけなんだ」

 その質問に、エスツーは顔を見られないよう頭を垂れたまま、小さく頷くだけだった。

「ここが始まり、か。じゃあ、私たちはやっぱりディアブロを止めなければならない。破壊してでも。違う?」

「ちが……わないわ」

「私がディアブロを破壊しようとしたのも同じ理由。あの二人の子供を、救いたかった。私の可愛い箒ちゃんなら、そう願ったかなぁって」

 懐かしむような眼差しで、虚空を見つめる。

「違わない、それは合ってる」

 青い装甲を身につけた白衣の女性が、束と同じような視線を見つめる。

「もう一つ、ウソを暴こうかなぁ」

 人差し指を頬に当て、世界最高の頭脳が悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「もういいわ」

「十二年前から改変した場合、未来から来た人間はどうなる? キミはあの子たちにこんなウソを答えたね。すでに存在しているものだから、いるものとして未来が確定していく、と。これはウソだね。大きな大きな、とんでもないウソだ」

「もう……いい」

「十二年前から後に生まれた未来人は全て、いなかったことになる。十二年前から歴史が刻まれるだけ」

「だから、束! もう!」

「エスツー、キミの目的は全て犠牲にして、一番最初の世界をやり直しにさせ、二百年後の過ちを正すことかな」

「束!」

 悲痛な表情で振り替えし、エスツーは束の襟元を掴む。その息は荒く、ウソを暴こうとする天才に対する殺気に溢れていた。

「さあ、離して話して放してごらんよ。例えば、二百年後の少年『ヨウ』が生まれるときに、キミは犯した罪をさ。血気盛んな才気溢れる天才が犯した罪をやり直したいんだよね?」

 それでも相手は余裕の溢れる態度を崩さす、楽しげな顔のままエスツーを見下ろすだけだ。

「そうよ! それの何が悪いのよ! 私が殺したと同じ、私は何故か二百年後に現れた織斑一夏と篠ノ之箒を、遺伝子強化試験体研究所に渡してしまった! 紅椿を覚醒させてしまった! 失敗の連鎖よ! 過ちをやり直すことの何が悪いのよ!」

「ふふふふ、さあ漏らしたね。あははは、告げちゃったね。キミの目的はやっぱりそうか。十二年前から『隕石を壊さずに』やり直して、もう一度最初の世界を再現し、自分の失敗を正すことかぁ。そうすれば、ヨウって子は、少なくとも親と一緒に成長して幸せになる可能性があるからね」

「だから、それの、何が悪いのよ!」

 束の胸に顔を埋め、金切り声で叫ぶ。

「悪い? 悪くない? 善悪を語るのかな? それとも諸悪を語るのかな?」

 それでも篠ノ之束は容赦しない。

 篠ノ之束は独善的であり、自分の善悪を完全に把握している。ゆえに間違いはあれども自分に嘘を吐くことはなく、言いたいことを言う。だから彼女は煙たがられる。誰よりも優れた頭脳の持ち主が告げる言葉は、常に真実なのだから。

 そして真実を突きつけられるはつらいことだ。

 それが篠ノ之束に近い頭脳を持つ人間であっても、篠ノ之束より優れていなければ、優位性のある真実が胸に突き刺さるのだ。

「エスツー、聞いてみなよ。彼に気持ちを聞いてみなよ」

「何を聞くのよ! この時代まで来て、自分の体もない心だけの存在になった子が、幸せだなんて」

「そんなの、あの子以外の誰にもわかんないじゃん」

 楽しげに人の罪を暴いていた束の言葉が、氷点下に冷やされたナイフのごとき冷たさを帯びる。

「……束」

「織斑一夏や篠ノ之箒と同じ時代に生きて。息を吸って吐いて、血液を循環させ指を動かし足を進ませ、ISを操って空を飛ぶ。十二年前より復讐のために生きてきたとか、そういうことじゃないんだよね、きっと」

 すがるように抱きつくエスツーの体を優しく剥がし、彼女の瞳を見て優しく笑った。

「彼はきっと世界を愛してるよ、この私と同じように。そうでなければ」

「だけど……」

「だから自分が許せない」

 彼女の言葉は、まるで遠い誰かに問いかけるような響きをしていた。

 

 

 

 

「ヨウ……?」

 誰かが彼の名前を呟いた。

 それに構うことなく、八つの雷撃がごとき光は、唯一生き延びたジン・アカツバキへと集中して注がれる。

 灰色の空高くに現れた、禍々しい光沢を持つ黒い悪魔のようなインフィニット・ストラトス。

 ディアブロと呼ばれた存在を、超越者を名乗るISが仰ぎ見た。

「ヤタのカガミ!」

 紅蓮の神が自分を守るために展開したのは、全ての光を跳ね返す神器だった。その兵装は、今まで光学兵器の全てを弾いてきた。ディアブロの周囲に浮かぶ巨大な荷電粒子砲も同様だ。

