奇妙な味のドラクエ3   作:ケット

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天空、故郷

 気がついたときには、四人はさっきとは違う、圧倒的に巨大な木の根元にもたれて眠っていた。

 目の前でラーミアが、機嫌よく美しい歌を歌っていた。

 目が覚めたミカエラが、三人を揺り起こし、ラーミアを見つめる。

「戻れた!」魔力でルーラ候補を探ったガブリエラが叫んだ。

「ああ……」長い旅を思いだしたラファエルが、ため息をつく。

「ラーミア」ミカエラが嬉しそうに語りかける。

「アリアハンへ?」瓜生がさっそくルーラを唱えかけるが、ミカエラが軽く首を振る。

「竜の女王の城へ。ラーミア、また頼む」と、懐かしいファーストクラスシートに飛び乗った。

 

 古い花園にラーミアが降りる。

 主を失った神話の城は、悲しい静謐に時を止めていた。

 卵がかえるのは人の寿命のはるか後、ただ守られ息づいている。

 その城の、奇妙な光を入れるステンドグラスに導かれるようにミカエラたちが入ると、そこはどこともしれない、奇妙な小さな島のようだった。外は海ではなく、虚空だが。

 その先に、底なしの迷宮が広がっているのを感じ、瓜生がヴィーゼルを出してガブリエラと飛び乗り、ミカエラとラファエルはすぐ出られるように空きスペースにうずくまる。

「行こう」

 そのまま、小さな戦車が迷宮に押し入る。

 

 最初は狭い道で、ヴィーゼルですら通れないが、敵もミカエラの剣をかわす術はない。ルビスに祝福された武装の威力は語るまでもない。

 バラモスの変種と思える巨人を、一撃で二閃される神雷の破壊剣が十字に断ち割り、断片にも膨大な雷を注いで跡形もなく消し去る。最上位の呪文や、炎や凍りつく息、巨大な爪に直撃されても、ほとんどかすり傷すら受けない。

 剣を向けるだけで、猛雷の嵐が多数の敵を消し炭に変える。

 背後からの20mm機関銃すら、ほとんど必要ないのだ。

 他の三人は剣で、呪文で、ヴィーゼルの火力で援護し、確実にミカエラが決められるように敵を誘導するだけ。

 場所がありそのほうが的確ならば、メルカバで四人が一体となって敵を粉砕することもあるが、120mm主砲よりもミカエラの神雷剣の破壊力が上回ることすらある。

 苛酷と言える迷宮を、四人で一柱の神が斬り破っていく。

 焼いた巨大カニを食料として、多くの手から達人の剣を繰り出す骸骨を切り倒す。瓜生やガブリエラも、接近戦の腕も実戦で上がっている。

 

 その中で、おぞましい経験もあった。

 いくつかの牢に、モンスターが閉じ込められた奇妙なフロアから階段を出ると、そこはモンスター闘技場で、魔物と対峙させられていたのだ。

 周囲から沸き上がる、興奮した群衆の喧騒。

「どこだ?」瓜生が、奇妙に冷たい目で見回す。

「知ってる顔はないねぇ。ロマリアでもサマンオサでも、メルキドでもない」ガブリエラが、何かの呪文を唱え始める。

「戦うために生まれてきた人間とはいえ、これは……嫌なもんだな」ミカエラが不快そうに見る。

「罪深い楽しみです。人はもとより罪深い者、それを許さねばならないのですが」ラファエルが祈る。

「ま、おれは何回か経験があるよ」瓜生が、乾いた笑いを響かせる。

「どうした?」ミカエラが、面白そうに聞く。

「壁を壊して獣を観衆にけしかける」と、瓜生がまず煙幕弾をいくつか放る。

 その中を突いて壁に駆け寄り、TNT爆薬のブロックを仕掛けた。

 笑顔でうなずいたミカエラが魔物にアストロンをかけ、鉄に変える。

「下がって伏せろ」

 爆発に壁の一部が崩れる。

 何がおきたかわからず焦っていた観衆。中にはその爆発も、戦闘の一環だと楽しむ声さえある。階段状に崩れた闘技場の縁、そこからいつ魔物が駆け上がってくるかも知らず。

「知ったことか」と、瓜生たちは階段から抜け、テトラポッドを出して封じた。

「もう、絶対に、二度とモンスター闘技場はやらない」ミカエラが冷たくいう。

「見てるぶんには面白いんだけどね、それにそれで儲けてる人だっているんだよ」ガブリエラが文句を言った。

「好きなことをしただけだ」とうそぶく瓜生に、ガブリエラも楽しそうに笑っていた。

「ま、あれを見物するのは楽しそうだね」

「ですが、あの人々も、なんの疑問もなく楽しんでいただけなのに……自分たちの、生まれ育った皆と同じ道徳に従って暮らし楽しむことが、罪でしょうか」

「ならハンセン病患者の虐殺も、ユダヤ人虐殺も、女児割礼も、夫が死んだときに妻を夫の火葬に放り込むのも、全部正当化するのか?」

「それは」ラファエルが考えこむ。

「今回は被害にあいそうになったから反撃した、それでいいさ」ミカエラが面倒そうに言う。

「同じぐらい楽しくて、それでいて抵抗できない弱者を虐待しない、そんな楽しみがあればいいんだがな。まあ、人間は抵抗できない弱者の虐待それ自体好きなんだが、といってもおれの世界は熊いじめは禁止できたんだし」瓜生がぶつぶつ言った。

