スーパーロボット&宇宙戦艦大戦MW   作:ケット

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女海賊と豹頭王

 操縦もできない、身動きもままならないほど狭いワープミサイルの空き空間。ワープアウトの吐き気を必死で抑える……無重力状態、まして宇宙服での嘔吐はきわめて危険だ。ワープの後遺症も、少なくとも大型船とスクーターで砂利道を走るぐらいの差はある。

「ここはどこだ?くそ、検知器もないからなにもわからない」ブランドンが焦る。

 そのとき、外殻に上品なノックの音がした。

「開けなさい」穏やかだが迫力のある女性の声。

「とらわれていたのね……かなわぬながら」雪が、拾っていた腕ほどの長さのボルトを握り直した。

「抵抗は無意味、と言ったらボーグと誤解されそうね。でも事実よ」外の声はあくまで穏やかだ。

「開けるしかないわね」トロイがため息をつく。

「わかった。離れていてくれ」ブランドンが即席ドアを固定したワイヤーを外した。

 無造作に重力サーベルが溶接部分を切り破り、久々の光が皆を照らす。

 そこには、黒に赤の混じる服の髪の長い、顔に長い傷跡があるがそれも美しさを損なっていない美女と、黄玉と黒檀の鎧の上にさらにけばけばしく海賊コスプレを重ね、ご丁寧に松葉杖をつき片手を袖の中に引っ込めてフックだけ出し、肩にオウムまで乗せ長大なヒゲまでたくわえた男がいた。

「クイーン・エメラルダス号へようこそ。乗艦を歓迎するわ」美女が告げる。

「宇宙で最も美しく残酷な海賊船へよぉうこそ!」男が大げさな身ぶりと大時代的な口調で言った。

「海賊船」雪が身を凍らせる。

「Q!今度は何のつもり」トロイが鎧の男に不信の目を向けた。

「それどころじゃないんだ。いい気持ちでふらふらしてたらこのミサイルを拾って、直後このとんでもない女海賊に脅されて」とQがぶつぶつ言う。

「すべてこの人の運のせいと思って諦めなさい」エメラルダスが目でミルフィーユを指し、冷たく言った。

「ごめんなさい、わたしのせいで」と、ミルフィーユがQに謝った。「そ、あの、助けてくださってありがとうございます。ミルフィーユ・桜葉です」エメラルダスに深くお辞儀をし、クスハが続く。皆も半ば不承不承それに続いた。

「それで」トロイが疑いほとんどの目で聞いた。

「送っていくわ、タネローンとも言われるテレザート星へ。姉さんもそっちにいっているはずだし」エメラルダスがため息をつく。

「ではぼくはこれで失礼するよ」

 クスハが飲み物の用意があったのを見つけ、「あ、もしよろしければ、せめてものお礼にこちらをどうぞお召し上がりください。私が作った栄養ドリンクです」と腰の水筒から、妙な色の液体を注いだ。

 それを知っている雪とブランドンは早くも逃げ腰だが、知らないトロイとミルフィーユは普通に「ありがとう」と手にする。

「いただきましょう」とエメラルダスが口に近づける。

「ありがたく」と、Qが干し、一瞬で目を回して倒れた。

 エメラルダスは手を止めたが、あえて飲み干し、鋼の意志で眉一つ動かさず持ちこたえる。それを見た雪が驚きに口を覆った。

 トロイは逃げ道を見つけようと周囲を見回し、「本当に善意しかないのね」と何かを読み取って、そのまま飲んで気絶した。

 ミルフィーユが飲もうとした瞬間、船が揺れてこぼれた。「ごめんなさい」と謝る彼女を横目にエメラルダスは計器を確認。「ありえないわ、こんな時空振動」そして軽く首を振り、作業用アンドロイドに片づけを命じる。

「みなさんの寝床も用意して、すぐ回復します。船長も休んでください」と雪がアンドロイドに頼み、エメラルダスに訴える。

 Qが目を覚ますと、逃げるように消えた。

 

 その旅路、どこからともなく出現する強大な艦隊にエメラルダス号は襲われたが、なんの問題もなく撃退していた。

「なんて戦力」雪が驚いていた。

 その中には、ミルフィーユにとってある意味旧知の存在もいた。

「ハニー、迎えに来たよ!甘い抱擁から逃れるなんて照れ屋さん、さあこの腕の中で、熱い血に染まって」などとほざくカミュ・O・ラフロイグに、エメラルダスの全砲射撃が集中した。

「あれで死なないというのも驚きね」エメラルダスが呆れる。

「知り合いなの?」と訊く雪に、ミルフィーユは必死で首を振った。

 

 しばらく、どことも知れず航海するエメラルダス号は、突然とある地球型惑星に着陸軌道を取った。

 太陽から数えて三番目。一つの巨大な衛星があるのも、雪らが知る地球と同じだ。

 見下ろせるところでは、広大な大陸を海が取りまく。北の冷たい氷の大地、南の豊かな森。その途中にも無数の森や海に近い白い山脈、宇宙から見てもわかるほど巨大な湿原などが目立つ。

 中央部を分ける巨大な砂漠。だがそのあちこちに淡い緑が生えている。

「長いこと砂漠だったのが、急に緑化されているようね」雪が目ざとく観察する。

「この大陸配置なら、本来は砂漠ではなく人がいなければ森林、人がいれば草原や耕地となったはずよ」トロイがいぶかる。

 見回すと、近代都市の影はないが、豊かな田畑は多数見られる。

「うわあ、いいところですね。ピクニックに出ましょうよ」ミルフィーユがうきうきと弁当の仕度をする。

 それを半ば無視し、エメラルダスが自動生産機にいろいろと用意させる。

「これは」トロイが呆れる。

 それは、荒い厚布と合成革で作られた、きわめて単純な様式の服と急所を守れる鎧とブーツ、短剣。

 ブランドンに示されたのは、全身を覆う頑丈な板金鎧。

「こんなのを着ろってのか?」彼が悲鳴を上げながら、なぜか嬉しそうに着る。「革ジャンより軽い、鉄っぽく見せた装甲材か」

「かつての星間戦場の古戦場よ。今の人間たちは産業革命前の生活を営んでいる。こちらは星間航行文明の人間だと気付かれないようにしなさい」エメラルダスが命じる。

「私は艦隊の誓いがあります。現在の状況では」トロイが言おうとしたが、

「現在は捕虜にされた状態から逃走して帰還中、その間艦隊士官が現地の衣類を偽装してワープ以前の現地人と交渉した先例はあるわ。カークの時代に、USSニミッツの」とエメラルダスは軍法会議の判例番号まであげる。トロイは反論できなかった。

「コスモガンなども緊急時以外使用禁止。できる限り戦いは、私とあなたがすることね」

 と、声をかけたブランドンに剣を渡した。そして自らは愛用の重力サーベルを外し長い細剣を腰にし、戦士の銃を左脇のホルスターに隠す。

「重いな」筋骨隆々の彼が、抜いて数度鮮やかに振りまわし、フェンシングの構えをぴしりと取る。鞘に収めると、長身にもかかわらずこじりが地に着くほど長い。

「7ポンド(約3キロ)、なんとか使えるでしょう。重い鎧を着た兵もいるから、これくらいは必要ね。超テクトナイト製、あなたが全力でダイヤモンドの塊に打ちこんでもナノ単位の欠けもなく、メスよりも切れる」

 そう言って、一見厚革と青銅でできたように見える、大きな凧形の盾も渡した。

 エメラルダスも革鎧の上からマントを着こむ。

「あと、これも持っていかなくては」と、人の身長ほど長い、いくつかの棒をまとめたような荷物を見る。

 持ち上げて、ブランドンはうめいた。とんでもなく重い。

 他のメンバーには、握りが太い節になった木の杖が渡される。

「それらの杖はフェイザーとトリコーダーが内蔵されてるわ。でも特定身分の者以外は魔法の使用を禁じられているから、魔法と誤解され制裁される危険がある。必要なときはわたしとブランドンが戦い、あなたたちは緊急時以外控えていなさい」

 さらに、エメラルダスは作業用ロボットを二つ、変型させてウマ……ブランドンらが知る馬に似ているが、微妙に違う……に偽装し、棒を包んだ荷物を積んだ。かなりの量のテント用資材、偽装した浄水器や携行食糧も積む。

 巨大な海賊船は完全に姿を消し、柔らかな雲をかき分ける。

「いくつか、かなり強力な対空探査システムがあるわね。はるか昔の星間戦争で、かなりの数の宇宙船が墜落し、そのいくつかはいまだに機能している」

 エメラルダスがダイヤルを調整し、ステルスを強める。

「無駄よ。この船は、本気で姿を消せばどんなレーダーでも、どんな魔術師にも探知できない」

 上空から見下ろす目に、はるか薄緑が広がるかつての砂漠。その中央に、恐ろしく深い穴がある。宇宙から見れば、それは大陸規模の巨大クレーターが徐々に砂に埋もれたものだと一目でわかる。

「かつてここに、巨大な戦艦が戦闘で墜落、そこにあった文明を一夜で滅ぼしたわ。そして長い間地中深く、放射能をまき散らし周囲を不毛の砂漠に保ちながら眠っていた。でもそれがつい最近、宇宙に飛び立った」エメラルダスが静かに語る。

 クレーターの中心部の、衛星軌道からもはっきり見えるほど巨大で、底が見えないほど深い穴を指さす。

「あそこから」

 その砂漠の上空、犬の頭にも見える岩を過ぎ、大河を越える。

 最近大規模な山火事があったらしい、多数の入植者が焼き畑をしているのがわずかに見える広い山地の上空を通る。

 そして上古より変わらぬ大森林、その向こうに見える広い湖に向けて高度を下げた。

 夜の闇に紛れ、音も、波紋さえなく着水したエメラルダス号はそのまま潜水し、清い水底に錨を下ろす。

 そして、小さなボートが光の柱に守られて水面に出ると、そのまま岸に向かった。

「ランゴバルド領のナタリ湖。ここからケイロニアの首都、サイロンに向かうわ。三つの鍵を集めるために」

 エメラルダスが告げると、あとは無言で一枚帆を操る。わざとゆっくり、月のない闇夜の水面を航る。

 その湖では、あかあかとかがり火を焚いて釣りや船遊びを楽しむ人々もあり、ミルフィーユやクスハは楽しそうに手を振った。

「寒いところね」トロイがマントをかきよせる。

 

 朝になるころ上陸し、エメラルダスが小舟を売ってボロ馬車の車のみ手に入れ、実は機械であるウマをつなぐ。古い赤煉瓦で舗装された街道に沿って、静かに揺られていった。

 その道は天然の要害にある、美しい城につながっていた。

「ランゴバルド城よ。ケイロニア十二選帝侯の一つが守る要害」

 それだけ言って、またエメラルダスの手綱が鳴った。

 街道の守りは固めれば難攻不落、だが平和な国情ゆえか門は広く開き、エメラルダスが差し出した手形とサイロンへ行くの一言であっさりと素通りでき、赤い街道を静かに馬車は行く。

 ガタガタ揺れることや周囲を行き交う馬車が当然落とす生物の臭いに、宇宙文明育ちのミルフィーユや雪は最初は戸惑ったが、若さゆえすぐ慣れた。

 ミルフィーユが作っていた弁当を、かわるがわるおいしく食べる。

 

 まだその日も傾く前、森の向こうに、小高い丘が集まった奇妙な山地が見える。

 丘の間を通る赤い街道を抜けると、七つの丘に囲まれた大きな都市が見えた。

「門がない?」

 都市に入ろうとして、ブランドンが惑った。

「普通なら、こういう時代の都市はどれも頑丈な門で外的から自らを守り、入る人を厳重に審査し高額の通行税を取るもんだ」

「でも見てください。ほらそこ」雪が示したところは、つい最近まで厳重に都市を囲んでいたように見える、立ち並ぶ杭を抜いた穴の列。

「最近までは出入り禁止だったけどな、やっと今まで通り、通行自由になったんだよ」

 話し声を聞いていたのか、軽くウマを揺らしていた兵士が声をかけて、そのまま追い越していった。

 市大門を入ろうとしたとき、ふっと黒いフードをかぶった男が馬車の前に立ち、エメラルダスが機械馬を止める。

「久しぶりね、ルカ」

「トチロー様の件、お悔やみを申し上げればよいのか」

「鉄のような少年の手で、親友と共に永遠に星海を駆ける身となった。私のそばにいるのと同じ」

「多元宇宙の戦、あなたがここまで……メーテルさまも、辛い旅を続けているのですね。黒騎士の子、鉄の少年は、まさに鋼に鍛えられつつあります。鍛冶屋が鉄板を重ねて打ち、二枚の刃を火づくるように。ゲートキーパー、あなたの主君と」

「え、あ、その、シヴァ様、無事なんですか!」突然目を向けられ、わかったこともわからなかったことも、ミルフィーユの表情が泣き笑いに崩れそうになる。

 エメラルダスがうなずきかけた。

「鍵のありかはご存知ですな」

「ええ」

「では、千年の女王陛下と古き友バンにもどうぞよろしく」

 それだけで、その男は煙のように消えた。

「な、なんだったんです」

「古い知りあいよ」

 それだけ言って、エメラルダスは門を抜ける。

「おお、〈世捨て人のルカ〉が」

 まわりの数人がささやきかわす。

 

 石やレンガで作られた都市は大きかったが、奇妙に道をいく人々が少ない。人々は笑顔で親切だが、長い苦労に疲れたようなところもある。

「大戦争でもあったんですか?それにしては街が焼けたり崩れたりしたわけでもないですね」クスハが、街で見かけた果物売りに聞いた。

「外国から来たんだな。戦争なんてこの平和なケイロニアにゃねえよ、でもつい前の年、ものすごい疫病が流行ってね。百万の半分は死んだんじゃないか。うちのおっかあも。四人の息子の二番目は、パロ遠征でイシュトヴァーン王にやられちまって名誉の戦死さ」商人の目が一瞬涙に曇る。「でも、泣いてる暇があったら一生懸命働けばいいのさ!」

「まあ」雪が背筋を震わせる。

「疫病だって豹頭王陛下が鎮めてくだすったんだ」商人は大きく笑って去った。

「豹頭王?称号かしら」トロイが首をひねる。

「注意しておくわ。ここの王は、本当に頭が豹だけど驚かないで。また王妃のこと、第一王女の夫のことは絶対に訊かないこと」エメラルダスが告げた。

「複雑そうね」トロイが微笑した。

 

 一行が馬車を止めたのは、タバス通りのラバンの宿。新しく建て替えられたようで、かなり大きく立派だった。

「旅人の方、よくいらっしゃいました!ここはあの豹頭王グイン陛下が、サイロンで初めて泊まった宿なんですよ」

 老人は楽しげにおしゃべりを求める。

「今も忘れません、三人の放浪者!一人は首から上が豹の今は誰もが敬愛する王様。それにきれいな吟遊詩人、あっしの目はごまかせねえ、グイン陛下がシルヴィア王妃を助けオクタヴィア王女様も連れて帰ったあのとき、オクタヴィア様の隣で微笑んでいた夫のササイドン伯爵。そしてこれまたいい男の若い傭兵、今や悪名高いゴーラの殺人王イシュトヴァーン!その三人がぼろにくるまって眠った部屋は、儲けで改築した今もそのまんまでさあ!その部屋以外なら充分空いてますよ!」

 ガティと呼ばれる小麦のパンに似た食べ物と、ヴァシャと呼ばれる干し果実、そしてカラムという実を煎じた香気を楽しむ飲み物、その夜はゆっくりと休む。

 その深夜、エメラルダスが一時出かけていたのに雪は気づいていたが、何ごともなく夜明け前には帰っていた。

 

 翌朝はやく、入浴してかるい食事をすませ、エメラルダスが用意した普通よりもきれいで飾りの多い服に着替えた一行は、七つの丘の一つ風が丘、黒曜宮に向かった。

 広大壮麗な王宮で謁見の手続きを済ませ、長い順番を待つ。

「すごいわ。でも」雪がつぶやく。

「イスカンダルのダイヤモンド宮殿と比べてはだめ」

 エメラルダスが釘を刺す。

「行ったことがあるんですか?」

 クスハの問いには答えなかった。

 

 そしてついにその時が来る。ふれ係の大声に、教えられた儀礼を守りつつ玉座を見上げると、そこには伝説が座していた。

 歴史ある宝冠をいただいた、まさに森をかけ獲物を食いちぎって木に引き上げる、黄色に斑点の浮いた豹の頭部。

 それをのせるのは、巨体。フェンシングのみならずアメリカンフットボール・バスケット・アイスホッケーのどれでもプロとして通用するブランドンが貧弱に見える、締まった筋肉。