「うぜえんだよ、その盾は! ダンサトーレ・ディ・スパーダ!!」

 二瀬野鷹の背中から、二枚の推進翼が回転しながら落下していく。

 自由意思で飛行する巨大な剣が、地面すれすれまで近づいた後、横方向に回転しながら敵に襲いかかった。

 荷電粒子砲を跳ね返した銅鏡のような盾を、巨大な刃が貫いてただの土塊のように破壊する。

「ひれ伏せ、クソッタレIS野郎!!」

 防御が失われた敵へ、ディアブロの荷電粒子砲八門が同時に撃ち放たれた。強大な圧力を持つ幾筋もの輝きが、敵を地面へと抑えつけにかかる。

黎烙闢弥(れいらくびゃくや)!!」

 だがジン・アカツバキは即座に両刃の短刀のような武器を抜き出して、上方へ振り上げた。

 そこから伸びた光の刃が、天を貫かんばかりの大きな光の柱となる。

 荷電粒子砲ビットを、撃ち放たれた攻撃ごと薙ぎ払った。ディアブロの周囲に浮かぶ遠隔操作兵器の全てが大爆発を起こして消えさった。

「貴様を倒せば終わりだ!」

 紅蓮の神の巨大な鉄槌が、空に浮かぶ悪魔へと振り上げられる。

「今更、んなもん!」

 だがスピードが最大の武装であるディアブロは、超巨大エネルギーブレードをスレスレで回避してから、ソードビットを回収し背中に合体させた。

「落ちろ、二瀬野鷹!」

「誰が落ちるか、チクショウ!」

 本来の推進力を取り戻したと同時にスピードを上げて、二瀬野鷹は自身を弾丸と為すべく左腕を伸ばし、敵へと音速を超えて降下する。

 狙いは、巨大な剣を振り払った後の隙だった。

 相手の兵器はその大きさゆえに小回りが効かない。そこを見抜いての突撃であった。

「甘い」

 しかしジン・アカツバキも動きを読んでいたのか、背中から生えた二本の副腕に刀を構える。

 空気の壁を破壊しながら迫る黒い悪魔へ、飛び上がりながら神速の刃を斜め下から振り上げた。

 鋭いカミソリのような一撃が、二瀬野鷹の左腕を根元から吹き飛ばす。

 べクトルをずらされたせいで、ディアブロがジン・アカツバキから大きく外れた場所へと激突した。

 地響きが周囲を揺らす。周囲の瓦礫が大きく跳ね上がった。その土塊が宙に浮いている間にも、紅蓮の神が次の攻撃を準備していた。

「トドメだ」

 ジン・アカツバキが、今までの数倍は大きいであろう光の柱を、不倶戴天の敵である二瀬野鷹へと振り下ろした。

 

 

 

 

 

 二機の放つ攻防に灰色の大地がが揺れ続ける。

『全員、こちらへ待避!』

 倒れていた一夏たちの上から、鋭い口調の命令が響いた。空を見上げれば、自分たちが乗ってきた方舟が降下してきていた。

 声の主は方舟の中心で、操艦を担当しているクロエ・クロニクルだった。

「だ、だけどヨウが!」

『今のお前たちに出来ることはない。あの威力の攻防に巻き込まれては、いかに白式といえども一瞬で吹き飛ぶ』

 一夏の反論が冷たい口調で遮られた。何か言いたげに方舟を見れば、船の縁にエスツーが立って覗き込んでいるのが見える。

 その様子を見た一夏は、ジン・アカツバキとディアブロの戦いを一瞥して悔しそうに唇を噛んだ。

「千冬姉、一度撤退してくれ。何かあったみたいだ」

「……ああ。了解だ」

「他のみんなも、スラスターが生きてるヤツは手を貸して、すぐにここを離れる。方舟ごと巻き込まれるわけにはいかない」

 一夏の指示に、ボロボロになった他のパイロットたちも、手を取り合って上空の母艦へと帰投していく。

 最後に飛び立とうとしていたラウラが、未だに地面に足をつけたままの一夏と視線を向けた。彼はその意図に気づいて、何も言わずに首を横に振る。

 ラウラが呆れたようにため息を吐いて、ゆっくりと方舟へ向かっていった。

 甲板に降り立つと同時に全員がISを解除し、船の縁からヨウとジン・アカツバキたちの戦闘へ目を懲らす。

「あれだけ苦労した、灰色のISを一撃でしたわ」

「どんだけバカバカしい戦闘よ」

 遠ざかっていく方舟の上で、セシリアと鈴が半ば呆れたようにぼやく。

 まるで自分たちの進化形とでも言わんばかりの存在たちに対し、彼女たちの旗色はかなり敗色濃厚だった。何せ敵は諦めず、諦めない限りはジン・アカツバキより送られたエネルギーにより、復活と進化を果たすのだ。

