「や、やりました〜!」
八神家のリビングでミウラの声が響く。
「な、何とか全科目赤点回避です!」
「よし、良くやった。褒めてやる」
「お手柄ですよーミウラ〜」
ミウラを褒めるヴィータとクロハネもどき、確かリイン……なんとかツヴァイの二人の前に置かれているテストの答案を覗き込む。
「ほう、テストか」
「お久しぶりです、常連さん」
うむ、と自分が頷き頭を撫でるとミウラが顔を赤くしてえへへと喜ぶ。それを些か面白くなさそうにヴィータが見ている。
「しかし、現代は随分難しいことをするのだなぁ」
「テメーはわかんねえのかよ」
「自分は小学中退したからな」
「行けよ学校」
あの頃は自分もヤンチャだったのだ。彼方の極致に魅せられて、全てのことが霞んで見えた。平穏な日常も、友との語らいも、同じことを繰り返すだけの退屈も、全てモノクロだった。
親父は学校なんてやめちまえと度々言っていたが、母さんが言うからぼんやりと通っていた。
そんな時、祖父から八極拳への道を開いてもらえた。求めていたものへの道、それが開けば全てを放り投げて駆け出して行くまでに時間はさほどかからなかった。
今にして思えば、阿呆な選択だったかもしれない。学校をやめなくとも道は極めれただろうし、学がなければ満足な職にもつけぬ。
それでも、後悔はしていない。阿呆だったかもしれないし、賢い選択はもっとあったかもしれない。それでも、後悔はしない。
日常を捨てて、山にこもり武に身を捧げたからこそ手に入ったものが『今』だというなら自分はそれを後悔はしない。
母さんに悪いとは少し思うが。
「──ん?てことは、テメー強化魔法の演算どうしてんだよ。アレには16次元方程式が必要だろ?」
「32次元方程式を使っている。アレならば使い慣れている」
「まった、カビの生えた古臭い魔法式を……」
「それ以外必要ないからな」
「テメーは現代教育に真正面からケンカ売ってるな」
自分が返答するとヴィータが呆れたようにため息をついた。
「さ、32次元方程式……?」
その横でミウラが引きつったように自分の言葉を暗唱する。
「──って、それ大学レベルじゃないですか常連さん!」
ミウラの言葉を自分では判別のつけようがなく、なんとなしにヴィータの隣のツヴァイに目を向けた。
「そうなのか?」
「まあ、一応はそうなってるですよ。万能の16次元方程式に比べて、32次元方程式はピンポイントにしか有効じゃないですよ。もちろん、32次元方程式も有能ですけど、魔法形態ごとに変形してしまうのがネックですねぇ」
「物知りだな、ツヴァイ」
「えっへんですよ!」
自分が褒めるとツヴァイは鼻高々に胸を張る。その仕草が幼子のようで愛らしく、思わず頭を撫でる。実年齢は自分より上の可能性もあるが。
「何はともあれ、おめでとうミウラ」
「あ、ありがとうございます!」
ミウラが再び嬉しげに笑みを見せ頰を少し赤くする。
そこで、はたと気づく。そういえば先日のミウラの勝利祝いをしていなかった。
苦手な勉強も頑張ったようであるし、祝うならばこのタイミングかもしれない。
「ミウラ、そう言えば先日の勝利を祝っていなかった。何か食べたいものはあるか?」
「た、食べたいものですか……?」
「ああ、欲しいものでも構わんが」
「そ、そりゃあ、ありますけど……」
ミウラが指を突き合わせながら上目遣いでちらりと此方を伺う。
特に何か言われたわけではないが、その視線だけで彼女が自分に何を言わんとしているのかを察する。
「安心しろミウラ。自分、先日土木関係のアルバイトを始めた。八神はやてに毎月生活費を入れるくらいには金はもらっている」
自分がそう言うとミウラが安心したような表情を見せた変わりに、ヴィータが怪訝な顔をして眉を寄せた。
「何だそれ、アタシは聞いてねーぞ」
「言ってないからな」
ぴき、とヴィータの額に青筋が走った。相も変わらず沸点の低いやつだ。
そう言う意味を込めて鼻で笑うとヴィータの瞳が据わった。
「その喧嘩、買った」
ヴィータがぼきぼきと指を鳴らして立ち上がろうとしているのをツヴァイが押さえつけるように止める。
「や、やめるですよヴィータ!エデルも面白がって煽っちゃダメですよ!」
ツヴァイの呼びかけでヴィータは渋々といった様子で座り直した。それを見てツヴァイが小さくため息をつく。
「エデルはこの前から昼間だけアルバイトしてるです。はやてちゃんは良いって言ったんですけど……」
ツヴァイがちらりと此方を上目遣いで見る。
