【大坂城】〔西暦1614年冬〕
約60万石まで没落した豊臣家。
病気だが大谷吉継が必死に土台を支えていた。
・・・が、大谷が淀殿に嫌われ孤独死すると遂に亀裂がはいる。
家康もこの機会を見逃すほど甘い人物ではなかった。
全国の大名に討伐が命じられると約2万5000の兵力を連れて真っ先に斎藤家が呼応した。
龍興
「豊臣死ね。ついでに淀殿も死ね。」
道元
「豊臣死ね。奥の者は誰一人逃すな。常識的に考えて。」
龍元
「初陣なんだな。」
斎藤家三代が家康に迫った。
しかし・・・
「待たれよ。この戦ただの戦では有らず。日ノ本の主を決める戦いぞ。勝手な行動はいかに龍興殿の頼みでも無理である。」
と先鋒に任されることはなかった。
代わりに伏見城に入城して待機するように命じられた。
【伏見城】〔3週間後〕
伏見城に着くとすぐに情報を集め、大坂の全容を3代と将官達で話し合っていた。
「大坂の豊臣も厄介な者を集めましたな。」
スーツの老人大将が話す。
「大友親盛率いる旧大友家臣団、故小西行長、故加藤清正、故福島正則の家臣及び親族衆、元黒田家家臣の後藤又兵衛、旧キリシタン大名の明石全登、塙団右衛門、浅井政高、毛利秀秋、内藤元盛、仙石秀範、南部の生き残りの北信景、井上時利、大野治長・・・中々の猛者揃いです。浪人合わせて・・・12万7000程でしょうな。」
「私は反対だったがなこの戦争は・・・まぁ結果的には良いか。」
中年デブの大将は大坂城の地図と政治的な理由を話していく
「これ以上の斎藤家の活躍は斎藤家にとっても幕府にとっても損でしかない。危険視されるのがおちだろう。・・・道元中将、なぜ徳川幕府は豊臣を攻め滅ぼす必要がある?」
「不穏分子を抱えたくないからだろ。一度天下をとったことによる恐怖。」
「5点だ。ならなぜ足利義昭は生きていた?なぜ織田家は攻め滅ぼされなかった?理由は頭を下げたかそうでないかの違いだ。今なお豊臣家にとって徳川家康は家臣であり、五大老の1人でしかないのだよ。そう、征夷大将軍となり幕府を開いてもな。豊臣家は何度も家康に頭を下げるチャンスはあった。しかし淀君のプライドが許さなかった。幕府そこまで来て攻め滅ぼす必要ができたのだ。」
「また、家康も見逃していたんだ。豊臣の財力を。徳川や青森は確かに豊かだが、富は各地に分散している。しかし親族が少ない上に、秀頼以外の豊臣、木下家は死んでしまっている。分散する必要がない富は大坂城の地下に貯まっている。その財力も家康は恐れたのだ。」