 未来の再現とでも呼ばれるべき敵機たちを、ディアブロは一撃で葬り去った。それらが、何かを思う暇もなく、粉微塵に砕きすりつぶしたのだ。

 ここは、アイツらに任せるべきか。

 ラウラが心の中で悔しげに決断をしようとしたときだった。

「……玲美ちゃん?」

 沙良色悠美がポツリと少女の名前を呟いた。

 全員が甲板の隅に寝かされた少女を見つめた。その側には彼女の父親が拳を握り、うつむいていた。

「え? 玲美?」

「玲美さん?」

「玲美……」

 かつてのクラスメイトたちがその名を呼べども返事はない。

「理子? ……玲美はどうした」

 ラウラが問いかけると、少し離れた場所から、

「織斑マドカが殺したわ」

 とエスツーが答える。

「殺した……?」

 眉間に皺を寄せて尋ねるラウラに、エスツーは首を横に振った。

「彼女はもう一人のルート2、未来から過去へと戻り、歴史を変えようとしていた。つまりジン・アカツバキと異なる勢力だったのよ」

「どういう……どういうことだ!?」

 食ってかかるラウラが詰め寄るが、エスツーは悲しげに目を伏せ、

「この少女はヨウを殺して、また十二年前からやり直そうとしていた」

 と呟いた。

「裏切ったのか? 玲美が!?」

 要領を得ない回答に苛立ち、ラウラが手を伸ばして首を掴もうとした。

「世界は五週目に辿り着いて、二人目のルート2とジン・アカツバキは次のやり直しを行おうとしていた」

 船の舳先に立ち背中を向けていた束が、織斑千冬に向けて投げ捨てるようにセリフを口にした。

「国津、国津玲美は」

「国津三弥子という存在の中には、四週目の国津玲美が入っていて、それが邪魔しようとしたってわけ。それで私はディアブロごと破壊してしまおうと思いついたのさ」

「……束、何のために」

「何のため? 邪魔だからさ」

 当たり前のことを聞くな、と束が不快げな顔を浮かべた。

「……そうだな。そうだ、お前はいつもそういうヤツだった」

「ちーちゃん、今更でしょ。ジン・アカツバキも倒す、過去からのやり直しを行わせない。現状の戦力を考えればディアブロなんていらないわけだし。ジン・アカツバキを倒すだけなら、ルート3があれば足りるはず。まあ、嫌な予感がするから、私はずっと待機してるわけだけど」

 背中を向けたままの篠ノ之束が肩を竦めた。

「じゃあ、行こうか、ちーちゃん」

「見つけたのか」

「陽動ご苦労様ー。索敵完了さ」

 脳天気な束をよそに、千冬は遥か地表付近で行われる光の攻防へと視線を動かす。

「もう、やれることはないか」

「ここではね。そして、敵は私向けの敵を用意しているはず。なるべく温存していきたいけどー」

 束が黙々と他人のISを整備するエスツーを一瞥した。千冬も一瞬だけそちらを見た後、すぐに目の前の旧友に視線を戻す。

「方向は」

「上さ。ここに浮かぶ灰色の太陽へ。あれこそがこの『時の彼方』を膨張させる源」

「了解だ。攻撃手段は?」

「ルート1・絢爛舞踏を打ち破れるのは、ルート3・零落白夜のみ。それは理論上証明済みだから、ちーちゃんかマドっち、それかいっくんがいれば良いよ」

「零落白夜の有効射程は?」

「現状の白式と暮桜では、4キロが限界かなぁ」

「そこまで近づかなければ、意味がないというわけか」

「せめて、初代白騎士があればね」

 その名前を口にしたとき、束は妙に嫌そうな表情を浮かべていた。

「二人で決めて解体したのだ。悔やんでも仕方あるまい」

「で、どうする?」

 片眉を上げて挑発的に尋ねる束に対し、千冬は無愛想な顔つきを変えずにいた。

「もちろん、向かう」

 疲れた様子で頷く千冬へ、ナターシャ・ファイルスが、

「どこへよ」

 と至極まっとうな質問を投げかける。

「我々の目的は箒を救い出すことと、囮だった。それは二瀬野たちを信じて任せる」

「はぁ?」

「船に束を残していたのは、索敵のためだった」

「索敵? 何を探していたのかしら?」

 訝しげな様子のナターシャたちに、千冬は少し疲れたような顔で、

「もちろん、紅椿のISコアだ」

 と答えたのだった。

 

 

 

 

 

