ルート2 ~インフィニット・ストラトス~   作:葉月乃継

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6、ドイツ人来日

 

 

 山田真耶先生は意外に忙しい人だ。何故なら、織斑千冬先生がそれに輪をかけて忙しい人だからだ。

 山田先生は織斑先生に代わって通常の授業を受け持ったりホームルームを行ったり、イベントがあればオペレーター役をやってたりする。それに付け加え、山田先生は織斑先生と違って親しみやすいせいか生徒からの信頼も厚く、放課後は指導をお願いされるときがある。

 しかも、普段のおっとりした姿から想像もつかないが、元代表候補生であり、IS操縦の腕はオレたちを遥かに凌ぐ腕前の持ち主だ。こういう表層だけ見れば、山田先生はIS操縦者の一つの終着点に立つお人であり、スーパーエリートである。

 が、オレたちからしてみれば、

「真耶ちゃん、一緒にランチいかない?」

 というただの近所のお姉ちゃん扱いだ。ちなみに声をかけたのはオレではなく理子である。

「ごめんね、ちょっと急なお仕事があって。人を迎えに行かないといけないんです」

 丁寧かつ優しい口調と童顔に巨乳、さらにメガネとドジっ子。あんたはいくつ属性を抱えるつもりか。おそるべしIS学園教師陣。

「人?」

「ええ。ドイツから来るんですが、どうしても自分一人で来ると言って聞かなくてですね……」

 ドイツ。ドイツっていうとラウラ・ボーデヴィッヒだ。第三世代IS『シュヴァルツェア・レーゲン』のパイロットで、実験部隊の隊長で、銀髪のロリっ子軍人。

 前の人生の記憶を思い出す。そうか、夏の臨海学校より前にツーマンセル・トーナメントがあったから、転入してくるならそろそろなのか。

「代わりに迎えに行きましょうか?」

 意外な人間の申し出だったのかもしれない。少し戸惑ったような顔をして、

「え? いやそういうわけには」

 と返答がある。だがここは少しでも早く本人を見たい。

「山田先生も忙しいだろうし、オレが行ってくるよ」

「えーっと、どうしようかな。でも……」

「他に用事もあるんでしょ。ドイツ人っていうなら、すぐわかるよ」

 ちなみにワタクシ二瀬野鷹は、学園では優等生だ。先生方の信頼は厚い。容姿で誤解されがちで他クラスの子には意外と言われるが、余計なお世話だチクショウ。

「うーん、そうですね。じゃあお願いしようかな」

「んじゃ、そういうことで、待ち合わせはここの駅? 時間は?」

「十二時半に、IS学園駅です」

 左腕の時計を確認する。結構、時間が差し迫ってきていた。

「あ、ヨウ君、私たちも一緒にー」

 玲美が呼びかけてくる。

「いや、お前らはメシ食ってろ。オレもすぐ後で行く」

 と返して、オレは踵を返して走りだした。

 ラウラ・ボーデヴィッヒか。可愛いんだろうな……ちょっとワクワクしてきた。

 笑いが漏れ出るのが抑えきれない。

 オレは後で思い出す。ここでちゃんと山田先生に詳細を聞いておくんだった、と。

 

 

 

 

 IS学園と市の中央部を繋ぐモノレールの駅で、オレは待っていた。時間は十二時三十五分だ。

 キョロキョロと周囲を見回す。銀髪の小柄な少女の姿は見えない。

 学園関係者が主な利用者であるこの駅は、昼間は閑散としている。だからすぐに見つかると思ったんだけど、おかしいな。

 何度も周囲を見回したが、Tシャツにジーパンを履いた外人ぐらいしか見当たらない。乗る電車を間違えて途方にくれているのだろうか。てか、手に持った有名オタク系マンガ書店の袋は何なんだ。

 時間があれば相手も出来るだろうが、今はあいにく、人との待ち合わせ中だ。ごめんよ。

 次の電車がやってくる。これにも乗っていない。

 おっかしいなあ。やっぱり一人じゃ来れなかったのかなあ。

 銀髪を探して周囲を見渡してると、先ほどのTシャツを着た外人が近寄ってきた。……何でTシャツが少女漫画のプリントなんだろう。外国のオタクか?

「おいキサマ」

 顔を見れば、鋭い眼差しがあり、シャープな顔立ちと相まって、一層と厳しいものに見える。いや、格好はオタクスタイルなんだけどな。って、左目に眼帯をしてる。海外じゃそういうルックスが流行ってるんだろうか。

「あ」

 オレは思わず呻いてしまった。

 ドイツ人。そうだ、こいつもドイツ人だった。すっかり忘れていた。

「IS学園の生徒だな。男、ということはフタセノ・ヨウか」

「は、はい! 申し遅れました、フタセノ・ヨウであります」

 軍人然とした威圧感に思わず直立不動を取ってしまう。

 硬直したオレの態度に、少し満足したのか、少女マンガのTシャツを着て、左目を眼帯で隠した黒い髪の女性が敬礼をする。

「クラリッサ・ハルフォーフ大尉だ。出迎えご苦労」

 ……そう。ラウラ・ボーデヴィッヒはドイツ人であり、その部下もまたドイツ人だ。

 だから、このお方だって、ドイツ人には間違いない。

「なぜ、そのように落ち込んでいる? 私に何か不服があるのか」

「いえ、滅相もありません」

「なら良い。では案内をしたまえ」

「了解であります」

 略式の敬礼をして、オレは踵を返す。

 物凄い肩すかしという感想しか抱けない、まさかのカンチガイ外人の登場だった。

 

 

 

 

 クラリッサ・ハルフォーフ大尉。

 ドイツのIS配備特殊部隊の所属で、部隊を実質的に牽引する人望厚い副隊長様である。前回の人生の記憶を辿れば、ラウラ・ボーデヴィッヒの部下であり、彼女に勘違いした知識を吹きこんだ少女漫画愛好家だ。

