ガンダム ビルドファイターズS(シャドウ)   作:高機動型棒人間

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一年ぶりの更新となり、申し訳なく思うことしきりです。
気が付けばビルドシリーズもダイバーズが二作目まで広がりました。じゃあファイターズでしかできない世界観をやってみたいですね、と思う次第です。


第2章「3つの運命が歴史になる」
Parts.08「哀・真実」


Side ユウジ

 

意識がまどろみから浮上すると、重い瞼がのしかかっていた。

まるで全身に鉛を詰めて海の底へ放り込まれた気分だ。瞼の少し隙間を開けるだけでも外気の冷たさが目に染みる。

朧気な視界の中、ボクの眼前を黄色い角材のようなものが行ったり来たりしていた。

喉の奥から、かろうじてうなり声を絞り出した。

 

「ううん……?」

「お!?ユウジちゃん、目が覚めたか!」

『病人の枕元で大声を出すべきではないよ』

「そうか。わりぃ」

 

角材だと思っていたのは、男性の頭だった。知らない人だ。

逆立てた金髪にサングラスとアロハシャツという奇天烈な出で立ちで、心配そうにボクをのぞき込んできていた。鼻先が触れ合いそうなほどに近づくと、かすかにプラモ用の塗料のにおいが鼻腔をくすぐる。

 

「心配したぜ。延々と眠りっぱなしなんて、どんなダメージ受けたんだよ」

「……」

「ユウジ?」

「あの、どちら様でしょうか?」

「は?」

 

相手からひっくり返った声が上がるが、訳がわからないのはボクの方だった。

あの後、模型店『ビシディアン』で気を失ったボクは、どこかの病院に担ぎ込まれたのだろう。

幼い頃から様々な理由で入退院を繰り返したもので、身体をぴっちり抑えつける布団の感触や、まだら模様の天井は慣れ親しんだ光景である。

しかし、こんな強烈な恰好の人は食堂の常連にも、父さんの仕事の同僚にもいなかった。

ましてやボクを名字でなく名前で親し気に呼ぶ人だ。そんな距離感でいられるのは家族と師匠、そしてアレックスくらいのはずである。

 

「おいおい。冗談はよせよ」

 

金髪の男性は取り繕うように、両腕をじたばたと振りながらまくしたてる。

 

「オレちゃんはキノ・シュン。お前の同僚だろうが」

「ボクの、同僚?」

「そうだよ。公式審判員特務班の」

「特務班って……師匠からそんな名前は聞いたことないですよ」

 

まったくの寝起きで、霧がかかったようになっていた頭の中に、モヤモヤとした警戒心が沸き起こった。

そもそも、中学生のボクは審判員のライセンスを取ることのできる年齢に達していない。

キノさんと名乗るこの人はひょっとして、ボクによからぬことを吹き込もうとしているのではないだろうか。

 

「874(ハナヨ)、どういうことだ」

 

キノさんは、サングラス越しにボクへと鋭い目線を投げかけた。瞬間、背筋が冷たいナイフで撫で上げられたような錯覚に陥る。

師匠と同じ、修羅場をいくつも潜り抜けた人の目が、そこにあった。

 

『ふうむ……これは奇妙だね。まるで別人だ』

 

背後で、ガンダムファンなら誰もが耳になじませたキャラクターの声がした。

アムロ・レイだ。

驚いて首を巡らせたら、そこには儚げな雰囲気の女性が一人座っていた。

彼女もやはり金髪だが、こちらは恐らく天然の綺麗な巻き毛が渦を巻いている。瞼を閉ざし明後日の方向を向いている点から察するに、盲目なのだろう。

そして膝の上にハロを乗せていた。ハロの双葉型の耳がぱたぱたと羽ばたき、アムロの声を発する。

 

『少し診てみるとしようか。専門的な医療知識は皆無だけど、妙なものが視えたからね』

 

この間、女性の唇は微動だにしていない。

どうやら彼女の意志は、このハロを介しているらしい。短いつぶやきの端々からは人間の息遣いを拾い上げることができて、造られた音声とはとても思えなかった。

 

『キミ、自分の名前は憶えているかい?』

「え?……ツガミ・ユウジですけど」

「なに言ってるんだ。お前はアシハラ・ユウジじゃねえのか?」

「アシハラ?」

『キノ・シュンは少し黙っていてくれないか。余計な混乱を招く』

 

ハロもとい874さんによって遮られたが、ボクは『アシハラ』という語を聞き逃さなかった。

それは母さんの旧姓だ。ボクがその名前で呼ばれることは戸籍上ありえないのだが、リョウタロウ叔父さんと父さんを混同しているのだろうか。わざわざハロは合成音声で咳払いをした。

 

『今のはひとまず気にしなくてもいい。キミが望むなら後で説明しよう』

「はあ……」

『それより、だ。キノ・シュンが『ずっと眠っていた』と言うのを聞いていたと思うけれども、日付の予想はつくかい?』

「今日のってことですか?」

『何年何月何日かまで頼むよ』

 

変な質問だ。

形をとりつつある警戒心をいったん隅に置いて、ボクは頭を働かせる。

たしか食堂で最後に用意した日替わりランチは、アレックスの好物である『豚肉の生姜焼き定食』だった。ランチは月と曜日に対応したローテーションを組んでいるから、逆算すれば自然に答えは出る。

第七回世界大会から2年後の7月24日だ。寝起きにしてはよくできた。

一抹のうれしさを秘め、自分の計算を874さんに伝える。彼女の真っ白な眉間にシワが寄った。

 

『やはりそうか』

「ユウジちゃんの勘違いって訳でもなさそうだな」

 

ところがどうだろう、かえって2人は深刻そうにボクを見るばかりである。

束の間ちらついた得意げな気分はどこへやら、ボクはまるで自分が叱られたような心地で、所在なく首を縮こませた。

そして874さんはなぜか、浅く頭を下げてみせる。

 