 二瀬野鷹がよろけながら立ち上がり、口に詰まった土を吐き出す。血が混じった砂利が灰色の大地へ飛び散った。

 彼がチラリと見た左肩の先は、すでに失われていた。ジン・アカツバキからの迎撃により、吹き飛ばされたのだ。

 まだこっちか。何の因果かねえ。ラウラにぶった切られたときと一緒か。

 心の中で自嘲しつつ、彼は空を見上げる。

 そこには紅蓮の神が、巨大なエネルギーソード・黎烙闢弥(れいらくびゃくや)を振り上げていた。

「くたばれ」

 逃げる場さえないように思われる攻撃を見てもなお、彼は不敵に笑う。

「残念だけどな、オレはもう一人じゃねえんだよ!」

 パチンと指を鳴らす素振りをする。

 攻撃を仕掛けようとしたジン・アカツバキが突如、上方からの攻撃を受けて地面へと吹き飛ばされた。

 その攻撃の元は、先ほど破壊されたはずの荷電粒子砲ビットだった。

「先ほど破壊したというのに!」

 凶暴な横殴りの強力な圧力を受け、紅蓮のISがふらついた。

「だからもう、一人じゃねえんだよ!」

 二瀬野鷹が叫ぶと同時に、今度は彼の背後の空間から、八つのビットが出現する。

 上空と横からという二つの方向から、通常のISなら一瞬で焼き尽くすほどの攻撃が、立て続けに仕掛けられる。

 予想外の連続砲撃から逃げることすら出来ず、ジン・アカツバキの手元から光の剣の元となる両刃の短刀が弾き飛ばされた。

 上方へは多数のビットを展開させ、正面には両腕と副腕を防御へと回して防御一辺倒の構えを取る。

「だが、この程度なら耐えられる!」

「さあて、どうだか……なぁ!?」

 ディアブロは荷電粒子砲の隙間を縫いイグニッション・ブーストで滑走する。すぐさま前方に宙返りをし、加速を乗せた状態で背後のソードビットを撃ち出した。

 空中を自走する二本の刃が、相手のシールドビットを弾き飛ばす。その攻撃で、上空への壁が破壊された。

 四つの腕が融解し始めたジン・アカツバキは、焦りの顔を浮かべながら後退しようと試みる。

 だが、すでにディアブロがすぐ間近まで迫っていた。

「ここで、過去の私を失うわけには!」

 紅蓮の神が地面を踏みしめ、腰を落とす。その動作とともに球形のシールドが彼女を中心に展開され、巨大なビットからの砲撃を遮り始めた。

「絶対防御か!! そんなものを使うなんて、よっぽど余裕がねえんだな!」

 ISの最大のガード機構である『絶対防御』は、通常のシールドを使うよりも多大なエネルギーを消耗する。いかに膨大な貯蔵量を誇るジン・アカツバキといえども、常時展開出来るような機能ではない。

「貴様を落とせば、いくらでも!」

「さあ、返してもらうぜ!」

 ディアブロのパイロットが挑発するような言葉とともに、切断され先のなくなった左肩を突き出して、突進をしてくる。

 その瞬間、ディアブロに変化が起きた。

 左腕のあった場所に光の粒子が集まり、日本刀を重ねたような鋭い形の左腕部装甲が出現する。

 それは、二瀬野鷹が左腕を失っていたときに展開されていたものと同じだった。

「やはり化け物ということか!」

「刺し違えてでも倒す!」

 絶対防御すら易々と突破し、二瀬野鷹が異形の左腕を伸ばした。

 ジン・アカツバキの背中から生えた副腕が、その攻撃を受け止めて弾き返す。融解し始めていたマシンアームが中間部分で折れてはじけ飛んだ。

「この邪魔者がぁぁぁ!」

 負けるわけにはいかないと、紅蓮の神が声を荒げながら、手に刀を出現させ横一文字に薙ぎ払った。

 今、全身をぶつけるような攻撃を跳ね返され、二瀬野鷹の体勢は大きく崩されている。

 彼を殺そうとする刃から、逃げることは不可能だと思われるタイミングであった。

 しかし、その顔は笑っている。

 ジン・アカツバキが表情に気づいたときには、すでに遅かった。

 二瀬野鷹の全身全霊の攻撃を持って仕掛けた攻撃の全てが、注意を他に向けさせないための囮だった。

 背後に倒れようとしていたディアブロの後ろ、遥か遠くには織斑一夏が立っている。

 彼の目的は、初めからヨウという少年を救うことだ。

 だから、方舟に乗らず一時退避しただけで、後はずっとチャンスを窺っていたのだった。

「ルート3・零落白夜!」

 純白のISが放つ輝く刃が、紅蓮の神と黒い悪魔の間に断裂を生む。

 イメージインターフェースを通過し、織斑一夏の祈りを体現した刃が、紅椿を操るジン・アカツバキの気配だけを正確に断ち切ったのだった。

 

 

 

 

 

「あれ、一夏は?」

 一人足りない事実に気づき、鈴が周囲を見渡す。

「あのバカなら、すぐに追いついてくる」

 その質問に答えたのは、ラウラ・ボーデヴィッヒだった。

「ああ、ヨウと箒を助けるために残ったんだ」

 呆れたように鈴が呟く。

 彼女たちの視線は遥か下方に見える、光の乱舞する戦場に向けられていた。

 現在、方舟は地平線のない時の彼方の大地を離れ、先端を灰色の太陽へ向け飛び続けているところだった。

「ジン・アカツバキのISコアが、この先にあるのか」

「間違いないよ。考えてみれば簡単。エネルギーの象徴と言えば、太陽だよね」

 千冬の言葉に、束が自信満々に答えた。

「さて、最終局面か」

「ちーちゃん、大丈夫?」

「何がだ?」

「落ち込んでるんじゃないかと思ってさあ」

 腕を組んで渋い顔をしていた千冬に、束が笑顔ですり寄ってくる。

 束は先ほどの戦闘で、千冬が諦めかけていたことを知っていた。

 彼女は弟を亡くしたことで、心が折れかけている。それでも戦っていた千冬だが、大きな心の柱を失い本来の精神的強さは大きく失われていた。似たような存在は二瀬野鷹と一緒に戦っているが、それでもドイツに渡り強くなって帰ってきた弟がもう存在しないことで、彼女は心の平衡を崩しているのだった。