 

 奇妙な、別界を治める王に謁見する。

 その下では奇妙な魔導師が大鍋で薬を煮、薦めてきた。

「大丈夫なのか?分析したほうがよくないか」瓜生が文句を言う。

 ミカエラが苦笑し、「毒でも呪文でどうにかなる」と、一気に干して熱さに舌をやけどした。

「もう、必要ないと思うけどね」ガブリエラが苦笑しながら、よく吹いて冷まして飲んだ。

「人が飲んでいいものなのでしょうか」ラファエルが惑っていた。

「気にしないことにするか。それにしても」と、瓜生がとんでもない味に辟易していた。

 

 整然としたピラミッドのような塔にはさらに強大な敵が多数出るようになった。

「これ、もう人間が戦う相手じゃないよね」ガブリエラがつぶやきながら、ミカエラの雷雨が金属色に輝くキメラを蹂躙するのを見る。「今更だな」瓜生が次々と、ボフォース40mm機関砲で巨鳥を撃墜していく。

 迷っていたところで、奇妙なものを見つけた。一見して、拳程度の小さな鉄球がついた鎖。

 それを手に取ったガブリエラが震えた。

「星々の破壊が、こいつにこめられてるよ」

「それって、あの」瓜生が、巨大隕石による恐竜滅亡をイメージして言うのに、ガブリエラが震えながらうなずいた。

「なら、使いなよ」ミカエラに言われ、ちょうど襲ってきたバラモスエビルに向かって、軽く振り回して……なんとなく使い方がわかり、伸ばしてみると、限りなく伸びる鎖の先端が、流星の速度で巨体を吹き飛ばした。そのまま、まとまった数体をまとめて打ち砕く。

 強烈な衝撃波に、全員呆然とする。

「上には上というか」ラファエルが首を振り、とにかく祈る。

「とんでもないのがあるな。120mm砲弾以上じゃないか?」瓜生が、少しうらやましそうに肩をすくめた。

 

 頂上には、普通の竜とは比較にならない、あの竜の女王とも同族にも見える巨竜が下を睥睨していた。

 その巨大さ自体が圧倒する。瓜生にとってはホエールウォッチングの経験を思い出させたが、そんなものではない、キロメートルで測られそうな巨大さだ。

「何のつもりだ」瓜生が、最初に言う。

「何の、とは?」

「もう、魔王との戦いは終った。なのに、なぜこのように多数の魔物と、無用の戦いをさせる?」

「人の身に、わかることではない。では、ゆくぞ」

 問答無用で、超巨体が襲ってくる。

 かなり怒っていた瓜生は、近くの台にゴールキーパーを出した。

 GAU-8ガトリング砲アベンジャー、A-10攻撃機の悪名高い30mm機関砲を利用するCIWS。初速も連射速度も桁外れの、高密度の劣化ウラン弾芯の嵐が、レーダーに導かれて神竜の体に、ほんの十数秒で千の穴を穿ち、内部で跳ね回る!

 ひるまず襲う姿に、ガブリエラとラファエルの呪文の助けを受けたミカエラが、半ば生身を捨てて叫ぶ。その身と一体化した神剣が、天そのものを傾けるような稲妻をまとい竜の首に叩きこまれ、稲妻の大蛇と化して巨体を縦断する。

 ガブリエラも竜の姿に変身し、激しい炎を吹きつける。凍てつく波動で人の身に戻されれば破壊の鉄球がうなり、また強力な補助呪文を全員にかける。そして瓜生とメルカバに飛び乗り、次々と砲弾を装填しては撃ちまくる。移動は捨てて固定砲台、強烈な炎を爆発反応装甲でそらしながら、強力な120mm徹甲弾を連射する。

 巨体にのしかかられ大破したメルカバから飛び降りた瓜生とガブリエラが手を合わせると、メドローアが竜体に虚無の風穴を開ける。

 そしてメラゾーマの強力な火球が、焼夷弾ロケットランチャーが次々に着弾し、巨体を焼き焦がす。

 ラファエルも強力な補助呪文をかけながら、全身で美しく螺旋を舞い、死のマホイミを叩きこむ。その全ての攻撃に雷神剣の威力が上乗せされ、正確に急所をぶちぬいている。

 時には怪力で瓜生を補佐し、十人以上の要員が必要な大型の榴弾砲を動かし、戦車を操縦する。

 超巨体が瞬時に再生して襲うのを、ミカエラの剣がずたずたに切り刻み、ガブリエラの破壊の鉄球があちこちに超高エネルギーをぶちこみ、ラファエルの螺旋に練られた会心撃が生命そのものを異常動作させ、瓜生の全てを断ち切る剣が硬いうろこを無視して内臓をえぐる。