(NBAのどのチームも何十億ドルでも出すな、明日からセンターだ。プロレス界だって、NFLやNHLだって)とっさに思った。

 奇妙にも、普通ならばあるはずの王妃の椅子はなく、ただ王座の後ろ、より高いところにより大きな空席がある。

(この国の儀礼上の神の座かしら?)トロイが膨大な例を思い返す。

 その豪奢な毛皮と宝錫の影響はあるが、

(なんという王の迫力!ラアルゴンのアザリン女王も凄まじかったけれど、これはまた)トロイが圧倒される。

(亡くなったジェラール王なんて比較にならない。アザリンさまよりすごい)ミルフィーユも驚く。

「ラーメタルよりきた旅人のエメラルダス。献上したい物と捜し物の許可と聞いたが」

 剛毅木訥。豹の頭から人の声、と言うだけでも驚きだが、その迫力と深い優しさ、安心感は、それぞれが懐かしい、誰よりも頼もしい人を思い出させるものだった。

 雪は沖田艦長を。ミルフィーユはルフト、トロイはピカードを。

「こちらを」と、ブランドンに背負わせた例の束ねた棒をほどき、差し出す。

 グインの巨躯に合う8kgはある広刃の大剣。それに刃渡り20cmほどの細身の刀子、ブランドンが持つのに似た長剣、そして細剣が、鞘もなく布でくるまれただけのもの。

 それと、箱に入った太鼓と棒がくっついた奇妙なものを渡す。他にもまだかなりの荷物を宿に残している。

「ほう」グイン王がほおえみ、それを目で確かめ手にとり、軽々と振ってみる。「この柄、筒だな。穴ふたつ、そういうことか」

 と、グインはかたわらの旗を手に取って、その太く重い旗竿を柄に差し込んだ。それで豪壮な大身槍となり、横から穴に目釘を打てば安定する。

「ふむ、柄自体は握りやすい形だ」

 長剣はアキレウス、細剣はオクタヴィアへ、と即座に察せられた。剣にはどれも飾りがなく、そちらでつけろということか。

「本来あなたが手にすべき王剣オーランディアに比べれば駄剣です。スナフキンの剣が通じないうつし世のものには有効でしょう」

 エメラルダスの、低く他人には聞き取りにくい言葉に、グインははっとした。

 そして素早く決断し、

「明後日の夕暮れに、あらためて伺候せよ。半ザンならなんとかなる」と言うと、侍従に何か言いつけ、次の謁見者にうなずきかけた。

 

 その帰り道、一行はサイロンの中央部、まじない通りを通った。

 入ったとたん、奇妙な男が襲ってくる。鍋のように穴のない兜で顔を隠した男。

 まず応戦しようとしたブランドン、だが相手にもならず凄まじい鋭さであっさり剣を叩き落とし、そのまま貫こうとするのをエメラルダスが応戦する。

 その二人の、あまりに華麗な剣技にみな息を呑んだ。

「ピカード艦長でもかなわないわね」とトロイが凍った頬でつぶやく。

 そこに、何か凄まじい圧力が上から加わる。

「フォフォフォ、何か面白いことがあるようじゃな」

 とてつもなく年老いた老人が出現し、二人にほほえみかけた。その脇には、奇妙にのっぺりした白い何かがいる。

「これほど珍しい見物を見るとは、長生きはするもんじゃの。そなたたち二人とも、星々の力よりすさまじいなにかがあるわえ」

 鼻白んだように二人とも剣を引き、エメラルダスは老人に冷たい侮蔑の目を向けて立ち去ろうとした。

「これこれ、この老人にそんなつれなくしてはならぬ、としよりはいたわるものじゃよ。

 ほう、このグラチウスにもそなたの過去と力は読み尽くせぬか、だがだからこそ、その根源を見出さずにはおかぬ!まだしばらくはヤーンの織りなすタペストリも平穏、いまだヴァルーサの赤子も月満ちず、退屈で仕方がなかったんじゃよ」

 楽しげに老人が笑う。

 兜の男が老人を鋭く切りつける。そのしわぶいた体から、奇妙な色の血がにじむが、すぐ止まる。

「ほほう、齢八百を越えるこのわしの体を傷つけるとは。善哉善哉」

 かえって嬉しそうに笑う。

「なんて邪悪な人なの。小さい子供のような邪気のなさもあるのに」トロイがグラチウスを見て怯える。

「あちらのゲイナーは、読もうとしてもだめよ」エメラルダスがトロイに警告する。

「それにそこの、かわいいお嬢さん」

 と、グラチウスの目がミルフィーユを見る。

「そなたも奇妙な、それでいて時あれば多くの宇宙を動かせる力を秘めているようじゃな。これはもらってゆかねばなるまい」

 グラチウスに絡みついている白い何かがなーお、と奇妙な声を上げた。

「この人は私の保護下にある」いいながらエメラルダスは剣を納める。

「ほう、これは怖い怖い」グラチウスはゆかいそうに笑う。

 直後、ゲイナーの剣がひらめき、凄まじい闇の稲妻がグラチウスを包み、それを結界が弾く。

 その結界を、瞬時に懐に飛び込んだエメラルダスの戦士の銃が射抜いた。

「これはこれはすばらしい。しかしな、このグラチウスを攻撃するということは」

 突然、ゆかいそうな笑顔に、ゆらりと圧倒的な迫力が入る。

「消えうせる覚悟はあるのじゃろうな!」

 気がつくと、周囲はまじない通りなどではなく、広い湖に浮かぶ、美しい芝生の小島に変わっていた。

 とてつもないエネルギーが膨れ上がり、光と熱の恐ろしい球体が膨れ上がるのが見える。

 エメラルダスはまったく表情が変わらない。ゲイナーの平たい兜に元々表情はない。

「さて、本気を出してもらおうかの。それとも心そのものに無限の年月を見せるか。無限の闇に魂を食い荒らされるか……なんと!」

 楽しげな声をあげるグラチウスに、湖底から吹き上げた光の槍が突き刺さる。

「な、何がおきた」

「湖底のエメラルダス号の武器が暴発したようね。これもありえない偶然」

 エメラルダスが、少し落ちこんだ声を出す。

「ふむう、ここは危険か。戻って、じっくりと心をいじらせてもらうかの」

 グラチウスが何か唱えると、そこはまたサイロンのまじない通りだった。

「千年に一度の偶然を起こしてしまえるとは。そこのかわいいお嬢さんじゃな、善哉善哉……」

 グラチウスが笑う。その笑い声が突然、全員の耳が砕け、目がくらむほど巨大になった。

 

 闇の中、雪は見せつけられた。自分たちが滅ぼしたガミラス星人、一人一人の全生涯を。

 育児期のなかの赤子。ドメル。双子の出産を控えた妊婦。島次郎と同じ目で兄の戦功を誇り来年の入営を楽しみに学ぶ少年。シュルツ。千万の民、誰もが普通に、雪たちと変わらず祖国を愛し、家族を守り、それなりの善と悪、成功と失敗を抱え生きる意思に満ちた民だった。それが一瞬で、時には何時間もかけてとろ火で、焼き焦がされ砕け死んでいった。

 ヤマトの甲板で、古代と共に泣いたはずだった。悼んだはずだった。だが、足りないなどと言う生易しいものではない。

 

 ミルフィーユは、これまで菓子作りに楽しく使ってきた卵や牛乳やバター、砂糖やココアやコーヒーの歴史を見せつけられた。どこかで学んでいたのだろうが、忘れていた、いや自らをごまかしていたのだ。

 工場養鶏……産まれてすぐ、雄のひよこはすべてバケツに投げ入れられ、生きながらミキサーに放り込まれて、そのまま牛や鶏自体の飼料に回されるか、それすら採算が合わなければただ廃棄される。雌も、その訓練しだいでかなり上がる知能は雄の運命を羨むだろう。すぐに熱い刃でくちばしを断たれる。糞を下に落とし清掃の必要がない鋭い金網の床で足を切り刻まれ続ける生涯。身動きもできない高密度で、大量の抗生物質の入った餌を喉に流しこまれ、卵を落とし、「効率が落ちれば処分される」だけの工業機械。乳牛も同様だ。

 近代以前、自然のままの農園に生きた家畜は幸せだったか?とんでもない。人間の子さえ抗生物質もワクチンもないので十人産んで九人死ぬ貧困が常態、飢えと不潔も共有する。そして人間が常に一定の割合で出し続ける邪悪な者、またどの子供も秘める残忍さによる不要な虐待……いや拷問。

 砂糖、ココア、コーヒー……それらが負う、残忍な征服と支配。先住民を全滅させ数知れぬ黒人奴隷を呑み込んだカリブの砂糖諸島、プランテーションの少年奴隷の呪い。鞭と焼きごて、人間を工場の鶏よりあっさりと、しかも鶏にはない人間ならではの過剰な残忍さで使い捨てる経済。白き月の力で近代化したトランスバール皇国も、本質的には違いがない。ランファの故郷では、彼女のように奨学金で軍に入り給与の大半を仕送りする優秀な子がいなかった兄弟姉妹が売られ、残虐なプランテーションで十かそこらの短く苛酷な人生を終えているのだ……木に登れぬ大きさになれば処分されて。

 

 トロイやクスハも戦いで奪ってきた、また守りきれなかった生命を。ブランドンは彼の時代には戦争は終わっていたが、彼が尊敬する物理学者たちの、原爆の原罪を……アメリカ本土の実験台も含む、被爆者全員の悲惨を叩きつけられた。

 では、エメラルダスやゲイナーは?どちらもその罪は雪とさえも比べものにならない、宇宙的なものだ。

 だが、二人はそれを軽々と受け止めているようにも見える。

 ゲイナーは兜を半ば剥がれ、数限りない顔を入れ替えながら、気持ち悪くなる重低音の歌を響かせて。

 エメラルダスは石のように動かない。そのまま永劫の時が経つと見えたが、ゆっくりと半ば石と化した腕を持ち上げ、破片と血をまきちらしながら眉も動かさず戦士の銃をかまえた。

「たわむれはそこまでよ」

 そう、あまりに冷たい声で言うと引き金を引く。

 その瞬間のエメラルダスは、グラチウスやゲイナーすら比較にならない、冷たく硬い邪悪を発散していた。わずかでもそれを見たら即座に生身が砕け蒸発しそうなほどの。

 そして、笑い声と共に罪の幻は瞬時に消えた。

「おお、自力でこれを破るとは。なんという、なんという!」

 グラチウスは愉快そうに微笑むと周囲を見まわし、

「さてと、では……む、これ以上ここにいれば、余計な何かを呼び出してしまいそうじゃの。あまりに強大な力が四つも集まっていては、まあわしほどの力はないが変に野心だけあるばかどもが集まりかねん。ここは引かせてもらうが、これからもわしはそなたらにつきまとうぞ。必ずや解き明かさせてもらう」

 そう言うと、老人は消えた。いつの間にか、ゲイナーも消えていた。

 そして、エメラルダスは東の方に向けて、戦士の銃を放った。その光弾が、なにかに当たったのか深い咆吼が響く。

 ショックで死にかけている仲間たちを引き起こし、耳元で何か囁く。宇宙戦士たちは、まるで人形のように歩いて従った。

 

 その翌日は皆、食事も喉を通らずぐったり休むだけだった。

 約束の日、黒曜宮を訪れたら話を聞いていた侍従が、まったく別の場に一行を案内した。

 王宮の壁に隠された道をくぐり、分厚い石壁と何人かの魔道師、複雑な文様に守られた一室。

 部屋の長いテーブルの、片側に座していたのはまずグイン。そして長身の老人、その娘と一目で分かる美女とその脇の驚くほど美しい幼女、自信と育ちのよさを漂わせる三十代中盤の男、控えめに座る盲目の黒ずくめの男がいた。

 テーブルには穀物がゆと簡素だが焼きたての暖かいパン、熱く焼かれたソーセージ、ヴァシャの干果が盛られていた。

「ハゾス、紹介を」と、グインが盲目でないほうの男にうなずく。

「わたくし、十二選帝侯の一人、ケイロニア宰相を拝命いただいているランゴバルド候ハゾスと申します。こちら、アキレウス・ケイロニウス皇帝陛下。その長女オクタヴィアさま、その娘マリニアさま。十二選帝侯の一人、アキレウス陛下の相談役でもあるローデス候ロベルト。こちらで食事のついでにお話を伺うことにしました。グイン陛下の決定なら間違いはない、どうぞお座りください」

 ハゾスが素性の知れぬ人々にいぶかりながら、長いテーブルのもう一方を一行に示す。

「時間がない。食事をしながら率直に話したい」グインの言葉に、エメラルダスがうなずく。

「私はエメラルダス。こちらが物理学者のノーマン・ブランドン、トランスバール皇国のミルフィーユ・桜葉、ATXのクスハ・ミズハ、ヤマトの森雪、エンタープライズEのカウンセラーのディアナ・トロイ」

 わからない一家を見てエメラルダスは表情を変えない。

「もらった剣を試してみた。ダイヤモンドを木のように削り、鉄塊の穴に刺し二頭のウマに引かせても曲がりもせず、鋼の厚かぶとを断ってもカミソリより鋭い」グインのトパーズ色の目が強く輝く。「どこから来たのか?」

「星から。敵意はない、探しものさえ済ませたらすぐ立ち退きます」

「探し物、とは?」アキレウスが聞く。

「星をいく戦船。あなたとは関わりのない、別の人々が作ったもの」

 目はグインに据えている。

「それを見つけることで、たとえばカナンが滅びたようにとんでもない災害になったりしませんか?」ハゾスが聞いた。

「その心配はないわ。場所は分かっている、ただ起動に必要な鍵が三つあります。

 一つはグイン陛下の承認。

 一つはアルセイスの地下を探るためゴーラ王国の留守を預かるカメロン宰相への紹介状を。

 もう一つは南海の海賊王ラドゥ・グレイの許可が必要。そのため、彼を知るゴーラ王イシュトヴァーンへの手紙を。

 また移動のため、クリスタルのカイサール転移装置の一時使用許可を」

 みなが食べ始めながら目を見開く。

「それだけか」

「それだけよ」

「これは?」と、オクタヴィアがもう一つの、太鼓のようなものに奇妙な棒がついたものを見せる。

「マリニア姫の耳が不自由と聞いたから、音の震えを動きに変換する装置を作ってきた」

 と、使い方をやってみせ、軽く手を叩いたり、水晶杯のふちをこすったりして、その音にあわせて棒が扇形に振れるのを見せる。

 また食器のフォークを軽く握り、スプーンで叩いて震えるのをマリニアに触れさせ、またその音と棒の揺れの同調を見せる。

 声を出しながらマリニアの手を取って喉に触れさせ、同時に棒の揺れを見せる。

 マリニアが、小さな手を打ち合わせてみたりして、棒の動きを熱心に目で追い、母に笑いかける。

 アキレウスの表情が輝く。

「なんと素晴らしい贈り物。これだけでも、どんな助力も惜しむまい」

「でも、星の間を行くような人々なら、治すことはできないの?」オクタヴィアが狂おしい希望とある種の恐れをこめてエメラルダスを見つめる。一瞬ロベルトが目を伏せ、それに気づいたオクタヴィアがはっとなり、「ロベルトの目も」と加える。

「私のすることではない」

 冷たい表情に、皆が少し非難の視線を向ける。ミルフィーユやクスハは杖に偽装したトリコーダーを気にした、これを使えば容易なのにと。

 トロイが首を振った、艦隊の誓いに背くことはできない。

「同様に耳が不自由な子供たちを集め、王女様も含め、朝から晩まで共に暮らすようにすべきです。それだけで、子供たちはおのずから、身振り手振りから新しく言語を作り出した実例があります。ですが子が言葉を学べるのは幼い頃だけ、急がなければ手遅れになります」とトロイが強く言う。

 ロベルトが嬉しそうにうなずき、ハゾスに予算などの話を始めた。

 オクタヴィアとアキレウスも嬉しそうに加わる。

「俺は」グインが話し出す。「記憶なく異形でこの地に落とされ、おのれの素性が星々の世界と関わるようなことを聞かされた。一度は何かに手が届いたこともあるようだが、記憶を失ったようだ。エメラルダス、何か知らぬか?」

 エメラルダスは無表情にかすかな同情と、ある種の恐怖を交えて答えた。

「それを教えるのは私ではなく、運命よ。運命の導きに従い、正しく歩みなさい」

 グインの豹顔に失望がよぎるが、目が静かに暖かな光を戻した。

「少なくとも、ノスフェラスは最近、緑になりつつあるわ」

 エメラルダスの言葉に、グインとハゾスが視線を交わす。それが意味するものは多い、モンゴールからノスフェラスに開拓者が入植すれば、中原の力の均衡は崩れる。またキタイとの通行が容易になれば、中原は恐るべき侵略者に直面することになる。