「問題はない」

 それでも、こう答えるしか出来ないのが織斑千冬である。篠ノ之束はそんな不器用な彼女を見て、少し嬉しそうに笑った。

「まあ、仕方ないよ。でも、信じなきゃ。いっくんたちを」

「……一夏を、か」

 目を閉じて呟く千冬の顔に、束がぐいっと顔を近づける。

「すでに残された道は少ないよ」

「わかっている。だが……」

「ちーちゃん。私の力は当てにしないよーに」

「束?」

「ジン・アカツバキは絶対に、私に向けて最強の刺客を差し向けてくるはず。未来の再現って言えばいいのかな。エネルギー体によるキャラクターたち。その中でも最強の存在を、最終防衛システムとしてるはずさ。ま、そのためにこっちもずっと温存してたんだけど」

「お前がそこまで恐れる相手か。予想は付くが」

「まあ、そういうことだね。本当なら、あそこでディアブロを破壊して、過去への改変を防ぎたかったけどなぁ」

 わざとらしく唇を尖らせ、世紀の大天才が負け惜しみのような言葉を吐く。

 その様子を見て千冬は小さく頬を緩ませた。

 だがすぐに真剣な表情へと変え、

「ジン・アカツバキは必ず我々の手で仕留めなければならない」

 と決意を新たにする。

「最後に、あの子を元の体に戻しちゃいけない」

 まるで遺言書でも読み上げるかのような、平淡にと努める口調だった。

「何故だ?」

「効果は見てのお楽しみさ。あの子の本当の体は、あの二人の子供で、なおかつ白騎士に乗ってるんだよ」

「……なるほどな」

「まあ、この中で唯一強制IWSが使えるエスツーが決めることだけど」

「強制IWS?」

「最も、ちーちゃんが十二年前に戻ってやり直したいっていうなら、あの子を犠牲にするべきなんだろうけどね」

 ニヤニヤと笑いかける束だったが、彼女の挑発に対して千冬は神妙な顔で首を横に振った。

「それだけはしてはならない」

「おやおや良いのかい?」

「過去に戻ってやり直す、それ自体はとても魅力的な選択肢だろう。そして我々が覚えていないなら、罪悪感に怯える必要もない。だが、やはりな」

 千冬は甲板でISの応急修理に励むパイロットたちを見回した。

「今の私の心が、死んでしまうのだ」

 まだ前を見続ける彼女たちを、千冬は頼もしげに思えて僅かな笑みを浮かべた。

「今の、ね」

「この私が二瀬野を犠牲にし、過去に戻らせて十二年前からやり直す世界を作らせたとして、それは果たして一夏に顔向け出来る結果なのか」

「悔いを残さず、生き抜きたい?」

「悔いを残さない人生などない。それは十二年前に戻ろうとも同じだ。何か間違いが起きるたびにやり直すのか? そこから新たな悲劇が起きるかもしれないのに。ならば、過去に戻ってやり直すのと今から前を見て進むこと、どちらもリスクは同じだ」

「うんうん、そうだね。結局、そこがわからなければ、前には進めない」

「過去に戻ってやり直すことが素晴らしいなら、今から前だけを見て未来に進むことも素晴らしいはずだ。故にどちらも同じ程度の価値しかないならば、未来に進むことを選ぶとしよう。そうでなければ」