 眠らされ激しい炎に焼かれた四人を、ベホマズンがまとめて全快させる。

 充分な距離をおき魔法防御を何重にもかけ、瓜生が大型榴弾砲から、前線で戦っていたミカエラとラファエルをサガルーラで呼び戻して核砲弾を叩きこみ、巨大な閃光と熱線、放射能をナメルに滑りこみ、アストロンも加えてしのぐ。

 キノコ雲を吹き飛ばして巨体が舞い、爆炎をぶちまけ重量でのしかかる。広島原爆と同等の核爆発を至近距離で食らって生きているほうが驚きだが、それが神ということか。

 劣化ウランの弾芯も含め飛び散る大量の放射性物質を、瓜生とガブリエラがメドローアの応用で原子核ごと破壊し、さらに多くのエネルギーをしぼり出して攻撃に変える。

 三人の力、強力な呪文と魔武器、兵器の力をも自らの一部としたミカエラが、破壊の歌を絶叫し半神の力で踊り狂う。

 神々の死闘に、永遠の天界も繰り返し揺らぎ続けた。

 

 ついに、神竜の巨体が横たわる。

 それから奇妙な光と共にそれが再生する。別に驚くことはなかった。神々の死と再生は、まったく違う。

 それが、あらゆる世界に対してどのような魔術的な意味を持つか、なんとなく瓜生にもわかった。ミカエラと神竜が、互いの力を食い合ったのであり、それでゾーマや、あの邪神たち、ルビスの力が人界にもたらされ暴走するのを防いだ面もある、と。

 ガブリエラが瓜生の手を軽く触れ、うなずいた。

 そして、神竜が静かに告げる。

「さあ、そなたの望みをかなえてやろう……ふふ、ひとつだけのようだな。そなたの父、オルテガを生き返らせる」

 ミカエラが、衝撃で凍りつく。

「さあ、アリアハンに戻るがよい。もうここには用はないはず」

 呆然としたミカエラが、何も言えずただ飛び出した。

 ガブリエラは苦笑しながら神竜に軽く魔力を凝縮した風で何か伝え、追う。

 ラファエルは強く神体に祈って、ミカエラを追った。

 瓜生は、神竜から言葉にならぬ内容を魔力を通じて受けていたのを何とか中断し、背を向けた。

 気がつくと、そこは竜の女王の城だった。

 

 ルーラでアリアハンへ。

 瓜生には数度目、ミカエラやラファエルには幼い頃から走りなれた路地を全速力で走る、おびえながら。

 ドアを開けた、そこには初老の男が、ミカエラの母親エオドウナや祖父ボルヘスと静かに語り合っていた。

 ミカエラは何も言えず、じっと立ち尽くしていた。

 気づいたエオドウナがミカエラを振り返り、一瞬呆然とし、そして涙にくれて叫んだ。

「あっ!おかえりミカエル!父さんが、父さんが戻ってきたのよっ!奇跡だわ」

 しばらく、言葉にもならず泣き伏すその顔を、オルテガの大きな手が、今もまだ信じられないように丁寧になでた。

「ほらちゃんと見て。父さんだよ……お前の父さんだよ!」

 オルテガはミカエラが幼い頃旅に出て、そして死の知らせがもたらされた。そしてラファエルの妹ナレルを殺して以来ミカエラは心を閉ざし、また世間の心無いうわさの中旅立つまで育て、そしてその後の年月、ずっとミカエラの帰りを待ち……一度訪れたときは全滅してで、さらにそれからまた音信不通。

 エオドウナも、すっかり老いていた。もちろん、オルテガの父親ボルヘスも。

「そうかお前がミカエル、いやミカエラ……ずいぶん大きくなったなあ。私が旅に出るときは、まだこんなに小さくて。それに」

 と、ラファエルの顔を、思い出せそうに見つめる。「ラファエルよ」と、妻のささやきに破顔し、

「あの小さい泣き虫が、もうこんなに。あんな小さかったのに、二人とも」

 カンダタ、そしてミカエルにも似た堂々とした男が、静かな、かすかに痛ましさも混じる笑顔で笑いかけた。

「そのことで、お許しいただきたいことが」ラファエルが、勇気を振り絞る。

 オルテガの表情がぱっと輝いた。

「ミカエラとの結婚を、どうかお許しくださいっ!」ラファエルの言葉に、ミカエラの目から涙があふれた。

「そうか。もう二人ともそんな年、だったな」オルテガが、しみじみと言う。「無論許そう。厄介もあろうが……ともかく、今まで心配をかけてすまなかったな。少し聞いただけだが、バラモスは倒したし、それからしばらく、一年以上も前から魔物がほとんど出なくなったそうな」