 一人でIS学園まで来たのは、途中で日本の『まんだ○け』で少女マンガを買うためか。

 顔だけ見れば、鋭い顔つきの美人である。だが、最近覚えたオレの脳内ライブラリーに、彼女にぴったりな言葉があった。そう、残念美人という言葉が。

「先に着替えますか? そのまま職員室に行かれますか?」

 後ろを歩く大尉殿に尋ねる。さすがに少女マンガのプリントされたTシャツ姿では、職員室には入れまい。

「どこか着替える場所があるなら、そうさせてもらおう」

「では、アリーナの更衣室を使いましょう。今は昼休みですので、まだ空いていると思います」

「わかった。案内したま……そこのセキュリティは万全か?」

「は?」

「安全面では大丈夫なのか、と聞いている」

 さすが軍人。いつでもそういうことを気にしてるのか。

「少なくとも、今までそこで事件が起きたことはありません」

「ふむ、では男子が間違えて入ってくる、という最悪の出会い的な場面は起きないのだな」

 いや、そっちの心配かよ。少女漫画菌に脳でも侵されてんのか。

「てか、男子はオレしかいません」

「ではキサマが?」

「ご要望には答えませんよ?」

「まさか私が着替えてる最中に入ってくるというのか!? さすが日本……」

「ちげぇよ!」

 会って二十分で心が折れそうだった。

 腕を組んで身を隠すようにしているクラリッサに、オレはコホンと咳払いをした後、

「そういえば、大尉はなぜIS学園に?」

 と尋ねた。

「私が入るわけではないぞ」

(思ってねーよ)

「残念だったな、遅刻しそうな私と出会いがしらに衝突するようなことが起きなくて」

「思ってねーよ!」

 しまった、つい心の叫びが口から出た。さすがにオレの口調に少し頭に来たのか、大尉殿の顔が厳しい表情になる。

「キサマ、先ほどから上官に対してその言葉づかいは何だ!」

「オレの上官ではないんですけど……」

 思わず苦笑いで反抗すると、意外にもすぐに表情が戻った。代わりに疑問を携えた顔になる。

「む、そういえばそうだったな。これは失礼した。だが、階級が関係ないとしても私は年上であり、そういう態度は日本では好ましくないのだと思っていたが?」

「いえ、つい心の声が出てしまいました、申し訳ありません」

 もう段々とヤケっぱちになってきたオレがいる。

「そうか、では仕方ないな」

(仕方ねえで済んじゃうのかよ、良かった)

「日本では心の声も他者に見えるからな」

「マンガの見過ぎだよ! リアルにフキダシとかねえよ!」

 あのラウラ・ボーデヴィッヒにして、この部下ありなのか、はたまた逆なのか。

 ああ、貧乏くじ引いた。

 

 

 

 

 軍服に着替えたお笑いドイツ軍人を無事に職員室へと連行し、オレは教室に戻ってきた。

 机に突っ伏し、主に精神的な疲れでぐったりしているオレのところに、玲美が近寄ってくる。 

「どうしたの? 何か疲れてるみたいだけど」

「聞くな……あーもうメシ食う時間ねえし」

「もう、中々帰ってこないから、心配したよー」

 笑いながら、手に持ったオニギリをくれる。ラップで包まれた可愛い大きさのオニギリが三つあった。

「……くれるの?」

「欲しいの?」

「欲しい。超欲しい」

「どれくらい?」

 オレを試すような笑みを浮かべて、玲美がオレに問いかけてくる。何か面白いこと言えって前振りなのかコレは。

「無人島でお前とオニギリどっちかしか選べない状況になったら、迷わずオニギリを持ったお前を取るぐらい」

「……えーっと」

 あれ、赤くなってる……今のセリフのどこに嬉しがる要素がどこにあったというのだろうか。迷わず無人島をテンペスタで脱走してコンビニに駆け込むぐらいの方が良かったか。いや、それだと間違いなく怒るだろうしなあ。

「し、仕方ないなぁ」

 俯きながら、遠慮がちにオニギリを差し出した。恥ずかしがってるのか、異常に遠かったので精いっぱい腕を伸ばして、オリギリを鷲掴みにする。中身を取り出して、そのまま一口で頬張った。

「美味い」

「そ、そう? 食堂のメニューをおばちゃんに頼んで包んでもらったんだけど。あ、お茶いる?」

「くれくれ」

 むぐむぐと咀嚼し、貰ったペットボトルのお茶で流し込む。あっという前に二つ食べてしまい、残り一個を掴んで透明な包を解いていった。最後の一個だけ妙に歪んでる気がしたが、米は米だ。

「具は昆布と梅干し。最後は何かなっと」

「ふふーん。最後はスペシャルだよー」

 楽しげな玲美の顔を眺めながら、ぽいっとオニギリを口に入れる。

「何スペシャル?」

「セシリアスペシャル」

「ぶほっ!?」

 思わずオニギリを吐き出しそうになるのを、何とかこらえた。あやうく玲美の顔が米粒と唾液まみれになるところだった。

「うそうそ。さすがにそれは準備できなかったよ、あの短時間じゃ」

「時間さえあれば用意したのかよ……ってこれ」

「ん?」

「……いや、何でもない」

「どうしたの?」

「いや、何でもない。美味いなこれ。三つの中で一番美味い」

「そ、そっか。良かったぁ」

 その安堵に染まった笑みを見て、作ったのはお前だろとは言えない。具が入ってなかったから、いつも大事なことを言い忘れる玲美が作ったんじゃないかと思った、とも言えない。

