鍵を開けると湿った地下道。別のほうに行けそうな門もあったが、そちらは魔法の鍵でも開かない鉄格子で閉ざされている。地下道を通って上に上がると、同じような建物から外に出た。ちょうど岩に囲まれた川の対岸にさっきの入り口が見える。
そこは豊かな川に囲まれた島になっており、水田に似た農地が広がっている。瓜生は強烈に懐かしくなり、途中で自衛隊用の糧食を開けた。
それからしばらく歩くと、奇妙な、首が細くない魔法を使う魔物が多数出てきた。
城はよく整備された港と一体化した、小さめではあるが難攻不落の美しいものだった。
「港だ」
「縦帆か、かなり進んでるな」
港には多数の帆船が出入りしている。また巨大な櫂が多数舷側から突き出た、沿岸航行用のガレーも多く見られる。外洋と陸に囲まれた内海、双方を結ぶ最高の港だ。
宿の食事は新鮮な海産物が豊富でうまい。
だがアッサラームよりさらに香辛料が不足して塩味といくつかの香草ばかりだった。
オリーブに似た油も豊か、酒も船の力を借りて穀物・果実問わず多種多様、宿は世界を回る水夫たちでとてもにぎわっている。
また水田で粒の小さい穀物とハート型の葉から変な匂いがする芋、ホテイアオイのように浮かぶ野菜が同時に栽培されている。
穀物を養殖される大きな貝と海藻の出汁で煮た粥、浮き菜を刻んで魚と発酵させたもの、芋を細かく切って油で揚げたものなど工夫して食べられている。
ロマリアでも食べた潅木豆も好まれている。
海藻や貝の養殖も盛んで、それらの酒蒸しが抜群にうまかった。
ただ、なまじ海が近いだけに下水道が整備されておらず、街には汚物があふれそれを豚や犬があさっていたのが難点だった。
カルレド三世国王の王宮では、なにより東方の香辛料を求められた。
数十年前に魔王バラモスの侵略が始まって以来、ネクロゴンド大陸南方の通商路が絶え、またアッサラームから東方への海路もそれまであった貿易風が全くの無風地帯になり、通行が難しくなった。
またテドン灯台が崩壊したことで、テドン周りの南方航路も危険とされるようになった。
「恐れ入ります、大臣閣下」瓜生が話しかけた。「調査を依頼されたのですが、どの水準の地図をどの程度の期間で」全部言わせず、ガブリエラが瓜生の耳を引っ張った。
「何言う気?」
「いや、少し時間もらえれば、1メー……一歩以内の誤差の地図は作れるけど、それは地図を渡すか生データを渡すか、というかそれには単位系と記数法統一しないと話にならないよな、あと動植物から土壌微生物までサンプル取ったり岩盤ボーリングして正式な地質図作る……無理だよ、ボーリング機材は使ったことないんだ」
ガブリエラが、愛用の杖で思い切り瓜生を殴った。ただしヘルメットがあるので大して痛くなかった。
「見た感じをちょっと物語るのと、適当な地図でいいのよこのバカ!」
「適当?誤差十歩以内、三角関数表で小数点以下三桁、三角点密度3kmぐらい」
「ふざけてるの!」
「本当にちゃんとやるなら最低十年間の気象データいるけどね」
頭をなでつつ大臣のところに戻る。
「いや、きちんと見て、コショウさえ手に入れてくれればよいのじゃよ。地図があるならそれに越したことはないが」
「胡椒ならありますよ。似た植物というだけかもしれませんが」と、瓜生はどこかから、ブラックペッパー(ホール)の小袋を大臣に渡した。
「なんじゃと?ちょっと見てみよう、わしも最後に口にしたのは半年前の王室晩餐じゃが」
と、袋を開けて一粒噛み潰してみる。一瞬激しい刺激に顔をしかめた。
「けしからん!コショウに確かに似ておるが、あの馥郁とした薄曇りの苔のような香りがない」
「失礼しました、閣下。故郷で使う、似た別種でしょう」と瓜生が深く頭を下げる。
「まったくけしからん。それは没収するぞ!」
「はい、かしこまりました」と瓜生が苦笑し、一回り大きい袋も渡す。
確かにロマリアで口にしたオリーブに似た油も、生態はよく似ているものの微妙に違った。ただし、自分は元の世界でも、本当に本物の、無農薬のオリーブを石で潰したエクストラバージンを食べたことがあるかは疑わしいものがあるし、逆にこちらの世界で作られたものはかなりふざけた製法で味が変わっているのでは、とも考えられるが。
自分が渡した胡椒でよかったとしても、元々東方との貿易路を確保することが目当てなのだから認めるわけにもいくまい。
ミカエルと違って自分は別に急ぐ旅ではないのだから、だまされてやってもかまわないだろう。
アッサラームまでルーラで飛び、そこから東方への道をふさぐ山脈を調べてみる。
森が山脈に接して車が使えず、久々にアリアハンからバロを連れてきて山脈をたどったが、やはり通行に耐えそうな道はない。
「というか、この山脈はホビット族の領有が認められ、人間は入れないことになっているんです」ラファエルが困ったように説明した。「でもポルトガの王様に紹介状をいただきましたからね」
「あの王様がダーマに留学したとき、ホビットを助けたことがあったらしいよ。結構有名なお話だ」
「あったな、酒場でそんな歌が。おい、また測量か?」
瓜生が定期的に足を止める。双眼鏡で周囲を観察してデジカメで撮影、土や岩のサンプルをとってルーペで観察し、水準器を出して太陽の角度、前に目印にした岩との角度、レーザーレンジファインダーで測定した距離を記録する……一日に三回はその作業を繰り返している。
ついに山脈に沿って南の湾までたどり着いた。
「くそ、直接崖だ。通れる道が全くない」ミカエルがそびえる崖をけりつけた。
「世界を大きく分ける、とても不便な山脈です」
「フィヨルドだな。南方と北方両方は狭い水で阻まれているだけだ。この両側に、渡し舟を維持する港と小さな町を作れば、それで通行できるはずだ」
「今は魔王の脅威があるので難しいのです。水辺に小さな街があれば、そこは海の魔物にとってちょうどいい標的になりますから」
ラファエルが軽く指を振る。
「きのう入り口を見つけたろう、ホビットを訪ねてみるぞ」
ミカエルが面倒そうに山脈沿いの森に向かった。
腰をかがめなければならないほど低い洞窟を行くと、そこには暮らしやすそうな岩室があった。掘り下げられた井戸からは鉄の味が強い水が湧いている。
ポルトガ王の手紙を見たホビットは、岩の一角に体当たりをして押し開ける。
それから長い、暗い手掘りの坑道を抜けると、そこは二つの山脈に囲まれた広い地峡だった。
「さてと」
瓜生が早速、出口近くの岩山を強引によじ登る。
「何やってるの、無理って」ガブリエラが叫ぶのを無視し、
「これぐらいでいいか」と、岩に何か釘のようなものを打ちこんだ。先端が丸く、ステンレス製で輝いている。
「海は……見えないか。まあ、それは組み合わせれば」と、まず車を出してしばらく移動し、さっきの点がちょうど見える小山に登って、小さい望遠鏡のようなレーザーレンジファインダーでさっきの点との距離を測って記入。時計で時間を測って六分儀で太陽の高さを測る。それからそこに、表面が銀に光る小さな風船を上げた。
ひたすらそれを、小さな山などがあれば繰り返す。魔物などほとんど無視、近づいたのをうるさげに車内からはM2重機関銃、測量中ならAK-103でぶち抜くだけである。
二つの山脈に挟まれた、南北に長い地面なので、両側の山の高いところをいくつも基準点にしていく。
他の三人はひたすら獲物の皮をはいで肉を塩漬けにしたり食べられる草や木の実を集めたりするだけで、むしろ退屈だ。
「なんというか、すごいですね」ラファエルが呆れていた。
風船の下から風船を、山から山を、ひたすら角度と距離を測りノートに記入する。土を掘る。岩を小さく砕き、ルーペで観察する。草を抜いて瓶に入れる。
旅をしているのか測量をしているのかわからない。アリクイの類やでかいカニがいるし、森には食べられる木の実が多くあるので食物には困らない。水も豊富だ。
北まで行くと、そこは呪われた海に面した小さな岬になり、宿屋など小さい街があった。ただしサマンオサの影響が強いようで、ガブリエラが一泊だけですぐ離れるよう言った。
北から三角形で大地を埋めながら、それぞれの角と辺、水準器で出る水平面からの角度を測っていく。
時々、かなり大きな風船にデジカメをぶら下げて、高い空まで上げてノートパソコンで何か確認する。それにはさすがにガブリエラたちも驚く。
いくつかの小さい湖がある。
「この湖の水を組み合わせれば農業生産力高いだろうな」と瓜生が言ってノートにもメモする。
何冊ものノートがひたすら数字で埋まる。
要するに三角形の合同だ。三角形を網のようにつなげていくことで、広い範囲全体の大地自体を数値化し、誤りが誤差以内の地図を作ることができる。
三辺の距離が測られていればその三角形は現実と一致するし、容易に相似縮小して地図にできる。
また一つの直線距離が厳密に測られているだけでも、その両端角をきちんと測れば三角形を合同に確定し、相似縮小できる。それから三角形の網を作れば、後は角度計測だけでいいので楽だ。
その二つは相互に検算となる。三辺合同で計算した座標と一辺両端角合同で計算した座標が違えば何かが間違っているということだ。それに、ところどころで空からのデジカメ写真も照らし合わせて、それも簡単な検算になる。
ただしその精度を上げるには、秒単位の角度それぞれに対する三角比の、桁数の大きな近似値が必要になってくる。そのためには三角関数表や、三角関数の加法定理・級数展開なども実際に必要になってくる。
教科書にも載っている三角関数表は、巨大戦艦以上の価値をもつ……いや、三角関数表がなければ巨大戦艦さえ射撃角度計算も遠洋航海もできず役立たずになる、近代文明を下支えする超戦略兵器なのである。
さらに高精度の六分儀・レーザーレンジファインダーなども近代の高度な文明を、車や機関銃以上に集めた文明の基盤ともいうべきものである。
水平面から垂直方向の角度も含めて全ての角度、全ての辺の長さを測っていくのだ……海とバハラタの町に達するまで。
海で海水面の高さを確定してから、近くの山脈に置いた鏡の距離と角度をレーザーレンジファインダーと水準器、六分儀で確認すると、あとはもう見えているバハラタまで海岸沿いに車を走らせ、近くの森で隠れて車を降りて最後の測量をし、土と岩のサンプルをガラス瓶に詰めた。
「もし彼じゃなく普通の戦士で、ただバロ引っ張ってここまで歩いたとしたら、これの倍は時間かかってるはずよ」とガブリエラが怒っているミカエルをなだめた。
バハラタは広く神聖視される河の河口近くに広がる、海河両方を扼する素晴らしい港町であり、聖地でもあった。
河辺は巡礼が沐浴して身を清められるよう広く整備され、港には船が並ぶ。
コショウを売っている店を探したが、なぜか閉まっている。
人さらいが隊商や、最近は町まで襲っているそうだ。
河辺で、親子程度の年の男性が二人言い争っていた。
コショウ商人ギルドの元締め、ガネーシャの娘タニアがさらわれたそうで、その婿養子グプタが助けに行くと言い張ってやまないのだ。
ミカエルが、「勇者なのだから助け出す」と言ったが、グプタは駆け出してしまった。
「で、その人さらいはどこの誰なんだ?」
「大盗賊カンダタだと聞きます。ああ、ミカエル様の名前は聞きました、ロマリア王の金の冠を取り返し、眠りの村の呪いを解いた勇者様ですね」
「人さらい?カンダタが」瓜生は衝撃を受けた。あれほどの剣士が?
