V作戦・・・後に北邦は祖国の危機になると発動する作戦となり、それだけ規模が大きな作戦である。
「浸透率80%を超えました。」
「政都の占領領域が70%を超えました!!」
「第2飛行船隊壊滅です。第7飛行船隊を送ります。」
「・・・参謀総長・・・勝利です。」
「・・・そうか。」
いまだに抵抗している場所はあるが、時期に物資切れをおこす。
それはもう戦うことができないのだ。
「・・・参謀総長、不味いことが起きました。」
「なんだね?」
「日本にて政変がおこり、大日本帝国が成立しました。」
「ふむ。・・・で、将軍家は亡命を希望しているのか?」
「いや、それが・・・」
【日本 江戸城】〔全国の大名が集まった日〕
「武士は調子に乗りすぎた・・・今こそ大政奉還の時!!」
将軍自らがこんなことを言い出し、徳川7家、薩摩、青森が賛成し、翌週には大政奉還がおこなわれてしまったのだ。
理由として、現在の武家システムでは広がった領土を管理することが不可能であり、人種差別も現地でおこなわれていることを知った尾張藩藩主が将軍に書状を送ったことから始まり、将軍もシステムの改革が必要と考えていた。
数年前から働き詰めだった下級武士が不審死することが相次いでおこり、青森の医者がストレスの定義を発表し、これが過労死ということが判明する。
で、将軍が書状を読んでいる最中に側にいた若年寄(38歳)がいきなり倒れて死亡したことから将軍としても無視することができなくなってしまい、優藩と呼ばれる薩摩、青森、越後、長州、土佐の5藩を集めた結果、薩摩と青森がそれぞれ理由つきで幕府の権利を天皇に返還すべきという意見になり、親族会議の結果、大政奉還を強制決行をおこない、大日本帝国初代宰相(後に首相に改名) 徳川松家が就任し、外務卿に斎藤赤龍、軍事卿に徳川家斉、内務卿に松平定信、宰相補佐に田沼意次の息子の水野忠徳がつく豪華なメンバーが新政府の主軸となった。
即座に廃藩置県がおこなわれ、青森、薩摩といった幕府に対抗可能な勢力は廃藩置県推進派であり、越後藩の上杉家は廃藩置県の発表後に県長になることを条件に受け入れる。
「・・・嫌だね。今こそ倒幕の時!!」
雄藩長州藩の毛利家は元々隙が有れば倒幕を狙う過激派であり、他にも伊達家の仙台藩、他の小藩が新政府に反乱を起こしたが、東日本は旧幕府軍と旧青森軍が鎮圧し、伊達家は一部を除いて処刑された。
「だが負けないのが毛利だ!!」
長州決戦が始まる。