ルート2 ~インフィニット・ストラトス~   作:葉月乃継

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48、メテオブレイカー(ディアブロズ・ブラック)後編

 

 

 

 

 透明な壁に包まれた方舟が、空へ空へと進んでいく。

「うーん、シールドを突破する機体がいるなんてねえ」

 束が頬をポリポリと人差し指で掻いた。

 戦闘機型から人型へと変形した無人機のうち一機が、まるで布を引き裂くように半透明の防護幕を破り、内部へと進入してくる。

「千冬はそのまま、無駄なエネルギーを使わないで! 他のみんなは、進入してくる機体を迎撃!」

 無意識に動こうとした千冬を、エスツーの言葉が制止する。

 彼女の持つ零落白夜は、ジン・アカツバキを機能停止させる最後のキーだ。ゆえに、これ以上の損耗は許されず、エスツーも絢爛舞踏によって白式へエネルギーを注ぎ込んでいた。

 悔しそうに唇を噛む千冬を見て、IS学園生徒会長の更識楯無が槍を構える。その先端にはナノマシンで操られた高圧の水がまとわりついていた。

「全員、迎撃準備、IS学園側は正面を、連隊側の人は側面と背後をお願い!」

 凜とした声による指示に、パイロットたちは武器を持って甲板で陣形を作る。

「撃ちますわ!」

 真っ先に引き金を引いたのはブルーティアーズを駆るセシリアだった。

 青白い光が真っ直ぐ無人機へ伸び、その中心に風穴を開ける。

 全員がホッと一息を吐こうとした瞬間に、次の一機が違う方向から方舟へと向かってきた。

「くっ、こっち!」

 シャルロットの操るラファール・リヴァイヴが手に持ったグレネードランチャーで次の無人機を破壊した。

「どんどん来るわよ!」

 そう叫んだのは、赤い色のアスタロトを駆る鈴だ。

「HAWC系統のランチャーとルート3は使わないように! 束のシールドが内側から破壊されるわよ!」

 エスツーの言葉に鈴が引き金から指を離した。

「って、どうすりゃいいのよ! シールドは突破されるわ、相手は五百機以上残ってるわ!」

 船舶型ISとも言える物体の甲板上では速度が感じられないが、すでに速度は音速に近い。しかしその程度のスピードでは、ジン・アカツバキの端末である可変型無人機を置いていくことなど出来なかった。

「とりあえず進入してきたのを、順番に撃ち落としていくしかないわ!」

 楯無の叫びを受け、自然と全員が全方位を睨むように配置する。その中心に束と国津たちがいた。

「この船は落とさせん!」

 黄金色のISを使い、ラウラが次々と進入してくる敵機を撃ち落としていく。

 そのとき、船が大きく揺れた。

『下部に付かれた!』

 方舟の中心で操舵を短刀するクロエ・クロニクルが叫ぶ。

「それ……なら!」

 簪が四発のミサイルを同時に放つ。船に沿って弧を描くように飛び、真下についたマルアハを剥ぎ落とした。

「次、直上!」

 沙良色悠美が真上に向かい、マシンガンを乱射する。

「前方二十度四時方向! 二機! 捕縛!」

 リアがレーゲンがワイヤーを伸ばし、進入してきた二機を縛り付けた。

「オラよ!」

 そこにオータムの極小ビットがまとわりつき爆発を起こす。

「正面、四機!」

 ナターシャが船の舳先からビームマシンガンを向ける。低威力の段幕で動きを止められた敵に向けて、他のパイロットたちも攻撃を合わせた。

「段々と追い付かなくなってきてるぞ、オイ! 天才さんよ!」

 オータムが苛立ったような声を上げる。

 彼女が言うとおり、束の展開したシールドには次々と穴が開き、そこから虫のようにISが這い出してきては箱舟に向かい遅いかかってきていた。

 パイロットたちからは喋る余裕がなくなる。

「束、距離はあとどれくらいだ」

「五分ぐらいかなぁ。実際は行ってみないとわかんないけど」

「後は任せたぞ」

「ちーちゃん、まさか単騎で出て、ルート3使う気?」

「状況を打開するには、それしかあるまい。囮ぐらいにはなるだろう」

 千冬が武装を取り出し、船の前方に空いた穴を睨んだ。

「それは私がやろう」

 彼女たちの背後から声をかけたのは、暮桜を身にまとった織斑マドカだった。

「お前……」

「これ以上、キサマらと一緒にいたのでは、吐き気で溺れてしまいそうだ」

「しかし」

「姉さん」

 思いも寄らない呼びかけに、千冬は少し目を見開いた。

「……何だ」

「次はもう一度、織斑一夏を殺す」

 それだけを宣言し、マドカが船の後方へ躍り出た。

 シールドに空いた穴から這い出た一機にブレードと突き立てると、箱舟を一瞥し、何も言わずに防護幕の外へと躍り出た。

「アイツ……」

『千冬様、いかがされますか』

 通信回線を通して、箱舟そのものを操るクロエが千冬に進路を問いかける。

「……進むぞ。止まってはならない」

『束様』

「いいよ、進んじゃって」

 二人ともが告げた言葉少ない命令に従い、箱舟はさらに上昇していく。

 

 

 

 

 織斑マドカが雪片と呼ばれる柄だけの兵装から、大きな光を刃として撃ち出した。

「ふん……」

 思うことは何もない。

 群がってくる黒い無人機の群れを一瞥する。その数が数百機であろうと、彼女には関係ない。

「次もまた、こうであると祈ろうか……いや、祈るなど私らしくもない」

 完全にマドカを封じたはずの無人機たちが、内部からの光で次々と切断されていく。まるで球体を内部から刃で突き立てられたようだった。

「さらばだ、世界よ!」

 腕に力を込め、織斑マドカは最後の力で零落白夜を振り回した。

 最後の輝きが多数の敵を巻き込んで薙ぎ払っていく。総勢五百を超える機体のうち百機以上が消えていく。

 その剣の輝きが尽きたとき、彼女の命も尽きる。

 群がるマルアハたちに押しつぶされながらも、彼女は何故か、一夏に与えられたサンドイッチの味を思い出していた。

 

 

 

 

 圧倒的な数で方舟を覆い尽くしていたISたちは、四分の一に近い数を減らしていた。マドカが最後に放った光による攻撃が、それだけの威力を秘めていたのだ。

 おかげで、後方から追いすがっていた無人機の影はほとんど見えない。

「チッ、あのバカ」

 マドカが飛び出していった方向を睨み、オータムが舌打ちをする。

 目の前に迫った一機へ多数の極小ビットを押し付けると、勢い良く回し蹴りを放った。

 周囲をぐるりと見回せば、自分と同様に戦闘で大きく疲弊したヤツしかいない。

 その中で、ナターシャ・ファイルスとだけ目があった。

 憎まれ口を叩き合う中ではあったが、遠慮はないという意味でもあった。もし戦場でまみえれば、お互いに敵として殴り合うことが出来る人間だ。

「ったく」

 銀の翼を破壊された機体が、明後日の方向へビームマシンガンを乱射する。そこに現れた一機が音もなく落下して船から遠ざかっていった。

「何やってんだかなぁ、私たちは」

「知らないわよ、でもまあ、滅多とない経験よね」

「二度としたくはない経験だがな」

「あら、人生は初体験ばかりよ?」

「うるせえ、ビッチ」

「あら、ごめんあそばせミズ・ヴァージニア」

「殺すぞ」

「こっちのセリフ」

 罵り合いながらも、的確にシールド内部に入ってきた敵機を落とし続けていく二人だったが、顔には疲労の色が浮かんでいる。

「おい、ファイルス」

「何よ」

「年下好きか」

「そうでもなかったけど、最近は考えを改めようか思い始めてたわね。そっちは? 若いツバメでも捕まえようと思い始めたの?」

「はっ、鳥なんざ嫌いだね。いつでも自由に飛んで見下しやがる」

「ホント、正直になれないヤツね」

「んじゃあ」

「ええ」

「行きますかぁ!」

「憎たらしいけど、経験豊富なお姉さんが付き合ってあげるわよ!」

 オータムとナターシャ、二人のIS連隊隊長が、船の右側面から飛び出していく。

 今は敵の数を大量に減らさなければならない。シールドから進入してくる敵を倒しているうちは、単なる消耗戦にしか過ぎず、物量で勝る敵に勝てるはずがない。だから防護幕に遮られているうちに、戦況を好転させる。

 二人ともがそれを理解し、無言の相づちで行動を決めたのだった。

「隊長!」

「あと、頼んだぞデカパイ!」

 中指を立てて、オータムが側面に空いたシールドの穴へと消えていった。

 直後、大きな爆発が起きる。それはオータムの操るバアル・ゼブル、そのビットによる最大の爆発だった。

 おそらく全てのビットを自分ごとナターシャに破壊させたのだろうと悠美が思い当たる。

「ったく……これだから年増どもは!」

 叫びながら悠美が敵機を撃ち続ける。

 二人の攻撃によって、右側面の無人機が大きく数を減らしていた。

 次々と乗員を失いながら、箱舟は灰色の空を上っていく。

 

 

 

 

 

「……クソ、クソ、クソッ!」

 一夏と箒が姿を消し、二瀬野鷹は振り返らずに箱舟を追いかけていた。

 随分と距離を離されていたが、ディアブロの速度はISの限界を超えている。

「もうさっさと死にてえよ……」

 誰も聞いていないと思い、泣き言を漏らす。

 何で、アイツらは勝手にジン・アカツバキの元に向かおうとしてるんだよ。

 オレを待てば、少なくとも戦力になるだろ。どうして、オレを置いていく?