「まあよくあることよね」というガブリエラの言葉に改めて衝撃。だが考えてみた。
そう、塚原卜伝や上泉信綱、柳生宗矩らは戦国領主であり、当時は人身売買は当然だったことを考えると、その剣聖たちは自らも人身売買を前提とした経済を運営していたはずである。攻め落とした敵の民を売ったり自領の奴婢としたこともあるかもしれない。
いや、幕末の剣聖たちにも人身売買を否定するとは限らない。ごく最近を除き、どんな聖人や知識人でも奴隷制を否定するなど考えることはなかったはずだ。
というか、最高の剣士であること、最高の人格であること、そして現代の価値観から見て善であることが一致している必要は何もない。
それどころか、自分が生まれ育った、こっちに来る瞬間の日本にも人身売買はある。歓楽街のネオンに混じるロシアやフィリピンの文字、自分のエロ本にある「東欧の妖精たち」。そして毎日当然のように食べているチョコレートやコーヒー、パーム油由来の洗剤。プランテーション少年奴隷。石を投げる資格はない。
ミカエルは複雑な表情で出発した。
河を越えると、そこには広く豊かな平原が広がり、その奥に橋で行ける森林が広がっていた。
「このあたりは水が豊富なのに湿地というわけじゃない、水田にすればものすごい人数を養えるぞ」
瓜生が感心する。
「こっちの奥にカンダタたちのアジトがあるらしいです」ラファエルが、ためらいがちにミカエルを見る。
「どうするんだ?」瓜生が聞く。
「どういうことだ」
「言うまでもないだろう。カンダタを殺すのか殺さないのか」
「殺してはならないんです」ラファエルが言うのを、ミカエルが殴った。
だがラファエルは、おびただしい鼻血に詰まりつつ、
「殺してはならないんです」
と繰り返す。
「そうね。今カンダタを殺したら、いろいろやっかいなことになるのよ」
ガブリエラが静かにため息をついた。
「カンダタは盗賊ギルドの、やや独立気味だけどとても重要な立場ね。そして今、人変わりしたと伝えられ鎖国状態にあるサマンオサから人々を亡命させる仕事もやってる。それに」と、ミカエルを見て黙る。
「わたしの」
言いかけるミカエルに、瓜生が怒鳴り声を上げる、
「どうだっていい!鉛弾をぶちこんでいいのかあくまで非致死性弾か、それだけ決めてくれ。もう制約されて余計な作戦立てて、こっちは怪我するわみんなが黙ってケンカするわやなんだ」
ミカエルが何度か、荒い呼吸をする。そして一瞬きつく目を閉じ、かっと見開いた。
「剣で、わたしと一対一の決闘に持ちこんでくれ。それで決着をつける」
「わかった。行こう」それだけ言って、瓜生は橋を越えた。
「ありがとう」
密林を越えたところ、平坦な地形に、突然深く掘り下げられた人工的な洞窟があった。
やっかい。小さい、区別できず四面全てに通路がある同じような部屋が、延々と四方に広がる。
瓜生はずっと、散弾銃ではなくAK-103ばかり使っている。散弾銃は全部非致死性弾にしているからだ。
至近距離の一撃で止める威力こそ散弾に劣るが、急所を貫いたときの威力はまさに必殺だ。
宝箱があるが、ピラミッドのことを思い出した瓜生がロープを取り出し、変形もやい結びをがっちり作る。
ミカエルの表情が意地悪げにほころんだ。
「せーの」
息を合わせて、素早くロープをかけて、そのまま少し開けてやる。
口をあけようとした人食い箱が、あけきれずのたうちまわる。
「じゃあな」と、瓜生が隙間にピンを抜いた手榴弾を放り込み、素早く次の部屋に退避する。
爆音と爆圧を呪文で防ぐのも、もう慣れたものだ。
そして地下二階。入り口にいた盗賊たちは、あっさりと閃光手榴弾と非致死弾でなぎ倒し、縛り上げた。
奥まで入ると、女性とグプタが囚われていた。
「電気雷管で爆破する、離れてろ」と瓜生が言うが、
「このレバー引けばいいんだから」とガブリエラがあっさり二人を解放した。
瓜生は頭を一瞬かき、出ようとする二人を追う。
「おっと、ここは通すわけにはいかねえな……」カンダタの子分が戻っていた。さっき縛られていたのも縄が切られている。
「またてめえらか」皆まで言わせず、
「動くな!」瓜生が大音声で叫び、AK-103に手をかけた。
ガブリエラが進み出ていう、
「彼がその気になれば、あなたたち全員瞬きする間に殺せるの。だから、カンダタ……勇者ミカエルとここで、一対一で決闘して。勝っても負けても、あなたたちは解放するからこの二人も返して」
かなり無茶な要求だ。その間も、AK-103についている赤いレーザーが、しっかりとカンダタの心臓を狙っている。
「信じてないの?」ガブリエラが悲しげに言うと、壁にかかっていた鉄の円盾を外し、カンダタたちのほうに転がす。それが壁に立てかけられるようになったのを見て、「これを」と瓜生に言った。
瓜生が発射した、凄まじい音にグプタが、カンダタ一味が耳を押さえる。ミカエルたちは耳栓をしているが。
鉄板には指が入る穴が開き、その裏の壁のレンガも砕けている。触った子分が震え上がった。
「わかったよ」と、カンダタが剣を抜く。
ミカエルは嬉しそうに、すでに抜いていた剣を立てて礼をした。
ふたり、つとすべるように歩み寄り、鋭い円弧と直線の光芒が交り、鋭い金属音と火花が散る。
「ほう、女子三日会わざれば……」
カンダタの頬に笑みが浮かぶ。
そしてまた一合、二合。ミカエルの、体重を乗せ大きく振りぬく剣と、カンダタの最小限の動きからの重い一撃が次々と火花を散らす。
どちらの姿勢にも崩れはなく、双方の肩の鎖帷子しかない部位が薄く血に染まる。
ミカエルは小さな牽制は放たない。フェイントも何もない。すべて全身で急所だけを狙っている。
瓜生との、毎晩の激しい稽古。剣が持ち上がらなくなり、足腰が立たなくなり、さらにそれから何度も。その状態でできることは全身で剣を急所に運ぶだけ。そのまま倒れて、瓜生にスポーツドリンクを呑まされ、ラファエルに回復呪文をかけてもらって熟睡するだけ……食事すら翌朝。
カンダタはそれを流して確実に返すが、鋭く踏みこみ腰と肩を入れているミカエルの急所をとらえきれない。
「なめるなあっガキが!」
カンダタが天井まで大きく振りかぶり、凄まじい剣を放った。
「応!」
ミカエルも全身で、防御を捨てて切り下げる。
二人の剣は、まるで鏡に映ったように似ていた。
凄まじい足音に洞窟が震える。
激しくぶつかり合い、それた剣が共にレンガの壁に食いこむ。二人が踏みこんだ、その床のレンガすら砕けている。
左手の盾で、二人が同時に突き離し合いつつまた二合剣が交えられ、離れた。
カンダタは覚悟をきめたように、ありえないほど深く腰を落としている。
ミカエルは左手の盾を捨て、すっと優雅に剣を舞わし始めた。
複雑な文様、そしてその口からつむがれる奇妙な歌……呪文。
「やるのね」
ガブリエラがぐっと口を引き結ぶ。
「ほう、ひさびさに見るな……できるのかい」
カンダタがつぶやき、ふっと剣を引いた。
ミカエルの剣が輝く。
そして、二人がむしろゆっくりと互いに近づき、ミカエルの全身がカンダタの巨体に殺到する。
腰だけで、だからこそゆっくりと伸びる剣を、カンダタが軽く伸ばした剣で吸うようにそらし、返しの突き……と誰にも見えた。
激しい閃光、熱風が見ていた全員の顔を打ち、思わず目をそらす。
「うあああああああっ!」
悲鳴を上げたのはミカエルだった。腕から炎を上げて。
あわててガブリエラが氷の呪文でそれを消し、ラファエルが治療に走る。
瓜生は一瞬駆け寄りかけるが、あらためてカンダタ一味に目と銃口とレーザーを向けなおした。
カンダタの左肩を片手半剣が貫き、そこからは血と肉が焼けるなんともいえない臭いと煙がたちのぼっている。いや、剣の柄皮とカンダタの背中のマントが燃え、炎を上げている。
そしてカンダタは、右手の剣を落とすと膝をつこうとし、そして耐え抜いて立ち上がった。
「なんという……」
瓜生の口から思わず敬服の言葉が漏れる。
「おかしらああああああっ!」
手下が駆け寄り、剣を抜こうとして苦痛の叫びを上げ、あらためて手に布を巻いて抜いた。
赤熱した刀身と貫かれた盾・鎧の板金が溶接されており、別の手下が革紐を切ったためまとめて地面に落ちる。盾の重みで剣が曲がる。
ラファエルがあわてて、カンダタにもべホイミを連発した。
「やったじゃねえか……これでわかったろう」
カンダタがミカエルに笑いかける。
「いや、まだ……それだけじゃ、どっちかの娘だってだけだ。じいちゃん、オルテガも、きさ……っ」
言いかけたミカエルが、再び苦痛に声をかみ殺した。ラファエルがあわてて呪文を唱えなおし、ガブリエラも薬草を取り出す。
その黒焦げの腕に、瓜生は吐き気さえ感じた。
「まあいいさ、勝手に疑ってろ。じゃあな」
カンダタは背を向け、一味と立ち去った。
「勝ったのか……それとも負けたのか」
「どう見ても、流されて返されて首ぶち抜かれて終わりだった。……剣が光になってカンダタの剣をすり抜けた。何があったんだ?」
瓜生が信じられないような目で見る。
「勇者オルテガの奥の手、魔法剣さ……」
ガブリエラが遠い目でいい、ラファエルがもういちどべホイミをかけて、涙を押し殺すように顔を手で押さえた。
「ありがとう」
ミカエルがそれだけ言って気を失う。ラファエルが、鉄の鎧を着た彼女を軽々とかつぎ上げた。
タニアとグプタ、そして自力では動けないミカエルを守りつつ、ガブリエラのルーラでバハラタに戻る。
そして老ガネーシャはタニアとグプタを固く抱きしめ、ミカエルを街一番の医者に委ねた。ラファエルはそのかたわらを離れようとしない。
「アリアハンの命令、ポルトガの依頼でいらっしゃったのですか。そう、ポルトガとの交易はこのバハラタにとっても生命線、サマンオサとの通商が絶えた今は」
老人が父親の顔から商売人の顔になり、それでいてただの商売人ではなく「カードの裏まで」見せるべく、裏帳簿や人名を記した蝋板までガブリエラに預けて語りだした。
瓜生は宿でひたすら数字と定規とコンパスと大量の紙と、ついでに関数電卓と格闘している。
「カンダタが娘をさらったのも、そのややこしい話でもあったんですよ。実を言いますと、バハラタ商人はずっとサマンオサ王室よりだったのですが、最近はちょっと優柔不断な態度を取っていたのです。それで娘をさらうことで、こちらもサマンオサ王室を切りやすくなるかと……わざとさらってもらったふしもなきにしもあらず」
「それでカンダタと勇者ミカエル、二人とも死んでいたらどうなっていたやら。まあそれでも損はないようにしていたでしょうけど」とガブリエラが妖艶に笑う。
「あなたさまに腹芸は無駄、とにかく率直に率直に」ガネーシャの笑いも深みを増す。
「グプタという婿候補の品定めもできたし、勇者ミカエルの品定めもできたと……まあそれは別の形で返して頂くとして、バハラタから海路アリアハン、旅の扉からロマリアを経由し、海路ポルトガに至る大量貿易路を。こちらロマリア王女カテリナ、アリアハン宰相、ポルトガ大臣それぞれの信書です」
「しかと。こちらサンプルの最高級黒コショウと、私の信任印です。こちらはアッサラームの商人ギルド、そして盗賊ギルドへ。また、部下の商人とルーラを使える魔法使いをポルトガまで連れて行っていただければ」人が持てる程度の荷物ならルーラでつながっているほうが貿易が早いし、情報交換も確実になる。
「かしこまりました」
ふう、と二人軽く息をつき、冷めた茶をすする。そして笑みを交わし、老人が先に、
「それに、できることならテドン沖を回る海路のみならず、スー大陸の海路も開いておきたいのですがな。あちらにもいくらか情報があり、また知られていない金鉱の噂もあります」
「ならカンダタから紅の女へ……わかりました」
「つなぎはこちらからも。また、サマンオサ難民をバハラタからダーマでも受け入れます」
「それはありがたいことです」
「それと、お仲間がこの近くでずいぶん丁寧な測量をされているようでしたな」老人の目が鋭くなる。
「ポルトガ王のただ見聞するようにという依頼を、仲間が誇大に解釈したのですよ」とガブリエラも辛辣に言う。
「できましたら」
「ええ。ウリエルを呼んでください、必ずドアをノックして、資料も持ってくるように、と伝言を」
「そうするように。ついでに熱い茶と菓子、もう一人分も」
と、ガネーシャはいつのまにか来ていた使用人に言った。
すぐにウリエルが、かなりの量のノートを持ってきた。
「お邪魔をして申し訳ないウリエルさん。そしてこのたびは、娘と婿を助けてくれて本当に感謝しております」
ガネーシャが席を立ち、深く頭を下げる。
「いえ」
瓜生はなんともいえない表情で、頭を下げ返す。
「ではどうぞお先にお座りください」そう言い、ガブリエラの目をちらりと見て、姿勢を正した。「ウリエルさま。あなたがポルトガ王陛下のご依頼を受け、この地一帯を詳しく測量されたとガブリエラさまにうかがいました」
「はい、事実です」言いながら瓜生は、武器の位置を意識しなおす。周囲にあわせた、一枚布をうまく体に巻くような服だが、逆にH&K-MP7とスパイダルコ二本を仕込むのはたやすかった。
「よろしければ、その測量結果を見せていただきたいのですが。無論オリジナルはポルトガに渡して結構ですよ」老人が安心させるように微笑む。
「ああ、そうですね。ポルトガ王の意図については私は何も知りませんし、責任を持つ気もありません」
その率直さに老人が目を見開き、自分も完全にガブリエラに対するのと同様、仮面をかなぐり捨てる。
「そのお言葉を信じます。どうか」
必死の目。それに瓜生は、ノートを開いてみせ、コンパスと定規を取り出す。
「記数法が……そう、暗号を使っています。簡単に書いた地図があるので、今からそれに記入して」
「地図を!」
ガネーシャの小さいが鋭い声、使用人が素早く古い、使い込まれた皮紙を抱えてくる。
「どうぞ、ごらんください」
「ありがたい。ここを基準点として、あとは太陽の方角・磁極の方角・時刻から基準方位を推算して、直角を九十・六十・六十分割した、こちらの方角にしばらく進んで、そこから基準点の方角と距離を測定し、それをひたすら三角形の網を作りながら繰り返しました。全ての点で天体および磁極からの方向とその観測時刻、観測可能なほかの点との距離と角度・水平からの角度・土や岩や植物についての簡単な観察記録があります」
「おお……」
老人が口から泡を吹きそうになり、熱い茶を飲み下して、激しく咳き込む。
使用人が入ろうとするのをガネーシャは目で厳しく拒み、ガブリエラがあわてて介抱した。
「失礼をした。どうか、気がついたことを教えてくだされ」
「この南の塩湖周辺は、ソーダ化した土砂漠に近いせいかやや人家も少ないですが、地下水は豊かなので水を吸って適切な植物で浄化すれば農地として多くの人を養えるでしょうし、水産資源も豊富です。またこのあたりから平坦な道のりで海峡につながります。気がついた水源地も書いておきましたが、なんとか補給はできます。この海峡の……ああ、地図のこの部分は不正確ですね」と、瓜生は手元の紙の、三角形が埋め尽くす図と見比べた。「多少の海の魔物がいても、この両側に渡し舟の港を作れば、アッサラームまで貿易路を維持できるはずです。山脈北側にも同様の、渡し舟か浮橋によって交易路をつなげられるポイントはあります」
「平坦な道、と、この線は!?」
「等高線です。正確に確認したわけではなく、測量結果や目視から推定したものですが……要するに同じ高さである点を、大体繋がる曲線で結んだものです。さらにこちら、ボーリング探査せず地上で得られた岩石サンプルからですが、地下資源の予想図です。すくなくともこの一帯が大規模な炭田であることは確かですし、北のこのあたりには岩塩とナトロン、おそらくは……」
「おお……わしはついに、真にバハラタを得た。この紙束、記された数の集まりこそ大いなるバハラタ地峡そのものなのだ」
ガネーシャはひたすら天を仰ぎ祈った。
瓜生も嬉しかった。その三角の網が描かれた紙の価値が分かる人がいることに。
「お嬢様を助けに行った、川に囲まれたかなり大きな森林地帯。あそこが水田でないことのほうが不思議ですよ。ポルトガにも水田の文化がありますから、あそこの技術と作物を少し移入すれば、百万単位の人口が維持できるはずです」
「ウリエルさま、あなたさまは……」ガブリエラの強い目に、ガネーシャは残念そうに顔を見合わせて首を振った。「もし仕事や金子が必要ならいつでもいらしてください。この地図を一目見せていただいただけでも、わしの全財産の十倍ですら安い」