『ツガミ・ユウジ。ひとつ謝罪させてくれ』

「なんでしょう?」

『さっきのキノ・シュンの認識には大きな誤解があった。すまない』

「あっ……そう、ですよね?倒れたのが朝早くだから、だいたい6時間後くらいですか?」

『違う。今は1年後だ』

「は、はい?」

 

流石のボクでも、その告知には乾いた笑いがこぼれた。冗談にしてもタチが悪い。

1年、365日。

いくら寝坊したって、そんなに長く眠り続けていたら身体がもたない。

起きたばかりの気だるさこそあったけれど、健康体そのものという自覚があった。

 

「何言ってるんですか。そうしたら僕の身体は……あれ?」

 

そういって、己の首から下に視線を落としてボクはぎょっとする。

周りから女の子のようだとからかわれてきた、生白いはずのボクの腕が、筋肉のついたがっしりとしたものにすり替わっていた。顔や体もベタベタ探ってみれば、どう考えても一回り大きく硬い反発を受ける。

 

「なんだ?ボク、どうなって……」

 

汗が噴き出して止まらない。

キノさんが枕元から、片手に収まるほどの小さな卓上カレンダーを手渡してくる。そこに刻まれた4桁の西暦は、記憶よりも1つ大きい数字だった。

 

Side アレックス

 

昨晩は忌まわしき記憶を見た。

これまでは意識の奥底へ沈めてやっていたが、ツガミ・ユウジとの対決をトリガーにして、久しぶりに『再調整』の副作用が出たらしい。

 

「1年前か……ふん」

 

『再調整』措置は様々な処置で脳を掻きまわすせいか、過去の記憶をありのままに、悪夢の形をとってフラッシュバックさせる副作用があった。

当時の苦痛、なによりも実の妹の立ち居振る舞いに戦慄したという過去が、オレにふつふつと怒りを湧き上がらせる。

1年前、あの程度で、オレは妹を化け物と呼んだのだ。

アレックス・メルフォールが『たかが』喜怒哀楽を調整された程度の人間に、ただの一瞬だろうと肌を粟立たせたとは、とんだ屈辱である。

措置の後遺症で頭をおかしくしていたとしか思えない。

 

「……おい、聞いたか。アレックス様のこと」

 

苛立ちを紛らわせるように、ホテルの廊下を乱れる足取りで踏み進んでいると、不意に部下の会話が耳に入った。

ちょうど通路が壁によってT字に分岐している箇所の死角であるため、オレに彼らの姿はうかがいしれず、あちらもオレの接近に気づいていなかった。

 

「ああ。ビルドファイターを病院送りにしたってやつだろう?」

「それがどうも、日本にいた時の親友らしいぜ」

「まじかよ」

 

どうやら数日前、オレとの対決によってユージが昏睡状態に陥ったことの話をしているらしい。

咎めるようなささやきは、あの夢と同じ過去に紐づけられているが、こちらはちっとも心が動かなかった。オレ自身の感覚では、日本でツガミ・ユウジに媚を売ったアレックス・メルフォールは別人なのだから当然だ。

 

「昔、頭の中をいじられたって噂は本当なのかもな」

「なんだそれ?」

「俺も最近耳にした話なんだが、その親友と別れた後に記憶を全部リセットされて性格も変えられたとかいう」

「アニメの見すぎだろ」

「でも急に機嫌が良くなったり悪くなったり……なんていうか、キャラが定まってないところがあるだろう?」

「そんなのただの気分屋だって。わがままなんだから、アレクサンダー様は……」

 

そこまで話して彼らは口をつぐんだ。

オレに気づいたのではない。連中の立つ直線通路の反対側から、オザワの高い靴音が差しかかったのである。彼女は部下たちに冷たい視線を送り、静かな怒気をはらんだ口調で言い渡した。

 

「任務中の私語は慎みなさい。上層部への異議は直接申し立てるように」

「は、はい」

「それとアレックス様。静岡の研究施設から、至急お話したいと連絡が」

「わかった」

 

オザワの位置からはオレが見える。

おもむろに死角から姿を現すと、部下たちの顔が青を通り越して白んでいき、ぶるぶると震え始めた。

しかし、奴らにオレは一切の感想を示さない。流し目をひとつ送ってやるだけだ。

この仕草だけでこいつらは、自分たちの愚痴が相手に聞こえていたと悟ることになる。いつ自分たちの首が飛ぶかと気の休まらない日々を送ることになるだろう。重い罰を下すよりも、そちらの方がいい気味である。

 

「こちらへどうぞ」

 

オザワがオレを誘導する。

通る道の先で、作業や打ち合わせをしていた構成員たちはバラバラと道を空けた。

そんなことをしなくても廊下は十分に広いのだが、オザワの叱責が聴こえて、みな余計な遠慮を働かせているのだ。

左右から思惟が集まる。

畏怖。怯え。冷笑。それらが赤黒い渦の形をとって、自分の周りを流されていくようだった。

 

「どいつもこいつも、たかが16歳の高校生に意見もできんのか」

「チーム全体の士気が下がっています。由々しき事態です」

「もしも帰国や退職を希望する奴がいたら好きにさせろ。機密漏洩にだけ気をつければどうでも構わん」

 

オレを慕う人間など最初からいないのだ。最終的に、オレ独りがすべてを手にできればいい。

目的の部屋にたどり着くと、その中央にノートPCが開かれていて、暁 雷光の両腕に宿る『神器』を製作した老人が写り込んでいた。

何やら困惑している。オレは用意された木製の椅子に腰を下ろした。

 

「要件はなんだ」

「アレックス様。先日そちらから送っていただいた、ツガミ・ユウジ所有のアリスタについてですが」

「ほう。なにか進展があったか」

「1年前、アレックス様の帰国直後に回収させていただいたアリスタとのシンクロ実験が失敗しました」

 

アリスタとは、ツガミ・ユウジのガンプラが擬似的なRGシステムの拠り所としていたプラフスキー粒子の結晶体のことだ。

その膨大な粒子の発生に任せて強引な出力を可能にしたようだが、前回の戦闘でその胸部から抜き取ってやっていた。

オレの『神器』を使った計画を遂行するために欠かせないものだ。

 