「うん、そうじゃなきゃ」

「織斑一夏が姉とした人間の、生き様ではない」

 諦めかけた自分を鼓舞するわけではなく、ただ大事であった人間に恥じないよう生きる。それが織斑千冬の最終選択だった。

「私は楽しみだね。最後まで見られないのが残念だけど」

 心底残念そうに呟いた言葉の意味を、千冬は計りかねていた。

「束?」

「きっと私たちの意思を継ぐ彼が全てを台無しにしてくれるよ。もう、それはびっくりするぐらいに」

「そうか。それは楽しみだ」

 自信を持って答える千冬の顔を見て、それまで寄り添っていた束が一歩離れる。

「もちろんだよねーそれは箒ちゃんもだよ。だって、あの二人は希望を子供に託したんだから」

「子供?」

「見てれば、わかるよ。ほら」

 束が船の後方に広がる灰色の大地を指さした。

 どこまでも広がっていた地平線のない世界が、彼女たちのいる場所を中心に大きなうねりを立てていた。地表が瓦礫になり、空中に浮いては光の粒子となって消えていく。

「あれは……」

「もうジン・アカツバキに余裕はないよ。過去の自分という最高性能を持つ端末を破壊され、形振り構わずに仕掛けてくる」

「箒たちを世界の外にある『無』に飲み込んで始末する意味もあるか。しかしそれは」

「全ての始まりだろうね」

「しかし、一つの世界の終わり、か」

 それ以上は言葉を発せずに、上昇しく方舟の縁から二人が眼下を見下ろしていた。

 乗り合わせた他の人間たちも同様に、視界の端から崩れていく世界を何も喋らずに眺めていた。

 崩れた場所には光さえも通さない暗闇が広がり、地平線すら見えなかった地上は、端から飲まれていく。

『束様、IS反応です!』

「くーちゃん? ジン・アカツバキのISコアまではまだ遠いはずだけど?」

『これは……無人機です。IS連隊の基地を襲ったマルアハが』

 方舟の目指す先に、無数の光が現れた。

 それは連隊基地を襲った後に、いつのまにか消えた五百機以上の可変型無人機の群れだった。

「行くか」

 弟の形見であるIS『白式』を展開した。

「ここは任せて」

 束が呟くと同時に、方舟をISのシールドに似た大きな光の壁が包む。

「これで少しは持つはずだよ。くーちゃん、最大船速!」

『了解しました』

 スピードが一気に増していく。

「全員、戦闘準備!」

 千冬が号令をかけるよりも早く、ISを持つ人間たちは全員、武装を展開していた。その装甲はいたるところに損傷が見られるが、瞳の輝きを失っている人間は一人もいない。

 その様子を見て、千冬は自嘲の笑みを浮かべた後、

「目標はジン・アカツバキのISコアだ。二瀬野鷹の手など借りん。バカは置いていく。では突っ切るぞ! 」

 と力強く言い放ったのだった。

 

 

 

 

 

 一夏が両腕で抱えていた箒が、寝苦しそうに身をよじる。

「目が覚めたか?」

「いち……か?」

「おはようさん」

 寝ぼけ眼で周囲を見回す箒を見て、一夏がクスリと小さく笑う。

 しばらくボーッとしていた箒だったが、今まで起きたことを思い出したのか、ハッとした顔を浮かべ、

「ジン・アカツバキはどうなった!?」

 と慌てて一夏に問いかける。

「端末は倒したぞ」

 答えたのは、彼と彼女の横を並んで飛ぶ、黒いISのパイロットだった。

「タカ? 無事だったのか!」

「おう。残念ながらな。覚えてるか?」

 彼の問いかけに、一夏の胸の中で箒は小さく神妙に頷いた。

「夢、ではなかったんだな?」

「ああ。記憶が曖昧なのか?」

「いや、はっきりと覚えている。夢であれば良かったと思う程度だ」

 申し訳なさそうに呟く箒に、一夏が首を横に振った。

「ありゃどうしようもなかった。気に病むことはないぞ、箒」

「だが……」

「思い返しても仕方ない。俺たちは、前を見るしか出来ないんだ」

 優しく微笑む一夏だったが、箒の表情は憂鬱さを増していくばかりだった。

「おい、ゆっくり会話してる場合じゃねえぞ、お二人さん」

 織斑一夏と篠ノ之箒の幼馴染みである二瀬野鷹が、真剣そうな顔の二人へと笑いかける。

「そうだな」

 一夏も同じように笑っていた。

「どうしたんだ、二人とも。何がおかしい?」

「後ろを見てみな。世界が壊れてるぜ」

 促されて一夏の背中越しに大地へ視線を向ける。

 そこは地表を失い真っ暗闇の世界へと変貌していく場所だった。

「あれは……」

「もう余裕がねえんだろ。千冬姉たちは先行してジン・アカツバキのISコアを目指してる。俺たちも追いつくつもりだが」

「私の紅椿の反応がないな……」

「だよなあ。思いっきり、俺がぶった切ったからなぁ」

 一夏が苦笑いを浮かべながら答える。

「さて、どうすっかなぁ」

 二瀬野鷹が顔を向けた先には、黒い雲のような塊をかき分けて進む方舟が見えた。すでに肉眼では見えないほど小さくなっている。

「追いつけるのか?」

 一夏が問いかけると、

「オレ一人ならな」

 と鷹が苦虫を噛み潰したような顔で答える。

 実際、現在の彼らの速度は時速数十キロ程度だ。何故ならISを展開出来ない箒を抱えたままだったからである。

「あの暗闇に追いつかれたら、どうなるやら」

 一夏がチラリと足下を見つめる。

 すでに大地は完全に崩壊しており、暗闇は灰色の空を侵食し始めていた。

 暗闇と呼んでいたそれは、実際は完全な『無』である。

 宇宙とダークマターによって満たされた世界の外、時の彼方と時の彼方の間にある物質ではない概念であり、飲み込まれたなら、どうなるかわからない。織斑一夏はエスツーからそう聞いていた。

 その増殖速度は、二瀬野鷹のディアブロであれば振り切れる程度だった。

 しかし、箒を抱えた一夏には難しい。ISを失い完全に生身となった箒では、ディアブロの加速に耐えることは出来ない。加えて一夏のISは先の戦闘で破壊されており、推進装置もまともに動けない状態である。

 ジン・アカツバキが世界を崩壊させている理由も、それが狙いだった。

 何があろうと、織斑一夏が篠ノ之箒を置いてはいけないことを理解しているのだ。過去の自分という最大の手駒を失った未来の神としては、相手の戦力を少しでも削ぐ必要がある。