「最後に、ミカエラたちがここから出て、すぐでした」エオドウナが涙ぐむ。

「そうか、ゾーマを倒したか……もう、立派な勇者だな」

 そういうオルテガの目が、静かに閉じられる。

「ガブリエラ、ずいぶんとミカエラを助けてくれたようだな」オルテガに笑いかけられ、ガブリエラが子供のように照れた。

「そして」目が、瓜生に向けられる。

「紹介します。ウリエル……賢者、大切な仲間」

 ミカエラが瓜生に、そっと手を伸ばして紹介し、同時にかばう。

「なんとなく、覚えている。前に、死んだ身でゾーマに立ち向かおうとした時に。優れた医者でもあったようだな」

 オルテガの巨体に見下ろされ、その圧倒的な気に瓜生は気おされた。

「お、お嬢様には、大変にお世話になりました」

「いや……そなた、この世界の者ではないな」オルテガの目に、静かに、まるで潮が満ちるように強烈な圧力が加わる。銃に手をかける、瓜生をミカエラがかばった。

「ずっと私たちを、そして数限りない人を助けた、仲間だ」ミカエラが、はっきりと殺気を受け止めて返す。

「なに固くなってるのよ!」ガブリエラが瓜生の背中をはたき、オルテガの目から殺気が失せた。

 ガブリエラがあえて大笑いし、にたっとした笑顔で「そうそう、……カンダタは、あっちの世界に残るって。アレフガルドの外にある国で、統一しようと頑張ってる。結婚もしてたよ」

 その言葉に、夫婦が目を見交わし、深くうなずいた。

「この四人だけではありません。ハイダーにも、とても大きな助けをもらいました」ラファエルがしみじみと思い出す。

「あの?今ロマリアに雇われて、例の海峡都市ビスターグルの再建をしてる、って話ですよ」

 エオドウナが思い出す。

「それに、あたしたちも協力して、かなり大きい町も作ったんだよ」ガブリエラも涙ぐんでいる。

「他にも各国の王族たち、カンダタや海賊、勇者サイモンの遺児、ラーミア、竜の女王やルビス様……数限りない助けがあってのことです」ラファエルが深く祈る。

「いろいろとあったんだな。ゆっくり、旅の話も聞かせて欲しい」オルテガの言葉に、ミカエラが泣きながらうなずく。

「あんたの話も聞かせてもらうからね。アレフガルドでも、いろいろと」ガブリエラも、泣きながら言う。

「そうだな。これからは、アリアハンの勇者としてともに」

 オルテガがそう言おうとしたところに、勢いよく扉が蹴破られた。

「王女さま!」ラファエルが驚いた。

 流星の様に飛びこんだ女が、オルテガの胸に強烈な頭突きをかました。オルテガはそれを見事に受け止める。

「まさか!」オルテガが女を引き離して見つめる。

 アリアハン王女アリネレア。瓜生たちが別世界に閉じこめられていたわずかな年月に、驚くほど成長していた。

「オルテガ!それにミカエルも、どこに行ってたのっ!」ミカエラを怒鳴りつけ、オルテガに向き直って、「お約束どおり、充分に強くなりましたわ。さ、認めてください、ミカエルの仲間として……」あ、と気づいた表情。

「誰を倒すんだい?もうバラモスもゾーマも倒した、ついでに邪神も封じたし神竜も」笑うガブリエラに、王女がしゅんとなる。

「ちょっとぐらいとっといてもいいのに!ミカエルのバカあっ!」と、やつあたりに壁を蹴破った。それで何か思い出したのか、ミカエラを振り返る。

「神竜?ま、まさか天界の」オルテガの表情が凍りついた。

「そういえば、あなたが旅立つときに、こんな小さかった王女さまが、強くなったら、って約束してましたね。それから、すっかり伝説のアリーナ姫みたいに育ってしまって、オルテガのせいだとずいぶん恨まれていますのよ」エオドウナが涙を笑いにする。

「このこと、さっそくロマリアにも知らせたの。それにミカエラまで帰ってくるなんて、さっそくお父さまに……」

 と、王女はもうものすごいスピードで走り去ってしまった。

 やれやれ、とオルテガとガブリエラが肩をすくめる。

 そこにルイーダや、他の近所の人もやってきたし、ボルヘス老もラファエルが抱えおろして瓜生が出した車椅子に載せ、さっそくルイーダの店に繰り出した。

 ムオル以来、ミカエラの頭を守り抜いてきたオルテガのかぶと。それを、大切な虎の子を出し合って作りオルテガに贈った人たちが、ここしばらくの平和をあらためて実感し、喜びに酔っている。

 歌とごちそう、乾杯。ちょうど今朝は大漁、どんどん焼かれ、時には手開きしただけの生に酢を振っただけで供される。

 オルテガが、どれほどアリアハンと愛し合った勇者だったか……ミカエラは初めてそれを知った。

 彼女自身は疎外された青春で、ひたすら故郷への恨みと罪悪感を剣に注ぎ続けてきた。そして追われる思いで旅立ってからも、アリアハンの名は使いながらも主に他の国々のため、生き延びるために戦ってきた。アリアハンの勇者という自覚はほとんどなかった。

 その、冷たい目を忘れたかのように、アリアハンの街はオルテガの明るさに満たされている。光が戻ったアレフガルドのように。

 