 グインはノスフェラス王でもあるが、ヴァーラス湖沼地帯でへだたれたケイロニアから連絡する術はなく、中原諸国にもその称号は名乗っていない。だが、もし緑化したノスフェラスで、グインに忠誠を誓うセムやラゴンが増えれば……

「それはよい事を聞いた。ただヤーンの導きに従えばよい。お前たちの戦いに、俺やケイロニアの援軍は必要ないか?」

 クスハが目を見開いた、文明レベルが違う。だが強力な念動力者である彼女は、グインのなかのとてつもないものを感じてもいた。

「ここであなたが君臨していることが、私たちの戦いの別の面をなしている。その戦いは何万何億の面をもっている、ある面ではナチスとフォン・ベックの。ある面ではバラヤー帝国内の財政帳簿による政争。またある面ではエルリックとパン・タンの魔術師に呼び出された〈混沌〉の、またコルムと冬の王たちのいくさ。

 今は、あなたの子が無事に生まれるよう、全身全霊で祈りなさい。それがこの戦いに、星船を率いランドック全軍を糾合して加わるにもまさる援軍。ヴァルーサや腹の子の免疫細胞ひとつと、目に見えぬほど小さな寄生虫一匹の戦いや、名もなき民一人の不安とあなたの君臨の戦いが、そのままヤンダル・ゾックやグラチウスとあなたの霊力のいくさでもあり、また一つ一つがやすやすと星を砕く星船の艦隊のいくさの別の面でもある」

 グインは完爾と頷き、ケイロニアの紋章の入った紙を手に取った。

 カメロンへの手紙は懐かしさを込め、アキレウスやオクタヴィアが熱く加えた感謝の言葉も。

 行方知れぬイシュトヴァーンへは、事務的に。

 そしてエメラルダスが差し出した二枚のカードに、指示通り針で指を突いて血を押しつけ、署名した。

「ありがとう」

 エメラルダスはそれだけ言って一人一人の手を強く握り、他を促して立ち去った。

 

「なんという恐ろしいひとだ」アキレウスは、客を見送って芯から震えていた。

「陛下……義父上も気づいておられたか。あのエメラルダスという女、海賊の臭いがした。戦えばとてつもなく恐ろしい存在、グラチウスやヤンダル・ゾックすら比較にならぬ」

「連れていた人たちも、驚くほどの力や知恵を持つ人々でしたわ」オクタヴィアがうめく。

「敵ではなかったことに感謝を。そしてその忠告通り、ケイロニア王の重任を果たし、産まれる子のために祈るとしよう」

 グインは手早く、旺盛な食欲で食事の続きを済ませると、ハゾスを促して次の仕事に向かった。

 

 サイロンを出た馬車は一気に加速する。元々疲れを知らぬ機械ウマ、普通の馬車の全速を出し続け、あっというまに赤い街道をアルセイスに駆ける。

 ケイロニアとゴーラは正式な国交には至っていないが、カメロンとグインの信頼関係もあり、交易に妨げはない。またイシュトヴァーン王の、情報と自由を重視する政策は、赤い街道の補修や余計な関所の撤廃、連絡用駅伝組織など交通をより自由にしている。

 二度のユラニア遠征でグインみずから血に染めた街道、今は季節もよく平和に突っ走る。

 その旅の中、グラチウスに見せられた幻から食物を口に入れられなくなっていたミルフィーユに、ふとした救いがあった。金を惜しまぬ彼らに宿の主人が、目の前で太ったゴロン(豚)を屠って丸焼きにしてくれたのだ。

「苦しい、かわいそうなのはよくわかっているわ。だからこそ、よく見なければならないわ」トロイがミルフィーユを励ます。本当はもう、食物のほとんどをレプリケーターで造っているトロイ達には縁のない話だったが、カウンセラーの本能のようなものだ。

「私たちも、ヤマトでの旅では異星の生き物を食物として収穫した」雪も震えながら見つめる。

 町の相談役が来てくれて、荘重な、音楽と香料で彩られた儀式が行われる。苦痛のない、素早く鋭い刃。

 腸の内容物の激しい臭い、だがそれも堆肥に戻され、丁寧に洗われた腸に血と脂を詰めて熱く茹でると、うまそうなソーセージになる。血一滴、毛一本無駄にはしない。

「よくあるよ、石の都の奥で育ったお嬢さんが、肉を食うってことを知らないでびっくりするのは。もう肉なんて食べないなんていいながら、しばらくしたらおいしく食べるもんだ」と宿の主人は豪快に笑う。

 おかみさんが優しく慰める。

「これこれおまえさん、そんなこといっちゃいけないよ。知らないってのもかあいそうだねえ。そりゃ大事に育てた可愛いのを殺すのはかあいそうだけどさ、肉も食わないミロク教徒になるんじゃなきゃ、感謝して祈って食べるしかないんだよ。思いっきり泣くといいさ」

「パーシーや奥さんが言ってたな。食べるってのがどんなに大変なことか、自分で狩って食う身、へたすりゃ食われる身にならなきゃわからない、って」ブランドンがうめく。

 ミルフィーユは雪に支えられて泣き崩れながら、小さく切り分け、つんと辛い草の根を添えた新鮮な肝臓の一口を口にし、深く深く祈っていた。 

 

 山道を抜け、平穏な沃土を駆けるうち、白く美しい、水豊かな新しい王都が見えてきた。

 都に近づくうち、街道の赤煉瓦さえ新しく焼かれた丈夫なものになり、馬車の揺れも軽くなる。

 グイン王にもらった手形を示し、バラックを抜けると見事な正門をくぐる。がっちりした内城壁の中は馬車は進入禁止、しっかりと整備された厩に預け、都市内運河の馬が引く乗り合い平底船で王宮に向かう。

「すばらしい都ね」トロイが賛嘆する。「地形も生かして難攻不落、しかも美しい」

「数学屋の設計か?放射状の大路、対数螺旋を描く下水と運河を兼ねた水路、要所の噴水広場。なんて高い対称性、数学的美だ!こんなに計画的に造られた都市はおれたちの時代にもそうないぞ」ブランドンが見まわして声を上げた。

「広場の噴水が公共水道、というわけですね。水道の水源も一つじゃなく、深い井戸もあります。これなら伝染病は全体に蔓延しません。とても健康にいい都市です」

「あちこちの花園や果樹園、養魚池で下水が一次処理されてる。だから下水の水の病原体も少ないわ」

「街路樹も、これは食べられる実をつけ、この木は強い鎮痛解熱剤になります。それに花がきれい」

 看護師でもあるクスハと、ヤマトの生命維持を一手に担っていた雪が、嬉しそうに語り合う。

 まだ建築中のところも多く、活気がありサイロン以上に笑顔に満ちている。

 だが、それだけではなくどこか奇妙な雰囲気もある。

「不思議ね。これほど景気のいい都市なのに、この街には恐怖がわだかまってるわ。恐怖と希望が同居している」トロイが街の人々を何となく読む。

 都市と一体化した、雄大な王宮。ただ一体であるだけでなく、水路と大路、上に水道中に道がある厚い壁が、難攻不落と融通無碍な脱出路を兼ね備えている。

 そして、恐ろしく清潔な、巧みに外光を取りこみ輝く中心部に向かった。

「王さまはずっと不在です。謁見などはカメロン宰相が代行しています」という侍従に頷き、差し出す盆に紹介状を置いた。

 わずかな待ち時間、かすかに髪に白が混じり始めた、それでも充分に鍛え抜かれた男が飛びだしてきた。

 トロイはライカーを思いだし、会いたさに胸が熱くなる。雪はドメル将軍の声を思いだし、奇妙な感慨に打たれた。

 精悍な男はエメラルダスを一目見て、強烈な殺気をほとばしらせた。「海賊」一言、洩れる。

「そう。でも戦うつもりはない、鍵を探したいだけ」冷静に答えるエメラルダスに、カメロンは固い表情のままかすかにほおえむ。

「グイン陛下の手紙と、俺の目を信じよう。好きに探すといい。断ったら中原を焼け野原にして勝手に探しかねないってあるが、大げさじゃないな。

 あいにく今忙しくて、付き添うことはできない。今からユラ山系に突っ走らなきゃいけないんだ」

 と言いつつ素早く全員に、たっぷりと蜂蜜を入れ火酒を落とした熱いカラム水と焼き菓子を配る。皆の旅塵を見ての細やかな配慮。

「つい最近大規模な山火事になった山脈を、焼き畑のように開拓しているのを見ました」

 トロイがカラム水をすすり、ほほえみかける。カメロンは一瞬目を見開き、少し嬉しそうに、苦笑しながら口ひげを引っぱった。

「あれはイシュトの発案だ、帰ってすぐぱっと命令を出して。ただ、ちゃんと段々畑を切って石垣を作り、肥やし木を植えないと、数年収穫したら土が流され、ノスフェラスよりひどい砂漠になりかねん。この目で見てやらないと」

「働きすぎよ、それでミスしたらどうするの」雪がつい、普段から古代の働きすぎに文句を言うように。

「スタッフの育成を怠り過労に溺れるのは、有能な士官にとって何より危険な罠です」ピカードが休暇を取らないことが悩みのトロイも真剣に言う。

「ああ、わかってる。だが元の人材不足がひどすぎるんだ」

 カメロンは苦々しげに、それを笑いに変えた。

「皆さんも優れた士官のようだ、会えて嬉しいよ。ゆっくり話したいが、どうにも時間がない。この紙を」と、カメロンはもう秘書がまとめていた紙に署名し、エメラルダスに渡した。「アルセイスに持っていけばいい。

 ラドゥ・グレイなら俺も、ヴァラキアに留学していた奴に会ったことがある。こっちからも一筆書く」と素早く紙にペンを走らせながら、「あと、イシュトにもし会えたら、何とかこっちに連絡するよう。今のところは何とかケイロニアともパロとも全面戦争は回避できた、と伝えてくれ。そばにいられなくてすまないが、それもヤーンの御心だ、とも。

 もしまたグイン陛下にお目にかかるのであれば、友情への感謝を伝えてくれ。失礼する」

 と言いながら数通の短い手紙を書き上げ、署名封印してエメラルダスに渡し、まるで風が飛び去るように、次の部屋に飛びだした。

「話が早いのはいいわね」エメラルダスもすぐに立ち上がる。

 

 イシュタールからアルセイスの、新しく整備された街道を走り、古く赤い都に着く。

 イシュトヴァーンにより焼き払われ、再建された都は雑然としつつ活気があった。イシュトヴァーン・ゴーラ王国の首都はイシュタールだが、経済的にはアルセイスの重要性は変わらない。

 赤い砂岩が夕陽と響き合い、活気に溢れる猥雑な宿が客の袖を引く。

 だがエメラルダスは目もくれず、大通りを通って宮殿の近くに馬車を預けた。

「人々はあの宮殿を、ひどく恐れているようね」トロイがふと気づく。

 エメラルダスは答えず、最も高い塔に向かった。

 主のない、惨劇の舞台となった宮殿を守る老兵たちは、カメロンの手紙を見るや官僚じみたことなしに一行を通した。

 ザンダロスの塔。物見の塔であり、パロのランズベール塔……ロンドン塔やバスチーユ同様特別な牢獄でもあった。その鬼哭啾々は入る前から恐ろしい。

 だがエメラルダスは、壁に鎖で繋がれたままの髪が残る子供の骸骨も冷然と無視し、何の感情も見せず奥に踏み入った。

 ミルフィーユはただ泣きながらトロイに支えられている。しんがりを守るブランドンさえ、抜き身の剣を握りながら叫び出すのをこらえていた。

 そして奥の、深い螺旋階段。かつてグインさえ降りてそのまま消え失せ、再び姿を現わしたのはケイロニアだった。

 どれほど深くかわからない。杖に仕込まれた強力なライトすら床が見えない。

 トリコーダーのレンジファインダー機能を使おうとしたトロイが、エメラルダスに止められる。

「ここはもうある意味うつし世じゃないわ」

「ある意味拷問ね。単調な行動は心身を蝕む」トロイが答え、正気を保とうと腕を叩き、いくつかの言葉を暗唱した。

「歌いながら降りようか」ブランドンが言って何か歌い出したが、その奇妙な響きでかえって不気味になってすぐやめた。

 どれだけ降りたのかわからない……ついに、平たい地面にたどりついた。

 そこは、暗黒よりたちが悪かった。円形で体育館程度の広さ、その壁は無数の小さな門。百か二百はある。門の奥は何も見えない。

「グインがここに来たときは、闇だったからこそ導きに素直に従えた」エメラルダスはそれだけ言って、ミルフィーユを見る。

「目を閉じて」ミルフィーユはただそうした。

「ぐるぐるその場で回って」そうする。

 十回ぐらい回っただろうか、倒れかかるところで「止まって」。

「目を閉じたまま、まっすぐ前を指さして」

 ミルフィーユが指し示した門に、エメラルダスは何の迷いもなく向かった。慌てて皆も従う。

 その門を抜けた瞬間、いきなり全員の意識が一瞬暗くなり、気がついたらそこは砂漠だった。

「ここは」

「ついてきなさい」と、エメラルダスが冷たく言って歩きだす。

 地平線まで砂の波。ひとつだけ、遠くに小さなニガヨモギの群落が見える。

 いきなり激しい日光に炙られ、悲鳴が上がる。

 幸い分厚い旅人の服には、顔をすっぽり覆えるフードがある。

「目もほとんどふさぎなさい。照り返しで傷めるわ」

 雪が警告した。

 ひたすら、歩く。あっというまに喉が焼けつく。

 トリコーダーも虚無から水を出すことはできない。

「石を口に含めば少しはましになるはず」

 と雪が地面を探ろうとするが、トリコーダーを見たトロイが小さな悲鳴を上げた。

「やめなさい。ここの砂の放射能は安全基準を超えているわ」

 エメラルダスが、ついと砂の中のある場所をよけた。

「なにかあるんですか」と見に行ったミルフィーユに、いきなり岩が巨大な口を開けて襲いかかる。

 悲鳴、姿を現わした怪物を雪とトロイのフェイザーが吹き飛ばす。

「油断しないことね」エメラルダスは振り返りもせず歩き続ける。その声もしわがれていた。

 彼女が突然止まると、トロイから杖を取り、そのままフェイザーで前面をなぎ払った。

 ただ砂が焼ける、その中からいくつか、砂ヒルがじゅっと焼けて縮み、いやな匂いを漂わせる。

 そこを通過し、岩陰が近くにあったのに近づこうとする皆を止めて、そのまま砂の中を歩む。

 静かに日が沈み、砂漠は突然灼熱から極寒に変わる。

 それが辛い、全員の足が徐々に弱っていく。

 その中、ふとクスハが何かに気づき、ふらふらと奇妙な方角に向かい始めた。

 ふいに、エメラルダスは砂の中から、小さなカードを拾いあげた。ミルフィーユがそれを見て驚く、その紋章は、自分の体の一部と言える紋章機と同じ。

 瞬間、周囲の砂漠が消え失せて闇になる。ライトがつけられるとそこは石の牢獄の奥、小さな誰もいない部屋だった。

 

 上がると、丸二日経っていた。彼らは一晩宿で休み、それからカメロンに伝言を委ねると馬車に乗ってパロに向かった。

 ユラニアからクムを横断する長い旅。イシュトヴァーンとマルコがアルド・ナリスと会うため、また記憶を失ったグインやマリウスが旅芸人に扮したあの道、その宿。

 多くの湖が運河で連なるクムに着き、馬車の車体を売って小舟を手に入れ、機械ウマを載せたまま波に揺られ、ヨーイ・ホーイと呼び交わす声を聞く。食べ物も気軽に行きあう小舟から買うことができる。

 そして陸に上がり、再びぼろ馬車を買って、あとはパロへの一本道。グインが書いた手形で、何の調べもなく国境の町ネームを抜け、そのまま赤い街道を突っ走った。

 彼らとは逆に、パロからクムの方に逃げようとする、呆然とした難民が多数いた。

 クスハや雪は、そのなかの怪我人や病人を見ては治療を始めようとし、エメラルダスにせかされてクリスタルへの道を走る。

「一体何があったのですか」

「どうもこうもねえよ。もうパロはおしまいだ!」

「モンゴールの侵略、そしてあの悪夢のような内戦、もうすべては終わったと思ったのに」

「ゴーラまでたどり着けば、そこでは食えるっていうぞ!」

「このイシュトヴァーンの手形があれば、ゴーラで仕事をもらって、パロが落ち着いたらまた帰れるってよ」

 嘆く声。わずかな家財。底なしの絶望。

「ひどい絶望ね」トロイがうめく。

 その人々の話からは、奇妙な名がささやかれる。エイラハ。イシュトヴァーンの奇襲。だが何が起こったのか、誰もはっきりしたことは言えない。ただ、パロの首都クリスタルが壊滅状態、国家機能喪失、とだけは伝わる。