 塩味だけのオニギリをゆっくり咀嚼し、お茶を飲み干したタイミングで電子音のチャイムが鳴り響く。

「何とか食べれたな。サンキュー」

「いえいえ、どういたしまして」

 はにかんだ笑みを浮かべたまま、少し離れた自分の席へ彼女が戻っていく。

「女たらしめ。昔と変わらんな」

 左後方から呆れたような声が聞こえる。

「少しは一夏を見習えってか? あいつも大概だぞ。天然だけど」

 からかうような調子で、声の主である箒に返すと、途端ににムッとした顔になる。

「ふ、ふん、あんなやつ、もう知らん!」

「どした? またメールが返って来なかったのか?」

「ち、違うぞ、そんなことで怒るような私では。そ、それに忙しくなると、この前メールにあったからな!」

「何でメールなんだよ。電話とかすればいいじゃん。テレビ電話なら顔も見れるし。見たくないわけ?」

「それは……」

 急に元気がなくなって俯く。あれ、ホントにどうしたんだコイツ。

「そいやオレもアイツの顔、見てねえわ」

「お、お前もそうなのか」

「言われてみて気付いた。転校していってから、思いついたときにメール送ったりするだけだからな」

「そ、そうかそうか。なら良い。い、忙しいなら仕方ないしな」

「そうだな。って、あの足音は」

「山田先生だな」

 機嫌の治った箒から視線を映し、真っ直ぐ前を見る。何だかんだで山田先生の授業は面白い。本人の実体験を混ぜてポイントを抑えて教えてくれるので、人気のある授業だ。

 教室の前の自動ドアが開き、山田先生がが入ってきた。その後ろからクラリッサ・ハルフォーフが入ってくる。今は『黒兎隊』仕様の軍服に着替えていた。

「さて、授業の前に軽く紹介しておきますね。大尉、お願いします」

 織斑先生がクラリッサに目で合図すると、小さく頷いてから、彼女は敬礼する。その威圧感にオレたち全員は背筋を伸ばした。

「クラリッサ・ハルフォーフだ。今日と明日、諸君らの授業を見学させてもらう。よろしく頼む」

 その完璧な軍人的挨拶に、皆が言葉を失う。それからクラス中の一人一人の顔を見回していった。視線を向けられた生徒たちも息を飲みながら耐える。

 最後にオレと目が合った瞬間に、フッと笑みを浮かべる。

「ふ、二瀬野クン、何か失礼なことをしたりしました?」

 山田先生が慌てた様子でオレに問いかけるが、オレにそんな記憶は……いや、だいぶ失礼な言葉遣いはしたかもしれない。だが、言い訳させてもらおう。あれはツッコミをせざるをえないボケだった、と。

「いえ、彼には親切にしていただきました、山田先生」

 クラリッサがフォローをしてくれた。

「そ、そうですか、良かったぁ。彼も悪い子じゃないんですけど」

 人を問題児みたいに言うのをやめてくれ。あと背後から棘のある視線を飛ばすのをやめろ玲美と理子と神楽。

「で、では授業を始めますね」

「山田先生」

「は、はい、なんでしょう?」

「私の席は彼の隣でしょうか?」

「はい?」

「いえ、こういう場合、事前の面識のある男子の隣に座る、と思っていたのですが」

 なんでそこだけ少女マンガのノリなの。

「あ、えーっと、大尉は見学ですので、一番後ろにイスを用意しておきました。そちらでゆっくりとご見学してください」

「……了解です」

 残念がるなよ大尉!

 それだけ言って、彼女は教室の真ん中を歩いていく。妙に足元を注意している気がするのは……おそらく誰か女生徒が足を引っ掛けてくるのでは、とか思ってるんだろうな、うん。

 もちろん、そんな不届き者は我がクラスにはいないので、何事もなく一番後ろまでたどり着き、踵を返して正面を向く。再び残念そうな顔をしたのはオレの気のせいだろう。

「では授業を始めますね」

 のんびりした山田先生の声が響き、午後の授業が始まった。

 

 

 

 

 今日はIS乗りが患う病気についてだった。皆、自分に関わることなので、真剣に聞いていた。

 インフィニット・ストラトス・イン・ワンダーランド症候群という疾患がある。通称IWSと呼ばれるこれは、ISパイロット特有の病気と呼ばれるものだ。

 ISのもたらす感覚フィードバックが、日常生活でも続くというもので、ISから少し離れればすぐに治るらしい。ただ、日常的にISに乗る人間は症状が長続きしてしまうことが多く、企業・軍に所属する専用機持ちが多く患うらしい。IS学園でも年に数人ほどかかると山田先生に聞いたことがある。

 主症状は、感覚異常だ。これが曲者で、例えば自分の歩行幅が脳で感じるものと違い、日常的に事故に合いやすくなる。階段から落ちたり、酷いものでは、交通事故にあったりしてしまう。IS学園の保健室にも『IWSかな? と思ったらすぐ相談』などのポスターが張ってあるぐらいだ。 

 他にも慢性的な頭痛や生理不順(オレには関係ないが)など、多数の症状がある。

 ほとんどの場合が、自覚症状を感じた当人の訴えにより解決するが、たまに異常に悪化し、生活に支障をきたしたまま、ISパイロットから引退せざるをえない場合がある。

 実はこれは難しい問題もあるようだ。例えば専用機持ちや企業や軍の試験機選任担当などは、中々言いだせないのだ。それはそうだ。ISに乗れなくなれば、その間に他のパイロットが自分のISを使う可能性が高い。その間に自分より良い成績が出せてしまうと、自分は補欠に逆戻りだ。

 ISコアは467個しかない。IS乗りを目指す女性は、それこそ星の数ほどいる。

「でも皆さんの命に関わる問題ですので、自覚症状があったら、すぐに先生に相談してくださいね」

 と、山田先生がぐるりと周囲を見回すと、生徒たちも「はーい」と元気に返事をした。

「はい、先生!」

 相川さんが元気良く手を上げた。

「質問ですか?」

「先生はかかったことがあるんですか?」

「私ですか? えーっと、それっぽい症状になったことはありますねー。ほら、ISって手が長い機体が多いじゃないですか。だからドリンクを取ろうとしたとき、取り損ねたりとか」