「士は己を知るもののために死すとか。なにかありましたら……失業したら居候させていただくかもしれません。さっそく全ての数値を朗読しますが」
「それはグプタの、あとつぎとしての初仕事とさせていただきましょう。それを二部書き写せば、ポルトガへの報告も楽になるでしょう……よろしければ」と、差し伸べた老人の、細いが力強い、傷だらけの手を瓜生は強く握った。「いつでもいらして、いろいろ教えてください」と熱く言う。
そして食事となった。ガネーシャは娘夫婦とともに、ミカエルは医者が治療中、ラファエルは看病中のためガブリエラと瓜生を招き、質素に見えるが素晴らしいご馳走を用意していた。
ポルトガ王の宝物庫以上のコショウ、それだけでなく多くのスパイスが入ったソースが、しっかりと蒸された根菜と豆を深い色味に染めている。
土穴の中で火を燃やし、内壁に薄い生地を貼りつけて焼いたパン。
引き割って煮た豆と魚の、薄味だが絶妙の汁。
発酵乳と蜂蜜をたっぷりと使った菓子もうまいし、多種多様な果物・干し果物・ナッツ類も贅沢に山盛りされている。
さまざまな薬草茶もとてもおいしい。瓜生にも慣れた味のものがあった。
「皆さんのような世界を回るお若い方は、もっと肉や酒を召し上がりたいのでしょうね」グプタが苦笑した。
「いえ、とてもおいしいです」と瓜生。
「このあたりでは肉は穢れているとしてタブーなのよ」ガブリエラがかばった。
「でもたっぷりの豆と乳製品があるから問題ない」と瓜生が余計な一言を言った。
ミカエルとラファエルはまだ医者のところにいる。
測量数値の口述筆記と数値からのより精密な地図作成、ミカエルの治療に五日かかった。
ミカエルは丸二日間うなされつつ意識不明で、一時は生命が危ぶまれたほどだ。
目覚めてすぐ、無理に外を歩き出したミカエルは導かれるように、病み崩れた老婆の陋屋に入っていった。
「魔王はすべてを滅ぼす者……」
不吉な予言。だが存在すら世には知られていない魔王の存在を、あらためてはっきり知った。
その声だけでも、圧倒的な恐怖の存在感は漏れてくるようだった。
それに打たれたのか、ふらついたミカエルをラファエルが休ませ、まだしばらくゆっくり休むことになる。
「傷自体はすぐにベホイミで治したのに」
「魔法剣自体が人間には無理なのよ。暴走した魔力が自分自身を、魔法というか呪いの次元で傷つけてる」
ガブリエラが首を振り、いくつかの薬草茶を調合し始めた。
「無理してるのよね、いつも」
不思議な愛情に満ちた手が、眠りこむミカエルのやつれ汗ばんだ美しい額をぬぐった。
ミカエルの全快を待ち、ポルトガにルーラで、バハラタの商人も連れて戻った彼らは国王カルレド三世に歓迎された。
「こちら、ご依頼を受けました地図と、その基となった数値データです」
「ああよい、バハラタのコショウをたっぷり得られたのだから。早速ご馳走を作らせよ!船は埠頭につないである」
と、宴に夢中になっている王と大臣にみんな少し呆れた。
「まあ、約束守ってくれるというだけでもありがたいわね」ガブリエラが肩をすくめる。
「じゃあ、ここの地図製作者にでも渡すか?」瓜生が大量の資料を抱えなおした。
「あたしから渡すわ。あんたにやらせたら大事になるから……まあ百年後に誰か気づけばいいわね」
「おいおい、海の国で地図に関する知識を歓迎しないなんて考えられないよ」
「重要だからこそ、非常識な知識が歓迎されるって思わないことね」
ガブリエラが少し哀しそうに言う。瓜生も、その哀しみの意味は分かった……今までも、苦心して作った高精度の地図と、それ以上に重要な生データが受け入れられなかったことはあるのだ。
受け入れられるかどうかは度外視、所詮自己満足と割り切ってしっかり作る、それが瓜生のやり方だ。
「百年後、海を制しているのはポルトガじゃなくてバハラタかな」
「そうとは限らないわ。何が歴史を変えるか、どんな知識が積み上げられるかは人にわかることじゃないもの」
「そんなもんだな」どうせ知ったことじゃないし、と瓜生は胸中つぶやく。
埠頭にあった船は、長さ14m、幅4mほどと小さいが外洋航海に耐える頑丈なものだった。
船首の両腕が鳥の翼になった女神像が目立ち、全体は白く塗られている。喫水はやや浅め、曲線が目立つ船体。
二本マストにしっかりした縦帆が並ぶ。鋭い船首から三角帆がたたまれている。
「あんたがアリアハンの勇者か。しっかり整備しといたぜ、ラーミア号ってんだ。よろしくってよ」
ポルトガの紋章をつけたベテラン船乗りが、四人を迎えてにっと笑った。
「帆の扱いは魔法で補助されるから、四人で動かすことも何とかできるな。あと古い魔力のある木材を一部に使ってるから、ルーラにもついてきてくれる」
と言いつつ、四人それぞれを見る。
「だがそれも、ちゃんと船を動かせたらだ。経験があるのは?」
その言葉に、ミカエルとラファエルがうなずく。
「アリアハンは漁がさかんで、子供はみんな五日のうち二日は海で過ごす。海戦訓練にも参加したことがある、一通りできる」とミカエル。
「ああ、そう見えたよ。アリアハンも海の国だ、ここしばらくはなかなか海に出られないらしいが。外に出る前に地中海でしばらく試験航海して、残りの二人にも教えとくんだな」
「数十年前から海流や風がおかしく、遠洋航海がとても困難になっているんです。それでここまで、旅の扉などを用いて歩いてこなければなりませんでした」ラファエルがため息をつく。
「心配ない、やってりゃ覚えるよ。水と食料を点検しながら積みこみたい」
「ああ、倉庫に案内するよ」
と、ミカエルと船乗りが歩き去る。
「さて……大変なことになったな」瓜生がつぶやく。
「目が笑ってるわよ。やってみたかったの?」ガブリエラが嬉しそうにからかう。
「そりゃもう」と、校舎などよりはずっと高いマストを見上げる。
「じゃあゆっくり教えてさしあげますよ」ラファエルが、口調とは逆に沈んだ声で言う。
間もなくミカエルと船乗りが帰ってきて、何人もの人足が船に据えてある鋳鉄製水タンクに井戸から動く石樋を通して水を注ぎ入れ始めた。
また、塩漬け肉の樽、乾パンや干し豆を二十キロ詰めこんだ包みをそれぞれいくつも、信じられない太さと量のロープや帆布なども手押し車で運ばれ、渡り板を通してたくましい人足が船内に積み込んでいく。
ラファエルが慣れた様子で監督していた。
「さ、水先案内はしてやるよ」
と、船乗りが小さな自分用ボートに部下二人と飛び乗り、軽く数回漕いで桟橋とは逆の右舷側に回って舷側につける。
それから、帆桁端の複滑車を利用し、何人かの人足が綱を引いてボートを引き上げた。
「よし、乗るぞ!ウェルカム・アボード、ラーミア号へようこそ!」ミカエルが先に乗り、声を張り上げた。
「ああ」瓜生があぶなっかしげに渡し板を渡り、最後にガブリエラが乗った。
やや広い甲板から、荷物を積み終わった人足が最後に碇を引き上げてから去り、水先案内の船乗りたちが自分のボートの近くでニヤニヤ笑っている。
「風は……よし。ラファエル、トプスルヤード用意!」
「サー!」ラファエルがサルのように後ろ……メン・マストをよじ登り、何かロープを複雑な滑車に通す。
「ウリエル、ガブリエラ、手伝え」と、ミカエルが率先してそのロープに飛びつき、引く。
「こんな美女に力仕事させるなんてね」文句を言いながらガブリエラも引く。瓜生も必死で引いた。
「息を合わせろ!一気に行くぞ」
三人が力を込めると、複滑車の力で長大な帆桁がゆっくりと上がる。
「よーそろ!」
ラファエルが叫び、調整する……三人が必死で長く長くロープを引っ張り、繰り出し続けると、帆桁がマストと美しい十字架を描く。
「よーし!」
帆桁を固定したラファエルの豆粒のようにしか見えない姿から、強風に負けない強い叫びが甲板に響く。
ミカエルが率先して、引いた後のロープをわがね、美しく調整する。
「ロープの処理を怠るな。遊びロープは大蛇だと思え!蛇より百倍危険だ、簡単に手足を引きちぎり海に放り込むんだぞ!」強く二人に叫ぶ。
別のロープと滑車で、体重何人分もありそうな厚布をきれいにまとめた帆がラファエルのところに運ばれ、彼がヤードを素早く動き回り……はるかな高さで、棒につかまって棒と平行に張られた足場綱に少し足をかけただけで、がっちりたたまれたままの帆を帆桁にめぐらしていく。
「ウリエル、シート……いや、あの綱を握ってろ」と、ミカエルが指差す。
「これか?」
「ああ。トプスル展帆!」
「トプスル展帆!」
ラファエルの復唱から一拍置いて、マストに、ぱっと四角形の帆が開く。
「ウリエル、そのロープを引け!」
「ああ!」
瓜生が思い切りロープを引くと、ぱんと帆がきれいに張った。
「ガフ開け!」
「ガフ開きます!」
「ぼやぼやするな、今もってるロープはそこのビレイピン……鉄棒に結べ!すぐ来い!」
「はいっ!」
「そこに積んである帆だ、引きずるなバカッッ!しっかり紐をかけて、よーそろ!このロープにかけるんだ」ラファエルがタイミングよく、滑車に通したロープの端を下ろす。「ほら、今度はこっちのロープを引け、持ち上げるぞ!」
ミカエルが瓜生を怒鳴りつけながら、力強くロープを引く。
素早くラファエルが、後ろのマストの下側にある大きな、下の長い棒と斜めに張られた棒で支えられる帆を開いていく。
「ジブも一段!」
「ジブ一段!」
ミカエルに答えたラファエルが素早く滑り降り、今度は前のマストをよじ登って、前のマストの中ほどと船首を結ぶロープから、まるで蜘蛛が巣を張るように動き回って三角形の帆を広げた。
「ああ……」
ガブリエラと瓜生がため息をついた、そのときにはもうミカエルは船尾の舵柄を握っていた。
「ガブリエラ、そこの、陸と船を結んでいるロープを外してくれ。ウリエル、シート……このロープをしっかり引いてろ!気を緩めると海に放り込まれるぞ!」
「このロープだね!」
「はいっ!」
「よーし、レツコー!外せ!」
ミカエルの叫びと共にロープが外され、船が風を受けてすっと港を滑り出た。
「二点、よーそろ。ウリエル、クリューライン……風下側の、その帆の下から出てる紐をしっかり引け!」
「この紐だな!」瓜生が引くと、ぐっと帆の形が変わって、力強く船が風をとらえて加速する。
「ミカエルさんよ、ぶつけたくなかったらスターボーに少々回すんだな」真剣な顔で見ていたベテラン船乗りが、満足げにうなずきつつ声を張り上げた。
「承知!」ミカエルが叫ぶと、少しだけ舵を動かし、戻して固定して一瞬だけ甲板に戻り、「これとこれ、順番に引け!」と瓜生に怒鳴って舵に駆け戻った。
「これとこれだ、順番」と瓜生が復唱し、引っ張っていくと帆桁の角度が少し変わり、わずかに船が傾く。
それだけでも、はるか高みにあるマストは大きく揺れ、帆桁端近くにつかまっているラファエルは完全に斜め横にあるように見える。
瓜生の背筋が寒くなった。
「おいおい、こんなの傾いてるとは言わない。嵐の時には水浴びができるんだぞ」
ミカエルが軽く怒鳴り、大きくラファエルに手を振って、すぐさま彼が何をしたのか帆がわずかに変形してぴたりと美しい形で風をはらみ、急速に新しい針路に適応して力強く船首が波を切り始める。
「あと少し、その岩を回り、風下側のガレー船をかわして上手回し。向こうから来るシップが優先だ」
水先案内人が静かだが強い声で指示する。
「了解!上手回しよーい!」
「上手回しよーい!」
ラファエルが叫んで、サルのように帆柱から船尾を結んでいるロープを両手でつかんですうっと滑り降りた。
「すみません、このロープを強く引いてください。いいですか、ミカエルが合図したらこっちに。それからすぐこのロープをゆっくり引いて固定します」
ラファエルの素早い動きに、瓜生は目を見張りながら、
「はい!」
とだけ叫んでついていった。ラファエルはもう別の帆桁から伸びるロープをつかみ、次の準備をしている。
「上手回しいくぞ!」
「よーそろ!」
ミカエルとラファエルが息を合わせる。
ラファエルの指示通りに瓜生がロープを引くと、一瞬帆が風を逃がす。ラファエルも鮮やかに帆桁を回した。
その瞬間、ミカエルが大きく舵柄を引き、船がぐっと今までとは逆に傾く。
「うわっ」
瓜生が小さな悲鳴を上げつつ、むしろ滑り落ちるように言われていたロープを引っ張った。
「遅い!」
ミカエルの怒鳴り声。もう後ろマストからの縦帆はしっかり、別の角度から風をはらんでいるが、瓜生が回したトプスルは全然角度が合わず、風を逃している。
「このロープを引いて!ほら、こうなるでしょう。帆桁が動かないようしっかり固定してください。思い切って!」
ラファエルの、いつもの温厚さとは全く違う厳しく鋭い声の連発。
「はいっ!」
瓜生はただ叫ぶだけだ。
かろうじて帆が全て風をとらえ、ぱんと優雅な曲面に張り詰めて、大きく傾いたまま船は岩と船をかわし、波を鋭く切って進み始めた。
「よーし。なんとかなるな、おかもん二人を早いとこ仕込めばだがね。じゃあ降りるわ」
と、水先案内をしていた船乗りがボートに近づき、いくつかのロープをほどいた。
「ありがとうございました!ほら、このロープを引くぞ」
と、ミカエルが帆桁端の滑車から伸びるロープを瓜生に渡す。ひたすら引いていると一度ボートが軽く浮いて、海にふわりと出る。
「ゆるめろ、ゆっくりゆっくり」
そのすさまじい力に、瓜生の手は力を失ってずるっといきそうになるが、ぎりぎりでミカエルが止める。
「今手袋を脱がれたらこっちが迷惑するんだ!一度やって覚えたほうがよさそうだがな」
ミカエルが強く言う。
「手袋を脱ぐ?」
「手の皮がずるむけになることだ」
瓜生の背筋が寒くなった。
ボートは海に静かに降り、水先案内人たちが飛び乗る。
「いい航海を!」と手を振る彼らに、
「火ぃ吹く酒!王様にもよろしく!」とミカエルが正確に金貨を投げ渡した。
「さあ、まず南の対岸へ。当分しごくぞ!」
ミカエルの金属質の叫びが響いた。
ロマリアの対岸にある、古い灯台は幸いまだ人の領域だった。
そこで、旅の次の目的としてオーブを手に入れること、そしてまず南に行くよういわれた。
だが本来十二人ぐらいはほしい帆装に四人だけ、しかも二人が陸者だ。整備された港にさえ、船をつけるのに大騒ぎをすることになり、ミカエルの怒鳴り声が響き渡ることになる。
瓜生は船酔いを心配していた。だが二日ほど休むときには気持ち悪さにうめき、三回ほど吐いたが大した事はなかった。とにかく毎日覚えることが多く忙しいので、船酔いしているひまなどない。
ガブリエラは完全に使い物にならない。
ラファエルも結構苦しんでいる。それとこれとは別らしい。
瓜生は特にマスト登りで、丁寧語でできるまで繰り返し繰り返ししつこくしごかれたあとはからかいたくなったが、まあ武士の情けとやめておいた。
海の魔物など、はっきり言ってそれどころではない。とにかくマストに登るのが怖いしものすごく体力を使う。帆が重い。ロープも長くなると、さらに海水を含むとものすごく重い。
舷側から這い登ってくるマーマンを、「やかましい帆の畳み方覚えるのに忙しいんだ!」「せっかく覚えかけた帆耳の扱い忘れたじゃないか!じゃまするな!」などと叫んだ瓜生がショットガンのフルオートで消し飛ばすことがたびたびあった。そのたびにガブリエラが「うるさい、あたまが」とうめきまた舷側から身を乗り出す。
「さて、あるんだろ?」ポルトガを離れ、他の船が見えなくなったあたりで、ミカエルが瓜生を振り返った。
「何が?」
「あんなでかい鉄の車を動かせる力なら、船を動かすのに使わないわけがない」
「もちろんその通り。船内機だと大改造になって無理か、船外機にしよう。起重機用意しといて、いや先に小型ウィンチを用意しとくか」
というわけで、舵を引き上げた……近代以前の喫水の浅い中~小型船は、嵐で舵を破壊されないように舵が簡単に外せるものが多い……船尾に、大型のガソリン四ストローク船外機が二台据えつけられた。
瓜生にとっては頭にくることに、ミカエルはすぐにそれを舵や動力として、帆と一緒に使うコツをつかんでしまったようだ。ある意味天才である。
ただし補給とメンテナンスと修理はひたすら瓜生の仕事なのは言うまでもない。ただでさえ陸者の彼は仕事が多いのに。といってもミカエルもラファエルもろくに眠らずマストに登っているのを見れば文句は言えない。というか仕事をしなければ船が沈んで溺れるだけ、この人数ではサボる余地などない。