「一度や二度の失敗で臆するな。条件づけが甘いのだろう」

「いえ。それが分析したところ、2つのアリスタの構成の相違が原因と判明しました。反粒子の結合パターンが異なるのです」

「……同じモノのはずだ」

「出力、構成、拡散反応に特異性が認められたのはツガミ・ユウジのアリスタのみでした」

「——」

「結論を申し上げます。アレックス様が所持していたアリスタは、現在のシステムに使用されている粒子となんら変わらない凡百のもの……つまり偽物です」

 

こめかみが引きつったのを自覚した途端、右手を乗せていた肘置きが悲鳴をあげて軋んだ。

 

Side コウイチ

 

アシハラ・ユウジはフランス出身の凄腕ファイター、アレックス・メルフォールに敗北し、倒れているところを発見されて市民病院へと運ばれた。

それから数日後。

彼が目覚めたと聞いて駆け付けた僕が目にしたのは、彼の変わり果てた姿だった。

 

『さっき概略は話したが……もう一度はじめから説明しよう』

 

874さんのハロが跳ね、ゆるいアーチを3度描いて、ベッドの上に着地する。

僕はその軌道をつい目で追いかけて、ハロを手に取ったアシハラと目があった。

つい先日まで、不愛想で仏頂面ばかりだった僕のパートナーは、おどおどと目を逸らす。その整った顔を構成しているパーツは何ら変わっていないはずなのに、かすかな挙動の端々に、今にも崩れそうな弱々しさがこもっていた。

まるで別人だ。

 

『アシハ……ツガミ・ユウジが罹患したのは『アシムレイト』の後遺症だ』

「噂で聞いたことはあるよ。数年前から、ガンプラのダメージが身体に出たという報告があったとか」

 

アシムレイト。

その現象の正体は強烈な思い込みによるプラシーボ、ノーシーボ効果の複合作用である。

ガンプラと身体を同一視した結果、よりダイレクトに機体を操れるようになる反面、ダメージまで自分が受けたと錯覚してしまう。

例えるなら、TVゲームのキャラが攻撃されたとき操作している自分まで「痛い」とつぶやくのを、極端にしたバージョンのような感じだ。

 

「ダメージに関しては、オレちゃんも上から注意喚起がきたことはあるが、よりにもよってユウジがなるとは思わなかったぜ」

「うん……それにアシハラがアシムレイトを引き起こすタイプのファイターとは考えにくいよ。これまでだって何度も機体をボロボロにしてきたじゃないか」

 

僕が知っている限り、アシハラのガンプラへの接し方はビルダーとして達観したものだった。こう改修すればもっと強くなる、壊れても直せばいい。

自分の身体とガンプラを同じものとして戦うなんてやり方はしていなかったはずだ。

すると874さんは首を左右に振った。

 

『それはアシハラ・ユウジのコンディションが僕たちの知る通りだった場合さ。相手が自分と縁深い相手なら、その精神も平静ではいられないだろう?』

「アレックス・メルフォール、か」

「っ……!」

 

アシハラがハロに置いた手が、ぴくりと動く。やはり彼にとって重要な意味を持つ名前らしい。

 

『アシムレイトを発症した状態で強いダメージを受けたのと、因縁の相手とのバトルに勝てなかったという精神的ショックが重なって、アシハラ・ユウジは退行を起こしたんだ』

「幼児退行ってことか?」

『その表現は不適当だね。彼の場合、1年前の夏にまで精神状態と記憶が逆戻りしている』

「さっきユウジちゃんに日付を聞いたのは、戻った時間の長さを確かめるためか」

『正解。前にアレックスが、僕の占い小屋まで来たという話はしただろう?その時にツガミ・ユウジとの過去は必要最低限、断片的に聞かされたからね。もしかしてと思ったのさ』

 

それは残酷な告知だった。

幾度かの任務達成を経て、僕とアシハラの間にはわずかな信頼関係が芽生えていたのだが、一切合切巻き戻ってしまったのだという。

まるで、メモリーデータを昔の日付で再読み込みするように、

僕はちらりと、アシハラの顔色をうかがった。

唇を血が出そうなほどに食いしばっている。こみあげる吐き気をこらえているように見えた。

 

「ボクが、退行」

 

かすかに絞り出された感想は弱弱しかった。

そうだ、一番ショックを受けているのは、他でもない彼自身だろう。

目が覚めたら1年間も経過していて、しかもその間の記憶はいっさい覚えておらず、知らない大人が顔を突き合わせてなんだかんだと騒いでいる。

その恐怖と喪失感はいかばかりか、とても僕には推し量ることはできなかった。

 

「アシハラ……」

 

とにかく、何か気の利いた励ましのセリフをかけようと考えをめぐらせていたときだ。突然、僕とシュンの胸元から同時に着信バイブレーションの振動音がした。

上司であるハカドさんからの、メッセージによる呼び出しだった。

 

「ユウジちゃんのことかな?」

「いや。たぶん、あのG4っていう人物のことじゃないかな」

 

数日前、僕とシュンにアシハラの危機を伝えてくれた『公式審判員』と『ムラサメ』のスパイこと『G4』。

僕はハカドさんに、その怪人物との接触を報告していた。そう言うとシュンは顎をガクリ、と大げさに落とした。

 

「なんでハカド部長に話したんだよ?バカか?」

「だって報告義務が……」

「あのなあ。『あなた方が存在をひた隠しにしていた人と、さっき連絡がついちゃいました』なんて普通バラすか?」

「ううう」

「オレちゃんより頭いい癖にそんな簡単なことが浮かばねえのな」

「仕事のクセというか。つい。ごめん」

 

ハカドさんは、ナガイ警備部長の強引な再編成措置に抵抗してくださったり、アシハラの仲をいつも心配してくれていたり、常に僕たちの味方であった。

だからスパイの存在を知らされても、無条件に彼を信頼してしまっていた。

公式審判員の心得その一。『公式審判員は、規則を把握し公正であれ』。

その『公正』とはバカ正直という意味ではないことを、僕はすっかり忘却していたようである。

シュンは頭を片手でガシガシとかきむしって腹をきめたらしい。

 