 それは先生がドジなだけじゃないだろうか。

「へー。そういう症状もあるんですね」

「色々ありますから、異常を感じたら、些細なことでも良いので先生たちに相談してくださいね」

 そこでチャイムが鳴って、授業が終わる。

 時間計算しているのだろうか、山田先生の授業はいつもぴったり終わることが多い。

「ではここまでです。おつかれさまでした」

「起立!」

 セシリアの号令が響くとともに、生徒が全員立ち上がり、礼とともに授業が終わった。

 

 

 

「フタセノ、今、良いか」

 授業が終わり、そのまま残っていたクラリッサ大尉が声をかけてくる。

「なんでしょうか、大尉殿」

 思わず身構える。主にツッコミの構えだ。

「メガネをかけている、という情報は無かったが、いつからかけるようになった?」

 詰問するような口調に、思わず周囲が緊張に固まる。

「いえ、入学してからです」

「伊達か?」

「答える義務はありますでしょうか?」

 オレの返答に、クラリッサは少し考え込んだ後、

「ないな」

 と不敵に短く言い放った。

 全くもってオレには答える義理はないし、ドイツにオレの身体状況を教えてやる義務もない。

「質問は以上でしょうか?」

「では、外してもらっても良いだろうか」

「それは構いません」

 目だけを囲むような四角いフレームのメガネを外して、オレはクラリッサを見つめる。相変わらず右側が見えないに等しい。

 ドイツの大尉殿はふむとオレの顔に近づいて、マジマジと観察する。鋭い目つきと鋭利なラインの顔つきが、まるで勇ましい肉食動物を思わせる。

「な、何か? あの、近過ぎる気がするんですけど」

 左目でまつ毛の一本まで確認できるぐらいの距離だった。そして、その向こうにはオレを睨む玲美のむくれた顔があった。

「おっと、すまない」

 顔を引き、再び考え込む。それから残念そうに、こう呟いた。

「何だ、メガネを外しても目が数字の『3』の字にならないではないか」

「ならねーよ!」

 オレの怒声がクラスに響いた。

 

 

 

 

 

 放課後になり、もはやホームとも言える第2グラウンドで、クラスのみんなと自主練習に励む。みんなが打鉄の準備をしている間、オレはISの全身展開の練習に励む。毎日三十分はこれに費やしてるだけあって、平均タイムは一秒未満になってきた。

 続いて、地面に立ったまま推進翼を展開し、羽根を折りたたんだり開いたり、角度を変えたりするだけの練習を始めた。最初よりかなり思った通りに羽根の角度をつけられるようになってきた。

「地味な練習だな」

 声がかかった方向に視線を向けると、そこには緑の迷彩塗装のラファール・リヴァイヴを装着したクラリッサ大尉が得意げな顔で立っている。隣には困った顔の山田先生が居場所なさげにしていた。

「兵器を動かす練習なんて、実際は地味なもんでしょ。それより大尉、どうしたんです? ISを装着なんかして」

「キサマの実力を見たい」

「オレ? いやそう言われても」

 チラッと山田先生を見ると、

「織斑先生が許可を出しました……」

 と疲れたような返答が返ってくる。クラリッサと一緒にいて疲弊したんだろうか、気持ちはわかるよ真耶ちゃん……。

「そういうわけで、少し遊んでもらおうか」

 クラリッサ大尉がラファールの腕を伸ばし、手にライフルを構えて、オレを狙う。

「そういうことなら」

 意識をイメージの世界へと飛ばす。一瞬で自分のISであるテンペスタ・ホークを展開完了した。山田先生が巻き込まれないように数歩下がる。

「いつでも良いぞ」

 ドイツ軍人の言葉に、オレは不敵な笑みを返した。

 背中の推進翼を持ちあげ、まるで羽ばたくように垂直上昇を決める。

「速い!?」

 遥か下から、驚く声が聞こえた。

 

 

 

 最初こそ加速で突き放したが、さすが副隊長殿。段々と借り物のラファールに慣れてきたのか、オレの行く手を銃撃で防ぎ始める。

 ブレードで切りかかるオレの攻撃を回避し、上手に距離を稼ぎながら、的確に弾丸を撃ち込んでくる。

「スピードは驚愕すべきだが、まだまだ甘いな!」

 一筋縄ではいかないな、と相手の隙を窺うように、クラリッサを中心に飛び回る。

「飛び回り過ぎだ!」

 手に持ち替えたマシンガンで次々とテンペスタの道を阻もうとした。それぐらいならと、オレも機体を横に回転させて回避しながら飛ぶ。

「そろそろ行くぜ、大尉!」

 さらに加速し、一気にラファールの背後まで回る。それに銃口を合わせようとする瞬間、テンペスタの推進翼が瞬時加速を発動させた。

「ちっ」

 クラリッサは左手でナイフを取り出し、オレのブレードを受け止めようとする。だが、加速とはすなわち力だ。テンペスタが軽々とナイフごとラファールを弾き飛ばした。

 だが、敵も第三世代機を運用する精鋭部隊の副隊長だ。地面に飛ばされる機体を立て直しながら、右手のマシンガンでけん制の弾丸をバラまく。

「食らうかっ、トドメだ!」

 らせん状に回避しながら、背中から地面に激突していくラファールを追いかける。辿り着くと同時にその首を右手で掴むと、さらに尾翼で加速を追加して勢い良く地面にぶつけようとした。

「捕まえたぞ」

 大尉はニヤリと不敵な笑みと共に、自分の首を掴んだオレの手を引きつけ、片側のスラスターだけ動かして体勢をクルリと反転させる。つまり、オレが地面側になってしまったのだ。そして抱きつくような体勢で完全にロックされた。

 んなバカな!?