船外機の威力は凄まじかった。大人数のガレー船をしのぐ合計四百馬力で、風がなくても外洋の荒波を船首で切り割っていく。舵として用いたときの方向を変える力も、高い訓練を受けたガレー船同様である。
ついでにメンマストの上にある、一休みできる見張り台に大型の双眼鏡とFN-MAGを据えつけ、常にあらゆる方向を見たり攻撃したりできるようにした。
巨大なイカに襲われたこともあるが、一匹は焼夷手榴弾を食わせて中から、同時にベギラマで外から焼きイカにし、残り二匹はFN-MAGで内臓をずたずたにしてあっさり片付け、腹いっぱい食った。
また、この船にはさまざまな魔法がかけられていて、実際より軽い力で帆脚綱を引いたりもできる。さらに瓜生が出した動力ウィンチがあればもっとなんでも楽になる。
「あれが」と、ラファエルが広い大陸の奥、到底人の手が及ばない山脈を見つめる。
「あの向こうにバラモス」瓜生が歯を食いしばる。
「あそこにまともに行ける道なんかない。まず目の前の一歩を歩くんだよ」ガブリエラが瓜生の肩を叩こうとして、そのまま崩れてえずく。「船がいらなくなるってんならありがたいねえ」
「これでも飲めるか?」と、瓜生がスポーツドリンクを渡した。「とにかく目の前のエンジンに補給して」と、エンジンにガソリンを注ぎ、オイル残量や冷却水の具合を確認する。
大陸を回り、くぼんだ部分は濃密な森林地帯で人は少ないが、そこに小さな教会があった。
でもまあ、船外機があるから停泊も難しくは……と瓜生が思っていると、
「甘いことを考えるな、その機械止めてくれ」ミカエルが言う。「できる時に訓練しておかないとな」
「ウリエル、今回はマストに登ってください」とラファエルが笑って、上を指差した。
……というわけで、まあミカエルが怒鳴り散らし、なんとか沿岸のうまいところに船を係留し、ボートで岸にたどりついた。
「ここはまよえる船人たちがたちよる小さな教会。昔はテドンの村人たちもよく来ていました。でも今は……」
そう語る修道女の言葉に、滅ぼされた町のひとつの名を思い出す。
教会の奥に旅の扉があったが、その先は檻で閉ざされ動きが取れなかった。
その近くで真水を補給し、ゆっくり眠って、また何日もかけて南下する。
人跡から離れると、岸に近い安全なところに碇を下ろして休む以外眠れない。
「せめてお前ら二人が最低限使えれば、二交代で眠れるんだよ」ミカエルが文句を言うが、数日で帆走機船をまともに使いこなせるようになれと言われても無理だし、ガブリエラは死体同然。
時には船に乗せてあるボートで強引に森に上陸し、ハンモックをつるし何重にも結界を張ってガブリエラを休ませる。
そんな生活にも大分慣れてきて、先には岬が見えてきた。
「テドン岬だ」
大体世界が描かれている地図を見て、瓜生が顔色を変える。
「この地図どおりだったらこの先は地獄だぞ」
「もちろん。勇者ならそれを恐れずに飛びこむんだ」
ミカエルは顔色も変えない。
「なぜわかるのですか?」ラファエルが聞くのに瓜生が地図を見て、
「この地図が正しければだが、東西方向に広い海は、風がさえぎられずに強まる。さらにこの形の岬には、あらゆる方向からの風と潮流がぶつかり合う……地獄だ」
「そんな地獄って言葉じゃ、テドン岬の伝説の百分の一でもないよ」
ミカエルが不適に笑う。
「あたしは……そう、あんたアストロン使えたじゃない。あの応用で、あたしだけ石か鉄にできない?」
ガブリエラがふらふらした。
「一応こっちからも上陸してみましょう。テドンがどうなったか確かめてみたいのです」
ラファエルが岬の影の、ちょうどボートを引き上げられるし船自体は波から守られる小さい湾を指差した。
「あ、あたしも賛成」
「上陸したいだけだろ。まあ補給も必要だし、いくか」
昔は多くの人が暮らしていたであろう広い沃野が、十数年の間にすっかり自然に帰ろうとしている。
かつて家があったところを破って生えている木々の影から、次々に魔物が襲ってくる。
「バラモスに近いせいか、このあたりは特にひどくやられたと聞いているが」
ひどいな、とは言わず、ミカエルは剣の血をぬぐった。
数人の、魔力で自らを浮かせた醜い女が唱えた呪文に、四人の全身が一瞬輝いて炎が吹き上げる。
たまたま鎧の魔物に皮ポンチョを切り裂かれ、脱ぎ捨てていた瓜生の上体を覆うナイロンポウチが溶け、嫌なにおいを立てながら燃えはじめた。
瓜生は悲鳴を上げて伏せ、そのままAK-103で魔女たちを狙撃していった。集中が弱く、何度も外しながらなんとか次の詠唱までに全滅させる。
「ヒャド!」
ガブリエラの呪文に、体を覆うように燃え上がる、目に見えにくい炎が消えていく。
「見せてください、脱いで!」
ラファエルの指示通り、素早くポウチを左肩から抜いたナイフで切り開き、脱ぎ捨てる。
「うおおお」
あらためて瓜生が苦痛にうなった。溶けたナイロンが戦闘服にしみこもうとする。
「ヒャド。ひどい臭いねえ」
「ベホイミ」
再び冷やされた体を、強引に魔法の光が癒していく。
「なんなんですかこの布は。蝋か松脂みたいに溶けてるじゃないですか、ロープまで!こんなの焼かれたら、城攻めで燃える松脂や溶けたピッチをかけられるようなものじゃないですか」
ラファエルが裸になった瓜生の体をこすり、呪文で癒していく。
「バカ、そんなの戦闘に使うな」
ミカエルが冷たくあざけった。
「まったくその通りだな。まああっちの世界の戦争で、こんな炎に焼かれるなんてそうはないから……こっちでは改めたほうがよさそうだ」
と、瓜生がさむけに震え上がる。
「とっとと行くぞ。斧振ってりゃあったまるし次の敵がくれば恐怖など消える」
ミカエルが剣と盾を構えなおした。
「ああ!」
瓜生が立ち上がろうとしてうまくいかず、銃を杖にして立って足をひっぱたいた。
「戻ったら耐火性があって、それでいろいろ収納できる服にしないとな……」
瓜生がまたぶつぶついいながら、荷物をラファエルがくれた布に風呂敷包みのように詰めてなんとか背負うと先頭に戻り、シャベル山刀で道をふさぐ蔓草や枝を叩き切り始めた。
そして不気味な霧が漂う中、獣の毛皮や角、動く鎧の金属をたっぷりかついでかなり大きな村にたどり着いた。もう夜も遅かったが、まるで昼間のように人がざわめいている。
だが遠くから見ると、その崩れた建物、ぼうぼうに生えた草は、ノアニール同様廃墟そのものだった。
「なんだよここ……」
瓜生が眼を見開く。
「ここは昔からかなりいい防具を作ってたわ。寄って損はないんじゃない?」
ガブリエラが、妙に表情を殺した感じで言った。
「知ってるのか?」
瓜生が聞いてしまうのに、ラファエルが顔を凍らせた。
「さあね」と微笑し、朽ちた店で明るく応対している店員と激しく値引きバトルを始めた。
「なによ、あたしとあんたの仲でしょうが!原価は分かってんのよ」
「商売人としては私情ははさめませんなあ、商売なんですよ商売。仲間にいくつまで寝小便してたかばらされたいのかい?」
「知り合いかな?」
さらに瓜生が言ってしまう、そのすそをさすがにラファエルが引っ張った。
「魔法の鎧か。ありがたいな」
皮のような厚ビニールのような、黒に近い緑に青白い斑が浮く奇妙な素材に、鉄とは明らかに違う紫がかった輝きを放つ金属板をつけてある。
柔軟で上下に分かれ全身に着ることができる。下はジーンズのようにベルトで締め、スネと下腹部が重点的に金属板で守られている。上はやや短め、胴前面は厚い金属板で背中を開けて着て、紐で縛る。
「着てみますか?お直しはすぐできますよ」
武器屋の男の勧めで、ミカエルだけでなく瓜生も着てみる。
「軽金属!」
瓜生が驚いた。彼も経験のある鉄鎧の半分ぐらいの重さしかない。皮そのものも普通の皮より軽く動きやすい。ミカエルは大喜びで身につける。
そうしている間に、ガブリエラの姿が見えなくなった。
瓜生が心配して探すと、ガブリエラは朽ちかけた牢の前にいて、何か話しかける囚人に答えずにいた。
声がかけられない。何か、とんでもないものを見てしまったような。
「……ルス」ガブリエラのかすかな、胸を詰まらせたような声を聞きながら後ろを向き、朽ちた家だったらしいぬかるみを踏みながら武器屋に戻った。
結局瓜生はラファエルとともに魔法の法衣を選んだ。鎧と同様な特殊な魔力を持つ素材でできた膝丈の上着。ダッフルコートのように奇妙なトグルで前をとめるが、首のところまでしっかりと襟がある。
複雑な斑が素材自体にある。
鉄の鎧より防御力もあり、火にも魔法にも強いらしい。かなり分厚いが不思議と暑くはない。
ラファエルにアドバイスをもらい、刃物類は法衣の上から帯をつけ、銃は布を巻いて隠す。
頻繁に使う手榴弾や弾倉は道具屋で買った小さいショルダーバッグに入れて腹前に固定し、使用頻度が低いものは帆麻布のリュックで背負うようにした。
「これでも伏せたまま使える弾薬は大幅に減るんだが、またあんなめにあうよりましか」
そして、朽ちてはいたが不思議と清潔な宿で、普通に人を守り癒す魔法の寝具で休んだ四人が朝の光に目覚めたとき……
そこは無人、ところどころに朽ちかけた骨が散らばるだけの廃墟だった。
ああ、やっぱりな。不思議とそんな感じがする。
そのくせ買った鎧はどれも消えることなく新品の輝きを放っていたし、代金として渡した皮などは影も形もなかった。
「そうだったな、テドンは滅ぼされた、あちこちで聞いてたよ」
ミカエルが寂しげに言った。
「どうかここの人々に安らぎがありますよう……バラモスを倒せば、それとも時が経てば……」
瓜生は何もいえなかった。昨日の、宿の主婦の親切なもてなし、よその話をせがんだ子供の笑顔を思い出してしまう。
もっと優しく話してやればよかった。
涙ぐみそうになるのを必死で抑える。
「長いこと、村がどこにあったのかも謎になってたのよ」ガブリエラがそういって瓜生を振り向き、「さて、朝ごはんの用意してくるかな」
ガブリエラは、村のすぐ近くにあったハチの巣も、食べられる木の新芽や果物の木もよく知っていた。
近くの畑の多くは毒の沼地になっていたが、中には野生化した野菜もいくつかあり、それも取ってきた。
錆を落とした鍋でゆでた薄切りの芋・木の新芽・生では酸い果物、軽く炒った蜂の幼虫、蜂蜜をたっぷりかけた果物などは忘れられない味になった。
ひたすらラファエルは祈り続け、ミカエルと瓜生は黙って食べた。
ミカエルが廃墟を回るのを、ガブリエラが後ろから追う。
あの牢に差しかかるとき、瓜生は止めようとしたが、ガブリエラが瓜生に触れたため何もいえず、そのまま朽ちて開いた牢に入る。
牢の壁には、炭と血で、生きているうちにオーブを渡したかった、と書かれていた。
「オーブ、ってあの灯台で聞いた」
「そうだね。早速一つ手がかりができたじゃないか。それにランシールに行くようにも言われたろ?」
ガブリエラがミカエルに、普通の声で言った。
「さ、行こうか」
「ジャイブさせるな、シート引け!」
「はいっ!」
「機関半速、このタックが成功すれば」
ミカエルが、目の前にそそり立つ波をにらむ。
波と波がぶつかりあい、その飛沫が甲板を滝のように洗い流す。
瓜生の目が強風にくらみ、帆桁から落ちそうになるのをかろうじてつかまる。
あまりに横揺れが大きく、高いマストが大きく傾いて帆桁端が波に触れそうにさえなる。
ミカエルは船外機を舵に、必死で船と風の角度を調整しているが、あまりに波が激しくて思うようにいかない。
破れた三角帆を取り替えるべく、ラファエルとマストから降りた瓜生が船倉に急ぎ、ガブリエラが魔力を放出して船の制御を助ける。
テドン岬沖の嵐は想像を絶するものだ。
大陸を回る風と潮流がぶつかり合い、大陸に容赦なく船を引き寄せる。
帆だけでこの岬を回るのは、はっきり言って無理だ。
「ジブ交換しました!」
ラファエルがいきなりすさまじい横波を受け、かろうじて舷側のロープにしがみつく。
「上手回し準備!」
ミカエルが叫び、舵をかすかに切る。
「はいっ」
瓜生がメンマストに走る。
三つの波がぶつかり合い、マストより高い三角波になる。それをぎりぎりでかわした。
ガブリエラがルーラを唱えかけている。
「いまだ!」
波の間に一瞬開いた静かな水面、そこに突っ込むと、一気に舵を切って船外機を全速にし、ラファエルがジブを上げる。
「ガフセイル……いまだ!」
ミカエルの叫びに、瓜生がロープを引くと一気に帆桁が回り、広い縦帆が開きを変える。
前マストもラファエルが素早く調整し、いくつもの帆が瞬時にぴんと張って美しい翼面を作り、爆発的な風を受けて船を別の進路に乗せる。
「こっちでいいはずだ」
ミカエルはもう、次を見て船外機を減速させていた。
「おい、これ」
ミカエルに呼ばれて舵輪近くに飛んだ瓜生が眼をむいた。
「ぶつかる、そっちの水面下に大岩がある」
悪魔のテドン岬を抜けるため、船底に魚群探知用ソナーをつけておいたのだ。
「機関全速!ジブ揚げろ、とにかくそっちから離れるんだ」
ミカエルが必死で、昼間のはずなのに真っ暗に荒れ狂う空と波から、岸の方向を見極める。
ときどき船外機のスクリューが海面上に出て空回りするほどすさまじいうねり。
「上手回し!」
ミカエルの叫びに、またラファエルと瓜生がそれぞれのマストに飛んだ。
穏やかな風と波、マストの間には何本もロープが渡され、上のほうでは海水で洗った衣類やシーツ、下のほうにはさきほど投げた網にかかった、50cmから2mほどの魚が二百匹ほど吊るされて干されていた。
強烈な日光にあっという間にかちこちに乾く。
ちょっと網を入れるだけで大量の魚があがったので、岸につけて四人で処理作業をした。それも結構大変だった。
頭と内臓を取って三枚におろし、身も塩をして干し、それ以外は塩と共に樽にぶちこんで魚醤にしている。
いくつかの頭をじっくり煮込んで、それはそれでさっきうまい昼食になった。
船から少し離れた砂浜で、激しく木剣が打ち合う音が響く。
繰り返し繰り返し、切り返しを打ち込み後退しつつ受ける。
二人の木剣が、ふと止まった。
瓜生とミカエルが、互いに構えたまま、じっと黙ってみつめあう。瓜生は激しく肩で息をしていた。
そのまま時間が経ち、瓜生の呼吸が落ち着く。二人ともどうしていいかわからない。
「もう潮時じゃない?」
陸で一眠りしていたはずのガブリエラが、相変わらず軽い口調だが思いきって言った。
「ああ。……どうしようもなく離れすぎてる」
瓜生がうなずき、わかっていることを言葉にした。
もうどれぐらい前からだろう。ミカエルが手加減するようになったのは。瓜生にはどうやっても、彼女の本気の剣を受け止めることもできなくなったのは。
海に出る前だろうか。海でしばらく、短い時間しか稽古できなくなってからだろうか。
「お互い、一人でも稽古はできる……でしょ」
ガブリエラが言うしかない。ラファエルは何も聞こえないふりをして、帆を整えていた。
「ランシールに行こう。あそこの神殿騎士団の剣術はアリアハンに並ぶ」ミカエルがつぶやくように言う。
「騎士団長がご健勝ならいいのですが」ラファエルがはっとしたようにつぶやく。
「留学してたんだったな」ミカエルがラファエルを見た。
ランシール大陸はあいにくと砂漠が多かったが、穏やかで広い大陸である。
そこには世界屈指の大神殿があり、バハラタ・ダーマに並ぶ聖地とされる。
貿易港としてもバハラタ・アリアハン、以前はネクロゴンドやアッサラームともほどよく結ばれた天然の良港を持つ。
町そのものは小さいが、奥に重厚な神殿があった。
「勇者様が神殿に入るのは、この鍵を得てからです」
「いや、今回はその用よりも、むしろ神殿騎士団の方に剣術について相談したいのだが」
「そうですか。ではどうぞおいでください」
森のはずれにあった、神聖な雰囲気のある宿舎には広い体育館があり、何十人かの戦士が汗を流していた。
ラファエルが声をかけると何人かが嬉しそうに振り向く。ただし、逆に嫉妬のような目を向けた者もいた。
そして、初老で体つきは小さいが、鋼のように鍛え抜かれた女性がミカエルと瓜生を招いた。
細いが鋼の両手剣以上に重い、紫に磨かれた長い木剣を渡される。
ミカエルも同様の物を受け取った。
「さ、どうぞ」
騎士団長サー・ジェニファー・メイガスは木剣を構えず、片手でふわりと提げている。
瓜生はぞっとしたが、呼吸と声で無心を取り戻し、ただ振りかぶって上段で寄り、右面気味に打ちこんだ。
カーン!