「とにかく。この現状も含めて、色々と話しに行く必要がありそうだな」

「そうだね」

「874、悪いがユウジちゃんのことを頼めるか。お前がアシムレイトの症状に一番詳しいみたいだしな」

『僕は一応部外者だよ』

「審判員のオレちゃんが信用するって言ってんの。ここはただの市民病院なんだから、民間人がついていても法には触れてないって」

『しょうがないな』

 

シュンにそんな信頼を寄せられて874さんはどこか嬉しそうである。

最初に会った時より、彼女も少し態度が柔らかくなった気がした。

 

「そんじゃあ、さっさと済ませにいくか」

「うん」

「じゃあユウジちゃん、また後で……おわっ!?」

 

シュンが病室を出ようと、真っ白な扉に手をかけて横に引いたところで、茶色の髪と灰色のくりっとした瞳に、出合い頭でぶつかった。

この場に居合わせた人物の内でも破格の造形美に、僕まで後ずさってしまう。

アレックス・メルフォールの妹、アレクシアさんだった。

そういえば病室の前で会ったはずなのに、彼女は中へと入ってきていなかった。

 

「あっ」

 

果たして驚きの声を上げたのは誰だったろうか。

みるみるシュンが顔をしかめてアレクシアさんへ詰め寄った。

メルフォール兄妹に敗北し、仲間を一網打尽にされている彼にとっては最悪の相手だった。

 

「おい、どのツラさげてここに来たんだ?」

「……」

「ユウジがこうなったのはテメエらのせいだろうが!」

「ごめんなさい」

「ごめんで済んだら審判員いらねえんだよ!」

 

この部屋ごと爆発しそうな怒りに、アレクシアさんが身をすくめる。

まずい、と僕が従兄弟を抑え込むより先に、俊敏に立ち上がる人影があった。

なんとアシハラがベッドから起きてシュンの腕をつかんだのである。

 

「あの。待ってください。キノさん」

「ユウジちゃん、止めるな!こいつは……」

「知ってます。アレックスの兄妹、ですよね」

「……ちぇっ、やっぱり知り合いだったか」

「例えあれから時間が空いていたとしても、ボクとアレックスは2年間一緒にいました。きっと話が通じるはずですから、キノさんはお仕事へ」

『キノ・シュン。さっき僕に任せるといったのは君だぞ?』

 

874さんの援護射撃もあって、シュンはようやく落ち着きを取り戻した。

大きく地団駄を踏むと、病室の扉を乱暴に閉めて出て行ってしまう。

病室に気まずい空気がたちこめるが、僕もここで取り持ってはいられない。招集命令は可及的速やかに、が大原則だからだ。

 

「あの……それじゃあ、すぐに帰ってくるから」

 

それでも廊下へ踏み出る直前、後ろ髪をひかれる思いで振り向く。

既にアシハラの臆病なまなざしは、旧友と瓜二つの少女へ注がれていた。

 

Side ユウジ

 

ついさっきまで、ボクはほとんど死んだ気分になっていた。

体は自分のものじゃないみたいに成長していて、およそ1年間の記憶がきれいさっぱりと消え失せている。

そのことを心配してくれる大人たちは見覚えのない赤の他人で、その上、なぜかボクのことを『アシハラ・ユウジ』と母の旧姓で呼んでいた。

最早なにをどこから理解すればいいのかさえわからない。

家族の、父さんと母さんの失踪でさえ十分に呑み込めていないというのに、世界は唐突に、ボクを遥か未来へと放り投げた。

白々しいほどに清潔な病室で、不安や恐怖に吐きそうになる寸前、忘れようもない姿が飛び出して来た。

茶色の髪と灰色の瞳。

綺麗に筋の通った鼻や細い眉といった細部に至るまで、アレックスと鏡写しの女の子がそこにいた。

 

『ツガミ・ユウジ。ベッドに戻るべきだよ。脚が震えている』

「えっ……?」

 

874さんに指摘されて我に帰る。その時はじめて、ボクは自分の脚が生まれたての小鹿同然だと気づいた。

実際にはたった数日でも、肉体の正常なサイクルより長く眠り続けていたのに変わりはない。

よろめき、崩れ落ちるようにベッドへと腰かける。親友そっくりの少女は涙が喉につかえた声でボクに尋ねた。

 

「……なんで私をかばったんですか?兄と違って、私はあなたと初対面のはずです」

『ツガミ・ユウジ、いや、アシハラ・ユウジという男は、こういう場合に相手を恨まないだろうからね。それを知っているから見舞いなんて殊勝な真似をしたんだろう?』

「そんなつもりでは」

『さっきのキノ・シュンの気持ちもわかるよ。君はあざとい女だ。アレクシア・メルフォール』

 

アレックスの妹はアレクシアさんと言うらしい。

874さんの口撃にすっかりしょげて俯いてしまったが、その表情こそが、彼女がアレックスとは別の存在であることを何よりも明らかにしていた。

 

「でも874さん、この子はあいつの妹ですし」

『そういうところだというのに』

「ツガミさん」

 

ふわり、とボクの手がやわらかな感触に包まれる。それはアレクシアさんの両手だった。

よく似た双子でも体質は違うのだろうか。彼女は、親友とよく似た色素の薄い手をしているのに、皮膚を防護するためのグローブを着けてはいなかった。

あの血管が透けて見えるほどの掌に触られているというのは、とても奇妙な感じがした。

 

「信用されないかもしれませんが、あなたが目覚めてよかった」

 

アレクシアさんが握った僕の手を頬へ寄せて、心の底から安心したように息をつく。

その吐息が手の甲をくすぐって、とたんに顔が火でも点けられたかのように熱くなった。

ただ親友とそっくりというだけで、キノさんたちの時とは違う反応をしてしまう自分が情けない。

 

「い、いえ。特にケガをした訳じゃないですから……記憶はちょっと飛んじゃいましたけど」

「それでもです……ああ、本当によかった」

 

