〔秋〕【江戸城】
前田利家と息子利長が数名の供回りを連れてやって来た。
内容は家康がどちらなのかということだった。
利家にしてみれば龍興は美濃で正々堂々と戦った武将であり、信長の輝きを増すきっかけ・・・織田家臣団が成長した踏み台であった。
対して秀頼は子供・・・しかも成長するにつれ、本当に秀吉の子供か疑いたくなる。
秀吉に対しての恩や友情もある。
ただ、それだけでは生きていけないのが戦国大名・・・決断の時だと思ったのだ。
「どちらかと問われれば・・・秀頼に義があるように見えるが・・・実際のところ龍興だろうな。」
家康の本心である。
「ただし、彼には覇気がない。天下統一をする覇気が・・・。」
「・・・家康殿・・・勝てるのですか?亡き太閤殿が作り上げた組織に。」
「勝てる。致命打を与えるには十分すぎる時間を得られた。・・・豊臣政権は腐っている。」
「信長様がいたらなんて言いますかね?」
「あの猿がやるじゃないか・・・息子はボンクラだがな。」
「言いそうだ。・・・利長をお願いしますぞ。」
「わかった。安心しろ。100万石は約束する。」
数週間後に利家は病没する。
それを期に豊臣政権は一気に崩れることとなる。
【大坂城】
「三成覚悟!!」
利家が病没した日の正午・・・三成が武統派に襲われ死亡する事件が発生。
これに文治派が激怒して諸将に武統派討伐を呼び掛けるが、利家の病没と江戸に滞在していた家康が大老の閣議に参加できず、結果三成と仲の良かった景勝だけが討伐に賛成し、残りの2人は反対して否決された。
毛利輝元は反対はしたものの、武統派を囲うようなことはせずにいたが、宇喜多秀家はこの期に乗じて一大勢力を築きあげる。
文治派でも三成と仲の悪かった五奉行筆頭の浅野長政は秀家の勢力に参加した。
【青森城】〔西暦1600年春〕
「悔しいヴァ・・・あんなところで命を落とすなんて・・・。」
石田三成を回収してくるとすぐに(キョンシーに)蘇生した。
現在は日下部みさおという名前になっている。
「・・・あれ?石田三成の武功・・・。」
道元はこなたに連れられて退出した。
(思っても口に出すなよ馬鹿息子。・・・水攻め失敗と朝鮮の失敗、九州攻めでも・・・見なかったことにする。)
その後三成は高校に一発合格で入学し、農業を極めるご様子。
【江戸城】
「始めるかな・・・天下統一を!!」
家康は秀頼を操る(ということにしている)宇喜多秀家討伐軍の要請。
これに前田家、上杉、伊達、最上、佐久間、佐竹、秋田、伊達、鍋島、細川、長宗我部、島津諸々が参加した。
「長宗我部と島津は石田に助けてもらってるからな・・・しかし大友が参加しないのは意外だな。」
対する宇喜多秀家は権力をフル活用し、近畿周辺、長宗我部を除く四国勢、武統派諸々で約11万名を秀頼の名で挙兵した。
「俺も混ぜさせてもらおう。」
龍興、道元も江戸城に集う。