 朝が近い。気がつくとミカエラとオルテガは、酔い覚ましのように衛兵たちの練兵場に出ていた。

 どちらも、言葉もなくそこらに転がっていた練習用の駄剣と木楯を拾い、構える。

「言葉より稽古のほうが早い」

 オルテガが、鋭く斬りかかり、ミカエラも嬉しそうに応える。

 ミカエラが苦しみ抜いてきたこと。本来なら四人目の仲間は、瓜生ではなくミカエルが斬ったラファエルの妹ナレルだったはず。妻と弟カンダタの過ち、冷たい目。どちらの娘かわからない疑い。長い長いオルテガの不在。オルテガの、勇者の使命にすべてを叩きつける生き様。サイモンの死。ゾーマの城での邂逅、その時の自らを見失うほどの怒り。

 なにもかも、言葉ではなく剣でぶつける。

 激しい稽古の末にオルテガが疲れきって、大の字に寝転ぶ。

 しばらく、沈黙を楽しむ……そこに、アリネレア王女がやってきた。今回はきちんとした衣裳で、女官を連れて。そうなると威厳もあり、驚くほど美しくも見えた。その服装でも鍛え抜かれた体の力が堂々と張った背、鋭い気品となるのだ。

「勇者ミカエラ、オルテガ。国王陛下のお召しです」

 父娘は苦笑して身支度を調え、見守っていた仲間たちも連れて王宮に向かった。

 

 今回は、準備されたセレモニーではなく、アリアハン王ヘロヌ八世の私室に近い場でオルテガとミカエラの謁見が行われた。

 そこには、ロマリア王女カテリナの姿もあった。

 王や重臣、そしてミカエラたちはかなりぴりぴりし、怯えていた。それをオルテガが訝しげに見る。

 前にバラモスを倒したミカエルを迎えた、その時にゾーマの出現で、恐怖と絶望に叩き落とされたのだ。

「本当に、大丈夫なのだろうか」ヘロヌ王が不安げにミカエラを見る。

「もし……だとしたら、また戦い抜くまでです。何度でも」ミカエラが強い決意の目を向ける。それにヘロヌ王はうなずき返し、愁眉を開いた。

「オルテガ。よくぞ、よくぞ帰ってきた。どれほどそなたを待っていたことか」ヘロヌ王がオルテガの手を取り、涙に暮れる。

「そしてミカエラ。二人で、倒してくれたのだな……」

「わたしは記憶を失い、戦い斃れただけです。ゾーマを倒したのは、ミカエラたちかと」オルテガの言葉に、王が目を見開く。

「よくぞあれほどの大魔王を倒してくれた。もう一年余もこの世界は、ほとんど魔物のない平安を楽しんでいる」

 全員が静かに目を閉じ、感慨に耽る。

「褒美、というも愚かじゃな」王が苦笑した。「その光輝くドレスと剣、この世のいかなる宝も遠く及ぶまい」

「では、どうかわたしたちの結婚をお許し下さい」ラファエルとミカエラがひざまずくのに、王がうなずく。もうそのことは、謁見の部屋に入ったときから察せられていた。

「王女さまとラファエル、も考えられていたのでは」とささやく重臣の一人に王が、

「ラファエルには娘と年の合う弟もいるし、そなたの息子も重要な候補だ」と王が素早くささやき返した。「ラファエルの血筋を思えば、そなたたち夫婦でアリアハンの王位を継ぐのが、筋でもあろう。もうわしは退位してもよい、わが孫に」王が言うのに宰相が目を見開く、ラファエルが続きを手で制し、首を振った。

「一度定まれた王の筋は、そのまま継がれるのが正しいでしょう。陛下の、アリネレア殿下のお血筋が、今後もアリアハンの正統であるべきです」ラファエルの言葉にミカエラも、アスファエルもうなずく。

「ありがたい、永久に範となろう。だが、ならば……」ちらりと、ヘロヌ八世が宰相を振り向い、惑った。

 沈黙をあえて破ったのは、ミカエラだった。

「わたしたちそのものが今後、アリアハンにとって災いになる、ということですね」そう言い出すこと自体、強烈な勇気と気迫だった。「仲間が、身をもって示してくれました。山に隠れ、森の奥に小屋を建てて独り生きる決意を」

 と、ミカエラが瓜生を振り返る。

「その必要はございませんよ」カテリナ王女が、静かに微笑んだ。全員の注目が集まる。「これは、この世界そのもののいく末に関わることゆえ、あえて他国のことに口を出させていただきましょう。バラモスが倒され解放されたネクロゴンドで、いくつもの洞窟に数多くの人が生き延び、また世界に散っていた難民も戻ろうとしています。ですが、それをまとめる象徴が、王族が絶えているのです」

 アリアハン王の目が、エオドウナに向く。オルテガ一家が顔を見合わせ、ガブリエラがその手があったかと手を叩いた。

「そういえば、エオドウナはネクロゴンドの王女だったな。バラモスが出る前にネクロゴンドまで行ったオルテガが、半ばさらうように娶ったのだった」

 エオドウナとオルテガが照れたように目を見合わせ、カテリナ王女が頷く。

「その血を引くミカエルさまが女王となり、治めていただけませんか?ネクロゴンドの人々も、それを望んでいます。ラファエル様の子孫が、アリアハンの王位継承権を放棄することを世界各国に誓約して」