あまりにもしどろもどろで、ますます恥ずかしくなる。

アレクシアさんは感極まったのか、息を詰まらせ、口元を覆っていた。

 

「すみません。みっともないですよね。ちょっと、外の空気を吸ってきます」

 

するり、とボクから暖かさが抜け落ちる。

長い茶髪が翻り、後にはボクと874さん、そして彼女の代弁者であるハロが残された。

 

『まったく。あそこまで芝居がかっているなんて拍手を送りたくなるよ。わざとらしいにも程がないかい?』

 

またアムロの声がアレクシアさんを揶揄する。

 

「874さんはどうしてそんなに意地悪なんです?」

『ただの同族嫌悪だよ』

「同族?あなたもフランス出身とか……」

『いやいや、そういう意味じゃないよ』

 

874さんの細い指の間には、いつの間にかカードが挟まっていて、それをハロが口に咥えたままボクのところへ跳ねて来た。

促され手に取ると、タロットカードだった。

しかもただのタロットではなく、満月の下に立つガンダムXを図柄にした、特注と思しき一枚だった。カードの天地は逆転していて、それがいわゆる「逆位置」というのは、ボクにもわかった。

GXの足元には「THE MOON」と記されている。

 

『彼女を表すのは月のカード——要するに、大ウソつき、ってことさ』

 

874さんは、そんなとんでもない単語でアレクシアさんを形容した。

 

Side アレックス

 

「う、ウソをついているのではありま、せん……!」

 

指ぬきグローブにつぶされた老人の喉から、蚊の鳴くような声が絞り出される。両足はわずかに宙に浮き、ふらふらと揺れていた。

ここは先日ユージと対決したメルフォール家の別邸である。

かつてナガイ・トウコからもらい受けたアリスタが偽物だという、あの通信を聞いた後、オレはすぐさまオザワに車を出させて老人を文字通り締め上げていた。

 

「オレが組織にアリスタを預けたのは1年前、ツガミ家と関係を断ち切った直後だ。それから研究を続けておいて、偽物と気付かなかったなどということがあるか」

「本当に、か、かはっ……」

 

老人の顔面はいよいよ蒼白に変わり、瞼が落ち始めた。

このままでは全て話す前に事きれそうなので、一度手を放してやる。彼は膝をつき、ひゅうひゅう、と虫のような呼吸を再開させた。

 

「お前がウソをついていないと言うのなら、納得のいく説明をしてみせろ」

「……では、一つ意見具申します。早急に、本部へ問い合わせるべきです」

「なぜ本国が出しゃばる必要があるんだ」

「我々は日本に残留して1年間にもわたり、アレックス様の所持していたアリスタを研究してきました。ツガミ・ユウジのものと比較するまで、ありふれたヤジマ式プラフスキー粒子であると、メンバーの一人も気づかないというのは異常です」

 

たしかに、異常を普通と誤魔化すより、その逆の、普通を異常と飾り立てる方が何倍も難しい。仮にも専門知識を兼ね備えた研究者連中の目をすり抜けたのには、何か外発的要因を疑っていいだろう。

 

「採集したデータは設備の都合上、ムラサメ本部へ送信しています。先ほどもそうです。我々は本部が解析した結果を比較検討し、複数の収穫を得たはずでした」

「それらは全て誤りだったようだがな。つまり何者かが、フランスでデータに細工を施して、お前たちの目に通したと言いたいんだな」

 

老人がうなずいた。

この屋敷はあくまでアレックス・メルフォールの生活拠点として、成長する戦闘データの収集と、動向監視を行っていた場所にすぎない。

毎秒ごとに変動するプラフスキー粒子反応の意味を解読し、研究を推し進めるには、半世紀のアーキタイプ研究のノウハウがあるフランス本部に頼るしかなかった。

その隙を突かれたというのならば、なるほど一応の筋は通る。

 

「アレックス様。この仮説が正しかった場合、ムラサメ内部に裏切り者がいるということになります」

「それを究明しなければ、いくらユージのアリスタを手に入れようと『紫電』は完成しない、と」

「はい」

「……お前たちの話はよくわかった。あきらかにこちらの不益を狙っての工作となっては、確かめない訳にもいかん」

 

他のビルドファイターから回収した『神器』全てではなく、アリスタの計測数値のみを誤魔化す目的は不明だが、どうあれ、その裏切り者がオレの敵であることには違いない。

老人はそんなオレの対応に何を安心したのか、急に饒舌になった。

 

「賢明な判断です。なぜってアレックス様の神器はプラフスキー粒子を——うぐっ」

「よく回る口だな。せっかくだから切り落としてホルマリン漬けにでもするか?」

「し、失礼しました…」

 

老人の下あごをひっつかむと、奴は舌足らずなまま謝罪をのべた。

オレの神器『紫電』の全貌は、ムラサメ内部でもこいつとオレしか知らないものだ。

そして、その情報は門外不出どころか、オレ自身でさえも戦闘時以外には思考へ浮かび上がらせないように努めている。

一年前のアレックス・メルフォールが、己の浮ついた感情を祖父に読まれ、再調整を受けた愚を繰り返さないためだった。

 

「アレックス様。お取込み中失礼します」

 

ちょうどその時、オザワが通信用タブレット端末を片手にやってきた。その端末の使い分けられている用途からして、要件は『ムラサメ』への自警団活動の依頼だ。

 

「アメリカにある協賛企業からです」

「アメリカ?ああ、そういえば北米支部は、心形流のふざけた審判員とナガイに潰されていたな」

「そうです。依頼内容は、過去のビルドファイターのデータ保管施設の襲撃予告が届いたため、警備をお願いしたいと」

 

ゆっくりと口角が吊り上がる。

ムラサメの協賛企業なら、その保管している戦闘データの中にはおそらく眠っているはずだ。本国で裏切り者に改ざんを受ける前の『ツガミ・ユウジとアレックス・メルフォールの戦闘記録』が。

そこに、オレのアリスタだけが偽物であったカラクリも隠されている。

 

