【青森城】〔西暦1584年春〕
北邦では戦争を継続していたが、青森城下では平和そのものであった。
というか俺の跡取りである新九郎(8歳)と最上の駒姫(4歳)の婚姻がひっそりとおこなわれた。
政略結婚であるが、最上家とは末長い付き合いをしたいのと彼の妹である政宗の母との不仲によって両家の関係が崩壊するのを恐れたためである。
ひっそりとおこなわれたのは秀吉の目がどこにあるかわからないからだ。
「これで正室はできた・・・後は北邦からもらえるだけもらうか。」
この後9人の側室ができ、特殊な小学校(有力家臣の子供達、その妻や新九郎の妻達の40人編成)で同じクラスにして仲を深めてもらった。
後々新九郎は
「自分は1人なのに俺にはたくさんかよ。腹上死する・・・。」
と言っている。
ちなみにこの小学校制度は新九郎によって高校まで繰り上げられ、明治維新まで続くことになる。
【尾張北部】〔夏〕
秀吉に出兵命令を受けて俺は1000の兵を率いて秀吉の軍に合流した。
東北の大名で徴集させられたのが俺だけのを見ると織田家の後継者争いの延長と俺は読んだ。
一応信長の親族ではあるのでここでそこそこ活躍しないと最悪改易・・・難しいのは活躍しすぎても駄目な点だ。
「さてどうしたものか・・・。」
「おい、お前が悩んでどうすんだよ。」
「・・・長可か。」
秀吉の陣中で仲良くなれた1人だった。
他には池田恒興、福島正則、加藤清正、石田三成、大谷吉継、黒田官兵衛、前田利家等の若手、知性派、一部の織田家古参組とは仲良くなれた。
織田家古参組は言うまでもなく、腐れ縁みたいだったが、酒を飲んで昔話をしたらすぐに打ち解け、知性派と若手は竹中半兵衛から龍興のことを話されていたらしい。
『私が恐れるのは信長、毛利元就、信玄、謙信・・・絶対に敵に回してはならないのが龍興です。』
『大殿が美濃を制圧して・・・。』
『そうですが・・・それは初めから彼にとって消化試合だったのです。それで7年・・・私にはできませんし、したくもありますせん。それを14の若さでやったのですよ。あなた達に生きていたら会わせたい。』
と言っていたらしい。
死に際に秀吉に
『龍興殿を味方にすれば天下が近付く。敵にすれば崩れる。』
と言ったらしい。
その話を聞いた俺は膨張だとか捏造とか言ったが、なぜか俺は池田と長可の別動隊に組み込まれることになる。
・・・そう豊臣秀次である。
(嫌な予感がする・・・武器全てに痺れ薬を塗るように指示するか。)