 すごい精密操作だ。オレの力に逆らわずに見事にテンペスタの力を自分の加速に変えたのだ。

 地面まであとコンマ2秒もない。

 迷ってる暇さえなく、オレも足の逆噴射スラスターを全開放し、相手のロックを外しにかかる。

 そして、二人で地面に激突した。

 轟音とともに土煙りを巻き上げられる。

「くっそぉー」

 頭側にクラリッサを押しのけようとした瞬間に地面に激突したようだ。

 ゆっくりと目を開けるが暗い。

「やん」

 どこかくぐもった可愛い悲鳴が聞こえるが、目の前は真っ暗だ。

 ……まさかオレは両目とも見えなくなっちまったのか?

 いや、柔らかい感触が顔の上に乗っている。つまりコレが邪魔で見えないだけだ。

 何とか這いでようと顔を動かす。

「こ、こらバカ、動くな!」

 慌てた様子のクラリッサの声が聞こえた。頭を振って少し体勢をずらすと、ようやく視界が開ける。

 ……目の前に広がるのは、女子用ISスーツの股部分だろう。

 つまり、オレの顔面にクラリッサのケツが乗ってたのだ。

「おわあああっ!?」

 慌てて声を出すが、テンペスタの羽根が埋まってるせいか、上手く動けない。

「や、やぁ、ば、バカ! こっちは動けな……ぁん」

 なんだこの色っぽい声は。クラリッサの声なのか。

「って興奮してる場合じゃねえ!」

 足のスラスターを駆動させ、ISの腕でクラリッサの胴を抱きあげて持ち上げる。ラファールは落下の衝撃でエネルギーが尽き、動けなくなっているようだ。専用機ではないので、アクセサリには戻らず、そのままの形で固まっているのだろう。

 背中の羽根で体勢を立て直して、ゆっくりと相手を地面に降ろす。オレもISを解除して地面に足をつけた。

「大丈夫ですか!?」

 山田先生がクラリッサに駆け寄るが、相手は魂が抜けたような声で、

「ふふふふふ」

 と俯いて笑うだけだった。

「あ、あの、大尉?」

「山田先生、解除を」

「あ、はい」

 手伝ってもらいながら、ラファールから抜け出る。

 そして、きつい眼差しの顔を上げた。あ、いや、半泣きだ。眼帯のしてない方の目が潤んでる。

「す、すいませんでした、大尉!」

「く、キサマ、私にこんな少女漫画のような辱めを……」

 お前が言うか、という反論はグッと飲み込む。

「い、いや悪かったけど、事故だし、ちょっと体が密着したぐらい」

「ちょっとだと!?」

「いや、かなりだけどさ。大尉も良い大人なんだしって、ああ、そういうことか」

「む?」

 激怒してる理由がわかった。超閃いた。

「ひょっとして処女なの?」

「この、痴れ者があああああ!」

 力のこもった正拳での懲罰を顔面で受けたオレは、スケート選手さながらの空中三回転を決めながら吹っ飛んで行った。ただし着地は失敗で芸術点は零点だろう。

「わ、わざとじゃねえだろ!?」

「上官を侮辱したなキサマ!」

「オレの上官じゃねえし!」

 上体だけ起こして抗議をするが、相手はまだ半泣きのままだ。って、ふと山田先生を見ると、すんごい恨みがましい目線でオレを睨んでた。

 ……一つの言葉で二人を侮辱してしまったようだ……すいません。

 立ち上がろうとしたオレの顔の上に影が差す。

「玲美?」

「ふふふふ、ヨウ君、何してるのかなぁ?」

 うわぁ、超笑ってねえよ。顔は笑ってるけど、全然笑ってねえよ。

「……ちょっと肉体接触しただけ?」

「ヨウ君のバカァ!」

 玲美が拳を振り上げて、いや、足まで振り上げて、全身の力でオレを殴ろうとした。

 だが、それは見事にオレの手前を素通りしていく。

「へ?」

「あれ?」

 体勢を崩し、玲美が尻持ちをついてたオレの上に倒れ込んだ。

「いててて、大丈夫か、玲美」

「あれれ、目測謝ったかな……」

 と照れ笑いをしながら、胸の中で玲美が顔を見上げる。わずか十センチの前で目が合った。

「どした?」

 彼女の顔が一瞬で真っ赤に染まり、そして何を思ったのか、思いっきりオレにビンタをかました。

 これが見事にオレの顎の先端にクリーンヒットする。先ほどのクラリッサパンチで若干グロッキー状態だったオレの脳に、トドメを刺すには十分な一撃だ。

 オレの本日の記憶はここまでだった。

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、真っ暗な自室だった。ベッドサイドの携帯端末を操作すると、時刻は十二時を回っていた。気絶したオレを誰かがここに運んでくれたのだろう。体はISスーツを着たままだ。