 わかりきった答えを否定しても、思考はすぐに同じ正解に辿り着くだけだ。

 どんだけ馬鹿なんだよ、アイツらは。死にたいヤツは勝手に死なせときゃ良いんだ。

 望遠モードの倍率を上げれば、味方は周囲を埋め尽くすほどの無人機によって囲まれていることが確認出来た。

「クソッ、墜とされるなよ!」

 そう思ったとき、船の後部辺りで大きな光が伸びて、周囲の影を薙ぎ払った。続いて小さな爆発が起きる。

「あれは……零落白夜?」

 その武装を使う可能性があるのは、今では織斑千冬とマドカだけだ。

 嫌な予感がする。

 しかし先を急ごうにも彼の速度はすでに限界に達していた。

「追いつけ、早く!」

 彼がそう叫んだ瞬間、今度は船の右側面で小さな爆発が連鎖して置き、巨大な爆発となって周囲のISを破壊していた。

 その攻撃が可能な機体に、四十院総司としては心当たりがある。

「オータム……直前の光はナターシャさん?」

 二瀬野鷹として出会った、二人の女性。

 一人は下品な敵で、一人は上品な教官だった。

「まさか……」

 考えたくはなくとも、思いつく事象は一つだけ。

「くそっ、くそっクソッ!! 早く、速く! 追いつけディアブロ!」

 遥か上空を目指して飛び続ける仲間たちの船を、二瀬野鷹が追いかけて飛んでいく。

 

 

 

 

 

「ファン、こっちへ来い」

 鈴のアスタロトのバックアップを手伝っていた岸原が、画面から手を離しパイロットに声をかける。

「何よ、今、忙しいんだっての!」

「HAWCシステムを連結する」

「れ、連結?」

「長くは持たないが、かなりの威力を出せるはずだ」

「だけど、ブースターランチャー使ったら、あの天才様のシールドを破壊しちゃうんじゃ?」

「このままじゃどちらにしても、篠ノ之束のシールドは突破される。逆に言えば、シールドが無ければブースターランチャーを使っても構わんのだ。理子、手伝え」

「う、うん!」

 理子は父に促され、パイロットを失った一機のISの元へ駆け寄る。黒い装甲のアスタロトと呼ばれた玲美の機体は、片膝と片手を甲板について、待機状態に入っていた。

「神楽ちゃん」

「は、はい!」

「辛くとも、呆けてる暇はないぞ」

「……はい!」

「幹久」

 最後に親友へと声をかける。

 だが男は娘の亡骸の横で膝を折ったまま、微動だにしなかった。

「おい」

 娘を失った男の襟首を掴み、引っ張り上げる。

 それでも相手は生気のない顔つきで呆然としたままだった。

「幹久! お前の出番だぞ!」

「岸原……」

「動けよ幹久! ここで動かないで、どうする!」

「無理だよ……だって僕にはもう何も」

「意地を見せろ」

「意地……?」

「お前には父親としての意地はないのか。シジュ……二瀬野だって神楽ちゃんの前じゃ意地を見せたぞ。お前だって意地を見せたくて、バビロンを内密に作ってたんだろ?」

「だけど……もう」

「やるぞ。絶対に意地を見せてやる。俺たちだって、父親なんだ」

 岸原大輔が国津幹久から手を離した。

「……岸原」

「このままじゃ過去に戻れようと戻れまいと、俺は娘の命をここで終わらせた馬鹿に過ぎない。だから、最後まで諦めない」

「だけど、玲美は……」

「国津玲美の父親が、理子と神楽の命を放り投げて終わる、それで胸を張れるのか!」

 叫ぶ声に、幹久が拳を握った。

 目の前の親友が言う通りだ。

 自分たちは三人揃って三人の娘を姉妹同然に育ててきた。

 玲美がいなくなろうとも、それは変わらないだろう。娘がいなくなったからといって、娘が生きた証を失わせて良いのだろうか。

「くっそぉぉぉぉ!!」

 少し裏返った弱々しい雄叫びは、国津幹久の口から出たものだった。長い付き合いである岸原大輔は、今まで聞いたことのない幹久の叫びに驚いてたじろいだ。

「み、幹久?」

「HAWCシステムのバイパス、二番から十二番を開いて一番だけ閉じて、これで逆流を防げる。それでも何が起こるかわからない。理子ちゃん、神楽ちゃん、手伝いを頼む」

 立ち上がりながら、幹久が矢継ぎ早に指示を出す。

 そこに宿った意思を感じ取り、岸原は大きく頷いた。幹久もそれに頷き返す。

 男だって負けていられない。ISが操縦出来ないからと投げ出して良いわけがない。

「シジュに一泡吹かせてやるぞ、幹久!」

「わかったよ」

 男二人がホログラムウインドウを動かし作業に入る。

 その姿を見て、神楽と理子が目を合わせ、小さく笑みを浮かべる。

「ホント、仕方ないオヤジたちだねえ」

「全くよね。でも、この人たちの娘で良かったわ」

 足下で眠るもう一人の娘の顔は、安らかな笑みを浮かべているようだった。

 

 

 

 

 

「あれは!」

 方舟を覆っていた半透明のシールドが、まるでガラスが割れるように消えたのが見えた。

 とうとう、完全に突破されたらしい。

 群がっていた無人機たちも数をだいぶ減らしてはいるが、それでも未だ数が多い。

 そこまでの距離は未だに望遠モードでしか測れないほどに遠い。

 あと少しで荷電粒子砲ビットの有効射程範囲だ。

 頼む、間に合え! 

 祈りながら加速を続ける。

 そのとき、方舟から薙ぎ払うようにレーザーが放たれた。

 見覚えのある波長の光は、おそらくHAWCブースターランチャーのものだが、推測される出力が四倍はある。

 それが薙ぎ払われるように撃たれ、群れる黒い雲のような無人機を焼き尽くしていく。

「二機のアスタロトを連結したのか? 馬鹿な、そんなことをすれば」

 制御に失敗すれば、パイロット周辺に超高温のプラズマが発生し、方舟ごと破壊されるかもしれない。

 焦るオレの視界内で、緑色のウインドウが開いた。

 敵の群れの一部が荷電粒子砲ビットの射程距離に入ったという報告だ。

「くそっ、無理すんなよ、岸原、国津!」

 犯人はわかってる。あの二人ぐらいしか、そんなことを仕掛けるヤツらはいない。

 何のかんので十二年の付き合いだ。腹をくくれば、それぐらいやってのけるオッサンたちである。

 それは同時に、自分たちが無人機から優先的に狙われる可能性を持つ、ということだ。

「玲美、頼む!」

 もういなくなった子へ、願いをかけた。

 オレの横に四機の荷電粒子砲が出現し、方舟の周囲へと砲撃を放った。

 

 

 

 

 

 鈴が引き金を引くと同時に、両手で抱えた砲身から強力なビームが放たれる。束のシールドが破壊された瞬間を狙っての、全力砲撃だった。

「食らいなさいっての!」

 薙ぎ払うように狙いを動かし、群れて寄ってくる敵を蹴散らしていく。

 彼女のISは、壁際に寝かされた同型機と繋がれ、その周囲には四人の人間が仮想ウインドウに向かっていた。

 テンペスタエイス・アスタロトと呼ばれる機体はHAWCシステムによる強力な兵器と推進装置を操る代わりに、一人では全力を発揮出来ないという欠点があった。そのために、一機辺り二人が制御に回ってサポートしているのだ。

「あとこっちのアスタロトもあと十秒は大丈夫だ! その間に落とせるだけ落とせ!」

「わーってるっての!」

 岸原の叫びに鈴が同じぐらいの音量で言い返す。

 他のISパイロットたちは、前方三百六十度を全てアスタロト連結ランチャーに任せ、残りの方向を防御に入っていた。

 ゆえに他人をカバーする余裕はない。

 一機のISがアスタロトの砲撃を食らいながらも、その手にあるレーザー発射口をバックアップ人員に向けていたとしても、防ぐ余裕がなかった。

「危ない!」

 岸原が理子と神楽を押し除ける。

「させない!」

 幹久も逃げずに手元のウインドウを叩き続けた。

 そのコマンドは連結された玲美のアスタロトを逃がすために、メンテナンス用の自立歩行モードに移行させるためのものだった。

 敵のレーザーが甲板を薙ぎ払う。

 二人の大人がいた場所が、光に包まれた。

 

 

 

 

 