 二瀬野鷹では簡単に逃げられる。織斑一夏がついていても、ISを装着している者同士であれば、加速に耐えられる。

 しかし、生身の篠ノ之箒を抱え推進装置の失われた白式では、それもままならない。

 そういう狙いだった。

「ヨウ……先に行け」

「そう言うと思った。だが却下だ」

 二瀬野鷹も理解していた。

 織斑一夏と篠ノ之箒は、必ず自分たちを犠牲にするだろうと。

「ヨウ」

「んだよ」

「死ぬなよ」

 小さく呟いて、一夏がスピードを緩める。

「おい!」

「行け、ヨウ!」

「何でだよ!」

「俺には俺の役目があるんだ!」

 大声で叫ぶ一夏の足下には、『時の彼方』の崩壊が段々と迫っていた。

「何の話だ!?」

「エスツーと決めた話だ。どうやらここがポイントみたいだ」

 鷹は速度を落とし、一夏たちに合わせようとした。

「タカ! いや、ヨウ!」

 箒が鋭い声で呟く。

「うっせえ! 誰が置いていくかよ!」

「私たちを信じろ、きっとお前に追いつく」

 その少女は幼馴染みに真摯な眼差しを向けていた。

「絶対に、生きろよ、死ぬなんて、許されないからな!」

 一夏は箒を左腕に抱え直し、右手で雪片弐型を呼び出した。

「おい、一夏、箒!」

「ルート3・零落白夜!」

 白式の武装が刃の部分が変形し、光を放つ大きな剣へと変形する。

 一夏と箒はお互いの顔を見合わせて、小さく笑った。

「バカ! おい、このバカ野郎ども!」

 鷹と呼ばれた少年が、二人の元へ近づこうとする。

「じゃあな、また会おうぜ」

 一夏が小さな刃を振り下ろした。

 動作に相手を害す意図はなく、ただ助けを拒むためだけのものだった。

「一夏!」

「じゃあな、また会おうぜ」

「箒!」

「死ぬなよ、絶対に」

 少年少女が笑顔を見せた。

 その瞬間に、真っ暗闇が彼らを包み込む。

「一夏ぁ、箒ィ!!!」

 ディアブロと呼ばれたISのパイロットが大声で叫ぶ。

 だがその声は、何もない暗闇へと吸い込まれて消えていった。

 

 

 

 

 

 オレはその瞬間に、呪いをかけられたことを知った。

 死ぬなよ、と。生きろ、と。

 よりにもよって、一番古い仲間たちにだ。

 今でもその出会いを覚えている。

 それは小学校低学年のときだった。

「オトコオンナがリボンなんかつけて、にあわねえんだよー」

 さすがに小学校のときは授業が退屈なので、よく仮病を使ってサボっていた。

 ある日、いつもどおり授業をサボって歩いているとき、体操服の男子と女子が言い争っているのを見かけた。どうやら相手は授業の準備中に、男子が女子をからかい始めたようだ。関わるのも面倒だったので、やり過ごそうと決めて、オレは見えないように校舎の影に隠れた。

 一人は肥満体形のいかにもいじめっ子ですという男子だ。たしか隣のクラスにいたガキ大将だ。それが取り巻きと一緒にからかっている相手は、長い黒髪を後ろでまとめたポニーテールの女の子だ。歳に似合わず凛とした眼差しが印象的だが、それ以外はいたって普通の子だ。

 女の子は体育の道具を運んでいるようで、相手を完全に無視していた。その様子が気に食わなかったのか、ガキ大将が女の子の髪を思いっきり引っ張った。

「いたっ!」

 女の子が悲鳴を上げる。ようやく反応したことに気を良くしたのか、ガキ大将がさらに強く髪の毛を引っ張り始めた。

 泣かない女の子を褒めるべきだろう。気丈にも髪の毛を掴まれたまま、相手を攻撃しようとする意思はすごいと思った。

 どうするべきか。二回目の人生とは言え、今の自分はただの子供である。頭脳が大人だからって、何でも出来るわけじゃない。自分より体の大きなガキ大将と取り巻き二人に挑んで勝つような手段も持ってない。