「絶望に襲われた群衆の中、うかつな動きをしたら攻撃されかねません」

「わたしをさえぎる者は、踏み潰すだけよ」エメラルダスが言うが、トロイは退かない。

「それは、少なくとも遅延になります。トリコーダーの情報と、上空から空撮した地図を照合しました。この裏道をとれば、難民を傷つけずにクリスタルに急げます」

「そうね」それだけ言うと、氷を漂わせたまま女海賊は馬車を回した。

 冷酷非情、だがいたずらな残虐ではなく、徹底して合理的。短いつきあいだが、わかっている。

 

 森の向こうに煙がたなびく。

 奇妙な、ありえないガーガーが乱舞する。

 この星で産まれた事情通なら、衝撃に叫ぶだろう。ジェニュアが潰えていた。

 モンゴール五色騎士団の蛮兵も、ヤンダル・ゾックに憑依されたレムス王軍すらも一指も触れなかった聖地が。

 その悲惨の中、本来動けるはずがないところでもミルフィーユの運は働いた。倒木が二本、ちょうど馬車の車輪に合うように川にかかっているのを見たときは、皆苦笑したものだ。

 ただし、逆に怪我人に囲まれて大変なことになることもある。まあ直後、前の戦争のために埋められていた食糧や医薬品の山がトリコーダーに反応し、難を逃れた。彼女の運は良い方向にも悪い方向にも向く。

 何の秩序もないようにも見える。だが、盗賊の類は不思議とない。

 この国を知る者にはわけがわからないだろう、パロを守る聖騎士団がおらず、ゴーラとケイロニアの騎士が仲良くパトロールしているのだ。

 それも、むしろゴーラの側が命令を下して。

 ゴーラ騎士への恐怖と、内乱終結後、しばらくはパロの治安維持や国防を担当していたケイロニア騎士への親しみがうまく混じり、絶望しきった難民たちはかろうじて自暴自棄になっていない。天を仰ぎつつ疲れれば静かにうずくまり、隣の者と励まし合って、より豊かな農村へ移動していた。

 だが雪にとっては、「有能な軍によって統制されてるわね」の一言だけだった。彼女に、この星の歴史などはわからない、ただ能力だけはわかる。

「軍の論理は学んだつもりだけど、でも残酷ね」とクスハが、はだけた胴体に刃で罪名を刻まれ、両手両脚を切られ吊るされた数体の死体に吐き気をもよおす。

「仕方ない、っていいたくはないけれど、代案はないわ」トロイが眉をひそめる。

「その馬車止まれ!名乗れ!」

 三騎のケイロニア騎士を従えたゴーラ騎士が、厳しく誰何した。

「カメロン宰相から、ゴーラ王イシュトヴァーンへの使者エメラルダス。取り次ぎなさい」

 エメラルダスが命じる。その声の迫力に、ゴーラ騎士もぶるっと震え、それを抑えるように怒鳴って手紙を確認した。

「確かに宰相閣下のご署名だ。ついてこい」

 あとは素早かった。数こそわずかだが、恐ろしく機能的に編制されているのがわかる。

 ジェニュアとクリスタルを結ぶ街道から少し外れたところに、多数の天幕が張られていた。その一つに素早く案内される。その天幕にはほかにも、多数の使者が忙しく出入りしていた。

 エメラルダス同様顔に傷があり、しかもそれが美しさを損なっていない、精悍でごく若い男が身軽に飛び出す。

 一目見て、剣を抜きかけながら「あんた、海賊だな」と小さく怒鳴った。その反応は、驚くほどカメロンに似ていた。

「グインと、カメロンからの手紙か。マルコ、読んでくれ」

 剣を納めてやや落ち着いた副官に手紙を渡す。彼がちらりと眼を走らせ顔色を変えて人払いし、ゆっくりと二通の手紙を読み上げた。

「まったくあいつららしいや、わけわかんねえ、でもやることはわかるぶん文官とか魔道士とか、くそったれどもよりましだ」

 乱暴な口調で、じろじろと一行を眺める。その無数の怨霊を負う目の迫力に、クスハやミルフィーユは怯えていた。

「ラドゥ・グレイか……懐かしい名を聞くもんだ」

 イシュトヴァーンにとって、それもまた思い出したくもない痛みと、そして限りない懐かしさをもつ名前だった。ニギディア号での人生最良の日々と、あまりに悲惨な幼年期の終わり。

「ま、手紙ぐらいいいけどな、おれぁ……」少し口を濁し、マルコを見る。

「お話は聞きました。そのような仲なら、陛下のお手跡もご存知でしょうし、かえって証拠となるでしょう」

 育ちが育ちだけに、読み書きはかろうじてできる程度なのがコンプレックスだ。

「な、ならいいんだよ、な。まあ、それにグインもカメロンもこいつに逆らうなっていってるし、俺が見ても」と、エメラルダスを見つめて息を呑む。「書きゃあいいんだろ」

 と、傍らの紙を取り寄せて、うんうんうなりながらごく短い文と署名だけを書き、エメラルダスに渡した。

 それで、ふと安心したように、突然エメラルダスの傷の残る顔をじっと見つめ、自分の顔も触り、ほおえむ。

「なあるほど。ある程度以上なら、多少……」

 マルコが小声で、

「顔に傷があっても美しさは損なわれない、と思ってますね。失礼ですよ」

 と苦笑する。実際その通りだ、とミルフィーユなども見比べ、うなずいた。

「まったく、この俺も何やってるんだろうなあ」

 トロイの目を見たイシュトヴァーンが、なんとなくため息をついて手を火酒に伸ばそうとし、止めた。

「人サマの目の前から獲物をかっさらいやがってあんのバケモンども。でもって、リンダっ娘がさらわれながらパロを頼む、なんて言いやがったからおひとよしにもバカどもの面倒みてやってさ。今すぐ、一人でも飛んでって助けてやりてえんだけどな」

 ため息をつきながら、次の報告を手にして読み、短く指示を与えた。魔道士が一礼して引き下がる。

「ただ、今やっていることはとても楽しいようですね」トロイが微笑んだ。

「そうなんだよ。俺ぁ王様になったのがいやでしょうがねえ、とにかく飛びだして海賊や山賊に戻りてえんだ。けどよ、こうやって国を建て直してるときは楽しいし、忙しくて、毎日新しくやることがあって、ばくちよりたまんねえんだ。ユラニアを生き返らせたこともあるから、同じヘマはしないでうまくやれるしよ。いくさとおんなじだ、俺は天才だ!、風だ、ってからだじゅうが叫んでんだ」

 イシュトヴァーンが目を輝かせる。

「その俺の目で見たら、リンダもヴァレリウスもまるっきりへたくそだぜ、ひたすら節約ばかりして、根っから暗いんだよ!借金ばかり数えて、まるで田舎の小商人だ。盛り上げて勢いつけてやるのが国ってもんだ。ま、今はそれどころじゃねえ、一人でも多くを盗賊団みてえに抱えこんで、それぞれに仕事やって飯喰わせて、それからだけどな」

 ふと気分が飛んで、エメラルダスの目に振り返った。

「でもって、クリスタルの古代機械、だって?なんかナリスさまが、あの夢みたいな表情でよくしゃべってたな。最期の時だって、グインのちくしょうにそのことばっか。ぜんぜんわからなかったけどよ」

 また顔をしかめる。

「そうだ、ケイロニアからアルセイス、クムを通ってきたんだろ?聞きたい話はたっぷりある。俺もクリスタルに用があったな、ついてこいよ」

 身軽にウマに飛び乗り、何人かに指示を飛ばして、マルコ一人を連れて駆ける。

 エメラルダスの馬車にぴたりと寄せて、いろいろと話しながら。口調こそ乱暴だが簡にして要を得た、実際的きわまる質問に機械ウマを御すエメラルダスも、無駄な言葉なく答える。

 走りながらも多くの使者と素早くやり取りし、情報と統制は断たれない。

 

 パロの、中原で最も美しい都市と言われたクリスタルは無残な姿だった。不思議と、建物は無事だがほとんど無人と化している。

 十年もたたぬ間にモンゴールの侵略、内戦、そして今度の襲撃に、もはや人が住める都市ではなくなろうとしている。

 門を通る時、イシュトヴァーンは大きく手を振って、名馬を駆けさせて離れた。

 

 その禁断の地、ヤヌスの塔には、かろうじて魔道師の護衛があり、周辺には何人かの、焼け出されたような貴族や神官たちがテントを張って過ごしていた。

 イシュトヴァーンの許可証を示したが、侮蔑と共に拒絶される。魔道師たちはエメラルダスのささやいた合言葉にあわてて消え、何も言わず囲みを解いた。

 貴族たちの中心にいたのは、年齢より老いてはいるが顔は整った女だった。

「下がれ!そなたら下賎なよそ者が、この神聖なるパロの秘中の秘、ヤヌスの塔を冒そうなどとは、ヤヌスの業罰が下ると知れ!」

「そなたたちのような下郎が、ラーナ大公妃さまの面を見ることすら不埒なのだ!」

 共にいる人たちが叫ぶ。

 エメラルダスは完全に無視し、その女と、何人かの老いて疲れきった様子の、驚くほど美しい人々を押しのけ、勝手知った家のように地下に向かおうとする。

「行かせぬ!パロの者たちよ、この不埒者を切り捨てよ!」

 そこに、イシュトヴァーンの冷たい声。

「誰に断って命令してんだ?今この国治めてんのは誰だよ」

 と、無造作に一人切り捨て、ラーナ大公妃を蹴り倒した。

 悲鳴、血しぶき。

「い、今その汚らわしい下郎の手が、もったいなくもパロの青い血を引く」

「俺だ。その、青い血とやらがどうした?見ろ、血は赤いじゃねえか。まあ、レムスの餓鬼やリンダっ娘だって赤いってわかってるけどな。まあナリスさまを、リンダという予言者を産んだのはあらあ。でもおまえら、この女を止めるあきめくらじゃねえか。リンダっ娘なら、この女見ただけで震え上がって、それでも一歩も退かず正しく話すよ」

 むしろ穏やかな、どうでもいいという口調。マルコなどは一番恐ろしい、と怯えている。冷たい目で、無造作にエメラルダスにあごをしゃくった。彼女は頷いて壁に手を当てると、石壁に入口が出現した。

「い、行かせぬ」

「うるせえ。てめえがナリスさまのおふくろじゃなかったら……」

 激しい憎しみに、顔を押さえ、剣を振りかぶって震える。

「この女の邪魔したら、中原なんてノスフェラスみてえな砂漠だぞ。おれの邪魔をするんじゃねえ。おれは、リンダっ娘に頼まれたからこの国を生かしてやってるんだろうが。俺の命令はリンダ女王様の命令だろ」

「そ、それも認めぬ!リンダなど、反逆の大罪人、わが腹を痛めたことをどれほど呪っても飽きたらぬ、パロ最大の悪魔アルド・ナリスの妻」

 それ以上言わせず、イシュトヴァーンはもう一度老女を蹴り倒した。

「誰だろうが、ナリスさまとリンダっ娘を悪く言う奴は、このイシュトヴァーンさまが許さねえ。しかし、噂じゃ聞いてたけど、そこまでてめえの子を……だったらどんななぶり殺しにしてやっても……」

 イシュトヴァーンが震える。その腕に、トロイがそっと手をかけた。

「産みの母が子を愛さないこともあるわ。母がなくても、育ての母が」そう言って、読み取ったイシュトヴァーンの心にひっ、と息を呑み、沈痛に胸を押さえる。「そう、家庭を……でも、そんな人だってたくさんいるし、今を選ぶことはできます。

 人格は変えられなくとも、ありのまま自らの望みを見つめ、まっすぐ生きれば道は開けます。自分の生まれを言い訳にしてはだめ、今このときの行動を選びなさい。縛られてはいけない。野望を、変えられない自分の過去、境遇や罪や孤独のためでなく、今いる人の未来のために求めなさい。今こうして、多くの人の生命を助け守っていることは、だれがなんと言おうと最高の王です」

 マルコがトロイの言葉にはっとする。

「うるせえ。人の心を読むのか?気持ち悪ぃ女だな」

 とイシュトヴァーンはトロイから身を離し、駆けてきた若者を振り向いた。

 カラヴィアの紋章をつけた、美少年と言うには修羅場をくぐった、傷ついた右腕を吊った男。

「アドリアン。ババアどもを俺とこの女の前から、パロから蹴り飛ばせ。アルゴスでいいだろ」

 動き出すアドリアンに、ラーナ大公妃が悲鳴を上げる。

「アドリアン子爵!カラヴィア公の息、パロ第一の柱石であるべきそなた、よし一時は女の色香に惑い反逆者の偽国に膝を屈しても、このパロ王室の長老たるラーナ大公妃に剣を向けるというのか、青き血も引かぬ、にっくきモンゴールの将軍でもあった下郎の命令に、誇り高き血筋のそなたがおめおめと従うのか!」

 アドリアンはしばし考え、イシュトヴァーンを振り向く。

「ゴーラ王イシュトヴァーン陛下。かつて神聖パロ国王アルド・ナリス陛下を攻め滅ぼし、リンダさまに涙を流させたこと、今も許せませぬ……そして再びクリスタルを馬蹄にかけんとしたことも。

 しかし……『惚れた女が、好きでもない奴と結婚して一生泣き暮らそうとしてんだ、全部ぶっ壊してさらってやらあ』、私も同じ思いです、行動はできないでしょうが。私も無力ながらリンダ陛下を、心からお慕いしているのです。

 そしてあのとんでもない化物がクリスタルを踏みにじり、リンダ陛下をさらうのに単身挑み掛かり、どこまでも追おうとした武勇はこの目で見ております。リンダ陛下がさらわれながら、『イシュトヴァーン!わたしはいい!少しでもわたしを、ナリスを愛しているのなら、パロの民を助けて!』と叫ばれたのもこの耳で聞いております。それから、ゴーラ兵を使い、パロ兵ばかりか本国と連絡がつかぬケイロニア騎士団までまとめ、希望を失った難民たちを不眠不休で束ね、何十万人も助けてくださった。ともに何百人も殺しながら勤めてよく……。

 私は、わが永遠の剣のあるじ、リンダ陛下のご命令に従い祖国パロの民を守るまで、たとえ歴史に反逆者と書かれても。大公妃さま、ご無礼いたします」

 と、爵位を示す徽章を破り捨てて兵に命じ、わめき叫ぶ女たちをひったてて出た。

「命だけは勘弁してやってくれ、あれでも俺の大事な人の血筋なんだ。どうせあんたにとっちゃ、虫みてぇなもんだろ?あとは勝手にやんな。俺ぁ忙しいんだ」

 とイシュトヴァーンが、肩を落として出ていこうとした。

 そこに、突然煙のように黒装束の男が出現した。

「なんだ」

「陛下、また奴らがクリスタルを狙って攻撃を」

 という声に、イシュトヴァーンが色めき立つ。

「くそっ、懲りねえ連中だ。ウマ引けっ、叩きつぶしてやる!」

「はっ」

 マルコが飛びだす。

「あれは私にも用があるようね」と、エメラルダスも立ち、馬車から機械ウマを外して飛び乗る。

 そのまま、イシュトヴァーンの親衛隊数人とケイロニアの騎士たちと共に、恐ろしい速さで夜の丘陵地帯を駆けた。

 そこにいたのは、とてつもなくおぞましい、巨大なクモだった。その身は20mはあるか。おぞましいのは、その顔はおそろしくひねこび崩れた、邪悪をまきちらす人の顔に他ならないことだ。

 全身に投げ槍を打ちこまれ、魔道の炎で身を焼かれながら、かまわず暴れている。その口から、「エイ……ラハ」という呪うような声が漏れていた。

 そしておぞましいことにゴキブリにしか見えない、それでいて子供ほどの矮人のようでもある虫が多数、兵や魔道士を襲っている。すばやい動きと力強い顎、その姿の不気味さに、かなりの兵が倒れていく。