「あと一分で追いつく!」

 視界ウインドウで算出された数字を見て、思わず叫び声が漏れた。

 方舟の周囲から近づく無人機たちを荷電粒子砲で撃ち落としながら、有視界で捕らえた船に向けて飛んでいく。

 荷電粒子砲を撃ち続けながら、オレは音速をゆうに超えるスピードで追いかける。

 灰色の空はどこまでも広がっていた。

 あと数キロの距離だ。

「クソッ、このままじゃ!」

 船に群がる無人機たちの数は減っている。

 それでもゼロにならない限りは、一瞬で落とされる可能性があるのだ。何せ相手は無人機といえどISなのだ。

 少しでも早くと思う焦りが奥歯を軋ませる。

 そのとき、視界にいくつもの警告ウインドウが立ち上がる。

「ISの接近反応!」

 咄嗟に横に避けると、前方に立ち塞がる機体が見えた。

「あれは」

 灰色の装甲を身につけた一機のISがいる。パイロットの顔にも見覚えがあった。

『無人機か、こんなところまで来るなんてな』

 織斑一夏。

 すぐにディアブロの情報ウインドウが敵を識別し、情報を伝えてくれる。

 未来の再現(グレイ・スケール)・織斑一夏。

 それはオレが来る前に生きていた、とある主人公を元に作られたエネルギー体だった。

 

 

 

 

 

「お、お父さん……?」

 理子がうわごとのように呟く。

 甲板の上に、岸原大輔と国津幹久の生きている姿はない。わずかに残った手足だけが、彼らが存在した証だった。

 なおかつ、今の攻撃を食らったせいで、方舟が傾き始めている。先端こそ真っ直ぐ灰色の太陽を目指してはいるが、パッシブ・イナーシャル・キャンセラーに大きな損傷を受けたのか、船体が斜めになっていた。

『被弾が多い、何をしてる、しっかり迎撃をしろ、ラウラ・ボーデヴィッヒ!』

 クロエ・クロニクルの叱咤がラウラの耳に届いた。

「手が回らん。数は未だに多い!」

『それだけ敵に近づいているということだ! 強化試験体の力を見せろ! 何のために強く生まれたのだ!』

「誰だか知らんが、その意見には同意だ!」

 ラウラのISが顔に手を当てると、眼帯が自然と外れて飛んでいく。彼女の金色に輝く眼が露わになった。

「ルシファー、四十院の男たちの意地を見せてみろ!」

 彼女が船体に張り付く機体を一斉にロックする。その数は一秒で三十を超えていた。

「ら、ラウラ、こっちにもデータを連結!」

 銀髪のパイロットの様子を察知して、隣に並んでいた簪が咄嗟に声をかける。

「許可だ!」

「もう空っぽに近いけど、ホントにこれで終わり……!」

「全門、斉射!」

「いっちゃえ……!」

 二つの機体から、追尾ミサイルが一斉に放たれた。

 数十の無人機が攻撃を食らい、爆発を起こして落下していく。

 それでもシールドを次々と突破してくる機体たちが、ラウラと簪に一斉砲撃をかけてきた。

「ラウラちゃん、簪ちゃん!」

 楯無が水のヴェールで周囲を包む。レーザービームを阻んだ。

 しかし通常より大きなエネルギーを消費したのか、その防護幕は一瞬で消え去ってしまう。

「もう一回、薙ぎ払う! 四十院!」

「りょ、了解です!」

 鈴が叫ぶと同時に、神楽が理子の操作ウインドウをも同時に操り、ブースターランチャーが前方から迫る無数の機体を吹き飛ばしてかき消していく。

「船底に五機! セシリア!」

 エスツーの指示を受けて、ブルーティアーズがレーザーを放てば、その光が弧を描いて三機を薙ぎ払う。

「シャルロット!」

「わかったよ!」

 オレンジ色のラファール・リヴァイヴが甲板の縁を乗り越え、落下する。

「シャルロット、捕まって!」

「ありがと、リア!」

 レーゲンの腕からワイヤーを伸ばし、それに捕まったシャルロットが片手で残りの二機を撃ち落とす。ワイヤーが船底に跳ね返り、その反動で元の場所へ戻ろうとした機体を目がけ、四機の無人機がレーザーを撃った。

「一気に撃ち落とす、これが自衛隊の意地ってもんでしょ!」

 打鉄飛翔式をまとった悠美が、スピーカーに似た兵装を出現させ、空間に圧力をかけ見えない砲弾を連射する。

 シャルロットに迫っていた機体が全て弾かれて、虚空へ消えていった。

 その激しい戦闘の最中、舳先に白式が立っている。手に雪片弐型を構えた織斑千冬は、悔しそうに戦闘を睨んでいるだけだった。

「ちーちゃん、三機あったはずの零落白夜はもうちーちゃんしかいないんだよ、抑えて」

 彼女の後ろで、篠ノ之束が神妙な顔をしていた。

「私しか……? あの一夏は!?」

 怪訝な表情で千冬が問いかけると、束が首を横に振る。

「時の彼方から、箒ちゃんと一緒に消えたんだ」

「……始まりに向かったんだな」

「これで良いんだよ」

 少し悲しげなセリフとともに、束が右手を伸ばした。千冬に向けて放たれた攻撃が、ISの開発者によって作られた小さな防護幕で弾かれる。

「始まり……か」

「全ての、始まりは、終わりのたもとにあったんだよ。それより、もう近い」

 束が目線を空へ向ける。

 灰色に輝く太陽と形容出来そうな球体が、彼女たちの視界を覆い尽くしていた。

「これが、ジン・アカツバキのISコア」

「あと二分で、ルート3・零落白夜の射程圏内だから」

「終わる、のか」

「さて、どうだろう」

 曖昧な言葉で濁そうとした束の顔を、千冬は肩越しに窺おうとした。

 そのとき、束の目が見開かれる。

 長い付き合いの中でも初めてみた、焦りの顔だった。

「未来の再現! とうとう来た!」

 叫び声を上げながら、束が千冬に向けて走る。

 殺気とも言える気配を感じ、千冬が前を振り向こうとした。

 彼女が捕らえた視界の先には、無人機を従えるように立つ灰色の機体が存在していた。

「白……騎士?」

『よくぞここまで辿り着いたものだ、無人機といえど侮れんな』

 二人にとっての始まりが、ジン・アカツバキのエネルギーによって性能を再現され、形を持った現れた。

『だが、ここでその進撃も終わりだ』

 その女性の体は、灰色の装甲を持ち、原初のISと同じ形をした機体を身にまとっていた。

 左腕に巨大な荷電粒子砲を持ち、その砲口は真っ直ぐ方舟を捕らえている。

『落ちろ』

 千発の大陸間弾道ミサイルを叩き落とした一撃が、千冬たちに向けて咆吼を上げた。

 

 

 

 

 

「なんだよ、この機体! さっきみんなに襲いかかってた偽物と同じヤツか!?」

『無人機のくせに異常に速い! なんだこの機体は!』

 向こうからも焦りの声が聞こえてくる。

「おいテメエ、一夏なのかよ?」

『くそっ、捕捉出来ない!』

「やっぱ聞こえねえのか!」

『だけど、ここは通さねえ!』

 どうやら言葉は通じないらしい。やっぱり、ジン・アカツバキによって産み出された、アイツにとって都合の良い存在ってことか。

「なら、全力だ!」

 イグニッション・ブーストをかけ、異形の左腕を突き出して突進をかける。

 一撃でその頭を刈り取って、そのまま方舟に追いつくつもりでいた。

 相手は音速の十倍近い速度を持つオレの攻撃を、一夏の偽物は両腕をクロスしてガードして防ごうとする。

 もちろん、そんなもので威力を抑えられるような攻撃じゃない。

 灰色の白式は体勢を崩したまま空中で大きく撥ね飛ばされた。

 だが、それだけだった。

 致命傷に見える傷は何一つなく、装甲が少し削られたに過ぎない。

 どういう理屈かわからないけど、何故か手応えがほとんどなかったのだ。

『速いし重いけど、これなら、やれるか?』

 一夏のような顔をして、一夏のような構えを取る。

 その雰囲気に、さっきまでオレの目の前に存在してた幼馴染みたちを思い出した。

「イラつくんだよ、真似してんじゃねえ!」

 ありったけの荷電粒子砲を撃ち出し、焼き尽くしてやろうと考えた。

『んなっ!?』

 灰色の白式を身にまとった一夏モドキが驚きの声を上げて、左腕のシールドを前に突き出す。

 全部で十八の閃光をまともに食らったというのに、敵は手足の装甲に傷を受けただけで、本体は全くの無傷だった。

『なんつー火力!』

 そういう一夏っぽいところがますますオレを苛立たせる。

「もう一回!」

 こちらを真っ直ぐ見据えている白式モドキへ、オレはさらに攻撃を仕掛けようと、荷電粒子砲ビットから砲撃を撃ち放った。

『それを待ってた!』

 一夏モドキはシールドを前に突き出して、自分の体をそれに隠し、被弾面積を減らしながらイグニッション・ブーストで突き抜けてきた。

「クソッタレが!」

 まさかの捨て身の攻撃に、オレは左腕で迎撃をしようとする。

 敵の頭を一撃で粉砕するつもりで、鋭い爪を束ねて突き出した。

 しかし相手は首を傾け、スレスレでオレの攻撃を回避する。ISの頭部ヘットマウントギアだけを吹き飛ばした。

 喉の下辺りに熱い痛みを覚える。

 一夏モドキの雪片弐型が、胸部装甲を貫いてオレの胸へと吸い込まれていた。

『一撃でオレを殺そうとするのは見えてたからな!』

 刃を抜きながら、そのパイロットが少し得意げな顔を浮かべていた。

 