 起き上って軽く首の骨を鳴らし、背伸びをして体の異常を確かめるが、問題はなさそうだ。

 冷静に今日のことを思い出す。

「……まさかのラッキースケベとか」

 気分が憂鬱になる。

 正直、これだけはすごい気をつけてた事項だ。

 ひとつ、間違って女子の着替えに遭遇しないこと。

 ひとつ、女子とぶつからないこと。

 ひとつ、何もない場所で足が絡まって倒れこまないこと。

 以上三つが、女子率約100%の中で男が暮らすコツだ。間違ってラッキースケベ……カッコ笑いなどに遭遇しようものなら、オレは女子の目の敵にされかねない。

 あくまでクールに過ごす。女子に性的なことでうろたえた様子を見せない。

「く、相手のアホ体質に巻き込まれたか……」

 思いだすだけで足の力が抜け、床に膝をついてしまう。体はどこも悪くないが、肩の上に重い気分がのしかかってくる気がした。

 しかしだ。

「とりあえずクラリッサには謝らないとな」

 失礼なことをしでかしたのは間違いない。テンパって言い訳なんぞしたせいで、余計なセリフまで吐いてしまったんだ。間違ってたのはオレで、謝罪すべきもオレだろう。

 喉が乾いたので、起き上って冷蔵庫を開ける。中に見覚えのない皿があった。

「なんだこりゃ」

 取り出して見ると、そこには小さなオニギリが5個ほど並べられていた。その間に綺麗に折りたたまれた紙切れを発見する。取り出して開いていくと、中に文字が書いてった。

「バーカ、とゴメンネ、か」

 最初の単語の後には、アッカンベーの顔文字が、そして右下に小さく書き添えられた二つ目の言葉の後には、泣き顔が付け足してあった。

 これは玲美の仕業か。

 そういや昼飯に三つほどオニギリ食っただけだったな。

 ホントはこのまま着替えて、空腹のまま寝るつもりだったが、せっかくだし、食べておこう。

 部屋の明かりを付け、手を洗ってからイスに座る。

「いただきます」

 手を合わせてから、オニギリ一つ一つ持ち上げて観賞し、ゆっくり味わいながら咀嚼していく。

 うん、美味い。

 白一色だった昼間と違って、今回はバラエティーに富んでおり、チキンライスやチャーハンを固めたものもある。オレはあっという間に四つを食べ終わった。

 最後の一つはどうやら炊き込みご飯のオニギリのようだ。造形は見事で、見た目に文句はない。

 ありがたい気持ちでオレは大口を開けてオニギリを齧った。

 ……しまった、まさかのトラップだ。

 背中と顔から、冷や汗が一気に噴き出し始める。

 最後の一個は国津玲美製ではなく、セシリアスペシャルだった。

 なんてこったい。

 

 

 

 

 こそこそと朝一番に登校し、廊下の影で隠れて件の人物を待つ。

 クラス代表の仕事なのか、セシリアがクラリッサを引き連れて教室へ歩いてきた。

「お、おはようございます」

 うわ、声がうわずったし、噛んだ。

 セシリアが少し呆れたように笑い、ため息を吐いて、

「お加減はいかが?」

 と尋ねてくる。

「大丈夫だ、問題ない。オニギリありがとさん」

「ふふふ、上手く出来てましたでしょう?」

 得意げな笑みを浮かべる彼女は美しい。その手で作られる料理も、見かけだけは美しい。

「うん、凄い味だった」

「機会があれば、また作って差し上げますわ」

 全力で遠慮したい。

 って、そんなことより、用件はセシリアの後ろでオレを睨んでいる大尉殿だ。

「何だ?」

 ギラリと殺意の込められた視線を向けられる。あまりの恐さに怯んで逃げ出したくなるが、悪いのはオレだ。

「大尉殿! 昨日は失礼いたしました!」

 腰を九十度に曲げて、謝罪を叫ぶ。

「ふむ?」

「上官に対し、失礼な態度をして申し訳ありませんでした!」

「……キサマは私の部下ではないが?」

「ですが、ISパイロットとしての先輩であります!」

 そうだ、冷静に考えれば自分が今、発した言葉通りだ。アメリカであったナターシャさんも、このクラリッサも同じISパイロットの先輩である。

 何より昨日の最後で見せた空中での体勢入れ替えは、今のオレには到底、真似できるものではない。それも借り物のラファールで行ったことを考えると、彼女はオレより数段優れた人間だ。

「白々しいな」

 信用してもらえてないのか、ジロッとオレの方を見る。

 上げかけていた頭をもう一度下げた。

「言い訳はありません!」

 こうなったら、許しをいただくまで謝罪を続けるのみだ。

「ぷっ」

 吹き出したのは、セシリアだった。そのまま微笑を含んだ言葉を紡ぐ。

「まあ大尉さん、よろしいではありませんか。先ほども彼を褒めていましたのに」

「へ?」

「ヨウさん、彼女はあなたを高く買ったようですわよ」

 ウソだぁと思いながら、クラリッサの顔を下から覗き込む。

「まあ、筋は悪そうだが、ISの展開スピードと、上空に飛び上がるときの推進翼の動きは良かった。よほど地味な反復練習を毎日こなしてるのだろうと話していたのだ」

 そっぽを向きながらも、少し照れたような顔でクラリッサが喋った。

 正直、ちょっと……いや、結構な嬉しさだった。かなり地味な訓練を毎日繰り返している部分であり、そこに自信は持っていたが、褒められたことはなかったのだ。

 そっか、昨日、『速い』と驚いてたのは、テンペスタのスピードじゃなくて、そんな普通は目にもつかない部分だったのか。

「クラリッサ大尉……」

「ええい、そんな感動したような目で見るな。時には部下を褒めるのも上官の仕事だ」

「ありがとうございます!」

 今度は謝罪ではなく、感謝を込めて頭を下げる。

「頭を上げろ」

「は、はい!」

 いつもの鋭い目つきが、柔らかく微笑む。

「私が昔、教官に言われたことを伝えよう。キサマには才能はない。だが、今までと同じように頑張れるな?」

「はい!」

「よろしい。では、昨日のことは不問とする」

「ありがとうございました!」

 また、心の上官が増えた。

 セシリア・オルコット、ナターシャ・ファイルス、そしてクラリッサ・ハルフォーフ大尉。

 あれ、オレって外人好きなのか? という疑問は置いておいて、教えてもらったことは心に刻んでいこう。

 

 

 

 