「やはり、オレには幸運を手なずける才能があるようだ」

 

Side コウイチ

 

呼び出しを受けた僕とシュンは、アシハラのいる病院から公式審判員の支部へ引き返していた。

いつもは何でもなかった執務室の木の扉が、今日は立ちはだかる巨大な城壁にさえ思える。シュンは真剣な面持ちで僕に耳打ちした。

 

「気をつけろよ。スパイの情報を部外者が掴んだ以上、ドアを開けた途端に消される可能性もある」

「タブレットのカメラでビデオ録画はしているけど……」

「お守り程度だろ?没収されたら諦めるしかねえな」

 

扉のノックに対し、平坦な抑揚で入室の許可があった。

 

「入ってくれ」

「失礼しまーす!」

 

シュンが声を張り上げ、一足先に執務室へと入る。

彼の背中からハカドさんをうかがうと、机に向かって何か紙束を読んでいた。たとえアシハラの観察眼が健在であっても、その心境は推測できないだろう。

彼はこちらを顧みることなく問いかけてきた。

 

「ユウジくんはどうだった?」

「えっと……」

「1年分の記憶が丸ごとすっ飛んでました。オレちゃんはおろか、コウイチのことも知らない。まるで別人だ」

「そうか……」

 

先んじてシュンが事実を告げたが、ハカドさんはそれをありふれた相槌で流す。

仮にも自分で見出した部下に冷淡すぎると感じるほどだった。

 

「驚かれないんですね」

「私からしてみれば、現在の『アシハラ・ユウジ』くんの方が不自然だったからね」

「オレちゃんには初耳だなあ。やっぱりアンタも、ユウジの昔からの知り合いだったんだ」

「昔というほどではないさ。ただ、彼のことは特務ファイターとしてスカウトするよりも前から、一方的に知っていた」

 

そういうとハカドさんは、自分が持っていた資料をこちらへと差し出した。

表紙には『ガンプラバトル筐体 違法改造関連事件 全資料』とあった。

 

「これは?」

「G4と接触したという報告を受けて、私が静岡の本部から取り寄せた事件資料だ。審判員ライセンスを持つ人間しか見られない、持ちだし厳禁の資料でね。見舞いに赴けなかったのさ」

 

G4、という単語が上司から出たことに身体がこわばるが、それもつかの間、僕とシュンは紙束に目を落とした。よく見れば綴じられている紙の色褪せ方はまちまちで、異なる時期のものを無理やりにまとめたのだとわかる。

設立からたった十数年、公式審判員は司法機関としてはあまりに未熟で、日本警察の歴史と比べたら雲泥の差だ。

それがこの事件資料の、とても公文書とは思えない乱雑さに表れていた。

僕たちが質問を投げかけるよりも先に、ハカドさんは口を開いた。

 

「去年の夏のことだ。『ツガミ商事』という会社がバトル筐体を違法に改造し、運用しているという通報が、この支部に入った」

 

おざなりに設けられた目次から、一年前の該当する報告書を探り当てる。

その事件について記したのはホンゴウという警備班所属の審判員らしい。

いわく、ガンプラバトル関連物品の仲介を行う小企業『ツガミ商事』は、海外向けの筐体や機材を一時的に保管できることを利用して、システムに違法な改造を加えていたという。

フランスの取引先である『メルフォール輸送』がこの件を察知し、公式審判員に通報した。

 

「メルフォールからの密告を受けて捜査指揮を任されたのは、私だった」

 

僕は驚いてハカドさんを見上げた。

そういえば、特務設立前にハカドさんが所属していたのは警備班だった。立場からしても、この支部にいれば地域一帯の事件は任されていても不思議はない。

 

「ツガミ商事にナガイ警備部長が入り浸っている噂は、当時から有名だった。もしも彼女が、事件を見逃していたとなれば大失態だ。私たちは現場に急行した」

 

そこで彼らが見た光景は、いくつもの画像資料として記録されている。

しん、と静まり返った倉庫の中に、数台の筐体が立ち尽くし、ツガミ・ソウイチ容疑者と従業員の姿は影も形もない。

社屋・社員食堂と、その上階に位置する一家の居住スペースもまた、もぬけの殻である。

とりわけ僕の目を引いたのはリビングを撮影した一枚だ。

部屋の中央にある食卓に二人分の夕飯がラップをかけられたまま放置されている。

そこには手書きのメモが添えられていたようで、ご丁寧にも文面が読み取れるように別撮りがされていた。

 

『ユウジへ 遅くなる時はちゃんと電話するように お母さんは明日が早いので先に寝ています 冷めていたらチンしなさい 母』

 

アシハラのお母さんはきっと、友人の家に遊びに行っているはずの息子に呆れながら、そして苦笑いをこぼしながら、このメモを書いていたのだろう。

だが、それが読まれることはなかった。

一連の写真は、まさしく唐突に彼らの日常が消え去ってしまったことを痛いほど感じさせた。

さらに報告書は続き、消えていたのはヒトだけではないと述べている。

遺された筐体は完全にデータを消去され、ブラックボックス解析でも、めぼしいレコードは抽出できなかったらしい。

つまり、ツガミ商事の社長は証拠を完全に隠滅し、自分の妻や社員もろとも蒸発したということになる。

そこまで読んだ上でシュンが不愉快そうに鼻を鳴らした。

 

「あんたがいながら、これだけ綺麗さっぱりと逃げられたのか」

「ひょっとしたら、前から逃げる準備は水面下で進めていたのかもしれないね。ただ手掛かりをすべて失った訳ではなかった。事件の翌朝になって『1人だけ間に合っていない』という情報が飛び込んできたのだ」

「それがユウジちゃん、と」

「戸籍上の本名はアシハラではなく、ツガミ・ユウジ。当時は15歳で、社長の一人息子だ」

 

その名前を、僕はアレクシアさんやナガイ警備部長、なにより本人から聞いたばかりだった。

ツガミ・ユウジ。

あのアレックス・メルフォールの唯一無二の友であった少年。

彼はたまたま叔父の模型店でガンプラを作っていて、ホンゴウ審判員に会ってはじめて両親の夜逃げを知ったという。

 