「怪我は治った。居候は続ける。ならば、生活費くらいは入れておかねば心地悪い。自分はヒモになる気はない」
ファビアの一件、先日のアインハルトとのでーとの時の洋服代など、八神はやてには借りが増える一方だった。せめて生活費くらい入れておかねば自分の気持ちが落ち着かなかった。
それに土木関係のアルバイトならば体も鍛えられるし、時給も良い。自分に取っても利のある仕事だ。
「ま、と言うわけだ。ミウラ何か希望はあるか?」
自分がもう一度たずね直すと、ミウラはしばらく何か考え込むように真剣な顔をしていたがやがて顔を上げて自分を見た。
「えと、提案は嬉しいんですけど、ボク次の試合が控えてて……だ、だからっ、次!次の試合勝ったら一緒に遊びに行ってください!」
最後はまくし立てるように言った、ちらりと此方を伺うような上目遣い。
「構わんよ、頑張って勝て」
「──はいっ!」
ニコニコと笑うミウラにぶんぶんと振られる犬のような尻尾を幻視する。
「負けられない理由が増えちゃいました!と言うわけで、師匠稽古つけていただけますか?」
小さくガッツポーズをして、誰も居ないはずの部屋の隅へと言葉を投げかけたミウラを疑問に思い、視線の先を追うと──いた。
青の美しい毛並みの狼が立ち上がり、ミウラの声を受けてのそのそと此方へ歩いてくる。
何故、そんなに遅いのかと首を傾げたが、そう言えば八神はやてがフローリングが傷つくから走るなと言っていたのを思い出す。
主に忠実なのは良いことだろうが、狼としての態度ではない。八神道場の童たちに『おっきいわんちゃん』と言われても文句は言えんだろう。
「ダメだミウラ。最近お前はオーバーワーク気味だ今日は休め」
「で、でもぉ……」
「闇雲に練習しても身にはならん」
「はい……」
獣状態のまま叱り、そんな見た目唯の狼に叱られてしょげるミウラの可笑しな師弟関係に僅かに苦笑いが溢れる。人間形態に戻ればそれなりに格好もつくのにそれをしないのは彼の守護獣としての誇りのためか。
「何だ」
苦笑いをした自分に気づいたのかザフィーラが首だけを此方に向ける。
それに対し頭を掻きながら「何でもない」と返す。
まさか、終生のライバルの今のわんこと化した姿に呆れてるとは、口が裂けても言えなかった。
ミウラがしょんぼりと肩を落としながら家に帰った後、ヴィータが徹夜明けで眠いと言って寝室へ引っ込む。それに付き合うようにツヴァイもヴィータと共に二度寝を謳歌しにリビングを出て行った。
従って残るのは青い狼と自分の二人だけ。
何かザフィーラに話しかけてみようかと思ったが、話題が何も見つからない。
自分に取って『ザフィーラ』という存在は、あのベルカで出逢った『盾』の拳士だ。あの猛々しい孤狼の雰囲気と今の穏やかな守護獣との姿が重ならない。違う存在に見えてならないのに、ふとしたときに感じるものは同じ。
そんな違和感がザフィーラとの距離を測りかねさせていた。
頭を乱雑に掻く。
特にする事もない。
まだ寝ているであろうファビアを叩き起こしてヴィクトーリアの家に模擬戦でも頼もう。
ファビアは昨日の仕事で疲れたから起こすなと言っていたから怒るかもしれんが甘いものでも与えておけば許してくれるだろう。
そう決めて自分もリビングを出ようとする。
「エデル、この後暇か」
ザフィーラの呼びかけで足を止めて振り返る。
「是か、否かと問われれば答えは是だが」
「そうか良かった。暇ならば草むしりを手伝え。主はやてから俺とお前への指令だ」
「────っ、ああ」
「どうした」
「……何でもない」
ザフィーラが話してる途中にいきなり獣から人へと変態した物だから、思わず面食らって少し返答に詰まってしまった。
自分の返答を受けて、寡黙に頷くとザフィーラは先に中庭に降りる。
その行動に言葉にできない不安が溜まった。しかし、それを発散する方法は見つからず仕方なくザフィーラの後に続いた。
「ほら」
ザフィーラが放った手袋を受け取ると手にはめてしゃがみこんで適当に草を引っこ抜く。
「手当たり次第草を抜くな」
「何であっても草は草であろう?」
「エデル、草であれば何でも良いというわけではない。抜くのは景観を損ねるような雑草だけだ」
こんな風にな、とザフィーラが自分の抜いたものを見せる。
「……変わったな」
「何か言ったか」
「いや、何でもない」
時代はすっかり変わってしまった。
八神はやての家に厄介になり、
容姿が変わらなくとも心根が変わっている。守る為に相手を殺す強さから、守る為に皆で協力する強さへ。
主の命令で立ち塞がる敵を打ち砕く過去。主のお願いで庭の草むしりをする今。