 まあ黙ってやり過ごすべきだろ。ガキ同士のケンカとかよくあることだし、男子が女子をからかうなんて、日常茶飯事だ。その一つ一つを解決してたら、切りが無い。

「おい、やめろよ!」

 別の子供の声が響く。そちらを見れば、正義感あふれる表情の男の子が、拳を握って立っていた。

「ダンナだ、ダンナが来たぞー!」

 ガキ大将が囃し立てる。

「うるせええ」

 それだけ叫んで、真っ直ぐ走りガキ大将を殴る。その拍子に女の子の髪を持つ手が離れた。

 ガキ大将は尻もちをつき、殴られた頬に手を当てて、茫然とした顔で正義の少年を見上げる。

「オンナをいじめるなんて、カッコわりいまねしてんじゃねーよ!」

 ……どこにでもいるんだな、ああいうヒーロータイプってのが。まるで物語に出てくる主人公みたいだ。

 涙目になったガキ大将が何か叫ぼうとしたとき、

「こら、いつまでも戻ってこないと思ったら!」

 と女の先生が歩いてきた。

「せ、せんせい、おりむら君がなぐってきました!」

 取り巻きの男子がいきなり告げ口をする。

「おりむら君、またアナタなの?」

 先生が厳しい顔で正義の味方を見下ろす。だが、おりむら君とやらは、その視線に怯みもせずに、

「あいつらがまた、ほうきにちょっかい出してたんだ!」

 と言った。

「だからといって、暴力はいけません!」

「さきに箒に手を出したのはあっちだ!」

 正義の少年おりむら君は、大人の叱責にすら全く怯まず、自分の筋を主張した。

 だが悲しいかな、髪を引っ張ったという痕跡は残ってないし、ガキ大将の頬は拳の形がきっちり残ってる。

「そ、そうだ、いちかはわるくない」

 女の子がフォローを出す。いいぞ、ナイスだ。

「先に暴力を振るった方が悪いんです! さあ、こっちに来なさい」

 おりむら君とやらが腕を掴まれて、無理やり連行されて行く。女の子が何か言おうとしたが、お構いなしだ。

 くそっ、仕方ねえ。

「待ってください」

 オレは隠れていた場所から出てきて、先生に声をかけた。

「あら、貴方は隣のクラスの」

「二瀬野です。すみません、お腹が痛くて保健室に行こうとしたら、声が聞こえてたので、気になって見てました」

 さすが二回目の人生。小学校二年らしからぬ口調と言い訳も完璧だと自画自賛。

「それならさっさと保健室に」

「先に女の子の髪を引っ張ったのは、そっちの子です」

「え?」

 女の先生が目を丸くしてオレの顔を見る。

「そっちの男の子三人組が、女の子をからかって、髪の毛を強く引っ張ってイジメてました。そこにそっちの、おりむら君って子が怒って止めに入りました」

「ホントなの?」

 疑わしげな目で生徒たちを見回す。

「本当です。信じてもらえなくてもいいですけど、嘘は言ってません。先生が信用しないんでしたら、教頭先生に言ってみます」

 そう言ってオレは踵を返して立ち去ろうとする。

「ま、待って、待ちなさい!」

 女の先生が慌ててオレに駆け寄る。

 日頃から仮病でサボっても怒られないようにするために、教頭先生の車を褒めたり大事にしてる花壇の世話を自発的にしてきた。愚痴だって聞いてやってる甲斐があろうってもんだ。ちなみに小学校でクラスにイジメが起きると、教師は上司から色々言われるぐらいは知っている。だからわざわざイジメという単語を使ったんだ。

「そ、それが本当なら、織斑君は悪くないのね。篠ノ之さんも大丈夫だった?」

 そこでようやく慌てた様子で、正義の少年たちの方へ駆け寄る。

 ん? 織斑君と篠ノ之さん? 何その変わった名字。

 正義の少年が憮然とした顔で頷くと、女の先生はガキ大将たちを引っ張って、

「じゃ、じゃあほら、貴方達は一緒に来なさい。織斑君と篠ノ之さんも早く授業に戻るのよ!」

 と、そそくさと立ち去って行った。保健室で治療しながら説教でもするんだろうか。

「ほうき、だいじょうぶか?」

「お、おまえが来なくても、ひとりであんなやつらぐらい」

「そっか、でもまあ、ぶぜいにぶぜいだし、手助けぐらいさせろよ」

 多勢に無勢な。それじゃ誰もいなくなるだろ。

 しっかし、こんな正義の少年、いまどきいるんだな。女の子の失礼な態度すら気にしないなんて。

「ふ、ふん、弱いやつの手助けなんかいらん!」

「そうかよ。もどろうぜ」

 正義の少年はオレの方を向いた。

「そっちのおまえ、助けてくれてありがとな」

「気にすんな」

「オレはおりむら、いちか。一組だ」

 ……なんだと。

「織斑一夏?」

「おう」

「……お姉さんは織斑千冬?」

「なんで知ってんだ?

「んじゃ、こっちの目つきの悪いガキんちょが……篠ノ之箒?」

「なんだと!」

 女の子が食ってかかるが、少年が慌てて止めた。

「まてまて、ほうき、向こうは、おんじんだ。助けてくれたら、ありがとうって言えって言われてるだろ」

「む、むむ」

「ほら、言えって」

「ぐ、た、助けてくれてありがとう」

「よし、えらいぞ」

 男の子に、爽やかに笑いかけられて、女の子の顔がみるみる紅潮していった。それを隠すためか、そっぽを向いてしまう。

「おまえの名前もおしえてくれよ」

 隣のクラスの織斑一夏少年がオレにも笑みを向ける。

 こいつらは、オレが『前回の人生』で好きだった物語の登場人物たちだ。それが何でリアルにいるんだ?

「オレの名前は」

 それが初めての、オレと主人公の出会いだった。

 今でも昨日のことのように思い出せる。結局、あの二人はあの頃から、ずっと変わらなかった。

 最後の最後まで、ずっと変わらなかった。

 

 

 

 

 

 









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