「ツガミ容疑者は実の息子を、置き去りにしたってことですか?」

「よほど切羽詰まっていたのだろうな。遺されたユウジくんが被った仕打ちについては語るべくもないが、ともかく、彼には学校での名字を変えて引っ越すことを勧めた。我々はその手続きを支援するのが精一杯だった」

 

いかに小さい企業とはいえ取引先からみれば一大事だ。

マスコミも『世界的なスポーツを食い物にしようとした悪徳企業の遁走』として飛びついただろう。

ひょっとしたら、僕もこの事件を雑多なニュースの一つとして聞き流して、アシハラの家族への義憤で顔をしかめていたかもしれない。

背筋が急に寒くなった。

 

「実のところ公式審判員という組織にとって、この事件で受けたダメージはガンプラマフィアの跳梁を許したとき以上のものだった。幹部の目が届く範囲で、マフィアでない素人によって犯罪が進行し、すべてが終わった後には、一人の若きビルドファイターの人生をズタボロにしてしまった訳だからな」

 

資料によれば、ナガイ警備部長は『メルフォール輸送』と、その母体であるメルフォール財団による犯行の教唆を主張したが、それを決定づけることのできる物的証拠は、なにも残されていなかったそうである。

わざわざ自分たちから通報したのだから、隠滅などとっくに済ませた後だったのだろう。彼女が悔しさにほぞを嚙んだことは想像に難くなかった。

 

「これ以上の信頼失墜を防ぐため、ナガイさんのツガミ家への関与は伏せられ、組織内部でも数か月の謹慎と減俸で済ませられた。処分を終えた後の彼女は私と共に、いずれメルフォール一族が引き起こす脅威から、新世代ビルドファイターを守るための部署を立ち上げることに決めた」

「それが特務班の正体……」

「本来の姿、と言ってもいい。以前のアイドル事件で、ナガイ警備部長がこの小さな支部へ直々に立ち寄って、特務班を強引に警備部預かりに移管したのも、彼らが日本で動き出したとわかったからだ」

 

一年前の当時「何もしていない」フランスの組織を脅威とみなし、対抗しようとする部署を作ろうなんて正気の沙汰ではなかっただろう。

故に、バトルシステムの技術試験を委託するなんて活動を隠れ蓑に、ハカドさんとナガイ警備部長は虎視眈々と待っていたのだ。

世間の審判員不信の波に乗じて、メルフォール財団が『ムラサメ』という自警団を立ち上げるのを。

 

「スカウトの時に、アシハラにこだわったのも、そういう理由ですか」

「贔屓ではない。彼以外の特務ファイター候補たちも特殊なガンプラ関連技術、通称『神器』を持つ新世代ファイターたちだった。『ムラサメ』に狙われる可能性は高かったし、できるなら保護したかったよ。G4からの非公式な報告だが、彼らの内から、既に『神器』を奪われる者も出ている」

 

ハカドさんは沈痛な面持ちで語った。

その様子にいたたまれなくなったのか、さっきまで彼に喧嘩腰だったシュンは、自らの金髪を片手でかき回すと、どっかりと執務室のソファへと腰を落とした。

ソファは従兄弟の体重を受けて沈む。

 

「前にオレちゃんが調べたときに気づいたんだけどよ。ナガイのばあさん、そういう特務関係の強引な動きのせいで、本部から孤立しはじめているんだろ?」

「ツガミ商事の事件の顛末は、幹部級の人間は全員が把握している。今はまだ、彼女に同情的な意見が多いが、いずれ特務が『私情で設立された復讐組織だ』と弾劾される日は必ず来る」

「……」

「その時、部下やユウジくんまで片棒を担いだとは思われたくなかった。私は上司として、キミたちを守りたかったんだよ」

 

ひどい釈明だった。

ハカドさんは、僕とシュンにここまで関わらせておいて、何も知らずに巻き込まれただけのかわいそうな審判員を演じ続けてほしいのだ。

僕の堪忍袋の緒が切れたのは、そのタイミングだった。

 

「見くびらないでください!」

「む……」

「ご存じの通り僕は頼りないし、ヤジマから出向してきたお客様に過ぎないかもしれません。このシュンも口が軽いからうっかり秘密をばらしかねない。警戒するのはしかたない」

「コウイチ、オレちゃんの口が軽いはねえだろ」

「うるさい。——ですが、それでも僕らはライセンスを与えられた審判員です。その発祥はどうあれ『ビルドファイターとガンプラを守る』という目的なら、反対するはずないじゃないですか」

 

さっきのアシハラを思い返す。

あんな苦しそうに、悲しそうに震える姿は今まで見たことがなかった。

それが、メルフォール一族と『ムラサメ』の野望によるものだとすれば、僕は仇討ちではなく、公式審判員として止めなければならない。

周りの評判だとか、今更どうでもいいのだ。

相手はそんな僕の内心をくんでくれたようで、ふっと、口元をゆるめた。先ほどまで執務室を満たしていた、重苦しく陰鬱な空気が少しだけほどける。

 

「ああ。本当に、キミを特務に呼んでよかったよ。キミはきっと、そう言ってくれると信じていた」

「え?」

 

しばし固まった。

なんとこの人は、僕に決心をさせるために、わざとしおらしくしていたらしい。

隣でシュンが、わかりきっていたとでもいいたげに両腕を頭の後ろで組んでいる。

 

「本当に巻き込みたくないなら、わざわざコウイチに二人の関係を話してやる必要なんかないし、だいいち、ヤジマの技術者にしか解除できないレベルのプロテクトをかけたチップなんて連絡手段に使うかよ。最初から巻き込んで泣き落とす算段だったのさ」

「ははは。いやいや、重ね重ね本当にすまない」

 

僕らの上司はさっきまでの行状が嘘だと証明するように、からからと朗らかに笑った。

 

