【津軽城】〔西暦1575年春〕
この年から龍興の内政は時代を先取りしたもので、歴史家達から内政の天才と渾名を付けられる。
1つ目が評定会と呼ばれる現代の議会を作ったことである。
王(他から見たら)である龍興が自分の体に鎖を巻いたのだ。
天才の所以は王家(斎藤家)の評定会の解散権限の永久放棄を盛り込んだのだ。
つまり立憲君主制の元を作ったのである。
さらにこの評定会は日ノ本初の国民投票によって決まる。
北邦共和国のアレンジである。
もっともこの国民投票は男性のみだったので女性の歴史家は批判的な立場をとることがある。
2つ目は国民投票を可能にすると識字率の急速な上昇である。
北邦の新聞制度の下位互換である瓦版制度の迅速な普及と高等学校制度である。
寺子屋の発展であった学校だったが、北邦から来る優秀な人材に負けないためにも高等学校が4ヶ所に設置されたのだ。
後に高等学校を卒業できれは江戸で老中をやれると言われるようになる。
その設置の年に入学できたのは4校で26人・・・ほとんどが武士の子供か商人の子供達であったが・・・
「やっと・・・やっとこんな醜い生活から出れる。」
4校の合同テストの結果、首席は農民の子供だった。
名は三十郎・・・後の豊富三十郎評議長(斎藤領の首相や宰相クラス)である。
3つ目が株式である。
北邦でも銀行までで株式にはいってないのに、企業融資の概念から発展し、株式市場を開拓した。
連鎖反応で北邦、モンゴル、大韓でも株式市場ができるきっかけはここだった。
最初の銘柄は5社・・・北邦系企業の支部4柄と斎藤領最大の企業でもある斎藤家の5柄であった。
斎藤家が企業というのは公共事業の出費は斎藤家から出ることになっているので、斎藤家事態が国の国銀のような存在であった。
この3つはどれも成功を収め、次世代に多大な貢献を残すことになる。
【津軽城下 駐屯地】
斎藤家が持っている軍は総勢3万名・・・2万が鉄砲足軽、残りは火炎攻撃隊である。
火炎攻撃隊とは火炎瓶や火矢を使った攻撃を主体とし、晴れの日の野戦や攻城戦には異常な強さを発揮するが、雨が降ると普通の弓兵となると部隊だった。(鉄砲足軽は雨の時は長槍兵となる)
基本的にまだこの部隊が活躍したことは無いため、戦が無いときは山賊退治等の武装警察の役割をしていた・・・そんな彼らに初の戦である。
「秋田家より500名が領内に侵入し、略奪をしているとのこと。場所はここより南西20里ほど!!」
「よし、我らの力を示すときぞ!!」
「「「おぅ!!」」」
彼らは出陣する。