試作戦車は佐天元帥のもと、100台が纏めて実戦に投入された。
この戦車には新たな試みとして自動装填装置がつけられており、装填時間を10秒まで短縮することに成功していた。
ただし、平均20発に1回弾詰まりを起こすので機械的信用性は低い戦車だった。
しかし、実践での活躍は素晴らしかった。
アラスカに進行していたイギリスとの突発的戦闘において6両の試作戦車が実力を遺憾無く発揮した。
時速24キロしかでないマチルダII歩兵戦車は避けることができずに榴弾による攻撃で戦車の内部の弾薬庫に引火し、次々に撃破、鹵獲されていった。
「コストがネックだが、素晴らしい戦車であることはわかった。・・・佐天元帥の頭文字からST-1としよう。」
しかし、複雑な戦車のため日産2両が限界であり、大量生産に向いた戦車の開発が進むこととなる。
〔9月22日〕
アメリカの和平交渉団がやって来た。
和平する気のない私達は新兵器の開発にこの貴重な時間を費やした。
まずSBは自走砲の問題点の改善が完了し、現在ある大砲の自走化に取りかかっていた。
元から部品などの互換性があることもあり、R-1戦闘機の大量生産の開始、装甲車の改良、試作戦車の開発も順調に進み、とある中堅企業が協力し、とある戦車が改造された。
元々はドイツから輸入したⅡ号戦車Gを前50mm傾斜装甲、20経口75mm滑空砲、大手エンジンメーカーフリーズグラブのフリーズグラブエンジンⅤを搭載し、不整地時速60キロを実現した30トン中戦車試作戦車24号。
これより性能は劣るもののパートナー1の改善型で傾斜装甲と足回りを良くした駆逐戦車のパートナー2、エンジンを2つにし、装甲厚を前面100mm、側面85mmの傾斜装甲を実現し、出入口を後ろにした駆逐戦車のパートナー3等の北邦の開発能力と地力の高さ、マンパワーにものを言わせた本当の総力戦が始まっていた。
「これで勝負にはなるじゃろう。」
【日本】〔10月5日〕
後に一零五の妥協と呼ばれる政変が大日本帝国でおこる。
石原中将と東條英機中将の和解が成立したのである。
この和解によって陸軍内部の派閥が整理され、残る対立は陸海軍の派閥と日本を牛耳る斎藤一族の派閥のみとなる。
斎藤一族が勝てば北邦に協力した体制になり、海軍が勝てば大韓民国に宣戦布告、陸軍が勝てば北邦に宣戦布告の可能性が出てきたのだ。
【北邦政府】
「政治工作も進めるのじゃ。・・・とりあえず来日して天皇と友好関係にあるのをしめすかの。」