 

 

 

 

「ちょっち、厳しいかなぁ」

 あっけらかんと呟いた篠ノ之束だが、その体は満身創痍にしか見えなかった。

『束様!』

 クロエ・クロニクルの悲痛な叫びが周囲に響く。

 篠ノ之束は千冬を守るために、舳先から相手の砲撃へ身を投げ出した。

 生きているだけでさすがとしか言えない状況だが、代償は大きく、相手は無傷だ。

「これが来ると思って用意してたけど、さっきの方舟向けのシールド分が余計な消費だったかぁー。さてはて、どうしたものやら」

 束の頬に一筋の血が垂れる。右肩を大きく負傷しており、左の横腹を手で押さえてはいるが、大量の出血が簡単に見て取れた。

『しぶといな』

「白騎士かぁ。我ながらとんでもない者作っちゃったなぁ。ああ、パイロットがとんでもないのか」

 無駄口と呼ぶにはあまりに短いセリフの後、灰色の白騎士が肩に担いだ兵器の引き金に指をかける。その背後にある灰色の球体が、不気味なほど輝いていた。

 織斑千冬はふわりと落下してきた束を左腕で抱き留めながら、右手の雪片弐型を構える。

「束、しっかりしろ!」

「白騎士を全力で落として!」

 更識楯無が悲痛な声で叫ぶと、甲板にいたパイロットたちが、行く手を阻むグレイスケールカラーの白騎士に攻撃を放つ。

 全ての弾が着弾し、爆発を巻き起こした。

「やったか?」

 ラウラが喉を鳴らす。

 煙が晴れていった。そこに立つのは、虹色に光る防護幕で包まれた無傷の敵だった。

 灰色の白騎士、そのパイロットが織斑千冬と同じ仕草で鼻を鳴らす。

『これで終わりだ』

「ちーちゃんだけは、先に行かないと……」

「しかし、あれを倒せるのは、私だけだ」

「ルート3・零落白夜以外に、ジン・アカツバキのISコアを破壊出来る兵装は存在しない。何故なら相手はエネルギーの幕を多重に重ねた多次元構造体だから」

「では、あれを倒して、ジン・アカツバキも倒す」

「ふふ、そういうと思った。でもダーメダメ。これ以上、無駄な力を使って万が一があっちゃダメだし、ここまで来た意味がないよね」

 千冬の腕から降りながら、束が笑みを作る。

「それにこう見えてもさ、ちーちゃん」

「束……」

「妹を守れなかったダメダメおねーちゃんだかさー、私ってば」

 束が左腕を横に振るう。その指先の間には、三つのISコアが挟まっていた。

「さあ、白騎士の幻影。キミが来たということは、もうすでにジン・アカツバキは丸裸ってわけだよね。ここでちーちゃんさえ守れば、私たちの勝ちってわけで、どうしてどうやら、この身を未来のためにとか、そういう思想はないけど、うんうん」

 世紀の大天才、篠ノ之束。

 灰色の濃淡だけでカラーリングされた白騎士の幻影が、左肩に担いだ巨大荷電粒子砲の引き金へ力を入れた。

「さあ、篠ノ之さんちのお姉ちゃん、ここに見参!」

 右腕に持っていたのは、箒に与えた物と同じ日本刀だった。

 彼女もまた、篠ノ之流剣術を修得している。その上で千冬に匹敵する身体能力と地上の誰にも追いつけない頭脳を兼ね備えた、世界最強の一人なのだ。

 方舟に乗る人間たちの視界を、眩い光が覆い尽くす。それは白騎士が放った破壊の煌めきによるものだ。

「ズバッとね」

 束は性格破綻者らしく、最後まで軽いノリで、日本刀を横に薙ぎ払った。

 たったそれだけの動作で、荷電粒子砲の砲撃が光の粒子になって消え去っていく。

「ゴーレムちゃん」

 彼女が間髪入れずに左手から三つのISコアを放り投げた。それらを中心に光の粒子が渦を巻き、黒いISが姿を現す。腕だけを肥大化させた無骨な形の、篠ノ之束による無人型ISだった。

 それぞれが弧を描き、白騎士の幻影へと襲いかかる。

『ふっ』

 原初のISと同じ形のエネルギー体が、空いていた右手で襲いかかってきた一機を殴り飛ばした。その一撃で風穴が空き、ゴーレムが落ちていく。

「さっすがちーちゃんの未来を再現しただけはあるよね!」

 満足気に笑いながら、篠ノ之束がニンジン型のロケットを出現させ、それに腰掛け空中を滑走する。

 残り二機のうち一機のゴーレムが、背後から多数のレーザーを放射した。

 しかし全てが白騎士に当たる直前で明後日の方向に跳ね返される。

 返礼とばかりに振り向きざまに巨大荷電粒子砲が放たれ、ゴーレムが一瞬で蒸発して消えていった。

 白騎士の左側面にある砲身の外側、敵の死角となる位置から最後の一機が両手を広げて襲いかかる。

 通常のISの脚部ほどもある腕が、巨大な砲身を抱きしめた。

 しかし、一瞬で力を失い、落下していく。白騎士が右手にブレードを携えており、無人機の頭を顎の下から貫いていたのだった。

「でも、隙は出来たよね」

 両手を攻撃に使い、白騎士の武器は封じられた瞬間だった。

 束が日本刀を振りかぶり、ニンジン型ロケットから大きく飛び上がった。

『……ふっ』

 灰色の白騎士を身につけたパイロットが不敵に笑う。

 流れるような動きで右手のブレードを翻し、束の刀を受け止めた。

「よっと!」

 束も相手の勢いを一瞬で絡め取り、ブレードを空中へ弾き飛ばす。

 白騎士はそれも読んでいたのか、いつのまにか荷電粒子砲を投げ捨てており、空になった左の指を揃え、束の胸へと突き刺そうとした。

 その攻撃が彼女に届く寸前に、日本刀の柄によって叩き落とされる。

 しかし咄嗟の防御だったが故に、束の顔へ小さな隙が出来ていた。

 世界大会レベルのISパイロットでも攻撃になり得ないほどの、本当にわずかな隙だった。それでも、世界最強同士の戦いにとっては、大きな隙に違いなかった。

 ブレードを無くし、空になっていた右腕が、まるで鋭い刃のように振り下ろされる。

 束の左肩に、ISの手刀が突き刺さった。

 彼女はISの開発者であり、多数の独自兵器を持っている。無造作に展開し数多の攻撃を退けるシールド類などは、その代表格だ。

 それらを多重展開しても、かろうじて胴体の両断を防いだ程度だった。

「えへへ」

 致命傷を受けてもなお、束は笑みを作る。

 灰色の装甲をまとったパイロットは、敵を確実に仕留めた。いまわの際に反撃を仕掛けてくるにしても、充分に備えられる余裕を持って仕留めたのだ。

 だが、最後の攻撃は、予想の範囲外だった。

 未来の再現(グレイスケール)と呼ばれる兵器である彼女は、ジン・アカツバキによって作られたエネルギー体だ。

 限られた範囲内とはいえ、意思を持ち思考をするキャラクター性を持たされた、無敵の最終防衛システムのはずだった。

 先ほどまで束が乗っていたニンジン型ロケットが弧を描いて、白騎士の背後から襲いかかってくる。

 備えていた。

 だから左腕でブレードを呼び出し、それを切断しようとした。

 ニンジン型ミサイルとでも呼べる形状をした、二メートル程度の大きさの物体が、真ん中から半分に割れていく。

 中には腕を組んだ一機のISが封じられていた。

 先ほどまでの無人機とは違う、鋭角のフォルムを持った黒い人型の兵器だった。

『IS、だと!?』

 翼を広げ、自らを砲弾とでもするかのように、真っ直ぐ加速してくる。

 どこかテンペスタⅡ・ディアブロに似たその兵器は、異形とも言える左腕を伸ばし、白騎士の胸を突き刺して巨大な風穴を作った。

 それだけで収まらず、まるで悪魔のような頭部に、口のような亀裂が現れている。

「……ヒーローの弱点は、ヒーローじゃなくなったとき、だよ。そして私たちはもう、ヒーローじゃなくなったんだ」

 楽しそうに笑いながら、篠ノ之束は絶命し落ちていく。

 まるで獰猛な獣のように、パイロットの首に牙を突き立てる。そのまま咀嚼するような音を響かせながら幻影のパイロットと共に落下し、最後には爆発して消えていった。

『束様ぁ!!!』

 クロエ・クロニクルの絶叫が周囲に響いた。

 白騎士は、最初からヒーローではない。

 千冬もよく理解している。

 過去の遺物に過ぎず、単なる罪の具現化に過ぎないポンコツだ。

 そういうものはいかに強力であろうとも、新たな世代の担い手によってあっさりと超えられていくものだ。

 ジン・アカツバキにとっては最強のガードであったかもしれない。

 しかし、世界にとっては、ただの鉄くずに過ぎなかった。

 それは自分も、束もそうなのだろう。だから時代遅れ同士で消えていくのだ。

 千冬が落下していく篠ノ之束の亡骸を見下ろした。胴体を斜めに切断されかけた死体は、方舟より下に見えていた。

『た、束様、束様!』

 クロエ・クロニクルの操作する方舟が向きを変え、束の亡骸を追いかけようとした。

 そのとき、篠ノ之束であった物は白い炎となって一瞬で灰と化し消え去ったのだ。

 最後まで、アイツらしい。

 幼い頃からの知り合いで、世界で唯一の対等な友人。

 弟のときと違い、千冬は何故か悲しくなかった。

 死ぬはずがないと、どこかで思っているからだろう。ひょっとしたら、数年後にひょっこり顔を出すこともあるかもしれない。

「クロエ、上だ」

 こみ上げてくる笑いを抑えるような、楽しげな声で織斑千冬が命令を告げる。

『し、しかし!』

「放っておけ。どうせまたあの馬鹿面でひょっこり現れる。ここでジン・アカツバキに負けては、それすらも見れん。行くぞ」

 方舟が一瞬だけ動きを止めたが、すぐにゆっくりと方向転換をし始めた。

 舳先は空に浮かぶ灰色の太陽を目指している。

 マルアハたちの姿はすでに見えない。

 残すは、ジン・アカツバキのISコアだけとなっていた。

 