あっさり木剣は弾き飛ばされ、瓜生は体当たりを食らって向こうの壁に激突する。
ミカエルが眼の色を変え、すすっと近づくと、その身が閃光と化すような突きを放った。
そして恐ろしい速さで、鋭い攻防が続く……気がついたら日が傾いていた。
「お見事」
メイガス騎士団長が言って一礼したが、彼女がほとんど汗をかいていないことに皆気づいた。
「今一度、お願いできませんか」
瓜生が言い、今度は肘から指先程度の短い木刀を選んだ。
「はい」
そう、にっこり笑って同じくふわりと剣を垂らす。
瓜生はまた大きく深呼吸をし、腰を落として静かに歩み寄り、ふわっと肩に振りかぶった短刀を袈裟に切りつけ、即座に逆に跳ね上げた。
騎士団長はその両方を紙一重でかわすと、短刀よりも中に飛び込んでつばぜり合いの要領でわき腹を押し飛ばす。瓜生はまた吹き飛んで壁に叩きつけられた。
「ありがとうございました」
そう礼をするのが精一杯だった。
「勇者ミカエル殿。焦ってはなりません。無理が形を崩しています。幻影を追うのではなく、自らの体と語り合いなさい。勇気を試される神殿にいらっしゃるときをお待ちしています」
ミカエルは聞こうとしていたが、その横顔は凍りついていた。
「ウリエル殿。なぜそう、自分は弱いと決めつけているのですか?他人と比べても何にもなりませんよ。剣があなたを嫌っているのではないのです。また無心になろうと意を用いている時点で無心ではありません」
瓜生は一言も答えられない。
「それに、無理な修行で形が崩れつつあります。これからは一人で、一日に両手剣と短刀を百ずつのみ、できる限りゆっくり丁寧に毎日修行しなさい。四十年それを続ければ、きっとたどり着けるところはあるはず」
「ありがとうございます」
瓜生は涙ぐんで頭を下げた。
町で奇妙な、姿を消す薬草が売られていた。
「こんなの売っていいのか?泥棒し放題じゃないか」
「いえいえ、勇者様たちにだけですよ。みなさまなら……ねえ」
瓜生が思わず顔を伏せる。勇者協約を知らなかったときの恥を思い出した。
武器や防具に、それほど目覚しいものはなかった。
「さて……次は、噂のジパングにでも行くか」
アリアハン大陸まで強引に渡って航路のめどをつけておき、水や食料、蒸留酒や帆布などを買い入れた。
外洋航海での、帆布やロープの消耗はすさまじい。
それ以外、実家にも王宮にも行かず、逃げるように北上した。
「寄らなくていいのか?」と瓜生が言うのを厳しくにらみつけ、ラファエルは必死で静かにしろとジェスチャーしている。
まあいいや、とばかりに瓜生はマストによじ登った。もうだいぶ帆船の扱いにも慣れてきた、
「慣れるな!ちゃんとロープ端止めしろこのバカおかもん!」
と怒鳴り声は響くが。
長い海岸線。海岸近くには人家が少ない、海の魔物が多いからか。
半島には時に宿屋程度はあるが、ちゃんとした国の体をなしているところ、大きな町などはあまり見当たらない。
強い暖流に乗り、海岸がかろうじて見えるぐらいの距離を保って北を目指す。
「このあたりってあまり人がいないんだな」
「そうですね、昔から騎馬民族や魔物の攻撃が多くて。風上側帆脚索引いてください」
「ウリエル、ちょっと右側船外機の調子が悪いんだが、見てくれるか」
「はい!」
そんなこんなで着いたのは、山がちの南北に長い島だった。
「結構でかいな」
「人口も多いそうですよ、鎖国気味で知られていませんが」
「大きい火山だな。ふもとに結構大きい村がある。上陸するぞ」
「ここは」
瓜生が懐かしそうな目で見回す。
「知ってるの?」
「いや。でもなんか、故郷に似てるんだよ」
瓜生の表情がほころぶ。一面に広がる水田の中、藁葺き屋根と木の香りが濃く漂う家が並ぶ。味噌汁と納豆と焼き魚の香りがくすぐったい。
「ガイジンだガイジンだ」
ミカエルが声をかけようとしても、逃げたりする人が多い。そんな中、瓜生が進み出て深く礼をすると、逃げていた人々が集まってきた。
「ジパングの人に似ていらっしゃいますね」
瓜生に、初老の男が話しかけてきた。
「似たところに生まれたのでしょう。勇者ミカエルに従う瓜生と申します」
と、また互いに深く礼をする。
「これはこれは、よくジパングにいらっしゃいました。勇者ミカエル様ですか」
「よいところですね」
ジパングの民のかすかな表情を瓜生は敏感に読み取った。
「えーん!ぼくのだいすきなヤヨイ姉ちゃんがいけにえにされちゃったよう!」
子供がミカエルに泣きついたが、その子の親がこの口をふさぐように連れ去った。詰め寄ろうとするミカエルを制し、瓜生がその親に深く頭を下げて、軽く視線を合わせる。
そのごくかすかな表情に、瓜生もまぶたをかすかに動かす。
「ふざけるな、自分の子を」といいつのろうとしたミカエルを、瓜生が制して裏に連れて行く。
「あれで充分悲しんでいるんだ。顔では名誉と笑いながら、扇子の置く場を畳一筋ずらして抑えきれぬ悲しみを漏らすのがここの民なんだよ」
「バカ?」
ガブリエラの一言に瓜生は微笑し、
「ああ全くその通り!」
とむしろ嬉しげにいった。
「生贄をささげなければおろちに皆が食われてしまいます」と、井戸で洗濯をしていた女性が話す。彼女の夫か、かなり大きな家に招かれる。
「お話はうかがっております。みなさまよく、身命を捧げて尽くしていらっしゃるものです」
瓜生が正座して茶を置き、やや沈んだ声で軽く目礼しつつ言った。
ミカエルたちは正座を真似ようとしたがどうしようもなく体育座りしている。というか土足で上がろうとするのを、瓜生がとっさに止めて、靴を脱いでそろえる作法を教え、予備の靴下を全員に渡したほどだ。
瓜生が視線を傾け、茶をすすろうとしてかすかに水面を揺らして置く。
主婦の注ぐ茶がかすかに乱れ、こぼれたのをあわてて謝る、瓜生が微妙に目の角度をつけて制し、会釈程度に頭を下げた。
それで充分、主婦の悲しみと瓜生の同情は通じ合っている。
ガブリエラはその、ばかばかしいまでに細かなコミュニケーションに呆れていた。
「この生贄は神代の昔より行われているのでしょうか?」
「いえ、十何年か前におろちに襲われて以来でございます。恐るべき巨大な蛇で、全てを食いつくし焼き尽くそうとしたのを、われらの主であらせられる現人神、ヒミコ様が止めてくださいました」
「ほう、それはそれは。ところで、ここしばらく急に金持ちになった人などはいないでしょうか?皆とても心あるよい暮らしをしているようですが」瓜生がそっと茶を置き、おかわりを遠慮した。
「いえ、我らはみな共に耕す暮らし、特に金持ちなどはおりませぬよ」老人が笑う。
「我々はアリアハンの勇者で、魔王バラモスを倒すためにオーブを集めています。心当たりは?」
ミカエルが短兵急に聞く。
「オーブですか?聞いたことはありませんが、ヒミコ様が昔から素晴らしい玉を持っておられました」
ミカエルとガブリエラが顔を見合わせる。
「それはすばらしい、ですが本当の美しさは心、真心こそが玉でございましょう」瓜生が何食わぬ笑顔で言う。
「それにしても遠いところからよくおいでくださいました。大変だったでしょう。よろしければぶぶ漬けでもお召し上がりにななってくださいませ。ただいま支度いたします」主婦が言う。
ミカエルが受けようとするのを瓜生が制し、「いえいえ、ありがたいお誘いですが、どうしようもない用もあるのでこのへんで失礼させていただきます」
と正座のまま丁寧に礼をして立った。
「おい、食事の誘いを断るのは非礼だぞ」ミカエルが帰り際に小声で言った。
「ここじゃまず間違いなくもう帰れって意味なんだよ」瓜生が小声でささやく。
「なんてひねくれたところだ」
「おれも大嫌いだけどな」
「もし」玄関先で、先ほどの主婦が瓜生に声をかけた。「あちらには冬を越すために野菜や塩魚を漬ける室がございます」と、目くばせをした。
「ありがとうございます、拝見させていただきます」
瓜生はもういちど、別の角度で礼をしてそこに向かった。
その壺の一つに、女性が隠れていた……「お願いでございます、どうかお見逃しを!せめてもうひととき、生まれ育ったふるさとに別れをつげさせてくださいませ」その言葉を聞いた瓜生はかすかにうなずいた。
「何も見ませんでした。だよな?」残り三人がうなずく。
「とっととオロチを倒せばいいんだろ?」ミカエルが笑って剣の柄頭を叩く。「その前にヒミコとやらにも一応謁見しておくか。ろくなもんじゃなさそうだが」
「もしここの礼儀作法が分かるなら、教えてくれないかい?」ガブリエラが聞いたが、瓜生は首を振った。
「むしろおれがいないほうがいい。できるだけ遠慮なく、生贄に代案がないか聞いてくれるか?家畜で済むなら莫大な収量のある作物と緑肥の種を渡してもいい、とまで言って交渉してみてくれ」
そういわれたミカエルたちが行ってみたが、外人は大嫌いとけんもほろろに追い返された。
瓜生は近くにいた宣教師と話しながら待っていた。
「アリアハンの勇者になんて無礼な。これはアリアハンに対する侮辱でもあります」ラファエルが珍しく怒る。
「あんたね、自給自足で鎖国してる国にアリアハンの威信も何もないわよ」ガブリエラが苦笑した。
「ウリエル、行かなくてよかったのか?おまえなら別の情報を引き出せたんじゃ」
「ヒミコは人間だったか?邪悪に見えたか?」ミカエルの言葉をさえぎった瓜生が、ストレートに聞く。
「え?いや、うまく見えなかった」
「化けてるとしたらよほどうまく化けてるのね」ガブリエラが微笑する。
「家畜の話を聞きもしませんでしたよ。本当に生贄が必要なのでしょうか」ラファエルが首をひねる。
「人身御供か……いろいろ調べないと」瓜生が頬をゆがめた。
「バラモスの仕業だろう」平然と言うミカエルに瓜生は頭を抱える。
「なにがどうなってるかわかったもんじゃない。いろいろあるんだよ、単なる魔女狩りだったり、合理的な人減らしだったり、単に悪い人間が美女を対岸の都市の売春宿に売ってたり……本当に、信仰の根本、深い伝統である場合もあるから、その場合はすごく難しい。そうですよね」
話しかけられた宣教師は目を白黒させ、「とんでもない!とにかく悪いものは悪いのです、正しい神に従わなければならないのです」
だめだこりゃ、とばかりに瓜生は肩をすくめたが、そのジェスチャーは通じなかった。
夜に少し様子を見て、ヒミコのところに潜入したミカエルとガブリエラ。
「あれ人間じゃないわね。妙な寝息立てたたわよ」と報告した。
大陸の宿に移り、四人でいろいろ話す。
「それにしても、もしこの国を滅ぼすのが目的だとしたら、なぜ直接襲わないのだろうか?」
瓜生は話しながら、じっくりといくつもの銃を手入れし、慎重にショットガンのマガジンに詰めるショットシェルを選ぶ。
「直接襲うと団結してしまうから……とか?」ラファエルが首をひねった。
「バラモスは国の内部から化けたりして自壊させるのを好む、って聞いたことがあるわね」ガブリエラが分け知りげな微笑を瓜生に向ける。
「なぜ女なんだろうか?勇敢な男戦士に襲われるのが怖いなら……いや、この世界では男女に戦闘力の差はない。国を弱らせるため?だとしたら、女の生贄のほうが影響は大きいよな。男なら一人いれば百人の女を妊娠させるのはたやすいが、一人の女は男が何千人いようと、生涯に十人産めれば多いほうだ」
ガブリエラが瓜生を思いきり蹴飛ばした。
「やはり、オロチを倒すしかないな」ミカエルが決めて、オロチが住むという近くの洞窟を指差した。
「待て。万一がある……」瓜生はひと思案して、先ほど訪ねた有力者の家を訪れた。
「瓜生様、何用で」
「オロチを倒しに行きます。万一のため、一筆残しておきます……ガブリエラ、ここの人を一人ずつ、ルーラで一度ロマリアとバハラタに送って、キメラの翼を渡しといてくれるか?もしオロチが襲ってきたら、なんとか私たちの船に乗れるだけ乗って、船ごとキメラの翼で飛んで手紙を渡してもらえば」
ミカエルとガブリエラがうなずく。
「手紙なら口述してくれ。書くから」とミカエルが筆記具を取り出す。
「最後におれも署名する。まず挨拶から頼む………………そう、万一の際、ここの人々を受け入れてくださいますよう、陛下のお慈悲にすがります。三拝……追伸、その折にはこの方々の持つ水田作物と豆の種ならびにその加工法は、余りある富をもたらしましょう。肉も乳も卵も不要になるのです。ついでに、せめてもの誠意のかわりにトウモロコシの種を同封しておきます……ここに署名すればいいのか?」
「ヒミコ様に逆らうようなことはできかねますが……御武運を」と、宿老は静かに、置かれた手紙をどこかに隠し、家族二人を呼んでガブリエラに預けた。
洞窟は狭く、足が溶岩で暑い。
「硫黄鉱かな?」
瓜生が首をひねった。
「天然の洞窟にも見えますね。何でしょうこの声」
おぞましい、地の底から奇妙な声がする。
「敵!」
ミカエルが剣を抜き、巨大な熊を追い立てる。瓜生がショットガンを二発腹に叩きこみ、それでも突進してくるのをミカエルが冷静に首をはねた。
「頑丈だな」
「魔物はそのままの生物より、生命力が強く肉も丈夫なんですよ」
ラファエルが指を振る。
突然出てきた、ポルトガで見かけたのに似た首がない低い魔物が、奇妙な呪文を唱えた。
瓜生の頭が、奇妙な霧に侵される……
「うわああっ!」
彼は悲鳴を上げてナイフを抜き、自分の首にあてがった。
「ラリホー」
呪文でそのまま瓜生が眠り、その間にミカエルの剣が容赦なく魔物を両断していく。
「しゃれにならないね、こいつやミカエルが混乱したら」
「どうする?」
「縛ってから目を覚まさせよう、時間がない」
「ザメハ。大丈夫ですか?」
「あ、ああ……縛ってある、そりゃ危険だからな。もしおれが混乱したら、それこそ……」
四人とも背筋が凍った。
「コレに対抗できる魔法とかお守りとかないものかな」
「なかなかないねえ」
ガブリエラが苦笑する。
「まあ、混乱しそうになったら眠らせるか縛ってくれ。頼む」
地下に降りると、そこには祭壇があり……人骨が無残にも散乱していた。
「少しでも遅かったら、ヤヨイさんも」
ラファエルが眼を背ける。
「一体……何人犠牲に」
瓜生が歯をかみ鳴らした。それをミカエルが横目で見て、かすかに微笑む。
「ひどい臭いだねえ」
気が狂いそうな激しい死臭。硫黄の臭い。他にもわけの分からない臭い。
調べた別の部屋で、明らかに呪いがかかった、恐ろしい表情だがぞっとするほど美しい面が手に入った。
「つけたりしちゃダメよ、絶対呪われてる」
「見れば分かる」
「しかし美しいですね。国宝級でしょうか」
「オロチってのは巨大なヘビだそうだな。大げさかもしれないが……念のためだ」
瓜生が、タンデム弾頭を装填したRPG-7を背負った。背中のリュックに予備の通常成型炸薬弾頭、多目的榴弾をねじこむ。
「遠距離戦ができればいいんだが。欲を言えば、穴を掘って低い土塁にして、その中から、百メートルから千五百メートルぐらい遠くの敵を叩きのめせれば一番いい」
重火器の多く、特に爆発する成型炸薬弾頭や榴弾などはかなり長い安全距離を必要とする。重機関銃、野戦砲などもある程度の安全距離が欲しいし、遠距離戦にこそ向いている。
「魔物ってのは洞窟とかを好むからねえ。残念ながら至近距離が多いのよ。しかたないでしょ」
「行くぞ。下がって戦いたければそうすればいい」
「そうはいかない、放っておいたら一人で切り込んで、危なくなるからな」
瓜生がいつもどおりミカエルの左側につき、ラファエルが右側を大きな盾で守る。
「一応、話せる竜かもしれないから話せたら」
瓜生が言いながらその部屋に踏み込み……口をつぐんだ。
背筋が凍る声。
溶岩の明かりに浮かぶ瞳の輝きと、あまりに禍々しく美しい姿そのものに、一瞬で血が凍る。
ミカエルの嵐の海でもマストの上まで届く雄叫びと、この地下なのに雷鳴の凄まじい轟音が響いた。
わかっていた。ただの巨獣なら何であれ倒せる。だが、「神々」に立ち向かうことができるのは「勇者」「英雄」と呼ばれる存在だけ。
これまであちこちの世界で経験した冒険で、竜とまみえたときには会話してきた。どうしようもなく銃で「狩った」のはただの獣だった。
人語を解する、神々に属する竜は常に物分かりがよかった。もし決裂していたら……圧倒されていただろう。
その、いくつもの首が絡み合う巨大な、二十五メートルプールからも溢れそうな巨大なヘビには明らかに、人間とは異質だが圧倒的な魂がある。はっきりとそれが、自分は山や海と同じ、人間よりずっと上の存在だというメッセージを無意識に叩きこんでくる。
それが、明らかな邪悪、敵意……話し合いの余地がないことなど一瞬で分かる、凄まじい邪悪に満ちて咆哮したのだ。
巨大すぎて恐怖という言葉には当てはまらない。不遜、神に立ち向かう罪。恐怖のあまり石になる、ということが本当だとわかる。
一人なら体が凍ったまま食われただろう。たとえ、瓜生の故郷の特殊部隊一個中隊でも、戦車隊でも指一本動かないだろう。画面越しの空爆ならなんとかなるだろうか……?
だが、ミカエルの雄叫びは、その凍結をぶち破ってくれた。動ける。引き金が引ける。
あっというまに正面から、腰をかがめれば潜れそうな、三十センチを越える鋭い牙が並ぶ口が襲ってくる、そこにショットガンがフルオートで叩きこまれる。最後の一発、ショットシェルグレネードが喉の奥、危険なほどの至近距離で炸裂する。
止まらない!