「全世界に散らばる審判員の中から、他でもないキミたちを選んだのは、例え事情を知ったとしても、正しい意志の下に協力をしてくれる人材だと見込んでこそだ。ふふふ。まだまだ、私の目はさび付いていないらしいね」

 

そう言うと、このとんでもない上司は、執務室の電話の受話器を持ち上げた。

 

「さて、お互いにスッキリしたところで、ここから先は具体的なミッションの話だ。警備部のメンバーに874くんとユウジくんを、この支部へ送り届けてもらおう」

「症状が軽いとはいえ、アシハラは病み上がりですよ」

「それについても申し訳ないと思うよ。しかし、アレクシア・メルフォールがあちらにいるのだろう?」

 

そこまでお見通しだったのに悠長に話をしていたとは、本当に腹の底が読めない人である。僕は天を仰いだ。

再び部屋のドアがノックされ、僕らはそちらへ注目する。

 

「ハカドさん。警備部の者です」

「どうぞ」

 

今度はずいぶんいい加減な調子の入室許可だったが、それに背中を押されたように、警備部所属の顔見知りが前のめりで転がり込んできた。

その手にはヤジマの社章が刻まれた、ガンプラの収納用ケースが提げられている。

厳重な耐熱と防弾加工が施された、極秘試作機を運ぶためのスペシャル仕様だった。

 

「遅かったじゃないか。事件資料の方が先に届いてしまったぞ」

 

ハカドさんの苦言に、警備部の彼は息を切らせ、汗を飛び散らす勢いで首を左右に振った。

 

「それどころではありませんよ。今連絡が入って、ツガミ・ユウジと874の二名が、病室にいないと!」

「なに!?」

 

Side ユウジ

 

公式審判員警備部の人たちに両脇を固められ、ボクはタクシーに乗っていた。

なにやら一刻を争う事態とのことで入院着から着替える暇もなかった。

いっしょに病室にいた874さんは、後続の車に乗せられているらしいが、外を確認しようにも車窓にはしっかりカーテンが引かれている。

じれったくなって左横の審判員さんに話しかけてしまった。

 

「あの、公式審判員の支部って随分遠いんですね」

「ガンプラバトルにおけるアシムレイトは、まだ未解明な部分も多い。あなたを看てくれる病院を探すために、かなりの距離を移動したんですよ」

「それはどうも……お手数をおかけしました」

「いえいえ」

 

相手はニッコリとまなじりを三日月形にして微笑を浮かべる。

その貌になんとなく不気味な印象を受けるのは、ボクのメンタルが弱りきっているせいなのだろうか。

そういえばこの人、病室に入ってくるときにライセンスを提示していなかった気がする。

 

「では、そろそろ」

 

タクシーのスピードがみるみる落ちていき、停車したブレーキ音でネガティブな思索は打ち切られた。

無意識にうつむきがちだった頭を上げると、なぜか運転手さんが帽子と制服の上着を脱ぎ、どこにでもいそうな普段着になっている。

その恰好に違和感を覚える前に、隣にいた審判員さんがドアを自分で開けた。

 

「降りてください」

「でも」

「さあ早く」

穏やかなのに、有無をいわせない圧力で肌がひりつく。果たして降りた先は、さっぱり知らない場所だった。

アレックスの屋敷よりも大きな門の向こう側、白い玉ねぎ型のドームをかぶせた建物が横に伸びている。さらにその建物を外側より包囲するように、セルリアンブルーの透明な柱が数本、ニョキニョキと生えていた。

 

「なんだ、ここ」

 

さすがのボクでも、ここが公式審判員の支部ではないと芯からわからされた。

PPSEスタジアム跡地の記念オブジェだって、ここまで独創的なデザインじゃない。

これでは小さい子どもが無理やり接着剤をつけて作った、おもちゃの城だ。

 

「ツガミ・ユウジくんですね」

 

聞き覚えのないバリトンボイスでボクの息が詰まる。

審判員を詐称していた男性たちと、運転手の変装をしていた人が、そちらへ深々とお辞儀する。さっきの門が左右に開き、建物とそっくりの白の装束に身を包んだ男性が、しずしず歩いてきた。

 

「貴方を待っていました」

「は、け、けいさつ、を……よび……」

「まあまあ。そう怯えなくてもよろしい。警察より、我々の方があなたにはよっぽど親身ですよ。ほら、そちらのお客様もどうぞ出て来てください」

 

男性は、すっからかんのはずのタクシーへも語りかける。

数拍の間をおいて、ひとりでにトランクが開くと、中から艶やかな茶髪がまろび出た。

 

「アレ——」

「完全に気配は消したはずなんですが、どうしてバレたんでしょう」

「——クシア、さん!?」

 

親友の妹が、どういう手段と経緯でもってか、狭い荷物入れに忍び込んでいたのである。仰天するニセ審判員たちをしり目に、彼女は猫のように滑らかな所作で全身を露わにし、ほんの一瞬でボクの真横に並び立った。

 

「さっきぶりですね。ツガミさん。心配だからついてきちゃいました」

「え、そんな、でも、ここは」

「大丈夫です。私があなたを守ります」

 

アイツと口調は違う。声のトーンだって彼女の方が高い。

それでも、あの懐かしい雰囲気が肩を抱いてくれた感じがして、ボクはようやく勇気の振り絞り方を思い出せた。

今にも涙がこぼれおちそうになるのを押しとどめ、白装束の男をにらみつける。

きちんと観察すると、彼は青みがかった髪を一つくくりにして頭頂部で結び、眼光穏やかで肌はみずみずしい二十代くらいの若者であるとわかった。

老成した覇気に圧倒されて、さっきまで気づけなかった。

 

「いったいあなた方は、何者なんですか」

「——私たちは、星の彼方の理想郷を求める者。そして、影に苦しむ貴方の心をいやす者。『アリアンのまどろみ』修道会、というささやかな宗教団体です」

 

彼は誇らしげに胸を張って、そう名乗った。

 

 

 




アメリカからアレックスに贈られた依頼と、日本で起こったユウジと874の誘拐事件、そして無から生えたような宗教団体、頑張ってまとめていこうと思います。

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