 

 

 

 

 ゆっくりと、オレは落下していく。

 方舟が遠ざかっていった。

 何かを喋ろうとした瞬間、口の中で血が溢れた。

 やばい。

 力が入らない。

 一撃で心臓を持っていかれた。

 防御どころの話じゃない。スペックは圧倒的にオレが勝っていた。

 このディアブロが、いくら未来の幻影といえど、白式に負けるわけがない。

 現に、一夏たちを襲っていたラウラたちの幻影は一撃で葬ったのだ。

 慢心とかいうレベルじゃない。

 織斑一夏という意識を持つ、ジン・アカツバキの兵器は、一瞬で勝負を掴む。

 タッグトーナメントのときもそうだった。明らかに格上だった玲美のテンペスタⅡ・リベラーレに対し、肉を切らせて骨を断つがごとく勝利をものにした。

 いざという土壇場で、アイツが負けるというのは、アイツ自身が思っていない。

 どういう理屈かわからないが、ジン・アカツバキによって敵目標を無人機と思い込み、誰かを守るために動いているんだろう。

 落ちていくオレに背中を向け、灰色の白式が空へ向かっていく。

 目指すのは、方舟に違いない。次はあれを敵と認識し、左腕に備えた荷電粒子砲で狙いをつけていた。

 二瀬野鷹の意識が消えていく。

 ディアブロが、光の粒子となって消えていった。

 瞼が勝手に閉じられる。

 また、どこかに行くのか。

 しかし、ここで現世に生まれ変わったとしても、この時の彼方での戦争に負ければ、ジン・アカツバキに対する勝機はない。それは十万年前からの人類史の改編を意味する。

 諦めるわけにはいかない。

 そう決意しても、唇を噛む力さえ沸かず、意識が、消えていった。

 

 

 

 

 

 織斑一夏と篠ノ之箒は、荒れ果てた大地に立っていた。

「一夏、ここは」

「オレたちのいた時代の、約二百年後だ。正確に言えば、それより十五年ぐらい前か」

 織斑一夏は、時の彼方の崩壊によって外界より浸食してきた『無』に飲まれる瞬間、零落白夜によって次元の穴を開けた。

 それがエスツーから聞いた話を総合的に判断した結果の、最終的決断だった。

「……タカ、いやヨウの生まれる前か」

「ああ、そうだ」

「どうして、こんな時代に」

「ジン・アカツバキは、『時の彼方』という三次元の外にある塊をエネルギーで膨張させ、その体積を増やすことで過去に移動していたんだ。増えれば増えるほど、遠くの時代に飛ぶことが出来る。要するに体積イコール、移動出来る時間の幅ってわけだ」

「よくわからない理屈だが、ここは間違いなく未来なのだな?」

「元々が二百年後付近にあった『時の彼方』を膨張させたものだったからな。おそらく、その時代辺りに出るだろうとは思っていた」

 黒い髪をなびかせて、篠ノ之箒はゆっくりと歩き出す。

 風によって土煙が巻き起こされ、彼と彼女の髪を揺らした。

「あの時の彼方に戻ることは」

 崖のように切り立った丘の上から、地平線まで緑のない大地を、箒が見下ろしていた。

「……無理だな。『時の彼方』ってのは、三次元の向こうに無数に存在してるんだ。向かおうとしても、確実にアイツらのいる『時の彼方』に辿り着く保証なんて、どこにもない」

「他の時の彼方を渡り歩けば、いつかは」

「本来の『時の彼方』には空気なんて無いんだ。他の場所に入れば生身じゃ即死だ。ジン・アカツバキのエネルギーによって膨張された空間だけが、特殊だったんだ。アイツの記憶によって構成されてたようなもんだからな」

 淡々と説明をしていく一夏を見つめ、箒は拳を握る。

「では、どうするのだ」

「チャンスを待つしかねえよ」

 織斑一夏は一つの予想を持っていた。

 おそらく、こうなるだろうと。

 この時代の紅椿を倒しても、意味はない。

 時の彼方に移動している本体がある限り、いつ過去から改変されるかもわからないのだ。

「とりあえず行こうぜ、箒」

「……そうだな。ここで野垂れ死んでも、意味はない」

「おう。食料と宿が先だな」

 そして、この先、一つの出会いが待っている。

 きっと、辛い道のりになるだろう。

 一夏は隣にいる箒に、それを告げる気は無い。

 未来など、知らない方が良いのだ。きっと死にたくなる。生きていること自体に罪過を覚えて、指先一つ動かせなくなる。

「……一夏」

「ん?」

「なんというか、お前は」

 最初は険しい顔をしていた箒だったが、隣に立つ少年の変わらない顔を見て、困ったように笑った。

「さ、行こうぜ」

 一夏がそっと手を差し出す。

 箒はゆっくりと、どこか怯えるように指を伸ばした。いつまでも届かない箒の手を、一夏が先に握る。

「い、一夏」

「行こうぜ、箒。ここから、始まるんだ、ぜーんぶな」

 そう言って、一夏は箒の手を取り、走り出す。

「お、おい、一夏」

「ほらほら、あっちに車の影が見えるぞ、何か食料もらえるかも知れないし、人のいる場所まで連れていって貰えるかもしれない」

 彼と彼女は、そうして未来での道を歩み始めた。

 

 

 

 

 

 オレは、オレの最初の肉体に刻まれた記憶を呼び起こされていた。

 ルート2を起動し、心だけになったヨウは、ジン・アカツバキによって作られたニセのエピソードによって、記憶を改変されていた。

 心だけになる、というのは、記憶の物理的バックアップである脳神経から離れるということだ。ゆえに簡単に思い出を改ざんされてしまうというリスクも孕んでいる。

 つまるところ、オレは大学生での前世など持っておらず、ただ単に未来から送り込まれた少年の心、という存在だった。

 そして『ヨウの脳にあった記憶』の中には、つい先ほど『時の彼方』で消えた織斑一夏と篠ノ之箒の行く末も刻まれていた。

 二百年後、巨大隕石群の到来の十五年ほど前に、彼らは突然現れた。

 貧しい農村で慎ましく暮らしていた彼らを最初に発見したのは、遺伝子強化試験体研究所に所属する女性だった。名前をエスツーと名乗った。

 当時の彼らは、一人の赤子を授かったばかりだった。

 産後で体力を失い動けなかった箒と赤子を、研究所の人間によって人質に取られ、織斑一夏は抵抗すら出来なかった。

 結果、二十歳なったばかりの織斑一夏と篠ノ之箒は、とある研究所の試験体となった。

 そして些細な実験事故の後、二人とも死亡してしまう。

 時代は進み、ジン・アカツバキと呼ばれる存在によって反乱が起こされ、人類は滅亡の危機に追い込まれた。

 エスツーは研究所が破壊されるとき、まだ幼かった一夏と箒の子供を連れて逃げ出したのだ。

 十歳になった少年は、やがて一夏のクローンに出会い、ヨウと名付けられた。

 最後にディアブロという白騎士の二番機により、ルート2という機能を発動させ、二百年の昔、つまりISが生まれた頃へと到達する。

 これこそが、二瀬野鷹の正確な来歴だった。

「……そうかよ」

 自分の両親が、さっきまで一緒に戦っていた二人の幼馴染みだと思い出した。

 両手を見つめる。

 小さな手だ。これが一夏と箒の息子、ヨウの手か。

「ヨウ」

 優しい声をかけられ、オレは顔を起こす。

「エスツー、か」

「ふふ、おはよう、ヨウ」

「……おう。変な感じだな」

「そう、かもしれないわね」

「夢を、長い長い夢を見ていたんだったら、良かったんだけどな」

 力の入らない手で何とか体を起こし、銀の棺桶から這い出ようとした。しかし手足の感覚に妙なズレがあって、床に転げ落ちてしまう。

「大丈夫?」

 エスツーがオレの体を優しく起こしてくれた。懐かしい温もりだった。

「オレはまた死んで、元の体に戻ったってわけか」

「強制IWSって機能が紅椿にはあったから、私の二番機で上手く捕まえられた」

「なるほど、よくわからねえけど、ありがとな」

 立ち上がろうとしたけど、体の勝手がわからず、体をよじることしか出来ない。

 まどろっこしい。

 オレは目を閉じて、その機体をイメージする。

 体が宙に浮き、黒い装甲が手足に装着され、背中に四枚の翼が現れた。少しだけ空中に浮かぶと、頭の高さが今までと同じぐらいになる。

「ISを使った方がマシだな」

「……行くのね」

「おう、悪いな、エスツー。こんな不良に育っちまって」

「私……は」

「いいよ、言わなくても。それより状況は?」

「ジン・アカツバキの最終防衛システム、『未来の再現』の一つ、白式によって方舟が襲われてるわ」

「さっきのヤツな。船が大きく揺れてるのは、そのせいか」

「ヨウ」

 悲しげにオレを見上げるエスツーに、笑顔を作って返す。

「エスツー、ありがとうな」

「私こそ、貴方の親を」

「親がいっぱいいて、どれが本当の親やら。どれも本当の親か」

 思わず苦笑いが浮かんでくる。

 沢山の優しい人たちと出会ってきた。

 だからこそ、オレは歴史を改編していく自分を許せないと感じていた。何も救えない自分こそが諸悪の根源の一つだと思い始めていた。

 生きろ。

 そう言われても、困る。

 いつでも期待を裏切ってきた。だから、逆に言い放ってやろう。

 お前ら全員を、生き返してやるってな。

 