 単刀直入、大胆不敵。暖かな微笑の陰の、強い政治力。各国の根回しも済んでいることが、その自信から窺えた。

「今の世界は、どのようですか?ジパングの民たちは」と瓜生がカテリナ王女に聞いた。

「魔物が急激に減って以来、いくさもなくとてもよく治まっています。

 ジパングの皆さんも元気で、北テレニウムの山間湿地が去年水田に拓かれました。

 ネクロゴンド地方では地震が相次ぎ、バラモス出現と同時にそびえて城を周囲から隔てていた山が急に低くなり、かつての姿に戻ろうとしているようです。そうなれば元々、世界有数の大国だった沃土が広がるでしょう。

 ハイダーバーグもますます栄えていますし、地中海とオリビアの海をふさぐビスターグルの廃墟も、おかげさまで急速に再建が始まっていますよ」

「なに、ビスターグルが再建されるのか」ヘロヌ八世が驚いてカテリナ王女を見つめる。

「世界は大きく変わっています。バラモスの跳梁で、そしてミカエラさまたちの旅で。もう数年したら、新しい航路や街が次々にできるでしょう」あえて瓜生の名は出さない。彼が水爆で掘った、イシスやサマンオサを世界につなぎ二つの海をつないで世界を大幅に狭くする巨大な道。さらに膨大な知識と作物。これから世界をどう変えていくか。

 それどころか、バラモス出現後にネクロゴンド地方が大きく隆起したことで、世界の気象さえかなり変化しているのだ。それが今後どうなるかも予断を許さない。

 世界情勢について色々話している間、ヘロヌ八世はじっと考えて、疲れたように目を閉じた。

「わしはもう、そのような決断をするには疲れすぎたようじゃ。オルテガ、どう思う」王がまっすぐにオルテガを見る。

「ありがたい申し出です。功を誇り王位を簒奪するは勇者にふさわしからず、されど力ある者にふさわしき地位がないのもまた乱の源、功臣粛清は歴史に恥」オルテガが完爾と笑う。「王女殿下も、とても強く美しく育っておりましたね」

「そなたと、よき臣たちもいる。あの娘も、そういえば大きくなっていたんじゃな」王が満足げに忠臣たちを見まわす。「ゾーマで気力を失ってからも、よくわしを、アリアハンを支えてくれたな。あらためて礼を言う」

 重臣たちがむせび泣き、カテリナ王女にうなずきかける。

「おまかせしましょう。バラモス以前のネクロゴンドはアリアハンにとっても重要な交易相手でした、その再建は大きな国益になるでしょう」

 宰相の言葉、オルテガの目に、アリアハン王ヘロヌ八世が立ってうなずく。

「では、『アリアハンの勇者』の称号、お返しいたします。今は、アレフガルドで受けたロトの称号がございますゆえ」

 ミカエラが形なきものを捧げ返す動きをする。王が深く礼をして受け、あらためてオルテガに渡す身動きをした。

「すまぬな、また重荷を負わせてしまう」

 オルテガも素早く威儀を正して受けとる。

「老ブライとしてアリネレア王女殿下を導き、クリフトを探し鍛えるとしましょう。アリーナ女王のごとく剛毅で美しき女王に仕えアリアハンを守る若き勇者を。それまではこの衰えた腕で、アリアハンを守っていきます」

 衰えた、とはほど遠い、女の胴より太い腕をなでて明るく笑うオルテガに、王は安心したように微笑み、

「三人で旅に出て、デスピサロを倒すことがないことを願おう。わしらも行方不明になりたくないしのう」

 と、この世界ではよく知られた叙事詩をネタに、皆を笑わせた。

 

 さっそく、ネクロゴンド再建事業が始まった。

 最初に、シルバーオーブを渡してくれた老臣をはじめとした主要人物に会い、ネクロゴンド王女でもあったミカエラの母親エオドウナも通じて意思を確認する。

 バラモスの城となっていた旧城を訪れ、玉座に座す骸となっていた先王を弔った。

 それから文化財は回収してから瓜生が仕掛けた大量の爆薬と、賢者二人のイオナズンでバラモスに長年汚された城、ギアガの大穴を封じていた建物を破壊し、更地でミカエラが剣を掲げてネクロゴンドの旧臣たちが忠誠を誓い、かりそめの即位宣言とした。同時に結婚式も、こちらでは簡素に行う。

 予言もあり、即位式の最後にラーミアを解放し、竜の女王の城や世界樹、また天界で永遠のときを過ごすよう計らった。

 それからアリアハンで、アリアハン王の心づくしでかなり大がかりな披露宴が行われる。

 そんな儀式の間も、やることはたくさんある。まず、もう亡霊もいないテドンの跡地を焼き払って死者を弔い、テドン出身のガブリエラが示した近くの適地を仮の住まいとする。

 ガブリエラは他にも短期間で利用できる湧水や井戸跡、貯水池を指し示した。瓜生がハイダーバーグのデータと上総掘りの技術を紹介し、良質の井戸を掘る。予備として高台に貯水池を築き、砂利で浅くして微生物に水を浄化させ、下の崖から清潔な水が湧くようにもしたし、やや遠くの湖からも水を引いた。