比べる事が間違っているのはわかっている。
でも、それでも、オレにとって
そこで邪な考えを抱く。
もし、今自分がザフィーラに殴りかかるとどうなるだろう。
己の内を平和に染め上げている青狼は自分を敵とみなして、あの猛々しさを表に出してくれるだろうか。
拳を握る。
ほんの一瞬ザフィーラの様子を伺い攻撃の算段を整える。技の選択、ザフィーラの反撃、回避行動の予測、数合先まで未来を描いた。
其処までして、握った拳を解いた。
そんな事をしても何の解決にもならない。例えザフィーラが反撃して来たとしても、だから何だ。
ベルカの時代は遥か遠く、もう二度と帰らぬ物だ。
ぶち、と雑草を引き抜いた。
「『盾』の銀狼が変わったものだな」
何となくやっていられなくなって芝生に寝転がる。空は曇っているが、僅かに温かみを帯びた草の感触が心地よい。
「俺の、昔の名だな」
「覚えているのか?」
「多少な。もう殆ど消えかけているがな」
そう言うと手袋を外してザフィーラも芝生に寝転がる。
「俺たちが過去の記憶を覚えていないのは、システム的な問題ではない。精神的な問題だ」
自分達の物騒な話は関係ないとばかりにそよそよと風が吹き、自分の頬を柔らかに撫でる。
「過去の主たちの非道な行い。止むことのなき殺戮。そうした中で精神が擦り切れ、精神が思い出す事を拒む。俺やシグナムは武人として比較的強い精神を持っていたが、幼子のヴィータや気性の優しいシャマルは耐え切れなかったんだろう」
記憶が思い出せぬことにそれ程未練はないのかザフィーラの声色は淡々としたものだ。
此れで得心がいった。何故、ヴィータやシャマルは覚えていなかったのに、シグナムは『魔導国家』の事を聞いてきたのか不思議に思っていた。
ザフィーラがゆっくりと起き上がり、寝転んだままの自分の顔を覗き込む。
その表情が、何時ぞやシグナムが尋ねたようなことを自分に尋ねようとしている。そんな表情に見えた。
「聞きたいのか、『魔導国家』スエルム、その終わりを。過去に生きた
静かに目を閉じて意図的にザフィーラを視界から外した。今目の前の守護獣はどんな顔をしているのか。
情けない顔をしているだろうか、好奇心を浮かべているかもしれない。思いも出せぬ過去に思いを馳せているかもしれない。
しかし、どの表情も自分の知っている彼ではない気がして見たくなかった。
「どうする、ザフィーラ」
そう、問いかける。
それに対して、ザフィーラは思案するようにしばらく沈黙し、ゆっくりと口を開いた。
「いや、聞かん」
その答えを聞いてゆっくりと目を開く。視界に映るザフィーラは何処か割り切ったように遠くの方を見ていた。
「例え昔のことを聞いたとしても今が変わるわけではない。興味がないとは言わん。未練が無いとも。しかし、俺は主はやてに仕えることになり今を生きる事に決めたのだ」
──だから、いい。
「──そうか」
体を起こして空を仰ぐ。いつの間にか空は晴れて日差しが覗いていた。
大きく息を吐いて、無理やり笑ってみせる。
「聞いてももう二度と教えてやらぬからな」
「聞く気も無い」
アインハルトやファビアが極悪人と称した顔を無理やり歪めると、ザフィーラは小馬鹿にするように笑い返してくる。
「嬉しいことを言ってくれる、流石我が宿敵。オレの左拳を叩き潰しただけある」
「──何?」
「──おっと、口が滑った。許せ悪気は無い」
「むぅ」
ザフィーラの少し困ったような顔を見ると僅かに胸のすくような思いがした。
「ザフィーラ、少し手合わせに付き合え。平和呆けしていないか確かめてやろう」
立ち上がり手につけていた手袋を投げ捨てる。
首をひと回しして体の子をほぐす。ザフィーラはしばらく迷っていたようだが、自分の『平和呆け』という言葉を聞くと素早く立ち上がった。
「舐めるな、若造。後で言い訳してくれるなよ」
「クク、安心しろ。其方とオレの生涯戦績は二勝一敗、もちろんオレの勝ち越しだ」
「貴様はまたそういう気になることを……」
此れは自分のささやかな意趣返しだ。我慢するといいさ。
「構えろ、エデル。吠え面かくなよ」
「ああ、行くぞ。歯ァ食いしばれ」
芝生を蹴り、互いの拳が交錯する。
自然と笑みがこぼれた。
その理由は今は特に言う必要は無いだろう。
因みに、この後八神はやてが帰宅するまで殴り合っていた自分達は、草むしりが終わっておらず雷が落ちるのだが、其れは別の話。
今月ギリギリ更新。
出来が微妙だったので更新するか迷いましたが、
取り敢えず投下。
遅れて申し訳ない。