 

 

 

 

『くっ、敵の数は多いけど!』

 未来の再現である灰色の白式が、左腕の荷電粒子砲を撃ち放つ。

 薙ぎ払うような一撃が、ボロボロになっていたパイロットたちのISを破壊していった。

 更識簪が倒れ、シャルロットの機体が消えて、膝が折れていた。

 ラウラのISが完全に破壊され、セシリアのブルーティアーズが吹き飛ぶ。

 悠美の打鉄弐式はエネルギーを完全に失い、リアのレーゲンにはもう武装が残されていない。

 鈴のアスタロトは砲身と翼を破壊され格闘しか出来ず、楯無は全てのナノマシンを失い、ただの棒となったランスを振り回していた。

「しつこいのよ!」

 鈴が殴りかかるが、甲板の上ではスピードを生かせず簡単に払いのけられてしまう。逆に雪片弐型で切りつけられ、反対側の縁まで吹き飛ばされて衝突し、ISが光の粒子となって消えていった。

 一夏と同じ形をしたパイロットを、彼女たちはすでに五度は追い込んだ。

 そのたびにわずかな血路を切り開き、死中に活を求めてくる。

 時には新しい装備を出現させ、スピードの最大値を上げてきた。

 楯無がランスを構え、白式に襲いかかる。

『やられるか!』

 一夏の影とも言える存在が、左腕の装甲を大きな爪のように変化させ、相手の攻撃を掴み取った。

「これでどう!?」

 楯無は素早くハイキックを放ち、たたらを踏んだ敵に向け、反対の足で突き刺さるようなローリングソバットを決めた。

 だが灰色の白式は左腕を犠牲にし、反撃の刃を振り下ろす。青い半透明の装甲を持つ機体が、甲板上に叩き伏せられた。

『トドメだ!』

 破壊されたはずの左腕が、再び爪のような形へと戻る。前のめりに倒れていた無防備な楯無の頭部を破壊せんと、振り下ろした。

「チッ」

 最後の武器である千冬が、間に割って入る。

 自分の零落白夜でしか、ジン・アカツバキを倒すことが出来ない。

 敵の最終防衛システムに破壊されるわけにはいかず、戦いたい気持ちを抑えて防御に徹していた。

 だが、彼女の我慢の限界はそこまでだった。

 どちらにしても、すでに彼女しかいない。

『親玉の登場か……させるわけにはいかねえ!』

「それは、こちらのセリフだ!」

 白式同士の戦いが始まる。

 千冬が鮮やかな軌跡を描く振り下ろしから、流れるような動作で突きを放った。

 咄嗟に頭を逸らして回避するが、灰色の推進翼がその攻撃で破壊された。

『クソッ』

 敵の強さを感じ取ったのか、一夏そっくりの機体が上空へ逃げるように飛び上がって距離を取った。

「逃がすか!」

 左腕に荷電粒子砲を展開させ、相手の動く先を読み切って直撃させる。

 苦痛のうめきを短く上げ、灰色の白式が白煙を上げながら落下していった。

 倒したわけではない、と千冬は次の砲撃に向けて狙いをつける。

『……まだ』

 千冬の耳に、弟と同じ声が届いてきた。

『負けるわけにはいかねえ。ここで負ければ、仲間たちが』

 それが偽物の記憶と知らず、彼は気持ちを奮い立たせる。

 先ほどから、これの繰り返しだった。

 負けそうになっても、必ず蘇ってくる。

 諦めることを知らない少年と同じ心で、敵は気持ちを奮い立たせ、ここまでやってきたパイロットたちを薙ぎ払ってきた。

 ジン・アカツバキの持つ織斑一夏のイメージとは、これほどまでに強いのか。

 弟と同じだとどこかで侮っていた千冬は、内心で驚愕していた。

 この敵を根本から断つには零落白夜を使うしかない、と右手の雪片弐型をチラリと見つめる。

 それは弟から譲り受けた白式の、最大の武器だ。

 零落白夜でしかジン・アカツバキのISコアを倒せないと、束から聞いていた。

 白式のエネルギーは残り少ない。エスツーの紅椿二番機があるとはいえ、他の機体のエネルギーはすでに切れ、IS自体が待機状態に入っている。

 その千冬に向けて、灰色の白式が再び空を舞った。

『れいらくびゃくや』

 信じられない呟きを、彼女は聞いた。

 ルート系機能は紅椿、白式、そして白騎士とそのシリーズしか持たないはずだ。

 その証拠に先ほどまで、灰色の白式は零落白夜を使ってはいなかった。そして使わずに千冬たちを壊滅状態に陥れたのだ。

 しかし、敵は雪片弐型を変形させ、光の刃を出現させている。

「あれは……ジン・アカツバキと同じ」

 紅椿の未来の姿であるその敵は、巨大なエネルギーブレードを黎烙闢弥(れいらくびゃくや)と呼び扱っていた。

 知らずと産みの親の機能を出現させたのか、最初から搭載されていたのか。

 どちらにしても、強力な兵器であるのは間違いない。

「出し惜しみしている場合ではないか!」

 千冬も同じように手に持った雪片弐型から、全てを切り裂く次元の刃を出現させた。

 甲板を見下ろすように浮いていた灰色の白式が、刀ほどの大きさだった光を、天まで貫くような巨大な柱へと変化させる。

 方舟ごと切断する勢いの、最強の剣だった。

『オオオォォォォォ!』

 雄叫びとともに、その一撃を振り下ろしてくる。

「零落白夜!」

 千冬は最小限の動きで、目の前の虚空に向け鋭い斬撃を行う。

『なっ!?』

 灰色の右腕部装甲が、真っ二つに切断された。

 支えを失った光の刃が、見当違いの場所へと振り下ろさせる。

 敵のエネルギーブレードに対抗しようとすれば、白式も力を大量に消費してしまう。ゆえにその根元を、最小限の動きで叩き斬ったのだ。

『狙い通り!』

 しかし、一瞬驚いたような顔を見せていた灰色のパイロットが、ニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。

 最小限の動きといえど、上段から刃を振り下ろした千冬に、わずかばかりの隙が出来ている。

 そこに向けて、敵の白式は最初から用意していたように左腕の荷電粒子砲を撃ち放ったのだ。

 咄嗟に身を翻して千冬は敵の攻撃を避けようとする。

 しかし、収束された攻撃が、雪片弐型の柄を正確に貫いたのだった。

「最初から狙いは……そこか」

 すでに千冬の手には、刃がない。

 次元を切断する雪片弐型も、左腕部装甲と一緒に貫かれ、破壊されていた。生身の左腕もケガを負っている。

『これで、長い戦いも終わりだ!』

 再び荷電粒子砲を構え、灰色の白式は方舟の上に立つ千冬へ狙いを合わせた。

 ジン・アカツバキを倒す唯一の武装が失われ、彼女は呆然と膝を折る。

 油断をしたわけではない。

 ただ、相手の粘りが上回ったのだ。

 弟の器は、いつか自分を上回るものだと思っていた。

 その未来を再現された存在によって、千冬は敗北を喫した。

 すまない、束。

 そう懺悔をして、千冬は瞼を閉じる。

「らしくねえよ、織斑センセ」

 そのとき、少し幼い少年の声が周囲に響いた。

 船の内部から甲板に上がる場所に、小さな人影が立っている。黒い装甲のISを身にまとった、十歳ほどの男の子だった。

 千冬は顔に見覚えがあった。二瀬野鷹の心の元となった体である。

『ちっ、隠しボスってわけか』

 灰色の白式が、左腕の荷電粒子砲を黒いISへ向けて狙いを定める。

「もういいぜ、織斑一夏っぽい真似をしなくとも」

 その機体は一瞬で圧倒的な加速を行い、右腕で敵の体を貫いた。

『なっ!?』

 自分の腹部を見て、灰色の操縦者が驚きの声を上げる。

「ヒーローの弱点、教えてやろうか」

『クソっ、諦めるわけに』

「自分の息子にゃ絶対に負けるんだよ、チクショウ!」

 猛威を振るっていた、ジン・アカツバキの最終防衛システム『未来の再現』、その最後の一体は、未来から来た少年によって消し飛ばされた。

 

