【ドイツ】〔9月1日〕
ドイツはソ連と不可侵を締結しポーランド侵攻を開始した。
秘密条約の中には北邦をソ連が侵攻する場合ドイツは不可侵を厳守するという項目もあり、ソ連はどさくさ紛れにイギリス領土の南インドを保護占領を開始した。
イギリスが抗議しようと打電しているときにドイツはポーランド領土に侵攻を開始したのだった。
思考が第一次大戦から引き継がれていたため騎馬戦力を主力としていたため、3500両のⅢ号戦車を中心にレオパルド1000両、Ⅳ号戦車300両の10個もの機甲師団とゲーリング自慢の世界初の急降下爆撃機の戦線投入、エンテ型戦闘機(前翼型、エンデはドイツ語で鴨)の侵略目的での使用はポーランドを恐慌状態に陥れるのには十分だった。
白作戦・・・マンシュタイン将軍立案のルートBに移るために必要な計画でルントシュテット将軍がグレーナーの戦時輸送計画範囲内で出来る最大規模の侵攻作戦であり、それを立案、運用、責任を背負っていた。
史実では電撃戦と呼べない戦いであったが、今回のポーランド侵攻は電撃戦と呼べるだけのものであった。
一番活躍したのは速度があるレオパルドで、故障率の低さ、新兵にも扱いやすい設計もあり、ポーランド主力騎兵を機関砲や主砲で肉片に次々に変えていった。
戦闘の流れとしては、9月2日にポーランド回路を奪還、3日にポーランドの心臓部分であるレジア地方を制圧、その午後に歩兵1旅団分を失いながらも敵の主力部隊を壊滅、夜に紛れる形でワルシャワに突入、4日にワルシャワ包囲完了、5日ソ連国境に到達した部隊が現れる(ロンメル少将指揮下の部隊でだいたい史実のモロトフ・リッベンドロップ協定の国境線)、8日にはワルシャワと数ヶ所の例外を除いて全て制圧、11日ワルシャワ陥落、13日ポーランド滅亡という流れであった。
自由ポーランド政府はできたものの、史実の規模より15分の1くらいしか影響力も武力もなかった。
この戦争はポーランド9月戦争と呼ばれ、欧州での大戦の始まりを意味した。
イギリスはポーランドの民間人を無視した無差別攻撃に対して絶対悪という表現を使うようになる。
最終的にドイツ・スロバキア軍死者13000人、戦車102両、航空機89機で、ポーランド軍・ポーランド国民は死者127000人、戦車42両(保有していた戦車の40%)航空機431機・・・ポーランド降伏後も2回に及ぶ血の日曜日事件、更には過酷な強制労働により2ヶ月後には7桁の死者が出るようになる。