「まとまれ!飛び道具だ!」

 イシュトヴァーンの叫びに、兵たちの顔に輝きが戻るが、クモが吐いた白い奔流に数名が呑まれ、そのまま焼けた鉛を浴びた氷のように消え失せた。

「ちくしょうっ、これだからパロは!右翼第二隊、いったん退け!」

 叫びながら素早く報告を聞き、状況を掌握する。

「そっちのケイロニア兵!てめえらそれでもグインの手下かよっ!グインが泣くぞ!」

 叫びを聞いた、崩れそうになっていた兵が腹の底から絶叫し、剣を掲げて敵に向き直った。

「ゴーラの精鋭部隊も、負けるなっ!」

 イシュトヴァーンの大声が戦場を叱咤し、かろうじて崩れ立つ兵をまとめ続ける。

 彼自らも最前線に立ち、クモの巨大な足に切りこんだ剣が折れた。

「ちいっ、なんてかってぇんだ!」

 叫んで替えの剣を求めたイシュトヴァーンの手に、エメラルダスが投げた剣が吸いこまれる。

「お、ありがとよ!」

 誰が投げたのかも確認せず、襲う虫の化け物を叩き斬った、その手ごたえにイシュトヴァーンが驚いた。

「なんだよこの剣!」

「折れたりしないだけよ。さしあげます」

「ありがとよっ!」

 勇気百倍、一騎当千であたるをさいわい斬りまくる。

 直後、その醜い人顔の目が見開かれると、『古代機械!星々の旅人!運命の子イシュトヴァーン、全てわがもの!』と、凄まじい音が響く。その音自体が強力な武器となり、将兵は頭を抱えてのたうつ。

「ふざけるな!俺は誰のもんでもねぇ!」

 イシュトヴァーンの叫び。

 エメラルダスが近くの兵から槍を奪い、その刃にキスして投げつける。

 それが突き立ったクモの、人の顔の叫ぶ口に、天空の一角から光の矢が突き刺さる。

 巨大なクモは悲鳴を上げて逃げた。

 さらに空から、奇妙な音と共に無数の、光の尾を引いた流星が落ち、空中で閃光になると放たれる光の矢が、虫の化け物を確実に貫き次々と炎上させる。

「遠隔操作の、レーザー子弾散布型弾道ミサイル?」

 トロイがトリコーダーを読む。

「さらに上空に、これは」

「それ以上解析しないで」

 エメラルダスがトリコーダーを止める。

 残った虫の化け物は統制を失い、あちこち飛びまわる。そうなれば訓練された弓兵の敵ではなく、あっというまに全滅する。

「ああ……助かったぜ。ちくしょうっ」

 イシュトヴァーンが振り向き、軍をまとめた。

「あれは人の、尋常の武器でどうにかなる代物ではないわ。津波や大嵐と同じ」エメラルダスの言葉に、

「そっか。誰かそう言ってくれりゃよかったんだよ。それならそれでやりようがある」とイシュトヴァーンがうめく。

「では私たちはこれで」と、エメラルダスは一同を誘う。

「おう。剣ありがとよ。ラドゥ・グレイによろしくな!」

 イシュトヴァーンは素早くウマに飛び乗る。

 エメラルダスは無視して、機械ウマを馬車から解き放つ。忠実なウマはそのまま駆け去った。

 

 開かぬ扉が開け放たれ、エメラルダスを先頭に暗い地下道に、びくびくしながら入る。

「トリコーダーは使用禁止。自動防衛装置が作動します」

 それだけ言って、そのまま奥に行き、グインが記憶の一部を取り戻し、また失って以来動かぬシャッターに手を当てる。

 出現したコンソールに、グインの血が染みるカードの一枚を置いた。

「ネオ・グランドカイサール総合人工知能No.0336-78950α型ノ選択シ記憶シタふぁいなる・ますたー、登録名《ランドックのグイン》ノDNA、さいん当時ノ脳波でーた確認。代理ますたートシテ承認シマス。登録ヲ」

「エメラルダス」と彼女はコンソールからのぞいたカメラに目を近づけ、スキャナーに手を触れる。

「えめらるだす、登録シマシタ。アナタノ脳波ぱたーんハ、総合人工知能でーたべーすニ」一瞬、古代機械に走る光が激しく点滅する。「コレ以上ノ情報ハ、検索ガ禁止サレテイマス」

「あ、あなた」

 トロイたちにとって、それら複雑な機械はむしろ見慣れたものだ。それらの言葉も、パロの魔道師たちよりはるかに理解できる。

「これも、宇宙戦争の名残?」

「その質問には答えない」とエメラルダスは言って、淡々とキーボードで処理を続ける。

「うぃるす・ぷろぐらむ・めっせーじ、jr112542e4時空、座標1122*11551-445132、えんたーぷらいずE、でーたノぽじとろにくすニ送信、完了。転移希望者ハかぷせるニ移動シテクダサイ」

「行きますよ」と、エメラルダスがまずトロイを見る。

「データ?データに、エンタープライズに何を?」

「害がないことは保証します」

「……これは、エンタープライズの、私たちの転送装置と同じものですか?転送装置は物体は送れるけれど、情報でしかないコンピューターウィルスを、まして並行時空に送るなんて」

「機能は似ているけれど原理はかなり違うわ。それ以上の質問は禁じます」

 その目に、怯えながらも転送慣れしているトロイがまずカプセルに入る。

 次々と、かすかな不安とともに転送されていく。

「私の転送命令の実行時点で代理による起動は終了。代理カードを処分し、十秒後に最低限の機能を残した偽装シャットダウンを実行しなさい。

 残す機能は、今後次に最終マスターグインの命令が入るまで、パロ領土から指定された精神波帯域を排除することに限定します。そのためのエネルギー・演算・観測・軌道兵器を兼ねる支援衛星をこの静止軌道に置きます。遠隔通信帯域……タウニュートリノ通信コード……」と細い指がさらにキーボードに踊る。

「了解シマシタ。通信てすと、確立。転送後、命令ヲ実行シマス。転移希望者ハかぷせるニ移動シテクダサイ」

 無機質な声と共に古代機械は作動してエメラルダスの姿も消える。それからコンソールに乗ったカードが蒸発し、コンソール自身も引っ込むと、またシャッターを下ろして深い眠りにつく。

 その頃、ナタリ湖から波紋一つなく打ち上げられ、南の赤道はるか上空に留まる新しい星は、誰の目にも留まらなかった。それは魔道による超知覚も含め、すべての目から隠れていたから。

 

 

 その時。

『その時』という言葉ほど、無意味な言葉はない。何の時だろう。

 グインの世界の、中原の、ヤヌス教団の記年法だろうか。そのヤヌス教団の中核、ジェニュアがもうないというのに。

 それともヤンダル・ゾック治めるキタイの、または魑魅魍魎集うヤガの暦か。

 または古代機械内部の精密な量子時計か。

 エンタープライズE艦内の時計か。ラアルゴンの元号か、それとも宇宙暦か。ハガネやヒリュウ改の従う暦か。

 それともテレザート星の時計か。

 この、時空が乱れ無数の世界が交わる混沌のタネローン近宙に、『その時』があろうか。

「右、カンフーマスターをフェイザー一斉射撃で援護!正面のビッグコアに光子魚雷」

「山本機損傷。パイロットのみ強制転送で収容し、すぐにヤマトに送り返します」

「ブルックリン・ラックフィールド、緊急修理を要請!一時転送します」

「正面の小型要塞、ダイゼンガーがシールドを破壊しました。アシュラン海兵隊一個中隊をこちらに転送し、敵艦内に再転送します」

 トロイのいないエンタープライズのブリッジで、全員が激しく戦い続ける。

「タイラー提督からの修理要請受領、つぎのめい」

 それだけ言ったデータが、突然動きを止めてコンソールに素早く何かを入力する。

「龍虎王およびブルックリン・ラックフィールド、該当座標に転送。次いで無人のまま、コスモレトリバーとワーウルフ各一機、仮称タネローン地表の該当座標に転送」

 転送室からの、いぶかるような復唱。

「承認する、実行せよ」

 データの静かな言葉。

「おい、どうしたデータ!転送作業中止!」

 異常を感じたピカードが叫ぶ。

「すみません、転送は終了しています」

 転送室からの報告。データが少し首をひねり、

「わかりません。私のポジトロニクス脳が、何らかのウィルスに侵入されて今の行動を行わせたようです。現在はそのウィルスの影響はありません。再チェック完了、当該ウィルスそのものに、そのバックドアを閉鎖するプログラムが添付されていました。今後同様の攻撃を受けるリスクは無視できます」

「それなら……この戦闘中に、何があったというのだ」

「最初の、これは意味を持たない座標じゃないか」

 ライカーが愕然とする。

「そこに、人を転送してしまったのか?」

 と、絶望的な表情のピカード。

「われわれの、今の物理学上は意味のないエラーです。ただしウェストフォールとブランドンが研究していた多元宇宙を解析する物理学においては意味のある、別時空の特定座標と解釈できます」ウェスリー・クラッシャーが意味がわからないような表情で言う。「それに、その、僕の能力も何か使われたような感じがあるんです」

「なら、とりあえずは……いや、それどころじゃない。右舷方向からカバードコア接近!ヤマトの射線内だがこのままではエンタープライズに当たる。姿勢制御の上フェイザー掃射!」

 ピカードが素早く切り替え、戦闘モードに入った。

 

 

 エメラルダスたちが気がついたのは、港町の一角だった。

「ここは」

「ナントの海、南ライジア島ジュラムウ港」エメラルダスが皆に言う。「無法の海賊島。警戒しなさい、決してはぐれないように。どれほど体力があり、都市一つ焼き払えるフェイザーがあっても、魔道で気配を消した影からの絞首紐、果物に仕込まれた眠り薬にはかなわない。気がついたらクムで売られているわよ」

 そう言って、赤いマントを翻した。

「暑いところね」

「太陽がほぼ真上、珊瑚礁の地質、熱帯ですもの」トロイが言って上衣を脱いだ。

「黒人ばかりだな」ブランドンが言って、何かの手ぶりをした。

「あなたたちは慣れていないの?」と、トロイがミルフィーユや雪に訊く。

「私の地球では、アフリカやアメリカは最初に、遊星爆弾で壊滅しました。ヤマト乗員は日本人が主です」雪が唇を噛む。

「トランスバール皇国も、不思議と人種の違いはないんですよ。エンタープライズでも、でもラフォージさんとかガイナンさんとかいい方が多いのもわかってますが」ミルフィーユがおどおどと見まわす。

「わたしがいたところでは、いろいろな人種の人がいましたから」とクスハは落ち着いている。

「さ、行きましょう。まず腹ごしらえからですね」

 エメラルダスが皆を促す。皆すっかり空腹なのを思いだした。

《波乗り亭》というかなり大きな店で、彼らは見事に目立っていた。人種が違う上に、いずれ劣らぬ美女揃い、ブランドンのようなたくましい美男も需要はいくらでもある。

 海賊どもにとっては、カモがネギ、それに白菜と大根と豆腐とシイタケまで背負っているようなものだ。いや、この地域の好みで言えば、人間の体重ぐらいある白身魚がクラムと呼ばれるトマトに似た実、貝とりどり、黒エビに海鳥の玉子、油っ気の強いヤシの実を背負っているように見える。

 だがエメラルダス以外はそういう視線に慣れていないのか、何も考えず上記の海鮮鍋にかぶりつき、芋を蒸して潰した団子をほおばっていた。

 突然、数人の背が高い、かなり様子のいい男たちが「相席していいかな?」と入りこんできた。

 テーブルは大きく、確かに二つほど余裕はあったが、まだまだ店には空席がある。

「この島のもんじゃねえよな?」

「べっぴんさんだねえ」

「ほら、こちら酒をもう一杯くれ!呑もうぜ」

 気がつくと、他のテーブルも動いて、十人以上が押し固められるように集まっている。

「何の用できたんだい?なにかお役に立てないかな?」

 にやにやした顔で、格別長身の男が訊いてくる。

「はい、何かエメラルダスさんが、捜し物がある、とかいってました」

 素直にミルフィーユが答えてしまう。

「捜し物?まるで一昔前の、コルドの財宝でみんなが沸き立ってたころみたいだな」

 男たちが大笑いしてカップを打ち合わせる。

「そのコルドの財宝よ。ちょうどいいわ、《黒い公爵》ラドゥ・グレイのところに案内してください」

 エメラルダスが言って、金貨をテーブルに置いた。

 じわっと、目の圧力が強まる。

「おいおい、どこのトーシロだい?コルドの財宝は、ラドゥ・グレイが一度手に入れ、そして《血の伯爵》の裏切りの末、島ごと海に消えちまった、って話を知らないのかい?」

 大笑いが店に、なんだか恐ろしい響きで響く。

 幾多の戦場をくぐり抜けている皆が、なんだか怯えている。例外と言えばトロイぐらいか。クスハやミルフィーユは、確かに負傷兵の血を拭うことはあるにせよ、基本的には巨大な機械の中でディスプレイの中の標的を撃つだけなのだから、生身の、血塗られた男たちが出すなんとも言えない気迫には慣れていない。

「ま、《黒い公爵》から直接訊くんだね。食い終わったら行こうぜ、ねえちゃんたち!」

 下卑た笑い声と、にじみ出る殺気。

 食欲を失ったミルフィーユたち、だがエメラルダスがびくびくと遠巻きにしている店員に、脂の乗りきった大ウナギの甘辛煮と、海亀を内臓ごと刻んだ実だくさんの激辛スープ、それに黄色くひどい匂いの果物にたっぷり蜂蜜をかけるよう追加注文し、(生き延びたければ食べれられる時に食べておきなさい)と目で命じた。

 食べ終わった彼らが連れ出される。それは端からどう見ても、連行にほかならなかった。

 エメラルダス一人は堂々と、それがいつものことのように。

 ブランドンも虚勢を張って巨体を強調しているが、周囲の黒人たちは彼以上に身体が大きい。

「さてと」

 リーダーらしい男が言った瞬間、エメラルダスの両手首を男がつかみ、次の瞬間切断された指に悲鳴を上げた。

「女の身体に、無闇に触らない事ね」

 そう言った彼女の腕には、カミソリのような刃が仕込まれていた。

「てめぶ」

 叫びは最期まで出ない。エメラルダスの短剣が、下からリーダーの心臓を貫いている。

 ブランドンが抜こうとした剣が、狭い路地に引っかかる。その隙に嫌と言うほど殴られるが、それで目が覚めたのか拳二つで激しく殴りかかり、乱闘になる。

「これが目にはいらぐぇ」

 と、雪に刃を突きつけようとした男の目に投げられた短剣が柄まで入り、男がくずおれる。

「くそ、こいつら、はやくお頭に」

 わらわらと集まってくる増援。

「ちょっとやばいかな」

 ブランドンが一人を殴り倒して、笑った。

 そのとき路地の外側で閃光手榴弾が弾け、そちらに向けて一瞬敵の目が向いた、その瞬間追いつめられていた路地の、石壁に戸が開き、黒い手が招いた。

 エメラルダスが素早く、全員を部屋に導き入れる。

 

 壁の奥の隠し部屋にいたのは、とても品のある初老の男だった。黒人種でもこれほど美しく気品あふれる人がいるとは、誰もがまずそう思った。

「ラドゥ・グレイですね。エメラルダスです」

 エメラルダスが言うと、二枚の紹介状、それにブランドンが背にしていた荷物から、一本の短い剣を差し出す。

 男は軽く頷き、受けとった手紙をさらりと読む。

 その恐ろしく落ち着いた、それでいて深い悲しみと諦念を帯びた目。まずカメロン宰相に似ている、と思い、それからトロイにはかつて遭ったカーク艦長を、雪にはなぜかスターシヤ女王を思い出させた。

「イシュトヴァーン。懐かしい名だ、あの忘れもしない秘宝探索と《赤い伯爵》の裏切り、すべてを失った彼を拾った……少年の夢が無惨に破れ繭から出ようともがく、羽が固まりきらない蝶。美しく儚い、夢が人の形をとったような、それでいてサメの無垢な残酷さも持っていた。伝え聞くその後のサーガも、彼ならばさもあらんと思うよ。習字を学ぶ時間もないほど、戦場を駆け回ってきたのか……その一刻一刻の苦闘が、血の海が、百夜語り明かすよりこの一筆からわかる。怨霊の大軍を引きずり、純白の毛皮を深紅に染めて駆ける狼の姿が目に浮かぶようだ。

 カメロンも、留学したヴァラキアで、肌の色しか見なかった人々と違い、魂をまっすぐに見てくれた友……」

 その、万年を経たウミガメのような目が哀しみに沈む。

「私の目にも、あなたはきわめて危険な存在だとわかる。すぐナントの島まで案内しよう。もし宝を回収できれば金銀はわたしが得るし、あなたが要求した小さなカードはあなたに渡す」

 海賊王の決断は早く、余計なことは一言もなかった。

 

 どっしりとした巨船が、堂々と海を航る。

 賓客としてのエメラルダスたちの待遇はとてもよかったが、エメラルダス以外は荒くれ男に囲まれ、不安のほうが大きかった。

 穏やかなレントの海。簡素だが滋養豊かな保存食、時に新鮮な魚、良質の酒。

 ラドゥ・グレイは答えにくい話は聞かず、むしろ彼らがこの惑星で見てきた、ケイロニア・ゴーラ・クム・パロの話、何よりイシュトヴァーンやカメロンについての話を巧みに聞き出した。そして自らの、特にヴァラキア留学での豊かな体験を静かに語り、客たちを楽しませた。

