【青森城】〔冬〕
龍興、道元と2代に渡って表向き知勇優れた義将と呼ばれている斎藤家・・・いや、青森藩の3代目にあたる嫡子が元服となった。
現在15歳である。
名は龍元・・・身長175センチ、体重128キロ・・・デブである。
ただ、彼は一種の病気であった。
どんなに運動しても中々体重が減らないのだ。
・・・駒姫の愛と適度の睡眠等による相撲取りの体型だったため動けるデブであった。
ただなにぶん他の大名の嫡子や旗本には虐められた。
江戸での6年の生活が龍元を精神的に疲れさせた。
「3代目は駄目のようだ。」
「受け継がれなかったのだな・・・才を。」
「斎藤の木偶の坊。箒姫とは真逆よの。」
「・・・。」
ただ、悔しがった彼を慰め続けたのは龍元に付けた農業学者である邪義という仮面の男だった。
「若!!おれはーこの顔で家族から捨てられた!!お前はどうだ?家族に愛され、領民からーその裸体を見てどう言われた!!豊かの象徴だぞ。負けるな!!負けたら全てを裏切ることになるぞ!!」
そんな邪義の教えもあり彼は一切馬鹿にする者に自身の学や武を見せなかった。
元服し、龍元と名を貰うと彼は地力で評定会の経済課、軍事課、土木課のテストに全てトップで通過し、土木課に進んだ。
「り、流通を活性化させるために必要なのは土木関係なんだな。道と港の整備をやるのがおでの使命なんだな。」
ただし、ちゃっかり中尉の階級も取る。
「あにきやあねき達にも手伝ってもらうんだな。土木課ってどうしても予算が限られてるんだな。援助してもらわないときついんだな。」
元服して約8ヶ月で1000人の労働者を雇って正規の舗装された道ではなく、脇道を作ったことで使えることをアピールした。
道元も龍元とは別の意味で頑張っていた。
「息子達の教育費を稼がないと・・・。」
養蜂と石鹸、塩造り、藩営工場の利益の拡大を急ぎ、道元の時には既に藩内に武士が存在しなかった。(建前上のしか)
その為道元は他の藩(主に関西勢)との関係改善にも腐心した。
「武士武士って言われてもわからねーだろ。なんであいつら米で生活してんの?金じゃないの?常識的に金使えだろ。」
石高というよくわからない税制度、穴だらけの徳川幕府の経済の法・・・何より理解できないのが末期養子の禁止である。
「なんで養子を取るだろ?」
北邦の家族で争うなんて事がほとんどないため御家騒動が理解不能であり、養子を取れない事態に陥ることはないと思っていたのだ。(お前の父親を見ろ。道元)
「常識がわからないだろ!!」
必死に認知をあわせていく道元だった。