ぎりぎりで、ラファエルに蹴り飛ばされて横転し、かろうじて助かる。
そして左片手で、レーザー頼りに拳銃のように放たれた、AK-103の7.62mm×39弾がその首から頭を横から一発、二発とぶん殴る……内部では重い大口径弾が暴れ、骨を吹き飛ばして散弾にし、肉を衝撃波でひき肉にしているはずだ。
「効かないのか」
「効いてる、続けろ!疑うなっ!」
飛びこんで来たミカエルの剣が、別の首の分厚く硬い皮を切り裂いて肉を露出させる。それがあっというまに閉じようとする、そこに瓜生がAKを突きこむようにして、フルオートで一連射ぶちこんだ。
大人二人でも抱えきれぬほど太い首が半ばちぎれる。反対側が、スイカをバットで打つようにはじけ散る。
その叫び声は、まさに天地を揺るがすようだった。火山の噴火にも等しい、絶対的な力。
「下がれッ!」
ミカエルが繰り返し必殺の斬撃を叩きこむ。
激しくのたうつ巨大な首に、優雅に舞ったミカエルの剣が炎の筋となって突きこまれる。
「うあっ……大丈夫、抑えてる」
「お前の大丈夫は」瓜生が叫び、またAKの弾倉を交換し、駆け寄りながらオロチの全身に銃弾をめりこませてミカエルのところにたどりつき、「信用できないんだ。ラファエル!」
と、おもいきり彼女を突き飛ばす。
ラファエルが抱きとめた。二人を狙う首を、次々とスラッグの連打が押し飛ばす。
瓜生は一歩下がり、ショットガンの弾倉を全弾グレネードに交換した。
「気をつけろ!」
とだけ叫ぶと、そのままかなり遠くの、こんがらがった奥に向けて連射する。
次々と爆音が上がり、いくつかの首が激しくのたうちまわった。
「ヒャダルコ!」
ガブリエラの呪文が強烈な冷気となり、暑い溶岩の熱気を一瞬で冷やすほどの力で叩きつける。
だが、それに対抗するように凄まじい炎がいくつもの口から吹き出される。
首の一つはAK-103の連射が蹴り飛ばしてそらしたが、他の口からの炎の嵐は巨大な地下空洞全体を焼き払った。
「へぁあああたななへくぁえたえたっ!」
全身を、気管を肺を焼かれる激痛に、瓜生が声にならない声を漏らす。
「ベホイミ!次来ます」
「ちくしょうっ!」
瓜生はそのまま、手榴弾を投げて伏せ、AKの弾倉を交換してまた連射し始めた。
その爆風と、炎の嵐が同時に地獄を作り出す。
「爆風で炎をそらせたのか」
「でも……ホイミ」
ミカエルが自分を、そしてガブリエラを必死で癒す。ラファエルは瓜生を癒したが、
「おま……死ぬぞ、自分も癒せ。これかよ、広島で皮を垂らして歩いてたとかいうのは」
そう瓜生が呆然とした。露出している部分がひどく焼かれ、吐き気さえする見た目になっている。
「あいつを倒せば」
ミカエルが剣を振りかぶって突進し、尾に激しく切りつける。
「あ」
「どうしました?」
「剣が切断された」
呆然と、半分の長さになった剣を見るミカエルを、首の一つが大きくねじれて狙う。
「ならこちらを」
ラファエルがバールを手渡す。
ミカエルがその重い棒を、すさまじい力で巨獣にぶちあてた。同時に瓜生が、スラッグを十発首の一つに叩きこんでいた。
大きく囲むようなポジション。そしてミカエルがオロチを脅した隙に、瓜生は離れる方向にほんのわずかに走った。広い溶岩流を背負い、こちらを向こうとする巨体と対峙する。
「死ね」
瓜生が撃ちつくし、熱く煙を吐く銃を二挺とも離すと背中からRPG-7を下ろし、安全装置を解除する。
前方に小さなふくらみがあるタンデム弾も、猛炎にかなり表面塗装が痛んでいた。
膝射。アイアンサイト、ギリギリの近距離。強化ゴムの靴底と膝当てが焦げる。
「ガブリエラ、爆発!」
瓜生が叫ぶ。ガブリエラが素早く舞い始める。
瓜生の背中から、後ろに凄まじい炎が吹く。そしてふわりと、ゆっくりと重い弾がオロチのほうに飛び、直後爆炎の尾を引いて加速した。
「イオラ!」
ガブリエラの呪文が完成し、オロチの頭上に強烈な爆発が起きる、それと全く同時に、炎の尾を引いた弾がオロチの胴体に突き刺さった!
三つの爆発は一つにしか見えなかった。
タンデム……前方の爆薬が爆発する。直後……人間には理解できぬほど短い短い直後、二発目の成型高性能爆薬が計算されたタイミングで反応する。ラグビーボールのような形の、奥にへばりついているだけの爆薬で、その前には大きな空洞がある。その円錐に張られた金属板が、人間には想像もできないほどの超短時間で、爆薬の凄まじい圧力……液体固体の区別が意味をなくすほどの圧力を受け、一本の金属の槍となる。
それは人の力では決してありえない圧力と速度で刺さる……鋼の装甲も、原子を結ぶ力の限界を超えた圧力によって液体同様にえぐるのだ。いかに魔の力で強化されようと、元々生物の皮膚がどれほど頑強な高分子と細胞構造であろうと、すべてを焼いた錐でバターを刺すよりたやすく突き刺さり、深く刺さったところでその高熱が解放され、水分を全て爆圧として周囲を粉砕し、内臓を高圧水蒸気で引きちぎり焼き焦がしていく。
たとえ爆発反応装甲の衝撃波が金属の槍を断ち切ろうと、空洞つきのセラミックと劣化ウランが圧力を分散させようと、二本目の槍が寸分違わず同じ場をえぐる……
槍が内臓まで突き通った、その直後に上で、大量の高性能爆薬そのものの爆発、そして鋼の弾殻の超音速の破片が次々に巨獣の体を切り刻む。
超音速の衝撃波が一瞬で広い範囲を打ち叩く。桁外れの圧力と熱がモビルスーツの拳より激しく肉をひしぎ、えぐり、吹き飛ばす。破片が深く突き通る。長い首が凄まじい圧力に抗しきれずねじまげられ、ありえない角度に曲がって半ばちぎれ壁に叩きつけられる。
その上から強力な魔力が爆発の形となり、暴発する。それは魔の本性とぶつかり合い効果をなくすが、大気そのものに働きかける力が、RPG弾の爆圧を更に増幅する。また強力な結界がミカエルたち四人を瞬間包み、爆圧の影響を打ち消す。
だが姿勢が崩れたため、瓜生の手が溶岩に触れて燃え上がった。
「うああああっ」
ラファエルがベホイミを連発する。
近くにいたミカエルも壁に叩きつけられ、こちらは声も出せない状態になっている。
たまらず溶岩のどこかにある、奇妙なところにオロチは逃げる。
それを追ったミカエルが尾をぶっ叩く。その勢いで尾から何かが転がり出た。
本体はそのまま消えた。
「旅の扉だ、追わないと」
「まちなさい、全員全回復しないと」
ガブリエラが言って、ラファエルがまずミカエルに繰り返しベホイミをかける。
「まず自分だろ」
瓜生が言い、RPGに新しい弾頭をねじこむ。
「出たらまたやつと戦うかもしれない……だとしたら」
瓜生が取り出したのは、とてつもなく長大な銃だった。バレットM82……10+1発の.50BMG、12.7mm×99の超強力弾薬をセミオートでぶっ放す怪物。弾倉も徹甲炸裂焼夷弾と、サボ式タングステン合金運動エネルギー徹甲弾と、最も単純な鉛と鋼を銅で覆った弾を交互に詰め直す。
重量も凄まじい。
「うーっ」
吼えるほどの重さを抱え上げ、またRPG-7も担ぐ。徒歩の旅そのものと無茶なまでの稽古、そして帆柱を登り降り海水を含んだロープや帆布を運ぶ日々は、普通の学生の体格だった彼を全く別物に鍛え上げていた。
「これは」
ミカエルがオロチの尾から転がり出たものを拾い上げ、軽くぬぐった。
「剣」
「すごい」
ガブリエラが口を覆うようにする。
「これなら」
「そうね。よその世界で打たれた鋼より、この世界で作られた聖剣のほうが、魔法剣のダメージも小さくてすむと思うわ」
「見るか?」
ミカエルが剣を瓜生に見せようとするが、彼はあわてて眼をふさいだ。
「似た神話が俺の故郷で伝えられているんだ。おれなんかにその剣を見る資格はない、目が潰れるよ。それより、腕は大丈夫なのか?焼けてないか?」瓜生がミカエルの腕をつかむ。
「大丈夫だ、信じてくれこの心配性」ミカエルが振り払った。
「実績があるからよ、この無茶子」ガブリエラがそのミカエルを抱きとめる。
「さて、行きますか」
ラファエルが焼け焦げた盾をかつぎなおした。
旅の扉を通った先は、ヒミコの部屋に他ならなかった。
瓜生が鋭い眼で、バレットのグリップを握り締める。
「どうしてこんなお怪我を!」
あわてて手当てする女官たちをミカエルが押しのけ、ヒミコの、蛇の目を見た。
「そなた……黙っていてはくれぬか?」
ミカエルがはっきり首を、横に振る。
「床下を掘ってみるか?」
「ならば……」
ヒミコの姿が、みるみるうちに変わる。その顔に無数のウロコが浮き出、体が膨れ上がって夜衣を引き破り、そのまま巨大な部屋を覆うように……
女官たちがかろうじて逃げ出す。
瓜生は素早く部屋の隅、ただし後方噴射は抜けるような隙間があるところに位置した。
「死ぬがよい!」
ヒミコ/オロチの凄まじい声。また瓜生の体がしびれるようになるが、ミカエルの絶叫が正気を取り戻させる。
「死ぬのはあんただ」
瓜生は巨大なライフルを地面に置き、伏せて、そのままスコープから眼を外すように見た。
五メートルもない至近距離。身じろぎだけで胴体の中心をとらえて、そのまま頬付け。スコープにはうろこしか見えない。
呼吸、そして引き金を絞る。
凄まじい空圧、音とすらいえぬ轟音。全身を柔らかいハンマーでまとめて叩くような。
マズルブレーキは普通なら耐え難い反動をほぼ相殺し、長いスプリングが衝撃を吸収して、なんとか耐えられるようにする。そのかわりに周囲が、瞬間的に巻き起こる煙と金属片さえ混じった暴風に吹き飛ばされ、ラファエルの頬が切り裂かれる。
そのまま、セミオートで引き金を引き続ける。
そこに集中した炎が注がれたが、瓜生はもう起き上がって素早く移動していた。
衝撃に呆然としていた仲間たちが動き出す……だがその必要はなかった。
火を吐いたのを最後に、巨大な蛇首は次々と倒れる。
首の一つは根元から引きちぎられ、吹き飛ばされていた。通常弾の直撃だろうか。
巨大な胴体にはいくつも大穴がうがたれ、その反対側は見るも無残な、潰れた果物のようにひしゃげた穴が吹き上げ、血と炎を吹いている。
焼夷弾の炎は魔血の中でもかまわず燃え上がる。
細い矢のような徹甲弾は硬い皮肉を豆腐のように貫いて滑りこみ、内部で転倒して砕けながら莫大なエネルギーを衝撃波に変えて内臓を粉砕し、骨を散弾に変えて体内を切り刻む。
「とどめだ」
瓜生が手早くRPGを構えなおすと、そのど真ん中にぶちこみ、伏せた。
声も必要なくガブリエラの放ったイオ、二つの爆圧が部屋の天井を完全に吹き飛ばした。
巨大な穴がオロチの胴体を、ほとんど両断している。
「まだだっ!」
ミカエルが走り、瓜生に向かって牙をむき出した最後の首に、天に突き上げた剣を叩きつける……稲妻をまとわせて。
雷鳴の轟音と共に首が弾け切れる。即座に瓜生は、もう二発.50BMG弾をぶっ放した。
それでオロチは完全に動きを止める。それでも瓜生は、首がちぎれたのも含め全ての頭に、容赦なくスラッグと00バックをぶちこんで歩き、胴の穴に焼夷手榴弾を放って内部から焼き払った。
それからその床下を掘ったら、地下水に死蝋化し、顔の皮をはがれたヒミコの無残な死体と、その体と半ば一体化した美しい宝玉が見つかった。
ヒミコがオロチに食われ、姿を盗まれてから、どれほどの被害が出たのか……
ヒミコ/オロチが持っていた宝玉はレプリカのようで、ミカエルの求めに応じて草薙剣とオーブはミカエルが手に入れた。
ジパングで神様扱いから逃れ、去ろうとするミカエルたちを見送る村人たち。
その中の、辛くも助かったヤヨイを含む何人かの目を、ちらりと瓜生は見、うなずいた。
「悪い、向こうの宿で体力回復させたら戻ってくれ」船に乗ってすぐ、瓜生がラファエルに言った。
ミカエルは元気だと言い張ったがラリホーで無理やり眠らせて治療中。
戻ったとき、ヤヨイが浜辺で待っていた。
「ジパングにいられない?」瓜生が単刀直入に聞くのを、ヤヨイが泣き崩れる。
「相変わらず、まるで心話でも使えるようですね。ここの人たちとならば」ラファエルが呆れた。
「まあわからなくはないよ。いけにえとかが長年あったら、ずるをして子供を逃がしたり逃げたりとか、他人に押しつけたりとか、どうしようもないルール違反をやった人もいるだろうし、いけにえを捧げるのに積極的だった人とかもいるだろうし……解放されちまったら、あらゆる恨みや憎しみが暴発するのも」
ガブリエラが天を仰いだ。
「本当に悪い人はいないのです。ですが神ならぬ愚かで罪深き人の身、ささいな罪が罪を呼び、それがより大きな罪となって犠牲者を押しつぶすことも……どうぞ神よ、お許しください」
ラファエルが祈る。
「二日後の夜明けにまた寄る。ここにいられない人々全員と、繊維や油や蝋をとるのも含め作物の種籾と育てるのに使う土をひと握り、あらゆる家畜の健康なふたつがい、主要な木や救荒用の雑草に近い植物の苗、それに発酵食品を作る壁の土や樽の板もひとかけらずつでいいから持ってきてくれ」
そう、瓜生がぶっきらぼうに言う。
「おわかりなのですね。何が黄金なのか」ヤヨイが泣き顔の中、皮肉な笑みを見せた。
「そういえば、ジパングは黄金の国とか聞きますが、ヒミコの館の装飾さえもそれほどの黄金はありませんでしたね」ラファエルが首をかしげる。
「金属の黄金なんて比較にならない価値がある、まさしく黄金の国だよ。……きっちりもらう。どうせ減る黄金じゃないんだ。バイオパイラシーと呼びたければ呼ぶんだな」
瓜生が微笑んで、ラファエルにヤヨイを渡した……彼が静かに祈り、それが少しでもなぐさめになれば、と。
「減らない黄金なんて聞いたことないよ」
「種をまけば増える。そのひとつかみを持っていって別のところにまいても、元のところでも今までどおりその作物は作れる……図書館に忍び込んで文字を書き写しても元の本が残るのと本当に同じ、作物の種こそ黄金より貴重なお宝さ」
「そんな恐ろしいこと、聞きたくないねえ」
そして彼らは二手に分かれ、船ごとルーラでロマリアとバハラタに送られた。
また、治療中のミカエルから、神様扱いを逆用して宿老に「死ぬな。殺すな、居られぬ者は去らしめよ」と全体に厳しく命令させた。
どちらも瓜生が、「この人たちの持つ技術と種は彼らの体重の黄金に倍する価値があります。それこそが黄金の国ジパングの秘密なのですよ」とささやいたため、快く水田に適する地域を広く開放し、迎え入れてくれた。
「湿地帯で水はけが悪いし、蚊に刺されるとあとが大変だから、全員これに潜って寝るんだ」
と瓜生が蚊帳を配ったり、
「しばらく向こう向いててくれ」
と、ショベルカーで大きく排水溝や小規模な運河を掘ったりいろいろしていた。特にバハラタは、一帯の精密な地図があったので、すぐに水田にできる適地を切り開くのも、短期間で食べられる焼畑地域を指定するのも、等高線にあわせた棚田の準備をするのも容易だった。
彼がちらりと確認しただけでも、稲・田ヒエ・サトイモ・アワ・ソバ・大豆・小豆とほぼ同じとみなせる作物、さらに栃・ソテツなどの救荒作物も多種多様にある。
瓜生の世界にはないものでは、水田で育つ、根粒があり空中窒素固定能が高い、種は小さく苦いが納豆にすれば食べられる豆や太い茎にデンプンをためる草もあった。
油や染料になる作物も多様にある。
柿・漆・楮なども価値が大きい。柿は甘柿や干し柿を食べたりするだけでなく、葉も若ければ野菜代わりになるし、まだ未熟な渋柿を潰してとった柿渋は木材防腐に役立つ塗料になり、漆器にも必須の素材だ。漆は漆器だけでなく実から木蝋も得られる。楮の強靱な繊維は紙にも布にもなる。
そして納豆・味噌・醤油・日本酒の匂いはジパングに入る前から確認済み。
「前からいけにえを恐れてジパングから逃れた人とかもいたそうですよ」