 今も肉を積極的に食べないミルフィーユに、グレイは二人きりになったとき、イシュトヴァーンが仲間の少年たちを、海賊たちに肉として食われた話さえして、それでも彼が立ち直ったことを暖かく語りかけた。

「若いというのはいい。世界の残酷さに直面し、それでも立ち直って、どこまでも突き進む力だ。どれほど私が、彼の若さに憧れたか。もう少し若ければ、彼の噂を聞いたときカメロンのようにすべてを捨ててはせ参じたものを、今もどれほど思っているか」

「カメロン宰相は、彼のそばにいられないことを悔いていたようです」

「それが彼にとって、ヤーンの選択だったのだね。だが、一度だけでもしがらみを振り切って愛する者の所に走ることができた彼を、私は羨むよ。それが自らの破滅を悟った、汚名と報われぬ哀しみの道だとしても。彼のために命を散らした、あのランという少年のことも」

 グレイとの酒はいつも静かだった。

 ブランドンは話をするより、むしろ大量の紙とペンを用意させ、不眠不休でなにやら書き続け、トリコーダーを強引に卓上計算機に改造して計算を続けていた。彼が見てきたエメラルダス号、そしてパロ地下の古代機械から見て学んだものすべてが、何か形になろうとしているようだ。その都度、常に三人一組で研究してきたウェストフォールとスティヴンスの名を呼ぶのを止められぬようだ。

 ナントとゴアの分岐は、ウミネコ島と呼ばれていた。島と言っても、ごく小さな岩礁に過ぎない。

 それを過ぎ、また静かな航海が続く。

「ランド・ホー!」

 大きな声がマストの見張りから響く。宝はない、と何度言われても海賊の性か、水夫たちは少しでも高いところに登り、島を食い入るように見ていた。

 限りなく不吉な、最近崩れた山がまだ深い傷跡を残す島。

 素早く艦隊が連絡を取りかわし、上陸の準備をする。

「私たちが先行します。あまり見られたくない、おそらくあなた方の想像を絶することもあります」

「私と数人の腹心が同行してもいいか?この島で、十分とんでもないものは見ている、秘密は守れるし、とんでもないことだとしたら言っても誰も信じないだろう」

 グレイが悲しげに笑った。

「そうですね。ならばどうぞ。三日後に、宝を受け取れる数の手もよこしてください」

 少人数の人々だけが、小舟で呪われた船に上陸する。それは海賊たちにとってはむしろ見慣れた、島流しの光景である。グレイも、自分だとわかるような服装ではなく単なる旅装である。

「もったいねえな、あんなべっぴんさんたちを」

「たっぷりかわいがってやってから売り飛ばせば百ランにはなるのに」

「おれたちもいっそ上陸して、あいつらを売り飛ばしてから宝を探してみようか」

「いや、それはお頭がゆるさねえよ」

 そういうのが海賊たちの、素直な感慨に他ならなかった。

 足を切り裂く珊瑚礁の浜を、頑丈で水はけのいいブーツでや革サンダルで支え合いながら歩き、とにかく水場を確保する。

 そして全員、顔から足元から頑丈に厚布で固め、深い熱帯雨林を手斧や長鉈で切り払いながら、何とか歩く。

「いいですか?」とトロイがエメラルダスに許可を求め、集束したフェイザーで人が行けるだけの道を焼き切ってからはだいぶ楽になった。無論その技術は、グレイたちにとっては驚天動地だったが、彼はなんとも思わないように見えた。

 その密林は、女子供に進めるようなものではなかった。不気味な虫や植物がたくさんいる。といってもトロイや雪はあらゆる異星生物に慣れているが。

 ミルフィーユたちも進めたのは、彼女たちがそれなりに戦場で、そしてこの惑星での冒険で色々と見てきたからに他ならない。

 緑に穿たれたトンネルを抜けると、そこには無惨に崩れた山だった。

 瞬く間にすべてを食い尽くす熱帯雨林の緑も、その崩落した瓦礫には手を出せないかのようだ。

「ここからだな。クラーケンの一種を、あの奇妙な矢が射落としたからには、ここに大きな脅威はないはずだが……」

 グレイが静かに警戒する。

「何か、非常に強いエネルギーがあります」トロイが、もうおおっぴらにトリコーダーで分析する。「あと、非常に強い怨念もあちこちから感じます。これほどひどいことはめったにありませんね」

「気をつけていなさい」

 エメラルダスが言って、崩れた岩の一つを見る。

「誰だ、あれは。あれは岩じゃない」

 グレイが息を呑んだ。

 その、青黒く大きな、まるでさっき森で見た毒々しい甲虫のような岩が、突然盛りあがる。

 岩の下には、二人。

 一人は、ナチスドイツ将校の服装をした男。もう一人はくわえたバラを見るまでもなくカミュ・O・ラフロイグ。

「お久しぶりね、クロスターハイム」エメラルダスが冷たく言う。

「ヒトラー総統の命令により、あなたがた全員を逮捕します」おだやかな、皮肉に歪んだ礼儀正しさに、限りない不快感を感じる。とっさに読もうとしてしまったトロイが激しく嘔吐し、雪がその背をさする。

「もうやーだ、なんでこんなところまでくるんですかぁっ!」ミルフィーユが半泣きで叫ぶ。

「こんな星の彼方で出会えるなんて、運命だよハニー。さあ、今こそ二人、美しい血の花園で永遠に過ごすんだ」

 その背後の岩が盛りあがり、みるみるうちに形をなす。巨大な、大きいハサミを持つロブスターの上体に、数知れぬ足を持つムカデの下半身。

 そして、何度も戦ったあの偽紋章機が海面を割って飛び上がる。

「な、なんだこれは」

 グレイがただ呆然と、その巨体を見守る。

「フェイザーを使用します」

 雪が杖を向け、それこそ島一つ蒸発させる閃光を叩きつけるが、両方が張る分厚いバリアに弾かれる。

 絶望が広がる。

「さて、そろそろね。ミルフィーユ、あなたの力を少し借りたわ」

 エメラルダスが言うと、山頂の、宝を深く呑みこんだ平たい瓦礫、そこに強烈な光が集まり巨大な竜と虎の姿、そしてパイロットスーツの青年が出現した!

「うああああああああああああっ!」

 海賊たちの、もうあげすぎで枯れた悲鳴。

「ブリット君!」クスハが叫んだ。

「え……ビックコアは、……」ブリットは叫ぶ少女を見つめ、信じられないように目をこする。「クスハああああああああっ!」

 絶叫して駆け寄り、強く彼女を抱きしめた。

「ブリット君……ブリット君!」

「クスハ、無事だったか、どんなに、なんで、どんなに……」

「ブルックリン・ラックフィールド。あなたたち、そして龍虎王に助けてもらうことがあります」

 エメラルダスが、何ごともなかったように言う。

「あ、あの転送器からエンタープライズに連絡したのは」

 トロイが呆れたように彼女を見る。ただうなずくだけ。

「そう、そうね。いくわよ……」

 クスハとブリットが手をつなぎ、竜と虎を見つめる。

 光の嵐が去り、そこには龍の頭部を持つ、巨大な人型の姿があった。

「百邪斬断、万精駆滅、急々如律令!」

 クスハの声と共に、無数の呪符が放たれてバリアを無効化し、高速機動する偽紋章機を追尾して破壊の閃光が舞う。

 ハサミで胴をちぎろうとする長い魔体、ハサミを腹の虎口が噛みちぎり、聖剣が振りおろされる。

「龍虎王、移山法!神州霊山!移山召喚!急々如律令!」

 舞いと共に天空が割れ、巨大な岩が落下して、ムカデを海底深く沈め埋める。

 激しい闘いの末、敵は二機とも逃げた。

「くそっ、逃げ足の速い……みんながいれば、逃がしはしないのに」ブリットが悔しげに見送る。

 すぐに、エメラルダスが虎龍王に再変型するよう命じた。

「そこの岩場を掘り起こして」

 二人は素直に従って、巨大な大刀……刃の広い薙刀で瓦礫を掘り、巨大な爪で体育館より大きな一枚岩を裏返して投げ捨てる。

 人々はその暴威から隠れ、丈夫な岩の影で震えていた。

「ありました」

 グレイが先頭に立って駆けつけると、そこには奇跡的に潰れていない、黒い箱があった。

 その中には無数の、黄金や宝石が、もう日が沈んで照らすイリスの光にもまばゆく輝いている。

 エメラルダスが、何の感慨もなくその宝に手を突っこみ、紋章が刻まれたカードを引き出した。

「それでいいのかい?しかしまた、この悪魔を見てしまうとはな」

 グレイが悲しげにつぶやく。

「これほど呪われた宝もない。ああして人の手に届かぬ深さに封じられて、ほっとしていたんだ」

 そして、もっと悲しそうに海を見る。そこでは、《黒い公爵》を追っていた何隻かの船と、彼らが乗ってきた船が闘いを始めていた。

「ハエをひきつける巨大で腐肉の匂いがする花だ。コルドの宝の話をすれば、すぐに裏切り者たちをあぶり出せる」

「最初から、それを狙っていたんですね」

 雪が呆然とグレイを見る。

「そう。定期的に掃除をしないと、私のやり方についていけない連中が集まって、変なことを企む。さあ、私は私で闘いの指揮を執らなくてはならない」

「私たちには、小型船を無人で置いていってください。宝は船まで運びますよ」

 エメラルダスが言い、超機神が軽々と大きな鉄箱を持ち上げた。

「カメロンの手紙に、こちらで一筆つければ沿海州やケイロニアでは通行証として通用するはずだ。タリアやロスでは反ゴーラ感情が強い、私が発行するこの手形を出しなさい」と、海賊王が懐から出した手紙に手早くペンを走らせた。

 裏切り者の船も、超機神の恐ろしい巨体がこちらに向かってくるのに戦意を失い、次々に白旗を揚げたり、何人かが船に飛びこんだりする。

 巨大な鉤爪のある手が、柔らかく重い鉄箱を船に置き、もう一方の手に乗せていた海賊たちも降りる。

 そして超機神は姿を失った。

 グレイが手を振り、早速剣を抜いて闘いの指揮を執る。

 島のもう一方の岸に、二頭のウマが水中から駆け上がった。

 本来ならウマに泳げるはずのない大海、だが……機械の体なら海底を駆けてここまで来るのも簡単なことだ。

 日が中天に上る頃、闘いは終わり、帆桁端に縛り首を鈴なりにした《黒い公爵》の船隊が、一隻だけ一本マストの小船を残して帆を上げ、去っていく。

「では行きましょうか」

 エメラルダスが全員を乗せ、機械ウマが変型して船外ウォータージェットおよび水中翼となる。エメラルダスが舵を握ると、帆船や人力で漕ぐ船ではあり得ぬ高速で、小型船は血に染まったレントの海を駆けていった。超機神は本来の姿で、水中深く潜って従う。

 

 そのまま、積まれていた真水や食糧が尽きるより早く船はヴァラキア、タリアと補給に寄っただけで、ロスの都からケス河を高速で遡った。

 沿海州諸国は、第二次黒竜戦役でモンゴールを食いちぎったこと以外、それ以来の動乱にも巻きこまれず平和だった。海続きのヤガやスリカクラムがミロク教徒の手で、不気味な異郷と変貌していることは伝わるが、それに動く気力などない。

 カメロンを失い、かのオリー・トレヴァーンも病みついたヴァラキアは、かすかな腐臭を漂わせながら海の変わらぬ日々に忙しく働いている。

 アグラーヤはパロの、人智を絶する魔道の内戦に狂った娘を引き取り、何かに怯えたように閉じこもっていた。

 野心に満ちたアンダヌスも、モンゴールの復興と凋落、ゴーラの勃興とうち続く動乱についていけず、静かに貿易の富を蓄積し牙を磨くのみ。

 タリア自治領は、盟友であるモンゴール滅亡の恨みに燃えるも沿海州諸国を反ゴーラで立ち上がらせるには至らなかった。遠く離れていても、カメロンの長い手は重みを失っていない。

 そしてケス川河口の港町ロス。モンゴール領、すなわちゴーラ領であるはずだが、ここまではその憎悪と暴風も届きはせず、ただ富を稼いでは、どこに行くかもわからずモンゴール政府とされるところに貢ぐのみである。

 海賊王の悪名と、同時に海賊たちを制御して強大な海軍国となり、交易で多くの富を産みつつあるラドゥ・グレイ、そしてカメロンの手形を呈示する小船に、うろんな顔を見せながらも強く出られる活力などない。金貨だけを見て言うままに真水と食糧を積み入れ、一夜の宿に新鮮な魚を料理するだけだ。彼女たちが美しい男女とりそろえクムの魔窟タイスと並び称されるチチアの快楽に目もくれないことも、ミロク教徒と誤解して見逃す。ほとんどの人に、ものを見る目などないのだ。まして、その船の水面下に従うとてつもない姿のことなど……

 ケス河には大口をはじめ多くのおぞましい魔物がおり、河の水すらも毒を含む、中原とノスフェラスを隔てる死の魔境に他ならない。だが、水中翼の高速は、魔物たちの牙も切り裂いて飛び去っていく。

 スタフォロスの廃墟を横目に眺め、かつてアムネリスが渡した浮き橋の跡を迂回する。

 イシュトヴァーンがモンゴールの反乱軍残党を虐殺し、記憶を失ったグインを捕らえた岸も、血の跡など残してはいなかった。

 源流が近づき、水深が浅くなって危険が増した。龍虎王はもう水から上がり、ノスフェラスの岸を歩いている。

「これから、どこに行くのですか?」

 エメラルダスの恐ろしさを散々聞かされたブリットが、びくびくしながら聞いた。彼女はそれに答えず、

「そろそろ船では限界ね、龍虎王で船を持ち上げて運びましょう」

 と命じるのみだった。

 それを目撃したセムやラゴンの間で、どんな伝説が語り伝えられることになったか……後にその話を聞いたグインは、さてはキタイの竜頭人身族かと誤解したものだ。

 ケス河は、ヴァーラス湖沼地帯から幾筋も流れる支流が複雑に絡まる。その一つはナタリ湖にも合流するほどだ。

 その道を通り、龍虎王は水中に身を隠してナタリ湖に向かう。

 

 到着した湖はあくまで静かに、漁や船遊びをする船たちが騒いでいるだけだった。超機神は水中深く命令を待つ。

 岸に船を着けたとき、そこには五千に及ぶ最精鋭が待ち構えていた。

「待っていた」

 略王冠に甲冑の豹頭王が、堂々と進み出る。その傍らにはランゴバルド候ハゾスが、これまた一軍を率いて天幕を巡らせている。

「〈世捨て人のルカ〉の警告があった。ナタリ湖に行って待つように、と」

 敵意はない。だが強大な王気だけがある。

「思っていたよりも、織り目を乱していたようですね。旅の話でしたら、ランゴバルド城で」

 エメラルダスの言葉に、グインはうなずく。

 鍛え上げられた精鋭部隊は礼を保ち、賓客を美城に鄭重に送った。

「先に言っておきます。念のため、ナタリ湖周辺から人を避難させ、船を引き揚げてください。そこから小型の星船を回収します」

 城の大きなテーブルで、エメラルダスが告げる。

 ハゾスが心を尽くした食卓の用意がなされていた。くるみソースの名物料理、焼き上げた牛肉をはじめ、ユラニアやモンゴールの過剰、パロの退廃、クムの刺激のどれにも偏らぬ、質実剛健で中庸を保つ料理は、旅人たちにとっても味わい深いものだった。

「このようなこととはいえ、陛下をこのランゴバルド城にお招きすることはとても幸せです」

 ハゾスの言葉はへつらいではなく、心からの楽しみに満ちていた。

「俺も好きだ。それで、最悪の場合には?」

「グラチウス、ヤンダル・ゾックやその眷属である怪物、そして〈混沌〉の軍勢が争うことになるかもしれません、大きい力ですから。ただし、この星の住民に被害を与えることはさせません」

 エメラルダスは食事でも完璧な儀礼を保ちつつ、穏やかに言った。

「信じよう。旅の話も聞きたい、カメロンは、パロはどうであった?」

「カメロンは息災で、ゴーラはよく治まっています。ユラ山系焼け跡の開拓により国力は増すでしょう。クムは豊作で、ミロク教徒が増えているのを見ました。

 パロは中枢を失い混乱していますがイシュトヴァーンが掌握し、クリスタル周辺は最低限の秩序を取り戻しつつあります。怪物の襲撃もありましたが撃退し、私が古代機械に、今後パロが襲撃されないよう守りつつ停止を偽装するよう代理権限で命令しました」グインの、豹の口の端がかすかに上がる。ハゾスには、それが笑いだとわかる。「ケイロニア兵たちも公正に扱われています」