 

 

 

 

 至るところを破壊された方舟が、黒煙をくすぶらせながら灰色の空を進む。

 船底に広がる空間は、光すら通さぬ暗い闇へと包まれていた。

 甲板で、一人の少年がため息を吐いていた。

 気絶した少女たち全員を、床に寝かせ終わったところだった。

「二瀬野、か」

 左腕を抑えながら、千冬が歩いてくる。

「こんちは、小さくなったけど、まだIS学園に入れる?」

「盛大に鍛えてやる、期待しておけ」

「こわっ、織斑先生、超怖い」

 少しおどけた様子で、少年が身を振るわせる。

 それを見て少し笑った後、千冬は申し訳なさそうに頭を垂れた。

「すまん」

「どうしたんです、織斑先生」

「ジン・アカツバキを倒すための武器が、破壊された」

 そう言って彼女が向けた視線の先には、破壊された雪片弐型が転がっていた。

「ああ、ジン・アカツバキのISコアを倒すには、それがいるんですか」

「束の言うとおりなら、そうだろう」

「それでも諦めるわけにはいかないッスよね、千冬さん」

「……そうだな、その通りだ」

 少年と女性が空を見上げる。

 灰色の太陽が、視界を覆い尽くすように広がっていた。

「あれが、ジン・アカツバキのISコア」

「らしいな」

「やってみますか。クロエ、敵影は?」

『存在しない』

「了解」

 黒いISを展開させた少年が、空中にふわりと空中に浮かぶ。

「二瀬野」

 四枚の翼を立てた少年の背中へ、千冬が声をかける。

「はい」

 彼は動きを止めたまま、振り向かずにいた。

「行くのか?」

「まあ、アイツを倒しに」

「その後は?」

「そりゃあ、もちろん、十二年前ですよ」

 振り返った子供顔は、困ったように笑っていた。

「私と一緒に暮らせば良い」

 自分でも思ってもみない言葉に、千冬は自分でも驚いたような顔をしていた。

「魅力的過ぎて、生きていたくなりますね。でも、よぉく考えたら」

「な、何だ」

「叔母さん、生活能力あるの?」

 子供が大人をからかうような調子だ。実際、見かけはその通りである。

「あるに決まっている。私は大人だぞ」

「うーん、料理とかはオレの方が上手そうだ」

「その辺りの家事は任せる」

「最初から宣言されると、いっそ清々しいッスね、千冬さん」

「ふん」

 千冬が少し気恥ずかしそうに顔を逸らし、二人は黙り込む。

 ほんの少しの沈黙の後、彼女は少し戸惑いながら、

「諦めても、良いんじゃないのか」

 と呟いた。

 耳に届くか届かないかの声に、ヨウは目を丸くした後、首を小さく横に振った。

「そういうわけには行かないんですよ、千冬さん」

「何故、だ」

「オレはずっと死にたいと思ってた。未来を改変し続けて、知らないうちに色んな人の人生を狂わせてた。ジン・アカツバキを倒すために仕方ない。そう割り切れれば良かったかもしれない。でも、やっぱり無理だった」

「そうか」

「二瀬野鷹って、周囲に恵まれてたと思うんですよ」

 空中に浮かんだ彼は、戦闘によって気絶し眠っている少女たちを見回し、小さく笑った。

「ご両親か」

「オヤジと母さんには感謝しきれない。だから、助けられなかった自分が許せない」

「四十院たちはどうする?」

「四十院総司として、仲間だと思ってた子たちを酷い形で騙し続けてた。それも要因の一つかな。それに」

「それに?」

「オレ、意外に幸せだったなぁとも思うんですよ。だから、死んでったヤツらを思い返して、やっぱりこのままじゃダメだって思うんだ」

 照れたように笑って、ヨウは千冬に背中を向ける。

「ヨウ」

 その二人の元へ、一人の女性が声をかけた。

「エスツー」

「行くの?」

「悪い、行くよ、やっぱり」

「ルート3・零落白夜がなければ、倒せないのに? 過去へも戻れないのに?」

「やるだけやる。諦めるわけにはいかねえし」

 なるべく顔を見せないようにしながら、少年は明るい声で答えた。しかし、その声は震えている。

「私は、悩んでるわ」

 白衣を着た女性が、頭を垂れて、泣きそうな声で呟いた。

「悩むこたぁねえだろ」

「私は貴方を幸せにしたい。だからジン・アカツバキを倒した後、再び最初の歴史を始めれば良いと思うの」

「それじゃ、またジン・アカツバキが生まれるかもしれねえだろ」

「それでも、同じ繰り返しなら! 次はきっと!」

 涙をぽろぽろと零しながら、

「エスツー、やっぱ行くよ。絶対に倒す。んで、何とか十二年前に辿り着くよ」

「ヨウ……」

「二瀬野鷹になる前、オレが名前のない子供だったとき、やっぱりさ、オレ」

 少年が大きく息を吸った後、小さなため息を零す。

「オレ、多分、エスツーをやっぱり母親のように思ってたんだ」

 言葉少なげな名無しの少年は、長い旅路の果てで思い出した過去を懐かしむ。

「わ、私も!」

「だから、悪い。オレを応援してくれよ。お前のおかげでここまで幸せだった。だから、最高のハッピーエンドを探しに」

 振り返った少年の顔は、決意に溢れた眼差しをしていた。

 その顔を見て、エスツーはそれ以上、何も反論出来なくなり、自分の胸に手を当てた。

「ルート系機能」

「ん?」

「白騎士には、三つのルート系機能が搭載されていた。篠ノ之束と箒が乗ればルート1を、織斑千冬と一夏が乗ればルート3を使えた機体だった。そして、二つの因子を持つヨウには、ルート2が使えた」

「エスツー?」

「織斑と篠ノ之の因子を持つゆえにルート2が使える。それは同時に、絢爛舞踏と零落白夜を使える可能性も秘めている、ということ」

 視線を落としたまま、淡々とエスツーが説明を続ける。だが、その声は隠しきれないほど震えていた。

「ルート3が使えるなら、この時の彼方から十二年前に向かうことが出来る。そして、ルート1が使えるなら、二百年後に地球を滅ぼす大隕石群の軌道へと近づくエネルギーを得ることが出来る」

 その言葉を聞いて、千冬とヨウが目を合わせた。

「すまない、エスツー」

 千冬が申し訳なさそうに呟いた。

「いいのよ。その雪片弐型が破壊されていなくても、私はヨウに教えたと思うわ。だって」

 彼女は小さく、誰にも聞こえないように、彼の幸せを願う母親だから、と口の中で呟いた。

「エスツー、ありがとう」

 それはまだ名前のない頃の少年と、よく似た口調の感謝だった。

「ヨウ」

「うん」

「私も、貴方といられたときは、幸せだった」

「ありがとう、エスツー。オレもだよ」

 ディアブロの推進翼に光が宿る。

「みんなにもありがとうって、伝えておいて」

 それだけ言い残して、彼は灰色の空へ、巨大な太陽を目指して飛び立っていった。

 彼を見送った後、エスツーの膝が崩れ落ちる。

 顔を覆って、声を殺し泣き続けていた。

 千冬は、小さくなっていく少年の機体を見て、もう一度、

「……幸せに、な」

 と呟いた。

 

 

 

 

 

 空を飛び続ける。

 思いの外早く、オレはそれの前に辿り着いた。

「おっす」

 気軽な調子で軽く手を上げる。巨大な星の目の前に立つと、球体という形を感じ取ることさえ出来ない。果ての見えない壁の前に立っているような気持ちだ。

『二瀬野鷹。ここまで来たのか』

 オレの数メートル前に、緑色に光る小さな立方体の塊が現れた。

「おう。年貢の納め時だぜ、ジン・アカツバキ。もう手下はいないのか」

『全てを出し尽くした。それで負けたのだ』

 鼓膜を振るわせる不思議な声は、どこか悲しげに聞こえた気がした。

「んじゃ、そういうことで」

『お前は人類の』

「もういいだろ。お前もオレも未来を信じてるんだ。方法論が違っただけだ」

『……そうだな、私は未来を信じてる』

 立方体の発する光が、わずかに揺らいだ気がした。

「人類のスペックを信じるか」

『悪いことか?』

「いいや、良いこと言ってると思うぜ。十万年前からやり直して、正しい道を選ばせる。もう少しだけ優しく、人と人とが手をつなぎ合う世界を作るんだろ」

『ああ、その通りだ』

「オレとお前の違いは、新しい十万年がどこから始まるかの違いだけだ」

『どこから?』

「オレは、二瀬野鷹は、アイツらが新しく始める、次の十万年を信じることにした」

『それでは失敗の焼き直しだ』

「だけど、信じるよ」

『同じ歴史を歩むだけだ』

「いいや、ほんのちょっとの掛け違いだけさ。オレは十二年前に戻ったとき、四十院総司として生きてきた間、ほんのちょっとの違いだけで変わっていく様を見てきた」

『お前は未来を信じてるのか』

「さっきも言ったろ。ああ、違うな。オレは信じてるよ、一夏たちを」

『……私は人類を』

「いや、言えよ、はっきりと。マスターが大好きだったって。彼女の思いを無駄にしたくなかっただけなんだって」

 からかうように笑いながら言うと、緑色の立方体の輝きが揺らめいた。まるで笑っているかのようだ。

『では、行け。そして最後に呪いをかけるとしよう』

「呪い?」

『生き続けろ、そして苦しみ続けろ』

「一夏と同じこと言うなよ」

 呆れたような笑みが零れてしまう。

 手元に大剣を呼び出して、上段に構えた。

 そのまま、 絶対の自信を持って声を張り上げる。

「ルート3・零落白夜!」

 見覚えのある光が、オレの手元から伸びていった。

『さらばだ、二瀬野鷹』

「じゃあな、ジン・アカツバキ」

 不倶戴天の敵だった、と言っても過言じゃない。お互いに憎み合ったと形容出来る相手だ。

 それでも、人ではない同士のオレたちですら、こうして最後は笑い合って別れることが出来るのだ。

 だから、もう少しだけ信じても良いだろ。

 新しい始まりを。

 言葉にはせず、オレはその光輝く刃を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 ジン・アカツバキを斬った後に残った断面に飛び込めば、そこは宇宙空間だった。