 一つだけの水源だと疫病が蔓延する、ミカエラもムーンブルクの悪夢を見ている。

 貯水池跡の浅さを活かし下水とつないで汚れを浄化する養魚池とし、周囲には近くの森から果樹を移植する。ハイダーバーグで確立された、ジパング式の下肥制度も定める。

 また排煙を浄化し、資源を回収できる木炭・コークス乾留設備を整備した。

 水と火が確保されれば、そこから多人数が暮らす町ができはじめる。

 テドンは元々広い後背地と豊かな水量を持つ河港でもあり、地下資源の宝庫でもある。周囲の再開拓だけでも一代の大人口を支えられそうだ。

 それからネクロゴンド全域、急激な地殻変動で荒れた大地を瓜生が測量し、多くの人が暮らせるよう汚された農地、埋まった水利を回復させる道筋をつけていく。

 バラモス以前は、ネクロゴンド城の北は山がちだが豊かな農地で、そこを貫き下る河で森豊かな北部や西部とつながっている。

 ちなみに東は海に面する絶壁、南や西は元から山脈で分断される広大な南東地方も、北側から陸路で侵入できていた。また一度西海に出てから河を遡ってテドン地方に連絡もできていた。

 バラモス出現後、その北山地が峻険な山脈となり、王城周辺が周囲から分断されたのだ。それが今後どうなるのか、それは予断を許さない。場合によっては旧王城周辺を放棄することも考えられる。

 瓜生がいる以上資金にも資材にも不自由はない、むしろ瓜生は「援助依存の失敗国家にならないか」とばかり何度も繰り返していた。

 またハイダーバーグやノアニールから、剣や鎧を打ちかえた斧やノコギリ、ツルハシやシャベルや鋤刃も船で続々と買いつけられる。オルテガとも関係の深いハイダー一族や、バハラタの商人たちも仲介に活躍していた。隠居して死にかけていたバハラタの老商人ガネーシャも、強引に誘っていろいろ任せたらザオリクでもかけたように元気になった。

 テドンは腕のいい職人でも知られ、あちこちの難民となっていた生き残りが集まっては職人町もできていく。

 瓜生の世界のあらゆる作物、さらにちゃっかり種を持って帰ってきた下の世界の作物が取捨選択され、次々と試されている。

 元々ネクロゴンド全域は水が豊かで、中央部が隆起し交通は不便になったが、全体の降雨量は増えてさえいる。

 熱帯雨林地帯も多く、そこではキャッサバ・アブラヤシ・ココヤシ・ピーナッツ・バナナなどの多収量作物、サトウキビやゴムも栽培を始めた。その世界に元からある動植物もたくさんあり、元々ネクロゴンドで暮らしていた難民たちが次々と便利な作物を紹介し、別の国から来た人に教えていく。

 瓜生は天然資源と熱帯農業で資源の呪い、バナナ共和国、土が流されて赤砂漠にならないよう繰り返し警告し、水田の多用と生存作物の自給をうるさく言い続けた。

 

 アリアハンも、勇者オルテガの存在があらためて大きな支えとなり、変わらぬ安定を保っている。

 ミカエラの母親エオドウナはアリアハンには悪い思い出があるので、故郷ネクロゴンドで暮らしていた。オルテガはルーラでアリアハンに通勤し、夫婦は長く隔たり傷ついていた情愛を取り戻そうとしているようだ。

 新しい生活にいちばん戸惑っていたのはミカエラだった。戦いのない、人々をまとめ、お飾りとして儀式に明け暮れる日々。医療に専念していた時にも似ているが、それとも違い実用的な意味がないことが多い。時に近衛兵を訓練することもあるが、次元が違いすぎて話にならない。

 王座のばかばかしさはロマリアで知っていたし、だから一度は逃げ出したのだが……

 といってもロマリアとは違い新しい国でもあり、探せば毎日次々とやることはある。母もラファエルも側にいるし、オルテガもしょっちゅう来るし、瓜生とガブリエラも忙しく働いている。

 また、瓜生は毎日のように、自分の世界の歴史にある失敗の話をし、伝染病や森林・土壌・水質破壊の恐怖を教え続けた。

 それだけでなく、長い旅でいくつもの国を見て学んだ人々の暮らしや、水や森についての理解も聡明なミカエラにはあった。ラファエルは控えめにしてはいたが学問にも優れていたし、旅と仲間から学んだことも多かった。