「そういう人々が集まれる場もあればいいんだがな。ミカエル、大丈夫か?」
「元々無理に押し込められていただけだ!」
明らかに彼女の表情は怒っているが、憔悴もしていた。
「故郷を追われた人々の世話をするのは勇者としては当然だな。一段落ついたら北を調べてみるか」
ジパングから北を大陸沿いに調べていくと、氷が支配しつつある北のほうに小さな村があった。
川にはカザーブ以上に多くの魚がおり、良質の岩塩鉱や強烈な寒気という天然の冷凍庫のおかげで保存にも困らない。豊富な森も背後に控えており燃料にも不自由しない。
村に入ったとたん、「ポカパマズさんだ!」と誰もが言う。そして、「あれ?若い……違う?でも似てるなあ」と。
そのたびにミカエルは不機嫌になっていく。
宿の食物は脂が乗りきった鮭に似た魚、その卵の塩漬けを中心に堪能できた。魚の骨からとった出汁の麺も実にうまかった。
肉をつめて揚げたパンがまたとてもうまい。
発酵した野菜のスープも、最初はびっくりする味だがうまい。
町で見かけた魔力を持つ大ぶりの盾をミカエルとラファエルが身につけた。
でもみんなが「ポカパマズ」とばかり言うのに、ミカエルはもういい加減嫌になっているようだ。
そして一つの店で、昔その旅人を助けたという人が、かなり高級感のある兜をくれた。
「あの方が旅立つとき、置いていったものです。まさかお亡くなりだったとは……ご子息のあなたがお持ちになるのが正しいことでしょう」
文句も言わず受け取ったミカエルだが、その夜近くの氷原で何度も雷鳴が響き渡ったものだ。
「それで逗留を伸ばしてるんだからホントの馬鹿ね」とガブリエラにからかわれながら寝込んでいたが。
反対側の、別の大陸に沿って南下すると、かなり大きな古い塔を見かけた。
周囲にはやたら毒を吹く敵が多く、キアリーを使うラファエルの消耗が激しい。何度か、彼が力を使い尽くしたためリレミトからルーラで脱出した。
何度も挑戦して、主に瓜生が敵が襲ってくるより先にAKで倒すことでなんとか上まで行き着くようになった。
縄から落ちた、その中間の島のように浮いた床で、奇妙な笛を手に入れた。
「やまびこの笛、聞いたことあるねえ」ガブリエラが興味深そうに吹いてみた。特にこだまは返ってこない。
「次はこの大陸を北から回ってみよう」
ミカエルの命令で、瓜生が大きく舵を切り返す。彼もずいぶん帆船の扱いがうまくなったし、ラファエルも船外機の修理がかなりできるようになっていた。
氷の半島にはさまれた、別の大陸の北側は幸い氷に埋もれておらず、通れた。その北には氷河に覆われた島があり、そこには奇妙な老人が「変化の杖」という妙なものを求めてきた。
ガブリエラは何か聞いたことがあるようだが、いつもどおり何も言わなかった。
かなり寒くはあるが豊かな自然がある平地を回って沿岸沿いに航行する。
沿岸に近いところでは、瓜生が常にソナーで海底地形をチェックしているが、突然ソナーがあてにならなくなった。
「どうしたんだ?海底が動き回ってる……そんなばかな!」
「これ、どういう意味なんだ?」ミカエルが首をひねる。
「魚ですよ!とんでもない数の」ラファエルが驚いた。
ためしに網を入れてみると、かなり深いところで急にとんでもなく重くなる。ウィンチの力で強引に網を引き上げると、船が沈みそうなとんでもない量の魚が揚がってきた。
処理しきれないのでほとんどは海に戻し、ソナーの魚影をぞっとした目で見る。
「仕方ないな。測深鉛もってこい」
ミカエルの言葉に、瓜生は震え上がった。訓練で一度やったことがあるのだが……
まず、船倉の奥から、100kgはありそうな太さ3cmほどのロープをふたりがかりで抱えてくる。
それに鉛の、鐘のような分銅をつけ、その窪みに獣脂をつめこむ。
それから一定の長さごとに、いくつも違うリボンを結びつけ、舷側のマストを横から支える縄が出ている台から放りこむ。
その台にいるだけでも寒く、もろに波しぶきを浴びる。
まして氷が浮いていそうな海水に、延々と何百メートルもあるロープを入れて……底につく手ごたえがあったら引っ張り上げる。リボンの手触りでどれぐらいの深さかを判断し、報告する。重りの獣脂には海底の泥や砂がついているから、それも報告する。
その海水をめいっぱい吸ったロープがひたすら冷たく重い。合計何トンという単位になりそうだ。しかも含まれる膨大な冷たい海水が容赦なく体温を吸い続ける。
それを、ほとんどやりっぱなしで繰り返す。
冗談抜きで死ぬ。
魔物が出てきてくれるのがとても楽しみにさえ思えるが、魔物が出ても応戦は許されない……ひたすら、続ける。丸六時間。手を止めることは絶対に、船が沈もうと許されないのが船の規律というものだ。幽霊船で延々と測鉛を続けている水夫の話をしばしば聞くほどだ。
ラファエルもミカエルも、自分の番になれば泣き言一つ言わずやっている。
海図にそれを記入していけば、とりあえずどこがどれぐらいの深さかはわかるわけだ。
でもいいかげん泣きながら続けている。忍耐にも限度というものがあるが、船の規律に限度という文字はない。死んでもやる。
一帯をある程度測っていると、いつのまにかミカエルが素晴らしい天然の突堤に船をつけた。
「うう……」
「お疲れさまです。温まってください」とラファエルが、湯を入れた皮袋を用意してくれていたので瓜生はフラフラと温まる。
「ああ……」まさに蘇生の思いだ。
「なんて天然の良港だ」息を吹き返した瓜生が驚いた。
さらにマストから気球を上げ、それからデジカメで写真を撮って、あらためて驚いた。
画面を見たラファエルも呆然とする。
風と波をさえぎる天然の突堤、そして深さがありがっちり岩盤でできた湾、水量もたっぷりの川、深い森。
瓜生がところどころで土や岩を調べて、そのたびに驚いている。浜にはものすごい量の貝があふれ、食事も簡単に済む。
炊煙があったので行ってみると、そこには一人の、他とはかなり異なる服装をした先住民の老人がいた。
「ここに町作ろうと思う」
瓜生が強くうなずき……頬をゆがめた。
「こんなところに町?」ミカエルが首をかしげる。
「バカ言うな。町どころじゃない、都だ」
瓜生が言い放った。
「え」
「元々なんでここに着いた?天然の良港だからだ。そしてこの豊富な水、ソナーが使えないほどの魚、膨大な貝、それに……」
川の砂を手でひとすくいし、軽く水で洗って、その輝く塊をつまんだ。
「自然金」
クァエルという名の老人が、厳しい目で瓜生を見る。
「東の人、その柔らかくて刃にならない金属見たら悪魔になる、言い伝え」
「その通り。ここに町を作るってことは、その悪魔たちを呼び寄せるってことだぞ?主にこの金を使って」
瓜生が厳しい表情になった。
「おれの故郷の言い伝えに、こんなのがある……冒険者が広い海を渡り、大陸をみつけた。そして力に任せてその大陸を奪い前の住民を滅ぼしていった……
その一人が、広い地域を手にし……土地を所有する、という考え方自体変かもしれないが、ここの東の人たちもそんな感じのようだな。まあとてもがんばって森の木々を切り倒して農地を作り、川の流れを変えて大地を潤し、立派な家を建てた。
その広い地所の川に、ここと同じように金が出た。
本来なら、金が出なくて大切にいい土地を耕しても、その金を自分のものにできても、その人は世界最大の大金持ちになるはずだった」
ミカエルたちも聞き入っている。
「だが、その金の噂を聞きつけた、飢えたならず者たちがどんどん集まり、勝手にせっかく耕した土地を荒らしながら住み着いて金を掘り出していった。あまりにならず者は多く一人の力では追い払いきれない」
「そんなことのために王がいるんだ」ミカエルが言った。
瓜生は皮肉に頬をゆがめた……
「その表情と目、あたしは嫌いだよ」というガブリエラを無視して話を続ける。
「王というか自治会に鎮圧してくれと頼みたくても、開拓中でほとんどは無法なのか国なのかもわからない。それに大陸は広く。訴えに行くだけで何カ月もの旅になった。そして法ではこちらが正しいのだからならず者を追い払ってくれ、と訴えても、すでに事実上占領していたならず者たち、彼らによって儲けていたあくどい商人たちが金と武器の力で訴えを覆した……結局、世界一の金持ちになれるはずだった男は文無しで死んだ。そしてその地は、今も世界最大の都市のひとつになっている……
その覚悟はあるのか?」
クァエルは長いこと、長いこと目を閉じ黙って考えた。
「あんた、本当のこと言ってる。覚悟ある。わたし欲ない。わたし金持ちなれなくていい。ここに町あれば、多くの人喜ぶ」
「森は見渡す限り切り倒され、土地は削られ、土は流され風に飛ばされ、この豊富な魚さえとりつくされ、水は無残に汚されるぞ。売春と賭博、暴力と強欲、貧困と鞭がこの地を覆うんだぞ」
「ここに町あれば、多くの人喜ぶ。商人いれば街できる。商人つれてきてくれ」
断固たる決意の目。瓜生は軽く首を振り、ミカエルを振り向いた。
「どうする?」
「……ハイダーに知らせてみよう」
ミカエルがガブリエラとうなずきあった。
しばらくして、どこをルーラで飛び回ったのか、ハイダーを連れたミカエルが飛んできた。
話を聞いた彼はすぐに目を輝かせる。
「なんという大事業のチャンス!ありがとうございます」
「街を作るのはうまく行くかもしれないが、そのとんでもない力は手に余るかもしれないぞ」
瓜生が警告したが、ハイダーはしっかりうなずいた。
「それぐらいの覚悟はできていますよ。これほどのチャンス、二度とお目にかかれそうにはありません。それを見逃したりしたら、もったいなくて笑って死ねませんよ」
その笑みに、瓜生も何もいえなかった。
「そうだな……せめてもの責任だ。この地域の精密な測量と地質調査をやっておこう」
「バハラタで噂に聞きましたよ」
「これが約束できるなら、できるだけの助けをする。だができなければ、街など作らせない。……木を一本切ったら十本植える。土地が四あれば一つは森を残す。汚水は処理する。干潟は半分以上開発しない」
ハイダーが目を見開き、じっと身じろぎもせず少し考えた。
「わかりました」
固い決意の目に、瓜生もかすかに微笑んで差し出す手を握り締めた。
「あとガブリエラ、疲れているところで悪いけどルーラで、ロマリアやバハラタにいる、ジパングを出た人々を何人かこっちにも連れてきてくれないか?」
さっそく、あわただしい日々が始まる。瓜生は測量、ミカエルとガブリエラとラファエルはハイダーを連れてあちこちに飛び回って人を集めたり、国際政治上の根回しをしたり。
「この人たちの知識と作物も、街作りには貴重な資源になるはずです。特にここはかなりジパングに気候が近い」
瓜生がジパングの、宿老たちから先に紹介し、そのまますぐに川の上流の鉱山を調査に飛んだ。
「それにしても恐ろしいとしか言いようがない。西の山脈はそのまま、金だけでなく鉛や鉄も、信じられない規模と質の大鉱山だ。南の山には恐ろしい量の炭鉱とガス田、北の大地はそのまますごい農地になる」
「ちょっとちょっと、バハラタで噂に聞きましたけどなんですかこの地図の精度は。こんな短時間で」
ハイダーが目を丸くする。
「まあ気にするな。あるのがありがたいと思ってればいいさ。そうそう、これ以上の傾斜地は絶対耕すなよ。すぐに土壌が失われて禿山になるぞ」
「わかってはいますが、難しそうですね……金鉱の評判、それにサマンオサやネクロゴンドからの難民が、想像以上の数こっちに来たがっているんですよ」
一段落して去るとき、クァエル老人が告げた……
「お礼にいいこと教える。この大陸のまんなか、スーの村ある。井戸のまわりしらべる」
また大きく大陸を巡り、湾の奥にある巨大な川を遡っていった。
「こんな巨大な河、見たことない」
「遡ってみよう」
「すごいですね、船外機は。でもこれほど川幅が広ければ、充分間切って遡れますよ」と、対岸が見えない、海の延長にしか見えない大河にラファエルが驚いていた。
分岐する川筋に迷いながらたどり着いた村。
そこは文明を拒むように、あまりにも素朴な暮らしぶりだった。
皮の円錐形テント、機械はおろか金属の気配すらほとんどない。汚れたら移動する生活なのか、または全ての汚れは目の前の川に流すのか清潔だ。
宿の食事も、野性味あふれる干し肉と野草が中心で、素朴だが味わい深い。
そこに口をきく馬がいたのには驚いた。それがかわきのつぼを浅瀬で使うように、と言っていた。
ただしその壺は、かつて東のほうの島国に盗まれたらしい。
「昔エジンベアは海賊行為をしていたようです。アリアハン連合に止められるまでは」とラファエルが歴史を講義するような口調で言った。
また、前に塔で手に入れた山彦の笛とオーブの関係を聞いたのはありがたかった。試しにそこで吹いてみたが、もちろん何も起きなかった。
そして、井戸の近くで見つけた、何の変哲もない腰ほどの木の棒……それを見たガブリエラがびっくりした。
「いかづちの杖じゃないか。ベギラマ級の集団攻撃を、魔力がなくても使えるよ」
そういって、ラファエルに渡した。
「私が持っていても、序盤で多少攻撃できるだけです。激しい乱戦が続けば私は皆さんの回復に専念しなければならず、無駄になりますが?第一私はバギ系の攻撃も使えますよ」
「あたしの杖は手放せないんだよね、これ一つでいくつも補助呪文をかけられるし、実を言えばちょっと少ない魔力で呪文を使えるし、威力も少しだけ高まってるんだ。使いな、攻撃力も高いよ」
「最初から、魔力消費なしに集団攻撃を二つぶつけることができれば、よほど強い相手でない限りこちらは無傷、魔力の消費もなしで勝てる。そうすればより長く戦い続けられる」とミカエルが言い添える。
「何より、おれたちの継戦能力は回復呪文に依存してる……あの毒の塔ではそれで引き返すしかなかった。攻撃で無駄な魔力を使って欲しくない。全員で集団攻撃をする必要だってあるかもしれない」
と瓜生が珍しそうに、杖をあちこち見ながら言った。
「そうおっしゃるなら……わかりました」
「このまま南に行ってみようか」
ガブリエラが指差したように、まっすぐ海岸沿いに南下する。
「この大陸がサマンオサのはずだよな」
「大陸の内陸部全体が、山で閉ざされているのです。ネクロゴンドがそうなったように。昔はさまざな道から世界と関わる、大国の一つだったのですが」とラファエルが説明する。
その南のほうは、広い草原が広がる。人は少ないが、遊牧で暮らす人はいた。
草原の中に、うまく要害にしてはあるが目立たない、やや大きな平城があった。
昔のフィヨルドと思われる深い入り江と、別のほうに流れる川と連絡があり、いつでも二方向に水路で逃げられる。背後は小さいが切り立った崖に守られ、また三方は広い草原で、馬さえあれば逃げられる。
「やばい要害だな」瓜生が冷静に周囲を見た。
そこは、なんと海賊の屋敷だと聞いた。
「行ってみよう。海を渡る連中だ……戦いになったら、そのときさ」ミカエルが不敵に笑う。
「むしろ、サマンオサ反乱軍の面もあるんだ。大丈夫だと思うよ、たぶんね」ガブリエラが軽く肩をすくめた。
「いざとなればルーラもあるしな」瓜生が苦笑を返し、AK-103のストックを伸ばして45発マガジンに交換し、右手のサイガブルパップのマガジンもOOバック10発に交換。さらに首から提げたH&K-MP7に40発弾倉……対人多人数前提の重装備だ。
そこでふと、ラファエルが思い出して山彦の笛を吹いてみると、とても美しいこだまが返ってきた。
「ここにオーブがあるのか」
「探してみるか?」
深い木管楽器のような声に振り返ると、そこには燃えるような赤毛の美女がいた。目にも炎が浮かんでいる。