 今日は織斑先生のIS実習だった。

 いつもサポートしてくれる山田先生の代わりに、クラリッサが昨日と同じラファール・リヴァイヴで教えてくれることになった。

 一組二組合同の授業ということで専用機持ちが三人いる。そこにクラリッサが入り、数人ずつのグループを作っての組み手を行うことになった。

 足を折った状態の打鉄に一人ずつ乗り込んで、違うグループの打鉄とアドバイスを受けながら簡単な組み手を行っていく。

「次は玲美か」

「うん、頑張るね」

「おう。それと昨日はありがとな。美味かった」

「そ、そう? また作って欲しい?」

「機会があればな。出来ればスペシャルなしで」

「あははは。でもホントに昨日はごめんね」

「いいよ。気にしてない。オレもいろんな人に失礼なことしたし、罰を受けたつもりでいるよ」

「……素直だよね、ヨウ君って」

「そうか? だいぶ捻くれて育ってるつもりなんだけどな」

 少なくとも一度目の人生は、そうだった。

「ハイハイ」

「ほら、相手は準備出来てるぞ。乗った乗った」

「はーい」

 返事をしながら、玲美が打鉄の脚部に手をかけようとした。だがISの装甲を掴めずに手が空を切り、前のめりに躓いた。

「何やってんだ……」

「あれ? 失敗失敗」

 恥ずかしそうに笑いながら、もう一度、打鉄に乗ろうとする。

「待て!」

 鋭い声が響く。振りかえると、クラリッサが鬼の形相をしていた。

「た、大尉?」

「そこの女子、キサマ、自覚症状はあるな?」

「え?」

「IWSの自覚症状はあるのか、と聞いてるのだ」

 その言葉に、玲美が顔を青くする。

 IWS。インフィニット・ストラトス・イン・ワンダーランド症候群。元の病名は不思議の国のアリス症候群という認識障害から来ているらしい。ISパイロットがかかる感覚障害で、ISを降りてもISの操作感覚が離れなくなる病だ。

「キサマ、昨日もフタセノを殴ろうとして、空中を殴っていたな。典型的初期症状だ」

「それは……でもこれぐらい軽度なら……」

「バカか、キサマ!」

 貫禄のある怒鳴り声がグラウンドに響く。

 横目で織斑先生を見ると、彼女も大尉と似たような厳しい表情をしていた。

 青ざめる玲美は何も喋らない。そこにクラリッサが言葉をかける。

「名前は?」

「く、国津、玲美です」

「レミか。いいかレミ。感覚がズレるということは、非常に危険なことなのだ。階段を踏み外すぐらいならまだ良い。最悪、自分の体がどこにあるかもわからなくなるぞ」

 実感の籠った言葉、と感じたのはオレだけではないだろう。

 クラリッサの言うとおり、IWSというIS乗り独特の疾患は、最後は感覚が自分の体から離れてしまったようになるらしい。末期症状は酷いもので、手の平が一メートル先に、自分の顔より高い位置に口が、そして足が常に中に浮いている、などの自己認識障害が消えなくなるそうだ。そうなれば、日常生活すら困難になる。