 遥か遠くに、青い星が見える。

 ディアブロの視界に日本時間を表示をさせれば、間違いなく十二年前、四十院総司が事故に巻き込まれた死んだ日の朝だった。

「ルート1・絢爛舞踏」

 オレが通ってきたばかりの断面から、エネルギーが流れ込んできて、機体の中に吸い込まれていく。これはジン・アカツバキの力の残滓だ。わざと大量に残したのは、アイツの意地悪なんだろうか。

「行くぜ、ディアブロ」

 地球に背中を向け、算出された彗星群とのランデブーポイントを目指す。

 速度計が上がっていった。音速を超え、マッハ二十を過ぎ、星の瞬きに囲まれた宇宙を飛び続ける。

 背後にあった地球が、どんどん遠くなっていった。

「思えば、遠いようで随分と近い場所にいるもんだな。そりゃ篠ノ之束も落胆するわ」

 悪態を吐きながら、目標へ向けて加速を重ねる。

 真っ暗な場所に、ディアブロの推進翼から吐き出された粒子が光りを撒き散らしていた。

『ヨウ君』

 小さな声が耳に届く。

「玲美か」

 この機体の中にいると思った。

 ルート2によって心を抜き出されたのは、三弥子さんの元になった玲美だけじゃない。彼女に殺された玲美もそうだ。

 さっきの戦闘で何度も助けてくれた存在がいたからなぁ。

『行くんだね』

「ああ。止めるなよ」

『止めないよ。でも、覚悟しておいてね』

「どういう意味だそりゃ」

『何もかもは、思い通りにいかないってこと。ディアブロが笑ってる』

「また大事なこと言い忘れてるんじゃねえだろうな」

『ううん、今度はわざと言わないだけ』

 いたずらっぽく笑う声が、耳に気持ち良かった。

 しかし、こんなに心強いことはない。

 一人かと思えば、そうでもなかったってことなんだから。

『思い残すことはない?』

「あるよ、いっぱい」

 悔いばっかり残ってる。だから過去を変えに行くんだ。

「オヤジと母さんに、もっと感謝しておけば良かった。もう一度、あの狭いマンションで一緒に暮らしたかったよ」

『他には?』

「また、四十院研究所の帰りに、四人でメシを食いに行きたいよなぁ」

『うん、楽しかったね』

「エスツー、覚えてるか? 箒に似てるヤツ」

『もちろん』

「アイツ、メシ作るの下手でさ、スープ一つ作るのに、ネットの情報とにらめっこしながら、手に切り傷作ってたんだぜ」

『愛されてたんだね』

「んだなあ。悠美さんの歌も結局、ちょっとしか聴けてねえや」

『むー、ホント悠美さん大好きだよね、ヨウ君。よく考えたら、四十院のオジサンとしてアイドル活動応援してたりしたし』

「良いだろ、別に。ああいう風に頑張ってる人、大好きなんだよ」

『それだけかなぁ』

「そ、それだけだっつーの」

『ふーん……ま、別に良いけど。オータムさんとかは?』

「アイツな、アイツ……悪いやつじゃないんだよ、いや、悪いやつだけど」

『それじゃナターシャさん』

「もう、ホント、お近づきになれただけで嬉しかったよ。銀の福音、助けられたときは嬉しかったなぁ」

『リアさん』

「馬鹿なんだよなアイツ。賢い振りしてるけど、面倒見が良すぎる。だから余計なことに巻き込まれたり」

『それじゃあ、織斑センセ』

「良い人だよな。愛想ないけど。感謝しきれないぐらいだ」

『うんうん。無愛想だけど、やっぱかっこ良いし面倒見も良いよね』

「あれで弟大好きだからなぁ」

『やっぱりそうだよね。何だかんだで織斑君のこと目で追ってるときが多いし。次はえーっと』

「国津と岸原には最後まで付き合ってもらって、感謝ばっかりだ」

『三人とも、仲良かったよね』

「十二年も付き合えばな。悪いことしたけど、やっぱり心強かったよ、あの二人は」

『理子』

「あいつな。レクレスと名付けて失礼なヤツだよな。でも、良い子だったよ。お前たち三人のムードメーカーだった」

『かぐちゃん』

「……ありすぎて言うことがねえ。一つだけ言うなら、ありがとう、か」

『うん……次はえっと、ラウラ』

「面白えよ、アイツは。世間知らずだし。生真面目だけど」

『シャルロット!』

「正直に言おう、大ファンでした」

『く、くぅ~、じゃあセシリア』

「良いヤツだったよ、ほんと。責任感もあって頑張り屋で。ただなぁ」

『料理だけがねー……』

「そうな、ホント」

『つ、次は会長と更識さん』

「楯無さんと簪さんか。四十院総司として、ちっちゃい頃から見てたけど、二人とも良い子だったよ。楯無さんにゃ怒られたこともあるけど」

『お、オジサンが? 年上なのに?』

「おうよ。怖いんだぜー、あの人」

『良い大人なのに……。んじゃあ、鈴ちゃん!』

「語り出したら止まらんぞ、あの馬鹿は。迷惑いっぱいかけられたし」

『可愛かったじゃん』

「いやいや、見た目に騙されるなよ。アイツはホントひどいヤツなんだ。恩を仇にして返すなんて日常茶飯事だった」

『それでも、恩を売り続けたんだ』

「……いや、だってアイツ、放っておけないんだもん。あとはまあ、性別を超えた親友か。あいつにゃ言うなよ。馬鹿にしてくるから」

『ふーん……まあ鈴ちゃんも織斑君といるときよりリラックスしてたしね』

「まあそんだけ気の置けない間柄だったわけだ」

『篠ノ之さんは?』

「箒な。本当に感謝してる」

『お母さん、だったんだよね』

「あんまり記憶ねえけどな」

『んじゃあ、織斑君』

「一夏か。言いたいことはいっぱいあるけど」

 友達だったし、親だったし、ライバルだったし。

『思ってること、全部言っちゃったら? 私を織斑君だと思って』

「思いづらいっつーの。でもまあ、織斑一夏へ、か。改めて語ることはねえよ」

 これ以上、未練を作りたくはない。

 未練、か。

「オレ、本当は生きてたいのかな」

 ぽつりと、今更そんなことが口に出る。

『それはわからないよ。でも、どうかな』

 視界の端に表示していた大彗星の軌道が、段々と視界の中央へと近づいてくる。

 望遠モードにすれば、尾を伸ばして飛ぶ帚星が見えた。

「見えた。んじゃあ、玲美、ありがとな、付き合ってくれて」

『ううん。どういたしまして』

「行くぜ、ディアブロ! 玲美、制御頼むわ」

 背中からビットを出現させる。

『行くよ!』

 その数は総勢百を超え、種類も多種多様だ。

 手に持った刃は、雪片弐型に良く似た形状の兵装だった。

 そして背中にある推進翼に、意思を込めた。

『じゃあ、最後の質問』

「ん?」

『国津玲美は?』

 その期待に満ちた声に、思わず笑いが零れてしまう。

『もー、何で笑うのよ!』

「それじゃあ、玲美」

『うん! 行こう!』

 敵は二百年後に地球を破壊する、巨大隕石群。

 ある意味、ジン・アカツバキより強大な敵だ。

『イグニッション・バースト!』

「荷電粒子砲ビット、全門斉射準備!」

『ルート2・再始動!』

 大きな光を放つ帚星の群れに、オレはディアブロを操作して、その進路へと割り込む。

「メテオブレイカー、二瀬野鷹、行くぜ!」

 

 

 

 

 拝啓、この世界の皆さんへ。

 あなたたちと一緒に過ごせて二瀬野鷹は、幸せでした。

 まあ、つべこべ言わずに、こんな結末になった理由をまとめるなら。

 あなたたちが大好きだった。

 だから、ありがとう。

 そして、さようなら。

 

 

 

 

 

 翼を広げ、インフィニット・ストラトスが暗闇を切り裂いて飛んでいく。

 その光が、尾をたなびかせる彗星を破壊し、誰もいない宇宙で大きく輝き、数秒の後に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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