「それはよかった。心配していたのだ」

「ヤガ周辺で出ると言われる巨大な怪物、恐ろしい話です。ワルスタット方面でも、パロ難民はかなりいます」ハゾスが言い添える。

「南海では、ラドゥ・グレイがまた反抗分子を粛清し、安定を強めています。八隻を五日で動かせる海軍・海上交易国家として機能していますよ。沿海州に大きな変化はありませんが、ライゴールは軍船を増やしています。イフリキヤではミロク教徒の迫害がありました」

 エメラルダスが簡潔に言い終える。

 そして、共にいる人々にもグインやハゾスが色々と質問し、それぞれ見た限り答えていく。食べたもの、天候、天幕の白さ、兵士の装備や訓練具合……すべて為政者にとって、特に情報を重んじるグインにとってはこの上なく貴重だ。

 軍人や科学者で、観察・報告・記録の習慣がついているため、情報もわかりやすい。感情を読み取れるトロイ、看護師の訓練を受けたクスハ、ヤマト生活班長で生命維持・公衆衛生・食糧生産のエキスパートである雪の言葉はそれぞれ万金の価値があった。

 遠い南方の情報も得がたいものだ。

「ゴーラでは、アルセイスも辺境の村も、この水準の文明にしては異常なほど清潔で、栄養状態のいい小さい子供がたくさんいます。健康水準が非常に高いんです」クスハが地図を指差しながら報告する。

「二十年後、三十万の精鋭になるということだな」グインが頷く。

「それを支える働き手にも」雪が真剣な表情になる。

「ゴーラの清潔令は、イシュトヴァーン王の気まぐれな狂気だと思っていましたが」ハゾスが首をひねる。

「清潔は伝染病を減らし、人口を大きく変えるのだ」グインが嘆息する。「だが、同時に食糧がなければ」

「ここで多く食べられるガティ麦が育たない乾燥地でも、ナリス輪作と呼ばれる新しい作物の栽培が見られました」雪が告げ、トリコーダーで調べていた作物のリストを出す。ビタミンだの必須アミノ酸だの空中窒素固定だの光合成の種類だの、ハゾスには意味不明だがグインには理解できたようだ。

 グインが唸り、「アルド・ナリスの名の、新しい作物による輪作。報告にあったな」眉をひそめ、かたわらの書類を繰る。

「聞いています。密約の噂がある、今は亡き神聖パロアルド・ナリス聖王からイシュトヴァーン王に多くの書簡があり、そのなかには密偵がきいた噂では、農業や伝染病対策についてもあったとか。ナリス聖王が様々な研究をしていたことは知られていますが……野蛮なイシュトヴァーン王が」ハゾスが首を振る。

「いや、彼は勘がよく、教育こそないが矯められぬ高い知性がある。またパロ内乱で、多くの知識人がゴーラにも流入している」

「それも、うまくいくことを繰り返し、うまくいかなければ捨てる、というやりかたのようです」トロイがさりげなく、それでいて強く忠告する。ワープ以前文明に対する干渉になりかねない、艦隊の誓いギリギリの言葉だ。

 グインは恐ろしく深刻に目を輝かせる。

「すばらしい情報に心より感謝いたします。ナタリ湖周辺からの避難、船の引き揚げには四日いただけますか?もちろん、その間わがランゴバルド城に滞在していただければ幸いです」

 ハゾスがそう締めくくった。

 

 その朝。十分に腹ごしらえをし、準備を整えて、船を湖の中央、どこまで深いかわからない島のない水面に寄せた。

 ケイロニア領、ランゴバルド領の、本来なら財産であるものを持っていくのだからせめて見ておきたい、とグインがたって希望した。

「では陛下お一人で。ここから先は、ダーク・パワーの領域です」

 エメラルダスの言葉にグインはうなずく。

「彼女は信頼できる。あの黒死病のときも、俺は一人で戦いに出て、帰ってきたではないか。案ずるな、ハゾス。そしてこれは剣にかけた命令でもある」

 ハゾスは半ば涙ぐみ、

「ご命令とあらば、それが剣を捧げるというもの。ああ、陛下の鎧がうらやましい!どうか、どうかご無事で」

「全員、ありえる最大の波が届かぬ高みに待機せよ。軽い材木を体に縛りつけておくのだ」

 グインが命令し、エメラルダスとともに小船に乗る。

 小船が湖の中央に漕ぎ出し、エメラルダスが水面に手をさし伸べる。かすかな光と共に、船がかききえた。

 湖岸の精鋭部隊は驚きつつ、訓練通りに規律を保っている。パロ遠征で、この世ならぬ事を散々見てきたことも功を奏している。

 

 水面下に、すーっと下がっていく船。沈むのとはまったく違う、揺れ一つない。

「閘門を用いた運河で、水の力でゆっくり下がるようだな」

 彼らにはエレベーターの概念はない。その気になれば塔に沿って、井戸のつるべ同様に籠を紐で吊り降ろすことは可能だろうが、そんなことを考える発想自体がない。

 船が完全に水面下に没しても、甲板上のある程度は不可視の壁で水から守られている。

 澄んだ水、まもなくは泳ぎ回る魚が見えるのが珍しいが、すぐに光も届かない深みとなる。

 そして、深い深い湖底の泥に柔らかく着水し、そこには巨大な、この星の人には何なのか計り知れぬものが座し、主人の帰還に光を点した。

「巨大だな」

 グインにはそれしか言えない。全体像がとても見えないのだ。

「あれは?」

 そこにはエメラルダス号が放つ光に浮かぶ、超機神の巨体。

「何かの、彫像だろうか?」

「二人とも」

 エメラルダスに言われ、クスハとブリットの姿がかき消える。そして超機神は搭乗者の念動力に反応し、目の光を取り戻した。

「どこかで見たような気がするが……」

 グインが目を奇妙に光らせる。

「あれとはまったく違うわ」

 エメラルダスが言う。巨体の下の帆船部分……それすら、ケイロニア最大の船よりはるかに大きい……の一部が開き、船を受けられる内部ドックが出現した。

 エメラルダス号の牽引を受け、船はドックの底に身を委ね、扉が閉まると共に水が排出され、甲板と同じ高さに向けて渡り廊下が壁から出てくる。

「乗船を歓迎するわ、グイン陛下」

「歓迎に感謝する」

 型どおりの挨拶を交わし、グインは堂々と小船を下りた。

「この船は生きているようだな。そなたが帰ってきたのを喜んでいる」

 グインがエメラルダスに言った。

 そして、船と龍虎王は静かに動き出した。

 全員余裕で入る大きな部屋で、エメラルダスが舵を取る。

 湖底の一角に、深い水底がさらに井戸のように、底なしに落ちこむ竪穴があり、そこに降りていく。

 見える魚たちもいつしか、暗黒の大深度に適応した、深海魚のように不気味なものとなる。

「何度も眺めてきた湖の底が、こんなになっていたとはな。人はおのれの住む世界の、ごくわずかしか知ってはいないのだな」

 グインが静かにつぶやき、ロボットが渡した美酒のあまりのうまさに驚いた。

 静かに降下を続ける巨船と超機神。そして、突然強力なライトに、周囲が壁ではなくライトすら吸い込まれて消える水の大広間となった。

「湖底に、さらに巨大な湖? いや、ここは人工的な聖堂のようだ。深度2100……ソナーで見れば、この地底湖からは地下の道がタイスまで……俺はなぜ、読める」グインが驚きながら、壁面一杯の計器を見まわす。

「さあ、着いたようです」

 その中央には、一機の大型戦闘機が眠っていた。全長50mはある、翼を広げた白鳥のような精悍な姿。

「紋章機ですね」

 背に眩く刻まれた紋章に、ミルフィーユが目を見開く。

「これを」

 と、エメラルダスが三枚のカードを、室の隅で手にした小さな箱に入れ、ボタンを押した。

 箱は壁に吸い込まれるように消える。

「龍虎王、この箱をその祭壇に」

 超機神が、巨船の一角から放たれる光に浮かぶ箱をそっとつかみ、恐ろしく精緻でどれほど古いかわからない小さな正四面体の頂上の、わずかな切り欠きに置いた。

 静かな鳴動が、膨大な水を通して伝わってくる。聖堂全体が、どれほど強い光なのか、昼間のように明るくなる。

 紋章機の、あちこちに小さな光が点滅する。何億年もの眠りから覚めてよみがえったそれは、ハーベスターのような大型の円形シールドと指向性の高いレーダーと大型のアームが二つある。しかし自衛用の武器すら見られない。

「む!」グインの、トパーズ色の目が警戒を浮かべる。「うなじの毛が」

「集まってしまったようね」

 エメラルダスが、静かに笑う。それを見たグインは、背筋が寒くなった。

 パネルの一つに、白い生き物をまとわせた、はてしなく老いた老人の姿が映る。

「ヒョッホッホッホ、グイン陛下もおそろいとは」

「グラチウス」

 グインが忌々しげに言い放つ。

 さらに、水底を覆うように、奇妙な魚たちが突然暴れ、姿を変えていく。

「〈混沌〉の軍勢!」

 グインが小さく叫び、なぜおのれがそんな言葉を知っているのかといぶかしむ。

 みるみるうちに、魚たちが巨大な、なんともいいようがない魔物に変じていく。

 その中心には、隙間のない鍋のようなかぶとをかぶった男と、一分の隙もないナチスドイツ将校の姿があった。

「ばかな、なぜこの水中で溺れもせず」

 グインが目を見開く。

「それ以前に、この水圧じゃ潰れるはずよ。人間じゃない」

 雪が震える。

 さらに別の方面から、黒いタールのようなものが澄んだ水の中に漂い、それが寄り集まると、人の形を取る。

 とてつもなく巨大な……全裸の、女だった。夜よりも黒い肌、豊かすぎる乳房が天を突く。

 それこそ、人間の二十倍近くある龍虎王よりもまだ大きいほどだ。

「このタミヤ……じゃない、ジャミーラさまが受けとりに来たよ、星々の力を持つ旅人たちをね」

「間違っておるよ。そなた、タミヤはもう、ヤンダル・ゾックの一部なのだ……ここに来たのは、やつじゃよ」

「イエライシャ!」パネルに浮かぶ、もう一人の老人を認めたグインが小さく叫ぶ。

 エメラルダスがうなずくと、その姿は一瞬で船の広間に出現した。

「あなたさままでいらしていたとは。それならば、この老人などの力は必要ないでしょうな」

 イエライシャがエメラルダスに、王族に対する礼をする。

 浮かび上がる、三次元表示盤に、エメラルダス号と龍虎王が浮かぶ。新しく目覚めた紋章機も。

 グラチウス。ジャミーラ、いやヤンダル・ゾック。ゲイナーとクロスターハイム率いる〈混沌〉の軍勢。

「また、あのときのようになるのか」

 グインはかつての、《七人の魔道師》事件を思い出す。グインと星々の力をめぐって、今目の前でジャミーラと名乗るタミヤも含め、何人もの邪悪な魔道師が自ら治めるサイロンで暴れ、争った末に東大国キタイ魔道王ヤンダル・ゾックに吸収されたという。

 サイロンでは黒死病、そしてその後の騒ぎでも、百万が死んだ。

「子供が菓子をめぐって取っ組み合う、その地面のアリも同然なのか……うぬ」

 グインが怒りに燃える。

「この膨大な水が、ケイロニアを守っています。

 全員に一度だけ警告します、去りなさい。この惑星に太古から眠る紋章機は、最終的には〈調整者〉ランドック廃帝グインの所有です。ただし、グイン王は無制限の貸与を私たちに認めています、紋章機が起動しているのがその証拠です。わたしに、この惑星の歴史に介入する意図はありません」

 グインは、自らがその言葉を理解できていることに、激しい頭痛を抱えながら必死で立とうとしていた。

「だから持っていく、と?もったいないことをいわんでくれ!調べさせてくれ、それにどれだけの知恵と超技術が詰まっているのか、知りたいんじゃ!」

 グラチウスの、必死に見える表情にブランドンはふと同情した。

「わかるよ、じいさん。おれも、このエメラルダス号のとんでもない技術、その背景にあるはずの超物理を知りたくて仕方ないんだ、物理学の研究に生涯を捧げてきたんだから。無数の仮説を立てて紙をまっ黒にしても、今は批判してくれるウェストフォールも、数学的な裏付けをくれるスティヴンスもいやしないし、実験道具を組み立ててくれるドル・ケノーたちもいないんだ。

 エメラルダスは、この船を調べることをちっとも許してくれない!」

「そうじゃ。わしもただ、知識欲しかないんじゃよ。調べさせて、わしのものにさせてくれ」

 グラチウスが哀願する。

「まるで、小さい子供が珍しい玩具を求めるようですね」

 トロイがつぶやく。

「俺もまた、その知りたい、の玩具に過ぎんのだろう。幼子が虫の脚をもぐのはいとおしい人の営み、だがそれはならぬと教え、正しく学び戦うよう導くのが大人の務め。この俺を手に入れるためいくつの国を滅ぼし、俺の別れてもなお愛する妻や大切な友に、どれほどの苦難を味あわせたと思っているのだ!」

 グインの獅子吼。

「人を人のものにすべきじゃないけど、だったらなんで、素直に、ただ知りたいから協力してくれ、って頼まなかったんだ?」

 ブランドンが興味深そうに聞いた。

「この豹にそんなこと……思いつかなかったな、そういえば」

 グラチウスが呆然と呟いた。

「な、まるっきりのばかだよ、このじいさんは!」

 巻きついているユリウスがわめき、電撃で縮こまる。

「それはな、グラチウス。そなたがドールの奴隷だからだ。わしもかつてはドール教団の主であったからわかっている、正しい道の方が近道でも、それを歩くことが許されない。《魔道十二条》よりも厳しく、ドールの掟に縛られてしまうのだよ」

《ドールに追われる男》回心者イエライシャが、奇妙な同情をこめてかつての愛弟子、そして五百年自らを縛った怨敵を見つめた。

「しゃべってないでこっちにきな!そっちにもなかなかいい男がいるねえ、うまそうだ」

 ジャミーラがゲイナーたちに目をつけ、人の大きさ……それも相当長身だが……となって、じわじわと歩み寄る。

 ゲイナーは、何の表情もなくその抱擁を受け入れ……ジャミーラが絶叫を上げる。

「おう、なんて男なんだい!気持ちいいだろう、この世のものとは思えない快楽を……おお、気持ちいいねえ、こんな、ものすごく熱くって冷たくって……どれほどの……ギャアアアアアアアアアアアア!」

 膨大な水がゆらめく。

「ばっかだねえ。満足したかったらおいらがたっぷりと、でもたしかにあのお兄さんは美味しそうだねえ。あのでっかい船にも美味しそうな美男美女が一杯いるし、でもグインは、食いきれないこともあったけど、でもうまかったなあ」

 ユリウスが言いつのるのを、またグラチウスがお仕置きする。

 唐突に闘いが始まる。

 弾かれたタミヤが、紋章機に黒水のようになった手を伸ばし、それをグラチウスの放った奇妙な波が防ぐ。黒水がそのまま、下半身が大蛇の犬のような姿になってグラチウスに絡みつこうとするが、それも一瞬で消滅する。

 おぞましい、不定形の軍勢が龍虎王に襲いかかり、符と化した鱗弾の嵐に弾け散る。

 クロスターハイムの姿が消え、突然エメラルダス号の艦内に出現し、グインにワルサーP38を向ける。その銃身をエメラルダスが戦士の銃で撃ち、銃弾をそらせた。

「どれほどの力をその銃に集めたというの?私やグイン王も殺せるかもしれないわね。でも私は、そんな安らぎは求めない!」

 イエライシャが何か呪文を唱え、光の矢がクロスターハイムを襲うが、その姿は消えてエメラルダスの背後に飛びだす。

 グインの右腕からスナフキンの剣が輝き出し、クロスターハイムの銃身がそれを受け止める。

 タミヤを襲ったゲイナーが、容赦なくその身を切り刻む。

「こんな……素敵なことってないよ!最高の快感さ!」

 叫びとともに、その切り裂かれた腹から、言葉にならない不気味な黒水が噴き出し、ゲイナーを呑みこむ。

「われの……ものと、なれ」闇の底からのおぞましい声に、歓喜の響きが応える。

 その中で巻き起こる、凄まじい魔道の争いに、エメラルダス号のバリヤーで守られたイエライシャさえも膝をつく。

「ゲイナーを、取りこむ?」エメラルダスの冷たい顔に、かすかな驚きが浮かぶ。「星間戦争で漂着し、異形進化した超生物ごときが。小魚が牛を呑むより無理よ」

 その奥から、形容のしようもない渦が沸き立つ。そして黒水の臓腑を切り破ったゲイナーが、〈混沌〉の軍勢から出現した、50mほどはあるサメにまたがる、いや額に下半身を吸い込ませた。