「でも……それじゃ置いていかれちゃう」

 膝をついた玲美がオレの顔を見上げた。そこにISから飛び降りて、クラリッサが歩み寄り、膝をついて女生徒に語りかけ始める。

「その心意気は大事だ。だがな、周囲を悲しませるな。お前にはお前の仲間がいるだろう」

 クラリッサの熱の籠った言葉を聞いて、オレは玲美に頷いて見せた。

「オレも玲美がケガしたら、悲しむよ。理子だって神楽だって、セシリアに他のみんなだってそうだ。お前のパパとママなんて、相当に心配するぞ」

「……それは」

 下を向いてしまう。両親を出したのは卑怯だったかもしれないが、嘘は言っていない。

 ドイツから来た大尉が、玲美の手を取った。

「レミ、お前はISという力を持つことが出来る。だが考えてほしい。その力の使い道は何なのか、と」

 そうだ、決して自分の愛する人々を悲しませるための力にしてはいけない。

 オレも自分の両親を思い出す。あの両親を悲しませるようなことをするために、IS学園に来たわけじゃ……いや、二度目の人生を始めたわけじゃない。

 ……勝てないなぁ、この大尉には。面倒見が良くて部下に慕われている、という話は覚えていたが、これじゃ慕われない方がおかしいぐらいだ。

「わかりました……」

 玲美が小さく頷く。それに我が心の上官殿は微笑みを返した。

「よし、ではヨウ。今日は彼女を休ませろ。織斑教官、良いですね?」

 クラリッサが立ちあがって織斑先生に尋ねる。そういやクラリッサも織斑教官の教え子だったっけ。

「許可する。国津はこのまま早退して、医務室で検査を受けろ。まだ症状が軽いようだし数日乗らなければ、すぐに治るだろう。二瀬野、連れていってやれ」

 その言葉にオレも頷いて返す。

「玲美、立てるか?」

「うん」

 手を差し伸べると、彼女がそれに捕まるようにして立ち上がった。それからクラリッサの方を向き、勢い良くお辞儀をする。

「大尉、ありがとうございました」

「ああ、大事にしろ」

「はい!」

 少し元気を取り戻したようだ。これなら大丈夫そうかな。

「では大尉、織斑先生、失礼します」

 オレもそれだけ言って、玲美と歩き出した。

「ほら、授業に戻るぞ。次は誰だ?」

 テキパキとドイツIS特殊部隊の副隊長殿が指示を出し始める。

 かっけえな。

 その声を背中で聞きながら、オレと玲美の速度に合わせてゆっくりと歩いていった。

 無言でしばらく歩いた後、玲美がオレの腕に急にしがみついてきた。

「っと、どうした?」

「……ダメ?」

 どうやら憑き物が落ちて、誰かに甘えたくなったようだ。仕方ないな。

「更衣室までな」

「覗くなよー?」

「覗かねえよ、アホ」

「ちぇ」

「女の子が舌打ちするんじゃありません」

「ヨウ君って女の子に夢持ってるタイプ?」

「そう見えるかよ」

「全然。そんなタイプには見えない」

「デスヨネ」

 軽薄そうなスケベメガネ様だからな、オレは。

「お前って、いっつも大事なこと言い忘れるよな」

「うん、ごめんね……」

 左腕に玲美をくっつけたまま、オレはIS学園の地面を歩いていく。数十メートルほど無言で歩いたあと、

「私ね、あのテンペスタに乗ったことあるんだ」

 と、そんなことを彼女が漏らした。

「へ? ホークに?」

「うん。って言っても、歩かせるだけだったけどね。IS学園来る前に、研究所で」

「パパに我が儘言ったのか」

「試験勉強のつもりもあったからね」

「なるほどな。IS学園の試験は、教官との軽い模擬戦もあるもんな」

 ちなみにオレは見事に負けたが。

「で、初めて動かしたときのヨウ君よりも、全然上手かったと思うんだ」

「ははっ、最初のころのオレより下手な奴なんて、なかなか存在しねえよ。スピード出すだけだったしな。今もあんまり変わらないけど」

「今もヨウ君に負けてるつもりはないけどネ」

「お前、操縦上手いもんな。適正B+だっけ」

「うん。でも、ヨウ君ってすごい地味な訓練好きじゃない? 外見と違って」

「失礼なヤツだな。分をわきまえてるんだよ」

「で、この間の無軌道瞬時加速。あれを見たとき、毎日やってる羽根を動かすだけの訓練が、ああいう風に結びつくんだって思ったらさ、自分がすごくサボってた気がして」

 無軌道瞬時加速は本来、直線しか勧めないイグニッションブーストを、テンペスタ・ホークの推進力で無理やり軌道を曲げる技だ。自由に進むためには、翼の動きの正確さが重要になってくる。

「……まあ、専用機を預かった身だしな。毎日、努力ぐらいしないと」

「だから、自分も努力しなきゃーって思って」

「それで自覚症状あったのに無理したのか。バカたれ」

 玲美がぎゅっと力を込めて抱きついてくる。正直、ISスーツ越しの胸の感覚が悩ましい。

「へへっ、でも、それでパパとママを悲しませちゃ意味ないよね」

 それ以上は喋らずに、無言で歩いていく。

 オレたちIS乗りってのは、それなりに大変だ。努力しなけりゃすぐに置いていかれるし、下手したらISに乗る機会すら失われる。

 オレだって唯一の男だからって、サボってはいられない。VIP保護プログラムの下で名前すら変えていくことを、オレのために黙って受け入れた両親。テンペスタ・ホークの操縦者として期待をかけてくれる四十院研究所の人たち。時間があれば練習を見てくれるクラス代表のセシリアや、アメリカで色々と教えてくれたナターシャさん。それに、オレの努力を褒めてくれたクラリッサ大尉。

 たった467個しかないISコア。稼働しているISの数はさらに少ない。卒業してからISに乗れるかすら分からない。

 それでもオレたちはIS学園に入ってきた。

 人生の意味すらわからないが、とりあえずは、身近な人々に誇れるよう毎日を生きていくしかない。

 二度目の人生は、何とか精いっぱいやってる。

 

 

 

 

 放課後になり、二日間だけの滞在だったクラリッサが帰国の途に着く。オレと玲美とセシリアが代表して、彼女を駅まで送ることになった。

 モノレールがホームに入ってくる。

「では、世話になった」

 私服に戻ったクラリッサが敬礼をする。……少女漫画のプリントTシャツにジーパンというセンスが敬礼とすげぇミスマッチだ。

「こちらこそお世話になりました!」

 元気を取り戻した玲美がお辞儀をする。

「レミ、しっかり休めよ、すぐに治る」

「はい!」

「セシリアも世話になった。欧州で会うことがあれば、よろしく頼む」

「ええ、大尉もお元気で」

 セシリアと握手を交わした後、クラリッサがオレの方を見た。

「ヨウ、これを」

 紙切れを渡してくる。

「何ですか、これ」

「後で開けろ。中にある指示は必ず実行しろ」

 ドイツ式の訓練か何かかな。

「とりあえず、お世話になりました」

「ああ。頑張れよ」

 モノレールのドアが開き、クラリッサが荷物を持って乗りこんだ。

「では、次は私の上官が来ると思うので、よろしく頼む。良くしてやって欲しい」

「上官?」

 セシリアと玲美が顔を見合わせて小首を傾げた。

 やっぱり近日中にラウラ・ボーデヴィッヒが来るのか。でも、クラリッサ・ハルフォーフと出会えて本当に良かった。

 ドアが閉まる。律義にクラリッサが中から敬礼をしていた。オレと玲美は見よう見まねで同じように敬礼をして返す。

 彼女の乗ったモノレールが走り去って行った。名残惜しそうに三人でそれを見送るが、すぐに見えなくなっていく。

「で、なんでしたの、その紙は」

「さあ? 訓練メニューかな」

 貰ったばかりの紙を開いて、中身を確認した。

「なんだこれ」

 見覚えのない文字列ばかりが並んでいる。

「どれどれ? あ、これって」

「知ってるのか玲美」

「古い少女マンガのタイトルだね。一番下に『全部探して送ってこい』って書いてあるよ」

 つまり、この紙に書いてる三十ほどの単語は全て、電子書籍化すらされていない骨董品の少女漫画らしい。

 プルプルと自分の体が震えることが自覚できた。これは怒りに震えているのだ。

「あんの少女漫画オタクの馬鹿ジャーマン!!!」

 オレの怒号がIS学園駅のホームに響く。

 新しい心の上官殿は、最後までオレに怒りのツッコミをさせて、日本を去って行った。

 

 

 

 

 

 


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