「久しぶりだね、姉さん」ガブリエラが言う。
「姉さん?」
瓜生が驚いたのに、ミカエルは眉をひそめた。
「キャプテン・ルフィナ。血はつながってないよ。小さい頃、同じ隊商で旅をしたことがあるんだ」
ガブリエラが瓜生に下がるよう目くばせした。
「あんたたちが噂の勇者か。オルテガの魔法剣を継ぐ」
「じいちゃんには習ったけど、オルテガの教えは受けてない!」ミカエルが鞭のような声で言った。
「あ、あっはははは!」女海賊が大笑いしたのにミカエルの目が厳しく細まる。その目の凄まじい圧力もまるっきり柳に風だ。
「いや、何かと楽しくてね見てると。思い出してねえ」
「だろ?」ガブリエラが言い添えてニヤニヤ笑う。顔は似ていないが仕草がそっくりで、姉妹という言葉になんとなく納得する。
「戦う気はないよ、そんないらいらしてないで座りなよ」
「ああ、心配しないでいいよ」ガブリエラが瓜生の右手を邪魔する。
「ありえない力と知恵と富を持つへんなやつ……カンダタと見たよ、あの洞窟の部屋。とんでもないね」女海賊が瓜生に微笑みかけ、瓜生はついどぎまぎしてしまう。
ミカエルがガブリエラをとがめるように見た。
「ああ。あんたとカンダタや、姉さんが無駄に戦ったらばからしいから、一度見とけって言っといたんだ。あと盗賊ギルド全体に、あたしらに手を出すなってはっきり知らせときたかったんだ」
「アリアハンとしては盗賊ギルドは」ラファエルが言おうとするのをガブリエラが止め、ミカエルもうなずきかけた。
「そのへんはちょっとややこしいから、気にしないでおくんだね。最近ハイダーたちと組んで作ろうとしてる街があるんだけどさ」
ガブリエラが愉快そうに笑う。
「評判は聞いてるよ、ハイダーも懐かしい名だ。あの人の親父さんが、小さな赤ん坊のあんたを抱いてきてさ。こっちだって五歳かそこらなのにオムツ替えとか全部」
「姉さん!」ガブリエラが赤くなってかみついた。
「まあ、女たちで積もる話をしてるよ。男たちは男たちでしゃべってきたらいいさ、やろうども!アリアハンからの客人だ、歓迎してやんな」
その声に、何人かの屈強な男が、傷だらけの髭面を無理に笑いにして出てきた。
瓜生は正直、撃たないように手を抑えるのが大変だった。何とか我慢して、激烈なバーボンの瓶をガブリエラに渡す。
「結構強烈な酒だよ」とガブリエラが笑ってらっぱ飲みに一口飲み、女海賊に渡した。
一口飲んだルフィナも、嬉しそうに目を輝かせる。
「すげえよ」
と渡された屈強な連中もそれに喜び、さっそくそれを口にして目を見開く。
「もっと強いのもあるけど」と取り出した透明な瓶……エチルアルコール96%のスピリタス。
とびつくように瓶を奪ったルフィナが、口をつけて吹き出す、それがロウソクの炎に触れて爆発する。
「おおおおおおおおおおおおおおおおお」
どよめく海賊たちが、奪い合うように回し飲みし、叫ぶ。
「っ!すっげえ」
「ぶっ!なんだ、こりゃ」
「ぬるいぜ、水みたいにの……おおおおおおああああ!」
「世界中回ったってのに、こんなの初めてだ。こっちでもっと飲ろうぜ!」
「ああ」
と瓜生は軽くガブリエラに目を少しゆがめ、かなり高いランクのボルドー赤とカリフォルニア白、特級の純米酒、それにバーボンとブランデーの瓶を注意深く渡して、男どもと隣室に向かった。
ラファエルも穏やかに微笑しながら続く。
翌日、ミカエルがあちこち探して、岩の下にあった隠し階段から宝部屋を探し当て、そこにレッドオーブが見つかった。
「よく見つけたね、それはやるよ。うまい酒のお礼さ」
「どうも……うぷっ、くそ、う……」ミカエルが歯を食いしばって吐き気をかみ殺す。
「もっと修行したら、また飲もう」女海賊に送り出され、四人ともふらふらしながら船に向かった。
「さて、次は……そうそう、スーで、エジンベアにかわきのつぼを盗られたって話があったな」
「そろそろ傾船修理も必要です」ラファエルが告げた。
「エジンベアはポルトガの北方だ。ポルトガで修理して、それから北上しよう」
まずルーラでポルトガまで飛び、そこで船を修理させて、待ち時間はポルトガの街は不潔なのでアッサラームでのんびり過ごした。
まあ夜はガブリエラがいろいろ動いていたようだが、別に気にすることもない。
船旅は皆慢性的な睡眠不足になるので、その分を取り返すように風呂に入っては熟睡した。
それで少しすっきりして、地中海を出ると北に向かう。
これがまたかなりやっかいな海域だ。広い海からの強い風が、シャンパーニュの塔が吸い寄せるように岸壁に船を吹き寄せる。
帆走だけだったら何回難船していただろう……世界の海でも指折りの難所の一つだ。
船外機全速で一気に北上する。そして潮流が不安定な海峡を越え、豊かな島にたどり着いた。
広い草原が広がり、無数の家畜が草を食んでいる。
ところどころで魔物に襲われた人もいるが、強力な騎士団がしっかりと王城を守っている。
だが、その城をミカエルたちが訪ねたときには、問答無用で「田舎者は帰れ」と追い払われた。アリアハン王の信書も通用しない。
「どうしようもないわね。諦める?」とガブリエラが笑った。
「強行突破するか?」と瓜生が物騒に、銃のボルトを引いた。
「いや……カンダタだったら盗みに入ってたかな」ミカエルがつぶやいた。
「でもラリホーとか使ったら国際問題になるわよ」
「盗み放題……そう、ランシールで手に入れたきえさりそうがありますよ!」ラファエルが思いついた。
姿を消して侵入すると簡単に城内部に入ることはできた。
城内でも田舎者扱いされる。
「まあ不法侵入者として追い出されるよりはましだな」と瓜生が肩をすくめる。
「どれほど素晴らしい文化と文明があるんだというんでしょう、ウリエルさんの故郷みたいに?」
「おいおい、そんな素晴らしいところじゃないぞ。まあ見たらいろいろびっくりするだろうけどな」瓜生が苦笑した。
「ここの文明レベルが顕著に高い、って感じはないな。建材も普通に石材だし、燃料は」と台所を少しのぞいて、「石炭が主かな」と匂いに顔をしかめた。
「あんたのとこじゃあの鉄の車が普通に走ってるんだろ?とんでもないよ」ガブリエラも軽く眉をひそめて笑った。
国王ウィリアム三世は意外と友好的だったが、かわきの壺については忘れていたようだ。
あちらこちら回って、地下に何かあると聞いて入ってみたら、そこには三つの石があった。
石を押して動かしてみたが、結局どうにもならない。
階段を昇ってまた下りてみたら、また元に戻っている。それで適当に押してみたがどうにもならない。
引けない。横にずらすこともできない。
「あ、倉庫番か」と瓜生がいって、部屋の池などを図に書いてああだこうだと考えていたが、ミカエルはそれを無視してめちゃくちゃに押しては詰むのを繰り返した。
「多分これで解けるはずだ」と瓜生が出した紙を無視してまた繰り返す。
「好きにしてな」と瓜生は何か、ノートを取り出して歩きながらいじり始めた。
「何やってるんですか?」ラファエルが聞く。
「ああ、要するに倉庫番そのものを、数学的に抽象化できないかなって。最も単純な倉庫番は直線通路で奥にゴールで石が一つ……」
「聞かないほうがいいよ」とガブリエラがラファエルの耳をふさいだ。
何回やったかは思い出せないがとにかく解けて、かわきの壺は手に入った。
「まったくひどいところだったな」
とミカエルが怒って出たが、瓜生は肩をすくめた。
「ついでにここから、ハイダーたちが作ってる町が近いからついでに行ってみるか」
「ミカエルさん!」
ハイダーが嬉しげに飛び出す。
「ポルトガみたいに嫌なにおいがあるな、もしかしたらまともな衛生設備がないんじゃないか?」瓜生が顔をしかめた。
「ええ、どんどん人が集まってくるんですよ。おっしゃるとおりシャベルとバケツをノアニールから輸入して売ったら大儲けで、ますます多くの人を呼べます」
「不潔なままだと伝染病で壊滅するぞ!」瓜生が厳しく言った。
「これから上下水道職人を呼ぶつもりです」ハイダーが真剣な表情をした。
「無理に下水道を作らなくても、中で処理すればいいんじゃないか?」瓜生が軽く顔をしかめる。
「どうやるんです!人一人暮らして、尾篭な話ですが毎日どれぐらいの」
「約二リットル。それぞれ別の地方で実証済みの方法を三つ紹介しよう。
一つはジパング。穴にためた屎尿を、運べる大きさの桶で、車や舟を使って都市近郊の農村に売る。買った農家は田畑の端に大きな壺を埋めておき、それに入れて発酵させ、肥料として使う。発酵済みだから肥料としての質がとても高いし病の元もほとんど死ぬ。そうだな?」
と、近くにいたヤヨイに確認し、彼女が少し顔をしかめつつうなずいた。
「一つは、豚や犬のように人糞を食う雑食の家畜を穴の下で飼い、食わせる。心理的には汚いが、有効な処理法だ。
もう一つが、飲み水とは別の汚いほうの水の流れを、管ではなく地上の流れとして浅く広く作っておき、それを田畑に隣接した貯水池につなげる方法だ。その小川と貯水池で四種類の大きな淡水魚を養殖し、それで屎尿の栄養を処理する。それに家禽と桑と蚕を組み合わせるシステムさえある。大河が必要だから真似しにくいかもしれないな」
日本の江戸時代を支えた下肥、沖縄から南アジアに広く見られる豚便所、中国の家魚養殖。
「それは……すばらしい!」
ハイダーが目を輝かせた。
「それに、まだ街はできつつあるところだ、みんな慣れていないシステムでもできる。
ある程度以上人が住むところには、必ずある程度以上広い畑を作らせ、それを細かく区切って、毎日別のところを掘ってテントをかけて丸太二本隙間ありで並べて足場にし、そこに雨の日は傘をさして行って出して翌朝埋め、すぐ野菜か何かの種をまけばいいんじゃないか?
拭くのは適切な柔らかい木や草の葉を用いてそのまま捨てればいい。ついでに、事後はかならず石鹸で手を洗うこと。そのための石鹸と水か薬草汁を常備すること。ああ、あと出産や家畜の搾乳や食肉処理の前後もだ、それだけで乳児死亡率は半減するぞ」
「そんな!それに、それだと住むスペースが多く取られますね」
「ぎゅうづめで伝染病だらけの不潔な町よりずっと、住んでて気持ちいいだろ。技術が発達したら、一階は柱だけにできるなら二階以降には住んでいい、とやれるさ。あと小便のほうは潅木の生えた小さい庭を義務付け、その茂みにやってもいいとすればいいさ。いや、それこそ町をいくつかに分けて、全部試してうまく行くのを広め、いかないのをやめてもいい」
「え?」
「ここで理屈言ってるより、実地にやってうまく行くか見るほうがいい、ってことさ」
「それは……ずいぶんと大胆な考え方ですな。気に入りました」
ハイダーがにっと笑った。
「皮革処理などは圧倒的に大量の悪質な汚水が出る。それはまあ仕方ないな、石組みの下水路で毒沼に捨てるしかない……その処理のための毒沼は開発禁止にしないといけないな」
瓜生が考えながらノートをとり、ハイダーたちと頭をひねる。
そこから、かなり放牧が進んでいる北側の大きな島を見ながら北上し、大陸を回って浅瀬を探す。
魚が多い海域で、船倉はもう塩干し魚であふれそうだ。
だが突然とても強い潮流に巻きこまれた。
「無理に逆らうな。いくら船外機が強力でも船体がもたない」
「風も強い」
「まわるな、トプスル縮帆!」
「はい!」
瓜生が強風で傾くマストをするするとよじ登り、高いところの帆を少したたんで面積を減らす。
強烈な風に体そのものが持っていかれそうになるが、かろうじて足場綱にしがみつき、必死でマストに戻る。
何日も続く、吼えるような強風、マストより高い波。危険な海域から少しずつ離れ、より楽な潮流に乗って風を受けていると、周囲にはるか陸地のない絶海の孤島が見えた。
「陸地だ!」
「本当か」と、船外機を操るミカエルが、瓜生が置いていた双眼鏡をつかみ、確認する。「ありがたい、やっと眠れる」
遠洋航海だと船長は冗談抜きで眠れない。風が安定していれば何とか一人で運行はできるが、少し風向きが変わっただけでもう寝ている二人が叩き起こされ、汗水たらして帆を操作することになる。まあ縦帆が主だからこそ、三人で動かせているのだが……
「とにかく上陸する」
幸いいい港があり、乗り上げることはできた。
「ここはルザミ。忘れられた島です」
小さな流れがたくさんあるため水は豊富だが、狭く不便な島だ。それだけに、別の海域の塩干し魚は歓迎され、宿屋は営業していなかったが当分休めるように空き家も提供してもらった。
「ここは……半ば流刑地ですね」丸一日熟睡してから、改めて見て回ったラファエルが悲しげな目で言う。
その割にかなり噂が多い。「ガイアの剣はサイモンという男が持っている」という話を聞き、ラファエルとミカエルがその話を繰り返し確認した。
「サイモンって?」何も知らない瓜生がガブリエラに聞いたが、彼女は冷たい目を向けただけだった。
また一人の老賢者が、「火口にガイアの剣を投げ入れ、自らの道を開くであろう」と予言した。
また、大きな望遠鏡で天体観測を続けている男がいた。この世界は丸いと主張して流されたらしい……瓜生にとっては複雑だった。
「その、丸いという証拠はありますか?」瓜生が聞いた。
「そ、それは……」一転してしどろもどろになる。
「天動説と地動説、どちらが天体の運行を的確に、少ない計算で予知できますか?」
「それは……」
「天測と同時に、重力方向と大地の曲率は調べてみました」瓜生の言葉に、男がびっくりする。瓜生はこれまでの天測表や、バハラタ周辺やハイダーが作っている町での測量データを広げ、
「この世界は非常に奇妙なんですよ。世界全体が球状だとすると、明らかに矛盾が多いのです……この地域では一定の曲率で大きい球面ともとれますが、海のつながりは明らかに違い、北上の結果が一点に集中しないのです。
トーラス状とも解釈できますが、そうであれば内側の地域で上を見れば反対側の地面が見えるはずなのにそれもない。大きい球の一部で、時空自体がねじまげられて、変な接続がなされているようにも」
瓜生の言葉に、ガブリエラは必死で彼の袖を引っ張り、男はわけがわからないように呆然と聞いた。
「そうそう、曲率を計算するのにはどのような記数法を用いて」
「ラリホー」ガブリエラがいいかげん瓜生を眠らせ、そのまま引っ張り出した。
それからふたたび大洋を横断してサマンオサのある大陸に漂着し、そこから南下してまたあちこち探って、やっと浅瀬を見つけ出した。
かわきのつぼをそこに沈めると、周囲の海が揺れ動く。
「津波か」瓜生が警戒し、救命ボートの場所を目で探す。
「だいじょうぶ」ガブリエラが言って空を見上げた。
海が泡立つ。
そして、ゆっくりと……半日ほどで、小さな島が浮上した。
「すごい」
神々の領域の出来事を体験した瓜生の衝撃は大きかった。
「入るぞ」
ミカエルが岩に船を鎖で係留し、身軽に船を下りた。
そこはとても神聖な感じの、広いドームがある。
その奥の人骨から声が聞こえ、むしろ畏怖さえ感じる。
どれほどの年月待ったのか。どのような事情でここが作られたのか……
ただ、その奇妙な、水銀のように見える鍵を渡すだけのために。
「最後の鍵……いかなる牢獄も含め、全ての扉を開く鍵」ガブリエラがつぶやいた。
「探してみよう。これまでめぐった世界中を」ミカエルが言って、後ろも見ずに船に向かう。
瓜生は深く骸骨に頭を下げ、ラファエルは何事か唱えて従った。
四人が船に乗ると、また島は海底深く沈んでいく。
「またいつか、この島が浮上することはあるんだろうか」瓜生がつぶやいた。
「あの方に安らぎの日はあるのでしょうか。どれほどの罪なんでしょう」ラファエルが痛々しげに祈り続ける。
「いくぞ!」ミカエルが船外機をスタートさせる。