 そして、クイーン・エメラルダス号がついに動く!その膨大な、強力な火砲が次々と、軍勢を消し去っていく。

 龍虎王が、悲鳴を上げるタミヤを襲い、食いちぎる。

「異界のものかい?だが、古きものたちの力を持つ、このタミヤ様にかなうもんかい!」

 叫ぶ巨大な姿を、巨大な刃が切り刻む。

「古き神々よ!我が主ラン=テゴス!夢見る水王ク・ス=ルー、ダゴン、オーン、イオド、ナイアーラトテップ、イア・イア・ハスター、クームヤーガ、シュブ・ニグラス、白痴にして全能なる……アザ……トース!」

 タミヤの口から禁断の呪文がこぼれ、莫大な湖水がことごとく揺れ動き、そのすべてが一つに固まっても足りぬ何かが訪れると思えた。主人の足音を聞く寝台のシラミのように、伝説にあるクジラ島の住民のように、人などほんのひとときこの惑星で我が物顔をするのを許されているだけの虫けら、と痛感させられる響きだ。

「旧支配者!あなたたちの存在は、〈調整者〉ランドック廃帝グインとラーメタルのエメラルダスの名において禁じられる!禁を破ればこの星に対する、〈調整者〉のSA21保護条例が発動します。

 そうなれば《無垢なる刃》デモンベインがグインの手に委ねられ、そしてコルム・ジャレイン・イルゼイが解き放ったクゥイルとリンの兄弟神をタネローンの檻から放つことになる!ストームブリンガーとその千万の眷属に刻まれたいの?そしてこの私の前に立ちたいというの?恐怖を知りなさい」

 エメラルダスの叫びに、揺らごうとしていた膨大な水が瞬時に静まった。

「滅びなさい!」

 巨体が躍る。八卦の紋を刻まれた巨大な板が八枚、タミヤを囲むように出現した。

 クスハの命令と共に放たれた炎の嵐が、その中で荒れ狂う。

「滅びはしない、本体のヤンダル・ゾックがあるかぎり」

 イエライシャが忌々しげに言う。

 板が消え失せた、そこにあったのは、より深い闇だった。闇の中の闇。

「ヤ、ンダ……ル・ゾ…ック。すべて、すべてわがもの、わが一部となれ。われがこの惑星を飲みつくし、元の世界に帰るために」

 それが打ちだした何らかの波動に、エメラルダス号さえ悲鳴を上げる。クスハとブリットの念動力が、トロイのテレパシーが底知れぬ何かを感じ、苦痛に絶叫する。

 いつしか、膨大な闇が、一度は遺跡の光に輝いた水界を覆いつくしていた。

 いや、ここは水底などではなく、無限の、だが星一つない宇宙であるようだった。

『エネルギーが低下します。強力な、エネルギーを吸収する暗黒精神生命体の攻撃です』

 エメラルダス号の、感情のない機械声。

「思ったより粘るわね。貪欲すぎて、破裂しなければいいけれど」

 エメラルダスが冷たく言う。

 巨大なサメが龍虎王の肩を食いちぎり、超機神の悲鳴が水を揺らす。

 グラチウスを取りこもうとする闇が、激しい抵抗を受けて内部から耳障りな音を鳴らす。

 怒りに燃えて見つめるグイン、守りの呪文を唱え続けるイエライシャ。

 そして、静かに船を操るエメラルダス。

 現世の武器だけではなく、グラチウスとイエライシャ、ヤンダル・ゾックとゲイナーやクロスターハイムも膨大な魔力を放出して互いを操ろうと、また力だけで敵を打ちひしぎ封じようとする。

 そのわずかな余波だけで、水中で凄まじい炎と高圧の渦を巻き起こし、このナタリ湖の地下構造が崩壊しそうなほど激しい力が荒れ狂っている。その水圧で、遠いタイスで洪水が起きたほどだ。

 本来魔道的な存在である龍虎王もその力を発揮し、死力を尽くして対抗している。

 エメラルダス号も、現世の武器だけではなく魔道の力にも対抗できる存在だ。

「俺の力を求めぬのか?」

 グインが、エメラルダスに語る。

「私はいつだって、ただ一人星々を旅する者。他人の力は借りない!」

 美しい額に、一筋の髪が汗で張り付いている。

 いつしか、エメラルダス号の目前に、巨大なモノリスが浮かび上がっていた!

「うう、これは、ついにご本尊の登場か。これ以上は危ないな、残念じゃが」

 グラチウスが消える。

「自他の力量を見極め、かなわぬと見れば逃げよ、と青二才だった頃から教えたことは忘れておらんようだな。だから今まで生きているのだろうし、また大悟にたどりつけてもいない」

 イエライシャがグラチウスの消えた方を見てほおえんだ。

「ヤンダル・ゾックの本体ね。龍虎王、全力攻撃の後、艦内に退避しなさい」

 エメラルダスの命令で、龍虎王が巨大な剣を召喚し、叩きつけつつ後退。膨大な光槍の援護を受けて巨体が艦内ドックに収められる。

「大丈夫ですか、クスハさん、ブリットさん」

 雪が駆け寄る。二人とも、肉体も傷つき精神を消耗し、支えあって倒れこんだ。

「診せよ!」

 イエライシャが二人の体に手をかざして、いくつか鋭い針のようなものを抜く。

「あれ以上戦っていたら、間違いなく操縦者の、心の中から食い荒らされていた」

 黒い触手、その裏に竜頭人身の魔神の姿が見える。それが、長い手をゲイナーとクロスターハイムに、そして紋章機に向けた。

 さらに、その口が開くと、そこには……雪などは見ただけで精神が崩壊しかけるような、何かがあった。

 黒いゆりかごに抱えられた、ぶよぶよの巨大な赤子。手足もない、顔と見えるところには、一本の溝があるのみ。

 トロイが頭を抱え、絶叫する。トロイの口から、おぞましい黒泡がこぼれ、形を成しそうになるのをイエライシャが踏みつぶし、さらにねじくれた蛇を抜き出して握りつぶした。

 溝が、徐々に開く。

 エメラルダスの唇から、噛みしめた血がかすかに滴る。

 その、差し上げた手から、はっきりと伝わる……彼女が何トンもの、さらに増えていくとてつもない重量を片手で支えていることが。全身の気を、振り絞り張りつめている。

 瞬間出現したタミヤが、その体を破裂させて黒い無数の刃となってぶよぶよ体を襲い、人が読み方を知らぬ三次元かそれ以上の多層文字で、無数の言葉を刻み描く。

「ああ……」トロイが恐怖に頭を激しく抱えた。「この惑星のどこかで、おぞましい儀式が行われています。何万人が生贄にされているのでしょう」

「古きものどもの召喚を封じられ、このようなとんでもない経路を用いようとしたか。ヤンダルめ」

 イエライシャが憎々しげに見つめ、より激しく呪文を唱える。

 ゲイナーが、凄まじい念の大波を放ち、響かせる。水から数限りない魔物が呼び出され、おぞましい形を取って紋章機を、エメラルダス号を押しひしごうとする。

 赤子の顔に当たるところの溝が開かれていき、その瞳には……無数の触腕を震わせる蛸の頭部を持つぬめぬめしたもの、無数に絡み合うヘビ、炎の中の……数々のおぞましいものの力がわずかに出現し、すぐさま一つ一つが脳を握りつぶすような絶叫を上げて赤子に吸収されていく。

「手段を選ばないつもり?旧支配者の力を、この星にばらまかれた無限に食らう精神生命体の種に注ぐなど。それを可能にさせるのも、この紋章機を保つ聖堂の力だけど」

 エメラルダスの表情に、恐怖がよぎる。

 そしてその赤子と、竜頭人身の魔神が、ウロボロスのように互いの尾と口を食らい合い、その悪夢の環にゲイナーやクロスターハイムも、紋章機すら取りこまれるように見える。

 巨大な蛇が、エメラルダス号の巨体さえ呑みこんでいく。

 エメラルダス自身が激しくえずき、口からぶよぶよとしたものを吐きだしかける。すぐさま腹を自ら短剣で切り裂くと黒い尻尾をつかんで引き抜く、ありえない大きさが抜け出る。エメラルダス自身の体より大きな、下半身を蛇に食われたあの赤子がひとつ目を開け、ゲイナーの化身である形なき何かを弄んでいた。

 それを見ただけでトロイが発狂したように苦しみ、フェイザーをエメラルダスに向けようとして、雪が麻痺モードで止める。

 グインが「アモン!」と凄まじい怒りをこめた声で咆哮し、スナフキンの剣を叩きつけた。

 戦士の銃とイエライシャの呪文が赤子を焼き尽くすと、おぞましい匂いの黒煙が拡がり、全員が激しく咳き込む。エメラルダス号の空調がそれを吹き払い、人心地着く。

 放たれる、エメラルダス号の星を砕くほどの光線砲すら、その輪の中に引きこまれ、消え失せていく。二重になったナタリ湖の、莫大な水すら飲み干されていく。この、どこの宇宙ともしれぬ無限の空間の、すべてが。

 どこかから、単調で狂った旋律が重低音で響き渡り、体をねじ上げられるような圧力が掛かる。

 巨大なモノリスの表面に、巨大なハーケンクロイツ……とぐろを巻き、おのれを食らって再生する狂蛇、黒い太陽のシンボルが浮かぶ。巨大な剣と、その剣を柱とした天秤の姿が浮き上がり、その天秤に龍が巻きつくイメージが全員の脳髄を打ちひしぐ。

「クロスターハイム、ヤンダルと組む、いや互いを食い合ったのか」

 イエライシャが呆然と震える。

「〈天秤〉が喰われる!」

 グインが叫び、自らの言葉の意味を訝しんだ。

 巨大な天秤の、一つの皿に紋章機が置かれ、もう一方に、巨大な、無数の団子のように絡み合う蛇が見える。

 梁が恐ろしい重みに軋み、皿を支える鎖が弾け切れていく。

「ああああああっ!」

 クスハとブリットが意識を吹き返し、絶叫しながらのたうち回る。

 イエライシャの目・耳・鼻から血が噴き出し、自らの体内に手を突っこんで、体内から食い荒らしていく黒蛇を抜き取って消滅させる。

 エメラルダスの体も、下半身が巨大な蛇頭に呑まれていくのが、トロイの目に見えた。

「もうだめか」

 イエライシャがつぶやく。

 巨大な黒い触手に絡めとろうとされ、それをゲイナーが激しく切り払っている、紋章機の美しい姿をグインが見つめる。

「あれは、本来は俺のものだったそうだな」

 エメラルダスがうなずいた。

「なら、俺も戦うぞ!この俺が守るケイロニアを、奴らの蹂躙にまかせておけはせぬ!」

「あなたを止めることは誰にもできない」と、エメラルダスがイエライシャに頷きかけ、彼もうなずき返した。

「では、そこまで送ることはできよう。覚悟はよいな?」

「無論」

 グインが頷くとともに、一瞬だけ対ESP多層バリヤに一点のハッチが出現し、豹の姿をした巨大な光塊が紋章機に飛んだ。

「太陽」

 クスハがおののいた。

 巨大な光が、水も吸いつくされた無限の虚空に浮かぶ。

 天秤を食い尽くそうとする赤子が、黒い虚無の石版が、無数の貌を持つ〈戦士〉の闇面が、苦痛に絶叫した。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

 おぞましい声だけが響く。

 紋章機が凄まじい光の塊となり、その光の向こうに無限の星々が、咆吼する豹が見える。

「天地が、宇宙そのものが」

 イエライシャが踊り狂う。

 ゲイナーが巨大な、自らの体の百倍はある灰色の剣を振りかぶり、紋章機に打ち下ろす!

 悲鳴、だが紋章機が伸ばした巨大な、人のそれに似た腕が手にする閃光の剣が受け止め、黒い触手を通じて光の液が虚無の石版に流れ入る。

「スナフキンの剣」

 エメラルダスが、砂漠を歩いた後よりもしわがれた声でつぶやく。その顔に蛇の鱗が浮き上がっては、消える。顔の傷が裂け、血が大量に流れる。

 ほんの一瞬、それとも永遠……二本の大剣が互いを、剣の達人が牽制し合うようににらみ合い、時空がひしぐ。

 紋章機から、白い翼が拡がり、その羽が舞い散って闇を切り払う。

 この奇妙な世界、その至る所にある渦巻く蛇……数多くの点に、光が灯る。

「ここは、巨大な人身の中だったのか?そして、あの小さな星船は、その霊的急所……チャクラ、クンダリーニすべてに、狙いを」

 イエライシャが呆然と呟いた。

「でも、あの紋章機には……マルチロックオンはできても、放つべき砲が存在していません!加速ブースター、シールド、ロックオンレーダーのみです」

 ミルフィーユが悲鳴を上げた。

「エメラルダス号の砲を。全砲、一斉射撃!」

 闇蛇に食い荒らされていたエメラルダス号が最後の力をふるって甦る。精神と肉体すべてを消耗し尽くし、数分でげっそりとやせ細りながら、限りない意思だけで立つエメラルダスが戦士の銃を抜く。

 恋人が作った銃が、波動砲の発射キーのように船が伸ばすアームにつながれ、最後の力で引き金が絞られる。

 凄まじい光が四方八方に放たれ、紋章機がロックオンしたすべての点に、精密に集約させていく。

 ゲイナーの無数の顔、〈戦士〉のなりそこねの太陽神経叢と、罪を。その陰にいた、貌なしのマベロードや、名もない無数の地獄の公爵たちの心臓を。

 クロスターハイムの限りない過去を。

 天秤の鎖の、すべての環を。

 ホーリー・チャイルドをなす、無数の内なる星座の暗黒星を。数限りない黒龍のひとつ目を。

 悲鳴が、空間自体をひしぐように響く。豹の無量光と哄笑、叫ばれるアウラの名……光剣が鋭く振りおろされる。

 

 全員が気づいたときには、エメラルダス号はナタリ湖の水面下わずかに身を隠し、輝く紋章機と向きあっていた。

 エメラルダス号のハッチが開かれ、紋章機が船内に入り固定される。

 そのコクピットからまろび降りる豹頭王を、クスハと雪が抱き止めた。

「一体」

「消耗しきっています……これを」

 と、クスハがまた取りだした栄養ドリンクをその口にさしつけ、巨体がうめくと頭を抱えて……起き上がった。

「何が、起きたんだ?なにか、とてつもない味が口に、喉に残る。気分はいいのだが。

 俺はどうしていた?おまえたちが、何かを甦らせるというのでナタリ湖に船で出て、それからの記憶がない」

「思い出さない方がいいです!あの味だけは思いだしてはいけません!」ブリットが、豹の耳に小さくささやいた。

「わしにも一口くれんか、お嬢さん。このいくさでかなり消耗した」

 イエライシャにもクスハがコップを渡し、ブリットとトロイが止めるのを無視して飲み干し、快さげに息をついた。

「これはこれは、生身の人間用ではないが。よろしければ、これを入れるともっと効果は増すだろうよ」

 笑うイエライシャを、ブリットや雪は信じられない目で見ていた。クスハは奇妙な、空気中で動くイソギンチャクのようなものと、奇妙な青い実をつける小さな盆栽を受けとり、嬉しそうに礼を言った。

「ちょっとまって。あれが、パワーアップするのか」

 ブリットが震え上がっている。イソギンチャクから一滴の、緑の滴が垂れると床が煙を噴き、穴が開く。

「エメラルダス、終わったのか?」

「ええ。私たちは星々の彼方に旅立ちます。グラチウスやヤンダル・ゾックは深刻なダメージを受けています」

「剣や貴重な情報に感謝しよう。そして、最後まで俺を裏切ろうとも、利用しようともしなかったことも」

「こちらも同じです。お互いに知らぬ身であれば、行動だけが語ります」

 グインはうなずき、乗ってきた小船に単身乗った。

「では、ヤーンが許せばまた会おう、友よ」

「ご武運を」

 互いに、余計なことは言わず別れる。

 エメラルダス号が波紋一つ残さず湖面を離れて上昇、またたく間に緑の惑星は暗黒に浮かぶ小さな点となり、その母星すら背景の星々と見分けられなくなる。

 その姿を、まるで見えるかのように、信頼する臣下に囲まれた豹頭王は遠く見送っていた。

 星々の、忘れさせられたおのが素姓と母国への、無限の憧憬と怖れを込めて。




今回は「『グイン・サーガ』の続き」でもあります。
現在公式化されている、五代・宵野両氏の作品が形になる前のものであり、栗本氏の原作のみを基準としています。
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