【モンゴル】〔西暦1205年春〕
「・・・よし、これぐらいで大丈夫だと思うよ。」
蒼星石は北邦共和国の全部の馬の管理をしていた。
・・・で、本部は政都にあるのだが、第二の規模を誇る支部がモンゴルに存在していた。
で、今回蒼星石が支部にいる理由が20万頭を搬入させるためだった。
「しっかしモンゴルか・・・前世では行ったことがなかったけど・・・この気候と牧草地帯はそりゃあ馬が多いわけだ。」
「ぶつぶつ何を言っているんだ?」
「義経将軍か。いや、少し昔を思い出していてね。」
「そうなのか。少し従軍してみないか?」
「おや?ナンパかい?」
「いやいや、俺は嫁さん3人で十分。」
「ふ~ん。まぁいいよ。ただ、後方に頼むね。」
「もちろん補給面だから。前線は私がやる。」
「・・・で?モンゴルの隣と言えば北邦か小国の西夏かウイグルぐらいだね。どっちに行くんだい?」
「もちろん西さ。北邦の私と北邦派の皇帝がなぜ裏切らなければならない。」
「それもそうだね。」
この時義経はチンギス・ハンの弟や息子達、部族長、千人隊の隊長を含めた将官達とほぼ毎日西征について話し合いをおこなっていたのだが補給の概念がまだまだ未発達だった。(他国からは北邦と大韓の補給が過剰に見え、モンゴルのは未発達でも上位に位置した)
そこで補給に詳しいだろう人物の派遣を義経は頼んでいた。
もちろんそれは蒼星石ではないのだが、動物に精通している人物はモンゴルの騎馬兵ともわかり会えると直感で義経は確信していた。
この頃のモンゴルの兵站は略奪と連れていく複数の馬を解体して骨は矢じりに、血は飲み物に、肉はそのまま食べるようにしていたが、略奪ができなかった時の兵站の破綻に義経は危惧を示していた。
これは兵站、効率的戦闘、機動力、学習に重点を置く北邦共和国軍にも課題であり、義経の危惧を知った参謀本部からは大量の補給要員(50万人)と局地的な補給基地の建設の提案だった。
略奪時のリスクを考えるモンゴル将官達もこれには賛成し、駅馬も用いた新しい補給、輸送方法の確率を急いだ。
〔西暦1207年秋〕
収穫期を終え、大量の物資を受け取ったモンゴルは西征を始めた。
前衛はモンゴル人か北邦の精鋭軽騎兵、両翼部には大韓の弓兵やフルプレートを着た北邦装甲兵士後方にはモンゴルの精鋭部隊が配置された。
大体の部隊がこのようになり、一気に西夏を攻めた。
西夏は約2週間で降伏したため補給の成果は見られなかったが、ウイグル遠征では広大な領土に少ない人口のため補給の実験には最適で、有効性が実証された。