 そんなある日、ミカエラの妊娠が判明し、瓜生がとんでもないことを言い出した。

「バカヤロウ。おれの故郷以外で出産するなんて、殺人に等しい。死亡率がどれだけ違うと思ってるんだ!」

「あんたの世界にミカエラを送るなんて無理。なんと言おうと無理なものは無理」

 ガブリエラが厳しく言う。

 瓜生がリボルバーを出し、一度弾を抜いてから一発だけ入れて、シリンダーを回してから納め、自らのこめかみに当てた。

「これで引き金を引くのと、こっちで出産するのは事実上変わらない。おれのところじゃ十万分の四・四だ。ミカエラも、子供も殺す気か」

 ラファエルがびっくりした。

「といっても無理なものは無理なんだよ。ダーマでもどこでも聞いてみな」

 と言われた瓜生は、ダーマはおろかルザミ、さらに世界樹のエルフや天界のゼニス王、神竜にまで相談し、やはり無理だと言われて落ちこんでいた。

「あんたがやればいいじゃないか」ガブリエラが言うのを、

「おれだっておれの故郷じゃ医師免許もないし、第一家族同然のミカエラは冷静に治療できない」と首を振る。

「方法は一つしかないでしょう」相談したロマリア王女カテリナが、ずるそうに告げる。「こちらに、あなたの基準を満たす病院を作ればいいのですよ」

「その、それには幼い頃からの生活習慣が根本的に違う、何千人ものスタッフが必要なのですが」

 瓜生の故郷……現代日本の産婦人科病院、さらにそれを支える上下水道、清潔な食糧、エネルギーや資材、医療資材の供給。鉄鉱石や原油の採掘を加えれば、世界の何十億人全体が病院一つ、一人の妊婦を支えているようなものだ。

 医療関係者のみならず妊婦自身や隣の患者も含めた一人一人が、小学校どころか幼児での家庭教育から石鹸で身体を、手を洗い、紙で尻を拭くようしつけられ、高い清潔感覚を持って育っている。識字以前の問題だ。

 そのことを説明した瓜生に、カテリナ王女は静かに笑った。

「できる最善をすればいいのです。小さな病院を作って少人数の関係者をそのために教え、ミカエラ陛下の出産までに経験を積ませましょう。現実に瓜生さまの故郷に行く術がない以上、それが最善ですよ」

 というわけで、急遽ネクロゴンドの城の近くに小さな建物を造り、世界各国から若い医学生と患者達を集めて、基礎教育から忙しい日々が始まることになった。

「これも、世界を変えちまうよな……こうして学んだ人たちが各国に帰ったら、その国々の人口も爆発しそうだ。それにしてもハイダーバーグにヒマワリを導入してあってよかった、おかげで石鹸も何とかなる……アブラヤシは今回は間に合わない、こないだ植えたのが育ったら石鹸も輸出できるようになるだろうが」

 などと言いながら若い医師達を教え、ともに手術や診療をこなし、死者に悔やみつつ遺体を解剖し、この世界の魔法や薬草で可能な治療法を治験する日々。それこそ、氷嵐海の船旅すら楽だったなと懐かしむほど多忙だ。

 産婦人科医学の向上は、そのまま人口急増に直結しかねない。さらにそれが家畜にも応用されれば、これまた莫大な国富となる。

 まず下働きの掃除人さえ、清潔な生活習慣を厳しく叩きこまなければならない。剣道部の経験があるからこそ体罰嫌いの瓜生には、余計な時間とエネルギーを使うことだった。違反があるたびにサンプルをとって顕微鏡でその膨大な細菌を見せるのは、ただ殴ったり鞭打ったり首をはねたりするより疲れる。

 失敗をよく知る瓜生は、学生たちが学んできた伝統的な医学を単純に否定し、近代医学を押しつけることもしなかった。文字通り全てを治験したのだ、女王の風呂の残り湯さえランダム化プラシーボ二重盲検治験で。

 瓜生の故郷とは違い、魔法が発達しているこの世界では、麻酔として使えるラリホーをはじめ多くの、医学に応用できる魔法があり、伝統医学にもかなり治験の結果有効性が認められるものがある。

 そのことは、昔ロマリアで戦傷病者を治療したときから、最近ハンセン病患者を治療したときまで経験でよく知っている。ただしそのときのように、治験で容態が悪化した患者はすべて近代医学で再治療するが。

 全ての患者が実験台、そうはっきり公言しているが、それでも圧倒的に生存率が高く、勇者ミカエラの伝説もあって世界中から多数の患者がつめかける。

 さらに、自分がいなくなっても病院が機能するよう、近代物資に依存しない診断・治療の方法を、特に魔法を利用して構築する研究も常に行う。それにはダーマも引きずりこみ、ラファエルやガブリエラも協力し、全て徹底的に治験する。

 注意すべきなのは、「アフリカに援助でアルミ工場を作るが、現地人には使えず朽ち果て借金だけが残る」事態を防ぐこと。彼らの能力で理解し、再現し、次のステップに上がれる程度の技術を見出し、繰り返し学ばせること。

 抗生物質やワクチン、検査用の染料、顕微鏡も作れるよう、そのためにもこの世界の多くのカビや植物を分析し、職人を育てなければならない。

 それも広く見られるギルド式秘密主義ではなく、特許と公開の原則で優れた職人の技術を多くの人に学ばせ、技術と知識とつなげ広める。

「おれの言葉や本も信じるな。ランダム化プラシーボ二重盲検治験だけを絶対に信じろ」

 病院の職員玄関には、大きい字でそう刻まれている。

 平和が戻った上の世界は、どこもかしこも多忙で、豊かだ。

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